本気で大変だった珍道中3~小鳥とともに入院編~

この冬休みの珍道中の続きです。(やっと再開。)

 

1日目の宮島サービスエリアを出発して、九州の長崎は雲仙温泉に向って運転しておりますと、何だかちょっとお腹が痛くなりだしました。

「あれー?」と思いながらもハンドルを握っておりましたが、お昼過ぎから段々と痛みを増してきて、夕方が近くなるにつれ「これは本気で大変かも」というような痛さになってまいりました。

しかもこの痛みは、身に覚えのある痛みです。

もしかしてまた・・・と不安に。

ですが、宿の宿泊予約をその日から取っておりましたので、何としてもその日のうちに到着しようと、最後はお腹を押さえながら運転する状態となりました。

 

やっとのことで夕食の時間もずいぶんと過ぎた頃、宿に到着。

チェックインを済ませ、とにかく夕食をいただきました。

お腹が痛いながらも何とか食べることができ、一安心しました。

 

ところが翌朝、目覚める頃にはもう立つのもつらいほどの痛みになっていました。

「またかー(T-T)」

この痛みは、やはり身に覚えがございました。

去年の夏に1日入院したときと、同じような感覚でした。

「朝ご飯食べられへん。」

と、宇賀神先生だけ朝食に行っていただき、私は部屋で寝ていました。

 

そのときから結局2日間、ほとんど何も食べられずに部屋で寝ておりました。

食事会場のスタッフの方が心配してくださったようで、何かしらの食べ物を宇賀神先生に部屋に持って帰るようご配慮くださいましたが、果物さえも食べられない状態でした。

 

宇賀神先生も心配して色々と手を尽くしてくださいました。

その度に楽にはなるのですが、またしばらくすると段々と痛くなってきます。

 

前回も入院先の病院で治療らしい治療をせず、結局は日にち薬で治ったのかな?という状態でしたので、我慢して寝ていようかと思いましたが、やはり痛みはひどく、また不安にもなってまいりました。

そこは自宅から800kmほど離れた旅先の、山の上の雲仙温泉です。

しかも私しか運転できず、うちの小鳥のぴーちゃんも車に乗せて連れていっている旅先です。

しかも4泊の予定でしたから、あと2日ほどで下山しないといけません。(その後はお正月近くで、宿は連日満室です。)

そしてその頃には寒気団(年末の寒波)も来る予定で、もしかすると雲仙にも雪の可能性があり、雪が降る前に山を下りないといけません。(うちの車はスタッドレスタイヤではないのです。)

さらに年末のその頃、救急を除いては、病院もお休みに入るところが多くなるでしょう。

 

ですが・・・ハンドルを握れる状態でもなく。

ふもとの病院に行こうにも、そこから20kmほど先の島原の街が、とてつもなく遠いところに感じました。

救急車という方法もあるでしょうが、小鳥の乗った車を心配で置いていけません。

毎日ご飯を替えてあげないと、小鳥は生きていけませんので。

つらいお腹をかかえて、一体どうすればいいんだろうと、なんだかその時は八方ふさがりのような心地がしたものです。

 

ですが、大人になるっていいですね。

実感いたしました。

 

何かつらいことがあったとき、たとえば子供ならお腹が痛いとき、天をあおいで「お腹痛いー!」とわんわん泣けばいいのです。

私はそんな子供の単純さ?ストレートさ?純真さ?とでも言うのでしょうか、大好きです。

泣いている子供を見れば、きっと周りの優しい大人の人が助けてくれます。

 

ところが自分が大人になりますと、そうやってただわんわん泣いていてもいいのですが、自分で対処する力も備わっているのも、また事実です。

自分で対処すると申しましても、もちろん人様の助けもお借りします。

自分でできることと自分ではできないことを知り、自分でできることを選んでして、できないことを人様に頼むのです。

 

しかも旦那さんが身体のことを治してくれる「手」を持ってくださっていると、心強いことこの上なかったです。

 

お腹が痛いなか宇賀神先生の手当てにより、なんとかハンドルを握れる状態にしていただき、山の上の雲仙温泉からキャンピングカーを運転して下山しました。

ネットで評判のいい産婦人科病院を探し、事前に連絡して、安静を保つためにも入院させていただくことをお願いしました。

しかも車には小鳥がおりますから、入院中も(駐車場まで)外出し、鳥の世話をする許可をいただきました。

さらに雪の心配がある日までに、何とか大阪に帰る手段をとりたい(退院したい)ともお願いしました。

親切な病院にワガママ言い放題。

 

にもかかわらず、こちらの痛みや不安や心配をすべて受け入れてくださり、入院を受け入れてくださいました。

そのとき病院の若い先生がおっしゃった

「どぎゃんとかして帰らんとね。」

という可愛い長崎弁?にさえ、救われた心地でした。

 

入院なさっている方が女性ばかりの病院に宇賀神先生がいらしても仕方がないので、「氣をちゃんと取ってきてよー!」と先生を追い返し?ました。

心配して病院近くのホテルなどに泊まられても何の意味もないですので、それならば先生にはするべきこと(湯治!氣を取ること!)をしていただきたいと思いました。

 

こうして、「旅先で大変なことになったなー」と思いながらも、考え得るかぎりの最善の方法をとることができました。

車で山を下り、私は安静を得られる病院に、宇賀神先生は引き続き温泉に、大事な大事なぴーちゃん(小鳥)は私が面倒をみられることに♥

暖かく心地のいい病院の部屋、清潔なベッドの上で横になれたときにはとてもホッとしたことを覚えています。

心から、ありがたかったです。

 

そしてこれは大いなるオマケなのですが。

この島原での病院選び、とっても素晴らしい選択をすることができました。

多分は旅先ということもあり、夏に入院したときと同様、救急で大きな手術をすることもないでしょうと勝手に想像し、できるだけ気持ち良く滞在できるような評判の病院を探しました。

お医者さまや看護師さんがお優しいとか、病院が綺麗とか、そういう不純な基準で。

結果、素晴らしい入院生活となりました。

 

評判通りお医者さまや看護師さん、スタッフの方々は皆さんご親切でお優しく、建て替わって2年もたっていない病棟は美しく、しかもご飯が信じられないくらい美味しかったのです。

ちょっと、あまりの豪華さに写真をとってしまいました。

このように、和食も、

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病院の和朝食

洋食も、

lunch
病院の昼食

朝ご飯だって、

breakfast2
洋朝食

どこのホテルのブレックファストですかー(ToT)と泣きたくなるくらいの美しさ、美味しさでした。

しかも、毎食出してくださる果物には必ず花が一輪添えられており、3時の手作りのおやつまであるのです。

 

残念ながらお腹が痛くて食欲がなく、すべては食べられませんでしたが、「おいしそう」につられて半分ほどもいただけました。

「ここだったら風邪ひいて入院したいって思っても仕方ないよねー」と、フトドキなことをついつい考えてしまうような素晴らしい病院でした。

 

しかも点滴の針、全然痛くなかったんですよー(T-T)

夏の大阪の病院のときは、すごく痛かったのに。

今回は痛み止めも点滴してくださいました。

 

そして、産婦人科ですから、生まれたばかりの赤ちゃんもいました。

ときどき泣き声が遠くから聞こえてきて、幸せでした。

廊下にいるキリンさんや、窓辺に並べられたぬいぐるみ達が、検診のために窓の向こう側に寝かされている赤ちゃんを見守っています。

よく私も一緒になって可愛い寝顔を見守っておりました。

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赤ちゃんを見守るキリンさん達

まるで天国のような入院生活。

本気で幸せでした。

 

(さらに旅は最終章に(まだ)つづきます。)

 

合掌

湯峰温泉のつぼ湯は、不思議なところへ飛ぶゲート?

