甘い誘惑。その1

「甘い誘惑」と申しましても、美しい女性からの誘惑の話ではありません。

もちろん、宇賀神先生の大好きなMeijiのチョコレート♥のことでもありません。

いわゆる、浮遊霊とか不成仏霊からの誘惑、とでも申し上げましょうか。

これは今から40年近く前、宇賀神先生が今のお仕事を始められ、まだ仙台にお住まいだった頃のお話です。

 

仙台近郊は自然も豊かで、心静かにお修行するのに適した場所も多いそうです。

いわゆる霊地や聖地、今ではパワースポットとも呼ばれるのでしょうか。

宇賀神先生はそのような場所でお身体の鍛錬や、仏具を持っていって行をなさったり、氣を取り入れて体の中で練る「吐納導引術」(とのうどういんじゅつ)をなさったりと、氣の力を高めるべく、お修行なさっていました。

 

仙台市内でも、滝行もできそうな小さなお滝場やお堂がある場所があり、よく行っておられました。

そのうちのひとつが、先日ご紹介しました三居沢(さんきょざわ)のお不動さんです。

(参照:東北への旅

 

もうちょっと詳しく写真でご紹介しますね。

水力発電所の奥にある、のかな?

まずは入り口。

以前にも載せた写真です。

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三居沢のお不動さん

 

奥に入りますと、お堂が見えてきます。

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三居沢不動尊のお堂

 

そして、お堂をぐるっとまわり込んだ奥に、滝があります。

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三居沢の滝

宇賀神先生の記憶が正しければ、昔は滝の水は一本だったそうです。

地震のためでしょうか?時間の経過で水底の形が変わったためでしょうか?今は二本の滝に分かれています。

また、昔は滝のすぐ近くまで行けたそうですが、今は柵があり、行けなくなっています。

 

滝の奥の岩壁に、お不動さんが彫られていました。

見えますでしょうか?

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滝の奥にお不動さん

このお不動さんも、宇賀神先生の記憶が正しければ、先生がよく行かれていた頃は無かったそうです。

滝の下のいくつかの大きな岩の位置も、変わっているみたいです。

 

ちなみにそのお滝場に、こんなオソロシ気な貼り紙が。

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お滝場の貼り紙

クマ出るんや・・・ヤメテ。( ̄∇ ̄;)

 

4月末の仙台出張に合わせて、どうしても久しぶりに三居沢のお不動さんにお参りしたくなり、この日に行きました。

すると、うっかりしていましたがその日は28日で、「お不動さんの日」でした。

よく28日はお不動さんのご縁日ということで、お祭りなさっているところもございますね。

ここ三居沢でも、お祝いのお祭りが行われたようです。

 

お堂の前でお参りさせていただこうとしておりますと、ありがたいことに

「どうぞ中に上がってお参りください。」

と、お寺さんにお声を掛けていただきました。

宇賀神先生が、

「長年来ていたけど、中に上げてもらったのは初めて。」

と喜んでおられました。

この日はたまたまご縁があったのですねぇ。

とても、嬉しかったです。

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お堂の中にて

五本指のくつ下がキュートな宇賀神先生♥

穴の開いたくつ下でなくてよかった・・・( ̄∇ ̄)

 

 

それで、ですね。

肝心の「甘い誘惑」の話ですが。

今日はちょっと長くなって参りましたので、触りの部分だけを。

(また~!?って言われそう!)

 

 

それは、40年近く前、宇賀神先生がまだ仙台にお住まいだった頃のことです。

その日も、滝のすぐ近くで滝に向かって座り、目を瞑って瞑想しておられました。

ドドドと滝の水が落ちる音が聞こえます。

 

ずいぶんと長い時間、座っておられたようです。

ふいに周りの、滝の水が落ちる音や風の音、小鳥のさえずりも、全ての音が聞こえなくなっていることに気づきました。

あんなに大きかった水の音もどこへやら、あたりが急にシーンと静まり返ったようです。

瞑想の深いところに入っているのかな、と思われた瞬間。

 

とつぜん頭の中で、

「我は大日如来なり。」

という声がはっきりと聞こえたそうです。

 

その声は、

「我は大日如来なり。我を礼拝(らいはい)せよ。」

と、言いました。

 

意識を向けますと、頭を剃って、白衣(お坊さんの黒衣の下に着る白い着物のこと)を着た佛さまのような人?が、宇賀神先生の目に見えました。

もちろん「目」とは、心の目です。

目を瞑っているそのまぶたの中に、その声の主が見えたのだそうです。

あまりにもはっきり聞こえた声と見えた姿に、宇賀神先生は、思わず頭を下げて礼拝しようとしたのですが・・・。

 

(その2につづく。)

 

合掌

タイトル考(宇賀神先生のお仕事について)

今日より、このブログのタイトルをまた変更致しました。

宇賀神先生を表す言葉として、「阿闍梨(あじゃり)」にすることにしました。

先生のお仕事を端的に表す単語がないので、どうしようかと迷った末なのですが。

 

宇賀神先生は高野山(真言宗)で阿闍梨となられましたが、「阿闍梨」と名乗りますと、世間様からは「お葬式や法事などをメインのお仕事にしている人かな?」と思われるかと考え、以前はやめておりました。

事実としましてもお葬式のお仕事をすることはなく、ただ、よほどの事があった方の「成仏」のご依頼は何度か受けたことがございます。

 

また、先生は「氣」という力を用いて人様の痛み苦しみを取り除くことをメインのお仕事になさっておられますが、「気功師」などと言う風にタイトルに名乗りますと、先生のなさっている加持祈祷まで含まれないと考え、それも避けました。

