「宇賀神龍仙、がんばっております!」

先週のいつでしたか、ある晴れた日のことです。

時間があった午後、宇賀神先生とお散歩がてら、いつもの深江のお稲荷さんにお参りに行きました。

 

お参りが終わって鳥居を出る前に、珍しく宇賀神先生が嬉しそうに、

「お稲荷さんがね、『それはいい神頼みの方法だ』って褒めてくれたよ。」

と、おっしゃいました。

「お願いごとはしない」が原則の神さま佛さま参りですのに、「いい神頼みの方法」とお聞きしましては、興味津々です。

先生にすぐさま、

「へえー!どう言うたん?」

と尋ねますと、

 

「『本日もこんないい日にお参りさせていただきありがとうございます。』って言ったあとに、『宇賀神龍仙、がんばっております!』って言ったんた(^-^)」

 

とおっしゃるではありませんか。

ええー!と、私はびっくり。

だって、つい前回の記事で、「がんばらなくていい」って先生が言ってくれました♥っていう話を書いたばかりですのに。

なのにその先生ががんばるの?

しかもその言葉をお稲荷さんが褒めてくださったの??

そりゃあ以前、「矛盾はあってもいい」とブログで書いたこともございますが、前回書いたすぐ後の今日の記事でひっくり返すなんて、いくらなんでも早すぎる身のひるがえし方です。

 

ちょっと動揺しつつ、

「でもこの間私が東京のセミナーに行くときに『がんばらなくていい』って言ってくれたとこやん?せやのに先生はがんばってるのん?」

と尋ねますと、

「それはわしのタチ(性質)だから。」

「わしはただ淡々と仕事をがんばるだけだから。」

「それがわしの生き方だから。」

「それで、『宇賀神龍仙がんばっております!』って言ったら、『人間ががんばってこそ、神は応援しやすい』ってお稲荷さんが言ってくれたんだ。」

とのこと。

 

うーん、そっかー。

たしかに以前も

「おのこ奮い立て!さらば神も奮い立たん!」

というお言葉を神さまから頂戴した、と宇賀神先生がおっしゃってましたが。

 

ですが同時に、がんばるといっても額に青筋たててこぶしを握り締めてがんばるわけじゃない、ともおっしゃってました。

そんな風に力を入れ続けたからといってお加持はうまくいくわけじゃない、と。

 

力いっぱい入れ続けるというよりは、

ただ粛々と、己の為すべきことをなす。

心の奥底にたしかにある、静かな情熱とともに。

それを称して「宇賀神龍仙、がんばっております!」とお伝えしたのだそうです。

 

そして、宇賀神先生の為すべきこととは、「佛さまのお手伝い」です。

佛さまのエージェント(手先)となって、お加持をして、人さまの病いや苦しみからの救い手となる。

それが先生にとりましての佛さまのお手伝いなのです。

宇賀神先生が今のお仕事を始められて40年以上たちますが、初めからずっと変わらない先生の願いであり、生き方です。

 

そうして佛さまのお手伝いをしようと心から願う宇賀神先生だからこそ、「神も応援しやすい」と、お稲荷さんがおっしゃってくださったんですって。

 

「あせるな、めげるな、くじけるな」

と、以前にもお稲荷さんにお言葉をいただいたこともございました。

そのお言葉通り、晴れの日も雨の日も、いいときも悪いときも、ただ一歩ずつ自分の道を歩む。

「それがわしの生き方だから」と先生はおっしゃいました。

「そうして生きていくことが、わしの人生の物語となるんだ」と。

 

いろいろな知識を覚えるのも「物語を読むように」なら、人生そのものもやがて物語となる、と宇賀神先生はおっしゃいました。

よく、人生はタペストリー(織物)のようだとも例えられますね。

たくさんの色の糸が複雑に組み合わさり、少しずつ少しずつ織られていくタペストリーのようだと。

そしてそれをあるとき、ふと遠くから眺めますと、模様(人生の物語)が描かれていることに気づきます。

 

できることなら私の人生のタペストリーには、美しい模様が描かれていることを願っています。

それを物語として例えるなら、幸せな物語、でしょうか。

私はハリウッド映画が好きですが、やはりハッピーエンドのお話が大好きです。

その中でも「アイアンマン」や「ターミネーター・ジェネシス」は、多分軽く100回は超えるくらい見た(BGMとして聞いた)と思いますが、ああいう感じの物語が超・好みです。

SFアクション映画、ときにシリアスで、ときに面白おかしく、根底を流れるものは愛であり、そしてやっぱり最後はハッピーエンド!

よくよく考えますと、いまのところ、宇賀神先生のお陰で私の人生の物語はまったくもってこの通りです。

 

アクションだけはほど遠いですが(運動音痴なので・・・)、

SF = 目に見えず、一般的には実存を証明されていない神さま佛さまの世界をリアルに感じている。

シリアス = 本人はまじめに生きているつもりです(?)

面白おかしく = 宇賀神先生の存在そのものが面白い。一緒にたくさん笑えます。

愛 = 照れるやん( ̄∇ ̄)♥

ハッピーエンド = まだ終わってませんが、楽しい日も、ケンカする日でさえも、途中経過がずっと幸せです!

 

おお、自分で書いててびっくりですが、映画の好みのまんまですね!

まさかSFというところまで映画の好みそのものだったとは、今気づきました。

なんてありがたいのでしょう。

ちなみに、宇賀神先生はSFのことをサイエンス・フィクションではなく「少し不思議 = Sukoshi Fushigiの略なんだ」( ̄∇ ̄)って、いつも嬉しそうにおっしゃいます。

ね、この人といると楽しそうじゃありませんか?(私だけ?)

 

そうそう、実は本日1月28日は、宇賀神先生と私の結婚(入籍)記念日なのでした!

うちのお寺は「光明不動寺」と申しますので、記念日をご本尊のお不動さんの日(28日)に合わせたのです。

11年前の今日、私は結婚届けを提出しに1人で市役所に行ったのですが、そのときの受付番号は「108番」。

ボンノー(煩悩)の数そのままやん!と笑いそうになったのを覚えています。

しかも受理されるのを待っておりますあいだに、あろうことか私は寝こけてしまい、市役所の人が「108番の方~。108番の方~。」と何度も呼んでおられるのを夢うつつに聞いておりました。

「108番の人、呼んではるでー。」とウトウトと心の中で思い、「私のことやん!」とびっくりして目が覚めました。

そしたら市役所の人は私が「108番の方」だと分かっていらして、こちらをじっと見て呼んでおられました。

知ってんねやったら名前で呼んでくれはったらすぐ起きたのになー(T-T)

ポカンと口開けて寝てたん見られてたんやー(T-T)

恥ずかしいなー(T-T)

と心の中でボヤきつつ。

結婚初日からコメディー映画気味だったのを思い出しました。

 

私の人生が幸せで、面白おかしい物語であることに感謝します♥

 

合掌

「物語を読むように。」

今日はお仕事の宇賀神先生を放っておいて、私1人で東京に弾丸日帰り旅行です。

ちょっとしたセミナーに参加しようと思って、先生にご無理を申しました。

いつものことですが、先生は快く「いってらっしゃい」とおっしゃってくださいました。

 

ちょっとびっくりしましたのは、昨日の夜そのセミナーのことで宇賀神先生と話しておりましたときに、「勉強」について先生がおっしゃった

「覚えなきゃ、と負荷をかけない方がいい」

という言葉でした。

曲がりなりにもセミナーですから、私は何かしらを学ぼうと思って行くのですが、宇賀神先生は、

「がんばらなくていい」

とおっしゃいました。

「受験生じゃないんだから」

「無理して覚えたものはすぐに忘れる」

と。

 