昨日から湯峰温泉におります。

珍道中のお話もまだ途中ながら、せっかく大好きな湯峰温泉におりますので、今日はここの「つぼ湯」のご紹介をしたいと思います。

 

色々とブログのお話が落ち着きなくウロウロすることを、お許しくださいませ。

「続きはまた明日」とか言いながら、本当にすみません。

実生活もあっちうろうろ、こっちうろうろ、と落ち着きがないのでございます。

またたび(また、旅)人生と言えば、ちょっとありがたいような気もいたします。

 

湯峰温泉に関しまして、以前何度かに渡ってご紹介いたしました。

そのシリーズは、こちら。

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その1

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その2

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その3

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その4

湯峰の美味しいおススメ

湯峰温泉近くの熊野本宮大社さんも、並々ならぬ神さまです。

 

ですが当然、湯峰温泉のすべてをご紹介しきれたわけではなく、まだお話したいこともたくさんございます。

そのうちのひとつが、今日の「つぼ湯」です。

湯峰温泉のメインであるつぼ湯をちゃんとお伝えしていないなんて、片手落ちもいいところですね。

お許しくださいませ(^-^;)

 

今日はつぼ湯の不思議な一面をご紹介いたします。

これは去年の11月に来たときに撮った写真で、つぼ湯の小屋の内側の様子です。

(外観は上記の「その1」をご覧くださいませ。)

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つぼ湯を入り口から

とても小さく、人が2~3人も入れば身動きもとれないような、岩で作られた湯舟です。

まさに地面に埋められたつぼのようです。

小さな小屋の中ですので、1人なら20分、2人以上なら30分の貸し切りで入ります。

 

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この日は薄く白濁

お湯は「七色の湯」と言われているとお聞きした記憶がございます。

ある日は透明だったり、この日のようにうっすらと白濁していたり、青色がかっていたり、など、たしかに日によってお湯の様子が違います。

そしてお湯は、湯舟の底の、敷き詰められた小石の下から湧いてきます。

それが熱いんですよー。

服を脱ぐ前から水を入れて薄めていないと、熱すぎて入れません。

 

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小栗判官物語

例の小栗判官の物語も書かれていました。

 

物語に象徴されるように、ここ湯峰温泉は私達にとりましては、やはり「霊泉」という感じがいたします。

たしかにうっすらと硫黄の匂いのするお湯ですが、宇賀神先生の大好きな火山性の氣の強い温泉というほどのお湯のパワフルさでもありません。

写真のこの日は薄く白濁しておりましたが、透明の日もたくさんございますから。

ですがどう表現してよいのでしょうか、とてもひっそりとした、けれど確かにあるという、秘めたる力を温泉から感じます。

 

さすが平安時代からすでに人々が列をなしてここ湯峰で湯垢離(ゆごり)をなさり、それから熊野詣でをなさったという歴史のある温泉です。

平安京からここまでの道のりは、さぞや大変でしたでしょうね。

起源はどうやら4世紀。

奈良時代以前ですね。

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湯峰の起源

阿刀(あと)氏と言えば、弘法大師 空海さまのお母様のご出身ですね。

やはり、どこか遠いところでつながっているのでしょうか。

 

さて、つぼ湯はその小ささと、霊泉から受ける不思議な雰囲気とで、宇賀神先生と私にとりましては軽く瞑想するのがとっても楽しい場所です。

つぼ湯がちょっと独特なのは、前回お伝えしました「微細身を飛ばす」のにも通じますが、つぼ湯がまるでどこかへ通じるゲートになっているかのような感覚があることです。

この感覚ももちろん人それぞれです。

 

宇賀神先生がひと頃好まれて、つぼ湯からよく「飛んで」行っておられたのは、沖縄の斎場御嶽(せーふぁーうたき)です。

そこはそこでまた、一種独特の素晴らしい聖地なのですが。

 

もちろんつぼ湯は特にどこへ飛んで行こうとの目的を持たなくても、お湯につかりながら瞑目し、心、あるいは魂の、不思議な浮遊感をただ楽しむのにも最高です。

 

そう。

宇賀神先生もいつもおっしゃるのですが、氣のお修行にしましても、密教や、色々のお修行にしましても、

「ただ感じる」

「ただ楽しむ」

という感覚も大事なようです。

 

成長や進歩に対する考え方に2通りあり、もしかしたら西洋的と東洋的とも言えなくもないのかも知れませんが。

結果(到達する目的地)を明確に思い描き、それに向かっての道しるべを定め、確実に進んで結果を得ようとする、どちらかと言えば西洋的な考え方と。

もう1つは結果を得ようとする気持ち(目的意識)に囚われないようにしながら、ただただ「今ここ」のことを感じ、味わい、今することを今行う。

するとある日、自分の後ろを振り返ると、長い道ができていて自分はこんなにも遠いところへ来ていたんだと気づくという、東洋的とも言える考え方と。

 

どちらに優劣があるわけではなく、その人その人に合う方を選べばいいのかな、と思います。

根がナマケモノのワタクシなんぞは、急かされるとこけてしまう方ですので、もっとのんびりしている派、ですけれど。

 

いつも、ただお湯の中で浮遊感を楽しむ。

心地よさを味わう。

で、よしとしています。

だから成長がないって言われれば、「やっぱり?」としかお答えのしようがございませんが(T-T)

 

特に、こういう氣に関することや神さま佛さまのことなど、目に見えない世界のことに関しましては、あまり目的意識を強く持ちすぎてしまうとそれが我欲となり、かえって妨げになる可能性もあるようです。

自分の欲で見たこと聞いたことを、本当に見た聞いたと思ってしまい、迷わされることもあるのですとか。

自分の感覚だけが頼りの世界ですから、なかなかに難しいところですね。

 

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つぼ湯のなかの光

つぼ湯のなかで光を受けてみました。

 

今回お伝えした「浮遊感」、なにもお湯の中だからというわけではございません。

ある特定の場所で、そのような感覚を得やすいというところがたくさんございます。

やっぱりどこかへ通じているのか?と思いたくもなりますが。

ここ湯峰にももう1か所そんな風なところがあるのですが、それはまたいずれ。

 

今からまた温泉に入って、湯胸茶屋さんのきつねうどんと温泉コーヒーを楽しんできます♥

皆さまもどうかよい連休を(^-^)

 

合掌

ケタ違いの氣を得るために~たまには本題を~

閑話休題、今日はお恥ずかしい珍道中の流れのなか、宇賀神先生の本筋である氣のことに少し話を戻しましょう。

 

1泊目の宮島サービスエリアを翌朝出発して、長崎は雲仙温泉の国民宿舎「青雲荘」さんを目指しました。

青雲荘さんは雲仙温泉のなかでも、宇賀神先生の大好きな白濁した硫黄泉のお湯が出るお宿です。(雲仙には透明のお湯のお宿もあるようですね。)

 

しかも青雲荘さんがすぐ隣で経営なさっている日帰り入浴施設「小地獄館」は、大きな大きな源泉の湧出口がすぐ裏にあり、とってもパワフルな氣を感じられるお湯です。

写真でしか見ることは叶いませんが、その湧出口はハート型をしているそうで、人も泳げそうなほど大きいのです。

もちろん、その源泉の中でゆでられた温泉卵がそこで売られておりますので、源泉温度はちょっと人が泳げる適温ではございません。

ですが宇賀神先生はそこで、普通の人にはできない方法でよりたくさんの「氣」を取られます。

 

(ご参考までに、以前にご紹介しました一番簡単な氣を取る方法はこちら⇒一番簡単な「氣を取る瞑想法(イメージ法)」

 

宇賀神先生は単純に湯舟の温泉の氣を取るだけでなく、お湯につかりながら「微細身(みさいしん)」と呼ばれる氣のボディーを地中深くの場所まで潜らせ、そこからも同時に氣を導引なさいます。

地中深くの場所とは、例えば温泉の湯だまりだったり、そのさらに深くのマグマだまりだったり。

生身の身体では到底行けないところまでご自身の分身とも呼ぶべき微細身を飛ばし、そこで吐納導引(とのうどういん)術をなさいます。

 

すると、温泉だけではなく、地球そのものからもパワーを得られ、それはやはりケタの違う強さになるのですねー。

 

ですからこそ、宇賀神先生は強い温泉を求めて全国の遠いところまで湯治に行かれます。

桁違いのパワーを得るために。

武術武道にも通じる考え方かどうかは分かりませんが、やはり力と技、両方必要なようです。

人様の病苦を取り除く、宇賀神先生のお仕事には。

それは加持祈祷と呼ばれたり、気功や氣による手当と呼ばれたり、ときには超能力や魔法とまで呼ばれたり、人様によって表現の仕方は色々ですが、目に見えない不思議な力を使って色々な人様の願いを叶えるには、力と技の両方が必要なのでしょう。

 

もちろん技がなくては「その先」へは進めませんが、まずやはり何と申しましてもその下支えは(氣の)力になります。

 

また、これは以前に宇賀神先生が人生の大困難に遭われたとき、お不動さんに言われたお言葉ですが、

「お前はもともとブルドーザーのような力で押してきた人生だ!

この困難を切り裂き、はねのけ、力で押して行け!!

