「死ぬまで痛いって言わせない。」

「死ぬまで痛いって言わせない。」

宇賀神先生が、私にそう約束してくださいました。

 

始まりは去年2018年の夏(今思い起こせば実は数年前にもございました)、そしてこの年始年末も色々とややこしかった私のお腹ですが、選択した治療方針のもと、今のところ落ち着いて暮らしております。

ご心配をおかけしたままブログもダンマリしていて申し訳ありませんでした。

心と身体の態勢を整えておりました。

今日は私のお腹に関するご報告をさせてください。

 

年始年末のドタバタを経て、今年に入ってから、宇賀神先生のご相談者様で以前に婦人科疾患を患われた方がいらっしゃいましたので、その方にどんな風にお医者さまに行けばいいかお尋ねしました。

その方は宇賀神先生とのおつきあいが私より長い方で、いつも親しくお話してくださいますので、尋ねてみようと思いました。

また、今回の年始年末のこともブログを読んでくださってる娘さんを通じてご存じのようで、お越しになるなり開口一番、

「お正月大変やってんてー?」

と、心配してくださいました。

 

ですのでその方に、救急車で運ばれたときの国立病院に行けばいいのか、もっと以前に一度行ったことのある婦人科の(摘出)手術で全国的にも有名な病院に行けばいいのか、それともまずは近くの婦人科に行けばいいのか、お尋ねしてみました。

ご自身のご経験はどのようでいらしたのかもお尋ねしました。

 

うちの近くにある産婦人科の病院は、実は私自身が生まれた病院なのです。

街の中のお医者さまがお一人でなさっている病院で、私はそこで生まれて、小さい頃も小児科の先生として何度も診ていただいた病院です。

ですが今は先生もお年を召され、診療時間も短くなさっていて、大きな手術とか?は多分もうなさってないように思われます。

 

すると、宇賀神先生のご相談者様は、

「まず行くなら、それは近くの経験豊富な“おじいちゃん先生”がいいよー。」

とおっしゃいました。

「若い人はすぐに切りたがるから!」

とも。

 

すぐ切りたがるって・・・(T-T)

と、ちょっとビビる私。

いえ、もうお尋ねしたときは手術もやむなしかしらとは思っておりましたが、やっぱりお腹を切るなんて怖いのがホンネです。

 

ですが、その方は本当にご親切にご自身のご経験も含めて色々と教えてくださいました。

絶対まずは「経験豊かなおじいちゃん先生がいい!」と。

そして、お話しくださっているあいだずっと、とても私のことを案じてくださっているのを感じられ、本当にありがたいと思いました。

 

ですのでその方のおすすめに従い、まずは私をこの世にとりあげてくださった近くの産婦人科医、T先生のもとを訪ねました。

夏以降の経緯をお話しし、この一連の痛みの原因は何だと思われるのか、どの様な治療方法がいいと思われるのか、お聞きしました。

 

するとT先生は、その痛みはやはり子宮内膜症が原因であると考えられます、とおっしゃいました。

腸との癒着はもちろん内膜症が原因で起こったことですし、痛みも子宮の外に漏れ出た内膜が活発になるときに引き起こされるのです、と。

どうしても婦人科の月経周期によって定期的に子宮内膜が活発になるので、その時期により色々な要因も絡めて痛んでくるようです。

 

ですが、手術も避けられないのだろうかとこわごわお聞きしていますと、

「手術して子宮を摘出したとしても根本的解決にはなりませんよ。」

と、さらりと断言なさいました。

「ええっ。」

と、びっくりする私。

 

だって、子宮を取ってしまえばそもそも月経も起こらなくなり、そうしたら外に漏れ出た内膜とやらも活動しなくなるのでは、と思っておりましたから。

T先生は本当にご丁寧に長い時間をかけて私に説明してくださっていましたが、結局医学的知識のない私には、なぜ摘出手術が根本的解決にはならないのかがよくわかりませんでした。

ただ、T先生がおっしゃるには、私の年齢がもう子供も早急に望むような年齢でないこと、平均的な場合ですと、あと5~6年ほどで閉経を迎える年齢であることを考えますと、低用量ピル(経口避妊薬)を服用し、子宮内膜の活動を抑えて、それにより痛みを抑えてこの5~6年を乗り切ることがよいのでは、とのことでした。

そして閉経を迎えてしまえば、その痛みも徐々に起こらなくなるようです。

 

なぜ子宮摘出手術が根本的解決にはならないのか、いまひとつ芯まで理解できませんでしたが、すごく嬉しかったのが、そのT先生のお話をお聞きしていますと、胸の中の不安の塊が、すーっと溶けていくのを感じられたことでした。

穏やかなT先生のお話しぶりをお聞きしているだけで、心が溶けていきました。

頭より先に心が理解したようでした。

ああ、この先生は、病気の説明をなさっているだけで患者の心まで治してしまわれるのだなぁ、と感じました。

名医の定義は色々とあるでしょうけれど、私をこの世にとりあげてくださったT先生は名医でいらしたんだー!と、本当に嬉しく、内心感動しておりました。

 

そしてもちろん大きな病院に、念のための診察を受けるように再び紹介状を書いてくださいました。

夏に救急車で行くように紹介状を書いて下さった国立病院の、今度は救急のお若い方ではなく婦人科部長の先生に診ていただけるように、と。

その紹介状のためにも血液検査をさせていただきます、とのことでしたので、二つ返事で快諾しますと、何とT先生自ら採血なさるようではありませんか。

えっ、看護婦さんは?・・・おじいちゃん先生が自ら??・・・だ、大丈夫???

と、さっきはあんなに「名医だ!」と思っておりましたのもどこかに吹き飛び、注射の針におびえました。

しかも、採血のための注射器が、単3電池の細さではなく、単2電池くらいあるぶっとい注射器です。

ここは看護婦さんもいらっしゃらないんだー、と内心トホホと思いながらも腕を差し出しますと、何と、全然痛くない・・・。

今まで受けた注射針のなかで、一番痛くない注射でした。

 

やはり名医すぎる♥(T-T)

 

と、ひとり感動しながら、T先生のもとを後にしました。

 

そして後日、国立の病院に行き、婦人科部長の先生の診察を受けました。

そこでは低用量ピルを含めて3つの治療方法を提案してくださいましたが、その中には子宮のみでなく卵巣まで開腹手術で取ってしまうものもありました。

ですが、やはり、

「子宮と卵巣の摘出手術は(子宮内膜症による痛みを取ることの)根本的解決にはなりません。」

とはっきりと断言なさいました。

どうして?、とここでもやはり解決にならない理由は分からず仕舞いでしたが、お忙しい先生に素人相手の医学の講義をお願いするわけにもいかず。

たぶん癒着部分の腸を傷つけないためにも子宮(内膜?)を多く体内に残す形で切除するため?、月経が起きなくなってもその部分が本来の閉経時まで痛みの原因になるのでしょうか?

ただ、二人のお医者さまが手術は根本的解決にはならないと断言なさったのだけが分かりました。

 

ただし国立の先生は、MRIの画像により私の子宮筋腫や腺筋症が大きいのを見られて、根本的解決にはならなくても、一番には手術がいいと思うとおっしゃいました。

ですが、私は、もうT先生のお話をお聞きしたときにすでに治していただいたような気持ちでおりましたから、なるべくなら極端な手段をさけて、一番穏やかな方法である低用量ピルでまずは様子を見てみたい、とお伝えしました。

 

ちなみにこれは後日談ではありますが、国立病院での診察・投薬のあと地元のT先生のところへご報告方々参りますと、詳細な検査結果をご覧になったためか、私の場合くらい大きくなった子宮筋腫および腺筋症は、“身体の健康”の観点から言うと、手術で取った方がいいとは思われます、とおっしゃいました。(この場合は子宮全摘となります。)

ただその手術は癒着の範囲が広いため、難しい手術になる可能性が高いともおっしゃいました。

難しい手術や臓器を失うことのリスクと、子宮(筋腫、腺筋症、および卵巣)切除により得られる健康のリワード。

私の感覚では、まだ今のところ天秤にかけるにはリスクの方が大きすぎるかなぁ。

 

それに、私にはもうひとり内緒の強い味方がいるのです。

 

そう、宇賀神先生です。

 

T先生のお話を宇賀神先生にお伝えして、とりあえずはピルの服用で行きたいとお話ししたとき、宇賀神先生が私にこう約束してくださいました。

 

「綾野が手術しないって決めたなら、死ぬまで痛いって言わせない。

それはわしが引き受ける。」

と。

 

T先生同様、とても穏やかにおっしゃってくださいましたが、とても力強く感じられました。

ああ、この安心感。

私はこの人の、まるで大地のようなこの力強さに魅かれたんだった、と思い出しました。

宇賀神先生も、それこそ今は立派な「おじいちゃん先生」ですが、T先生のお話をお聞きしていたときと同様に、自分が患者ともいうべき立場に立ちますと、あらためて宇賀神先生の力強さを感じました。

 

いつもは、ですね、それは夫婦ですから、しかも若干、カカァ天下どころか鬼嫁天下となりつつあるような!?、いつもはまぁそれなりにお尻に敷いちゃっているわけですよ。

おじいちゃんだし。

毎朝顔を洗った後は決まって眼鏡がないって探されますし。

ダウンのチョッキでさえ、よく表裏逆に着ておられますし。

カンタンな足し算も必ず間違えられますし。

食後すぐに歯を磨かないのも、いつもお嫁ちゃん(鬼)に怒られているわけですよ。

 

ですが、いざこういうときの宇賀神先生は、やっぱり「先生」なのでした。

なんだか、宇賀神先生がついててくださってると思うだけで、根拠はないのですが、奇妙な安心感に包まれます。

「なんか大丈夫な気がする」って。

こんな風な思いを、ご相談者様たちは感じてくださっているのでしょうか。

 

そして1月の後半からこの2月中旬にかけては、実際にもほとんどお腹が痛むことなく過ごせているのでした。

この間には本来痛むはずの月経期間もありましたし、そしてまだ効果の出るほどピルも飲んではいませんのに。

 

もちろん基本的なこと、たとえば夜なるべく早く寝て睡眠時間を充分に取ること、身体を冷やさないこと、ストレスをたくさん作り出さないこと、など、今までよりさらに気をつけております。

身体が示す不調は、初めはとてもささやかなメッセージとして伝えてきますからね。

ちょっと足が冷えてるよ、疲れてるんじゃない?、痛くはなくても重いだるさを感じてない?って。

そのささやかなメッセージを無視せずに、今まで以上にちゃんと聞き取っていこうと思います。

そして後は病院からいただいたお薬と、宇賀神先生と、神さま佛さまにお任せ、です!