ちなみに私は、自分で言うのも何ですが、中学校までは優等生でした。

学年トップの成績で、高校も進学校に入れました。

それが高校生になり、クラブ活動で腰を痛めるころには学業の方もこけていたのですが、やはりどこか根っこの部分で「いい子ちゃんの優等生」でいようとするのです。

 

ですので、

「勉強はがんばるもの」

「勉強だけでなく、何でもがんばらなくては」

ということは、

「がんばれないと自分はダメな人間」

と、ついつい思ってしまいます。

 

ところが、宇賀神先生はそんな私に

「がんばらなくていい」

と、いつもおっしゃってくださいます。

そしてそれは何も勉強に限らず、日常の色々な場面でそうおっしゃってくださるのです。

「無理は無理を呼ぶから」

と。

 

かすかに優等生だった遠い記憶があるものの、本当の本当はメンドクサがりでナマケモノの私は「がんばらなくていい」と言われるとホッとします。

そうしますと逆説的なのですが、自然と「やっていこう」と思えるのです。

 

それは無理をしてがんばるのではなく、自然と前に進む感じです。

ワクワクとした興奮や期待に突き動かされるのでもなく、やらなきゃという焦燥感に追い立てられるのでもなく、明るい日向をゆっくりと散歩するように、自然と前に歩を進めていくような感じです。

 

そう言えばいつでしたか、何かの話で私が父に

「がんばるわー!」

と言ったときに、

「期待してへんよ。」

と言われ、思わず笑ってしまい、また「期待している」と言われるより逆に嬉しかったことを思い出しました。

肩ひじ張ってがんばらなくていいと言われるのは、大きくてありがたい愛情だなあと思うのです。

 

ただ、そうは申しましても宇賀神先生は本当に色々なことをご存じです。

興味のある分野も多岐に渡り、身体や病気のことから佛教、歴史、地形学、料理、電車に航空機、戦闘機や武器、妙な雑学まで、本当に難しそうーなことからめちゃしょうもないことまで、ありとあらゆる知識と知恵がその頭の中に入っています。

私は本気で宇賀神先生のことを「歩くグーグル」と呼んでいるのです。

そして、だからこそたくさんの人が、宇賀神先生に色々なことをご相談なさるのでしょう。

 

なので、宇賀神先生に

「じゃあ、どうやって先生は色んなこと覚えたん?」

と尋ねました。

すると先生は、

「物語を読むように覚えるのがいいんだ。」

とおっしゃいました。

 

「物語を読むように」

 

たしかに、私もことあるごとに先生に歴史の講釈をお聞きするようになって、歴史はただの年号の経過ではなく、その時生きた人達の人生のドラマなんだと、生き生きとした映像とともに思えるようになりました。

そしてそれは歴史だけでなく、色々な他の知識も、先生の頭の中では物語りのようにつながっています。

博物館をご覧になられても、あっちの点(知識)とこっちの点(知識)がつながって線になり、面になり、立体となってリアルに先生の頭の中で命を得て展開されるのでしょう。

ですのでどこかの博物館で見覚えた知識があちらの話に結びつく、ということが容易に起きるのですねぇ。

 

そう言えば、学年トップの成績だった中学校の頃、私はガリ勉(死語?)した記憶がありません。

私はとてもいい先生に恵まれていたのです。

その先生達の生き生きとした楽しいお話を夢中になって聞いているだけで、いい成績を取れたのでした。

今思いますと、理科という科学の授業でさえ、ドラマチックな地球と宇宙のロマンの物語のように感じていた記憶があります。

私はクジ運は悪くても、「先生運」にはめちゃ恵まれている自信があります。

って申しましたら宇賀神「先生」が小躍りして喜びそうなので、黙っておきましょう( ̄▽ ̄)♥

 

今日も富士山は綺麗でした!

nihon-bare
本日も日本晴れ!

 

さて、この記事を新幹線の中で珍しく酔わずに書いておりましたら、電話がかかってきて、東京の会員さんの飼ってらっしゃるワンちゃんのご様子が悪いとご連絡いただきました。

少し以前より、多分に胸のところに病気があると獣医さんから言われていて、ワンちゃんも合わせて先生が病者加持をお引き受けしていたのでした。

私は今日の帰りにその方の家に寄って、ワンちゃんを元気にするお手伝いをしてこようと思います。

力不足は否めませんが、こんな私でも少しでもお力になれればと、まさに祈るような気持ちで参ります。

とっても健気で可愛い、小さな命の一助となれますように!

 

合掌

 

スジャータという名の。

これは、湯胸茶屋さんの温泉コーヒーです。

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温泉コーヒー

 

湯峰の温泉水でコーヒーを淹れますと、コーヒーがとってもまろやかになり、いっそう美味しくなります。

残念ながらインスタントコーヒーでは温泉水の香りに負けてしまい、かえってマズくなるのですが(実験済み)、レギュラーコーヒーですと本当に美味しくなります。

湯峰に行き、温泉につかって全身でお湯(氣)をいただき、コーヒーで身体の中からも温泉の氣をいただくのは、とても贅沢な心地がいたします。

 

ちなみに、この湯峰の温泉水は購入可能です。

公衆浴場のすぐ横で販売されており、10リットル100円です。

たくさんのポリ容器をもってきて買われる方も多く、皆さんそのお湯でご飯を炊いたり、お料理なさるそうです。

蛇口から10リットルも温泉水を出しておりますと、すごく高温になりますのでご注意くださいね。

湯筒の源泉温度も90度を超えているくらいです。

 

湯峰でお宿に泊まりますと、温泉水で作って供される湯豆腐や、翌朝の朝食で出される温泉粥も美味しいですものね。

温泉粥なんか、ご飯の「氣」の色そのままに、グリーンに輝いてみえます。

本当に、温泉粥はどなたがご覧になってもほんのり薄緑色。(多分)

 

私は、ときどき普通のご飯でも、それよりももう少し濃いエメラルドグリーンに輝いて見えるときがあります。(→ご飯の「氣」

それは、ご飯の氣の色が、そんな風に見えるのです。(私は色盲ではありません。)

そしてそんなグリーン色を放つご飯は、絶対に美味しい、大当たり!のご飯です。

湯峰の温泉粥をご覧いただけますと、

「そうか、あやのの言っているご飯の氣のグリーン色って、こんな風な色なんだ」

と、皆さんにもご納得いただけるのでは、と思います。

 

話が美味しい方の横道に逸れてしまいました。

 

今日お伝えしたかったのは、湯峰の温泉コーヒーそのものではなく、その左横についているコーヒーフレッシュ(ミルク)の名前の由来のお話。

写真では残念ながら、小さすぎて見えないでしょうか?