氣を取り戻せ!!」

と、叱咤激励されたそうです。

 

うーん、そうですね、ということは「運も『氣』次第」とも言えましょうね。

 

「波切り不動」さまがお不動さんの始まりというようなことを宇賀神先生にお聞きした記憶がございますが、まさに「波切り」の名前のごとく、襲いかかってくる人生の困難(大波)を運氣の力で切り裂いて前に進めとおっしゃったそうです。

お不動さんは右手に剣(倶利伽羅剣:くりからけん)をお持ちで、それは人間の三毒(よく言われております貪瞋痴〈とんじんち〉の3つの煩悩)を断ち切る剣だと一般的に言われておりますが、その始まりは、どうやら弘法大師空海さまが唐に渡られたときの波切り不動さまのようです。

 

平安時代のその当時は、日本から唐の国に船で渡ることは到底容易ではなく、嵐に遭い、たどり着く前に船が沈む可能性の方が大きいとまで思われておりました。

いえ、事実、そのようでした。

ですので、お大師さんのように志を持ち自ら願って唐に渡られた少数の人を除いては、気が触れたふりをしてまで唐に渡るのを拒んだ人もいたと言われるくらい、航海を恐れていたようです。

そして果たして、お大師さんの乗られた遣唐使船も嵐に遭いました。

そのとき、まだまだ一介の無名の僧であったお大師さんが一心に祈られ、佛さまのご加護を得て、やっとのことで唐の港にたどり着いた、というより船が壊れながら座礁したそうです。

そのことがかえって「空海」さまの名が表舞台に出るきっかけとなったのですが。

 

その後の素晴らしくドラマチックな展開となる話はさておき、そのときご加護くださった佛さまが、波切り不動さまでした。

どうやら「不動明王」さまのお名前が日本で知られるようになったのは、このときが初めだ、と宇賀神先生は教えてくださいました。

 

そして、そのときの波切り不動さまそのままに、

「持てる力で困難を切り裂き、前に進んでいけ!」

と、宇賀神先生もお不動さんに激励されました。

今から16年ほど前、宇賀神先生が人生の大困難に遭われていたときのことです。

 

私は宇賀神先生から、

「お不動さんにこんな言葉をかけてもらった!」

と、半ば泣きそうになりながら言われた日のことを鮮明に覚えています。

「お前は力で押してきたんだろ。これからも力で押していくしかない!力を取り戻せ!!って言われた。」

と。

それからも長い道のりではございましたが、あの日まさに一瞬の光が見えたことは確かでした。

 

それはまるで、極夜(きょくや)が終わった日の、初めての一瞬の太陽の光のようでした。

極夜とは白夜の反対で、一日中太陽が登らない日々のことを指すそうです。

その季節が終わり、初めて太陽が顔を出す日は、一瞬の光が射すだけなんですとか。

チカッ!とまばゆい閃光が一瞬だけ射して、そしてまたすぐ太陽は沈むそうです。

しかもその光は緑色だと。

 

あれは夢だったのではないかと思うくらいの一瞬の光でも、長い冬の後、春の訪れを告げるその一瞬の光を見られたならば、それはどんなにか心の支えになるでしょう。

あのとき宇賀神先生がお不動さんからお聞きになった叱咤激励のお言葉は、その後のつらかった数年間を支えてくれました。

 

本物の極夜が終わる一瞬の緑の閃光、いつか見てみたいと願っています。

(そのためには極寒のアラスカにでも行かないと?)

 

何だか話がちょっと色々な横道にそれてしまいましたが、とにもかくにもこういうわけで、宇賀神先生は「氣」、それも桁違いの氣のパワーを求めて全国の温泉や、また温泉でなくても地中からの氣が噴出しているような場所、を目指して旅をなさいます。

そしたらそれが珍道中になること多し、ということなのですねー。

 

私なんかはちょっと「氣がヨワイ」性質で、宇賀神先生や先生のお弟子さんなど、もともととってもパワフルな(要するに、ガタイのいい♥)方達を見ると羨ましくなります。

昔のNHKさんの大河ドラマで超有名になったセリフ、伊達政宗公が幼い頃、まさに不動明王さまをご覧になりおっしゃったお言葉が身にしみます。

 

「梵天丸も、かくありたい。」

と。

 

あやのちゃんも、かくありたい(T-T)

 

 

(珍道中の続きはまた明日♥)

 

雄大な雲仙岳、島原湾からの眺めです。

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雲仙岳を島原湾より

 

合掌

 

すったもんだ珍道中2~ステ(ッ)キな忘れ物~

さて、伊丹空港から意気揚々と出発した途端、目的地の九州ではなく反対側の家に帰るほうの高速に乗り込んでしまったことに気づき、あわてて次のインターで降りて池田方面(九州に向かう方)に乗り直しました。

自分のどんくささにがっくりしながらも、宇賀神先生の

「大丈夫、こんなこともある!」

との、いつもの「めげない(懲りない)精神」に励まされ、

「そうやね!長い運転歴やし、こんなこともたまにはあるよね!」

と、自分を元気づけてあげました。

 

ですが、次のハプニングはそこからわりと近くの、休憩に入った西宮名塩サービスエリアでのこと。

2人ともお手洗いに行き、すぐに車に戻ろうとしました。

そのとき宇賀神先生が、「わし、ステッキをトイレに持っていったかなぁ。」とおっしゃいました。

 

先生はすぐにあれがない、これがない、どこかに失くした、と言っていつも人をびっくりさせます。

ひどいときには眼鏡をおでこにかけたまま、「眼鏡がない!」って。

「自分で7回探してから人に尋ねて!」

といつも言うのですが。

ですのでそのときも私はめんどうに思い、「いや、持っていってへんのと違う?」と適当に答え、そのまま車に戻って出発しました。

 

それから1時間くらいでしょうか、しばら~く運転しておりますと、宇賀神先生が

「あれ、わしのステッキがどっかに行った。」

と。

「えっ、さっきお手洗いにステッキ持っていかへんかったんと・・・あれ?

あれっ??本当に無いのん!?」

そう言えば、伊丹空港で先生が車に乗り込まれたとき、ステッキはご自身の乗っておられる助手席側に持って乗って・・・あったはず。

そして、今はありません。

 

さっきやっぱり、お手洗いにいくときに持っていってたんだーと気づきました。

私が「持っていってへんのんと違う?」とか、メンドクサくてテキトーなこと言ったよ、と思い出しました( ̄∇ ̄;)

でもそのことは敢えて言わず(←ずるい)、

「うそやーん!マジで忘れたん!?」

と、あわてて次のパーキングに入り、もう一度車の中を探しました。

 

やっぱりありません。

 

すぐにスマホで西宮名塩のサービスエリア(下り線)を検索してお電話しました。

「あの、ついさっき男性用お手洗いに黒い金属のステッキを忘れたと思うのですが。柄の部分が鍵針のような形で、中に傘が内蔵されているんです。」

すると、

「たしかに黒い金属のステッキがお忘れ物で届いています。これ中が傘なんですか?」

と。

 

やっぱりありましたー!(ToT)

宇賀神先生の大事にしてらっしゃる「トトロのステッキ傘」!

(どんな傘でしょう?⇒「治に居て乱を忘れず」)

どなたかご親切な方が見つけて忘れ物として届けてくださったのですね。

ありがたかったです。

 

本来でしたらお取り置きの期間はそんなに長くはないそうなのですが、旅に出発したばかりで帰るまで2週間近くあること、でも同じルートで帰りますので、反対側の上り線の西宮名塩サービスエリアを通過することなどをお伝えしました。

すると事情をご理解いただき、そのときまで保管してくださるとおっしゃってくださいました。

上り線と下り線のそれぞれの名塩サービスエリア間には、人が歩いて移動できる橋があるそうで、事前にお伝えしていればステッキを上り線の方に移動させておいてくださることも可能だそうです。

もう、色々な人達の、色々な企業さんの、ご親切にすがって生きているような人生です。

また何度も「ありがとうございます!助かりますー!」とお礼を申し上げ、電話を切りました。

 

出発早々、またひとつどんくさいことをしてしまいました。

あーあ。

 

 

そしてその日は広島の宮島サービスエリアまで行き、そこで車中で寝ることにしました。

たしか満月か十六夜くらいでした。

お月さんがとても冴え冴えと美しかったことを覚えています。

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宮島サービスエリアにて

サンダース号とお月さん♥

ちょっと写真では雲がかかってしまいましたね。

サンダース号って、遠目に見ますと「短い足を一所懸命繰り出して走るハムスター」のようじゃありません?