 

それでもダメなら、またその時に考えましょう。

「死ぬまで痛いって言わせない。」

と、まるで2度目のプロポーズのように誓ってくださった宇賀神先生がいらっしゃる限り、どうあっても、たとえ万が一また痛くなって手術を受けるような結果になってでさえ、大丈夫だと思えます。

ちょっとヘンな結論かも知れませんが。

その時その時で、最善の手段を選んでいきたいと思います。

 

いつもご心配くださっている方々、本当にありがとうございます。

今まで以上に身体を大事にしてまいります。

「身体が資本」という言葉が身にしみました。

皆さまもどうか、お身体おいといくださいませね。

 

 

では、長い長いご報告も済んだところで(おつきあいありがとうございました!)、本日のオマケを♥

つい昨日、うちの可愛い姪っ子が、食べに行ったレストランでとっても素敵な写真を撮ってくれました。

皆さんご存じですか、SNOWっていうアプリ。

写真をおもしろ可愛く加工してくれるのです。しかも少々顔の美容整形までして!?

その写真が、こちら。

mickey
ミッキーマウスな宇賀神先生

なんて言うか・・・宇賀神先生の「所在無げなミッキーマウス」っぷりが笑えません??

宇賀神先生は酔っぱらわれたときに、よく魔法使いのミッキーマウスのマネをなさるのですが、まさにこの写真がぴったりすぎて。

きっとこのミッキーは「死ぬまで痛いって言わせない」っていう魔法を、私だけでなくみんなにかけてくれるのでしょう♥

 

・・・ってすみません、この所在無げなミッキーの可愛さが理解できるのはこの世で私だけでしょうか?

別の言葉で申しますと、この世的には可愛くないとでも言うのかしら!?

求む、理解者!なのでした♥

 

合掌

運がいい!(のか悪いのか?)珍道中6~どう考えるかで運命も変わる編~

姶良警察署で無事に大金をその手に戻すことができた宇賀神先生。

めちゃくちゃホッとしたのも束の間、次はフェリーに間に合うかどうかの問題でした。

 

警察署の駐車場で車のナビに志布志港を登録しますと、出てきた到着予想時刻は17:20でした。

フェリーは17:55発予定。

およそ30分前の到着予定です。

そこで、志布志のフェリーターミナルに電話をしました。

 

「すみません、今日大阪に向けて出港のフェリーに乗船予定の宇賀神と申します。ウィズペットプランで車の車高が2.6mと高いため、出港の2時間前には来てくださいと言われていたのですが、トラブルがあり行けませんでした。出港時間ぎりぎりに到着することになりそうなんですが、受け付けてもらえますでしょうか。」

「ナビの到着予想時刻は何時になっていますか?」

「17:20です。順調に行けば、ですので、そこから少し後にずれるとは思いますが・・・。」

すると、

「15分前までに来ていただけましたら何とかなると思いますので、とりあえず来てみてください。」

と、おっしゃってくださるではありませんか!

「あの・・・ちなみに、乗り遅れた場合のキャンセル料はどれくらいですか?」

と、恐る恐る尋ねますと、

「運賃の30%です。」

と。

「分かりました!ありがとうございます!気をつけて参ります!」

と、喜々として電話を切りました。

 

「キャンセル料、全額じゃないって!万が一のときでも、ちょっと助かるねー。それに15分前までなら何とかなるって!」

と、心軽くアクセルを踏むことができました。

宇賀神先生が、

「あせっちゃいけないよ、こういうときに事故を起こすんだから。」

とおっしゃるので、

「大丈夫、急ぎつつ慌てへんから。頭は冷静やで!」

と、さっきもインターの降り口を間違えたのを棚に上げ、余裕ぶって返事をしました。

 

ですが、本当にこういうとき、お財布を落としたことでうろたえた頭と別なところでハンドルを握っていないと、危ないですものね。

「フェリーに乗り遅れたら、乗り遅れたときのこと。そしたら大阪まで陸路で帰るわー。(キャンセル料30%で済むし!お腹も何とか大丈夫!)」

と、自分で自分に言い聞かせ、再び九州自動車道に乗り込みました。

 

九州自動車道の桜島サービスエリアを越え(今度は急いでいたため、立ち寄りませんでした)、またあの雄大な桜島が、今度は右手に見えてきました。

素晴らしいなーと思いながら、ふと助手席の宇賀神先生の横顔を見ますと、お財布が手元に戻ってきたとは言え、何だか顔が少々こわばっておられるようでした。

「そりゃそうやんなー、一番びっくりしたのは宇賀神先生本人やもんなー。」

と考えておりましたら、さっきのコンビニでお腹を見せつつ、「大変だ!カバンが無いー!」って顔面蒼白になりながら訴えた宇賀神先生の姿が思い出されました。

あれって「ぽんぽん痛いー」ってお腹見せてるちっちゃい子そのまんまやったなぁ、と。

そしたら何だかモーレツにおかしくなってきて・・・

 

「あーっはっはっは!!」

と、耐えきれず大声で笑い出してしまいました。

 

急に何の前触れもなく女房が運転席で大声で笑いだしたものですから、かなりギョッとなさった宇賀神先生、

「急にどうしたんだ?」

気でも触れたのかな、と心配そうでした。

 

「だって、何かもう、めちゃくちゃおかしくて。なぁ。

旅の初めから、っていうか始まる前からJALが飛ばんくって、高速乗り口間違えて、西の宮でステッキ忘れて、島原で入院して、鹿児島であーんな大金忘れて、それが警察に届いてて。

んで、今フェリーに乗れるかどうかの瀬戸際やで。

おかしすぎるわ。すごすぎる旅やん。こんなん普通ここまで無いで。

先生も、前に勉強会で『人生でもうダメだ!って思ったときは、笑え!』って言ってたやん。そこで泣いたらあかんって。力を失くすって。『ウソでもいいから、泣き笑いになってもいいから笑え!』って前に勉強会でも言ってたやん。

そしたら本当におかしくって、めっちゃ笑けてきてん!

あっはっはっは♥」

 

と、何だかもう笑えて笑えて仕方がありませんでした。

宇賀神先生は横で、少々顔を引きつらせながら「ははは・・・」と、力なく笑っておられました。

 

「笑い飛ばす」という言葉が結構好きなのですが、本来の意味とは少し違うかも知れませんが、少々の困難など「笑って吹き飛ばしてしまえ!」といつも思います。

もちろん人様の困難を笑うことはできませんが、自分自身の身に起きた少々のことであれば、文字通り笑って吹き飛ばしてしまう力を持っていたい、といつも思っています。

宇賀神先生が勉強会で教えてくださることは色々あって、佛教や氣のお話の他に、こうして私自身の人生を「より楽しく軽ろやかに」生きていけるような考え方を、この20年余りでしみ込ませてもらえたなぁ、と、思います。

 

三度行き来して見た桜島は、やっぱり雄大で美しかったですよ!

たぶん一生忘れない景色ですね♥

 

そしてさらに、そこへ持ってきて最終最後のスパイスは、「車の燃料ランプが点滅しだした」こと!

つまり、「早く給油しないとガス欠になりますよー」と、車が教えだしたことでした。

 

いえいえ、分かっておりました。

志布志港に近いインターから警察署に戻ろうとした際、再び志布志港に到着するまでの距離を頭の中で計算しましたら、ガソリンが結構ギリギリになるなぁと思っておりました。

ですが、多分ギリギリ間に合う(はず!)とも思っておりました。

もうそれに賭けるしかありませんでした。

給油している時間が無いと思いました。

 

「前に、ガソリンのランプが点滅しだしてから50kmは走るって先生も言ってたやん。なんならフェリーの中でエンジン切った途端にガス欠になってくれてもいいから!」

と、もうただひたすら前を目指して止まることなくアクセルを踏みました。

それでダメなら、JAFさんのお世話になる(そしてフェリーに乗り遅れる)だろう!と。

 

そして。

 

ついに、志布志港到着!

 

時間は、17:30に、もうすぐなるところでした。

「大丈夫!15分前になってない!」

と、走って受け付けに行き、乗船手続きをしました。

何の問題も無く、すんなりと手続きしていただけましたよ♥

 

急いで車に戻り、フェリーに乗り込みました。

すると、私達の車がフェリーのスロープを登っている途中で、係の方が閉じる準備をし始められました。

最後の一台やったわー(ToT)

と、内心苦笑しながら車を進めました。

 

最後の最後は、無事に乗船!

心からホッといたしました。

しかも、お部屋はデラックスルーム( ̄∇ ̄)♥です。

めったにない、こんな機会。

なんて優雅な船旅なんだ~、と、めちゃ嬉しかったです。

 

そして次の日、2019年1月1日。

元旦です。

「広重ブルー」とでも言うのでしょうか。

夜明け直前の、何とも言えない青色です。

hiroshige-blue
広重ブルーの空

 

そしてついに、初日の出!

2019hatsuhinode
2019年初日の出

船上から初日の出を見たのは、生まれて初めてでした。

 

2019年が明けて、宇賀神先生がおっしゃったことがすごかったです。

 

「わしはますます運が向いてきたぞ!

落としたお金が戻ってきたんだ!