もちろん一番のお得意は、氣の力も下支えとしての「病者加持」です。

目に見えない不思議な力で、人様の病苦を取り除きます。

私も宇賀神先生と暮らしだして早や?15年。

多くの人達の、簡単なものは腰痛や膝痛が治ったり、果てはがんが消えたり、立つのもやっとだった難病の人が社会復帰されたり、などなど、先生が数えきれないほどの奇跡と呼ばれる事象を起こされるのを見てきました。

例をあげますと、きりがないくらいです。

 

宇賀神先生ご自身では、「不動行者」(ふどうぎょうじゃ・お不動さんを信仰なさる行者さん)とも思っておられますが、このように書きますと何やら山伏さんを連想されるかと思い、これも避けておりました。

先生は佛さまだけでなく、ご本名そのままに、神さま(お稲荷さんなど)ともご縁が深く。

 

そして先生は事実、いわゆる「霊的なお仕事」も、必要に応じて受けておられました。

 

そのため以前は、目に見えない不思議な力という意味を込めまして、一番広範囲の名称かと思われます「霊能者」を選んでいたのですが。

ちょっと、ここにきて、この単語はやめた方がいいのかな、誤解の方を多く招くのかな、というように思いが至りまして。

タイトルを変えることにいたしました。

 

一番の大問題は、高い霊能力(多分!)をお持ちでありながら、宇賀神先生が霊の問題に関わられるのが大っ嫌いなのです。

ですので、少々の「霊的なご相談」は、相手になさいません。

「霊に取り憑かれているのか、大病をしたり、色々な人生上の困難にあっているのです」

と、ご相談を受けましても、大概の場合は大した霊でもないと感じられ、

「身体は身体のこととして、まず治していきましょう。」

「霊なんてものは大概はご本人さんの思い込みも多く、それに人生をとらわれるよりは、まずお身体を治して、人生を立て直し、そしたらそのうちに大したことない霊はどこかへいなくなりますよ。」

などとおっしゃいます。

そして、まずは病気を取り除くことに専念なさいます。

 

ときに、よほど「これは大変な霊障だな」と感じられた場合のみ、霊の成仏をお仕事としてお引き受けなさいます。

それは本当に、年に数回、あるか無いかという程度です。

なぜ霊のことを相手になさろうとしないのか?

それは、

「霊はマイナスの存在。

関わっても人生になんの益(プラス)ももたらさない。

だから、そんなマイナスの存在に心とらわれるよりは、無視して生きていた方がいい。」

というのが宇賀神先生の持論だからです。

事実、霊のことを好んで話されたり心とらわれている方で、いい人生を送ってらっしゃるような方には、あまり遭遇いたしません。(いらしたらごめんなさい。)

 

宇賀神先生は、霊に心とらわれることを、ものすごく嫌われます。

やはり、ある意味、目に見えない世界の代表?であるような霊の存在は、どこか魅惑的なのです。

魅惑という字は、魅了されて惑わされる、と書きます。

そのようなものに心とらわれておりますと、文字通り、人生を惑わされます。

たまには宇賀神先生も恐山での怪談話など面白がってなさいますが、ジョークまじりの軽いノリで、という風ですね。

 

まあ、ですが正直なところ、神さまや佛さまも目に見えない存在でいらっしゃるのであって。

その線引き(低級な霊か神佛か、など)、見分けが難しいのも事実です。

なかには神佛のフリをする低級霊もいるくらいですから。

そしてそれにダマされる人も。

だからこそ、触らぬ神に祟りなし、などのことわざが存在いたします。

 

宇賀神先生は、阿闍梨の位とともに高野山から加持祈祷免許もいただいたのですが、その加持祈祷を専らのお仕事となさっています。

お大師さんが願われた「衆生済度」の一助となるべく、励んでおられます。

簡単に申し上げますと、「抜苦与楽」(ばっくよらく)がお仕事です。

つまり、「苦を抜き、楽を与える」という、お経本に書かれております言葉そのものがお仕事です。

 

その「苦」とは。

お釈迦様が一番初めに悟られた「四苦」、つまり、

生、

老、

病、

死、

です。

 

つまり、

「生」:生きることそのもののつらさ、人生上の苦しみ、

「老」:老いていくことによる身体や心の衰えの苦しみ、

「病」:病気、

「死」:死ぬ苦しみ、

を少しでも軽く。

 

宇賀神先生のお力は、人生上の様々な苦を取り除くことまで含まれます。

会社の倒産問題から遺産問題、離婚、などなど、多岐に渡りすぎるくらいのご相談を受けてこられました。

(ちなみに、たま~に「このブログを初めて見て」とご連絡くださる方々がいらっしゃるのですが、宇賀神先生はこと「恋愛問題」に関しましては、不得手ですから!

オジイサマには可憐な乙女心なぞ到底理解できませんよー( ̄∇ ̄;)

乙女の皆さま、恋愛問題につきましては特に、ゆめゆめご連絡くださいませんよう、お願い申し上げます♥)

 

何だかいつもに増してとりとめのない内容ですが、要は宇賀神先生のタイトルが決まらなくて悩んでいたのです。

キャッチコピーって、難しいですね。

いらしてくださるご相談者様にも、

「宇賀神先生のことを他の人に説明なさるときは、どんな人ってご説明なさっていますか?」

と、何人かの方に尋ねてみましたが、

「気功の先生」

「人生のよき相談者」

「仙人」

「不思議な力で治す人」

「いま、自分が生きているのは宇賀神先生のお陰」

「もの凄い先生」

「私、自分の子供が小さい頃には『魔法使いの先生』って説明してました。」

などなど。

 