車の顔がハムスターに似てますよね?

で、ちょこちょこっと短い足を懸命に繰り出しててカワユイ( ̄∇ ̄)♥

親バカでしょうか?

 

それはさておき、翌朝には、そのお月さんが反対側の山の端に沈みかけていました。

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うっすらと見えているお月さん

ひと晩かけて天をぐるりと渡り、西の空に沈んでいくのですね。

天体好きの父の影響でしょうか、地球や月を含む、星の動きを感じられるだけで幸せです♥

 

そして、私の朝のご褒美は何と申しましても、

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にこにこ笑顔

ステッキを忘れても、この笑顔!

そうやっていつも笑っていてくださいね♥

 

 

続きはまた明日(^-^)

 

合掌

すったもんだ珍道中1~JALが飛ばなかった編~

さてさて、いかに宇賀神先生と私の旅が一筋縄ではいかないのが常か、ということを露呈してしまうお話です。

この年始年末の湯治旅は、その最たるものでした。

 

今回の湯治は12月24日に出発予定でした。

その直前、12月23日まで宇賀神先生は出張のため仙台においででした。

毎年12月は小中学校時代のお友達が宇賀神先生の仙台行きに合わせて同窓会を開催してくださるのですが、今年は年末近くの仙台出張となってしまい、皆さんとの日程が合わず、ひと組のご夫婦とだけお食事を楽しまれました。

その仙台からの帰り、12月23日の夕方にJALさんの飛行機に乗る予定でした。

当日は天気もよく、問題なく帰って来られるでしょうと思っておりましたら、なんとフライトの2時間くらい前でしたか、JALさんからフライトに関する通知がメールで届きました。

 

「欠航のお知らせ:仙台空港 滑走路閉鎖のため欠航となっております。」

 

めちゃびっくり。

その直前にフェイスブックで「フライトの欠航に遭遇する確率は3%」と書かれているのを見たところでした。

3%の確率、本当かな。

 

そうですね、この約15年ほど、宇賀神先生の仙台出張は2か月に1回です。

大抵の場合、年2回は私と車で湯治を兼ねて参りますから、飛行機は年4回の往復です。

私の記憶が正しければ、フライトの欠航にあったのは今回を含めて3回です。

8フライト(4往復)x15年x3%=3.6回

ほぼ確率通りではありますでしょうか?

遭遇しました。

 

「飛行機の変更手続きのカウンターは長蛇の列で動かないから、綾野さんの携帯で手続きできないか?」

と、すでに空港にいらした宇賀神先生に頼まれ、したことのないフライト変更手続きをスマホで悪戦苦闘しながら何とかいたしました。

ですが不安で、その後すぐにJALさんにTEL。

「私がした手続きはちゃんとできていますか?」と。

やっぱり、ちょっと不首尾があり、そのお電話で手続きを完成させてくださいました。

聞いてよかったー。

そのままですと、翌日に振り替えたはずのフライトが予約できていないところでした。

 

宇賀神先生に「明日のフライト取れたよー!」と電話しますと、

「わしも今カウンターで予約取れてるって聞いた♥」と。

なぁんだ、このタイミングでカウンターにたどり着けてるなら自分で取ってくれたらよかったのに、と内心ぼやくワタクシでした。

いえいえ、内心ではなく、本当にボヤキましたね。

「先生はねぇ、私のことを小間使いのように便利に使い過ぎ!」と。

 

するとさらに宇賀神先生は、

「24日に荷物を積んで車で空港まで迎えに来て♥そしてそのまま空港から高速に乗って九州に出発しよう。」

とおっしゃいました。

 

先生はいつも空港に車で送り迎えをしてほしいと思ってらっしゃるのです。

前に乗っていたパジェロ(普通車)でしたら空港の駐車場に入りますが、今のキャンピングカーは車高が2.6mあり、普通の駐車場には入りません。

(どんな車なのって?⇒「日本全国どこでもお家」をどうぞ♥)

ですので、車を買い替えてからは一度も空港に送って行ったことがありませんでした。

 

念願の!

空港へのお迎え♥

 

「ヤだなー、めんどくさ!駐車場入らへんやんなぁ。」

と思いながらも、たしかに伊丹空港は九州への通り道と言えば通り道です。

しかたなく、宇賀神先生の願いを叶えてあげることにしました。

 

さて、24日当日空港に参りますと、高速を降りてすぐが空港前なのですが、やっぱり高さ制限があり、車を駐車場に入れることができません。

しかも、タクシー乗り場近くに宇賀神先生が歩いて来てらっしゃるのが見えました。

どうしよう、どこで先生を乗せたらいいんだろう、と思いながらも途中で停車することなど到底できず、奥の大型バス用の駐車場入り口にとりあえず近づきました。

個人の車でも入れてくれるのかな、と尋ねようとしましたら、入り口近くにいらした係の方が困惑顔の私を見て瞬時に状況を理解してくださり、

「降りられますか?お迎えですか?」

と尋ねてくださいました。

「はい!主人を迎えにきたんです。さっきタクシー乗り場の辺りを歩いてるのが見えたんですが。ちょっとこの距離ですと、歩いてくるのに時間がかかりそうです。」

「ご主人さんはどんな人ですか?」

「ええっと、白いおヒゲで、茶色のコートで、ステッキを持っています!」

 

なんとその方はご親切なことに宇賀神先生を遠目に探してくださいました。

「この駐車場は個人の車でも入れるのですが、5分なら無料、それを越えると1時間1000円なんですよ。大型バスが来るまでは入り口手前のここにいてくださってもいいですよ。」

と、さらにご親切なことに、余分な料金がかからないようご配慮くださいました。

「また、入っても、5分以内にでてきたら無料なんで、皆さん5分以内で出てきてグルグル回って待機する人も多いですね。」

と、裏情報まで!?

 

あまりのご親切心に涙!

しかも、そうお話しながら、目はずっと宇賀神先生を探してくださっています。

世の中に、初めてお会いして、こんなにご親切にフレンドリーに対応してくださる係の方がいらっしゃるなんて。

まさに「神対応」。

思わず、

「ありがとうございますー!」

と、手を合わせました。

 

そのうち、私の車を見かけて、歩いてやってきた宇賀神先生を発見なさり、

「あっ、あの人ですかね!」

と、教えてくださいました。

もうカミサマです(T-T)

 

無事に宇賀神先生が車までたどり着かれ、係の方は最後の最後までご親切にしてくださいました。

あまりにもありがたく、私は何度も手を合わせました。

一度大型バスの駐車場に入り、「5分以内に」出て、ぐるりと回って空港を後にしました。

その際もう一度その方の前を通ったのですが、見送ってくださっていて、私は窓を開けて大声で「ありがとうございましたー♥」と叫びました。

 

本当に本当にご親切にしていただきました。

あの素晴らしくフレンドリーな笑顔。

車高の高い車でどうしようと思っていた私の不安を瞬時に察してくださり、どうすればいいかを教えてくださり、またずっと宇賀神先生の姿を一緒に探してくださいました。

 

もう、フライト欠航のハプニングなんかどこかへ吹き飛んじゃうよー♥と、幸せな気分になり、九州へ出発するべく再び高速に乗りました。

 

そして気づきました。

 

「あれ、この高速、大阪に戻る方や( ̄∇ ̄;)」

 

そう、どんくさいことに、九州へ向かう池田方面ではなく、家に帰る梅田方面の高速に入ってしまいました。

「きっとこれは大変な旅になるから、やめて帰りや、って言うてるんや!」

と言ったか言わないか?

ご想像にお任せします。

 

(まだ序の口、明日に続きます。長くてゴメン。)

 

 

旅に出られたのが嬉しくてたまらない宇賀神先生@サービスエリア

dance
嬉しそう!

いくら嬉しいからって、自販機の前で踊らなくてもいいですヨ♥

 

 

***

お知らせいたします。

 

昨日のタイトル「日々是平穏無事」ですが、去年の別の記事にも同じものを使っておりました。

うっかりしてしまい、申し訳ありませんでした。

昨日のタイトルに少し付け足して「日々是平穏無事2019」にしておきますね!