 

SUJAHTA

 

スジャータ、

と書かれてあります。

そう、これはかの有名なメーカー、スジャータさんのコーヒーフレッシュです。

そしてこのスジャータという名前は、じつは仏教とご縁が深いのです。

 

これは、仏教の開祖であるお釈迦さまがまだ悟りを開かれる前のことです。

 

ご存じの方もいらっしゃると思われますが、お釈迦さまはもとは北インドのシャカ族(日本語でシャーキャとも書かれたりします)の国の王子さまでいらっしゃいました。

ゴータマ・シッダールタという名前の王子さまでした。

「釈迦」というのは、シャカ族の出身であるという、一族の名前に由来します。

 

シッダールタ王子(お釈迦さま)がお若い頃、父親である王様は、王子に贅沢の限りをさせました。

と申しますのも、お釈迦さまがお生まれになったとき、高名な予言者がある予言を伝えたのです。

「このお方は王になられると世を統べる王となり、出家されると世を救う方となられる」

と。

 

出家などされてはかなわない、王位を継いでもらわないと、と、王様は、シッダールタ王子に春夏秋冬の4つの宮殿を与え、大勢の美女と美味しいご飯と、この世の贅沢といわれるもののすべてで王子を育てました。

王子は、この世に存在する「苦しみ」というものを一切知らずに済むように育てられたのです。

ですがシッダールタ王子はある時その幻想に気づかれ、家族も国も捨てて修行の道に入られます。

この王子の気づきは有名な「四門出遊」のエピソードですね。

 

ただ、お釈迦さまが修行の道に入られたとはいうものの、当時のインドで行われていた修行と呼ばれるもののほとんどは、バラモン教にもとづいた苦行でした。

しかもそれは極端に身体を痛めつけるような、時には死に至るほどの苦行です。

お釈迦さまも最初はこの苦行を色々となさいました。

高名なバラモン教の聖者のもとを尋ねたり、身体を痛めつけたりして、なんとかして悟りを得たいと、何年ものあいだ熱心に苦行を続けられました。

 

しかしある時、断食の修行をなさっていたお釈迦さまは、それこそ骨と皮ばかりになるほどやせ細られ、あわや命を落としかけました。

ガリガリにやせ細ったお釈迦さまの像をご覧になったことはございますでしょうか?

その像は、この悟りを得られる前のお釈迦さまを表しています。

 

そしてその、あわや命を落とすかというほど衰弱しきったとき、お釈迦さまはスジャータという名の女性から乳粥を施されました。

そう、乳(ミルク)で作ったおかゆさんです。

 

スジャータに施された乳粥により元気を取り戻されたお釈迦さまは、苦行には何の意味も無いと気づき、苦行をやめられ、沐浴なさり(身を清め)、菩提樹の樹の下で瞑想を始められました。

そしてやがて、そこで悟りを開かれたのです。

 

お釈迦さまが、極端な苦行には何の意味も無いという気づきを得られた、この乳粥のエピソードに登場するスジャータという女性の名前。

きっとこのエピソードに由来して、コーヒーフレッシュ(ミルク)のメーカーさんもスジャータという名前になさったのでしょうね。

 

湯峰温泉で温泉コーヒーをいただくときに、必ずついてくるのがこの「スジャータ」さんのミルクです。

ここ湯峰の地でこの名前に出会うとき、いつもお釈迦さまのこのエピソードを思い出します。

いいお話だなぁ、と思うのです。

お釈迦さまもお若い頃は迷われ、自らの内に救いを見い出そうともがき、やがて穏やかな世界に行きつくことができました。

涅槃(ねはん)、寂静(じゃくじょう)の世界です。

 

だからというわけではございませんが、宇賀神先生は水垢離(みずごり)よりは湯垢離(ゆごり)を好まれます。

苦行(水垢離)よりは、おだやかな修行(湯垢離)を。

穏やかというより、実は気持ちのいいお修行なだけですが。

いえいえ、本当は水垢離もとても気持ちいいお修行だそうです。

ただ、宇賀神先生は敢えて?なさいません(^-^;)

 

湯峰のお湯につかりますと、涅槃の境地とまでは到底行きませんが、すくなくとも寂静の心地がいたします。

やはり湯峰温泉は信仰の地の、霊泉ですからね。

ただの温泉ではございません。

 

寒がりのワタクシも、水垢離よりはやっぱり湯峰で湯垢離の方がいいかナ( ̄∇ ̄)♥

などと、フトドキなことも少々思いつつ、いつも美味しい温泉コーヒーをいただくのでした。

 

合掌

鼓動脈打つ湯峰のお不動さん

湯峰温泉の東光寺さんには、とても力強いお不動さんが祀られてあります。

以前にもチラッとご紹介しました。

↓↓↓

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その4

 

こちらのお不動さんは、東寺さんの仏師だった方が彫られたそうで、熊野本宮大社さんの方で祀られていたこともあるそうです。

はっきり言って、惚れ惚れするほどの超イケメン。

ちょっぴり強面。

 

私達はいつも湯峰温泉に行きましたら、必ず初日にほんのわずか、まさに貧者の一灯を東光寺さんにお供えさせていただきます。

そして今回はさらに、お正月の少し前から湯峰に滞在していて、先日の記事でお伝えしたようにお薬師さんに心癒していただき感謝しておりましたので、私は東光寺さんに改めて元旦のお供えもさせていただくことにしました。

大晦日の12月31日に、ちょうどご住職さんの息子さんがお納経の受付のところにいらっしゃいましたので、お供えをお渡ししました。

 

それは、はっきり言って下心。

息子さんに、

「明日2020年元旦の、新年一番初めの朝の勤行のお供えをさせてください!」

とお願いしたのです。

なんて素晴らしいチャンスなんだ、と、いつもの自分のトロさを挽回したいのか、たまには一番乗りしたいものだと「2020年の一番初め」を厚かましくお願いいたしました。

息子さんは快くお受け取りくださいました。

いい人や( ̄∇ ̄)♥

 

そして次の日、2020年1月1日、またいつものように湯胸茶屋さんで「きつねうどん&温泉コーヒー」のお昼をいただく前に東光寺さんにお参りに行きますと、お納経所の中から息子さんが私達に気づかれました。

そしてひょっこり顔を出され、

「宇賀神さん!よかったら中でお参りしてくださいよ!」

と、声をかけてくださり、また、佛さまのお供えのお下がりまでくださいました。

 

なんと光栄なことでしょう。

 

お堂の中でお参りさせていただくという、新年早々嬉しいご提案をいただき、宇賀神先生と私は、ありがたく中に上がらせていただくことにしました。

そして、左奥のお不動さんの前で、元旦のお勤めをさせていただきました。

 

ということで、とっても幸せな思いをさせていただきましたので、皆さんにも幸せのお裾分けを。

少し前に息子さんに、

「お不動さんのお写真をブログでご紹介させていただいても大丈夫ですか?」

とお尋ねし、ご了承いただいておりましたので、今回は特別に!

ハンサムなお不動さんを皆さんにもご紹介いたしましょうー!!

 

prayer2020-1-1
2020年元旦のお勤め

 

本当に本当に、幸せでしたねぇ。

新年早々、こんなに素晴らしいお不動さんの真正面でお勤めさせていただけるなんて。

じんじんと、お不動さんのお慈悲のお心が身に染み入るようでした。

額を床につけ礼拝したときに、涙がにじみ出ました。

 

以前にお伝えしたかと思われますが、宇賀神先生が若い頃、氣のお修行を自分なりになさっていたとき、一番初めに感得なさった佛さまは、お不動さんでした。

とってもご縁の深いお不動さん。

宇賀神先生もとても嬉しそうでした。

 

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湯峰のお不動さんと

 

この写真をお撮りしたとき宇賀神先生が、

「こうしてここに立ってるだけでもお不動さんからドクンドクンと脈打つパワーが押し寄せてくる・・・!」

と、感激なさっていました。

 

いやもう本当に、素晴らしいお不動さんなのです。

具体的にどこがどういう風に?と尋ねられましても、なかなか私の拙い言葉では説明しきれず、

「それはご自身のお心でお会いになり、感じてください。」

としか言いようがないんですけれど。

 

お優しいお薬師さんと、力強いお不動さんと。

すごい方々が湯峰にはいらっしゃいます。

 

湯峰温泉は温泉地として素晴らしいだけではなく、素晴らしい佛さまがいらっしゃる信仰の地でもあります。

何しろ世界遺産に登録された唯一の入湯できる温泉ですから!

