桜を愛でることもまた、祈りです。

今日は宇賀神先生が突然、「今日の夜に雨が降って桜が散るから、最後の夜桜を見に行こう。」と言いだしまして。

よりによってめちゃくちゃ寒い日に、お弁当(とお酒)を持って、近所の公園に桜を見に行きました。

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夜桜2019年

 

急きょ作った、詰めただけのお弁当。

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お弁当

お弁当の中身は、父が釣り、両親が共同作業で作ってくれた「大アジのフライ」と「玉ねぎのフライ」、先生が和えたお刺身の漬け、豆の塩茹で、宝塚のK様が手作りして下さった「ぬた」と「豚肉と白菜の炊いたん」。

私が作りましたのはソーセージとほうれん草の炒め物だけ。

ですが先生が「お義父さんお義母さんとKさんと綾野ちゃんの愛が詰まってる♥」と、ご満悦でした。

 

また、寒空の下いただいた温かいきつねうどん!は、めちゃくちゃ美味しかったです。

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きつねうどんも美味しかった!

寒すぎてダウンのコートと帽子もかぶっています。

 

 

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)という言葉がございますね。

いつものことながら佛教の考え方は深遠すぎて、この言葉ひとつとりましても色々な賢い人達が色々な解釈をなさっておられます。

「山も川も草も木も、命あるもの全てに仏性がある」や、

「自然に仏性があるというよりは、自然の中に悟りへ至る真理を見いだすという意味なのでは」だとか、

色々おっしゃっています。

どれも素敵な解釈ですね。

 

私には佛教的な解釈でいうとどれが正しいのかなど、難しいことはよく分かりません。

この言葉でさえ、今の今まで「さんせんそうぼくしつうぶつ」とだけ覚えており、ブログで書くにあたって改めて「ちゃんと書かないと」とググってみて、「仏」でなく「仏性」だったんだーとか、自分の知識が微妙に違ったのを知ったくらいですから。

ですが、この言葉をぼんやりとながらも知っていて、こうして美しい桜の下で穏やかな時間を過ごしておりますと、頭上で揺れる桜の花に佛さま、あるいは神さまなのかな?、を見いださずにはおれません。

以前に「SPIRITUAL(スピリチュアル)は案外身近なところに。」でもお伝えしましたが、やはりきっと、そこかしこに、神さま佛さまはいらっしゃるのですよ。

あるいは、春の宵の氣そのものに、神さま佛さまを感じます。

春の氣(昨日は優しい春の夜でした。)」に書いたことも、私にとりましては同じような感覚です。

 

そして、桜の中に佛さまを見いだせるということは、自分自身の中にも佛さまを見いだせるのです。

 

こうして桜の花を愛でることもまた、祈りです。

 

桜の花に、「綺麗やなぁ。咲いてくれてありがとう。」と心で話しかけますと、ゆらゆらと揺れてまるで喜んでいるようでした。

 

私はお酒はよう飲めませんが、「春の氣」に心地よく酔い、桜の中に佛を見、また春の宵に神気を感じ、宇賀神先生と幸せなひと時を過ごせました。

桜と春の夜にお礼を言って、公園をあとにしました。

 

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Dear C&C, Wishing you were here.

 

合掌

あの世からの霊界通信byお伝さんと宇賀神法 その3

お伝さんと宇賀神先生。

実のおばあちゃんと孫にあたります。

 

多分ですが、お伝さんは、宇賀神先生がお生まれになったときには、すでにお亡くなりになっています。

先生のお父様とお母様が結婚なさったときのお写真には、すでにお伝さんの姿はありませんでした。

宇賀神先生のお父様のお父様と、お兄様お姉様(とその配偶者)だけが写っておられます。

本来でしたらお父様のお母様、つまりお伝さんが座られる位置には、お姉様が座っておいでです。

なにぶん昔のことで、また宇賀神先生もはっきりとご両親にお聞きしたわけではございませんので、詳しいことは分かりません。

ですが、先生がお生まれになったときには、どうやらお伝さんは亡くなっておられたようです。

 

にもかかわらず、宇賀神先生はそのお会いしたこともない実のおばあ様と「お話」なさいました。

まあ、ここらへんのことになりますと、もう信じたい人だけ信じてやってくださいませ。

「そんな霊界通信みたいなのあるわけないやん!」と思われる方は、おとぎ話でも見るようなおつもりでお読みくださいませね。

もちろん、宇賀神先生や私にとりましては、実話です。

 

お伝さんのお堂ですが、宇賀神先生が中学生の頃、お堂の外からご覧になられたときには中が真っ黒にすすけていて、どなたをご本尊としてお祀りしているのかなど、よく見えなかったそうです。

「シルエットとか、何か特徴的なことを覚えてないのん?」

とお聞きしましても、

「仏像らしきものが何体もあったけど、よく見えなかった。」

と。

 

何体も祀られてはいたそうです。

どなたがご本尊だったかは分からないのですが、にもかかわらず、お伝さんが「宇賀神法」をなさっていたであろうことは、宇賀神先生は「ご存じ」なのです。

 

この、「分かる」や、「知っている」という感覚は独特なのですが、誰に教えられずとも、なぜか初めから知っています。

その感覚が起きますのは、例えば前世からの記憶だったり、血の中に流れるご先祖さんからの記憶だったりします。

また、ときにはあの世からの通信だったり、神さまや佛さまからのお言葉だったりします。

問いを発したと同時に、答えを知っています。

答えはどこから来るんだろうと思うのですが、それは外から来たようでありながら、自分の中から来ています。

不思議な感覚ですね。

では、以下はお伝さんからお聞きしたお話です。

 

栃木県には日光がございます。

日光には「日光山輪王寺」がございまして、そこは天台宗のお寺さんです。

その時代には山伏さんもそこかしこにおられ、やはりお伝さんのいらっしゃる鹿沼のあたりは日光山輪王寺さんの流れを汲む山伏さんが多くいらしたようです。

つまり天台宗の影響を色濃く受けておられる山伏さんです。

そして、現代ではかなりマイナーになっておりますが、天台宗には神様の宇賀神さまを賛嘆するお経がございます。

 

山伏さん達はその土地の家々をまわり、托鉢をしておられましたが、あるときお伝さんは一人の山伏さんから、「あんたの家の名前は、尊い神さまの名前なんだよ。」とお聞きします。

お伝さんは宇賀神というのは本当の神さまの名前でもある、と知ったのです。

そしてその神さまの霊験あらたかなのを知り、また、その神さまをご本尊としてお祀りして加持祈祷を行う「行(ぎょう)」、つまり「宇賀神法」があることを知ります。

 

その山伏さんはそれなりの功力をお持ちで、それに魅せられたのでしょうか、お伝さんは家の敷地内にお堂を建てられました。

山伏さんがそこで宇賀神家のために宇賀神法を含む色々な行法を行えるように。

山伏さん、つまり、行者さんは、そこで宇賀神家の商売繁昌のために加持祈祷を行われました。

 

そしていつしか、

その宇賀神法を、お伝さんは山伏さんから習われて、ご自身でも執り行うようになられました。

お伝さんがお堂の中で何やら不思議な行をなさるにつれ、保血散の売り上げが伸び、現金収入を得て、宇賀神家はますます福しくなっていきました。

 

その宇賀神法を執り行う際に、どうやら(その当時でも高価だった)お酒を使われていたようです。

今現在の上野の寛永寺さんの弁天堂前の宇賀神さまの像のところにも、「浴酒月の法」と書かれてありましたが、どうやらそれを真似たような行をなさっていたようです。

正式な僧(尼僧)となり行を習われたわけではありませんから、全くの本式ではなかったようですが、やはりそこは宇賀神先生のおばあ様ですもの。

真似事のような行法でも、なぜか効験が起きて、どんどん宇賀神家は裕福になっていきました。

 

今の宇賀神先生の「女行者」版のお伝さん、いつの間にかご近所の奥さん方が信者さんとなられ、取り巻きとなられたようです。

もともと霊感めいたものをお持ちだったお伝さんは、宇賀神法をなさるにつれ、不思議なことを言い当てたり、ちょっとしたご利益も授けられるような力がついてこられたのでしょうね。

 

それにまた何より、宇賀神法で使った後のお酒のお裾分けを信者さん達もらって帰られたのです。

お酒は嗜好品(贅沢品)ですもの。

まして当時は日本全体がそんなに裕福ではなかった時代です。

しかも宇賀神家の方々はあまりお酒に強くなく、毎日そんなにたくさんお酒は必要ではありませんでした。

自分達が飲みもしない贅沢品(お酒)を、宇賀神さまをお祀りする行に使い、その神さまの「お下がり」を信者さん達にお福分けなさっていました。

 

お酒をもらって帰られた信者さんの旦那さん達も初めは「うちのカアチャンはお伝さんに変に入れあげて・・・」と思われたものの、美味しいお酒をタダでたくさんもらえるものですから、イヤな顔をなさらなくなり、いつしか黙認。

そうして、ついに年に1〜2度のお伊勢さん参りへのお伝さんの「脱走」についていかれても、やはり黙認なさったのですね。

旅費も全てお伝さん(というより宇賀神家のお金)のおごりで、お土産も贅沢なほどたくさん買ってもらって帰られたようですし。

 