25年前、全く同じ金額を落としたときは戻ってこなかった。(←実話です。)

そのとき、『めったに起きないことが起きたんだから、これからめったに起きない幸運がやってくる!』って言ってたら、その年に奈良に宗教法人を設立できた。

今回は落としたけどそれが戻ってきたんだ。

あのときより、ますます幸運だぞーーー!!!」

と。

 

「いや、そもそも『幸運にも』忘れないでいてくれよー。」とツッコミを入れたくなりましたが、本人は至って意気揚々としておりましたから( ̄∇ ̄;)

 

それに、実際のところ、純粋に「氣」というものの強さから見ますと、25年前の40歳台の宇賀神先生の方が当然お強いのです。

壮年の頃にいちばん氣も充実し、70歳になられた今、年とともに氣が衰えていくことは、自然の摂理です。

ですが、それを補ってなお余りあるものを築いているかどうかは、生き方(お修行)次第なのでしょう。

そしてその生き方で、めぐりくる運命も変わります。

 

たぶん宇賀神先生の場合、この「明るくめげない心」が先生ご自身の人生を助け、あり得ないほどの幸運も招き寄せてきたのでしょうね。

本当に、踏まれても踏まれても死なない雑草のように。

折れたように見えても、しなっただけで、やがてまた立ち上がります。

めげない。

本当に、心が明るく強いお方です。

私自身、宇賀神先生のこの明るい強さにどれほど心を助けられたでしょう。

 

まっ、ですから、お金を忘れたことは棚に上げて、返ってきたんだからますます幸運なんだ!ということにしておいてさしあげましょう!

「何の問題もない♥」ですね。

これ、宇賀神先生の口ぐせです( ̄∇ ̄;)

これを聞いただけで、どんな人でどんな人生だったか想像できますでしょ?

 

ということで、長い長い珍道中におつき合いくださり、ありがとうございました。

「お金が戻ってくるか気になって夜も寝られません!でも昼寝してました!!」などとおっしゃってくださり、先を楽しみにしてくださった方達、ありがとうございました。

 

また、これはある人と私だけに分かることなのですが・・・

フェリーのお部屋近くに、この絵が飾られていました。

same-picture
あの絵と同じ

これは以前お土産にいただいたコースターに描かれていたものと、まったく同じ絵でした。

そのお土産をくださった人(達)に、私は今回とてつもなく心配をかけてしまったのです。

いただいていたメールに返信しようと、島原の入院先の病院で

「旅先でお腹が痛くなって入院しちゃったよ!でもきっと無事に帰るから、大丈夫!」

みたいに、軽い気持ちで書いてしまいましたら、まあー、ものすごく心配してくださったのなんのって。

親戚か家族だったかと思うほど心配してくださいました。

ちょっとした現況報告のつもりが、めちゃくちゃ申し訳ないことをしてしまったと、心から反省し、また、とてつもなくありがたかったです。

涙が出るほど愛♥を感じてしまいました(^-^)

その人がくださったコースターとまさに同じ絵に、フェリーで出会うとは。

ここまで心配して、お心でついてきてくださったんだ、と、本当に嬉しかったです。

I will never forget your love♥

心より、ありがとうございました!

 

 

また、次回からのブログも楽しんでいただけますと幸いです。

人生そのものが珍道中の私たちですが、末永くおつきあいくださいませね♥

では、今日もよい夢を(^-^)

 

合掌

泣くほどありがたかった珍道中5~日本の国、人々に感謝編~

桜島サービスエリアから1時間も走ったところで、大金の入ったウエストポーチをトイレに忘れてきたことに気づいた宇賀神先生。

顔が文字通り血の気を失っておられました。

 

立ち寄ったコンビニエンスストアからゴージャスなプリンも買わずに慌てて出て、その駐車場でスマホを取り出しました。

桜島サービスエリアを検索し、電話をかけ、祈るような気持ちで尋ねます。

「あのっ、大阪の宇賀神と申しますが、1時間ほど前にそちらのお手洗いで主人がウエストポーチを忘れたようなんです。ベージュ色で、中にはちょっと大きな金額の入っている財布があったのですが。そちらに届いていませんでしょうか?」

 

すると、

「あっ!お忘れ物、届いております!」

 

「ええっ!ホントですかぁーーー(ToT)(ToT)♥!!!」

 

なんと、宇賀神先生の後生大事なウエストポーチが、忘れ物として届けられていたのです!

しかも中のお金もそのままあったようです。

ああ、日本は何と素晴らしい国でしょうか!

日本にお住まいの方達は、なんと素晴らしいのでしょうか!

あんなに大きな金額が盗まれずに届けられていたなんて!!

夢みたい♥

 

すると、サービスエリアの方が、

「ですが、金額が大きかったですので、すぐに警察の方に届けていて、今はここに無いのです。姶良(あいら)警察署というところです。担当の警察官のお名前は・・・」

と、教えてくださいました。

もう何度も何度もお礼を申し上げ、電話を切りました。

多分私の声はうわずっていましたね。

 

そして、鹿児島の姶良警察署にお電話しました。

「先ほど桜島サービスエリアにお財布の入ったウエストポーチを忘れた宇賀神と申します。」

すると、警察官の方が確かに預かっていますとおっしゃいました。

そして、すぐ返していただくことも可能だとのことでした。

もう、どんなに安心したことでしょう!

 

ただ、警察にお電話した時点でフェリーの出港時間まで3時間を切っていました。

姶良警察署は桜島サービスエリアの少し先です。

車を停めていたコンビニから1時間は確実にかかります。

往復で2時間以上、それに手続きに20〜30分?

しかも大晦日のこの日、渋滞が起こらないとも限りません。

つまり、フェリーの出港時刻に間に合わない可能性の方が高くなります。

 

そこで、あと3時間弱で出港のフェリーで帰阪する旨をお話し、宇賀神先生のウエストポーチを大阪(の警察署)まで届けていただくことが可能かどうかお尋ねしました。

すると、何ともありがたいことにそれができるとおっしゃるではありませんか。

これで万事オーケー!

宇賀神先生に、大阪の警察署で受け取りましょうとお伝えしました。

すると、

 

「絶対ダメー!!!今日中に受け取らないとダメ!この手に帰ってくるまで信じられない!!!」

と。

 

「何でよー。『世界一安心な日本の正義』の警察が届けてくれるねんで?ヤマト運輸さんでもすごい安心・安全やのに、それよりさらにすごい正義の味方、警察やで?絶対大丈夫やん。」

と言いましたが、聞きません。

「絶対ダメだーーー!!!」

 

・・・もう、目が三角に吊り上がっています。

テコでも言うこと聞かなさそうです。

 

「すみません、やっぱり今日中にお返しいただきたいそうです。今からそちらへ参ります。」

わざわざそんな「ほぼフェリーに乗り遅れるのが確実」な方を選ばなくても、と思いましたが、まあ、気が気じゃないのでしょうねぇ。

それに、年始を迎えるにあたり、大事にしているお金が手元にないままというのも、ちょっと縁起が悪くて可哀想な気もいたします。

あーあ、これでフェリーのキャンセル料・・・いくらになるのかな。

もしかして当日だから全額とか?

と、キャンセル料におびえつつも、とりあえず宇賀神先生の半泣きの訴えを聞いてさしあげようと、志布志港とは反対方向の、姶良警察署に向けて出発しました。

 

その途中、高速道路上から再び桜島を見ました。

どうやら九州自動車道を東から西に向かって行く方が、桜島が綺麗に目の前に見えるようです。

まぶしい太陽に照らされて、きらきらと輝く海の上に、まるで黄金色とも白金色ともつかないような、なんとも素晴らしい色に輝く桜島です。

写真を撮りたかったですけど、ハンドルを握っていたため叶わず。

心のシャッターを何枚も切りました。

とても雄大な山でした。

 

「この景色を見られただけでも、戻る価値があったかな♥」

そう思いながら再び西に戻るべく車を走らせました。

 

そして、姶良警察署に到着。

年末の閑静な住宅街に囲まれて、その警察署はありました。

車をおりて館内に入りますと、大晦日のためか、警察署全体はひっそりとしていました。

そしてそこに残っておられる警察官の全ての方が、入り口のカウンターのところに集まっていらっしゃるような雰囲気でした。

もしかして、「こんな大金を落としたのは一体どんな人間なのか?」と、見てみたかった?( ̄∇ ̄;)

なんだか本当に皆さんの「興味津々」の電波が飛んできているようでした。

 

落とし物の担当の方は、若い女性の方でした。

まるで新・社会人かのように初々しい方です。

まず、落としたものは何なのか、中に何が入っているのか、などを尋ねられました。

お財布の色、金額、他の中身、携帯の番号、など覚えているかぎりのことをお伝えしました。

そしてやっと、その忘れ物を確かに私達の持ち物だと認めていただき、出していただけました。

 

「よかったぁー(T-T)♥」

 

中を見ますと、お金も一切盗まれることなく、入っていました。

「ああ、あります、あります。入っていたもの全て残っています。ありがとうございます!」

もう、何度ありがとうをお伝えしたでしょう。

「お時間お急ぎでしょうけれど、書類の記入をお願いします。」

と、氏名やら何やらを書くように出されました。

「もちろんです!喜んで書きます!」

 

書類に色々を記入しておりますと(もちろん私が記入します。宇賀神先生はこういう事務手続きがとことん不得手なのです。)、横にいらした別の警察官の方が親し気に(興味津々に)尋ねられました。

「ご職業は何ですか?」

「あっ、お寺の住職です!ボンノーまみれの!!!」

と、ポンと宇賀神先生の肩を叩きながら、間髪入れずにお答えしました。

皆さん大「苦笑」♥

「ご旅行だからこの金額をお持ちだったんですか?」

「いえいえ、いつも持ち歩いてるんです。」

そこにいらした皆さんびっくりなさっていました。

「この人の性分なんですよ。でも、一度でも落としたり失くしたりしたらもう2度と大金は持ち歩かないって、前から約束していましたから。なっ!もう持ち歩かへんやんな!約束通り、銀行に預けるやんな!」

と、再び宇賀神先生の肩をたたきました。

「う・・・うん。」

と、うなずくしかない宇賀神先生。

ちゃっかり「日本の正義」警察官の方達の前で約束を確かに取りつけました。

 

もう、大阪人の血が騒いでしまったのか、純朴そう~な鹿児島の警察官の方達の前で色々と夫婦漫才を繰り広げてしまいましたよ。

見るからにのどかな鹿児島の警察署で、多分「金額」にびっくりなさっていたところに、宇賀神先生のいで立ちにびっくり、「年の差夫婦」にびっくり、させてしまったんですもの。

これくらいのサービスしなくちゃね?( ̄∇ ̄)♥

 

そして、拾ってくださった方にお礼(現金による)をしないといけないかな、と思って尋ねますと、どうやらサービスエリア(企業)が警察に届けられましたので、その必要はないようでした。

そう言えば私も新幹線でお金の入ったお財布を拾い、乗務員さんに届けたことがございましたが、私の住所も名前も尋ねられませんでしたものね。

後で別の方にお聞きした話ですが、銀行のATMで商売の資金の100万円を引き出してそのままそこにポンと置き忘れた方が、幸運なことにそっくりそのままお金が銀行に届けられていて手元に返していただけたのですが、やはりお礼をしなくてよかったそうなのです。

企業さんが届けてくださるというのは、そういうものなのでしょうね。

いずれにしましても、本当にありがたいことでした。

 

桜島サービスエリアさん、九州自動車道さん、そして何より拾ってくださりサービスエリアに届けてくださった方(スタッフの方でしょうか、それともお客さんでしょうか)、本当にありがとうございました。

姶良警察署の皆さんにも、まさに大晦日の日に大変お世話になりました。

皆さまのお心、ご親切に深く感謝申し上げます。

心より、心より。

ありがたかったですー!!!