人々が1200年以上も昔から、熊野詣でという信仰とともに入浴してきた歴史があるのです。

その中のお薬師さんとお不動さん。

こんなにひっそりとした谷合いの村に、と思ってしまうような、小さな小さな温泉街に、素晴らしい佛さまがいらっしゃいます。

 

湯峰温泉は世界遺産に登録されたこともあり、ここ数年は外国人観光客も増えました。

熊野古道を歩かれたり、温泉に入られたり、湯筒で卵をゆでるのまで楽しんでおられるようです。

私は何かと英語を話す機会が増えて嬉しい限り。

 

こんなに素晴らしい温泉なんだから、もっとたくさんの人に愛されるといいなぁ、と、いつも思っています。

全世界から愛される温泉♥

なんて素敵なのでしょう。

 

そして一人でも多くの方がお薬師さんやお不動さんのお心に触れ、その素晴らしさに巡りあえたなら、なんて素敵なのでしょう。

ハンサムなお不動さんを独り占めしたいワタクシの乙女心は置いといて(T-T)♥

 

ちなみに、東光寺さんでは拝観料をお支払いいたしますと、お堂の中に入れてくださり、ご住職さんや息子さんが佛さまのご説明をしてくださいます。

たしか、お薬師さんの御簾もあげてくださり、湯峰温泉のもととなりましたお薬師さんにお会いすることもできたと思います。

ぜひ一度お薬師さんにお会いになり、お不動さんの脈打つパワーをすぐ近くから感じてみられてはいかがでしょうか?

 

そうそう、そのお不動さんの年に一度のお祭りが3月28日と、上の記事でもご紹介しました。

今年は土曜日なんですよね。

私達が行こうと思えば、金曜日から湯峰に行っておけば、参加できます。

しかも出張の予定も今のところ外れています。

これはもう!と、ワタクシが虎視眈々と狙っているのは、言うまでもありません。

また近づいてまいりましたら、宇賀神先生におねだりしてみようと思います。

 

・・・あっ!

でもそうか、前日の金曜日は(クジ引きで当たった自治会長のお役目の)自治会の会議が・・・多分ある・・・いえ、絶対あります。

自治会の会議は第4金曜日開催でした、たしか。

夜中に到着覚悟で会議のあとサンダースで走るか・・・。

それで次の日に寝坊してお祭りに参加できなかったら元も子もないですねぇ(T-T)

私ならあり得ます。

そんなドジ。

 

かと言って金曜日はそのまま家で寝て、土曜日の超早朝に湯峰に向けて立つ、というのも、「ホントにちゃんと起きられる?間に合う?」って心配(T-T)

お不動さんのパワーがドオン!!と湯峰から届いて、びっくりして目が覚めないかな。

って、あり得へんなー(T-T)

 

ああ、今年の目標は早寝早起きにしよう。

それとも「クジ運がよくなる!」か。

いや、そもそもクジ運って、目標にするようなものではありませんよねぇ。

まだまだ迷いの多い人生。

だからこそ楽しい修行はまだまだ続く、と、よしとしますか♥

 

合掌

(するしか救いがナイ我が人生、とも言う。)

ココロも癒す、湯胸薬師さま。

あけましておめでとうございます。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

 

宇賀神先生と私はこの年末年始を和歌山県の湯峰温泉(ゆのみねおんせん)で過ごしておりました。

湯峰温泉に関しましては以前にもご紹介しましたね。

湯峰温泉シリーズはこちらからどうぞ!

↓↓↓

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その1

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その2

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その3

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その4

 

湯峰温泉には東光寺さんというお寺さんがあり、上の記事でもご紹介したように、その胸のところから温泉が湧き出ていたという、ここ湯峰温泉の起源となりました「湯胸薬師」さまがご本尊さんです。

お薬師さまはそのお名前の通り病気を治してくださることで有名な佛さまですが、私は今回、この湯胸薬師さまに心を治していただいた心地がいたします。

 

と申しますのも、昨年の秋から年末にかけて落ち着かなくバタバタと過ごすスケジュールだったためか、私の心は相当すさんで( ̄∇ ̄;)おりました。

やらなきゃいけないことはなかなか進まない、やりたいことは一歩踏み出せない、そのうえ宇賀神先生とはケンカばかり!

ケンカと申しましてもほとんど私が一方的に怒っているのですけれど。

しかも、犬も食わねぇ何とやら、すぐに仲直りするのですが、母に「どうせすぐ仲直りするねんから、そんなケンカばっかりせんとき!」と言われるほど私の内心は荒れておりました。

 

以前に「人は苦境にあるときの在り方で、その人の真価が問われるのだそう」とかなんとか書いておきながら、ほんのちょっとの忙しさにココロ荒れ放題のワタクシでございました。

お恥ずかしい限りでございます。

そしてその荒れ放題の心のまま、宇賀神先生と湯峰温泉に向かいました。

 

ところで、宇賀神先生と私は湯峰温泉のことを「半日村」と呼んでおります。

「半日村」の話をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。

斎藤隆介さんと滝平二郎さんによる絵本で、山に囲まれた土地のため、1日のうちほんの少しの時間(半日)しか日が差さない村のお話です。

とても素晴らしいお話が、美しい切り絵とともに描かれています。

私が小さい頃、父が私と弟に買ってくれて、今でも大事に持っています。(ということは姉が独り占めしているのか・・・。)

 

湯峰温泉は半日村というほどひどくはありませんが、やはり谷合いにあるため、朝日が射すのはゆっくりめで、またかなり早く日がかげります。

正直、日影になりますと、湯峰は寒いですねー。

サンダース号での車中泊キャンプですと、やはりしんしんと冷え込んできます。

とくに今年は到着したはじめの2日ほどは、夜の冬の星座が美しすぎるほどに晴れた日で、めちゃくちゃ寒うございました。

放射冷却現象とかなんとか言うのですよね。

真冬のオリオン座とおうし座のプレアデス星団も思わず見とれるほどの美しさで、それほど晴れ渡っていて、寒さもひときわでした。

 

そんな寒さの中だからこそ余計に、昼の日差しのありがたさが身にしみます。

 

湯峰に到着した次の日くらいでしょうか。

暖かいひなたを歩いておりますと、モヤモヤした重苦しい気分が、急にふと軽くなったのを感じました。

心が何の前触れもなく急に、文字通り「晴れ渡った」のです。

 

「あれっ?どうしたのかな?」

と自分でも不思議に思った瞬間、

「あ、お薬師さまだ。」

と直感しました。

なんの根拠も理由もないのですが、これはお薬師さまのお慈悲のお力に癒されたのだと、なぜか私の心は確信していました。

 

もう17年ほども前、宇賀神先生と私がこの湯峰温泉に通い出したきっかけが、先生がその前に見られた新聞か何かに書かれていたことでした。

その記事には、阪神大震災でご家族を亡くされうつ病を患われた方が、この湯峰で湯治をなさり回復された、と書かれていたそうです。

温泉で身体だけでなく、心も治せるんだなぁ、と思ったものです。

もしかしたらその方は、温泉だけでなくお薬師さまのお助けもいただいて、うつ病という心の病から回復なさったのかも知れません。

今回、私はそれを強く感じました。

 

そのためかどうかは分かりませんが、今回の滞在中は佛さまとの回路?ご縁?が濃くつながったのか、毎日お参りするたびにまた例の訳の分からない涙が出そうで出そうで、お経を読む声がつまってしまいました。

泣いては恥ずかしいからと、短めに読もうと思った般若心経でさえ、声がふるえました。

ありがたいなぁ、と内心は感謝の気持ちでいっぱいでした。

だって出てくるのは、訳の分からない、幸せの涙だからです。

本当はね、人目も気にせず泣きたいところだったのですが、そこはそれ、シャイと申しますか周りの人にご迷惑をおかけしたくないと申しますか、変人に見られたくない常識人のフリと申しますか、とにかくこらえました。