こうしてお伝さんは、家の繁栄の為なのか家人をかえりみないのか分からない信仰を続けられました。

ですがお伝さんがその不思議なご祈祷を続けるにつれ、ますます宇賀神家が裕福になったことだけは、まぎれもない事実でした。

 

宇賀神先生はお父様から、お伝さんが宇賀神法をなさっていたとお聞きしたわけではございません。

お伝さん以外の宇賀神家の人々は先生のお父様も含めて、宇賀神法などとは縁遠い人生を送られましたから、先生は詳しいことをお父様やご親戚などからお聞きしたことはないのです。

ですが、先生ご自身が氣や神さま佛さまといった世界に興味を持たれ、色々を勉強なさるにつれ必然的に宇賀神法にたどりつかれたとき、先生にはその「印(いん)」の記憶がございました。

知らないはずの記憶です。

 

よく一般的な本などにはご真言や印が書かれておりましても「以下、秘伝」「以下、口伝」などと書かれており、肝心なところは説明されていなかったりします。

やはり密教の密教たるゆえんですよね。

「秘密の教え」なのです。

よく「甕(かめ)の水を移すように」と例えられますが、師匠から弟子へと口移しで直接伝えられていくべき教えなのです。

そしてその教えは、伝えるべき者には伝えなくてはなりませんが、伝えてはならない者に伝えることは許されません。

 

あるいはもしかしたら前世の記憶なのかも知れませんが、多分には、宇賀神先生が「以下、秘伝」の部分をはじめから知っておられたのは、お伝さんが血の記憶の中で伝えてこられたのだと思っておいでです。

もしかしたらその秘伝の部分は、正式な天台宗の作法ではないかも知れません。

ですが、それが宇賀神先生あるいはかつての宇賀神本家とって、あるいはお伝さんの生きていらした当時の鹿沼のあたりの、土着の信仰に近い形で古い古い歴史のなか伝えられてきた秘伝の作法であると、先生は確信しておられます。

 

不思議なものですね。

 

お伝さんと宇賀神先生。

彼女の生前には会ったこともない、おばあちゃんと孫。

 

宇賀神先生はお伝さんと同じように宇賀神さまという神さまに出会われ、宇賀神さまをお祀りする宇賀神法に出会われ、神さまや佛さまとのご縁の色濃い人生を送られています。

血のなせる業だけではなく、やはり「霊統」を引き継いでおられるのでしょうね。

お伝さんも今の宇賀神先生をあの世からご覧になり、喜んでおられるでしょうか。

 

お伝さん、やはり霊感は強くていらしたようです。

宇賀神先生のお父様は、第二次世界大戦も終わりに近づいた頃に35歳で徴兵されました。

その頃、35歳という(高)年齢で徴兵された人々は南方の激しい戦地に送られ、生きて帰ることは難しいと噂されていました。

ところがお伝さんは、

「吉は死なねェから大丈夫だ。」

と、予言なさいました。(先生のお父様は吉次郎と言います。)

お父様はお伝さんの予言をとても心強く思われたのですって。

 

宇賀神先生の女行者版のお伝さん。

もしかしたら先生以上におっかない?ハチャメチャな?お人だったのでしょうね。

せめてお写真だけでもお会いしたかったです。

 

合掌

「お伝さん」と宇賀神法 その2

  1. さて、宇賀神家に多大な現金収入をもたらすようになったその「保血散」の売掛金が鹿沼の郵便局に届く日のことです。

源三郎さんが郵便局に為替(売掛金)が届いたかどうか尋ねますと・・・

「あっ、為替でしたら届きましたが、さきほどお伝さんが来て、受け取られましたよ。」

と、答えられました。

 

「しまったーーー!!またやられた!!!」

 

その当時のお金で五百圓(500円)。

今に換算しますと、どのくらいの金額になるのでしょうか、私にはちょっと想像もつかないのですが・・・。

とにかく保血散の売掛金が届く日に、お伝さんはいつの間にやら家を抜け出し郵便局に為替(お金)を受け取りにいき、それを全額持ってドロンするのです。

 

いったい、どこへ?

 

それは、当時の人なら一生に一度は行きたかった「お伊勢さん」へ。

しかも、自分のお弟子さん(信者さん)5~6人を引き連れて行かれました。

しかも、2週間ほども!

 

時代は、今のように新幹線でひとっ飛びに旅行できる平成の世ではありません。

「まず人力車で鹿沼の駅まで行き」、東武電車に乗って行くような時代です。

 

人力車ですって。

私は博物館か観光地でしか見たことありませんね。

宇賀神本家は裕福な家でしたので、当時はまだ小作人と呼ばれた人から、「ねぇや」(今でいうお女中さん)、人力車の車夫までいらっしゃったそうです。

 

宇賀神先生のおばあ様のお伝さん、郵便局から500円という大金を持ち出し、5~6人のお弟子さん達とともに、お伊勢さん参りに行かれました。

しかもそれは、一生に一度ではなく、「年に一度か二度」を、何年にも渡ってやってのけたのですって。

たぶん明治の終わり頃か、あるいは大正くらいから、昭和になってすぐくらいの時代までなさったそうです。

 

宇賀神先生のお父様(お伝さんの子供にあたります)が大正3年のお生まれで、すぐ上のお姉様が明治45年のお生まれです。

その上にさらにお二人の子供さんがいらしたようですが、

「お伝さんはそんな小さな子供を放っておいて、お伊勢さん参りに行ったの?」

と宇賀神先生に尋ねますと、

「家には子守りや家事をしてくれるねぇやも何人かいたから、何の問題もなかったんだろ。」

ですって。

お抱えのお女中さん(兼ベビーシッター)が何人も・・・。

さすが裕福な「ええ氏」は違いますね。

 

そしてその500円という金額、今の時代に換算しますと一体いくらくらいなのでしょうか?

そのお金は、6~7人の大人が2週間近く、栃木県の鹿沼から三重県のお伊勢さんまで旅をし、豪遊できる(お参りして遊んでお土産を買って帰って来られる)くらいの金額なんですって。

しかも、今の時代のようにお得な新幹線のエクスプレス予約(←東京出張のときに使ってます♥)も無い時代です。

しかもしかも、お伊勢さんでは御師(おし)と呼ばれる、今でいうところのツアーコンダクター兼ツアーガイドさんも雇っておられました。

つきっきりの専用ガイドさん付き × 7人 × 明治~昭和初期の時代 × 鹿沼~伊勢の2週間の豪遊旅、の旅費やいかに。

 

そんな大金を鮮やかすぎる素早さでお伝さんに持ち逃げされた源三郎さんの怒りたるや。

「伝のヤツ、帰ってきたら手討ちにする!!!」

と、日本刀を振り回し、それはそれは大変な怒りようだったそうです。

 

宇賀神先生が中学生のときに初めてお父様に連れられて、その鹿沼の宇賀神本家に行かれたことがあるそうです。

そのときお父様が、柱につけられた3つの傷を指さして、

「あれが源三郎さんが振り回した刀で傷つけた刀傷だ。」

と、教えてくださったのですって。

 

なんちゅう家や( ̄∇ ̄;)

 

ですが、まあ、お伝さんは本当には「お手討ち」にはならなかったのでしょうね。

だって何回も何回もそうやってお金を持ち逃げしてはお弟子さんを引き連れてお伊勢さんにお参りに行き(豪遊し)、帰って来られたんですもの。

源三郎さんも悔しがって刀を振り回されるくらいでしたら、売掛金をお伝さんが受け取らないよう、何とか手を打てなかったのかと思わなくもありませんが・・・。

 

それに、お伝さんは生涯、離縁もされませんでした。

現代に比べまして、とてつもなく女性の権利(人権)の低かった時代です。

まして家のお金である、そんな大金を勝手に持ち出して、よく家を追い出されませんでしたね。

 

宇賀神先生も不思議に思い、お伝さんに「お聞き」したことがあるそうです。

もちろんお伝さんは、宇賀神先生が生まれられる前にはお亡くなりになっていて、先生はお顔もご存じありませんが、まあ、つまり、先生はあの世にいらっしゃるお伝さんにお聞きしたそうです。

宇賀神先生いわく、お伝さんは、

「なあに、ひと芝居打ってやったのさ。

ご祈祷して神がかりになってバッタリ倒れた後、むっくり起き上がり、さも恐ろし気な声で

『我は宇賀の神である。

この女は依代(よりしろ)にもらった!