魔法使い・・・( ̄∇ ̄)♥

 

イイ響きです。

 

ここだけの話、私は小さい頃「魔法使いのお姫様」になりたかったんですよね。

魔女っ子メグちゃんとか、ときめきトゥナイトとか、ドロロン閻魔くんとか、超能力少年バビル二世とか、大好きで見てました。

あ・・・これが分かる方は多分私に近い世代の方です。(再放送のもあったとは思いますが。)

プリキュアが登場しないあたり、時代が知れますね。

 

すみません、話がそれました。

 

結局何が言いたいのかと申しますと、

「だいたい先生の仕事の範囲が広すぎるんだよー。」

ということで?、宇賀神先生のキャッチコピー、募集中です♥

 

合掌

東北への旅(つづき)

仙台での出張のお仕事の後はご縁のある神様や佛様にお参りし、温泉で氣を取る(吐納導引)楽しいお修行の毎日を送っています。

 

前回もご紹介しました、仙台市内の三居沢(さんきょざわ)のお不動さん。

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三居沢の滝

宇賀神先生が40年ほど前、ここのお滝場でもお修行なさいました。

今は柵があり、入れません。

 

 

竹駒神社。

日本三大稲荷のひとつでいらっしゃるとか。

霊験あらたかな、お稲荷さんです。

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竹駒神社

宇賀神先生がここのお狐さんの石像をご覧になり、

「いい彫りだなぁ。大正時代って書いてる。この時代には、こんないい彫りをする職人さんがたくさんいたんだなぁ。」

と、ひとしきり感心なさっていました。

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狐の石像(雄)
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狐の石像(雌)

私は建物や石像などのよし悪しも分からないのですが、先生はいつも色々なことに関心を示されます。

もちろん、綾小路きみまろさんの歌ではありませんが、「由緒書きの看板を必ず読む中高年」もドンピシャリです。

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竹駒神社の由緒書き

由緒書きには、御祭神として「倉稲魂神 うかのみたまのかみ」と書かれてありました。

うかのみたまのかみ、つまり宇賀神さんはこのような字も使われるのですね。

 

 

ところで、たまたま入った食堂で、「ザ・昭和!」なメニューを発見。

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昭和のハンバーグ・ナポリタン

お味も昭和でした。

なんと申しますか、イマドキの「肉汁がジュワッとしみだすハンバーグ」ではなく、昔懐かしい「ふつうの」?ハンバーグとナポリタン。

美味しかったです。

20代の頃に洋食のコックさんをなさっていた宇賀神先生も、懐かしがられるようなお味でした。

正直なところ、ナポリタンは宇賀神先生の作られるものの方が何十倍も美味しいですけれどね♥

 

そして、ねだってねだってやっと入ってもらえた、これぞ平成のカフェ!

若干不本意の宇賀神先生。(カフェでお茶するより、「居酒屋でお酒」派。)

たしかに、このお店にはかなりミスマッチな存在です。

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森のカフェ

なんだか、森のカフェに迷い込んだ小人さんのようですね。

 

 

今回の旅は、ほとんどを車中泊で過ごしています。

これはここ数日のお宿、「道の駅つちゆ」です。

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道の駅つちゆ

カメラが斜めなのではなく、これくらいの傾斜がございます。

かなり過酷?

遠くに雪をいただいた山が綺麗に見えています。

 

ちなみに今日は朝から霧も出たり、今(23時)はゴォゴォというほどの強い風と雨です。

やはり過酷?

ですが先生は前日に買っておいたファミリーマートさんのおでんを小鍋で温め、サンダース号の中で朝食にいただいたりして、朝からご機嫌さんでした。

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車の中で朝ご飯

 

どちらかと申しますと、私は素敵なホテルや旅館の旅に憧れてはおりますが、このサンダース号で行く旅の開放感は、これはこれで素晴らしく。

20代の頃に父に連れられ、家族で行った登山の旅を思い出します。

山小屋に泊まりながら、アルプスを縦走しました。

あのときの開放感。

大きな大きな宇宙に浮かぶの地球の上の、ケシ粒のような小さな存在の自分。

視界中に広がる山々の中の、こんなちっぽけな存在が「私」なんだぁ、と。

そんな不思議な感覚がなぜか嬉しかったのを覚えています。

 

 

大阪ではとっくに散ってしまった八重桜が綺麗に咲いていたり、雪を眺められたり。

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八重桜

 

日本の自然は豊かで、本当にありがたいです。

 

合掌

東北への旅

出張と、霊地聖地参拝のため、東北に来ています。

サンダース号で大阪から北陸自動車道〜磐越自動車道、東北自動車道を通り宮城県・仙台市まで、なんと走行距離890kmでした。

我ながらよく走ったものです。

しかも、その距離を2日かけて走るはずが1日目の出発が異様に遅くなり、2日目に690km分も走らなきゃならないという、なんとも自殺行為的な出発となりました。

我ながら、よくもそこまでドンクサイ旅にしてしまったものです。

 

それでも日本の春は美しく。

日本列島を北上するにつれて季節をさかのぼるような感覚に、毎年喜びを感じています。

 

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敦賀湾にて

これは大阪を出発して翌朝の、敦賀湾(つるがわん)です。

そう、ここまでしか1日目にたどり着けなかったの。

ですが、朝にとても綺麗な海の青を見られて、ちょっと幸せ。

(でも私の内心はその日のうちに走らなきゃいけない690kmのことで頭がいっぱい。)

 

なんとか仙台でのお仕事に間に合うように到着。

もうかれこれ40年近く宇賀神先生とおつきあいくださっている仙台のT様が、今年も歓待してくださいました。

(元気ドリンクまで!涙がちょちょぎれます。)

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仙台のお弁当

水と空気の美味しいところは、何もかもが本当に美味しいですね!