***

 

合掌

日々是平穏無事2019

あけましておめでとうございます。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で宇賀神先生と私はつつがなく暮らしております。

 

去年の秋頃からまたずいぶんと更新が途絶えておりました。

お許しくださいませ。

やはり少々体調が悪かったことと、とんでもなく(というほどではないのでしょうが)忙しく、落ち着いてブログを書くことができませんでした。

まあ、あれから色々とございましたよー。

楽しいこと、嬉しいこと、びっくりすること、しんどいことまで、盛りだくさんな2018年後半でございました。

色んなことがあるたびに、「ああ、これもブログに書きたい」「これも皆さんにお話したい」と思いながらもパソコンを打つことができず、残念に思っておりました。

またぼちぼちと更新してまいりますので、今年も何卒よろしくお願いいたします。

 

さて、前々回の記事で(と申しましてもすでに4か月ほどもたちました)、私がたった1日入院したことをお話ししてしまったため、多くの周りの方達にご心配をかけてしまいました。

申し訳ありませんでした。

数か月ほどたちました今でも、こっそりと私を気づかってくださるメッセージをちょうだいし、本当にありがたい限りです。

その度に皆さんのお優しさに涙する思いです。

ありがとうございます。

 

責任をとりまして?ここでその腹痛のご報告をさせてください。

新年早々私の身体の状態をさらけ出すのも、皆さんにとりましてもあまり心地いいものではないかも知れませんが、今でもご心配くださり、「お腹は大丈夫ですか?」と尋ねてくださる方達の為にも、お話しさせてくださいね。

 

MRIを取った結果ですが、幸いなことに結局ひどい病気らしきものは見当たりませんでした。

また、炎症反応や、感染症もありませんでした。

ただ病院の先生がおっしゃるには子宮筋腫があり、また、子宮内膜症による子宮と腸の癒着がかなりの広範囲になっています、と。

断定はできませんが、多分その癒着していることにより、ひどい腹痛が起きたのではないかということでした。

断定できませんとおっしゃったのは、ひとつには本来なら子宮内膜症でお腹が痛む時期でもなかったためです。

多分に婦人科の方が原因で腸を含めお腹全体まで痛んだのでしょうけれど、何が痛みの原因か断定できない以上、たとえば癒着をはがすような手術も、薬による治療(内膜症を進行させないために生理を止める、など)も、その手術や投薬のリスクの方が高すぎますので、敢えてしなくてもよいのでは、ということでした。

入院した日も結局大がかりな治療をすることもなく痛みが和らいでいき、そのまま翌日すぐに退院できましたし。

 

お医者さまからMRIの結果による診断をお話いただいた時には、「喉元すぎれば熱さを忘れる」のことわざそのままに、

「そうですよね!今はもうお腹も痛くなくこうして無事に日常生活も送っておりますし、敢えてそんなコワイことしない方がいいですよね!」

と、意気揚々として病院をあとにしました。

 

ご心配くださった方々、本当にありがとうございました。

この場をお借りして、御礼申し上げます。

 

 

それで、ですね。

 

その後はお加持の仕事や出張やお寺での勉強会、また勉強会のなかでも特に大事な年に一度の「直伝」講習会もございまして、あれよあれよという間に時がたってしまうような日々を過ごしておりました。

ちょっと、お腹というか腰まわりが少しつらいなあ、と思いながらも、この秋を乗り越えないと!と目まぐるしく動いておりますうちに、やっと忘年会と冬休みを迎えました。

その間、宇賀神先生まであまりの目まぐるしさに「わしも何だか腰が痛くなってきた」と、おっしゃる始末。

先生が今の「氣」をコントロールする力を得られたのも、若い頃のご自身の腰痛がきっかけでしたものね。

私の腰まわりが痛いのをご覧になり、仲良く共つわり( ̄∇ ̄)のように夫婦でぼやいておりました。

 

もちろん私の体調がひどくなる前には、宇賀神先生がその度に手当てしてくださり、また湯峰温泉や有馬温泉にも行って「氣」の充電をこころがけたりしながら、忙しい中なんとか乗り切りました。

 

そして冬休みに入り、無事に冬の湯治のために長崎の雲仙温泉に・・・行ったのですが、ちょっと無事ではございませんでした。

実はすんごいハプニングだらけの湯治旅となったのです(T0T)

やじさん、きたさんの珍道中も目じゃないくらいのドタバタてんこ盛りの旅でした。

「トラベルの語源はトラブルだとか?」なぁんて冗談を言って笑っておりましたら、最後の最後までトラブル続きの旅になり、イヤというほど痛感することになりました。

まるで宇賀神先生の人生そのものを象徴するかのようなドタバタ喜劇でございました。

 

あんまりにも凄い量のハプニングだったため、そのお話は明日からまたゆっくりさせてくださいませ。

1回ではとてもじゃないですが、書ききれません。

 

ですが、そのハプニング集にもかかわらず、本日のタイトル「日々是平穏無事」とは。

 

この言葉は、宇賀神先生がずいぶんと以前に深江のお稲荷さんにかけていただいたものです。

「ご無事でなにより」とか、「何事もなく」とか、よくご挨拶で申しますね。

本当に、平穏無事であることが何よりありがたく、また反面、「ありがたい」ということは「有り難く」もあるということ。

無事でいることは当たり前のようでいて、実はなかなか難しいということなのですね。

 

ですが。

旅先でどんなハプニングがあろうとも!

どんなびっくりがあろうとも!

お陰様で今こうして私達は日々是平穏無事に、つつがなく暮らしております♥

 

すったもんだ言いながらも何とも幸せで楽しい我が人生よv( ̄∇ ̄)v

ありがとうございます!

 

新年早々文脈も乱れてしまい、こんなふつつかな私(達)ではございますが、皆さま、今年も何卒よろしくお願いいたします。

今年一年の、皆さまのさらなるお幸せを心よりお祈りいたしております。

心楽しい日々を送りましょうね♥

 

 

今日のオマケの写真は、7日ということで、宇賀神先生が心を込めて作ってくださった七草粥(と、大根の炊いたん)です。

先生の心の優しさを表すかのような、優し~いお味でした(^-^)

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七草粥

 

そして早くこのお話を書きたい、「双子の宇賀神さま」♥

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双子の宇賀神さま

ねぇ、そっくりすぎません?

 

合掌

こまめな充電

先週末は湯峰温泉におりました。

「氣」のパワーの充電に、行きました。

(参照:湯峰温泉 その1その2その3その4美味しいオススメ熊野本宮大社さん

 

湯峰温泉では、前々回の台風20号の被害の方が大きかったようです。

すぐ近くの川湯温泉も川の水が溢れて、宿が浸水したりと大変だったそうです。

湯峰の東光寺さんの奥様にお聞きしました。

 

なんと悲しいことに、湯峰温泉の一番有名な「つぼ湯」の湯小屋の壁が流されてしまったとかで、建て直されているところでした。

宇賀神先生と私にとりましては、思い出のつぼ湯の建物がなくなり、寂しい限りです。

このお湯には、助けてもらいましたー(T-T)

 

湯小屋を支える四隅の柱から取り壊しておられるところでした。

rebuild
つぼ湯の様子

作業をしている方の、ちょうど左腰の奥に、岩で仕切られた「つぼ湯」が見えますでしょうか?

人が1~2人浸かるのがやっとの大きさです。

文字通り「つぼ」のような湯舟の底から、熱いお湯が湧いてきます。

 

湯峰に伝わる小栗判官と照手姫伝説を頼む一心で、ここに通い、氣を取り戻し、宇賀神先生は大病から復活なさいました。

今から15年ほど前の話です。

 

いつものように、東光寺さんの湯胸薬師さまにご挨拶いたします。

もちろん、一緒に祀られておいでのお不動さんにも。

 

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東光寺さんにて、お参り

こちらのお不動さんは、とっても凛々しいお顔をなさっています。

東寺さんの仏師をなさっていた方が彫られ、しばらくは熊野本宮大社さんにも祀られていらしたそうです。

ここ東光寺さんは天台宗のお寺さんですが、東寺さんはもちろん真言宗です。

様々なご縁を経て、こちらにいらしたのですね。

凛々しいお顔を写真に撮ることは気が引けますのでブログには載せられませんが、ぜひ一度ご尊顔を拝しに行かれることをおすすめいたします。

とてもパワフルなお不動さんです。

ちなみに、お不動さんの脇におられる矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)も、とてもキュートでいらっしゃいますよ♥

 

ところで、氣の充電(吐納導引)に関する宇賀神先生の実感としまして、「こまめなメンテナンス」が大事だなぁと、特に感じる今日この頃のようです。

 

宇賀神先生の不思議な力の原点は、何と申しましても「氣」。

この一語につきます。

子供の頃に「日本ターザン」に出会われ、氣という存在に初めて触れられたときから、やがて密教に出会ったあとも、氣が根源的なエネルギーであるという感覚には変わりありません。

