人生山あり谷ありと言いますが、「谷間の春は花が咲いて」いました。

皆さん、こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

またずいぶんと長い間更新せずにおりました。

 

実は私は8月の末に体調を崩し、人生初の入院をしたのでした。

と言いましても、たった1日でしたが。

少しひどく、しかも3日も続いている腹痛でしたので近くの病院に行きましたところ、お医者さまが

「念のため『何があっても対処できる』大きな病院に入院しましょう」

と、強く薦められました。

紹介してくださった大病院には自力でタクシーで行けますとお伝えしたのですが、入院することに決まった時刻が夜の8時に近かったせいでしょうか、受け入れる病院側の都合により、救急車で来てください、ということになりました。

行く先の病院は国立でした。

 

私の症状よりもっと緊急の方のために救急車を空けておくべきなのでは・・・と思いましたが、そのようなシステムなのでしょうか、手配していただいた救急車にありがたく乗りました。

 

ですが人間の身体は不思議ですね、「救急車に乗って入院するなんて、大変なことになった!」と思ったあたりから、お腹の痛みが自分でも驚くほどスーッと楽になってきたのです。

もちろん痛いことは痛かったのですが、それまで立っているのもつらいほどだった痛みがずいぶんとましになってきました。

そのこともお伝えしたのですが、やはり「念のため」と、手厚い看護をお薦めしてくださいました。

 

たしかに、交通事故などにあった場合、事故直後は緊張のため怪我などをしてもあまり痛みを感じないことがあるようですね。

「大変だ!」「緊急事態だ!」というときの人間の身体の防衛機能なのでしょうか。

 

とにもかくにも、私は人生で2度目の救急車に乗り、初めての入院をすることに。

国立の病院に着いて、いくつかの検査や診察を受けました。

もちろん他にも救急で運ばれてきた方達が数人いらっしゃったためか、全ての検査・診察が終わったときには午前0時を過ぎていました。

そこで働いておられるお医者さまや看護師さんたちのお働きには、もう本当に頭の下がる思いでした。

夜中も何も関係なく、明かりが煌々とついて、皆さん忙しく立ち働いておられます。

看護師さんもとても親切にしてくださいました。

こんな夜中を過ぎてまで、と、ありがたい気持ちでいっぱいでした。

 

自分の身体がつらいときは特に、人様の情けが身にしみますね。

皆さん本当に優しく接してくださいましたので、あんまりにもありがたくて涙が出てきました。

日本は本当にありがたい国だなぁ。

多分は命に関わるような重い病気でもない私に、こんなに手厚い医療を受けさせてくれて。

こんなに遅い時間なのに、お医者さまも看護師さんも救急隊員の方も、皆さんイヤな顔ひとつせずに本当に優しく接してくださって。

 

数日続いたお腹の痛みもあいまってか、カーテンで仕切られた救急治療室の中、ちょっぴり涙を流しました。

「歩くのもつらいような腹痛が続いて入院することになった」という出来事だけを見ますと、あんまり幸せなことではないかも知れません。

ですが、そのとき私は本気で「私は幸せ者だなぁ」と、ありがたい気持ちでいっぱいだったのです。

自分でも驚いたのですが、そのとき流した涙は、まぎれもなく幸せを感じて出てきたものでした。

ポジティブ・シンキングというより、脳天気にもほどがある?と言ったほうがいいかも知れませんね(^-^)

 

そして、そのとき何故か思い出しましたのは、ずいぶんと以前に父が一度だけ歌ってくれた「銀色の道」の一節。

「遠い遠い 遥かな道は 冬の嵐が吹いてるが 谷間の春は花が咲いてる」

というところです。

 

そうかー、「人生山あり谷あり」って言うけれど、谷にも花は咲いてるもんねぇ。

 

しみじみと、実感いたしました。

 

私はこの歌の一番最後の歌詞の、「近い近い 夜明けは近い」っていうところが一番好きなのです。

大人になり、人生で2番目につらかったとき、「明けない夜はない」って自分に言い聞かせていました。

そして果たして、夜はちゃんと明けたのでした。

 

谷間の春は花が咲いている。

暗い夜は必ず明ける。

そして、その夜のとばりにさえ、目を向けると綺麗な星が輝いているのです。

その谷の花に、夜の美しい星に、気づける心でいられますように。

 

本当に、お世話になりました病院関係の方々、ありがとうございました。

皆さんのお陰で私は安心して暮らしていられます。

昼も夜も関係なく働いてくださり、ありがとうございます。

 

ただ・・・人生初の点滴は、痛かったなぁー(T-T)

「ただの生理食塩水でしたら、自分でお水飲めますから注射(点滴)はイヤです♥」

ってカワイイふりして?頼んでみましたが、あえなく却下。

プチュッと刺されてしまいました。

普通の血液検査の針と違って、痛い針だったなぁー(ToT)

仕方なく、記念撮影しました。

IV
人生初の点滴

 

さて、私が点滴で痛い思いをしておりますとき、うちの旦那さん(宇賀神先生)はと申しますと、ちょっぴり不安な夜を過ごしたようです。

口では「綾野がそんな怖い病気のはずがない!万が一なってもわしが治してやる!」と強気なことを申しておりましたが。

たとえお医者さまでいらっしゃっても、お身内の方が病気を患われますと、なかなか冷静ではいられないそうですね。

私が入院した翌朝、宇賀神先生はいつも通りお仕事をしてくださっていましたが、

「奥さんがお家にいないと、やっぱりダメね♥」

と言いたくなるようなお顔をなさっていました。

 

9月に入り、先週にはMRI検査にも行ってまいりました。

MRI検査も始めて受けました。

検査中には動かないでください、呼吸も浅い呼吸で、と言われておりましたのに、あろうことかMRIの機械の騒音のなかワタクシは、

「ぐう。」

と、寝ておりました。

検査終了時に思わず、

「寝ちゃってたみたいなんですが、動いてなかったですかね?」

とお聞きし、看護師さんに笑われてしまいました。

我ながら・・・お恥ずかしい( ̄∇ ̄;)

 

結果と診察はまた来週です。

ちょっと怖い気もいたしますが、お医者さまや、宇賀神先生や、神さま佛さまにお任せ!で、結局何だかんだで幸せにしていることを願っています。

どうあっても、幸せでいられますように。

 

また今回のことで、病院関係の方達ばかりでなく、私の周りの色々な人達のありがたみも愛情も、ひしひしと感じました。

宇賀神先生や両親はもちろんのこと、退院後すぐ東京出張だったのですが、そこで私を心配して見つめてくれる人達がいてくださいました。

「綾野さん、阿闍梨(宇賀神先生のことです)に滅私奉公もいいですけど、お身体大事にしてくださらないとだめですよ。」

滅私奉公・・・教科書以外のリアルタイムでは初めて聞いた言葉です。

「宇賀神先生がついていらっしゃるから、心配していません。」と言いながらも、心配そうに見つめてくれるまなざし。

「MRIの検査結果が出たら、ぜひセカンドオピニオンとして、とてもいいと評判のお医者さまを紹介します」とご提案くださった方。

など、など。

あぁ、私はこんなにもありがたい人達に囲まれているんだなぁ、と、じわじわと感謝の気持ちに包まれておりました。

 

綾野は幸せ者です。

ありがとうございます。

 

そして何より今回一番の役得?は、その東京出張の際、私の大好きな銀座4丁目の交差点で、かの「銀座の美しい女(ひと)」の真珠の涙を見られたこと。

その方は心から心配して、私のために涙を流してくださいました。

思わず、ぎゅうっと抱っこ♥♥♥

大好きな銀座の交差点で、大好きな美しい方とハグしちゃいました(^-^)

うーん、幸せ!

 

ちゃあんと、縄文展にも間に合いましたよ!