この女をこの家から追い出してみろ、この家がどうなるか分かっているだろうな!!』

ってな。」

と、おっしゃったのですとか。

 

・・・アンビリーバブル(ToT)

 

たしかに、先程も申し上げたように女性の権利が今よりもっと無い時代で、まして信仰の自由も難しいような時代だったのでしょう。

そしてたしかに、古来より依代や巫女、つまり神さまなどのお言葉をお聞きするための媒体となるのは、ほとんどの場合女性でした。

そのことを利用して?、ひと芝居打って、ご自身の信心と、お伊勢参りという名の豪遊旅をやってのけるなんて。

 

もちろんこのお伝さんのセリフは、宇賀神先生の霊感でお聞きしたものです。

ですがお伝さんが何年にも渡って多大な保血散の売掛金を持ち逃げし、何人ものお弟子さんを連れてお伊勢さん参りをなさり、2週間豪遊して帰ってこられた、というのは、宇賀神先生がお父様やおば様からお聞きした事実ですから。

あの時代に、離縁もされずに。

たぶん、宇賀神先生がお聞きしたようなそれなりのことをなさらないと、お伝さんの信心(と豪遊旅)を押し通すのは難しかったのでは、とは想像にかたくないと思います。

 

そして、お伝さんは一体、家の敷地内に建てられたお堂でどなたをご本尊に祀り、拝まれていたのでしょうか?

 

それは、宇賀神先生もお父様にお聞きになったことがないそうです。

その中学生のときにお父様に連れられて本家にいったときには、お堂そのものは残っておりましたが、とても中に入れるような状態ではなかったそうです。

「歩くと床板を踏ん抜く(踏み抜く)ような、ボロボロだった。」

のですって。

もちろん中学生当時は、宇賀神先生も宗教的なことにそんなに興味も持たれなかったでしょうし。

 

ただ、外からお堂の中をのぞきますと、中は真っ黒にすすけていたのだそうです。

「たぶん、鍋護摩(なべごま)を焚いたんだろうよ。」

と、宇賀神先生はおっしゃいました。

 

本来でしたらお護摩は正式な壇と火を焚く炉や、それこそ野外では大きな大きなキャンプファイヤーのような四角に組んだ木で火を燃やします。

ですが、民間信仰で山伏さんなどが出先でお護摩を焚かれるときなどは、昔は中華鍋のような形の鉄鍋の中で火を燃やし、炉の代わりにしたそうです。

真言宗にも「風呂敷護摩」と呼ばれるものがあるそうです。

つまり、風呂敷に包んで鍋(炉)を運び、出先でお護摩を焚くという。

 

今にして思えば、お伝さんのお堂の中が真っ黒にすすけていたのは、そういったお護摩を焚いていたのではないか、と宇賀神先生は思っておられます。

いえ、思っているというより、やはりお伝さんから何か伝わってくるものがあるそうです。

 

ということで、やっぱり長くなって参りましたので、次回はそこらへんの、お伝さんからの通信にも少し触れたいと思います。

いやはや、おばあちゃんと孫がどっちも霊能者で、生前会ったこともないでしょうに、70年経った今こうしてあの世とこの世で通信しているなんて。

イヤですヨ、ほんと。

凡人にはついていけませんワ♥( ̄∇ ̄;)

 

合掌

「お伝さん」と宇賀神法 その1

宇賀神法(うがじんぼう)とは、神さまの宇賀神さまをお祀りしてお祈りする、一種の儀式儀礼のことを指します。

神さまの宇賀神さまは今でこそ知る人ぞ知る、というような存在ではいらっしゃいますが、古くから民間信仰のなかで人気が高く、崇められてきた神さまです。

その霊験はあらたかでしたのでしょう。

宇賀神さまも、宇賀神さまを頭の上に乗せられた「宇賀神弁財天さま」にしましても、豊穣や福徳を司る神さまで、今風に申しますと「幸せにお金持ちになりますように!」と願う人々に厚く信仰されていた神さまです。

 

そして、多分に真言宗と天台宗の間の経典に関する問題で?、今現在はややその知名度が低くなられた神さまなのです。

(その理由につきましては後ほど。)

 

さて、宇賀神先生のおばあ様こと「お伝さん」のお話です。

 

もともと宇賀神家は、土豪(どごう)の家だったそうです。

宇賀神先生いわく土豪とは、その土地の有力な地侍(じざむらい)のことだそうです。

先生が幼い頃、本家の宇賀神家に訪ねて行かれたときには、まだその表札に「鹿沼市 下奈良部町(しもならぶまち) 士族」と書かれていたそうです。

士族と申しましても、宇賀神家は正式な藩のお侍ではなく、その土地に昔から住んでいる地侍の家でした。

 

お伝さんが宇賀神家に嫁いで来られる前、明治の初め頃はおろか、もちろん江戸時代にもすでに刀を振り回すような戦もございませんでしたから、地侍と申しましても宇賀神家は広い広い田畑を持ち、当時はまだ小作人と呼ばれた人達を使い、農業に従事しておりました。

その土地ではなかなか裕福な家だったようです。

日本には名字の他に「屋号」というものを持っている家も昔は多かったですが、その本家の宇賀神家の屋号は「油屋」といったそうです。

つまり、油も(なかば商いのような形で)取り扱っている、という家でした。

当時は油はまだまだ高価な時代でしたから、そんな高価な油をたくさん仕入れて周りの人に売ることができるのは、裕福な家の証です。

 

大阪弁では、そんな土地の裕福な家のことを「ええ氏の家」(=いい家柄)と言いますが、全国的にはどうなんでしょう。

と、以前も別のなにかで「大阪弁では・・・」と書いた単語がございましたが、別の大阪人の方に「ボクその言葉知りませんでした(^-^;)」と言われ、もはや大阪弁かどうかすら怪しくなっております。

「ええ氏」、ご理解いただけることを願うばかりです。

 

ともかく、宇賀神本家は奈良部という土地ではええ氏だったようです。

 

そのええ氏の宇賀神さん、あるとき、東京の大学の教授でいらした方を食客としてしばらく家に迎え入れてさしあげていたそうです。

食客とは、もう今ではあまり聞かない言葉ですが、直接知らない人でもご縁を通じてお客様として家に泊めてあげ、ご飯を食べさせ、色々なところに見物に連れていくなど、お世話をしてさしあげるお客様のことを言います。

当時の大学の教授だなんて、よほど超がつくほどのエリートの方だったのでしょうね。

大学そのものができるかできないかの時代ですもの。

それは宇賀神先生のひいおじい様、源三郎さんの時代のことです。

多分、明治の初め頃のことですって。

ちなみに、源三郎さんは江戸時代の天保年間のお生まれです。

 

その教授の方が、しばらく滞在なさった後、帰られる前に

「これだけお世話になったのですから、何かお礼がしたいが、(たとえばお金になるような)いい情報で必要なことはありませんか?」

と、おっしゃってくださったそうです。

 

そのとき、宇賀神先生のひいおじい様の源三郎さんは、

「いやいや、百姓仕事は現金にはならねぇもんだから、何もいらねぇ。」

と、断られたそうです。

当時は、ちょっと言い方が乱暴かも知れませんが、お米がお金でもあったような江戸時代の名残がまだまだ色濃く残っている時代でしたから、裕福な家はイコール現金をたくさん持っている家という単純な図式でもありませんでした。

 

するとその教授、何やら考えられたあと、

「では街に行って、これとこれとこれを買って来てください。」

と、いくつかの材料を買うよう指示なさったそうです。

そして、手に入れたその材料を薬研(やげん)で細かくして分量を測って調合し、ひとつの薬を作られました。

 

その薬は、

「保血散」(ほけつさん)

と名づけられました。

 

そして、保血散は女性の貧血に効く薬として売られました。

当時はまだまだ日本全体が貧しい時代でしたから、栄養失調気味の人も多く、ゆえに今より女性の貧血も多かったようです。

 

その商売を始めた後くらいでしょうか、宇賀神先生のおばあ様の「お伝さん」が、宇賀神家に嫁いでこられました。

お伝さんの旧姓など詳しいことは宇賀神先生もご存じないのですが、とっても変わった人生を送ってらっしゃる宇賀神先生から見ましても「とても変わった人だったよ」と言われる先生のお父様が、さらに「とんでもない人だったよ」と称するような人だったそうです。

 

宇賀神先生の子供の頃もまだその名残はございましたが、当時はよく山伏さんがそこかしこにおられ、今で言う托鉢ですね、家々を廻っておられたそうです。

当然宇賀神本家にも托鉢に来られたのでしょう。

あるときからお伝さんが急に山伏さんに惚れ込まれ、家の敷地内にお堂まで建ててしまわれました。

そして、たびたび山伏さんに来ていただいては護摩を焚いてもらったり、ついにはご自身でもご祈祷の儀式を行われるようになられました。

別に出家なさったわけでも何でもないですのに、自らご祈祷をし始め、驚いたことにいつの間にやら何人かのお弟子さんまでできてしまったそうです。

 

ですが不思議なことに、いえ、不思議でもなんでもなく当然の帰結かも知れませんが、お伝さんの信心が効験あらたかでしたのか、保血散は売れ行きがどんどん良くなり、宇賀神家はますます裕福になっていきました。

宇賀神先生のひいおじい様の源三郎さんが望まれたように、現金収入のあるお金持ちになっていったのです。

だからでしょうか、宇賀神先生がお父様からお聞きした記憶によりますと、あまり家人からはお堂まで建てることは歓迎されなかったようですが、誰もお伝さんのことを止めることはできませんでした。

 

また、さらに、お伝さんには大変困った一面(どころではなく、何面も?)がありました。

宇賀神本家に多大なる現金収入をもたらした保血散ですが、その売上金が郵便局に為替で届く日が近づきますと、お伝さんは何やらそわそわしだすのです。

それを見たお舅さんにあたる源三郎さんもそわそわ、というより、ピリピリ・・・。

 

さて一体、売上金が届く日に何が起こるのでしょうか?