 

日本はなんていい国なんでしょう。

人々はなんて、素晴らしいのでしょう。

神さま佛さま、ありがとうございます。

お陰様で、私たちは幸せ者です。

本当に本当に、ありがとうございます。

ありがたすぎて泣けてきます。

 

 

そして・・・

九死に一生を得たような心持ちで無事に警察を後にした私達。

その後、無事フェリーに乗れたのか?はまた明日。

もう大金さえ返ってきたことが分かったら、フェリーに乗れたかどうかなんてどうでもいいかナ?

そんなことおっしゃらず♥( ̄∇ ̄;)

 

合掌

「どんだけ~!」な珍道中4~そこまでやるか編~

(年始からの珍道中シリーズその4です。)

夢のように幸せな入院生活3日目の朝、宇賀神先生が予定通り雲仙温泉をチェックアウトなさいました。

お嫁ちゃんのいない湯治生活がよほど味気なかったのか?、先生はなんと朝ご飯も食べずに朝早く山を下りてこられたそうです。

「ええーっ、あの朝のバイキング、私の超憧れ『デザートのアイスクリームも食べ放題♥』も食べんと下りてきたんー?」

と、びっくりして言いました。

そしてそのときハッと気づきました。

半年以上も前から私が楽しみにしていた、朝のバイキングのアイスクリーム&コーヒーも、雲仙温泉につかることも、私は今回ただの一度もできず仕舞いだったんだー(ToT)と。

このリベンジは、いつか必ず!と心に誓いました。

 

さて、とは言うものの、ちょっとまだお腹の痛みは残っており、これで大阪に帰るべく運転できるかなーと不安ではありました。

とてもじゃないですが全て車で帰るのはつらすぎて、実は入院中にスマホでフェリーの予約は取っておりましたが、その港までの運転も少々不安でした。

 

フェリーの選択肢は3つありました。

福岡から、大分の別府から、そして鹿児島の志布志港から、のフェリーでした。

私達がおりましたのは長崎の島原市、そこから一番近いのは福岡でしたが、寒波がくるため雪が少々心配でした。

別府も、途中の九重連山の近くを通るときの路面状況とか、心配しすぎかなとも思いましたが、ちょっとためらいました。

一番距離があるとは言え、鹿児島ならいくら何でも雪の心配はないでしょうと思いました。

しかも当初の予定も、雲仙の後は車で鹿児島を巡って帰ろうと、鹿児島近辺のホテルも何泊か予約しておりました。

ですが小鳥を連れておりますので、長時間乗るフェリーの場合はペットも何らかの形で(車の中に置き去りにするのではなく)乗船できるプランのある船でないと、心配で乗れません。

 

すると、なんとその鹿児島発のフェリーに「ウィズペットプラン」と言って、ペットを自分の部屋に連れて入れるプランがあることを見つけました。

しかも乗船したい日の12月31日に、最後のひと部屋が空いていました。

まさに天の恵み!

これで何の心配もないー♥と、ネットで予約しました。

お値段めちゃ高かったですけど(T-T)背に腹は、ではなく、腹は背に変えられませんでした。

 

鹿児島の志布志港まで、予約していた薩摩川内のホテルを経由して300km余りの距離です。

入院する前の痛みでしたら絶望的な距離ですが、痛み止めを点滴していただいた後はずいぶんと落ち着いておりましたので、何とか行けるかな、と賭けるしかありませんでした。

万が一腹痛が少々ぶり返しても、2泊3日もかければどうにかこうにか行けるでしょうと、12月29日の朝退院し、31日のフェリーに乗るべく島原を後にしました。

 

「どぎゃんとかして帰らんとね。」

とおっしゃってくださった婦人科のお若いお医者さまが、最後に痛み止めのロキソニンというお薬を処方してくださいました。

今まで市販の痛み止めなど飲んだことがありませんでしたが、まあ恐ろしいくらいによく効くお薬でした。

退院前に1錠飲んだだけで、最後まで残っていた痛みがピタリとおさまりました。

 

「ああ、だから(我が家のかかりつけ医の)N先生が以前、『あんな怖い薬を市販して』っておっしゃったんだ。」

と判りました。

あんまりにも痛み止めがよく効きすぎるから、何か重大な病気があっても見過ごすことになりかねない、ということなのかな、と。

やっぱり痛みというサインがないと、病気に対して何らかの手を打とうという気持ちも起きにくいですものね。(経験者談)

とにもかくにも、その時は痛みの原因の見当も少しついていたわけですから、大阪に帰ることを最優先に、痛み止めをありがたく服用しました。

 

お腹の痛みさえなければ、旅は快適なものでした。

島原から熊本までの1時間程の高速フェリーも、かもめにかっぱえびせんをあげなから楽しく乗っておりました。

unzen-from-ferry
フェリーから雲仙岳

 

かっぱえびせんが船内で「かもめも大好き!」と、売られているのです。

どうやら餌付け?されているようですね。

高速フェリーのお客さんがかっぱえびせんを買われてかもめにあげるものですから、どこからともなくやってきたたくさんのかもめが、熊本までずーっとついてきました。

鳥好きの私にはたまりません。

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かもめのアイコンタクト

 

高速で進む船にピターッとくっついてきて、かっぱえびせんを投げている私達(ほとんどが子供達)に、アイコンタクトをしてきます。

 

「次はこっちに投げてくれるはず!」

 

そう期待している声が聞こえます。

かもめに向って投げると、その瞬間にかっぱえびせんめがけて高速船より早く飛び、見事キャッチします。

かもめの素晴らしい身体能力、飛行能力にうっとりです。

(塩分で高血圧にならないかちょっと心配。)

 

seagull2
手から食べた決定的瞬間!

なんと熊本の港に到着してからでもかもめが群がっていて、人の手から直接食べていました。

羨ましすぎるぅー(T-T)

ちょっと残しておけばよかったと後悔しました。

 

とまあ、そんなこんなで。

 

問題なくかねてからの予定通り、途中の薩摩川内(さつませんだい)市のホテルまで車で行き、そこに2泊し、九州滞在最終日の朝、そこから志布志港を目指して車を走らせました。

「やっぱり鹿児島はぬくい(温かい)ねー♥寒波なんて全然関係ないくらいやね。」

とか何とか言いながら、ご機嫌で走っておりました。

 

途中の桜島サービスエリアで休憩し、遠くに桜島を眺め、今度はゆっくり近くで見たいものだと思いながら出発しました。

 

そして志布志港最寄りのインターで高速道路を降り・・・いえ、実際はインターひとつ乗り過ごしてしまいました。

またドンクサイことしたなー、と思いつつ、ですが「フェリー出港の2時間前には来てください」との指示にも充分間に合うタイミングだなと、あまり気にせず、インターを降りてすぐのコンビニにお手洗いをお借りしに、立ち寄りました。

 

お手洗いを済ませ、もちろんお借りするだけでは申し訳ないので何か、例えばフェリー内で食べるデザートとか♥買おうと、商品を見ておりました。

すると、なんともゴージャスなプリンアラモード(¥498)が!

ちょっとプリンにしてはゼイタクですが、お腹が痛くて雲仙のお料理もろくに楽しめなかったのですから、これくらい許されるよねー、お正月だしー( ̄∇ ̄)♥と、喜んで手に取っておりました。

 

すると、車に残っていたはずの宇賀神先生が血相を変えてお店に入って来られました。

「大変だ、綾野さん!カバンが無いーーー!!!」

 

・・・。

 

「ええっ!!!」

 

すると、すぐ近くにいらした店員さんも、

「ええっ!!!」

 

あの、宇賀神先生がいつもしていらっしゃるウエストポーチが、無いって。

ちっちゃい子が「お腹痛い」ってお腹を見せるように、上着をめくってお腹を見せています。

「大変だ。忘れた。どこかに無くした・・・。」

と。

 

実は、あまり大きな声では言えませんが、ちょっとした大金がそのウエストポーチには入っていました。

いえ、正直なところ、私達にとりましてはかなりの大金でした。

さすがの宇賀神先生もどうしていいか分からず、お腹を見せたままぼう然と立ち尽くしておられます。

 

私も、こういうのを「オロがくる」とでも言うのでしょうか、すごく動揺して、両手に大事に持っておりましたプリンアラモードをどうしていいか分からず、近くにいらして一緒にびっくりしてくださった店員さんに「すみません、これ!」とお返ししました。

ただならぬ雰囲気に店員さんも「はい!」と受け取ってくださり、慌てて先生とお店を出ました。

 

「一体どこに忘れたん?覚えてる?」

「たぶんさっきのサービスエリアのトイレだ。外してポンと置いて、そのまま出てきた。」

「うっそーーー。」

 