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縄文展にて

歴史大好きの宇賀神先生。

 

ついでにオマケ。

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お寿司のふり。

銀座4丁目に向かう電車の中で、あまりにも可愛すぎるので写真を撮りましたら、「銀座の美しいヒト」がひと言、「阿闍梨と綾野さんみたいですね。」って・・・。

どういう意味だろう( ̄∇ ̄)

 

ちょっと今日はお話が長くなりました。

長い間休んでおりましたためと、お許しくださいませ。

 

その間、大阪を直撃した台風や北海道の地震など、天災も多い夏でしたね。

私の大好きな深江のお稲荷さんのご神木も、大きな枝をたくさん落としておりました。

被害に遭われた方達には、心よりお見舞い申し上げます。

また、一日も早く平穏な日々が戻りますこと、心よりお祈り申し上げております。

 

皆さまのご無事を、心よりお祈りいたしております。

今日もお読みくださり、ありがとうございました。

 

合掌

嵐を呼ぶ男、見参!

東北への旅から帰って来ました!

今回の旅も走りましたよー。

体力の無い私は行き帰りの運転でグッタリ、温泉に英気を養いに行ったのか、運転で疲労しに行ったのか分からなくなってしまいました(^-^;)

 

ひとり元気なのは、このお方。

grape
マスカット片手ににっこり。

 

道中は、稲穂の緑がとてもきれいなのが印象的でした。

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緑の美しい田んぼ

見てください(^-^)この美味しそうな、間違えました、美しい田んぼの緑♥

見渡すかぎり広がる美しい緑に、心洗われる思いでした。

山の自然の緑と、日本人が営々と耕し育ててきた田畑と。

お陰様で美味しいお米をいただいておりますと、頭がさがります。

 

北の国の美味しいお弁当と、大好きなクッキー♥

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北の国のお弁当

「今まで食べた中で一番美味しい炊きこみご飯だー♥」と、宇賀神先生も大喜びでした。

水と空気の綺麗なところは、本当に何をいただきましても美味しいですね!

私は自分の生まれ育った大阪が大好きなのですが、ただひとつ、水と空気があんまり綺麗でないのが残念で仕方がないのです。

大阪も昔は東北のように水と空気も澄んでいたのでしょうね。

 

さて、今年も湯治しておりましたのは、岩手県と秋田県の県境にございます、国見温泉の石塚旅館さんです。

宇賀神先生がずっと若い頃から通っておられる温泉です。

「何歳のころから通ってるの?」と尋ねますと、「23歳のときから。」ですって。

おおよそ半世紀・・・( ̄∇ ̄)

もはや歴史ですな。

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石塚旅館さんの前にて

「写真にサンダース号も写して♥」って絶対言う宇賀神先生。

サンダース号の横顔と。

 

ちなみに露天風呂は男女混浴ですので、私は入ったことがございません。

関西人にはなじみの薄い文化ですね。

宇賀神先生は露天風呂が大好きでいらっしゃいますので、よく入られます。

ですが、この時期はこの山の上にもアブがぶんぶん飛んでおります。

露天風呂は手ぬぐいでアブと格闘しながら入るのだそうです。

なにを好き好んでそんなオソロシ気なお風呂に・・・(T-T)

 

この、外にポツンと建っておりますのが、露天風呂です。

はっきり申し上げまして、外から覗き放題。

この写真では分かりにくいかも知れませんが、小屋になっているというよりは、前面に壁があるだけです。

やっぱり関西人にはハードル高すぎます。

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国見温泉の露天風呂

奥の岩と岩の間の緑色が、温泉の色です。

見えますでしょうか?

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露天風呂

 

そう、ここのお湯はまるでバスクリンを溶かし入れたような鮮やかなグリーン色なんです。

あまり他では見ない不思議な色をしています。

もちろんお湯の良さはバツグン!

温泉の「氣」も、めちゃくちゃ強いです。

宇賀神先生は、ご自身の氣を高めるためにも、素晴らしい氣の温泉ばかりを目指して湯治に行かれます。

 

ちなみに、これは内湯です。

泳げそうなほど広い浴槽に、この緑!

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国見温泉の内湯

 

宇賀神先生が惚れ込んで半世紀近くも通ってらっしゃるのも大いにうなずけるくらい、強い強い温泉です。

あまり熱心に入りすぎますと、湯あたりもひどくなります。

 

宇賀神先生がよくおっしゃるのですが、草津温泉には道端にたくさんの小さな墓標があるそうですね。

それは、昔から名湯として名高い草津のお湯に病気を治してもらおうと来た人達が、弱った身体には強すぎる温泉に負けてしまい、そのまま旅先で亡くなられたという、そんな墓標なのだそうです。

国見温泉も、そんな草津のお湯と同じくらい、全国でも稀なほど強い温泉です。

効きますよー(^-^)

 

国見温泉は石塚旅館さんを含め、たしか2軒の旅館しかなかったと思います。

冬は深い雪に閉ざされてしまい、道路も封鎖され、5月~11月のはじめ?くらいまでしか営業なさっていません。

水は湧水、電気は自家発電という、素晴らしく外界から隔離された場所ですが、お車でしたら案外走りやすい道です。

ぜひ一度足をお運びいただき、めちゃくちゃに氣の強い、バスクリンみたいな緑のお湯に浸かってみてくださいね。

携帯電話ですが、AUさんとドコモさんでしたら、通話のみ、工夫により場所により(駐車場のこの位置、とか)つながる、ときもあるみたいです。

でも途中で切れるときも多々あるようです。

ネット回線はかなり難しそうです。

せっかくですから滅多にない機会、デジタルデトックス(あえて電波をつながない)も合わせておすすめいたしますけれど。

 

そうそう、それで、タイトルの「嵐を呼ぶ男」のことを忘れておりましたが。

何を隠そう今回の旅は、行く道のみでなく、帰り道まですごい土砂降りの雨に見舞われました。

日程の少し早いうちから日本海側をずっと南下して帰ってきたのですが、まあー、ここまでひどくなくても、というくらいの大雨と風でした。

秋田県の鶴岡西インターからあつみ温泉インターまでの日本海東北自動車道が、雨のため通行止めになるくらいでした。

地道では対向車のはねた水で、一瞬視界がゼロになることも2回ばかり(T-T)

覚悟はしておりましたが、ちょっぴり怖かったですね。

前回の記事で、嵐を呼ぶ男&雨女のコンビです♥なぁんて書いてしまったタタリでしょうか、と諦め?というより悟り??の境地でございました。

「ほらね、世界はアナタの思った通り♥」っていう引き寄せの法則そのままに、嵐の恩恵を被りました。(参照:引き寄せの法則

 

いえいえ、いいんですよ!

晴れの日よりもなお一層、安全運転を心がけたらいいだけの話ですから!

恵みの雨ですものね!

青い空と海の景色も綺麗ですが、空と海の境目のないグレー色の景色も、それはそれで美しいですから!(これは本心♥)

車のフロントガラスの視界が一瞬ゼロになっても、ワイパーがすぐに水をよけてくれますからね!

平気だもん!

 

強がりなんかじゃ、ないですよーだ(T-T)(T-T)

 

合掌

「嵐を呼ぶ男」あるいは、めげずに人生をよりよくする方法?

昨日から仙台におります。

宇賀神先生の出張のお仕事と、霊地聖地巡拝と、氣の練功と、お墓参りを兼ねて、またまた890kmの距離をサンダース号でひた走り、やって参りました!

出発前には「運の悪さの補い方」改め「運をよくする方法 その2」をちゃんと書こうと思っておりましたが、用意でバタバタしていて、間に合いませんでした。

申し訳ありません。

またゆっくり、そんな話題も更新していきたいと思います。

今日はせっかくですから、旅先の様子などもご紹介しつつ、運に関する少々の考え方も。

 

まずは一昨日、8月8日の出発日。

2時過ぎくらいまで仕事をしてから家を出ました。

悲しいくらいのトロ子(何をするのも遅い)の私は、なかなか大阪を出発できず、しかも「さあ車を発進したよ」と思っても、ちょっと立ち寄った複合型商業施設(エディオンとかカインズとかマクドナルドとかが入ってました。)で宇賀神先生が、

「綾野さんっ、見て見て!スライド式のエスカレーターがある!珍しいんだよー。乗ろう乗ろう♥乗ろうよ!!」

と、何の用もないのに2階へ。

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スライド式エスカレータを嬉しがる先生

そんなに嬉しい?