T様は毎回、宇賀神先生が仙台でお仕事なさるための場所の手配から部屋の準備、後片付けまで、本当に何から何までお世話してくださり、感謝してもしきれないといつも思っております。

T様、本当にいつもいつもありがとうございます。

お身体にご無理のないことを願っております。

 

そういえば、このブログを1年ほど前にスタートさせたのも、ここ仙台での出張の際でした。

(懐かしい記事です→「ご挨拶」「カミングアウト」)

たしか、4月28日でした。

毎月28日はお不動さんのご縁日とされていますね。

なかなか「初めの一歩」を踏み出せない私は、お不動さんのご縁日に合わせて、やっとの思いでブログをスタートさせたのでした。

 

そして今年も宇賀神先生のお気に入りの仙台のホテルに泊まりました。

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ロビーにて朝のコーヒー

ここは宇賀神先生が子供の頃育った家からすぐのところにございます、小さな小さなホテルです。

子供の頃遊んだ公園がそばにあり、毎年しだれ桜が美しいのです。

もちろん、その子供時代の家はもうございませんが、先生はご自身の子供の頃を懐かしんで、いつもこのホテルに泊まられます。

 

この後、宇賀神先生の古い古いご縁のお不動さんにお参りしました。

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三居沢のお不動さん

40年程前、ここで先生はとんでもない声を聞かれました。

そのお話はまた大阪に帰ってからでも。

(と言いつつも、ふと思い出しましたが、氣の噴水のこともまだお話していませんでしたね。ごめんなさい。)

 

旅先で私はハンドルを握ってばかりおりますので、なかなか更新できずに申し訳ありません。

だんだん電池の残りもあやしくなってきました。

車中泊続きのため、充電がムツカシク。(T-T)

あぁ、憧れのノマドワーク、理想は遥か彼方に。

 

合掌

タイトルを変えました。

思うところがございまして、このブログのタイトルを変更いたしました。

 

先日まで「霊能者」とタイトルに入れておりましたのは、宇賀神先生のお持ちの能力、なさっているお仕事が、ひとつの名称に収まりきらなかったため、一番広範囲かと思われる単語を選んでいたためです。

ですがここにきて、そのタイトルはやめた方がいいな、ということに思いが至りまして、変更することにいたしました。

とりあえずは、なんの装飾語もつけずに、宇賀神先生の名前だけにしてみます。

別のいいものを思いつきましたら、再び変えるかも知れません。

もしかしたらGoogle上?、ブログタイトルを変更するのは「不正なサイト」として誤認される可能性があるのかも、と不安にもなりますが、まあ、何らかの不具合が起きましたら、そのときにまた対処を考えます。

 

とりあえず、タイトルを変更いたしましたことを、ここにお知らせいたします。

 

私はまた明日から超!長距離運転に入ります。

サンダース号にて。

また旅先で落ち着きましたら、ブログも更新したいと思います。

目指せ、ノマドワーク♥

 

合掌

氣のシャワーと氣の噴水

さて、今日は東京出張です。

朝早くに家を出て、新幹線に乗っています!

ホームに入ってくる新幹線の写真を撮っておりましたら、「写真撮影は黄色い線の内側でお願いしまーす。」と、駅員さんが放送なさいました。

安心、安全な日本の新幹線♥

ありがたいことです。

shinkansen
かものはしみたい。

今日は車(サンダース号)でのお出かけではないため、私達の鳥は、昨夜のうちに実家に預けてきました。

ぴーちゃんがいなくて寂しい朝でした(T-T)

 

ぴーちゃんを連れて行った帰り道は、やはり深江のお稲荷さんの前を通りました。

いつもは私1人ですと、夜には鳥居をくぐらず、外からだけお参りいたします。

一応、神社には一般的に夜にはお参りしない方がいいようですから。

夜にお参りするのは、宇賀神先生と一緒のときだけですね。

 

ですので、昨日も鳥居の外からだけご挨拶して通り過ぎようとしましたが・・・お稲荷さんの銀杏の木の「氣」が、あまりにもすごくて。

吸い寄せられるように、中に入ってしまいました。

 

大きなご神木としましては楠と銀杏の2本あるのですが、ちょうど楠の向こうに三日月が綺麗に見えました。

残念ながら、スマホの写真では三日月まで撮りきれないようです。

まん丸でなく、微妙に半月のようには見えますかしら?

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ご神木とお月さま

 

昨日もやはり、ご神木の枝葉の先から、もったいないくらいの氣が溢れていました。

その中でも私が一番気持ちよく感じましたのは、この銀杏の下!

この枝の真下に立ちますと、まるで氣のシャワーが上から降ってくるようでした。

頭の上から降ってくるあまりの気持ちよさに、思わずうっとり。

しばらくの間、じっと佇んでおりました。

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氣のシャワー

まるで身体の外側だけでなく、魂の内側まで綺麗に洗い流してくれるかのような、うるわしすぎる氣のシャワーが降り注いでおりました。

 

その氣のシャワーのことを考えておりますと、もう何年も前になりますが、それは足の下から吹き上げてくるような「氣の噴水」に遭遇したことを思い出しました。

ですので是非そのこともお伝えしたいと思い、今日のタイトルを決めたのですが、正直なところ新幹線の中でのスマホ入力をしておりますと、酔ってまいりました。

相変わらず乗り物にヨワイ私(T-T)

ということで、「氣の噴水」は次回のお楽しみにさせてくださいませ。

 

四天王さんの、お大師さんの錫杖が恋しいです。

(四天王さん)

 

ちなみに、今日はわざわざ車内放送されるほど、富士山が綺麗に見えました♥

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富士山

 

合掌

佛さまから「二足のわらじ」を許されなかったという愛のムチ(別名、不空羂索。) その2

コンクリートミキサー車ごと橋げたに突っ込まれた宇賀神先生。

その橋は当時の国鉄、今で申しますところのJRの貨物線の高架橋ですから、ミキサー車により橋とその上の路盤まで持ちあがってしまっては、「ごめん」では済まされません。

修理費用は・・・期間は・・・保険は効くのでしょうか・・会社は・・・!?