さっきのサービスエリアと申しましても、そこからもう1時間ほども車を走らせておりました。

1時間も前に、あんな大金を。

これはもう絶望的です。

1分後に気づいてトイレに戻るならまだ残っている可能性はあるかも知れませんが、1時間では、さすがにもう無いでしょう。

宇賀神先生も、顔面蒼白でした。

 

「ああ、初めっからJALの飛行機飛ばんかったもんなー。

そんで高速乗り口(方面)間違えて、西の宮で忘れ物して、島原で入院して、最後がこれかぁ。」

と、さすがにノーテンキな私も落胆しました。

 

(すみません、また長くなってきましたので、「この後どうなったか?」のオドロキの結末は次回に。)

 

合掌

本気で大変だった珍道中3~小鳥とともに入院編~

この冬休みの珍道中の続きです。(やっと再開。)

 

1日目の宮島サービスエリアを出発して、九州の長崎は雲仙温泉に向って運転しておりますと、何だかちょっとお腹が痛くなりだしました。

「あれー?」と思いながらもハンドルを握っておりましたが、お昼過ぎから段々と痛みを増してきて、夕方が近くなるにつれ「これは本気で大変かも」というような痛さになってまいりました。

しかもこの痛みは、身に覚えのある痛みです。

もしかしてまた・・・と不安に。

ですが、宿の宿泊予約をその日から取っておりましたので、何としてもその日のうちに到着しようと、最後はお腹を押さえながら運転する状態となりました。

 

やっとのことで夕食の時間もずいぶんと過ぎた頃、宿に到着。

チェックインを済ませ、とにかく夕食をいただきました。

お腹が痛いながらも何とか食べることができ、一安心しました。

 

ところが翌朝、目覚める頃にはもう立つのもつらいほどの痛みになっていました。

「またかー(T-T)」

この痛みは、やはり身に覚えがございました。

去年の夏に1日入院したときと、同じような感覚でした。

「朝ご飯食べられへん。」

と、宇賀神先生だけ朝食に行っていただき、私は部屋で寝ていました。

 

そのときから結局2日間、ほとんど何も食べられずに部屋で寝ておりました。

食事会場のスタッフの方が心配してくださったようで、何かしらの食べ物を宇賀神先生に部屋に持って帰るようご配慮くださいましたが、果物さえも食べられない状態でした。

 

宇賀神先生も心配して色々と手を尽くしてくださいました。

その度に楽にはなるのですが、またしばらくすると段々と痛くなってきます。

 

前回も入院先の病院で治療らしい治療をせず、結局は日にち薬で治ったのかな?という状態でしたので、我慢して寝ていようかと思いましたが、やはり痛みはひどく、また不安にもなってまいりました。

そこは自宅から800kmほど離れた旅先の、山の上の雲仙温泉です。

しかも私しか運転できず、うちの小鳥のぴーちゃんも車に乗せて連れていっている旅先です。

しかも4泊の予定でしたから、あと2日ほどで下山しないといけません。(その後はお正月近くで、宿は連日満室です。)

そしてその頃には寒気団(年末の寒波)も来る予定で、もしかすると雲仙にも雪の可能性があり、雪が降る前に山を下りないといけません。(うちの車はスタッドレスタイヤではないのです。)

さらに年末のその頃、救急を除いては、病院もお休みに入るところが多くなるでしょう。

 

ですが・・・ハンドルを握れる状態でもなく。

ふもとの病院に行こうにも、そこから20kmほど先の島原の街が、とてつもなく遠いところに感じました。

救急車という方法もあるでしょうが、小鳥の乗った車を心配で置いていけません。

毎日ご飯を替えてあげないと、小鳥は生きていけませんので。

つらいお腹をかかえて、一体どうすればいいんだろうと、なんだかその時は八方ふさがりのような心地がしたものです。

 

ですが、大人になるっていいですね。

実感いたしました。

 

何かつらいことがあったとき、たとえば子供ならお腹が痛いとき、天をあおいで「お腹痛いー!」とわんわん泣けばいいのです。

私はそんな子供の単純さ?ストレートさ?純真さ?とでも言うのでしょうか、大好きです。

泣いている子供を見れば、きっと周りの優しい大人の人が助けてくれます。

 

ところが自分が大人になりますと、そうやってただわんわん泣いていてもいいのですが、自分で対処する力も備わっているのも、また事実です。

自分で対処すると申しましても、もちろん人様の助けもお借りします。

自分でできることと自分ではできないことを知り、自分でできることを選んでして、できないことを人様に頼むのです。

 

しかも旦那さんが身体のことを治してくれる「手」を持ってくださっていると、心強いことこの上なかったです。

 

お腹が痛いなか宇賀神先生の手当てにより、なんとかハンドルを握れる状態にしていただき、山の上の雲仙温泉からキャンピングカーを運転して下山しました。

ネットで評判のいい産婦人科病院を探し、事前に連絡して、安静を保つためにも入院させていただくことをお願いしました。

しかも車には小鳥がおりますから、入院中も(駐車場まで)外出し、鳥の世話をする許可をいただきました。

さらに雪の心配がある日までに、何とか大阪に帰る手段をとりたい(退院したい)ともお願いしました。

親切な病院にワガママ言い放題。

 

にもかかわらず、こちらの痛みや不安や心配をすべて受け入れてくださり、入院を受け入れてくださいました。

そのとき病院の若い先生がおっしゃった

「どぎゃんとかして帰らんとね。」

という可愛い長崎弁?にさえ、救われた心地でした。

 

入院なさっている方が女性ばかりの病院に宇賀神先生がいらしても仕方がないので、「氣をちゃんと取ってきてよー!」と先生を追い返し?ました。

心配して病院近くのホテルなどに泊まられても何の意味もないですので、それならば先生にはするべきこと(湯治!氣を取ること!)をしていただきたいと思いました。

 

こうして、「旅先で大変なことになったなー」と思いながらも、考え得るかぎりの最善の方法をとることができました。

車で山を下り、私は安静を得られる病院に、宇賀神先生は引き続き温泉に、大事な大事なぴーちゃん(小鳥)は私が面倒をみられることに♥

暖かく心地のいい病院の部屋、清潔なベッドの上で横になれたときにはとてもホッとしたことを覚えています。

心から、ありがたかったです。

 

そしてこれは大いなるオマケなのですが。

この島原での病院選び、とっても素晴らしい選択をすることができました。

多分は旅先ということもあり、夏に入院したときと同様、救急で大きな手術をすることもないでしょうと勝手に想像し、できるだけ気持ち良く滞在できるような評判の病院を探しました。

お医者さまや看護師さんがお優しいとか、病院が綺麗とか、そういう不純な基準で。

結果、素晴らしい入院生活となりました。

 

評判通りお医者さまや看護師さん、スタッフの方々は皆さんご親切でお優しく、建て替わって2年もたっていない病棟は美しく、しかもご飯が信じられないくらい美味しかったのです。

ちょっと、あまりの豪華さに写真をとってしまいました。

このように、和食も、

breakfast1
病院の和朝食

洋食も、

lunch
病院の昼食

朝ご飯だって、

breakfast2
洋朝食

どこのホテルのブレックファストですかー(ToT)と泣きたくなるくらいの美しさ、美味しさでした。

しかも、毎食出してくださる果物には必ず花が一輪添えられており、3時の手作りのおやつまであるのです。

 

残念ながらお腹が痛くて食欲がなく、すべては食べられませんでしたが、「おいしそう」につられて半分ほどもいただけました。

「ここだったら風邪ひいて入院したいって思っても仕方ないよねー」と、フトドキなことをついつい考えてしまうような素晴らしい病院でした。

 

しかも点滴の針、全然痛くなかったんですよー(T-T)

夏の大阪の病院のときは、すごく痛かったのに。

今回は痛み止めも点滴してくださいました。

 

そして、産婦人科ですから、生まれたばかりの赤ちゃんもいました。

ときどき泣き声が遠くから聞こえてきて、幸せでした。

廊下にいるキリンさんや、窓辺に並べられたぬいぐるみ達が、検診のために窓の向こう側に寝かされている赤ちゃんを見守っています。

よく私も一緒になって可愛い寝顔を見守っておりました。

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赤ちゃんを見守るキリンさん達

まるで天国のような入院生活。

本気で幸せでした。

 

(さらに旅は最終章に(まだ)つづきます。)

 

合掌

湯峰温泉のつぼ湯は、不思議なところへ飛ぶゲート?

昨日から湯峰温泉におります。

珍道中のお話もまだ途中ながら、せっかく大好きな湯峰温泉におりますので、今日はここの「つぼ湯」のご紹介をしたいと思います。

 

色々とブログのお話が落ち着きなくウロウロすることを、お許しくださいませ。

「続きはまた明日」とか言いながら、本当にすみません。

実生活もあっちうろうろ、こっちうろうろ、と落ち着きがないのでございます。

またたび(また、旅)人生と言えば、ちょっとありがたいような気もいたします。

 

湯峰温泉に関しまして、以前何度かに渡ってご紹介いたしました。

そのシリーズは、こちら。

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その1

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その2

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その3

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その4

湯峰の美味しいおススメ

湯峰温泉近くの熊野本宮大社さんも、並々ならぬ神さまです。

 

ですが当然、湯峰温泉のすべてをご紹介しきれたわけではなく、まだお話したいこともたくさんございます。

そのうちのひとつが、今日の「つぼ湯」です。

湯峰温泉のメインであるつぼ湯をちゃんとお伝えしていないなんて、片手落ちもいいところですね。

お許しくださいませ(^-^;)

 

今日はつぼ湯の不思議な一面をご紹介いたします。

これは去年の11月に来たときに撮った写真で、つぼ湯の小屋の内側の様子です。

(外観は上記の「その1」をご覧くださいませ。)

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つぼ湯を入り口から

とても小さく、人が2~3人も入れば身動きもとれないような、岩で作られた湯舟です。

まさに地面に埋められたつぼのようです。

小さな小屋の中ですので、1人なら20分、2人以上なら30分の貸し切りで入ります。

 

tuboyu-inside2
この日は薄く白濁

お湯は「七色の湯」と言われているとお聞きした記憶がございます。

ある日は透明だったり、この日のようにうっすらと白濁していたり、青色がかっていたり、など、たしかに日によってお湯の様子が違います。

そしてお湯は、湯舟の底の、敷き詰められた小石の下から湧いてきます。

それが熱いんですよー。

服を脱ぐ前から水を入れて薄めていないと、熱すぎて入れません。

 