あんまり言いたくないですが、運転手の私は、気持ちはすこ~し、急いでるんですけどね( ̄∇ ̄;)

お構いなしに、はしゃいではります。

ピースサインまでして、よっぽど嬉しかったのね♥

あの、雪の鎌倉のことを思い出しました。(参照:旅に飲んで・・・

 

その後は順調に北陸自動車道まで走り、何度も泊まったことのあるお宿?、尼御前(あまごぜん)サービスエリアに到着しました。

このサービスエリアには、森があるのです。

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尼御前サービスエリアにて

宇賀神先生の奥に見えますのが、「日本全国どこでもお家」の、われらがサンダース号です。

尼御前は海が近くで森もあって、比較的夏の車中泊でも寝やすいのですが、さすがに今年は暑かったですねー。

夜中すぎくらい?に、ようやく涼しくなりました。

 

翌朝出発前に、サービスエリアのガソリンスタンドで給油しますと、スタンドの方が

「あれ、以前も来られました?」

と、話しかけてくださいました。

なんと年に1~2度給油するかしないかの私達を覚えてくださってたのです。

何百、何千という車が給油するスタンドの方が、と、びっくり。

ちらっと名札を拝見しますと、「マネージャー」と肩書きが書かれてありました。

さすがプロの方ですねぇ。

こんな出会いも旅の楽しみだったりします。

 

さて。

 

先日、私の泣けてくるほどのくじ運の悪さをお伝えしましたが、私はもうひとつ、カナシイ運に恵まれております。

あんまり大きな声で言いたくはないですが、私はちょっと「雨女」なのです。

 

この日はおでかけ♥と思っておりますと、だいたい雨になり。

雨の日に出かけようとしますと、今まで小降りだったのに、家を出た途端ざあっと降りだしてくる。

極めつけは商店街のアーケードから出ようとした瞬間に雨が激しくなり、アーケードに帰ってきたら、小降りになるという。

 

なんなん、このタイミング(T-T)

と、思うことはしょっちゅうです。

 

ところが、大きな声では言えませんが、宇賀神先生も結構な確率で雨男なのです。

不思議なことに深江のお稲荷さんにお参りさせていただくときだけは、今まで降っていた雨もちゃんと止んでお参りさせていただくことも多いようですが、出かけようかなーと思ったら雨、どころか、嵐のことも多いのが宇賀神先生なのです。

 

この、夏のお盆に合わせて仙台出張をする際に、台風と追いかけっこしながら仲良く北陸自動車道を北上するなんてことも、今まで何度もございました。

現に今回の仙台行きも、まさに「台風13号と仙台で待ち合わせしてるの?」と言いたいくらいのタイミングでした。

 

大阪を出た日の夜には台風13号が東京へ上陸かと予報されていた日で、翌日の仙台到着の日の15時頃には台風も仙台到着予定という。

私の父が、あまりのタイミングに心配して、出発した翌日の尼御前サービスエリアにおりました私に、メールで天気図を送ってきてくれたほどでした。

ですが、宇賀神先生は

「絶対大丈夫だから!」

の、一点張りです。

 

宇賀神先生のすごい?ところは、「めげない」ところです。

雨男という悲しいネーミングに甘んじるのではなく、

「わしは『嵐を呼ぶ男』だから♥」

と、ちゃっかり(都合の)いいように言ってはばかりません。

しかも嬉しそう~に、そうやって人にお話なさるのです。

石原裕次郎さんの映画のタイトルなんですよね?たしか。(ジェネレーションギャップで私は見たことはございません、と、ちゃんと言っておこうっと。)

 

私の目から見ますと、宇賀神先生の人生はまさに波乱万丈。

運もいいのか悪いのか、いえ、まあ、ホンネを申しますと、多分かなりいいとは正直思います。

普通の人にはない、目に見えない力で人の病気を治したり、神さまや佛さまに出会ったり、しかも26歳も年の離れた若くてカワイイお嫁ちゃん(私のことです♥)と結婚したり。

(すみません、またドサクサにまぎれて・・・( ̄∇ ̄))

 

ですが、当たるときは「大当たりー!」ですが、外れるときは「トコトン大外れ~!」なことも多いのが宇賀神先生なのです。

今まで生きていらしたなかで、命を落としかけたことが3~4回、いえ・・・5~6回?

小さい頃は学校で「異常児」の烙印を押され、ご両親が健在にもかかわらず孤児院に入ったこともあり。

ですがそのご縁で初めて佛さまにも出会われて。(宇賀神先生と佛さまとの出会い

 

波乱万丈ということは、アップダウンのアップも普通の平均ラインよりは高いですが、ダウンの方も世間様よりも深いということ。

ですが、宇賀神先生は持ち前の明るさで、めげません。

「雨男」の自覚くらい、「嵐を呼ぶ男」と都合よく言いかえ、笑い話のネタにされます。

 

なぁんでも、笑い飛ばしちゃう。

 

その明るさが、また運のよさを引き寄せてくるのかなぁ、と思います。

 

今回も出発前はさんざん「台風13号と仙台で落ち合います!」と言っていたのですが、ほぼ何の影響もなく、本当に台風来てるのかしら、というくらいのスムーズさで無事到着いたしました。

サンダース号は車高が2.6mと高く、風の影響をとても受けるのですが、それも一度も怖い思いをすることなく、走れました。

磐越自動車道から東北自動車道あたりで交通規制なども覚悟しておりましたが。

本当に助かりました。

 

「ほらね、大丈夫だったろ?」

と、なぜか自信満々の宇賀神先生。

 

ですが、宇賀神先生のことですから、たとえもし台風でひどい交通規制にあったとしましても、雨風で少々怖い思いをしたとしましても、後になれば必ず

「大丈夫、何の問題もない!お陰で無事着いた!」

と、また何かのネタにして笑い飛ばしてしまわれてたでしょうね。

 

そんな先生は、今回は仙台到着日に無事お墓参りも済ませられ、先生のお父様の代から通っておられるうなぎ屋「いわま亭」さんへ。

お父様もお母様も法事の後は必ずここへ、家族皆でいらしたそうです。

 

「いや、だからね、わしじゃなくって( ̄∇ ̄)

親父がビールで、お袋が日本酒がいいって言うんだよ。」

と、今回もお父様とお母様をダシに、アルコールをたくさん召し上がる先生でした。

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いわま亭にてビールとお酒!

 

首をかしげて、カワイイふりをしてもダメですよ!