 

宇賀神先生が当時勤めておられたコンクリート会社の社長さんは、

「うちは倒産だー!宇賀神君、なんてことしてくれたんだー!!」

と、電話の向こうで大変な嘆きようでいらしたそうです。

 

そこに、事故の連絡を受け、宇賀神先生のいらっしゃる現場へ宮城県警の警察官がいらっしゃいました。

すると・・・

「ああっ!番長!!」

と、その警察官が叫ばれました。

宇賀神先生もびっくりしてその方の顔を見ますと、

「おおっ、ΟΟでねぇか。」

と、そこにかつて先生が仙台の中学校で番長をしていたときの、まあちょっと言葉が悪いのはお許しいただきたいのですが、いわゆる昔の言葉で申しますところの「子分」の方が警察官となっていらしたのでした。

「なんだ、ΟΟ、警察官になってたのか。」

「そうですよ。でも番長、大変なことになりましたねー。これで線路まで持ちあがってたら、もっとえらいことですよ。」

「そうなんだよー。ボーっとしてたら、こんなことになっちまって。」

 

と、そこへ、今度は国鉄の保線係の人が線路の状況を確かめに駆けつけました。

すると、

「ああっ!番長でねぇの~!!」

と、また、その保線係の方が・・・。

 

なんという偶然でしょうか、事故現場に駆けつけた警察官も国鉄の保線係の人も、お二人とも宇賀神先生の中学校時代の「子分」さんでいらっしゃいました。

「番長~、えらいことですね~。これで線路の路盤が持ち上がってたら・・・。電車は停めてしまうとえらい金がかかるんですよ。」

と、保線係の方がおっしゃり、

「ちょっと、線路を確かめてきます。」

と、橋の上にあがられました。

 

そして、

「うん!大丈夫!線路は持ちあがってない!と、オレは見た!!」

と、なかば強引に?太鼓判を押してくださいました。

 

ギリギリっ、セ~フ!?

 

宇賀神先生、または、先生がお勤めのコンクリート会社は、多大な損害賠償を支払わなくて済みました。

ですが、

「さ、でも番長、『ボーっとしてた』ってことだけど、一応過失として調書はとらないといけないから、県警まで来てくださいね。」

と、警察署まで行き、調書を書いていただき、署名・捺印して・・・

何だかんだでうやむやのうちに「チャラ」になり、帰っきちゃったそうです。

 

ところが、コンクリート会社の所長さんは大変なうろたえようで、

「どうしてくれるんだ、うちは倒産だ!倒産だ!」

と、ずっと嘆かれてたそうです。

宇賀神先生が、

「いや、大丈夫なようにちゃんとしてきましたから。」

と、おっしゃっても、耳に入りません。

「宇賀神君、なんてことしてくれたんだ・・・!」

の、一点張りです。

 

で、皆さま、結論はもうお分かりですよね。

 

宇賀神先生が、ついに、

「それなら、わしはこの会社辞めます。」

と、おっしゃいました。

 

社長さんは、

「そうか!辞めてくれるか!君が辞めてくれるなら、退職金に3か月分の給料を上乗せしよう!」

と、もうそれはそれは大喜びなさったそうです。

ですが、ちょっとここでカッコつけの宇賀神先生は、

「3か月分の上乗せなんていりませんよ。今すぐ辞めます。」

と、あっさり退職してしまわれました。(もらえばよかったのに・・・。)

 

観音経を唱えておりましたときにボーっとなって大きな事故を起こし、

にも関わらず担当の警察官と保線係の人達とのコネ?のお蔭で事なきを得た宇賀神先生は、

こうしてめでたく会社を辞められました。

そして、これはやはり「佛さまの思し召し」と考えられ、一意専心、「佛の道」を進む決意をなさいました。

つまり、お経本にもよく書かれておりますように、「佛道を成ぜん。」と決意なさったのです。

観念したとも言えますでしょうか。

 

さすが、宇賀神先生が「氣」というものの考え方を深く掘り下げ、お修行を始められたときにはじめて出会われた佛さまが、お不動さんでいらっしゃるだけのことはありますね。

信仰とは、惚れて惚れて惚れぬくこと。

お不動さんは、右手に剣を持ち、左手には不空羂索(ふくうけんさく)と呼ばれるひもを持っておられます。

そのひもは、「言うことを聞かない悪人を、ひもで縛って無理やりにでも善なる道に連れ戻す」ためのものだそうです。

 

まさに、佛道にまい進せず二足のわらじを履こうとした宇賀神先生を、お不動さんが無理やり「一意専心」の境地に連れて行かれた、とは言えませんでしょうか。

「お前の行く道はこっちしかないだろう!」

と。

「わき目をふるんじゃない!」

と。

 

なかなかの、愛のムチ(不空羂索)ですね♥

 