 

そう言えば私をお四国さんに導いてくださった、まあ所謂ところのすごい霊感をお持ちだったOさんのおばあちゃんも、お寺さんでお参りするたびにお堂の前に座り込んでむせび泣いておられましたねぇ。

あれは多分、喜びの涙だったのですね。

(Oさんのおばあちゃんのエピソードのひとつはこちらからどうぞ。→「使い魔 その2」)

 

湯峰温泉のつぼ湯を撮ろうと思いましたら、日差しがちょうど「天の階(あめのきざはし)」のように綺麗に撮れました♥

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つぼ湯に天の階

 

神さまの氣も佛さまのお慈悲も身にしみいる湯峰温泉。

1200年の歴史は、伊達ではございません。

そうそう、今日1月8日は、湯胸薬師さまの年に一度のお祭りでした。

もちろん私達は仕事日ですので行くことはかないませんでしたが、遠く大阪からお祈り申し上げました。

お薬師さまのお心は、湯峰の温泉そのままに、温かかったですねぇ。

 

合掌

祝、再開!

ずいぶんと長い間ご無沙汰しておりました!

気がつけばもう12月も半ばを過ぎ、2019年もあとわずか。

光陰矢の如しどころか、弾丸のようです。

7月下旬に選挙の管理人を生まれて初めて勤めて以来、自治会の仕事から法事や弾丸出張、アメリカ旅行など色々とあり、ただ日常をバタバタ、というべきかジタバタと過ごしておりました。

なにか楽しいことなどがあるたびに、「ああ、これもお伝えしたいなー」と、頭の中だけでブログを書いておりました。

読めるわけないやーん!と自分でツッコミを入れながら。

と、言い訳はこのくらいに致しまして(^-^;)

お陰様で宇賀神先生と私は元気にしております!

 

ただ、本当はね、悲しいこともいくつかあったのですよ。

数年に渡り宇賀神先生のもとに通ってくださっていた、がんを患われていた方達がお亡くなりになったり、また、私をお四国さん(四国八十八か所巡礼)に導いてくださったOさんのおばあちゃんが亡くなったり。

がんを患われていた方達につきましては詳しいことは書けませんが、ご本人さんやご家族さま達にも、私はたくさんの、勇気とでも呼べばいいのでしょうか、生きる力をいただいておりました。

その方達やご家族さま達の、生きることへの力を見させていただいていたのです。

そしてそのお別れは、やはりつらかったです。

 

生と死について思いを巡らすときは、本当にありとあらゆる感情が同時に自分の中に存在することに気づきますね。

喜びと悲しみと、愛と寂しさ、勇気と怖れ、怒りと赦し(ゆるし)、感謝と謝罪、など。

普通ですと「矛盾」と呼ばれる相反するような思いが、同時に自分の中に存在するのに気づきます。

 

人間の心はふたつに割って切ることはできませんもの。

「矛盾」という単語は、「矛盾があること自体がおかしい」という意味で生まれたのではなく、「往々にして矛盾はありえる」から生まれた単語なのかな、と思います。

だからね、いつも、「矛盾しててもいんだよー」って自分に言い聞かせてます。

 

また、Oさんのおばあちゃんにつきましては、彼女の最期に、私は素晴らしい教えをいただきました。

このお話はいずれまた別の機会に皆さまにも必ずお伝えしたいと思っております。

 

Oさんのおばあちゃんとは、もう20年ほども前になりますが、私はお四国さん巡礼に一緒に参りました。

そのときにOさんのおばあちゃんの信心なさるお姿を強烈に目に焼き付けさせられたのです。

もちろんおばあちゃんとは八十八か所を車で巡りましたが、駐車場からお寺さんまで山道だったり、距離が結構あるところもございましたから。

おばあちゃんは当時70歳を過ぎていて坂道を歩くのもおつらいような状態でしたが、お四国さんの杖と私の支えを頼りに、懸命に歩かれました。

 

右手に杖、左手に私、の両手にすがりながら、

「六根清浄、六根清浄、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・!」

と、唱えるというよりは、絞り出すような声でうなりながら、懸命に坂道も登られました。

坂の上から来る方達が思わず左右に分かれて道を譲ってくださるような気迫と必死のお姿でした。

「すみません、ありがとうございます!」と言いながら、歩きやすい道の真ん中を通していただきましたねぇ。

 

ある日など、どこかの宿坊に泊まったときに、

「あんたさんですか、おばあちゃんの手を引いてお参りしてはるお孫さんというのは。」

と、見知らぬ人に声を掛けられたほどでした。

おばあちゃんの気迫がすごすぎて、有名人になってましたね。

 

そんなOさんのおばあちゃんとのお四国さん巡りを通じて、信仰というものが何も大上段に構えるような特別でなものでなく、生活のなかに空気のように当たり前に存在している世界を見ました。

こんな世界もいいなぁ、と思ったのです。

そして、気がつけば出家させていただいておりました。

そんな彼女の最期に、私はまた宇賀神先生を通じて彼女から素晴らしい教えを受けたのです。

最後の最後まで、すごいおばあちゃんでした。

 

とまぁ本当に、何から書けばいいのやらと思案しすぎて書きだせないほど、この5か月ほどの間にも色々なことが起きました。

 

実は今日のブログ再開も、私がとても信頼している臨床心理士をなさっているNさんという方に、昨日ほんの少し「先生あのね♥」みたいにお話ししただけで、軽ろやかに一歩を踏み出し、キーボードを打つ気になれたのです。

人間の心は、というより私自身の心も、不思議なものです。

以前にも私はNさんからもたくさんの「気づき」をいただき、私の心の中の大きな流れが変わりました。

このお話も、いずれまた。

自分の心に気づく、というのは、素晴らしい恩恵をもたらしますね。

 

まあ、ただ、なんやかやと忙しく、なかなかブログを書く時間を取れなかったのも事実です。

うーん、というより私がトロすぎて時間を作りだせなかったというのがホントのところでしょうか?

11月からはアメリカに行き、帰国後も週末のたびに何かしらお仕事があり、平日もお仕事日で週末もお仕事なら、いつ休むねーん(T-T)と、お仕事があるヨロコビに泣いております。

やはりここは主婦の特権、お昼寝が欲しいところ。

この1年ほど、とくに去年の年末に体調を崩してから、睡眠時間の確保が何よりの薬と実感しております。

今年は本当に、体調不良に泣かされましたねぇ。

理想は8時間睡眠!

なかなか理想通りにはいきませんけれど。

 

年末も差し迫り、何とはなしに気ぜわしくなって参りましたが、皆さまもどうかお身体をお大事にお過ごしくださいませね。

睡眠、大事ですよー!

私はすでに年末の大掃除も放棄しました!

それより何より寝ることを選び、書きたかったブログや、自分のしたいことを選びます!

幸せだなぁ( ̄∇ ̄)♥

 

段々と支離滅裂なことを言い出しましたが、ここらへんで次回に譲りたいと思います。

またこれからもぼちぼちと再開してまいりますので、よろしくお願いいたします♥

 

***

本日のオマケ。

先週末に行った出張先の仙台にて。

由緒正しき日本のファーストフード♥立ち食いそば屋さんにて。

時代劇さながらに、着物だって似合うでしょ(^-^)

寒くてお腹が空いた朝に最高でした!

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大好き日本の元祖ファーストフード!

 

合掌

一寸先は光!