 

長くなって参りましたので、続きはまた明日♥

 

合掌

双子の宇賀神さま?

世にも珍しい?、双子の宇賀神さまの写真をお見せしましょう。

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双子の宇賀神さま

 

この写真は東京の上野にございます、寛永寺さんの不忍池の弁天堂の前で撮影いたしました。

2017年頃から出張で東京へちょくちょく行くようになりましたが、去年2018年の秋に、突然この宇賀神さまの像が境内に祀られるようになりました。

 

宇賀神さま。

名前が、宇賀神先生の姓と同じです。

もちろん先生の姓は本名です。

(短い記事ですが、こちらも見てね!→「宇賀神 龍仙という名前」)

 

宇賀神という名前は関西では珍しいのですが、実は栃木県などではまあまあ知られた名前ではあります。

よくある三文判のハンコにも、ちゃんと標準的に用意されているくらい「宇賀神」の名前は存在しております。

 

そして神さまの宇賀神さまは、今でこそ知る人ぞ知るという感じの神様でいらっしゃいますが、その歴史はかなり古いと思われます。

宇賀神先生がおっしゃっていましたが、古くは縄文時代の土偶のなかに、頭にとぐろを巻いた蛇を載せている人の像があるそうです。

やはり蛇という、人間からしましたら異形の生き物に対する根源的な怖れが洋の東西や古今を問わずにあり、ですからこそ日本を含む世界中でかなり古い時代から蛇が神さまの世界に属するものとして扱われてきたのかなと思われます。

その縄文時代の蛇を頭に乗せた土偶を見たくて、去年の縄文展に行ったのですが、残念ながら展示物のなかにはございませんでした。(→「人生山あり谷ありと言いますが、『谷間の春は花が咲いて』いました。」)

 

現在の宇賀神さまは、とぐろを巻いた蛇の身体の上に、ヒゲを生やしたおじいさんの顔が乗っている形で表されています。

私がいままで見たいくつかの宇賀神像はすべて頭を宇賀神先生のように丸坊主にしておられましたが、ここ上野の新しい宇賀神さまは髪の毛を生やしておられますね。

お顔もどこか幼げで、とても可愛らしい宇賀神さまだと思います。

 

また、以前もご紹介しましたが、この宇賀神さまを頭に乗せた弁天さまがいらっしゃいまして、「宇賀神弁財天」というお名前がつけられたりしておられます。

上野の東京国立博物館で一度「現存する最古の宇賀神弁財天」像として、とても美しい弁天様が展示されており、ほれぼれと拝見しましたが、残念ながら次に伺いましたときは展示されておりませんでした。

よく存じませんが、常設展のほうでも展示物は入れ替わるのでしょうか?

よろしければこちらの記事も見てください。

お写真も載せておりますが、とても美しい宇賀神弁財天さまですよ。

宇賀神弁財天さまと、実は蛇がコワイ宇賀神先生

 

もちろん今でも実際にご本尊さまとして祀られている、宇賀神さまを頭に載せられた弁財天さまもいらっしゃいます。

有名なところでは、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)や、鎌倉の江の島の弁天様がいらっしゃいますね。

 

また、この上野の寛永寺さんの不忍池の弁天さまは、八臂大辯才天尊(はっぴだいべんざいてんそん)さまとお名前がつけられておいででしたが、やはりその頭上にも宇賀神さまをいただいておられました。

お守りを買ったときにいただいたしおりに綺麗に描かれていましたから、ご参考までに載せますね。

絵の下に「本尊 八臂大辯才天尊」と書かれておりますが、字が小さいため見えづらく、申し訳ありません。

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不忍池の弁天様のしおり

 

ちょっとアップにしてみます。

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八臂大辯才天さまの頭上の宇賀神さま

弁天さまの頭の上の鳥居のなかに、宇賀神さまが見えますでしょうか?

 

これらの宇賀神さまの風貌と、宇賀神先生の風貌がどことなく似ているのは偶然なのでしょうか、それとも必然なのでしょうか。

宇賀神先生は長いお髭を生やしておられますが、その理由は主にふたつです。

ひとつ目は、以前にもご紹介しました、宇賀神先生の運命を変えたと言っても過言ではない、偶然出会われた名前も知らない不思議なおじいさんの影響を受けて。

 

こちらの記事です♥

されど顔で運命は決まる その1

されど顔で運命は決まる その2

されど顔で運命は決まる その3

 

そしてもうひとつの理由は、別の人相学上の問題で。(このことにつきましては、またいずれご紹介しますね!)

 

よく、世の中に偶然はないという風に言われておりますが、たしかにそのような一面は感じます。

ですが、あまり何でもかんでも縁や因縁や必然でひっつけてしまうと重たくなりすぎて身動きが取れなくなってしまいそうですから、自分にとりまして都合のよことにかぎり、ほどよく「必然だねぇ」などと納得することにしております。

ちなみに宇賀神先生はこのことを「いい加減(良い加減)♥がいいんだよー。」と言っておられます。

 

ですので私は、宇賀神さまの風貌と宇賀神先生の風貌がどことなく似ておられますのは、やはり宇賀神先生の宇賀神さまとのご縁が人一倍強くていらっしゃるため、と解釈しております。

日本には宇賀神姓をお持ちの方はたくさんいらっしゃいますが、その中のいったいどれほどの人が神さまの宇賀神さまの存在をご存じで、その歴史から、ご真言や印や、その他色々をご存じでしょうか。

 

宇賀神先生は、このことを「霊統」(れいとう)と呼んでおられます。

ご先祖さまから子孫への血のつながりのことを血統と申しますね。

それと同じように、霊的(神的)な縦のつながりを称して霊統と言うのだそうです。

宇賀神先生にとりましてもありがたいことに、ご自身でも、宇賀神さまからの霊統を受け継いでいらっしゃると感じておられるそうです。

強い強いご縁を感じておられます。

 

そしてそれは、実は宇賀神先生のおばあ様の代にも、強く表れていたのですとか。

宇賀神先生の実のおばあ様。

名前を「伝」(でん)とおっしゃったそうです。

 

次回からはそのお伝さんのお話をしていきたいと思います。

まあー、この方も、宇賀神先生と同じくトンデモナイお方だったようです。

やはり血は争えないのかしら。

事実は小説より奇なりと申しますが、宇賀神先生の人生を垣間見ておりますと、うなずかざるを得ませんね。

 

では、次回からもお楽しみに。

お伝えしたいことたくさんあるのですが、なかなか頻繁に更新できず申し訳ありません。

気長に待ってやってくださいませ。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。♥

 

合掌

めでたい富士山をおすそわけ。

先週は金曜日から日曜日まで出張で出ておりました。

偶然にも日程が重なり、金曜日は仙台、翌土曜日と日曜日は東京でお仕事となりました。

しかも、この季節は雪が心配だから早めに東京に入りたいと宇賀神先生がおっしゃいましたので、なんと金曜日の朝一番で大阪→仙台のフライト、日中を仙台で過ごした後、夜にそのまま新幹線で東京に出てきて金曜日から東京で宿泊、という移動スケジュールになってしまいました。

1日のうちに大阪から東北に向かって空を行き、陸で関東に帰ってくるなんていう移動は生まれて初めてでした。

 

なんだかちょっと忙しいビジネスマンのようで?、ドキドキと楽しい旅路でした。

何にドキドキかって、飛行機や新幹線に「乗り遅れないように!」

なにしろ私達は珍道中の常習犯ですから、何かと油断はできません( ̄∇ ̄;)

 

金曜日も朝早くから目覚ましをかけ、行ってまいりましたよ!

私は数年ぶりに飛行機に乗りましたが、ちょっぴり怖かったものの、「快適な空の旅」となりました。

そして運よく富士山まで見ることができました。

日本人のDNAがそうさせるのか?やっぱり富士山が綺麗に見えますと、それだけでもう嬉しくなっちゃいますね!

ということで、今日はどうということはないのですが、「みんなもきっと大好き♥富士山」を、おすそわけ(^-^)

すごくタイミングよく、綺麗に撮れました。

 

mt.fuji1
飛行機の窓から、富士山!