とまあ、このようなわけで、宇賀神先生はめでたく「気功師デビュー」なさったのでした。

ですが皆さま、勘違いなさらないでいただきたいのは、このように佛さまからのお導きがあったとしましても、その後の人生が順風満帆だったなんて、あり得ないんですよ。

山あり谷あり、しかもその山は多分普通?よりは高く、その谷も普通よりめちゃ深く、まるでジェットコースターのようでもありました。

 

ただありがたいことに、山のときも谷のときもお不動さんと二人三脚でした。

そして後年、祖神にあたられる天児屋根命(あまこやねのみこと)さまや宇賀神弁財天さまの存在に気づかれましては、三人四脚で佛さまと神さまに両脇をがっちりと(よそ見しないように?)固められ。

ただただ佛さまと神さまのご縁に従って、今を生きておられます。

こんなに両脇から腕も足も組まれてしまっては、多分、このまま先生の寿命が尽きるときまで「よそ見」は許されませんねぇ。

 

ですので、いくらありがたくても、「そんな愛のムチ(不空羂索)なら縛られてみてぇもんだ( ̄∇ ̄)」なんて、ゆめゆめ思われませんように、ネ♥

 

合掌

佛さまから「二足のわらじ」を許されなかったという愛のムチ その1

今日は、宇賀神先生がいよいよ今のお仕事(氣によって人を癒すこと)に専心するきっかけとなったエピソードをお話しましょう。

もちろん現在となりましては、宗教法人 佛仙道光明不動寺も設立され、住職として加持祈祷のお仕事を広い範囲にわたってなさっておられますが、40年ほど前のその当時は、もっぱら「氣功による施術」を得意としておられました。

確かに、今でも広範囲の分野に対する加持祈祷と申しましても、はやり病者加持(加持祈祷により人様の病苦を取り除くこと)を一番の得意技となさっていることには、変わりないでしょうか。

 

さて、そんな宇賀神先生が、今から40年ほど前の、御年30歳の頃のことです。

その直前になさっていた90kgものお砂糖を運ぶお仕事により、腰を痛めて立てなくなり、幽体離脱によって初めてご自分でご自分のことを治されました。

気功師デビュー秘話 その1

そして、そのとき気づかれたご自身の「氣の力」でもって、人様の腰痛や膝痛など、様々な疾患まで治せることに気づかれました。

気功師デビュー秘話 その2その3

 

小さいときからずっと「おばかのやっちゃん」として異常児扱いされ、大人になりましても社会とは馴染めず、世の中の底辺を這うような生活だった(本人談)ようです。

そのワーキングプア状態だった若かりし頃の宇賀神先生が、横向温泉で一夜にして1か月分のお給料以上のお金を得られるという、まるで夢のような体験をなさいました。

もう、早速にでも「気功治療師」とでも銘打って、これを生業にしたいと思われたのも、無理はありませんね。

 

しかも、なんと偶然のタイミングか、それとも必然か、あるいは佛さまの思し召しか、横向温泉での出来事の直後くらいに、大きな金額のお金が予期せぬところから入ってきたのです。

その額は、宇賀神先生が当時、

「万が一無収入になっても、少なくとも3年間は食べていける金額」

と考え、

「そのお金さえあれば今すぐにでも会社を辞めて、文字通り『気功師デビュー』したいのに。」

と思っておられた金額でした。

 

そんな大金が思わぬところから入ってきたのでしたら、宇賀神先生ご本人も、偶然とはいいながらも偶然ではないな、と思われたのが正直なところではないでしょうか。

 

ところが、です。

 

ところが、もちろん「気功師」として起業し、今までよりもたくさんのお金を得たいと思われましたが、たとえ起業したとしても果たしてそれが継続して成功するかどうかなんて、当時の宇賀神先生には分かるはずもございませんでした。

そんな保証は、どこにもないのです。

 

ですので、予期せぬところから3年間分の生活費を得ながらも、会社を辞めず、2足のわらじを履くことになさいました。

つまり、昼間は会社に勤め、夜や休日に口コミでいらした方の「氣による施術」を行うことにしたのです。

その頃には、昼間はお砂糖を運ぶ仕事ではなく、コンクリートミキサー車の運転手として働いておいででした。

このまま2足のわらじを履き続け、氣功師としての仕事が軌道に乗り、この仕事に専心しても大丈夫だ、という確信を得てから昼間の会社を辞めよう、と思われました。

 

まあ、当然といえば当然ですよね。

なるべくでしたら、確実な人生を生きていきたいですもの。

とくに、今まで人生のほとんどを不遇といえるような境遇で生きていらした宇賀神先生が、初めてつかむかも知れない「成功のきっかけ」でしたから。

人生の逆転大ホームランを願いながらも、「またここで失敗したくない」という思いの方が強かったのでしょうね。

より確実な、「確信を得るまでは2足のわらじ」を履こうと思われたのも、無理はありません。

たぶん、もし私が同じ立場でしたら、同じように考えたことでしょう。

 

ですが・・・なぜか宇賀神先生の場合は、「そうは問屋がおろさなかった」のですねぇ。

 

 

ある日のことです。

いつものように、コンクリートミキサー車を運転しながら、いずれ必要になるであろうと、お経を唱える練習をしておられました。

そもそも、コンクリートミキサー車の運転手として働きはじめられたのも、運転中の“完全個室”でお経の練習をしたり、コンクリート搬入の待ち時間にたくさんの本を読んで勉強しようと願われたからでした。

そしてその日は、忘れもしない、運転しながら観音経を練習しておられました。

 

すると何故かその日にかぎり、お経を唱えておりますと頭がボーっとなり・・・

 

ドッカーン!!!