宇賀神先生は、めげない性格です。

踏まれても踏まれてもまた立ち上がる雑草のように、めげません。

そんな宇賀神先生の底力の強さに、私は何度救われる心地がしたことでしょう。

あれでしょうか、これが団塊世代の人間の生き力の強さでしょうか?

 

まぁですね、正直なところ、人生なにかと思うところも、出来事も、色々とございます。

相田みつをさんではありませんが、人生ですから。

悲喜こもごもとはよく申しますが、喜怒哀楽あるのが人生ですよね。

その全てを無理やりなポジティブシンキングで良い出来事に塗り替える必要はないと思っております。

嬉しいことは、嬉しいままに。

悲しいことは、悲しいままに。

腹がたつことは、腹がたつままに。

嫌なことに「これも人生を形成する上で必要なことだったんだ」と、無理やり意味づけをしてポジティブに変換する必要はないと思っております。

誰でも嫌なことは起こってほしくないですし、でも起こってしまったのでしたら、それをそのまま悲しんだり、悔しがったり、素直にして何がネガティブなのでしょうか?

嬉しいことも、悲しいことも、自分の心が感じたまま素直に受け止めて、感じること。

自分の心の動きを、世間で一般的によいと言われております心持ちはもちろんのこと、悪いと言われております心持ちさえも、そのまま認めて受け入れること。

嫌なことは「自分の心が嫌だと感じた」と、自分に許してあげること。

それを無理に「そんな風に思ってはダメだ」と抑えつけずに。

 

嬉しいことは嬉しいこととして感じた、嫌なことは嫌なこととして感じた、

その全てを「是なり(ぜなり)」とする姿勢こそが、本当のポジティブかなと思います。

 

で、誰がいったいそんなにポジティブなのかと申しますと、もちろんこのお方でございます。

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億の近道!

さらに!

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億の近道!!

もちろん、宝くじが当たる「前祝い」に大人様ランチを♥

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大人様ランチ!

ついでに、オマケ♥

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私も仲間に入れて!

 

はい、先日、行って参りました!

ジャンボ宝くじ特設会場の大阪駅前第四ビル前、が工事中で、第三ビル前に。

夫婦2人してワイワイ喜びながら、看板前で記念撮影しておりました。

おバカすぎる、もとい、平和すぎる2人でございます。

 

ホントつきに、もうそろそろ宝くじを当てていただきたい今日この頃( ̄∇ ̄)

 

ちなみに、クジ運の悪いワタクシがつい最近当てた大当たりは「自治会長」の座。

ウソのような本当の話(T-T)

東京出張で不在の間に行われたマンションの理事会で、どなたかがうちのために引いてくださったクジで大当たりしたそうです!

その場にいなくてもクジ運悪いなんて!

いやいや、大当たりなんですから、良くなったのかも!!(T-T)

って無理やりポジティブシンキングしてるじゃないのー。

 

と1人ツッコミを入れてしまうくらい、自治会長ってお仕事大変です。

実は私の父も今現在地元で自治会長(町会長)を務めており、父の仕事は私の千倍ほど大変です。

名称は同じ自治会長でも地域も違いますし、仕事の範疇は全く別物と申しましてもいいくらい、本当に大変です。

私なんて1年限りですから、仕事もそこそこ。

しかも父は、色々な自治会のお仕事をこれまで24年間続けてきました。

その最後の大仕事が今の自治会長です。

1000倍の仕事×24年間=2万4千倍。

気が遠くなりそうです。

ワタクシは2万4千分の1で充分です(T-T)

でもそれでも選挙の立ち会いも務めますし、地域の運動会とか(ToT)、ホントたいへんー。

「今年度で卒業したら盛大にお祝いしようね、お父さん!」と約束しております。

 

そしてさらに、

「なんという我がクジ運の悪さよ!」

と嘆いておりましたら、宇賀神先生が

「綾野さんの最大のクジ運の悪さは、わしという旦那さんかも(^-^)」

なんておっしゃるのです!

いえ、それ、トドメですから( ̄∇ ̄;)

慰めになってません。

 

ですが、大丈夫です!

何が大丈夫かって、私はクジ運はまぁまぁですが(是なりって認めてないやん)、人運はとっても良い(ハズな)のです。

宇賀神先生は超がつくほどポジティブな人!

2枚目の「億の近道」の写真なんて後光が差してるみたいでしょう♥

そんな宇賀神先生の口ぐせは、

「一寸先は光!」

です。

「一寸先は闇」ではありません。

この宇賀神先生の明るさに、いつも救われております。

 

人は苦境にあるときに、その人の真価が問われると聞いたことがございます。

いい状況のときは誰でも周囲に対してよく振る舞えますが、望ましくない状況に陥ってしまったときに、それでもよりよく振る舞おうと思えますのか、それとも傍若無人な態度になってしまいますのか。

そのときに、その人の、人となりの底力(真価)があらわになるのですって。

 

宇賀神先生も70歳を超え、お釈迦様のおっしゃった「生老病死」の四苦のうちの、老いの苦しみを感じられることも少なくありません。

ですが、その苦に際しましても、苦を苦である(是なり)と受け止め、先生はこんなに明るいのです。

宝くじ売り場で後光が差すほどに!?

この笑顔、プリントアウトしてマイ神棚に飾ろうっと♥

可愛いすぎますよね!( ̄∇ ̄)←親バカですみません。

仙台四郎さんのようにご利益があるかも♥←救いようのない親バカですみません。

 

一寸先は光。

 

私にとりまして、今日はちょっと特別な日だったのですが、

「もちろん大事な自分自身も含めて、すべて人の人生の、一寸先が光でありますように。」

と心から願えた、今日もとてもいい1日でした。

 

合掌

宇賀神さまからのお呼び出しはささやか(かつキョーレツ)に その2

はい、先日の記事の、キョーレツな後日談です。

 

かの台風から2か月後の、宇賀神先生の奈良のお寺の勉強会でのことです。

その日は毎月の勉強会とは別の、直伝講習会と私達が呼んでおります、年に1度の大事な勉強会の日でした。

去年は東京から参加してくださる方達が多かったため、うちの車で奈良の道場まで東京組の方達とともに行きました。

そしてその車中で、私は弁天堂の年に一度の大祭のことを話しておりました。

2019年のその秋の大祭、「巳成金大祭(みなるかねたいさい)」に、みんなでお参りに行きましょうね!と。

皆さんも「いいですねー!」などと言ってくださってた瞬間のことです。

 

突然、カーステレオが鳴りだしました。

しかも流れてくる音楽?は、祭囃子(まつりばやし)・・・。

 

「ええっ!?なにこれ??先生スイッチ入れたん?・・・そんなわけないな、大体スイッチ知らんもんな。でもこれ、どうやって消すん???」

 

実はその車はいつものキャンピングカーではなく、父から譲り受けた別の車で、私はカーステレオのスイッチがどれかさえ把握しておりませんでした。

音量も大きくて、どうやって小さくするのかも、運転しておりましたし、余計パニックになり分かりません。

 

後ろに乗ってくださってた方達もびっくり。

お祭りの話をしておりましたら、急に祭囃子のBGMがかかるんですもの。

ふつう、車の中でかけるのは音楽で、祭囃子のCDなんてかけませんものね。

しかもCDは入れてないはずですし。

スイッチの場所さえ知らないですのに。

だぁれもスイッチ押していないのに急にかかるなんて、ちょっとオカルト?

( ̄∇ ̄;)

 

どうやって止めたものかとオロオロしておりますと、一番後ろに座っておられた方が、「その丸いボタンを押すんじゃないでしょうか?」と一言。

「ええー、これですか?」と押しますと、見事止まりました!