(参照:「氣」という概念その1 & その2

 

ですが、若い時は汲めども尽きぬ泉のように、どこから来るのかと不思議なほど身体から溢れ出ていた氣の力も、年とともに衰えることは否めません。

もちろん、その氣を使いこなす技術は衰えるのではなく、ますます熟達なさっています。

例えて申しますなら、量から質へ、というところでしょうか。

さらに、氣を土台に密教の作法や神佛のご加護と、氣だけでは測ることのできない尺度の世界にも、目を開かれました。

 

それでも。

 

それでも、やはり。

 

宇賀神先生は、ご自身でも

「わしは氣・一元論者だから。」

と、原点である氣への強い思いと、やはり実際の体感がございます。

 

ですので、自然の作用として年齢とともに氣の力が衰えますなら、それを上回るほどに氣を取り入れ、体内で練り(これを気功と言います)、量と質を共に高めなければなりません。

 

宇賀神先生はこのことを、

「氣・一元論者なら、蓄氣参養(ちくきさんよう)は、一生しなければならない。」

とおっしゃっています。

蓄氣参養とは、氣の吐納導引(氣を体内に取り入れて練る)のことのようですが、パソコンの漢字の変換では出てきませんね。

 

ということで(?)、

今週末もまた、多分どこかの温泉地へ♥

サンダース号に乗って参りますv(^-^)v

ようやく涼しくなってきて、車中泊を楽しめる季節がやって来ました。

ただ車中泊で連泊となりますと、パソコンの電池が途中で尽きてしまうのが悩みです。

 

あ、そうですね、氣の充電も、パソコンの充電と同じでしょうか?

新品のうちはパソコンの充電池も一度充電しますと長時間もっておりましたが、数年で電池の「持ち」も悪くなりますね。

こまめな充電が必要になります。

人間の身体も、機械も、似たようなものですね。

 

こまめなリセット。

こまめな充電。

こまめなメンテナンス。

 

経年とともに、尚のこと。

 

大事ですねぇ。

 

自分の身体もこまめにリセット(ちゃんと睡眠とか♥)してあげようっと!

ということで(!)、明日のために今日も寝る←私の大好きな言葉です( ̄∇ ̄)ことといたします。

 

では皆さん、よい夢を♥

 

合掌

人生山あり谷ありと言いますが、「谷間の春は花が咲いて」いました。

皆さん、こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

またずいぶんと長い間更新せずにおりました。

 

実は私は8月の末に体調を崩し、人生初の入院をしたのでした。

と言いましても、たった1日でしたが。

少しひどく、しかも3日も続いている腹痛でしたので近くの病院に行きましたところ、お医者さまが

「念のため『何があっても対処できる』大きな病院に入院しましょう」

と、強く薦められました。

紹介してくださった大病院には自力でタクシーで行けますとお伝えしたのですが、入院することに決まった時刻が夜の8時に近かったせいでしょうか、受け入れる病院側の都合により、救急車で来てください、ということになりました。

行く先の病院は国立でした。

 

私の症状よりもっと緊急の方のために救急車を空けておくべきなのでは・・・と思いましたが、そのようなシステムなのでしょうか、手配していただいた救急車にありがたく乗りました。

 

ですが人間の身体は不思議ですね、「救急車に乗って入院するなんて、大変なことになった!」と思ったあたりから、お腹の痛みが自分でも驚くほどスーッと楽になってきたのです。

もちろん痛いことは痛かったのですが、それまで立っているのもつらいほどだった痛みがずいぶんとましになってきました。

そのこともお伝えしたのですが、やはり「念のため」と、手厚い看護をお薦めしてくださいました。

 

たしかに、交通事故などにあった場合、事故直後は緊張のため怪我などをしてもあまり痛みを感じないことがあるようですね。

「大変だ!」「緊急事態だ!」というときの人間の身体の防衛機能なのでしょうか。

 

とにもかくにも、私は人生で2度目の救急車に乗り、初めての入院をすることに。

国立の病院に着いて、いくつかの検査や診察を受けました。

もちろん他にも救急で運ばれてきた方達が数人いらっしゃったためか、全ての検査・診察が終わったときには午前0時を過ぎていました。

そこで働いておられるお医者さまや看護師さんたちのお働きには、もう本当に頭の下がる思いでした。

夜中も何も関係なく、明かりが煌々とついて、皆さん忙しく立ち働いておられます。

看護師さんもとても親切にしてくださいました。

こんな夜中を過ぎてまで、と、ありがたい気持ちでいっぱいでした。

 

自分の身体がつらいときは特に、人様の情けが身にしみますね。

皆さん本当に優しく接してくださいましたので、あんまりにもありがたくて涙が出てきました。

日本は本当にありがたい国だなぁ。

多分は命に関わるような重い病気でもない私に、こんなに手厚い医療を受けさせてくれて。

こんなに遅い時間なのに、お医者さまも看護師さんも救急隊員の方も、皆さんイヤな顔ひとつせずに本当に優しく接してくださって。

 

数日続いたお腹の痛みもあいまってか、カーテンで仕切られた救急治療室の中、ちょっぴり涙を流しました。

「歩くのもつらいような腹痛が続いて入院することになった」という出来事だけを見ますと、あんまり幸せなことではないかも知れません。

ですが、そのとき私は本気で「私は幸せ者だなぁ」と、ありがたい気持ちでいっぱいだったのです。

自分でも驚いたのですが、そのとき流した涙は、まぎれもなく幸せを感じて出てきたものでした。

ポジティブ・シンキングというより、脳天気にもほどがある?と言ったほうがいいかも知れませんね(^-^)

 

そして、そのとき何故か思い出しましたのは、ずいぶんと以前に父が一度だけ歌ってくれた「銀色の道」の一節。

「遠い遠い 遥かな道は 冬の嵐が吹いてるが 谷間の春は花が咲いてる」

というところです。

 

そうかー、「人生山あり谷あり」って言うけれど、谷にも花は咲いてるもんねぇ。

 

しみじみと、実感いたしました。

 

私はこの歌の一番最後の歌詞の、「近い近い 夜明けは近い」っていうところが一番好きなのです。

大人になり、人生で2番目につらかったとき、「明けない夜はない」って自分に言い聞かせていました。

そして果たして、夜はちゃんと明けたのでした。

 

谷間の春は花が咲いている。

暗い夜は必ず明ける。

そして、その夜のとばりにさえ、目を向けると綺麗な星が輝いているのです。

その谷の花に、夜の美しい星に、気づける心でいられますように。

 

本当に、お世話になりました病院関係の方々、ありがとうございました。

皆さんのお陰で私は安心して暮らしていられます。

昼も夜も関係なく働いてくださり、ありがとうございます。

 

ただ・・・人生初の点滴は、痛かったなぁー(T-T)

「ただの生理食塩水でしたら、自分でお水飲めますから注射(点滴)はイヤです♥」

ってカワイイふりして?頼んでみましたが、あえなく却下。

プチュッと刺されてしまいました。

普通の血液検査の針と違って、痛い針だったなぁー(ToT)

仕方なく、記念撮影しました。

IV
人生初の点滴

 

さて、私が点滴で痛い思いをしておりますとき、うちの旦那さん(宇賀神先生)はと申しますと、ちょっぴり不安な夜を過ごしたようです。

口では「綾野がそんな怖い病気のはずがない!万が一なってもわしが治してやる!」と強気なことを申しておりましたが。

たとえお医者さまでいらっしゃっても、お身内の方が病気を患われますと、なかなか冷静ではいられないそうですね。

私が入院した翌朝、宇賀神先生はいつも通りお仕事をしてくださっていましたが、

「奥さんがお家にいないと、やっぱりダメね♥」

と言いたくなるようなお顔をなさっていました。

 

9月に入り、先週にはMRI検査にも行ってまいりました。

MRI検査も始めて受けました。

検査中には動かないでください、呼吸も浅い呼吸で、と言われておりましたのに、あろうことかMRIの機械の騒音のなかワタクシは、

「ぐう。」

と、寝ておりました。

検査終了時に思わず、

「寝ちゃってたみたいなんですが、動いてなかったですかね?」

とお聞きし、看護師さんに笑われてしまいました。

我ながら・・・お恥ずかしい( ̄∇ ̄;)

 

結果と診察はまた来週です。

ちょっと怖い気もいたしますが、お医者さまや、宇賀神先生や、神さま佛さまにお任せ!で、結局何だかんだで幸せにしていることを願っています。

どうあっても、幸せでいられますように。

 