 

と、高さの足りない橋げたにトラックごと突っ込んでしまわれました。

その橋げたとは、当時の国鉄、今で申しますところのJRの貨物線の高架橋でした。

トラックの天井が、橋にめり込んでしまいました。

 

さあ大変、電車を止めてしまったら、とてつもない大損害です。

果たして、宇賀神先生の運命やいかに・・・!

 

(その2につづく)

 

合掌

ご飯の「氣」

「ちなみに私は『ご飯』の氣が見えるときがあります。」

と、昨日の記事の最後に書きました。

すると、フェイスブックを通じてお一人の方が、「ご飯の氣 気になります」とおっしゃってくださり♥

喜んで早速今日お話させていただくことにしました。

 

ご飯の氣は、ある日突然見えるようになりました。

ご飯と申しますのは、炊いたお米のことです。

あれは忘れもしない、何年も前の有馬温泉での出来事でした。

 

その日はなんと有り難いことに、知り合いの方から宇賀神先生とともに有馬温泉へのご招待を受けました。

当時はまだ忘年会も有馬でしておらず、私にとりましては初めての有馬宿泊でした。

もちろん有馬温泉は関西でも高級で有名な温泉ですから、お湯のみならず、その時のお宿で出していただいたお料理も、とても美味しゅうございました。

 

宿泊した翌朝、朝ご飯を皆でいただいたのですが、そのとき出されたご飯(お米)が、それはそれは綺麗な緑色に光っていました。

例えるなら、宝石の翡翠(ひすい)のような、淡く美しいグリーンでした。

まさに、この腕輪のような色でした。

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翡翠の腕輪の緑色

この写真の中央あたりの、(一番薄いところよりは少し濃い色の)内側から光るようなグリーン色です。

真っ白なはずのご飯が緑色に見えるなんて、思ってもみませんでした。

 

「あっ!緑色に光ってる!!」

と、思わず小さい声で叫んだほどです。

「えっ!?」

と、ご招待くださった方がびっくりして覗きこまれましたが・・・やはり白色にしか見えないそうでした。

 

そしてそのご飯をいただきますと、まあー美味しいのなんのって!

お米って、こんなに美味しいものだったかしら、と涙が出そうでした。

何杯もおかわりしましたよ・・・だって、お茶事の懐石料理のように、お茶椀の底にほんの少ししかよそってくださらないんですもの(T-T)

もう、恥ずかしいなんて言わずに、ここぞとばかりにおかわりしましたv( ̄∇ ̄)v

多分、6回以上はしましたね!

お店の人も「よく恥ずかし気もなくオカワリ、オカワリって・・・。」と内心笑っておられたのではないでしょうか。

3回目以降は、目が合うだけで「はい。(オカワリですね)」と、理解してくださっていましたから。

いやもう本当に、見栄なんて構ってられないくらいの美味しさでした。

ちなみに、そのご飯は今ではあまり見ない分厚い木のふたの羽釜で炊いておられました。

 

それ以来、なぜかご飯が緑色に光って見えるときがあります。

そのときは必ずそのご飯がとてつもなく美味しいので、緑色のご飯が出されたときは、内心ガッツポーズしております。

もちろん緑色でなくても美味しいときもありますが、今まで緑色でハズレだったときは一度もありません。

あの日を境に、急に見えるようになりました。

 

このお話を以前、あまり不思議ごとに馴染みのない父に話しました時、

「そう言えばずっと前、船宿で晩ご飯に食べたお弁当のエビフライの尻尾が、夜中に目が覚めたときに緑色に光ってたことがあったわ。

キレイに光ってたけど、懐中電灯をつけると光ってなかったわ。

不思議やったなー。」

と、父がのたまいました。

 

お父さん、それは腐敗して光っているのよー( ̄∇ ̄;)

間違っても食べちゃダメですよー( ̄∇ ̄)

 

って言うか、それ、疑似餌にしたらお魚釣れたんじゃ?

 

 

・・・父も、私にとりましては奇跡のようなヒトです♥

 

 

ところで、冒頭のフェイスブックでリクエストくださった方とは、以前に宇賀神先生と両親と乗鞍高原に参りましたときに宿泊しました、「ペンション サウスコル」の方です♥

SPIRITUAL(スピリチュアル)は案外身近なところに。

乗鞍高原温泉は先生も大好きな温泉ですが、サウスコルさんは温泉もいいうえに、お料理もとっても美味しいのです!

もう何度かお世話になっております。

思い出しますのは、

槙ストーブと大きな木の椅子、

southcol
サウスコルさんにて

きっと子供も大喜び、大人も大好きミートパイ、

サーモンの美味しすぎるソテー、

オカワリしたかったポタージュ、

朝の焼きたてパン、

・・・あ、イケマセン、ヨダレが・・・( ̄∇¡ ̄)

(私のカメラの中にお食事の写真がなかったのが残念です。よろしければ、サウスコルさんのHPをググってみてください(^-^)美味しそうなお料理の写真が見られます♥)

 

最近、お食事が美味しすぎますと、何故か「うふふふ♥」と、笑いがとまらなくなることが多くなりました。

きっとこれは食べ物の「美味しい氣」の作用を強く受けるせいね!(決してワタクシが食いしん坊だからではないわん)と、思っております。

 

氣の感じ方には色々あると思います。

色として見える、光として見える(視覚)

熱く感じる、冷たく感じる、ピリピリ感じる、(皮膚感覚)

匂いを感じる(嗅覚)

「うふふ♥」「わくわく♥」「心がホワッとする♥」などと嬉しくなる(気分)

などなど。

人それぞれですし、その時々にもよると思います。

もちろん「生きるためのエネルギーとして、身体の底から湧き上がってくる」という風に感じることもあるでしょうね。

 

氣とは、根源的なものですから。

 

ちなみに、今日お話しましたご飯(お米)の氣ですが、自分の家で炊いたときも、同じお米を使っておりましても、緑色に光る(そして、とても美味しい)ときと、そうでない普通のときがございます。

丁寧に育てられたいいお米、などという素材に由来することに限定されているのでもないのでしょうか。

研ぎ方?炊き方?それとも愛情の込め方??