 

いやー、もうホントにびっくりでした。

後で父に聞きますと、以前車中で聞いた阿波踊りのCDか何かを、車のステレオが記憶しているそうです。

ですので、今実際にCDが入っていなくても、メモリーとして残っているのですって。

ですが、誰もスイッチを押していないのにもかかわらず、なぜ急に鳴りだしたのかだけは謎です。

 

もうこれは、必ず必ず毎月お参りさせていただき、今年の秋の巳成金大祭にもぜひお参りしたいと思っております。

あんなに熱烈大歓迎なBGMまで流していただいては、ねぇ。

ふつう神さまや佛さまからのお呼び出しって、もっとささやかなものかと思っておりましたが、なかなかに強烈でございました。

 

あっ、そうか。

 

私があまりにもニブチンで神さまや佛さまのおっしゃってることに気づかないものですから、

「これくらいハッキリと言ってやらないと分からないだろう。」

と、少々強めにお伝えいただいているのでしょうかね?

ありがたいご縁にただただ感謝申し上げるばかりです。

 

ただ、こんな風に神さまにお招きいただいたかな、と思うようなことがございましても、別にだからと言って宝くじに当たるわけでもなし、特別大きな幸運に見舞われたわけでもございません。

相変わらず私のクジ運は悪いですし、今年は年末年始もゴールデンウィークも(不)健康運で大変でしたもの。

 

そう言えば、4月に私の実家で開いたお誕生日会で、またもやビンゴゲームをしたのですが、なぜか3人の姪っ子と甥っ子が口を揃えて

「あやのちゃん、またベッタコー???」

「またベッタコー?」

「またベッタコー??」

と、嬉しそうに叫ぶのです。(ベッタコとは、『一番最後』という意味です。)

何のこと?と思いますと、前回のビンゴゲームで私が一番最後まで上がらず残っていたらしく、それを子供たちは律儀に覚えていたのですねー。

それを口々に、何度も嬉しそうに叫ぶのです。

忘れてくれたっていいのに( ̄∇ ̄;)

 

と申しますより、本人が真っ先に忘れておりましたのに。

母に確認して、そうだったっけ?と、それでも思い出せないくらいでした。

 

そして果たして、その日のビンゴゲームも、私はベッタコになったのでした(ToT)

 

なんでやねん。

 

 

ですが、笑われるかもしれませんが、それでもなお私は私のことを「運がいい!」と思えて仕方がないのです。

たしかにクジ運に関しましては、まぁそれなりかも知れませんが、その他のすべては「私は運がいい!」と思っております。

そして、私は自分が幸せだとしか思えません。

やはり「おめぇさんの頭の中が一番めでてぇな。」という、アレでしょうか。

(こちらも見てくださいね!⇒「めでたい富士山をおすそわけ。」)

 

まあ、いいですよね。

こんな(頭の中が)シアワセな人間が少しくらい存在しても。

 

 

今月の東京出張で弁天堂にお参りに行きますと、不忍池の早咲きの蓮の花に出会えました。

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不忍池の蓮の花

 

今年の巳成金大祭にいくぞー♥

そして、朝いちばんにお参りして、宇賀神さまの彫られた1500体(でしたか?)限定の金のお守り小判とか、色々たーくさん買うんだーーー(^-^)♥♥

今から楽しみでなりません。

名前もいいでしょう?

巳「成金」大祭ですって!

 

ああ、そのことを考えながらキーボードを打っておりますワタクシの顔は、今、ニヤけております( ̄∇ ̄)

皆さんの目にも浮かぶようでしょうか?

メデタイ人間のメデタイ話をお聞きになり、「ぷぷっ、なんてオツムがおめでたい人なんだ。」と笑っていただけますと幸いです。

一日一笑!

私は毎日百笑はしておりますネ。

(^-^) × 100♥

 

合掌

宇賀神さまからのお呼び出しはささやか(かつ強制的)に その1

先日の白蛇の木のお話の続きです。

 

初対面の方のお庭に入れていただき、白蛇が出現したという木に触らせていただきました。

その女性はとても明るく楽しいお話をしてくださったのですが、その日は10月1日、まだまだたくさんの蚊がいて、お庭でお話をお聞きしている間に4か所も刺されてしまいました。

こりゃたまらない、と、

「すみません、蚊にたくさん刺されてしまって。外に出ませんか。それに私もそろそろ・・・。」

と、もう行かなくちゃ、をお伝えしました。

そう、私は新幹線の切符を手配しないといけなかったのでした。

 

外へ出ますと、その女性は今度は不忍池の弁天堂のお祭りの話を始められました。

「それでね、とってもご縁を感じてね。ご存じ?不忍池の弁天様のお祭り。この間あったばかりで、行ってきたの。」

どうやら年に一度の大祭がつい先日行われたみたいで、白蛇にご縁を感じたその方は、初めて大祭に行かれたそうです。

「いえ、知りませんでした。私は月に一度仕事でこの近辺に来るだけですので、お祭りの日には合いませんでしたねー。」

とお答えしました。

 

ですがそのとき、なんとなーく、

「あ、これはもしかしたら不忍池の弁天様が『ちゃんとお参りにおいでよー』と誘ってくださっているのかな。」

と感じました。

白蛇に、お祭りのお話ですものね。

 

以前にもお伝えしましたが、不忍池の弁財天さまの頭には鳥居が乗っていて、その鳥居の奥には宇賀神さまが鎮座しておられます。

その宇賀神さまとは、頭が長いヒゲの生えたおじいさん、そして身体がとぐろを巻いた(白)蛇という、ちょっと変わったいで立ちをした神さまなのです。

以前にもご紹介しました、こちらの写真を。

↓↓↓

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八臂辯才天さまの頭上の宇賀神さま
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上野の博物館の宇賀神弁財天様

 

 

毎月その弁天様の前を通りますのに、先を急ぐからってちゃんと毎回お参りしておりませんでしたから。

やっぱりご挨拶にはおいでよ、ということなのでしょうか?

こんなことを考えながらも、その女性にお礼を言ってお別れし、再びタクシーを拾いに大通りの方へ歩き出しました。

 

そして大通りでタクシーを待っていたのですが・・・やはり結構な数のタクシー、20台は見送ったでしょうか、が通りましたが、全てお客さんを乗せておられ、空車が1台もありませんでした。

これはもう。

「ああ、『今日は上野駅まで歩いて、お参りにおいで』っていうお呼び出しなんだ。」

と観念しました。

いえいえ、もしかしたらただの勘違いかもしれませんが、そういうことにして、この暑い中をえっちらおっちら歩いていくか!と、自分で自分を納得させました。

 

そしてまたもと来た道を戻り、上野駅まで歩くことにして、もちろん弁天堂にも寄ってご挨拶申し上げました。

「本日ご縁を持ちましてお参りさせていただき、ありがとうございます。

思いがけず東京に延泊し、こうしてお参りさせていただくことができて嬉しかったです。

昨夜、かの方の家に泊めていただいたことも、とても嬉しかったです。

お陰様で無事に、しかも楽しく東京にもう1泊することができました。

朝から汗ばむ暑い日にも、公園の緑にも、感謝申し上げます。

台風の被害が少しでも軽くありますように。」

と、そう心の中でお話して、お参りいたしました。

 

すると、今まで何度かお参りさせていただいたときよりもさらに強い、お力というのでしょうか、弁天様から何か押し寄せるものを感じました。

「うわー、何で今まで気がつかなかったんだろう。ニブチンもいいところだなー。」

と、正直、自分の鈍感さに今さらながら苦笑する思いでした。

 

そして、ご挨拶(お参り)をすませて上野駅に向かおうと弁天堂の階段を降りましたら、すれ違いざまに見知らぬ女性が、

「あら。お着物で、素敵ですね。」

と声を掛けてくださいました。

「ありがとうございます。」

と、嬉しくてにっこり笑って返事しますと、

「今からの勤行、参加なさらないんですか?もうすぐですよ?」

と、おっしゃいました。

 

えっ・・・一般の人が参加できる勤行があるの?