ちょっとアップにしてみます。

mt.fuji2
富士山を上空より

どうでしょう、飛行機の窓枠とエンジンの間に見えたほんの一瞬のタイミングを逃さず、よく撮れたものだと我ながら満足しております。

 

2019年の初日の出といい、今年は写真をバッチリ撮ることができていて、とっても嬉しいです。

(めでたい初日の出はこちら→「運がいい!(のか悪いのか?)珍道中6~どう考えるかで運命も変わる編~」)

 

ただ、富士山大好きとか言いながら、あれが本当に富士山だったのか?と少々心配でもありました。

だって地図ではないですから、山の上空にこれが富士山ですよ、とは書いていないのです。

日本には本当に山が多く、どれがどれだか正直なところよく分かりません。

星と同じく山(登り)の好きな父でしたら多少は色々と分かったかも知れませんが。

 

本当に、こんなに豊かに山々があるのですよ。

ありがたい国です。

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雪をいただく山々

 

しかも、富士山らしき山を越えてしばらく行きますと、もうひとつ富士山みたいな火口のぽっかり開いた山が見えてきました。

azumakofuji
吾妻小富士

あわてて隣の宇賀神先生を呼び、「あの山は何??」と尋ねますと、

「たぶん吾妻小富士(あづまこふじ)って言う福島県の山かな。」と。

 

吾妻の小さな富士山。

 

なるほど、言い得てますね。

 

そのときふと思い出したことがございます。

よく日本人は富士山のような見事な山がありますと、「ΟΟ富士」と、今回の吾妻小富士のように富士の名を使って「これは富士山のように素晴らしい山だ」と表現いたしますね。

ところが、青森県の岩木山では逆のこと言う、と、お聞きしたことがございました。

つまり、岩木山も美しく雄大な山なのですが、岩木山が「津軽富士」=津軽にある富士山なのではなく、富士山が「駿河岩木」=駿河にある岩木山なのだと。

青森の人の岩木山への愛情を感じて感心いたしました。

その土地の人達の郷土愛には、いつも感動いたしますね。

 

さて、数年ぶりの快適(というよりずっとスマホで写真を撮りまくっていたお上りさん)な空の旅を無事に終え、仙台でのお仕事を終え、夜の東北新幹線に乗ってその日のうちに東京へ。

宇賀神先生も東北新幹線に乗られるのは久しぶりです。

「写真撮って♥」と人に頼んでおきながら、なぜかカメラ目線じゃない先生。

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東北新幹線につっつかれそうよ!

 

宇賀神先生はお若い頃、まだ今の能力に目覚められる前は、職を転々とする今で言うところのワーキングプアでいらっしゃいました。

転々とした最後のお仕事になったのが、コンクリートミキサー車の運転手のお仕事です。

そのお仕事をやめて、めでたく今のお仕事を始められたことは、以前にもお伝えしましたね。

こちらもご覧ください♥

↓↓↓

佛さまから「二足のわらじ」を許されなかったという愛のムチ その1

佛さまから「二足のわらじ」を許されなかったという愛のムチ(別名、不空羂索。) その2

 

宇賀神先生がコンクリートミキサー車を運転なさっていたとき、積み荷のコンクリートを、当時建設中でしたこの東北新幹線の橋げたを作るためにも運んでいらしたそうです。

そのときは、

「この新幹線に乗って東京に仕事に行くなんていう人は、どんな人なんだろう。」

と、きっとまるで自分とは住む世界の違う人のようにぼんやりと思っていたのですって。

 

それが後年、自分がこうしてその新幹線に乗り東京に仕事に行こうとは。

東北新幹線に乗られるときはいつも、あのときの自分の思いを感慨深く思い出されるそうです。

こんなに素晴らしく速い新幹線に乗って、あっという間に東京に着いて、しかもお仕事させていただけるなんて、なんて幸せなんでしょうねぇ。

 

あ、そうそう。

 

今回はさすがにお仕事だったから珍道中な事件はなかったのでしょうかって?

そうですね、ありがたいことにそんなに大きな事件はございませんでした。

 

ただ、仙台から新幹線に乗り、東京のホテルに夜も遅い23時30分頃到着した翌朝、目が覚めると9時53分でした( ̄∇ ̄;)

「あと7分でチェックアウトの時間やーーー!!!」

と、大慌てで飛び起きたことくらいでしょうか。

定刻より20分くらい過ぎてのチェックアウトとなりました。

目覚ましのアラームを止めたのは誰かって?、それはナイショです。

 

あっ・・・今ふたつ目を思い出してしまいました。

2泊目のホテルでは、朝、部屋を出るときにうっかりと部屋の鍵を中に入れたままドアを閉めてしまい・・・オートロックで一度閉めてしまうと開かないドアなのです・・・ここでもフロントの方に「ごめんなさい」したのでした。

 

うーん、今日はめでたい富士山を皆さんにお裾分けしようと思っただけですのに、また自分の恥をさらしてしまう結果となりましたね。

大丈夫。

ドンクサイのが玉にキズ♥

と、めげずに生きております(^-^)

「おめぇさんの頭の中が一番めでてぇな」と言われそう?

 

合掌

「死ぬまで痛いって言わせない。」

「死ぬまで痛いって言わせない。」

宇賀神先生が、私にそう約束してくださいました。

 

始まりは去年2018年の夏(今思い起こせば実は数年前にもございました)、そしてこの年始年末も色々とややこしかった私のお腹ですが、選択した治療方針のもと、今のところ落ち着いて暮らしております。

ご心配をおかけしたままブログもダンマリしていて申し訳ありませんでした。

心と身体の態勢を整えておりました。

今日は私のお腹に関するご報告をさせてください。

 

年始年末のドタバタを経て、今年に入ってから、宇賀神先生のご相談者様で以前に婦人科疾患を患われた方がいらっしゃいましたので、その方にどんな風にお医者さまに行けばいいかお尋ねしました。

その方は宇賀神先生とのおつきあいが私より長い方で、いつも親しくお話してくださいますので、尋ねてみようと思いました。

また、今回の年始年末のこともブログを読んでくださってる娘さんを通じてご存じのようで、お越しになるなり開口一番、

「お正月大変やってんてー?」

と、心配してくださいました。

 

ですのでその方に、救急車で運ばれたときの国立病院に行けばいいのか、もっと以前に一度行ったことのある婦人科の(摘出)手術で全国的にも有名な病院に行けばいいのか、それともまずは近くの婦人科に行けばいいのか、お尋ねしてみました。

ご自身のご経験はどのようでいらしたのかもお尋ねしました。

 

うちの近くにある産婦人科の病院は、実は私自身が生まれた病院なのです。

街の中のお医者さまがお一人でなさっている病院で、私はそこで生まれて、小さい頃も小児科の先生として何度も診ていただいた病院です。

ですが今は先生もお年を召され、診療時間も短くなさっていて、大きな手術とか?は多分もうなさってないように思われます。

 

すると、宇賀神先生のご相談者様は、

「まず行くなら、それは近くの経験豊富な“おじいちゃん先生”がいいよー。」

とおっしゃいました。

「若い人はすぐに切りたがるから!」

とも。

 

すぐ切りたがるって・・・(T-T)

と、ちょっとビビる私。

いえ、もうお尋ねしたときは手術もやむなしかしらとは思っておりましたが、やっぱりお腹を切るなんて怖いのがホンネです。

 

ですが、その方は本当にご親切にご自身のご経験も含めて色々と教えてくださいました。

絶対まずは「経験豊かなおじいちゃん先生がいい!」と。

そして、お話しくださっているあいだずっと、とても私のことを案じてくださっているのを感じられ、本当にありがたいと思いました。

 

ですのでその方のおすすめに従い、まずは私をこの世にとりあげてくださった近くの産婦人科医、T先生のもとを訪ねました。

夏以降の経緯をお話しし、この一連の痛みの原因は何だと思われるのか、どの様な治療方法がいいと思われるのか、お聞きしました。

 

するとT先生は、その痛みはやはり子宮内膜症が原因であると考えられます、とおっしゃいました。

腸との癒着はもちろん内膜症が原因で起こったことですし、痛みも子宮の外に漏れ出た内膜が活発になるときに引き起こされるのです、と。

どうしても婦人科の月経周期によって定期的に子宮内膜が活発になるので、その時期により色々な要因も絡めて痛んでくるようです。

 

ですが、手術も避けられないのだろうかとこわごわお聞きしていますと、

「手術して子宮を摘出したとしても根本的解決にはなりませんよ。」

と、さらりと断言なさいました。

「ええっ。」

と、びっくりする私。

 

だって、子宮を取ってしまえばそもそも月経も起こらなくなり、そうしたら外に漏れ出た内膜とやらも活動しなくなるのでは、と思っておりましたから。

T先生は本当にご丁寧に長い時間をかけて私に説明してくださっていましたが、結局医学的知識のない私には、なぜ摘出手術が根本的解決にはならないのかがよくわかりませんでした。

ただ、T先生がおっしゃるには、私の年齢がもう子供も早急に望むような年齢でないこと、平均的な場合ですと、あと5~6年ほどで閉経を迎える年齢であることを考えますと、低用量ピル(経口避妊薬)を服用し、子宮内膜の活動を抑えて、それにより痛みを抑えてこの5~6年を乗り切ることがよいのでは、とのことでした。

そして閉経を迎えてしまえば、その痛みも徐々に起こらなくなるようです。

 

なぜ子宮摘出手術が根本的解決にはならないのか、いまひとつ芯まで理解できませんでしたが、すごく嬉しかったのが、そのT先生のお話をお聞きしていますと、胸の中の不安の塊が、すーっと溶けていくのを感じられたことでした。

穏やかなT先生のお話しぶりをお聞きしているだけで、心が溶けていきました。

頭より先に心が理解したようでした。

ああ、この先生は、病気の説明をなさっているだけで患者の心まで治してしまわれるのだなぁ、と感じました。

名医の定義は色々とあるでしょうけれど、私をこの世にとりあげてくださったT先生は名医でいらしたんだー!と、本当に嬉しく、内心感動しておりました。

 

そしてもちろん大きな病院に、念のための診察を受けるように再び紹介状を書いてくださいました。

夏に救急車で行くように紹介状を書いて下さった国立病院の、今度は救急のお若い方ではなく婦人科部長の先生に診ていただけるように、と。

その紹介状のためにも血液検査をさせていただきます、とのことでしたので、二つ返事で快諾しますと、何とT先生自ら採血なさるようではありませんか。

えっ、看護婦さんは?・・・おじいちゃん先生が自ら??・・・だ、大丈夫???