何が作用して緑色に光るときとそうでないときがあるのかは分かりません。

 

まあ、あまり突き詰める気もないのが本音ですね。

(家でのご飯は毎回美味しく炊きたいものですが。)

 

宇賀神先生は、こんな風に氣を色々な形で感じることを「感性の問題」と、いつもおっしゃいます。

感性なので人それぞれで、「正しい・間違っている」と議論することでもないですし、また、それに心を強く囚われるべきでもない、というのが先生の持論です。

「ああ、キレイな景色を見たなー」くらいの気持ちで、目の前を通り過ぎさせていくのが、不思議ごとの世界を軽やかに生きていくコツのようです。

 

ですが、やはり、どうせ見るならキレイな景色で、うふふ♥とたくさん幸せを感じながら楽しく生きていきたいものです。

ということで、宇賀神先生に、このブログを通じて「またサウスコルさんに連れて行ってー。」と、暗に?リクエストをお送りすることにいたしますね!v(^-^)v

 

合掌

春の氣(昨日は優しい春の夜でした。)

昨日の夜はまた私の実家で、4月のお誕生日会でした。

私の両親と弟家族と、宇賀神先生と私と。

弟には3人の子供がおり、一番上は中学生、一番下の女の子は今年幼稚園の年長さんになりました。

以前、先生の似顔絵を描いてくれたMちゃんです。(本当の奇跡

昨日は、なんと私の似顔絵を描いてくれました♥

my-portrait
私の似顔絵

昨日は母が縫ってくれた二部式の着物を着ていたのですが、上着の紐が微妙に描かれていますね。

Mちゃん、えらいぞ♥

ちゃあんと、見てるね。

しかも裏側にネーム入りで、くれました。

ayano-chin
「あやのちん」

「あやのちん」って・・・。

ちっちゃい「ゃ」が抜けたのですね。

ひらがなも一所懸命に練習中です。

小さい子供は、見ているだけで、そばにいるだけで楽しいですね。

子供から溢れてくるエネルギーは、一体そんな小さな身体のどこから、と思うほどパワフルです。

そして「電池」が切れますと、コテンと一瞬で寝落ちするという。

一緒にいるだけで、こちらまで元気になります。

ちなみに1日中面倒をみた私の両親は、元気になるどころか夜にはグッタリすることも多々あるようですが・・・。

まあ真面目な話、「氣」という観点から申し上げますと、小さい子供は皆、生きるためのエネルギーに満ち満ちています。

そしてそれが身体中から尽きない泉のように溢れています。

それはまさに、「萌えいずる春」のようです。

ちなみに、春は本当に樹々からも氣が溢れているのがよく見えます。

夏の方が植物も盛りなのでは、と思うのですが、実際に宇賀神先生と私の目には、春の方が樹々から溢れる光がよく見えます。

昨日も帰り道に、深江のお稲荷さんの前を通り、お参りいたしました。(深江のお稲荷さん黄金色の龍

そこにはご神木の楠と銀杏の大木があるのですが、やはり昨夜も「氣」が美しかったですね。

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お稲荷さんの楠
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お稲荷さんの銀杏

ちょっとフラッシュを使ってみたりして写真を撮ったのですが、綺麗に見えますでしょうか?

この写真で葉っぱが光っておりますのは、もちろんフラッシュや境内のライトのためです。

ですが、その場で実際に見る私の目には、2枚の写真の中央部分の葉よりも、全ての葉がさらにボウッと光って見えます。

その色は、白のような薄グレーのような、はたまたピンクがかった薄紫のような、何とも言えない色です。

闇夜に浮かび上がり、それはそれは綺麗ですよ。

まるで、ライトアップされた夜桜のようです。

その光に初めて気づいたときは、境内のライトの反射で光って見えるのかな?と思いました。

ですが宇賀神先生が、

「枝葉の先から光がほとばしっているのが見える」

とおっしゃいましたのと、夏や冬の夜にお参りに行きましても、同じライトがありながらも同じようには光って見えないので、やはりこれは「春の氣」なのでしょう、と思いました。

実はつい先日、私の目に見えておりましたその風景と同じような世界が描かれた絵を、私はいただきました。

sign-of-blessings
The sign of blessings

これは、とても遠いところから来てくださった友人から贈られたもので、私の宝物です。

「The sign of blessings」、(天の)祝福のサイン、と、勝手に名づけさせていただきました。

宇賀神先生の「いい笑顔♥」の写真と同じく、本当は誰にも見せずに自分だけの宝物にしたいような、大切な絵です。

ですが同時に、この素晴らしさを全世界の人にも見てもらいたいような。

そんな複雑な乙女ゴコロとともに、皆さまにもシェアさせていただきます。

春の夜の樹々の枝葉は、まるでこの絵のように闇夜に浮かび上がり、美しく光って見えます。

とても幻想的です。

お稲荷さんで光り輝く生命の氣を見ること。

春の夜の、密かな楽しみです。

生きているものから溢れ出る「氣」というエネルギー。

感じたり見たりできますと、何とも言えない幸福感に包まれますね。

そうそう、ちなみに私は「ご飯」の氣が見えるときがあります。

そのお話は、また今度。

合掌