お酒を飲み過ぎては、お身体さわるのですから。

「めげない」は素晴らしい才能ですが、たまには懲りてくださいね(T-T)、と心で泣くワタクシでした。

 

***

 

また明日午後より4日ほどは、携帯電話の電波も届かない山奥におります。

そこは電波も来ない、水は湧水、電気は自家発電という、現代のユートピアです。

ブログ更新は下山後、あるいは帰阪後になります。

またお待たせいたしますが、ご了承くださいませ。

よろしくお願いいたします♥

 

合掌

 

 

運の悪さの補い方 その1

さてさて、先日は私の絶望的なほどのくじ運の悪さを(恥ずかしげもなく)お伝えいたしましたが、今日はそんな運の悪さを少しでも補う方法をシェアしたいと思います。

 

これは宇賀神先生の勉強会でずいぶんと以前に教えていただいた、松下幸之助さんに関する説話です。

松下幸之助さんと言えば、「世界の松下」として有名な松下電器産業さん、今はパナソニックさんの創始者でいらっしゃいますね。

彼は貧しい境遇から身を起こされ、神様と称されるほどの素晴らしい経営者となられました。

その彼の会社が大きく発展するきっかけとなりましたのが、かの有名な二股ソケットの販売です。

 

二股ソケットの売り上げが大きく飛躍したものの、松下さんはもっともっと会社を大きくし、「日本の松下」と言われるようにになりたいと願われたそうです。(後には「世界の」とまでなられましたが。)

そこで、北条さん(この方のお名前は宇賀神先生もウロ覚えです、申し訳ありません。)とおっしゃる人相見のところへ行き、どうすればこの先へ行けるのか尋ねられたそうです。

 

ところが、その人相見は、

「あんたさんの運はここまで来ただけでも充分すぎるくらいで、この先を望んだらあかん。」

というようなことをおっしゃったそうです。

それでも松下さんは、どうしても「日本の松下」と言われるくらいの大きな会社にしたいのです、と、食い下がられました。

すると、

 

「そんなら・・・いいですか、あんたさんの人相でいいところは無いけれど、たったひとつだけ、その『耳』の相がいいですな。

二股ソケットも、『電灯口がひとつしかなくて不便で』という話を『耳に挟んだ』から、売ったというではないですか。

その耳がよろしい。

聞いたことを活かしなさい。

そして、自分のできないことは人にしてもらいなさい。

自分に運がないなら、優秀な人を、頭と運のいい人を雇って、その人達の言うことをよく聞いて、聞いたことを活かしなさい。」

 

こう、おっしゃったそうです。

たしかに、松下さんのお写真を拝見いたしますと、お耳がとても大きくていらっしゃいますね。

その耳で、人の話・大切な情報を聞いて活かすよう、そしてまた、自分に運がこれ以上ないのであれば、いい運を持っている人に助けてもらうようアドバイスをいただいたそうです。

彼にまつわる多くの伝記でも、部下の方を含め人の話にはよく耳を傾けられたと記されておりますから、ご自身の耳を活かされたと申し上げても過言ではないと思います。

 

また、宇賀神先生の以前のお知り合いの方で、松下産業さんのある地方の工場の工場長をなさってた方がおられました。

その方がおっしゃるには、ご自身が入社試験を受けられたとき、最終面接で松下幸之助さんに直々に問われたそうです。

「あなたはご自分で運がいいと思われますか?」と。

その方は、

「はい、いいと思います!

大した大学を出たわけでもないこの私が、こうして松下さん直々に面接していただけるなんて、それだけでもう運がいいと思います!」

と、意気揚々と答えられたそうです。

 

結果は、合格。

そして、後に地方の工場の、工場長にまでなられました。

 

さらに、その工場で新入社員の採用試験を行われるときに、突然わざわざ松下さんが来られて、

「まんのいいのを採りや。」

と、おっしゃったそうです。

 

「まん」とは大阪弁で、「運」と「間(ま:タイミング)」のかけあわせのような単語、とでも申しましょうか。

つまり、「運のいい人を採用しなさい」と、おっしゃったそうです。

 

このことは宇賀神先生が直接その工場長さんからお聞きになったお話ですので、松下さんが「運のいい人に会社の仕事をしてもらう」ことを大事になさったのは、間違いないと思います。

 

ですので、運をよくする方法としましては、

「自分の中の(すでに持っている)いい運や相を活かし、それを伸ばす」こと、

また、

「自分に足りないところは、他の誰か、または何かに補ってもらえばいい」

言いかえるなら、

「得手に帆をあげよ」

ということでしょうか。

 

そのためには、まず、自分自身を振り返るというのはいい方法かもしれません。

自分が今まで何を得意とし、何に関して運がよかったのか、一度じっくり考えてみてください。

先日の「当たり前」の例えではありませんが、本人にとっての当たり前は、案外他の人の当たり前ではないことが多いのです。

せっかく「大当たりが目の前にある」のに、それが本人にとってはごく自然のことなので、幸運なことでも幸運と思わなくなってしまっている、ということが往々にしてあるようです。

 

「思い返せば自分はこれに関することでは結構運よく恵まれてるなー。」「他の人より簡単にこなせてるんじゃないかな。」などと思われる分野がございましたら、そこに磨きをかける、というのは一つの手です。

そして、自分が苦手なことは、今お流行りのアウトソーシング?を思い切ってしてみる。

苦手分野の克服に励むのは、義務教育まででいいのではないでしょうか。(ちょっと乱暴すぎる結論でしょうか?)

 

そう。

それで、ですね。

浅はかなワタクシが思いつきました、すっごくいいアイデアがございまして。

 

先日、私には絶望的なほどくじ運が無いことをお伝えいたしました。

ですが私の姪っ子のMちゃん、あの、似顔絵を描いてくれた子ですね。(本当の奇跡春の氣

Mちゃんは私と正反対で、オソロシイほどくじ運がいいのです。

去年のお誕生日会兼クリスマスパーティーで、義妹が子供たちのために用意したくじ引きがあったのですが、3人の子供たちの中でMちゃんだけは、引いても引いても、何回引いてもちゃーんと自分の欲しいものをゲットするのです。

義妹は一人当たり10個ほどの大量のくじを作ったのですが、その中で1度もハズレなく自分の欲しいものばかりを当てたのはMちゃんだけでした。

私は正直、羨ましさで開いた口がふさがりませんでした。

しかもいつぞや母と行ったお店では、ガラガラ(抽選)で見事10kgのお米を当てたそうですし。

 

そこで、アウトソーシング!

 

いつかMちゃんを連れて梅田の第4ビル、ジャンボ宝くじの特設会場に行き、

「Mちゃん!どれがいい~??( ̄∇ ̄)」

と、宝くじを彼女に選んでもらおうと思います!

 

Mちゃん、いつかきっと行こうね!

当たったらプリキュアのおもちゃと服を買ってあげるから♥

って、でも、その前にまず弟と義妹を説得せねば・・・。

「お姉ちゃん、そんな変なバクチに大事な娘を連れて行かないで」って言われそう?

(T-T)

そこのところもアウトソーシングで「母に頼んで説得してもらう」としてみますか。

私にはくじ運はないけれど、家族運には恵まれていると信じて・・・。

(T-T)(T-T)

 

合掌

「そんなこともあるよ、人生だから。」

宇賀神先生は、人の心をフッと軽くする天才です。(人格伝播力

こう、以前もお伝えしました。

色々な方から色々なご相談をお受けするのですが、何やらかんやら先生がお話しておりますと、

「不安がどこかへ行きました。」とか、

「前に一歩進めそうです。」

と、おっしゃってくださる方達も多くいらっしゃいます。

そんな宇賀神先生が、よく私にも言ってくださるひとことが、こちらです。

 

「そんなこともあるよ、人生だから。」

 

私が何か失敗して、へこんでおりますときに、よくこう言って慰めてくださいます。

このセリフを言われるようなカナシイ出来事がございましたのは、一昨日でした(T-T)

 

一昨日はブログでも書いておりましたように、お稲荷さんの夏祭りでした。

その後の打ち上げに入ったお店で、「大吉」のおみくじを図らずも引いてしまったような巡り合わせに大笑いしたのですが、本来の私は、自分で言うのもなんですが、くじ運・・・あんまりよくないんですよね。

神社などで引くおみくじは大概「小吉」か「末吉」ですし、色々なお店のくじ引きもほとんど当たりません(T-T)

 

宇賀神先生には

「綾野さんには博才(ばくさい・先生いわく、賭け事で勝つ才能)は無いよ。」

と、いつも笑われております。

「無いはずないよー!!(T-T)」

と、むなしく抵抗してはおりますが。

 

さて、そんな博才の無いワタクシが、一昨日の昼間、インターネット上の、「ガチャガチャ」とでも言うのでしょうか、くじ引きみたいなのに挑戦いたしました。

よく買っているネット通販のポイントを使用して、くじ引きをしたのです。

その通販サイトのネットポイントがかなり貯まっていたのですが、そのポイントで交換できる景品で、私が必要なものが何もありませんでした。

いつもポイントを使わないまま期限切れになってしまっていたのですが、一昨日ある商品を購入しようとサイトを見ますと、手持ちのポイントのうち10ポイント使用すると、「1回ガチャ(くじ引き)ができます」と書かれておりました。

私は2154ポイント持っておりました。

トライしようと思えば215回、くじが引けます。

しかも、当たりは500円分のクーポン券だと言うではありませんか。

どうせ使わないポイントですし、ポチっとワンクリックするだけでくじ引きができるのですから、「なぁんだ、簡単じゃないの!」と、やってみることにしました。

 

ところが・・・やってもやっても当たらないのです。

ぽちっ!→残念、はずれ~!