と、さっきはあんなに「名医だ!」と思っておりましたのもどこかに吹き飛び、注射の針におびえました。

しかも、採血のための注射器が、単3電池の細さではなく、単2電池くらいあるぶっとい注射器です。

ここは看護婦さんもいらっしゃらないんだー、と内心トホホと思いながらも腕を差し出しますと、何と、全然痛くない・・・。

今まで受けた注射針のなかで、一番痛くない注射でした。

 

やはり名医すぎる♥(T-T)

 

と、ひとり感動しながら、T先生のもとを後にしました。

 

そして後日、国立の病院に行き、婦人科部長の先生の診察を受けました。

そこでは低用量ピルを含めて3つの治療方法を提案してくださいましたが、その中には子宮のみでなく卵巣まで開腹手術で取ってしまうものもありました。

ですが、やはり、

「子宮と卵巣の摘出手術は(子宮内膜症による痛みを取ることの)根本的解決にはなりません。」

とはっきりと断言なさいました。

どうして?、とここでもやはり解決にならない理由は分からず仕舞いでしたが、お忙しい先生に素人相手の医学の講義をお願いするわけにもいかず。

たぶん癒着部分の腸を傷つけないためにも子宮(内膜?)を多く体内に残す形で切除するため?、月経が起きなくなってもその部分が本来の閉経時まで痛みの原因になるのでしょうか?

ただ、二人のお医者さまが手術は根本的解決にはならないと断言なさったのだけが分かりました。

 

ただし国立の先生は、MRIの画像により私の子宮筋腫や腺筋症が大きいのを見られて、根本的解決にはならなくても、一番には手術がいいと思うとおっしゃいました。

ですが、私は、もうT先生のお話をお聞きしたときにすでに治していただいたような気持ちでおりましたから、なるべくなら極端な手段をさけて、一番穏やかな方法である低用量ピルでまずは様子を見てみたい、とお伝えしました。

 

ちなみにこれは後日談ではありますが、国立病院での診察・投薬のあと地元のT先生のところへご報告方々参りますと、詳細な検査結果をご覧になったためか、私の場合くらい大きくなった子宮筋腫および腺筋症は、“身体の健康”の観点から言うと、手術で取った方がいいとは思われます、とおっしゃいました。(この場合は子宮全摘となります。)

ただその手術は癒着の範囲が広いため、難しい手術になる可能性が高いともおっしゃいました。

難しい手術や臓器を失うことのリスクと、子宮(筋腫、腺筋症、および卵巣)切除により得られる健康のリワード。

私の感覚では、まだ今のところ天秤にかけるにはリスクの方が大きすぎるかなぁ。

 

それに、私にはもうひとり内緒の強い味方がいるのです。

 

そう、宇賀神先生です。

 

T先生のお話を宇賀神先生にお伝えして、とりあえずはピルの服用で行きたいとお話ししたとき、宇賀神先生が私にこう約束してくださいました。

 

「綾野が手術しないって決めたなら、死ぬまで痛いって言わせない。

それはわしが引き受ける。」

と。

 

T先生同様、とても穏やかにおっしゃってくださいましたが、とても力強く感じられました。

ああ、この安心感。

私はこの人の、まるで大地のようなこの力強さに魅かれたんだった、と思い出しました。

宇賀神先生も、それこそ今は立派な「おじいちゃん先生」ですが、T先生のお話をお聞きしていたときと同様に、自分が患者ともいうべき立場に立ちますと、あらためて宇賀神先生の力強さを感じました。

 

いつもは、ですね、それは夫婦ですから、しかも若干、カカァ天下どころか鬼嫁天下となりつつあるような!?、いつもはまぁそれなりにお尻に敷いちゃっているわけですよ。

おじいちゃんだし。

毎朝顔を洗った後は決まって眼鏡がないって探されますし。

ダウンのチョッキでさえ、よく表裏逆に着ておられますし。

カンタンな足し算も必ず間違えられますし。

食後すぐに歯を磨かないのも、いつもお嫁ちゃん(鬼)に怒られているわけですよ。

 

ですが、いざこういうときの宇賀神先生は、やっぱり「先生」なのでした。

なんだか、宇賀神先生がついててくださってると思うだけで、根拠はないのですが、奇妙な安心感に包まれます。

「なんか大丈夫な気がする」って。

こんな風な思いを、ご相談者様たちは感じてくださっているのでしょうか。

 

そして1月の後半からこの2月中旬にかけては、実際にもほとんどお腹が痛むことなく過ごせているのでした。

この間には本来痛むはずの月経期間もありましたし、そしてまだ効果の出るほどピルも飲んではいませんのに。

 

もちろん基本的なこと、たとえば夜なるべく早く寝て睡眠時間を充分に取ること、身体を冷やさないこと、ストレスをたくさん作り出さないこと、など、今までよりさらに気をつけております。

身体が示す不調は、初めはとてもささやかなメッセージとして伝えてきますからね。

ちょっと足が冷えてるよ、疲れてるんじゃない?、痛くはなくても重いだるさを感じてない?って。

そのささやかなメッセージを無視せずに、今まで以上にちゃんと聞き取っていこうと思います。

そして後は病院からいただいたお薬と、宇賀神先生と、神さま佛さまにお任せ、です!

 

それでもダメなら、またその時に考えましょう。

「死ぬまで痛いって言わせない。」

と、まるで2度目のプロポーズのように誓ってくださった宇賀神先生がいらっしゃる限り、どうあっても、たとえ万が一また痛くなって手術を受けるような結果になってでさえ、大丈夫だと思えます。

ちょっとヘンな結論かも知れませんが。

その時その時で、最善の手段を選んでいきたいと思います。

 

いつもご心配くださっている方々、本当にありがとうございます。

今まで以上に身体を大事にしてまいります。

「身体が資本」という言葉が身にしみました。

皆さまもどうか、お身体おいといくださいませね。

 

 

では、長い長いご報告も済んだところで(おつきあいありがとうございました!)、本日のオマケを♥

つい昨日、うちの可愛い姪っ子が、食べに行ったレストランでとっても素敵な写真を撮ってくれました。

皆さんご存じですか、SNOWっていうアプリ。

写真をおもしろ可愛く加工してくれるのです。しかも少々顔の美容整形までして!?

その写真が、こちら。

mickey
ミッキーマウスな宇賀神先生

なんて言うか・・・宇賀神先生の「所在無げなミッキーマウス」っぷりが笑えません??

宇賀神先生は酔っぱらわれたときに、よく魔法使いのミッキーマウスのマネをなさるのですが、まさにこの写真がぴったりすぎて。

きっとこのミッキーは「死ぬまで痛いって言わせない」っていう魔法を、私だけでなくみんなにかけてくれるのでしょう♥

 

・・・ってすみません、この所在無げなミッキーの可愛さが理解できるのはこの世で私だけでしょうか?

別の言葉で申しますと、この世的には可愛くないとでも言うのかしら!?

求む、理解者!なのでした♥

 

合掌

運がいい!(のか悪いのか?)珍道中6~どう考えるかで運命も変わる編~

姶良警察署で無事に大金をその手に戻すことができた宇賀神先生。

めちゃくちゃホッとしたのも束の間、次はフェリーに間に合うかどうかの問題でした。

 

警察署の駐車場で車のナビに志布志港を登録しますと、出てきた到着予想時刻は17:20でした。

フェリーは17:55発予定。

およそ30分前の到着予定です。

そこで、志布志のフェリーターミナルに電話をしました。

 

「すみません、今日大阪に向けて出港のフェリーに乗船予定の宇賀神と申します。ウィズペットプランで車の車高が2.6mと高いため、出港の2時間前には来てくださいと言われていたのですが、トラブルがあり行けませんでした。出港時間ぎりぎりに到着することになりそうなんですが、受け付けてもらえますでしょうか。」

「ナビの到着予想時刻は何時になっていますか?」

「17:20です。順調に行けば、ですので、そこから少し後にずれるとは思いますが・・・。」

すると、

「15分前までに来ていただけましたら何とかなると思いますので、とりあえず来てみてください。」

と、おっしゃってくださるではありませんか!