また今回のことで、病院関係の方達ばかりでなく、私の周りの色々な人達のありがたみも愛情も、ひしひしと感じました。

宇賀神先生や両親はもちろんのこと、退院後すぐ東京出張だったのですが、そこで私を心配して見つめてくれる人達がいてくださいました。

「綾野さん、阿闍梨(宇賀神先生のことです)に滅私奉公もいいですけど、お身体大事にしてくださらないとだめですよ。」

滅私奉公・・・教科書以外のリアルタイムでは初めて聞いた言葉です。

「宇賀神先生がついていらっしゃるから、心配していません。」と言いながらも、心配そうに見つめてくれるまなざし。

「MRIの検査結果が出たら、ぜひセカンドオピニオンとして、とてもいいと評判のお医者さまを紹介します」とご提案くださった方。

など、など。

あぁ、私はこんなにもありがたい人達に囲まれているんだなぁ、と、じわじわと感謝の気持ちに包まれておりました。

 

綾野は幸せ者です。

ありがとうございます。

 

そして何より今回一番の役得?は、その東京出張の際、私の大好きな銀座4丁目の交差点で、かの「銀座の美しい女(ひと)」の真珠の涙を見られたこと。

その方は心から心配して、私のために涙を流してくださいました。

思わず、ぎゅうっと抱っこ♥♥♥

大好きな銀座の交差点で、大好きな美しい方とハグしちゃいました(^-^)

うーん、幸せ!

 

ちゃあんと、縄文展にも間に合いましたよ!

jomon
縄文展にて

歴史大好きの宇賀神先生。

 

ついでにオマケ。

poster
お寿司のふり。

銀座4丁目に向かう電車の中で、あまりにも可愛すぎるので写真を撮りましたら、「銀座の美しいヒト」がひと言、「阿闍梨と綾野さんみたいですね。」って・・・。

どういう意味だろう( ̄∇ ̄)

 

ちょっと今日はお話が長くなりました。

長い間休んでおりましたためと、お許しくださいませ。

 

その間、大阪を直撃した台風や北海道の地震など、天災も多い夏でしたね。

私の大好きな深江のお稲荷さんのご神木も、大きな枝をたくさん落としておりました。

被害に遭われた方達には、心よりお見舞い申し上げます。

また、一日も早く平穏な日々が戻りますこと、心よりお祈り申し上げております。

 

皆さまのご無事を、心よりお祈りいたしております。

今日もお読みくださり、ありがとうございました。

 

合掌

嵐を呼ぶ男、見参!

東北への旅から帰って来ました!

今回の旅も走りましたよー。

体力の無い私は行き帰りの運転でグッタリ、温泉に英気を養いに行ったのか、運転で疲労しに行ったのか分からなくなってしまいました(^-^;)

 

ひとり元気なのは、このお方。

grape
マスカット片手ににっこり。

 

道中は、稲穂の緑がとてもきれいなのが印象的でした。

green field
緑の美しい田んぼ

見てください(^-^)この美味しそうな、間違えました、美しい田んぼの緑♥

見渡すかぎり広がる美しい緑に、心洗われる思いでした。

山の自然の緑と、日本人が営々と耕し育ててきた田畑と。

お陰様で美味しいお米をいただいておりますと、頭がさがります。

 

北の国の美味しいお弁当と、大好きなクッキー♥

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北の国のお弁当

「今まで食べた中で一番美味しい炊きこみご飯だー♥」と、宇賀神先生も大喜びでした。

水と空気の綺麗なところは、本当に何をいただきましても美味しいですね!

私は自分の生まれ育った大阪が大好きなのですが、ただひとつ、水と空気があんまり綺麗でないのが残念で仕方がないのです。

大阪も昔は東北のように水と空気も澄んでいたのでしょうね。

 

さて、今年も湯治しておりましたのは、岩手県と秋田県の県境にございます、国見温泉の石塚旅館さんです。

宇賀神先生がずっと若い頃から通っておられる温泉です。

「何歳のころから通ってるの?」と尋ねますと、「23歳のときから。」ですって。

おおよそ半世紀・・・( ̄∇ ̄)

もはや歴史ですな。

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石塚旅館さんの前にて

「写真にサンダース号も写して♥」って絶対言う宇賀神先生。

サンダース号の横顔と。

 

ちなみに露天風呂は男女混浴ですので、私は入ったことがございません。

関西人にはなじみの薄い文化ですね。

宇賀神先生は露天風呂が大好きでいらっしゃいますので、よく入られます。

ですが、この時期はこの山の上にもアブがぶんぶん飛んでおります。

露天風呂は手ぬぐいでアブと格闘しながら入るのだそうです。

なにを好き好んでそんなオソロシ気なお風呂に・・・(T-T)

 

この、外にポツンと建っておりますのが、露天風呂です。

はっきり申し上げまして、外から覗き放題。

この写真では分かりにくいかも知れませんが、小屋になっているというよりは、前面に壁があるだけです。

やっぱり関西人にはハードル高すぎます。

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国見温泉の露天風呂

奥の岩と岩の間の緑色が、温泉の色です。

見えますでしょうか?

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露天風呂

 

そう、ここのお湯はまるでバスクリンを溶かし入れたような鮮やかなグリーン色なんです。

あまり他では見ない不思議な色をしています。

もちろんお湯の良さはバツグン!

温泉の「氣」も、めちゃくちゃ強いです。

宇賀神先生は、ご自身の氣を高めるためにも、素晴らしい氣の温泉ばかりを目指して湯治に行かれます。

 

ちなみに、これは内湯です。

泳げそうなほど広い浴槽に、この緑!

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国見温泉の内湯

 

宇賀神先生が惚れ込んで半世紀近くも通ってらっしゃるのも大いにうなずけるくらい、強い強い温泉です。

あまり熱心に入りすぎますと、湯あたりもひどくなります。

 

宇賀神先生がよくおっしゃるのですが、草津温泉には道端にたくさんの小さな墓標があるそうですね。

それは、昔から名湯として名高い草津のお湯に病気を治してもらおうと来た人達が、弱った身体には強すぎる温泉に負けてしまい、そのまま旅先で亡くなられたという、そんな墓標なのだそうです。

国見温泉も、そんな草津のお湯と同じくらい、全国でも稀なほど強い温泉です。

効きますよー(^-^)

 

国見温泉は石塚旅館さんを含め、たしか2軒の旅館しかなかったと思います。

冬は深い雪に閉ざされてしまい、道路も封鎖され、5月~11月のはじめ?くらいまでしか営業なさっていません。

水は湧水、電気は自家発電という、素晴らしく外界から隔離された場所ですが、お車でしたら案外走りやすい道です。

ぜひ一度足をお運びいただき、めちゃくちゃに氣の強い、バスクリンみたいな緑のお湯に浸かってみてくださいね。

携帯電話ですが、AUさんとドコモさんでしたら、通話のみ、工夫により場所により(駐車場のこの位置、とか)つながる、ときもあるみたいです。

でも途中で切れるときも多々あるようです。

ネット回線はかなり難しそうです。

せっかくですから滅多にない機会、デジタルデトックス(あえて電波をつながない)も合わせておすすめいたしますけれど。

 

そうそう、それで、タイトルの「嵐を呼ぶ男」のことを忘れておりましたが。

何を隠そう今回の旅は、行く道のみでなく、帰り道まですごい土砂降りの雨に見舞われました。

日程の少し早いうちから日本海側をずっと南下して帰ってきたのですが、まあー、ここまでひどくなくても、というくらいの大雨と風でした。

秋田県の鶴岡西インターからあつみ温泉インターまでの日本海東北自動車道が、雨のため通行止めになるくらいでした。

地道では対向車のはねた水で、一瞬視界がゼロになることも2回ばかり(T-T)

覚悟はしておりましたが、ちょっぴり怖かったですね。

前回の記事で、嵐を呼ぶ男&雨女のコンビです♥なぁんて書いてしまったタタリでしょうか、と諦め?というより悟り??の境地でございました。

「ほらね、世界はアナタの思った通り♥」っていう引き寄せの法則そのままに、嵐の恩恵を被りました。(参照:引き寄せの法則

 

いえいえ、いいんですよ!

晴れの日よりもなお一層、安全運転を心がけたらいいだけの話ですから!

恵みの雨ですものね!