ぽちっ!→またまた残念、はずれ~!

と、何度クリックしても当たりません。

 

はじめは「そのうち当たるでしょ♥」と、トクした気分でポチっておりましたが、

クリックも50回を超えたあたりで気が重くなり、

100回を超えたあたりで「いつ当たるの・・・(T-T)」と泣きそうになり、

150回を越えたときには、もはや執念・・・「ポイント全部使ってでも当ててやるぅー!」と、215回もチャンスがあるなら絶対当たるはずと言い聞かせながら、心は半泣きでポチっておりました。

 

そしてとうとう、

ぽちっ!→→→ポイント不足です!

の表示が・・・!!

 

全ポイント使用し、215回もトライしたのに、一度も当たりませんでした(T-T)

そこまでくじ運悪くなくても・・・ねぇ。

 

我ながら、あまりのナサケナイ結果に撃沈いたしました。

215回も引いて、一度も当たらないなんてあるのでしょうか。

当たるか当たらないかの、2択しかないのですよ?

いえ、ポイントはどうでもいいのですが、片手間とは言え、クリックし続けた時間のムダ使いをしたガッカリ感がつらかったですね。

 

それで、宇賀神先生に

「あんなー、インターネットでくじ引き、215回もしたのに1回も当たらへんかってんー(ToT)!そこまでくじ運悪いなんてー!!」

と、泣きつきました。

 

そしたら先生が半分あきれながらもひと言、

「そんなこともあるよ、人生だから。」

と、ふわぁっと、柔らかい表情でおっしゃいました。

 

身内をこのように褒めるのもなんですが、宇賀神先生の慰めは、たしかに大人の大きな器?心?を感じられますので、よくあるセリフを聞くのでも、先生に言われますと妙に納得してしまいます。

ですが、そのときちょっと、先生から感じられる「人格」のなかに幼い子供がいるのかな、とも思いました。

ママが何か失敗して落ち込んでいるとき、小さい子供が

「ママ、だいじょうぶだよー。」

って慰めてくれたら、その「だいじょうぶ」には何の根拠も理性的な判断もないと分かっていても、

「うん、そうだね。」

と、ほわんとあったかい気持ちとともに元気が出てくるような?

私には子供がおりませんので、あくまでも憧れとともに想像するしかありませんが。

 

とにかく、215回もくじ引きに挑戦してただの一度も(!)当選しなかった私ですが、この宇賀神先生のたったひと言で妙~に元気が出たのでした。

で、その後めげずに夏祭りに出かけ、「知らないうちに大吉を引いてました♥」という結果に。(→前回の「神さまの見た風景」に戻る。)

 

そう言えば以前読んだひすいこたろうさんの本でしたかに、

「“当たり前”は、“大当たり”が“目の前”にあることだよ。」

と、書いてありましたね。

くじ運の悪い私ですが、旦那さんには「大当たり!」で、恵まれたでしょうか。

atarimae
私の「当たり前」

昨日もお稲荷さんの夏祭りの本祭でしたので、お参りいたしました。

門の奥に、大きな菅の輪が見えますでしょうか?

あの中をくぐってお参りいたしました。

 

いつもいつも、宇賀神先生が元気で笑ってくださる「当たり前」に感謝です!

 

合掌

神さまの見た風景

前回、霊能者と言われる人がこの世の終わり(アルマゲドン)のイメージを見てしまうことが往々にして(極まれに?)あり、言うなれば誰もがかかる「はしか」のようなものです、とお伝えしました。

宇賀神先生も過去にその「はしか」にかかった一人で、次回は先生の(恥ずかしい)体験談を書きます、とお伝えしておりました。

ですが、先生が、「わしのこと笑い者にしてくれるなよー。」と、ちょっぴり泣いておられましたので、やめておくことにいたしました(^-^)

ごめんなさい。

 

それでですね、話題を変えまして。

 

7月31日の今日は深江のお稲荷さんの夏祭りでした。(またまたごめんなさい、日付けが変わり、昨日になりました。)

(参照:深江のお稲荷さん黄金色の龍龍の背中神意ためすなかれ春の氣

夏祭りは7月31日と8月1日の2日間です。

宇賀神先生と一緒に、お参りいたしました!

やっぱり雰囲気がいいですね。

お稲荷さんを目指して歩いておりますと、夜の暗がりのなか、ぼうっとお稲荷さんの境内が明るく浮かび上がり、人々のざわめきが聞こえてきて、だんじりの鐘の音とお神楽も聞こえてきて。

summerfes
夏祭り
summerfes2
夏祭りにて

今日は過ごしやすい夜で、夜のお祭りにはとても素晴らしい日でした。

 

sugenowa
菅の輪(の端っこ)と拝殿をバックに

菅の輪くぐりも、ありました。(写真撮りそこねました。)

 

夏祭りでは、氏子に届けられるはがきを持参いたしますと、拝殿の中に上げていただき、お祓いとお神楽の奉納を受けることができます。

神主さんにお祓いしていただいたあと、笛と太鼓のお神楽の演奏とともに、巫女さんが剣を片手に舞われます。

そして、最後に巫女さんから鈴で祝福を受けます。

とってもありがたいひととき♥

私達も、拝殿にあがらせていただきました。

 

そのお神楽が終わり、他の人達とともに拝殿から降りようと順番待ちをしておりましたとき、ふと、境内の方を見ました。

ちょうど拝殿の上から、眼下に境内を眺める形となりました。

そこで私の見たものは、明るい光で照らされた境内の中、穏やかなざわめきとともに、楽しげにしている人々の姿でした。

 

みんなすごく幸せそう。

 

そう思ったとき、(こう表現するのは不遜かも知れませんが、)私の心に神さまのお心が重なったような気がいたしました。

神さまがとっても喜ばれているのが、全身で分かったのです。

楽しそうに笑う人達をご覧になり、神さまも喜んでおられるんだー・・・。

私は目頭が熱くなりました。

 

なんでこんなに無条件に人々の幸せを望まれるのかなぁ。

 

神さまや佛さまのお心に触れた(と感じた)ときには、いつもそう不思議に思います。

よく、「無条件の愛」とか、言葉や概念としては知っていますが、なかなか実生活の中では難しいもの。

親子や夫婦でさえ、本当に「無条件」でずっといられるのかどうかは、簡単ではないと思います。(えっ、みんなは簡単なの?できないのは私だけ?(T-T))

私だって宇賀神先生に、

「ずっとがんばって働いていてねー。」とか、

「認知症になったらイヤよー。」とか、

「ご飯食べたらすぐに歯を磨いてよねー。」とか、

「お酒飲みすぎるなんて、ありえへん!」とか。

色々条件をつけたくなりますもの(T-T)

 

そんな超がつくほど俗人の私に、「無条件ですべての人々の幸せを願う神さまのお心」が流れ込んできたのです。

頭で理解するのとは違い、一瞬でそのお心に同化するような心持ちと言いますか。

神さまのお心の果てしない広さと温かさを身体中で感じ、同化して私も無条件で人々の幸せを願う感覚となり、また、その瞬間、一番幸せなのは私自身でもありました。

本当にありがたいと、泣きそうになりました。

 

ですが、境内には私の実家のご近所さんもそこかしこにおられ、涙を見られるのはさすがに恥ずかしいですので、ぐっとこらえておりました。

「あんたはんとこの娘さん、夏祭りで泣いてはりましたでー。ダイジョウブでっか?」

とかって両親が後からどなたかに言われたら、ちょっぴりツライじゃないですか。

いつぞやのお祭りでもございました、このパターン。

 

ああー、ですが、今思い出しましても本当に幸せでした。

 

お祭りって、いいなー。

子供も頃は夜店が楽しみなだけでしたけれど。

 

で、夜店ではなく、ありがたくも神さまのお心に触れるという幸せを楽しんだ大人は、その後の打ち上げに。

そうしましたら・・・

daikichi
大吉!