「あの・・・ちなみに、乗り遅れた場合のキャンセル料はどれくらいですか?」

と、恐る恐る尋ねますと、

「運賃の30%です。」

と。

「分かりました!ありがとうございます!気をつけて参ります!」

と、喜々として電話を切りました。

 

「キャンセル料、全額じゃないって!万が一のときでも、ちょっと助かるねー。それに15分前までなら何とかなるって!」

と、心軽くアクセルを踏むことができました。

宇賀神先生が、

「あせっちゃいけないよ、こういうときに事故を起こすんだから。」

とおっしゃるので、

「大丈夫、急ぎつつ慌てへんから。頭は冷静やで!」

と、さっきもインターの降り口を間違えたのを棚に上げ、余裕ぶって返事をしました。

 

ですが、本当にこういうとき、お財布を落としたことでうろたえた頭と別なところでハンドルを握っていないと、危ないですものね。

「フェリーに乗り遅れたら、乗り遅れたときのこと。そしたら大阪まで陸路で帰るわー。(キャンセル料30%で済むし!お腹も何とか大丈夫!)」

と、自分で自分に言い聞かせ、再び九州自動車道に乗り込みました。

 

九州自動車道の桜島サービスエリアを越え(今度は急いでいたため、立ち寄りませんでした)、またあの雄大な桜島が、今度は右手に見えてきました。

素晴らしいなーと思いながら、ふと助手席の宇賀神先生の横顔を見ますと、お財布が手元に戻ってきたとは言え、何だか顔が少々こわばっておられるようでした。

「そりゃそうやんなー、一番びっくりしたのは宇賀神先生本人やもんなー。」

と考えておりましたら、さっきのコンビニでお腹を見せつつ、「大変だ!カバンが無いー!」って顔面蒼白になりながら訴えた宇賀神先生の姿が思い出されました。

あれって「ぽんぽん痛いー」ってお腹見せてるちっちゃい子そのまんまやったなぁ、と。

そしたら何だかモーレツにおかしくなってきて・・・

 

「あーっはっはっは!!」

と、耐えきれず大声で笑い出してしまいました。

 

急に何の前触れもなく女房が運転席で大声で笑いだしたものですから、かなりギョッとなさった宇賀神先生、

「急にどうしたんだ?」

気でも触れたのかな、と心配そうでした。

 

「だって、何かもう、めちゃくちゃおかしくて。なぁ。

旅の初めから、っていうか始まる前からJALが飛ばんくって、高速乗り口間違えて、西の宮でステッキ忘れて、島原で入院して、鹿児島であーんな大金忘れて、それが警察に届いてて。

んで、今フェリーに乗れるかどうかの瀬戸際やで。

おかしすぎるわ。すごすぎる旅やん。こんなん普通ここまで無いで。

先生も、前に勉強会で『人生でもうダメだ!って思ったときは、笑え!』って言ってたやん。そこで泣いたらあかんって。力を失くすって。『ウソでもいいから、泣き笑いになってもいいから笑え!』って前に勉強会でも言ってたやん。

そしたら本当におかしくって、めっちゃ笑けてきてん!

あっはっはっは♥」

 

と、何だかもう笑えて笑えて仕方がありませんでした。

宇賀神先生は横で、少々顔を引きつらせながら「ははは・・・」と、力なく笑っておられました。

 

「笑い飛ばす」という言葉が結構好きなのですが、本来の意味とは少し違うかも知れませんが、少々の困難など「笑って吹き飛ばしてしまえ!」といつも思います。

もちろん人様の困難を笑うことはできませんが、自分自身の身に起きた少々のことであれば、文字通り笑って吹き飛ばしてしまう力を持っていたい、といつも思っています。

宇賀神先生が勉強会で教えてくださることは色々あって、佛教や氣のお話の他に、こうして私自身の人生を「より楽しく軽ろやかに」生きていけるような考え方を、この20年余りでしみ込ませてもらえたなぁ、と、思います。

 

三度行き来して見た桜島は、やっぱり雄大で美しかったですよ!

たぶん一生忘れない景色ですね♥

 

そしてさらに、そこへ持ってきて最終最後のスパイスは、「車の燃料ランプが点滅しだした」こと!

つまり、「早く給油しないとガス欠になりますよー」と、車が教えだしたことでした。

 

いえいえ、分かっておりました。

志布志港に近いインターから警察署に戻ろうとした際、再び志布志港に到着するまでの距離を頭の中で計算しましたら、ガソリンが結構ギリギリになるなぁと思っておりました。

ですが、多分ギリギリ間に合う(はず!)とも思っておりました。

もうそれに賭けるしかありませんでした。

給油している時間が無いと思いました。

 

「前に、ガソリンのランプが点滅しだしてから50kmは走るって先生も言ってたやん。なんならフェリーの中でエンジン切った途端にガス欠になってくれてもいいから!」

と、もうただひたすら前を目指して止まることなくアクセルを踏みました。

それでダメなら、JAFさんのお世話になる(そしてフェリーに乗り遅れる)だろう!と。

 

そして。

 

ついに、志布志港到着!

 

時間は、17:30に、もうすぐなるところでした。

「大丈夫!15分前になってない!」

と、走って受け付けに行き、乗船手続きをしました。

何の問題も無く、すんなりと手続きしていただけましたよ♥

 

急いで車に戻り、フェリーに乗り込みました。

すると、私達の車がフェリーのスロープを登っている途中で、係の方が閉じる準備をし始められました。

最後の一台やったわー(ToT)

と、内心苦笑しながら車を進めました。

 

最後の最後は、無事に乗船!

心からホッといたしました。

しかも、お部屋はデラックスルーム( ̄∇ ̄)♥です。

めったにない、こんな機会。

なんて優雅な船旅なんだ~、と、めちゃ嬉しかったです。

 

そして次の日、2019年1月1日。

元旦です。

「広重ブルー」とでも言うのでしょうか。

夜明け直前の、何とも言えない青色です。

hiroshige-blue
広重ブルーの空

 

そしてついに、初日の出!

2019hatsuhinode
2019年初日の出

船上から初日の出を見たのは、生まれて初めてでした。

 

2019年が明けて、宇賀神先生がおっしゃったことがすごかったです。

 

「わしはますます運が向いてきたぞ!

落としたお金が戻ってきたんだ!

25年前、全く同じ金額を落としたときは戻ってこなかった。(←実話です。)

そのとき、『めったに起きないことが起きたんだから、これからめったに起きない幸運がやってくる!』って言ってたら、その年に奈良に宗教法人を設立できた。

今回は落としたけどそれが戻ってきたんだ。

あのときより、ますます幸運だぞーーー!!!」

と。

 

「いや、そもそも『幸運にも』忘れないでいてくれよー。」とツッコミを入れたくなりましたが、本人は至って意気揚々としておりましたから( ̄∇ ̄;)

 

それに、実際のところ、純粋に「氣」というものの強さから見ますと、25年前の40歳台の宇賀神先生の方が当然お強いのです。

壮年の頃にいちばん氣も充実し、70歳になられた今、年とともに氣が衰えていくことは、自然の摂理です。

ですが、それを補ってなお余りあるものを築いているかどうかは、生き方(お修行)次第なのでしょう。

そしてその生き方で、めぐりくる運命も変わります。

 

たぶん宇賀神先生の場合、この「明るくめげない心」が先生ご自身の人生を助け、あり得ないほどの幸運も招き寄せてきたのでしょうね。

本当に、踏まれても踏まれても死なない雑草のように。

折れたように見えても、しなっただけで、やがてまた立ち上がります。

めげない。

本当に、心が明るく強いお方です。

私自身、宇賀神先生のこの明るい強さにどれほど心を助けられたでしょう。

 

まっ、ですから、お金を忘れたことは棚に上げて、返ってきたんだからますます幸運なんだ!ということにしておいてさしあげましょう!

「何の問題もない♥」ですね。

これ、宇賀神先生の口ぐせです( ̄∇ ̄;)

これを聞いただけで、どんな人でどんな人生だったか想像できますでしょ?

 

ということで、長い長い珍道中におつき合いくださり、ありがとうございました。

「お金が戻ってくるか気になって夜も寝られません!でも昼寝してました!!」などとおっしゃってくださり、先を楽しみにしてくださった方達、ありがとうございました。

 

また、これはある人と私だけに分かることなのですが・・・

フェリーのお部屋近くに、この絵が飾られていました。

same-picture
あの絵と同じ

これは以前お土産にいただいたコースターに描かれていたものと、まったく同じ絵でした。

そのお土産をくださった人(達)に、私は今回とてつもなく心配をかけてしまったのです。

いただいていたメールに返信しようと、島原の入院先の病院で

「旅先でお腹が痛くなって入院しちゃったよ!でもきっと無事に帰るから、大丈夫!」

みたいに、軽い気持ちで書いてしまいましたら、まあー、ものすごく心配してくださったのなんのって。

親戚か家族だったかと思うほど心配してくださいました。

ちょっとした現況報告のつもりが、めちゃくちゃ申し訳ないことをしてしまったと、心から反省し、また、とてつもなくありがたかったです。

涙が出るほど愛♥を感じてしまいました(^-^)

その人がくださったコースターとまさに同じ絵に、フェリーで出会うとは。

ここまで心配して、お心でついてきてくださったんだ、と、本当に嬉しかったです。

I will never forget your love♥

心より、ありがとうございました!