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小栗判官物語

例の小栗判官の物語も書かれていました。

 

物語に象徴されるように、ここ湯峰温泉は私達にとりましては、やはり「霊泉」という感じがいたします。

たしかにうっすらと硫黄の匂いのするお湯ですが、宇賀神先生の大好きな火山性の氣の強い温泉というほどのお湯のパワフルさでもありません。

写真のこの日は薄く白濁しておりましたが、透明の日もたくさんございますから。

ですがどう表現してよいのでしょうか、とてもひっそりとした、けれど確かにあるという、秘めたる力を温泉から感じます。

 

さすが平安時代からすでに人々が列をなしてここ湯峰で湯垢離(ゆごり)をなさり、それから熊野詣でをなさったという歴史のある温泉です。

平安京からここまでの道のりは、さぞや大変でしたでしょうね。

起源はどうやら4世紀。

奈良時代以前ですね。

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湯峰の起源

阿刀(あと)氏と言えば、弘法大師 空海さまのお母様のご出身ですね。

やはり、どこか遠いところでつながっているのでしょうか。

 

さて、つぼ湯はその小ささと、霊泉から受ける不思議な雰囲気とで、宇賀神先生と私にとりましては軽く瞑想するのがとっても楽しい場所です。

つぼ湯がちょっと独特なのは、前回お伝えしました「微細身を飛ばす」のにも通じますが、つぼ湯がまるでどこかへ通じるゲートになっているかのような感覚があることです。

この感覚ももちろん人それぞれです。

 

宇賀神先生がひと頃好まれて、つぼ湯からよく「飛んで」行っておられたのは、沖縄の斎場御嶽(せーふぁーうたき)です。

そこはそこでまた、一種独特の素晴らしい聖地なのですが。

 

もちろんつぼ湯は特にどこへ飛んで行こうとの目的を持たなくても、お湯につかりながら瞑目し、心、あるいは魂の、不思議な浮遊感をただ楽しむのにも最高です。

 

そう。

宇賀神先生もいつもおっしゃるのですが、氣のお修行にしましても、密教や、色々のお修行にしましても、

「ただ感じる」

「ただ楽しむ」

という感覚も大事なようです。

 

成長や進歩に対する考え方に2通りあり、もしかしたら西洋的と東洋的とも言えなくもないのかも知れませんが。

結果(到達する目的地)を明確に思い描き、それに向かっての道しるべを定め、確実に進んで結果を得ようとする、どちらかと言えば西洋的な考え方と。

もう1つは結果を得ようとする気持ち(目的意識)に囚われないようにしながら、ただただ「今ここ」のことを感じ、味わい、今することを今行う。

するとある日、自分の後ろを振り返ると、長い道ができていて自分はこんなにも遠いところへ来ていたんだと気づくという、東洋的とも言える考え方と。

 

どちらに優劣があるわけではなく、その人その人に合う方を選べばいいのかな、と思います。

根がナマケモノのワタクシなんぞは、急かされるとこけてしまう方ですので、もっとのんびりしている派、ですけれど。

 

いつも、ただお湯の中で浮遊感を楽しむ。

心地よさを味わう。

で、よしとしています。

だから成長がないって言われれば、「やっぱり?」としかお答えのしようがございませんが(T-T)

 

特に、こういう氣に関することや神さま佛さまのことなど、目に見えない世界のことに関しましては、あまり目的意識を強く持ちすぎてしまうとそれが我欲となり、かえって妨げになる可能性もあるようです。

自分の欲で見たこと聞いたことを、本当に見た聞いたと思ってしまい、迷わされることもあるのですとか。

自分の感覚だけが頼りの世界ですから、なかなかに難しいところですね。

 

light-in-tuboyu
つぼ湯のなかの光

つぼ湯のなかで光を受けてみました。

 

今回お伝えした「浮遊感」、なにもお湯の中だからというわけではございません。

ある特定の場所で、そのような感覚を得やすいというところがたくさんございます。

やっぱりどこかへ通じているのか?と思いたくもなりますが。

ここ湯峰にももう1か所そんな風なところがあるのですが、それはまたいずれ。

 

今からまた温泉に入って、湯胸茶屋さんのきつねうどんと温泉コーヒーを楽しんできます♥

皆さまもどうかよい連休を(^-^)

 

合掌

ケタ違いの氣を得るために~たまには本題を~

閑話休題、今日はお恥ずかしい珍道中の流れのなか、宇賀神先生の本筋である氣のことに少し話を戻しましょう。

 

1泊目の宮島サービスエリアを翌朝出発して、長崎は雲仙温泉の国民宿舎「青雲荘」さんを目指しました。

青雲荘さんは雲仙温泉のなかでも、宇賀神先生の大好きな白濁した硫黄泉のお湯が出るお宿です。(雲仙には透明のお湯のお宿もあるようですね。)

 

しかも青雲荘さんがすぐ隣で経営なさっている日帰り入浴施設「小地獄館」は、大きな大きな源泉の湧出口がすぐ裏にあり、とってもパワフルな氣を感じられるお湯です。

写真でしか見ることは叶いませんが、その湧出口はハート型をしているそうで、人も泳げそうなほど大きいのです。

もちろん、その源泉の中でゆでられた温泉卵がそこで売られておりますので、源泉温度はちょっと人が泳げる適温ではございません。

ですが宇賀神先生はそこで、普通の人にはできない方法でよりたくさんの「氣」を取られます。

 

(ご参考までに、以前にご紹介しました一番簡単な氣を取る方法はこちら⇒一番簡単な「氣を取る瞑想法(イメージ法)」

 

宇賀神先生は単純に湯舟の温泉の氣を取るだけでなく、お湯につかりながら「微細身(みさいしん)」と呼ばれる氣のボディーを地中深くの場所まで潜らせ、そこからも同時に氣を導引なさいます。

地中深くの場所とは、例えば温泉の湯だまりだったり、そのさらに深くのマグマだまりだったり。

生身の身体では到底行けないところまでご自身の分身とも呼ぶべき微細身を飛ばし、そこで吐納導引(とのうどういん)術をなさいます。

 

すると、温泉だけではなく、地球そのものからもパワーを得られ、それはやはりケタの違う強さになるのですねー。

 

ですからこそ、宇賀神先生は強い温泉を求めて全国の遠いところまで湯治に行かれます。

桁違いのパワーを得るために。

武術武道にも通じる考え方かどうかは分かりませんが、やはり力と技、両方必要なようです。

人様の病苦を取り除く、宇賀神先生のお仕事には。

それは加持祈祷と呼ばれたり、気功や氣による手当と呼ばれたり、ときには超能力や魔法とまで呼ばれたり、人様によって表現の仕方は色々ですが、目に見えない不思議な力を使って色々な人様の願いを叶えるには、力と技の両方が必要なのでしょう。

 

もちろん技がなくては「その先」へは進めませんが、まずやはり何と申しましてもその下支えは(氣の)力になります。

 

また、これは以前に宇賀神先生が人生の大困難に遭われたとき、お不動さんに言われたお言葉ですが、

「お前はもともとブルドーザーのような力で押してきた人生だ!

この困難を切り裂き、はねのけ、力で押して行け!!

氣を取り戻せ!!」

と、叱咤激励されたそうです。

 

うーん、そうですね、ということは「運も『氣』次第」とも言えましょうね。

 

「波切り不動」さまがお不動さんの始まりというようなことを宇賀神先生にお聞きした記憶がございますが、まさに「波切り」の名前のごとく、襲いかかってくる人生の困難(大波)を運氣の力で切り裂いて前に進めとおっしゃったそうです。

お不動さんは右手に剣(倶利伽羅剣:くりからけん)をお持ちで、それは人間の三毒(よく言われております貪瞋痴〈とんじんち〉の3つの煩悩)を断ち切る剣だと一般的に言われておりますが、その始まりは、どうやら弘法大師空海さまが唐に渡られたときの波切り不動さまのようです。

 

平安時代のその当時は、日本から唐の国に船で渡ることは到底容易ではなく、嵐に遭い、たどり着く前に船が沈む可能性の方が大きいとまで思われておりました。

いえ、事実、そのようでした。

ですので、お大師さんのように志を持ち自ら願って唐に渡られた少数の人を除いては、気が触れたふりをしてまで唐に渡るのを拒んだ人もいたと言われるくらい、航海を恐れていたようです。

そして果たして、お大師さんの乗られた遣唐使船も嵐に遭いました。

そのとき、まだまだ一介の無名の僧であったお大師さんが一心に祈られ、佛さまのご加護を得て、やっとのことで唐の港にたどり着いた、というより船が壊れながら座礁したそうです。

そのことがかえって「空海」さまの名が表舞台に出るきっかけとなったのですが。

 

その後の素晴らしくドラマチックな展開となる話はさておき、そのときご加護くださった佛さまが、波切り不動さまでした。

どうやら「不動明王」さまのお名前が日本で知られるようになったのは、このときが初めだ、と宇賀神先生は教えてくださいました。

 

そして、そのときの波切り不動さまそのままに、

「持てる力で困難を切り裂き、前に進んでいけ!」

と、宇賀神先生もお不動さんに激励されました。

今から16年ほど前、宇賀神先生が人生の大困難に遭われていたときのことです。

 

私は宇賀神先生から、

「お不動さんにこんな言葉をかけてもらった!」

と、半ば泣きそうになりながら言われた日のことを鮮明に覚えています。

「お前は力で押してきたんだろ。これからも力で押していくしかない!力を取り戻せ!!って言われた。」

と。

それからも長い道のりではございましたが、あの日まさに一瞬の光が見えたことは確かでした。

 

それはまるで、極夜(きょくや)が終わった日の、初めての一瞬の太陽の光のようでした。

極夜とは白夜の反対で、一日中太陽が登らない日々のことを指すそうです。

その季節が終わり、初めて太陽が顔を出す日は、一瞬の光が射すだけなんですとか。

チカッ!とまばゆい閃光が一瞬だけ射して、そしてまたすぐ太陽は沈むそうです。

しかもその光は緑色だと。

 

あれは夢だったのではないかと思うくらいの一瞬の光でも、長い冬の後、春の訪れを告げるその一瞬の光を見られたならば、それはどんなにか心の支えになるでしょう。

あのとき宇賀神先生がお不動さんからお聞きになった叱咤激励のお言葉は、その後のつらかった数年間を支えてくれました。

 

本物の極夜が終わる一瞬の緑の閃光、いつか見てみたいと願っています。

(そのためには極寒のアラスカにでも行かないと?)