ねぇ、見てみて!このお箸の袋!

「大吉」ですって♥

知らずにおみくじを引いたようなもの、と気づいて宇賀神先生と大笑いしました。

どこのチェーン店かバレてしまいますが( ̄∇ ̄;)

はじめに行こうと思っていたお店がなぜか今日にかぎり臨時休業で、次に選んだお店でしたが、お陰様でさらに幸せになってしまいました。

 

お稲荷さん、いくらなんでも出来すぎですよ♥

 

合掌

アルマゲドン(は、来ないと思うけど。)

今日は、「アルマゲドン説」について、宇賀神先生のお考えを。

この場合のアルマゲドンとは、宗教的な意味を含むものではなく、一般的に日本で言われているような「世界の終わり」とか、「最終戦争」という意味で使わせてください。

 

私が子供の頃は、「1999年のノストラダムスの大予言」説が子供の間でもまことしやかに噂されていましたね。

子供心に、1999年に本当に世界が滅びてしまったら、人生をそんなに生きられないうちに死んでしまうの?と、半信半疑ながらちょっぴり怖かったのを覚えています。

 

それが無事に過ぎますと、今度は確か2012年の、「マヤ暦の終わり」による終末説でしたか。

これはただ単に2012年にマヤ文明で使われていた暦の一巡が終わる、というタイミングなだけたっだのですが。

例えば日本で申しますところの、十二支で子年から始まって12年が巡り、最後の亥年が終わる、というタイミングと同じような暦の一巡の終わりのことなのです。

終わりましたら次は「また初めの子年に戻る」だけなのですが、世間では格好の話題となり、ノストラダムス説に続く終末説ネタにされておりました。

 

つくづく人は「この世が終わる」設定が好きなのかなぁ、と、びっくりしましたね。

次はどんなネタが出てくるのでしょうか。

 

ですが、たしかに、宇賀神先生のようないわゆる霊能者とか、霊感を持っているとか言われる人で、この世の終わりのイメージを見てしまう人達が多くいらっしゃるのも確かなようです。

霊感とは、第6感のさらに子細なもの。

そして、全ての人は(鋭いと鈍いの差はございましても)誰でも第6感を持っているのですから、多くの人が付和雷同してまことしやかに噂される世界の終末を怖がるのも無理はないのかも知れません。

 

宇賀神先生は、

「人が映画のストーリーなどで想像しているような世界の終わりなんて来ないよー。」

と、おっしゃっています。

その根拠は?

「それは、この地球が魂のお修行道場で、まだまだお修行しなきゃいけない魂がいっぱいあって、いちばんお修行できる立場にいるのが人間だから。」

ですって。

 

変な例えかも知れませんが、監獄に入れられている囚人が夢見ることは、

「いつかこの監獄に大火災が起きて、囚人がみな釈放されるような事態になること」

だと宇賀神先生はおっしゃいます。

それと終末説を楽しむ(怖がる)人類は似ている、と。

「いつかこの地球に大災害が起きて、魂がみな解放されるような事態になること」

を夢見ている?

 

ちょっと、なるほどー、と思わなくもないですね。

 

こんなに楽しいお修行の世界はないのではと思うのですが、人は心ではなく、自身でも気づかない魂のどこかで、修行から「解放」されることを望んでいるのでしょうか?

さて。

真偽のほどは分かりませんが、その仮説が正しいとしますと、映画などでもさかんと「世界の終末」を題材にしたストーリーがあり、それを人々が楽しんで見ているというのも、うなずけますかしら。

 

ちなみに、ブルース・ウィリスさん主演のハリウッド映画の「アルマゲドン」は私も大好きです♥

「ターミネーター」シリーズ(特に2とジェニシス!)も大好きですし、アメリカのTVドラマの「ザ・ラスト・シップ」もレンタルビデオ屋さんで借りてまで見てしまってます・・・。

アルマゲドンでは巨大隕石が地球に飛来し、ターミネーターでは核兵器による滅び(審判の日)の後の殺人マシーンとの戦い、また、ザ・ラスト・シップでは致死率の高いウイルスが世界中に蔓延する、という設定でした。

まあ、これはただ単に出演なさっている俳優さんたちが大好きで見ているだけなのですが(^-^)

しかも映画アルマゲドンは宇宙へのロマンですよ♥

ターミネーター2とジェニシスは殺人マシーンとして作られた一体の“機械”の人類への愛の物語と信じています♥

 

ちょっと話が逸れそうなので、戻しますね。

 

また、たしかに、仏弟子のはしくれといたしましては、お釈迦様のおっしゃった「諸行無常」が真実であるとも思っております。

諸行無常とは、すべてのものは常態を保ちえないという意味でしたね。

そして現在の学説では、かつて地球上の覇者でありました恐竜が絶滅したわけは、巨大な隕石の衝突による気候の大変動であるとされております。

確率はすごく低くても、再び宇宙の遥か彼方からやってくる巨大隕石が地球に衝突する可能性もあるのです。

恐竜が絶滅したのですから、人類も何らかの劇的な理由により絶滅する可能性だって、無くはないですね。

 

ですが多分、それは今現在生きている私達が心配するより、遥か先の時代のことなのだと思い(願って?)ます。

そんな遠い未来の劇的な出来事を心配するより、もっと考えたり心配したりしなきゃいけない身近なことがたくさんありますものね。

そしてそれに懸命に対処している人達がたくさんいらっしゃるのも、また事実です。

恐ろしいほどの致死率のウィルスも今現在も確かに地上に存在しますが、WHOや世界中のお医者さま達が懸命に伝染をくい止める努力をしてくださっているお陰で、私達はまだ滅びていません。

有り難いですね。

 

宇賀神先生は、

「霊能者と言われる人達がこの世の終わりのイメージを見てしまうのは、言うなれば誰もがかかる『はしか』のようなもの」

とおっしゃっています。

何を隠そう、40年近く前、その「はしか」に先生ご自身もかかってしまわれました・・・今ですから笑って?告白できますが。

そうですね、次回は先生もかかってしまったその「はしか」の話をいたしましょうか。

終末、おっと、週末はまた出張が入っておりますので、憧れのノマドワーク♥ができましたら、更新いたしますね。

できてなかったら「新幹線で酔ったのねー。」と、お思いくださいませ(^-^;)

 

ですが今、自分でアルマゲドン(終末)説に関することをブログに書いてて、色々想像してしまい、ちょっぴりコワクなってしまいました。

どうか地球が滅びる夢を見ませんように!(T-T)

どうせ見るならかっこいいターミネーターが守ってくれる、楽しい夢を見られますように♥

 

godzilla
宇賀神先生はゴジラ大好き!

 

合掌

本日は私信のみにて。

ずいぶんと長いこと更新しておりませんでした。

ご心配くださった皆様、ありがとうございます!