 

しかも今から??

 

これももう・・・!!、参加しなくては。

 

この場合は完全に、「ささやかなお呼び出し」と申しますよりは、ご命令でしょう。

 

この日、台風のお陰で予定になかった東京滞在延長となり、見知らぬ2人の女性から弁天様のところへと導かれました。

お祭りのお話と、参加できる勤行のお話と。

しかも今からですって!

 

ありがたすぎるご縁だなぁー♥

 

と、一人で勝手に幸せな思いにひたり、弁天堂にきびすを返し、寺務所の方にお尋ねしました。

「今から勤行なさるのですか?何分ぐらいかかりますか?あの、お経とか知らないんですけど、それにもしかしたら途中で抜けさせていただかないといけないかも知れませんが、参加させていただけますか?」

と、色々とお尋ねしましたが、全て大丈夫とのこと、ありがたく参加させていただきました。

 

もう、本当に、こんな風に参加させていただけるだけで幸せでした。

そして、心の中で、

「これからはちゃんと毎回お参りさせていただきます。」

と、今までの失礼をお詫びかたがた、昨日・今日と起きた全てのエピソードに感謝申し上げました。

 

そして宇賀神先生と私は10月の出張から毎回、ちゃんとご挨拶してから仕事場へ行くようにいたしました。

そうしましたら、その月でしたか翌月でしたかに、急にひょっこりと例の宇賀神さまの石像が作られておりました。

ご縁だねぇ、と、宇賀神先生とびっくりしました。

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双子の宇賀神さま?

すみません、あんまり可愛いものですから、何度も載せてしまって( ̄∇ ̄)♥

 

そしてさらに、この弁天様からのお呼び出しのエピソードにはキョーレツな後日談がございまして。

ですがやっぱりちょっと、長くなってまいりましたので、もう1回続きます(^-^)

 

合掌

白蛇が出現した木に触った話

東京、上野は寛永寺さんの「不忍池の弁天堂」の前の宇賀神さま。

去年(2018年)の10月くらいに、急にひょっこりと石像が建てられました。

あまりにも宇賀神先生にそっくりで?、お参りさせていただくたびについつい記念撮影してしまいます。

いつぞやも先生の写真を撮っておりましたら、私の後ろで5人ほどの外国人観光客の方達が何故か一緒にシャッターを切られていました。

海外からいらした人の目にも「どこか似ている」と映るのでしょうか?

その「外国人撮影隊にカメラ目線」な宇賀神先生。

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こっち見てよー。

 

宇賀神先生と私は毎月東京に出張しております。

上野の近くにいつも行くのですが朝は仕事の準備など気がせくものですから、不忍池の弁天堂の前をタクシーで通ることはございましても、あまりお参りしておりませんでした。

もちろん何度かはご挨拶に参りましたが、いつも素通りして申し訳ないなー、と思いながらも毎回お参りしませんでした。

 

ところが、忘れもしない去年の9月も末のことです。

とてつもなく勢力の強い台風が近畿〜関東も含めて通過したことを覚えておいででしょうか?

あの日、私達は東京におりました。

そして、もしかしたら大阪へ帰る新幹線が運休になるかもと思いながら仕事しておりますと、案の定、JRがその旨を発表しました。

 

ああーやっぱり、と思いながら、いつも仕事場としてご自宅をお借りしている方に泊めていただくようお願いしました。

こんなときはホテルもなかなか見つけづらいかと思って、甘えました。

ありがたいことに二つ返事でご快諾いただき、急きょ東京に延泊することに。

 

そして泊めていただいた翌朝、帰りの新幹線の切符を手配しようと、まずは上野駅に私一人で行くことにしました。

新幹線の手配も不慣れなら、こんな風に天候によりキャンセルになったときの手続きなどもよく知りませんでしたので、とりあえずは駅に行くことにしました。

 

ところが、泊めていただいた方の家を出て、タクシーを捕まえようと待っておりましたが、なかなか来ません。

いつもでしたらそこは結構たくさんのタクシーが通るところなのです。

いえ、たしかにタクシーは何台も通るのですが、全てお客さんが乗っておられて、一台も空車が来ませんでした。

「台風の次の日だからまだ落ち着いてないのかな?」と思い、あっちの角へウロウロ、こっちの角へウロウロ、と、タクシーに来ていただけそうな場所を探してしばらくおりました。

 

ですがとうとうそこは来ないようだと諦めて、ちょっと距離があるのですが、歩いて大通りの方まで行ってみようと思いました。

そうして道を歩いていますと、見知らぬ一人のご婦人から

「あの、すみません、ちょっとお話いいですか?」

と声をかけられました。

 

その方は、私がタクシーを待ってウロウロしておりました辺りにお住まいの方で、家の前の道を掃除なさってました。

私が2度ほど前を通ったものですから、何となく目が合って会釈したりしておりましたら、ついに3度目くらいに声を掛けてきてくださったのです。

ですが、いきなり「お話」ってなんだろう、とちょっとドキドキしながら、「ええ、何でしょう。」とお答えしました。

するとその方は、珍しいことを話しだされました。

 

その方の家のお庭に何本かの木が植えられているのですが、何年か前のある日突然、白蛇が木のところに出現したのですって。

びっくりしたその女性は、どうやって追い払ったものかとオロオロして、これまた道を行く見知らぬ人に声をかけて「どうしたらいいでしょう?」とお尋ねになったそうです。

するとその通行人の方は、

「いやぁ、白蛇は縁起がいいから、神さまの使いって聞きますから、おにぎりをお供えしたらいいんですよ。」

とお答えなさったそうです。

 

「私は追い払う方法をお聞きしたかったんですけどね。」

と、その女性は私に笑いながらそのときのことを話されました。

 

「ええー、それでどうなさったんですか?」

と尋ねますと、

「その人の言う通り、おにぎりをお供えしたの。」

と、何とも天真爛漫なお答え。

 

「そしたらしばらくしてね、息子から連絡があって、『ママ、又吉さんの書いた話が芥川賞にノミネートされたんだ』って言うの。」

と。

どうやら彼女の息子さんは出版社か何かにお勤めのようで、彼のお仕事に関わりのある方の著書が芥川賞にノミネートされたとご報告なさいました。

すると彼女は、

「それ絶対、芥川賞取るわよ!だってうちに白蛇が出たんだもの!」

と、自信満々に答えられたそうです。

 

そして果たして、又吉直樹さんの「火花」は、見事に芥川賞を受賞されました。

 

「ええー、すごいですね!」

とびっくりしながらお話をお聞きしていますと、

「ねぇ、あなたもその木を触ってみない?きっといいいことあるわよ。」

と、ご親切にもお庭に招いてくださり、その木のところへ案内してくださいました。

 

「これね、しめ縄を巻いたの。」

と、ありがたい白蛇が出たその木には、今ではしめ縄が巻かれてありました。

 

「あなたも是非触って♥」

と嬉しそうにすすめてくださいましたので、

「うわー、ありがとうございます!」

と、思わずその方にも木にも手を合わせ、木の幹に触らせていただきました。

 

いやー、東京の都会のど真ん中で、まさか白蛇が出現した木に出会うとは。

そしてまた初対面の方にそんな楽しいお話を聞かせていただき、お庭に入れていただき、その木に触らせていただけるなんて。

なんだかもうそれだけでとても有り難く、幸せな気分になりました。

 

(ちょっとだけ続きます。)

 

合掌