 

何だか話がちょっと色々な横道にそれてしまいましたが、とにもかくにもこういうわけで、宇賀神先生は「氣」、それも桁違いの氣のパワーを求めて全国の温泉や、また温泉でなくても地中からの氣が噴出しているような場所、を目指して旅をなさいます。

そしたらそれが珍道中になること多し、ということなのですねー。

 

私なんかはちょっと「氣がヨワイ」性質で、宇賀神先生や先生のお弟子さんなど、もともととってもパワフルな(要するに、ガタイのいい♥)方達を見ると羨ましくなります。

昔のNHKさんの大河ドラマで超有名になったセリフ、伊達政宗公が幼い頃、まさに不動明王さまをご覧になりおっしゃったお言葉が身にしみます。

 

「梵天丸も、かくありたい。」

と。

 

あやのちゃんも、かくありたい(T-T)

 

 

(珍道中の続きはまた明日♥)

 

雄大な雲仙岳、島原湾からの眺めです。

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雲仙岳を島原湾より

 

合掌

 

すったもんだ珍道中2~ステ(ッ)キな忘れ物~

さて、伊丹空港から意気揚々と出発した途端、目的地の九州ではなく反対側の家に帰るほうの高速に乗り込んでしまったことに気づき、あわてて次のインターで降りて池田方面(九州に向かう方)に乗り直しました。

自分のどんくささにがっくりしながらも、宇賀神先生の

「大丈夫、こんなこともある!」

との、いつもの「めげない(懲りない)精神」に励まされ、

「そうやね!長い運転歴やし、こんなこともたまにはあるよね!」

と、自分を元気づけてあげました。

 

ですが、次のハプニングはそこからわりと近くの、休憩に入った西宮名塩サービスエリアでのこと。

2人ともお手洗いに行き、すぐに車に戻ろうとしました。

そのとき宇賀神先生が、「わし、ステッキをトイレに持っていったかなぁ。」とおっしゃいました。

 

先生はすぐにあれがない、これがない、どこかに失くした、と言っていつも人をびっくりさせます。

ひどいときには眼鏡をおでこにかけたまま、「眼鏡がない!」って。

「自分で7回探してから人に尋ねて!」

といつも言うのですが。

ですのでそのときも私はめんどうに思い、「いや、持っていってへんのと違う?」と適当に答え、そのまま車に戻って出発しました。

 

それから1時間くらいでしょうか、しばら~く運転しておりますと、宇賀神先生が

「あれ、わしのステッキがどっかに行った。」

と。

「えっ、さっきお手洗いにステッキ持っていかへんかったんと・・・あれ?

あれっ??本当に無いのん!?」

そう言えば、伊丹空港で先生が車に乗り込まれたとき、ステッキはご自身の乗っておられる助手席側に持って乗って・・・あったはず。

そして、今はありません。

 

さっきやっぱり、お手洗いにいくときに持っていってたんだーと気づきました。

私が「持っていってへんのんと違う?」とか、メンドクサくてテキトーなこと言ったよ、と思い出しました( ̄∇ ̄;)

でもそのことは敢えて言わず(←ずるい)、

「うそやーん!マジで忘れたん!?」

と、あわてて次のパーキングに入り、もう一度車の中を探しました。

 

やっぱりありません。

 

すぐにスマホで西宮名塩のサービスエリア(下り線)を検索してお電話しました。

「あの、ついさっき男性用お手洗いに黒い金属のステッキを忘れたと思うのですが。柄の部分が鍵針のような形で、中に傘が内蔵されているんです。」

すると、

「たしかに黒い金属のステッキがお忘れ物で届いています。これ中が傘なんですか?」

と。

 

やっぱりありましたー!(ToT)

宇賀神先生の大事にしてらっしゃる「トトロのステッキ傘」!

(どんな傘でしょう?⇒「治に居て乱を忘れず」)

どなたかご親切な方が見つけて忘れ物として届けてくださったのですね。

ありがたかったです。

 

本来でしたらお取り置きの期間はそんなに長くはないそうなのですが、旅に出発したばかりで帰るまで2週間近くあること、でも同じルートで帰りますので、反対側の上り線の西宮名塩サービスエリアを通過することなどをお伝えしました。

すると事情をご理解いただき、そのときまで保管してくださるとおっしゃってくださいました。

上り線と下り線のそれぞれの名塩サービスエリア間には、人が歩いて移動できる橋があるそうで、事前にお伝えしていればステッキを上り線の方に移動させておいてくださることも可能だそうです。

もう、色々な人達の、色々な企業さんの、ご親切にすがって生きているような人生です。

また何度も「ありがとうございます!助かりますー!」とお礼を申し上げ、電話を切りました。

 

出発早々、またひとつどんくさいことをしてしまいました。

あーあ。

 

 

そしてその日は広島の宮島サービスエリアまで行き、そこで車中で寝ることにしました。

たしか満月か十六夜くらいでした。

お月さんがとても冴え冴えと美しかったことを覚えています。

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宮島サービスエリアにて

サンダース号とお月さん♥

ちょっと写真では雲がかかってしまいましたね。

サンダース号って、遠目に見ますと「短い足を一所懸命繰り出して走るハムスター」のようじゃありません?

車の顔がハムスターに似てますよね?

で、ちょこちょこっと短い足を懸命に繰り出しててカワユイ( ̄∇ ̄)♥

親バカでしょうか?

 

それはさておき、翌朝には、そのお月さんが反対側の山の端に沈みかけていました。

sinking-moon
うっすらと見えているお月さん

ひと晩かけて天をぐるりと渡り、西の空に沈んでいくのですね。

天体好きの父の影響でしょうか、地球や月を含む、星の動きを感じられるだけで幸せです♥

 

そして、私の朝のご褒美は何と申しましても、

smile
にこにこ笑顔

ステッキを忘れても、この笑顔!

そうやっていつも笑っていてくださいね♥

 

 

続きはまた明日(^-^)

 

合掌

すったもんだ珍道中1~JALが飛ばなかった編~

さてさて、いかに宇賀神先生と私の旅が一筋縄ではいかないのが常か、ということを露呈してしまうお話です。

この年始年末の湯治旅は、その最たるものでした。

 

今回の湯治は12月24日に出発予定でした。

その直前、12月23日まで宇賀神先生は出張のため仙台においででした。

毎年12月は小中学校時代のお友達が宇賀神先生の仙台行きに合わせて同窓会を開催してくださるのですが、今年は年末近くの仙台出張となってしまい、皆さんとの日程が合わず、ひと組のご夫婦とだけお食事を楽しまれました。

その仙台からの帰り、12月23日の夕方にJALさんの飛行機に乗る予定でした。

当日は天気もよく、問題なく帰って来られるでしょうと思っておりましたら、なんとフライトの2時間くらい前でしたか、JALさんからフライトに関する通知がメールで届きました。

 

「欠航のお知らせ:仙台空港 滑走路閉鎖のため欠航となっております。」

 

めちゃびっくり。

その直前にフェイスブックで「フライトの欠航に遭遇する確率は3%」と書かれているのを見たところでした。

3%の確率、本当かな。

 

そうですね、この約15年ほど、宇賀神先生の仙台出張は2か月に1回です。

大抵の場合、年2回は私と車で湯治を兼ねて参りますから、飛行機は年4回の往復です。

私の記憶が正しければ、フライトの欠航にあったのは今回を含めて3回です。

8フライト(4往復)x15年x3%=3.6回

ほぼ確率通りではありますでしょうか?

遭遇しました。

 

「飛行機の変更手続きのカウンターは長蛇の列で動かないから、綾野さんの携帯で手続きできないか?」

と、すでに空港にいらした宇賀神先生に頼まれ、したことのないフライト変更手続きをスマホで悪戦苦闘しながら何とかいたしました。

ですが不安で、その後すぐにJALさんにTEL。

「私がした手続きはちゃんとできていますか?」と。

やっぱり、ちょっと不首尾があり、そのお電話で手続きを完成させてくださいました。

聞いてよかったー。

そのままですと、翌日に振り替えたはずのフライトが予約できていないところでした。

 

宇賀神先生に「明日のフライト取れたよー!」と電話しますと、

「わしも今カウンターで予約取れてるって聞いた♥」と。

なぁんだ、このタイミングでカウンターにたどり着けてるなら自分で取ってくれたらよかったのに、と内心ぼやくワタクシでした。

いえいえ、内心ではなく、本当にボヤキましたね。

「先生はねぇ、私のことを小間使いのように便利に使い過ぎ!」と。

 

するとさらに宇賀神先生は、

「24日に荷物を積んで車で空港まで迎えに来て♥そしてそのまま空港から高速に乗って九州に出発しよう。」

とおっしゃいました。

 

先生はいつも空港に車で送り迎えをしてほしいと思ってらっしゃるのです。

前に乗っていたパジェロ(普通車)でしたら空港の駐車場に入りますが、今のキャンピングカーは車高が2.6mあり、普通の駐車場には入りません。

(どんな車なのって?⇒「日本全国どこでもお家」をどうぞ♥)

ですので、車を買い替えてからは一度も空港に送って行ったことがありませんでした。

 

念願の!