また、大阪北部地震が起こった日、西日本を中心に豪雨災害が起こった日、私達を案じてご連絡くださった方々、ありがとうございます。

この場を通じて御礼申し上げます。

お陰様で私達の住む地域は大した被害もなく、無事に暮らしております。

つづく災害で被災された方達におかれましては、1日も早く平和な日常が戻られますことをお祈り申し上げております。

 

 

さて、本当に久しぶりのブログで、ちょっとドキドキしております。

更新をお休みしておりましたこの1か月あまり、色々なことがございました。

正直に告白いたしますと、まったく私的なことでずーっとずーっと半年以上自問自答していたことが極限にきたような状態でした。

大げさに申しますと、「自分自身の人生を見つめ直していた」とでも?

 

いえいえ、本当のところはじっと見ているだけで、自問自答する思考能力もございませんので、タヌキ寝入りしておりました。

ウソか本当か知りませんが、タヌキはとてもびっくりするようなことがあるとショックで気絶するんですって?

それが“タヌキ寝入り”の語源なんですとか。

「まるで私のよう!」と思ったことを覚えています。

私は昔から難しい問題に行きあたりますと、タヌキのようにショックで思考がフリーズ(気絶)してしまうのでした(^-^;)

すみません。

 

で、人生の問いに対する答えは出たのか?

いえもう、出たような出ないような。

ですが、どちらにしましても「私は幸せなのねー。」ということが今さらながら分かった気がして、ある日とつぜん「どっちでもいっか♥」と、まさに憑き物が落ちたようにフッと心が軽くなったのでした。

自分の中で、いいと思うものも悪いと思うものもジャッジせず(善悪をつけず)においておき、すべて許して自分自身も許して(ゆるめて)いこうと思いました。

ごちゃごちゃした心の中のことですので何がどう腑に落ちたのかは分かりませんが、許した?受け入れた?ゆるんだ?降参した?、それだけでもう充分な気がしました。

 

ひとつにはオトモダチのほぼいない私ですが、地球の裏側に住む友人が、私が何やら考え込んでいるのを知られて、

We NEVER have ‘the answers’ but ‘the probabilities’.

(訳:答え(正解)なんて永遠に分からない、でも、そうかなー、って思えることでいい。)

と、伝えてくださいました。

その訳、間違ってるよー(T-T)と思われましたらCさん、こっそり教えてくださいね!

何故だか分からないけれどこの言葉は今の私にとってとても大事な気がする、と思い、心の中で何度も唱えておりました。

 

色々なことを感じ、考え(いえ、考えられずにタヌキ寝入りして)、そしてその間、私のことを少ーし心配して何もおっしゃらず見守ってくださる方達のあたたかーいお気持ちをじわじわと感じていて、幸せに復活いたしました(^-^)♥

 

ありがとうございます。

 

ご心配おかけしました。

 

ということで、今日はタイトル通り「私信のみにて」失礼いたします。

ただただ心配かけてごめんなさい、と、ありがとう、をお伝えしたかったのです。

また明日からいつも通りのブログを書いていきます。

お話したいこと、たくさんあります♥(たぶん!)

またお読みいただけますと幸いです。

 

本日のオマケに、ひさびさの宇賀神先生スマイル♥を。

やっぱりグリコのキャラメルにはオマケがないとね?

 

先生お気に入りのカフェオレをいただいたときのことです。

この喫茶店では、ちょっとフランス風に、コーヒーカップではなくカフェオレボウルでカフェオレをいただきます。

温かいコーヒーと牛乳を、自分でまぜまぜします。

cafe-au-lait
カフェオレを自分でまぜまぜ。

 

そのとき、先生がひと言、「せんのきゅうきゅう」と。

 

sen-no-kyukyu
いただきます。

 

一体なんのことかと思いましたら、「千利休を気取って♥」だそうです。

相変わらず・・・( ̄∇ ̄;)

 

sennnokyukyu
せんのきゅうきゅう

 

ま、そうやって幸せそうーな柔らかな笑顔を見られるのが、いちばん当たり前で、いちばん得難く大切な宝物でしょうか?

 

けっこうなお点前で♥

 

合掌

穴禅定 その2

四国霊場の番外寺である慈眼寺さんの穴禅定で、ローソク一本を片手に奥へ奥へと進んでいた時のことです。

私はふと後ろを振り返りました。

一筋の光もささない狭くて細い鍾乳洞の中、私たちのローソクの小さな光が届く範囲の向こう側は、本当に何も見えない真っ暗闇でした。

 

たぶん人間は本能的に暗闇を怖がるのでしょうね。

どこまでが地面で、壁で、天井か、何にも見えない空間を体感しますと、一種の浮遊感のようなものを感じました。

まるで深い水底のように、どちらが上かさえ一瞬分からなくなるような、不思議な浮遊感です。

前回の記事でもお話しました、お経本に書かれております

「無明長夜の闇路」

とは、こんな状態にも似たものなのでしょうかと思いました。

 

修行者はその暗闇(無明長夜の闇路)を、ローソク(佛様の教え)を頼りに進んで行きます。

そのローソクは誰も持ってはくれません。

自分の手で、ローソクを前に捧げ持ちつつ、自分の足で、一歩一歩進んで行くのです。

それはまさに自灯明 法灯明、自らを明かりとなし、佛様の教えを明かりとなして進んでいく、そんな世界観を体感しているような気持ちでした。

 

まあ、ちょっと軽い言い方をするならば、まるでユニバーサルスタジオのよう、とでも言えますでしょうか?

映画の世界にそのまま浸れるユニバーサルスタジオのように、佛教の世界観にそのまま浸れた穴禅定でございました。

 

それに、いくら自分一人の力で歩を進めると申しましても、そこには導いてくださる先人(お大師さんや先達さん)がいてくださり、また、自分の火が消えたときは火を分けてくださる先人(宇賀神先生)がいらっしゃるのです。

なんとも心強い「無明長夜」ではありませんか。

 

穴禅定は、ずっと奥に進んでいきますと、真ん中辺りでしたでしょうか、急にぽっかりと大きな空間が開けます。

何人もの人が一同に会することができるくらい大きな空間です。

そこにはお大師さんの像があり、たくさんのローソクが灯されていて、修行者は先達さんとともにそこで般若心経を一巻唱えます。

 

その後再び岩の裂け目のような穴禅定を奥へと進み、割と出口に近づいてきたときに、「袈裟がけの岩」と呼ばれる所を通りました。

そこでは胸くらいの高さに、まるで壁に取り付けられたフックのような形に岩が出ていて、お大師さんがその岩に袈裟をかけられた、という話になっているそうです。

その袈裟がけの岩に手を置いて、心の中で一つだけお大師さんにお願い事をしてもいいと、先達さんがおっしゃいました。

 

せっかくですから宇賀神先生の後に続いて私も袈裟がけの岩に手を置き、目を瞑って一つのお願いごとをしようとしました。

ですがそのとき、やっぱり

「神さまや佛さまにお参りするときにお願いごとをしない。感謝申し上げるだけ。」

を思い出してしまった“いい子ちゃん”の私は、お大師さんに対して

「お陰様をもちまして皆々幸せに暮らしております。ありがとうございます。」

と、お伝えしました。

 

と申しますよりは、実はいい子ちゃんでも何でもなくて、願い事が多すぎてたった一つだけ選べなかったというのが本音なのですが!?