青い空と海の景色も綺麗ですが、空と海の境目のないグレー色の景色も、それはそれで美しいですから!(これは本心♥)

車のフロントガラスの視界が一瞬ゼロになっても、ワイパーがすぐに水をよけてくれますからね!

平気だもん!

 

強がりなんかじゃ、ないですよーだ(T-T)(T-T)

 

合掌

「嵐を呼ぶ男」あるいは、めげずに人生をよりよくする方法?

昨日から仙台におります。

宇賀神先生の出張のお仕事と、霊地聖地巡拝と、氣の練功と、お墓参りを兼ねて、またまた890kmの距離をサンダース号でひた走り、やって参りました!

出発前には「運の悪さの補い方」改め「運をよくする方法 その2」をちゃんと書こうと思っておりましたが、用意でバタバタしていて、間に合いませんでした。

申し訳ありません。

またゆっくり、そんな話題も更新していきたいと思います。

今日はせっかくですから、旅先の様子などもご紹介しつつ、運に関する少々の考え方も。

 

まずは一昨日、8月8日の出発日。

2時過ぎくらいまで仕事をしてから家を出ました。

悲しいくらいのトロ子(何をするのも遅い)の私は、なかなか大阪を出発できず、しかも「さあ車を発進したよ」と思っても、ちょっと立ち寄った複合型商業施設(エディオンとかカインズとかマクドナルドとかが入ってました。)で宇賀神先生が、

「綾野さんっ、見て見て!スライド式のエスカレーターがある!珍しいんだよー。乗ろう乗ろう♥乗ろうよ!!」

と、何の用もないのに2階へ。

escalator
スライド式エスカレータを嬉しがる先生

そんなに嬉しい?

あんまり言いたくないですが、運転手の私は、気持ちはすこ~し、急いでるんですけどね( ̄∇ ̄;)

お構いなしに、はしゃいではります。

ピースサインまでして、よっぽど嬉しかったのね♥

あの、雪の鎌倉のことを思い出しました。(参照:旅に飲んで・・・

 

その後は順調に北陸自動車道まで走り、何度も泊まったことのあるお宿?、尼御前(あまごぜん)サービスエリアに到着しました。

このサービスエリアには、森があるのです。

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尼御前サービスエリアにて

宇賀神先生の奥に見えますのが、「日本全国どこでもお家」の、われらがサンダース号です。

尼御前は海が近くで森もあって、比較的夏の車中泊でも寝やすいのですが、さすがに今年は暑かったですねー。

夜中すぎくらい?に、ようやく涼しくなりました。

 

翌朝出発前に、サービスエリアのガソリンスタンドで給油しますと、スタンドの方が

「あれ、以前も来られました?」

と、話しかけてくださいました。

なんと年に1~2度給油するかしないかの私達を覚えてくださってたのです。

何百、何千という車が給油するスタンドの方が、と、びっくり。

ちらっと名札を拝見しますと、「マネージャー」と肩書きが書かれてありました。

さすがプロの方ですねぇ。

こんな出会いも旅の楽しみだったりします。

 

さて。

 

先日、私の泣けてくるほどのくじ運の悪さをお伝えしましたが、私はもうひとつ、カナシイ運に恵まれております。

あんまり大きな声で言いたくはないですが、私はちょっと「雨女」なのです。

 

この日はおでかけ♥と思っておりますと、だいたい雨になり。

雨の日に出かけようとしますと、今まで小降りだったのに、家を出た途端ざあっと降りだしてくる。

極めつけは商店街のアーケードから出ようとした瞬間に雨が激しくなり、アーケードに帰ってきたら、小降りになるという。

 

なんなん、このタイミング(T-T)

と、思うことはしょっちゅうです。

 

ところが、大きな声では言えませんが、宇賀神先生も結構な確率で雨男なのです。

不思議なことに深江のお稲荷さんにお参りさせていただくときだけは、今まで降っていた雨もちゃんと止んでお参りさせていただくことも多いようですが、出かけようかなーと思ったら雨、どころか、嵐のことも多いのが宇賀神先生なのです。

 

この、夏のお盆に合わせて仙台出張をする際に、台風と追いかけっこしながら仲良く北陸自動車道を北上するなんてことも、今まで何度もございました。

現に今回の仙台行きも、まさに「台風13号と仙台で待ち合わせしてるの?」と言いたいくらいのタイミングでした。

 

大阪を出た日の夜には台風13号が東京へ上陸かと予報されていた日で、翌日の仙台到着の日の15時頃には台風も仙台到着予定という。

私の父が、あまりのタイミングに心配して、出発した翌日の尼御前サービスエリアにおりました私に、メールで天気図を送ってきてくれたほどでした。

ですが、宇賀神先生は

「絶対大丈夫だから!」

の、一点張りです。

 

宇賀神先生のすごい?ところは、「めげない」ところです。

雨男という悲しいネーミングに甘んじるのではなく、

「わしは『嵐を呼ぶ男』だから♥」

と、ちゃっかり(都合の)いいように言ってはばかりません。

しかも嬉しそう~に、そうやって人にお話なさるのです。

石原裕次郎さんの映画のタイトルなんですよね?たしか。(ジェネレーションギャップで私は見たことはございません、と、ちゃんと言っておこうっと。)

 

私の目から見ますと、宇賀神先生の人生はまさに波乱万丈。

運もいいのか悪いのか、いえ、まあ、ホンネを申しますと、多分かなりいいとは正直思います。

普通の人にはない、目に見えない力で人の病気を治したり、神さまや佛さまに出会ったり、しかも26歳も年の離れた若くてカワイイお嫁ちゃん(私のことです♥)と結婚したり。

(すみません、またドサクサにまぎれて・・・( ̄∇ ̄))

 

ですが、当たるときは「大当たりー!」ですが、外れるときは「トコトン大外れ~!」なことも多いのが宇賀神先生なのです。

今まで生きていらしたなかで、命を落としかけたことが3~4回、いえ・・・5~6回?

小さい頃は学校で「異常児」の烙印を押され、ご両親が健在にもかかわらず孤児院に入ったこともあり。

ですがそのご縁で初めて佛さまにも出会われて。(宇賀神先生と佛さまとの出会い

 

波乱万丈ということは、アップダウンのアップも普通の平均ラインよりは高いですが、ダウンの方も世間様よりも深いということ。

ですが、宇賀神先生は持ち前の明るさで、めげません。

「雨男」の自覚くらい、「嵐を呼ぶ男」と都合よく言いかえ、笑い話のネタにされます。

 

なぁんでも、笑い飛ばしちゃう。

 

その明るさが、また運のよさを引き寄せてくるのかなぁ、と思います。

 

今回も出発前はさんざん「台風13号と仙台で落ち合います!」と言っていたのですが、ほぼ何の影響もなく、本当に台風来てるのかしら、というくらいのスムーズさで無事到着いたしました。

サンダース号は車高が2.6mと高く、風の影響をとても受けるのですが、それも一度も怖い思いをすることなく、走れました。

磐越自動車道から東北自動車道あたりで交通規制なども覚悟しておりましたが。

本当に助かりました。

 

「ほらね、大丈夫だったろ?」

と、なぜか自信満々の宇賀神先生。

 

ですが、宇賀神先生のことですから、たとえもし台風でひどい交通規制にあったとしましても、雨風で少々怖い思いをしたとしましても、後になれば必ず

「大丈夫、何の問題もない!お陰で無事着いた!」

と、また何かのネタにして笑い飛ばしてしまわれてたでしょうね。

 

そんな先生は、今回は仙台到着日に無事お墓参りも済ませられ、先生のお父様の代から通っておられるうなぎ屋「いわま亭」さんへ。

お父様もお母様も法事の後は必ずここへ、家族皆でいらしたそうです。

 

「いや、だからね、わしじゃなくって( ̄∇ ̄)

親父がビールで、お袋が日本酒がいいって言うんだよ。」

と、今回もお父様とお母様をダシに、アルコールをたくさん召し上がる先生でした。

beer&sake
いわま亭にてビールとお酒!

 

首をかしげて、カワイイふりをしてもダメですよ!

お酒を飲み過ぎては、お身体さわるのですから。

「めげない」は素晴らしい才能ですが、たまには懲りてくださいね(T-T)、と心で泣くワタクシでした。

 

***

 

また明日午後より4日ほどは、携帯電話の電波も届かない山奥におります。

そこは電波も来ない、水は湧水、電気は自家発電という、現代のユートピアです。

ブログ更新は下山後、あるいは帰阪後になります。

またお待たせいたしますが、ご了承くださいませ。

よろしくお願いいたします♥

 

合掌