空港へのお迎え♥

 

「ヤだなー、めんどくさ!駐車場入らへんやんなぁ。」

と思いながらも、たしかに伊丹空港は九州への通り道と言えば通り道です。

しかたなく、宇賀神先生の願いを叶えてあげることにしました。

 

さて、24日当日空港に参りますと、高速を降りてすぐが空港前なのですが、やっぱり高さ制限があり、車を駐車場に入れることができません。

しかも、タクシー乗り場近くに宇賀神先生が歩いて来てらっしゃるのが見えました。

どうしよう、どこで先生を乗せたらいいんだろう、と思いながらも途中で停車することなど到底できず、奥の大型バス用の駐車場入り口にとりあえず近づきました。

個人の車でも入れてくれるのかな、と尋ねようとしましたら、入り口近くにいらした係の方が困惑顔の私を見て瞬時に状況を理解してくださり、

「降りられますか?お迎えですか?」

と尋ねてくださいました。

「はい!主人を迎えにきたんです。さっきタクシー乗り場の辺りを歩いてるのが見えたんですが。ちょっとこの距離ですと、歩いてくるのに時間がかかりそうです。」

「ご主人さんはどんな人ですか?」

「ええっと、白いおヒゲで、茶色のコートで、ステッキを持っています!」

 

なんとその方はご親切なことに宇賀神先生を遠目に探してくださいました。

「この駐車場は個人の車でも入れるのですが、5分なら無料、それを越えると1時間1000円なんですよ。大型バスが来るまでは入り口手前のここにいてくださってもいいですよ。」

と、さらにご親切なことに、余分な料金がかからないようご配慮くださいました。

「また、入っても、5分以内にでてきたら無料なんで、皆さん5分以内で出てきてグルグル回って待機する人も多いですね。」

と、裏情報まで!?

 

あまりのご親切心に涙!

しかも、そうお話しながら、目はずっと宇賀神先生を探してくださっています。

世の中に、初めてお会いして、こんなにご親切にフレンドリーに対応してくださる係の方がいらっしゃるなんて。

まさに「神対応」。

思わず、

「ありがとうございますー!」

と、手を合わせました。

 

そのうち、私の車を見かけて、歩いてやってきた宇賀神先生を発見なさり、

「あっ、あの人ですかね!」

と、教えてくださいました。

もうカミサマです(T-T)

 

無事に宇賀神先生が車までたどり着かれ、係の方は最後の最後までご親切にしてくださいました。

あまりにもありがたく、私は何度も手を合わせました。

一度大型バスの駐車場に入り、「5分以内に」出て、ぐるりと回って空港を後にしました。

その際もう一度その方の前を通ったのですが、見送ってくださっていて、私は窓を開けて大声で「ありがとうございましたー♥」と叫びました。

 

本当に本当にご親切にしていただきました。

あの素晴らしくフレンドリーな笑顔。

車高の高い車でどうしようと思っていた私の不安を瞬時に察してくださり、どうすればいいかを教えてくださり、またずっと宇賀神先生の姿を一緒に探してくださいました。

 

もう、フライト欠航のハプニングなんかどこかへ吹き飛んじゃうよー♥と、幸せな気分になり、九州へ出発するべく再び高速に乗りました。

 

そして気づきました。

 

「あれ、この高速、大阪に戻る方や( ̄∇ ̄;)」

 

そう、どんくさいことに、九州へ向かう池田方面ではなく、家に帰る梅田方面の高速に入ってしまいました。

「きっとこれは大変な旅になるから、やめて帰りや、って言うてるんや!」

と言ったか言わないか?

ご想像にお任せします。

 

(まだ序の口、明日に続きます。長くてゴメン。)

 

 

旅に出られたのが嬉しくてたまらない宇賀神先生@サービスエリア

dance
嬉しそう!

いくら嬉しいからって、自販機の前で踊らなくてもいいですヨ♥

 

 

***

お知らせいたします。

 

昨日のタイトル「日々是平穏無事」ですが、去年の別の記事にも同じものを使っておりました。

うっかりしてしまい、申し訳ありませんでした。

昨日のタイトルに少し付け足して「日々是平穏無事2019」にしておきますね!

***

 

合掌

日々是平穏無事2019

あけましておめでとうございます。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で宇賀神先生と私はつつがなく暮らしております。

 

去年の秋頃からまたずいぶんと更新が途絶えておりました。

お許しくださいませ。

やはり少々体調が悪かったことと、とんでもなく(というほどではないのでしょうが)忙しく、落ち着いてブログを書くことができませんでした。

まあ、あれから色々とございましたよー。

楽しいこと、嬉しいこと、びっくりすること、しんどいことまで、盛りだくさんな2018年後半でございました。

色んなことがあるたびに、「ああ、これもブログに書きたい」「これも皆さんにお話したい」と思いながらもパソコンを打つことができず、残念に思っておりました。

またぼちぼちと更新してまいりますので、今年も何卒よろしくお願いいたします。

 

さて、前々回の記事で(と申しましてもすでに4か月ほどもたちました)、私がたった1日入院したことをお話ししてしまったため、多くの周りの方達にご心配をかけてしまいました。

申し訳ありませんでした。

数か月ほどたちました今でも、こっそりと私を気づかってくださるメッセージをちょうだいし、本当にありがたい限りです。

その度に皆さんのお優しさに涙する思いです。

ありがとうございます。

 

責任をとりまして?ここでその腹痛のご報告をさせてください。

新年早々私の身体の状態をさらけ出すのも、皆さんにとりましてもあまり心地いいものではないかも知れませんが、今でもご心配くださり、「お腹は大丈夫ですか?」と尋ねてくださる方達の為にも、お話しさせてくださいね。

 

MRIを取った結果ですが、幸いなことに結局ひどい病気らしきものは見当たりませんでした。

また、炎症反応や、感染症もありませんでした。

ただ病院の先生がおっしゃるには子宮筋腫があり、また、子宮内膜症による子宮と腸の癒着がかなりの広範囲になっています、と。

断定はできませんが、多分その癒着していることにより、ひどい腹痛が起きたのではないかということでした。

断定できませんとおっしゃったのは、ひとつには本来なら子宮内膜症でお腹が痛む時期でもなかったためです。

多分に婦人科の方が原因で腸を含めお腹全体まで痛んだのでしょうけれど、何が痛みの原因か断定できない以上、たとえば癒着をはがすような手術も、薬による治療(内膜症を進行させないために生理を止める、など)も、その手術や投薬のリスクの方が高すぎますので、敢えてしなくてもよいのでは、ということでした。

入院した日も結局大がかりな治療をすることもなく痛みが和らいでいき、そのまま翌日すぐに退院できましたし。

 

お医者さまからMRIの結果による診断をお話いただいた時には、「喉元すぎれば熱さを忘れる」のことわざそのままに、

「そうですよね!今はもうお腹も痛くなくこうして無事に日常生活も送っておりますし、敢えてそんなコワイことしない方がいいですよね!」

と、意気揚々として病院をあとにしました。

 

ご心配くださった方々、本当にありがとうございました。

この場をお借りして、御礼申し上げます。

 

 

それで、ですね。

 

その後はお加持の仕事や出張やお寺での勉強会、また勉強会のなかでも特に大事な年に一度の「直伝」講習会もございまして、あれよあれよという間に時がたってしまうような日々を過ごしておりました。

ちょっと、お腹というか腰まわりが少しつらいなあ、と思いながらも、この秋を乗り越えないと!と目まぐるしく動いておりますうちに、やっと忘年会と冬休みを迎えました。

その間、宇賀神先生まであまりの目まぐるしさに「わしも何だか腰が痛くなってきた」と、おっしゃる始末。

先生が今の「氣」をコントロールする力を得られたのも、若い頃のご自身の腰痛がきっかけでしたものね。

私の腰まわりが痛いのをご覧になり、仲良く共つわり( ̄∇ ̄)のように夫婦でぼやいておりました。

 

もちろん私の体調がひどくなる前には、宇賀神先生がその度に手当てしてくださり、また湯峰温泉や有馬温泉にも行って「氣」の充電をこころがけたりしながら、忙しい中なんとか乗り切りました。

 

そして冬休みに入り、無事に冬の湯治のために長崎の雲仙温泉に・・・行ったのですが、ちょっと無事ではございませんでした。

実はすんごいハプニングだらけの湯治旅となったのです(T0T)

やじさん、きたさんの珍道中も目じゃないくらいのドタバタてんこ盛りの旅でした。

「トラベルの語源はトラブルだとか?」なぁんて冗談を言って笑っておりましたら、最後の最後までトラブル続きの旅になり、イヤというほど痛感することになりました。

まるで宇賀神先生の人生そのものを象徴するかのようなドタバタ喜劇でございました。

 

あんまりにも凄い量のハプニングだったため、そのお話は明日からまたゆっくりさせてくださいませ。

1回ではとてもじゃないですが、書ききれません。

 

ですが、そのハプニング集にもかかわらず、本日のタイトル「日々是平穏無事」とは。

 

この言葉は、宇賀神先生がずいぶんと以前に深江のお稲荷さんにかけていただいたものです。

「ご無事でなにより」とか、「何事もなく」とか、よくご挨拶で申しますね。

本当に、平穏無事であることが何よりありがたく、また反面、「ありがたい」ということは「有り難く」もあるということ。

無事でいることは当たり前のようでいて、実はなかなか難しいということなのですね。

 

ですが。

旅先でどんなハプニングがあろうとも!

どんなびっくりがあろうとも!

お陰様で今こうして私達は日々是平穏無事に、つつがなく暮らしております♥

 

すったもんだ言いながらも何とも幸せで楽しい我が人生よv( ̄∇ ̄)v

ありがとうございます!

 

新年早々文脈も乱れてしまい、こんなふつつかな私(達)ではございますが、皆さま、今年も何卒よろしくお願いいたします。

今年一年の、皆さまのさらなるお幸せを心よりお祈りいたしております。

心楽しい日々を送りましょうね♥

 

 

今日のオマケの写真は、7日ということで、宇賀神先生が心を込めて作ってくださった七草粥(と、大根の炊いたん)です。

先生の心の優しさを表すかのような、優し~いお味でした(^-^)

nanakusa
七草粥

 

そして早くこのお話を書きたい、「双子の宇賀神さま」♥

ugajin-ueno
双子の宇賀神さま

ねぇ、そっくりすぎません?

 

合掌