要は欲張りで優柔不断なだけなのですネ( ̄∇ ̄;)

 

ですが、お大師さんに感謝の言葉をお伝えした途端、ふわぁっと、文字通り、胸のあたりが温かくなりました。

よく嬉しいことが起きたときに「心が温かくなる」と申しますが、本当に心臓を中心とした胸のあたりに温かい温度を感じたのです。

不思議でした。

お大師さんの温かみを、心象ではなく、実際の体感温度として感じられました。

 

お四国さんでは、「同行二人(どうぎょうににん)」と皆さん信じておられます。

つまり、お大師さんと二人連れなのだと。

今から20年ほど前、私が初めてお四国さん巡りをしたときに、700段を超える階段の上にお寺がございます、そのふもとのお茶屋さんが、

「お大師さんが背中を押してくれはるからね。」

と、こともなげにおっしゃったのをとても印象深く覚えております。

不思議でも何でもなく当たり前のこととして、お大師さんは今も生きていらして、修行者の背中を押してくださるのだとさらりとおっしゃいました。

 

信仰というものが、特別な重いものではなく、当たり前のように生活に溶け込んでいるのがお四国さんなんだなぁ。

こんな世界もいいかも知れない。

と、思って、出家してしまった20代のワタクシでございました。

もちろん大前提として宇賀神先生のようになりたいとの憧れはございましたが。

 

ローソクの光だけが頼りの、岩の裂け目のような穴禅定で、色々なことを思い出したり感じたり、とても素晴らしいお修行体験をさせていただきました。

宇賀神先生は、

「かつてお大師さんの身体も触れた岩にわしの身体が触れているのかと思うと、すごく幸せだった。」

と、おっしゃいました。

右と左が分からなくて狭い曲がり角で四苦八苦してらしたのですが、それでもとっても幸せだったんですって♥(参照:穴禅定 その1

よかったねぇ。

 

ちなみに、とても業が深い方は穴禅定の狭い曲がり角で岩に挟まってしまい、どうにもこうにも抜けられなくなるそうです。

そんなときは、修行者全員で般若心経を唱えてあげると抜けられるのですとか。

しかも、業の深すぎる方は、3巻くらい唱えないとダメだそうです。

そんなことにならなくてよかったネ、先生♥

 

1200年ほど前からすでにございました「ユニバーサルスタジオ(体感)型お修行道場」の穴禅定。

機会がございましたら、ぜひ一度ご参加なさってみてください。

お大師さんにお会いなされますことを、心よりお祈り申し上げております。

 

合掌

穴禅定 その1

前回、「自灯明 法灯明」のお話をさせていただきましたときに、「まさに自灯明を体感できる場所がございます。」とご紹介しました。

それがこれからお話します、「穴禅定」(あなぜんじょう)です。

 

四国霊場八十八ヶ所巡りは有名ですね。

お大師さん(弘法大師 空海さま)が制定なさった、四国中をぐるりと巡る八十八ヶ所のお寺のことです。

実はそれにプラスして、二十カ寺のお寺が、「番外寺」とされております。

88+20で、なんと108という煩悩の数になっている、というのは豆知識ですが。

 

さて、この番外寺は何が特徴なのかと申しますと、お大師さんが若かりし頃、まだ唐へ留学僧として渡られる前に、ご自身でお修行なさっていた場所なのです。

宇賀神先生はよく、

「お大師さんの生々しい情熱を感じる」

場所だと、おっしゃっています。

 

ご存じの方も多いとは思われますが、お大師さんは四国は讃岐の国(今の香川県)の国司の家に生まれられ、幼少の頃から神童として将来を期待されていらっしゃいました。

そして、ちょうど平城京から平安京に遷都される頃に、今でいうところの「エリート大学生」として、京の都に上ってこられました。

ところが、いざ大学で勉強を始めてみますと、“出世のための学問”にほとほと嫌気がさし、

「自分の求める学びの道は、ここにはない!」

と、勝手に中退、大学を飛び出してしまわれました。

 

そしてさらに勝手に出家なさり、お国が認めていない「私度僧」となられ、自分は佛道を進むのだ、と、山野をかけ巡り、修行に明け暮れられました。

大阪と奈良の間にございます生駒山などにも、「かつてお大師さんがお修行なさった場所」があるのだそうですが(すみません、私は行ったことがございません)、その四国でのお修行の場所が、二十カ寺のお寺なのですって。

もちろん、それらのお寺以外にもあるでしょうけれど。

まだまだお大師さんが「有名な空海さま」でいらっしゃらなかった頃、無名の私度僧で、佛道(あるいは密教)への燃えるような情熱だけで山野をかけ巡っておられた頃の息吹が、そこでは感じられます。

 

そのお修行の場のひとつである「穴禅定」が、番外寺の三番目のお寺の慈眼寺(じげんじ)さんにございます。

穴禅定は細く狭く、長く続く鍾乳洞で、一筋の太陽光も入ってこない場所で、ローソク一本を頼りに進んで行きます。

 

まず初めに、慈眼寺さんに行きますと、胸くらいの高さの石の棒が間を空けて2本立てられていて、その間を通れないほど太っておられる方は、穴禅定に参加させてもらえません。

それほど、細く狭い場所があるのです。

 

宇賀神先生と私が行った時は、たまたま私達だけで、嬉しいことに貸し切りで穴禅定に参加することができました。

慈眼寺さんが貸してくださる白装束に着替え、靴も何と草鞋(わらじ)に履き替えます。

ちなみに、私は生まれて初めて草鞋なるものを履いたのですが、あれはめちゃくちゃ素晴らしい履物でした!

穴禅定の鍾乳洞まで少し山道を歩いて登るのですが、まず足の底が心地いいのです。

適度なクッションを通して、岩や土の地面をそのまま感じることができます。

しかも、濡れた岩の上もすべりません。

その快適さと機能性にびっくりしました。

マジで一足欲しい( ̄∇ ̄)♥と、思ってしまいました。

(一体どこで履くんだろう。)

 

そして、先達(せんだつ・修行者をガイドしてくださる方)さんに導かれ、山道を登り、まさに巨大な岩の裂け目という表現がぴったりの鍾乳洞に入っていきます。

その時に一本のローソクを手渡され、火を灯し、片手で自分の前に持ちつつ鍾乳洞に入ります。

鍾乳洞は、ほとんどの場所が真正面を向いて歩けないほど狭い空間で、自分達のローソク以外の光は一切なく、真っ暗闇です。

 

その時の参加者は宇賀神先生と私の2人だけでしたが、先達さんは私達をご覧になり、先頭を行く先達さんの次に宇賀神先生、最後に私が続くように、と指示なさいました。

山登りなどでは普通、一番先頭をリーダーが歩き、そのすぐ後ろは体力が弱いなど、一番問題がありそうな人を歩かせます。

どうして先生の方がやっかいで、リーダーのすぐ後を歩いた方がいいって一目見て分かられたのでしょうか( ̄∇ ̄)

長年の勘ってスバラシイ。

そう、宇賀神先生の頭の構造には人様よりも少しひどい偏りがあり、時計と掛け算がよく分からないのと同様、右と左がよく分からなくなるのです。(参照:でこぼこの才能

 

ですので、時にとっても狭い場所にさしかかり、そこは先達さんのご指示通りに身体を動かさなければ通れないところなのですが・・・。

「はい、そこで右ひざを地面につけて」とか、

「お尻を地面に落としたら右に体重を移動させて」、

「左肩を落としてくぐらせて」、

などのご指示に、宇賀神先生はことごとく迷われ、逆をしようとなさいました。

「いやいや、違うって、右やって。」

「それは左足やから。」

などと、私が後ろからいちいち訂正しておりました。

 

いやぁ、よくお修行の場では因縁が出る、などと申しますが、

「人の言うことを聞かない(聞けない)因縁」丸出しの宇賀神先生でございました。

 

もう本当に穴禅定は、鍾乳洞というよりは岩の裂け目をすり抜けていく、というような感覚でした。

細い細い道の曲がり角では、地面に手やお尻をつけて何とか通り抜けるのですから、白装束はドロドロに汚れ、そして時に手に持っていたローソクの火が消えてしまいます。

火が消えた時は、前や後ろの人からもらい火をします。

もちろん電気の照明など一切ない空間。

全員のローソクが消えてしまえば、真っ暗になります。

 

その狭い狭い空間をひたすら進んでいたとき、最後尾にいた私はふと後ろを振り返りました。

すると、私達がもっているローソクの小さな光が届く範囲のその向こうには、真の暗闇が存在していたのです。

何かがいてもいなくても、何にも分からない本当の暗闇。

どこまでが空間でどこからが天井なのか、どこが地面なのか、本当に何も見えませんでした。

 

(その2につづく)

 

合掌