 

 

また、次回からのブログも楽しんでいただけますと幸いです。

人生そのものが珍道中の私たちですが、末永くおつきあいくださいませね♥

では、今日もよい夢を(^-^)

 

合掌

泣くほどありがたかった珍道中5~日本の国、人々に感謝編~

桜島サービスエリアから1時間も走ったところで、大金の入ったウエストポーチをトイレに忘れてきたことに気づいた宇賀神先生。

顔が文字通り血の気を失っておられました。

 

立ち寄ったコンビニエンスストアからゴージャスなプリンも買わずに慌てて出て、その駐車場でスマホを取り出しました。

桜島サービスエリアを検索し、電話をかけ、祈るような気持ちで尋ねます。

「あのっ、大阪の宇賀神と申しますが、1時間ほど前にそちらのお手洗いで主人がウエストポーチを忘れたようなんです。ベージュ色で、中にはちょっと大きな金額の入っている財布があったのですが。そちらに届いていませんでしょうか?」

 

すると、

「あっ!お忘れ物、届いております!」

 

「ええっ!ホントですかぁーーー(ToT)(ToT)♥!!!」

 

なんと、宇賀神先生の後生大事なウエストポーチが、忘れ物として届けられていたのです!

しかも中のお金もそのままあったようです。

ああ、日本は何と素晴らしい国でしょうか!

日本にお住まいの方達は、なんと素晴らしいのでしょうか!

あんなに大きな金額が盗まれずに届けられていたなんて!!

夢みたい♥

 

すると、サービスエリアの方が、

「ですが、金額が大きかったですので、すぐに警察の方に届けていて、今はここに無いのです。姶良(あいら)警察署というところです。担当の警察官のお名前は・・・」

と、教えてくださいました。

もう何度も何度もお礼を申し上げ、電話を切りました。

多分私の声はうわずっていましたね。

 

そして、鹿児島の姶良警察署にお電話しました。

「先ほど桜島サービスエリアにお財布の入ったウエストポーチを忘れた宇賀神と申します。」

すると、警察官の方が確かに預かっていますとおっしゃいました。

そして、すぐ返していただくことも可能だとのことでした。

もう、どんなに安心したことでしょう!

 

ただ、警察にお電話した時点でフェリーの出港時間まで3時間を切っていました。

姶良警察署は桜島サービスエリアの少し先です。

車を停めていたコンビニから1時間は確実にかかります。

往復で2時間以上、それに手続きに20〜30分?

しかも大晦日のこの日、渋滞が起こらないとも限りません。

つまり、フェリーの出港時刻に間に合わない可能性の方が高くなります。

 

そこで、あと3時間弱で出港のフェリーで帰阪する旨をお話し、宇賀神先生のウエストポーチを大阪(の警察署)まで届けていただくことが可能かどうかお尋ねしました。

すると、何ともありがたいことにそれができるとおっしゃるではありませんか。

これで万事オーケー!

宇賀神先生に、大阪の警察署で受け取りましょうとお伝えしました。

すると、

 

「絶対ダメー!!!今日中に受け取らないとダメ!この手に帰ってくるまで信じられない!!!」

と。

 

「何でよー。『世界一安心な日本の正義』の警察が届けてくれるねんで?ヤマト運輸さんでもすごい安心・安全やのに、それよりさらにすごい正義の味方、警察やで?絶対大丈夫やん。」

と言いましたが、聞きません。

「絶対ダメだーーー!!!」

 

・・・もう、目が三角に吊り上がっています。

テコでも言うこと聞かなさそうです。

 

「すみません、やっぱり今日中にお返しいただきたいそうです。今からそちらへ参ります。」

わざわざそんな「ほぼフェリーに乗り遅れるのが確実」な方を選ばなくても、と思いましたが、まあ、気が気じゃないのでしょうねぇ。

それに、年始を迎えるにあたり、大事にしているお金が手元にないままというのも、ちょっと縁起が悪くて可哀想な気もいたします。

あーあ、これでフェリーのキャンセル料・・・いくらになるのかな。

もしかして当日だから全額とか?

と、キャンセル料におびえつつも、とりあえず宇賀神先生の半泣きの訴えを聞いてさしあげようと、志布志港とは反対方向の、姶良警察署に向けて出発しました。

 

その途中、高速道路上から再び桜島を見ました。

どうやら九州自動車道を東から西に向かって行く方が、桜島が綺麗に目の前に見えるようです。

まぶしい太陽に照らされて、きらきらと輝く海の上に、まるで黄金色とも白金色ともつかないような、なんとも素晴らしい色に輝く桜島です。

写真を撮りたかったですけど、ハンドルを握っていたため叶わず。

心のシャッターを何枚も切りました。

とても雄大な山でした。

 

「この景色を見られただけでも、戻る価値があったかな♥」

そう思いながら再び西に戻るべく車を走らせました。

 

そして、姶良警察署に到着。

年末の閑静な住宅街に囲まれて、その警察署はありました。

車をおりて館内に入りますと、大晦日のためか、警察署全体はひっそりとしていました。

そしてそこに残っておられる警察官の全ての方が、入り口のカウンターのところに集まっていらっしゃるような雰囲気でした。

もしかして、「こんな大金を落としたのは一体どんな人間なのか?」と、見てみたかった?( ̄∇ ̄;)

なんだか本当に皆さんの「興味津々」の電波が飛んできているようでした。

 

落とし物の担当の方は、若い女性の方でした。

まるで新・社会人かのように初々しい方です。

まず、落としたものは何なのか、中に何が入っているのか、などを尋ねられました。

お財布の色、金額、他の中身、携帯の番号、など覚えているかぎりのことをお伝えしました。

そしてやっと、その忘れ物を確かに私達の持ち物だと認めていただき、出していただけました。

 

「よかったぁー(T-T)♥」

 

中を見ますと、お金も一切盗まれることなく、入っていました。

「ああ、あります、あります。入っていたもの全て残っています。ありがとうございます!」

もう、何度ありがとうをお伝えしたでしょう。

「お時間お急ぎでしょうけれど、書類の記入をお願いします。」

と、氏名やら何やらを書くように出されました。

「もちろんです!喜んで書きます!」

 

書類に色々を記入しておりますと(もちろん私が記入します。宇賀神先生はこういう事務手続きがとことん不得手なのです。)、横にいらした別の警察官の方が親し気に(興味津々に)尋ねられました。

「ご職業は何ですか?」

「あっ、お寺の住職です!ボンノーまみれの!!!」

と、ポンと宇賀神先生の肩を叩きながら、間髪入れずにお答えしました。

皆さん大「苦笑」♥

「ご旅行だからこの金額をお持ちだったんですか?」

「いえいえ、いつも持ち歩いてるんです。」

そこにいらした皆さんびっくりなさっていました。

「この人の性分なんですよ。でも、一度でも落としたり失くしたりしたらもう2度と大金は持ち歩かないって、前から約束していましたから。なっ!もう持ち歩かへんやんな!約束通り、銀行に預けるやんな!」

と、再び宇賀神先生の肩をたたきました。

「う・・・うん。」

と、うなずくしかない宇賀神先生。

ちゃっかり「日本の正義」警察官の方達の前で約束を確かに取りつけました。

 

もう、大阪人の血が騒いでしまったのか、純朴そう~な鹿児島の警察官の方達の前で色々と夫婦漫才を繰り広げてしまいましたよ。

見るからにのどかな鹿児島の警察署で、多分「金額」にびっくりなさっていたところに、宇賀神先生のいで立ちにびっくり、「年の差夫婦」にびっくり、させてしまったんですもの。

これくらいのサービスしなくちゃね?( ̄∇ ̄)♥

 

そして、拾ってくださった方にお礼(現金による)をしないといけないかな、と思って尋ねますと、どうやらサービスエリア(企業)が警察に届けられましたので、その必要はないようでした。

そう言えば私も新幹線でお金の入ったお財布を拾い、乗務員さんに届けたことがございましたが、私の住所も名前も尋ねられませんでしたものね。

後で別の方にお聞きした話ですが、銀行のATMで商売の資金の100万円を引き出してそのままそこにポンと置き忘れた方が、幸運なことにそっくりそのままお金が銀行に届けられていて手元に返していただけたのですが、やはりお礼をしなくてよかったそうなのです。

企業さんが届けてくださるというのは、そういうものなのでしょうね。

いずれにしましても、本当にありがたいことでした。

 

桜島サービスエリアさん、九州自動車道さん、そして何より拾ってくださりサービスエリアに届けてくださった方(スタッフの方でしょうか、それともお客さんでしょうか)、本当にありがとうございました。

姶良警察署の皆さんにも、まさに大晦日の日に大変お世話になりました。

皆さまのお心、ご親切に深く感謝申し上げます。

心より、心より。

ありがたかったですー!!!

 

日本はなんていい国なんでしょう。

人々はなんて、素晴らしいのでしょう。

神さま佛さま、ありがとうございます。

お陰様で、私たちは幸せ者です。

本当に本当に、ありがとうございます。

ありがたすぎて泣けてきます。

 

 

そして・・・

九死に一生を得たような心持ちで無事に警察を後にした私達。

その後、無事フェリーに乗れたのか?はまた明日。

もう大金さえ返ってきたことが分かったら、フェリーに乗れたかどうかなんてどうでもいいかナ?

そんなことおっしゃらず♥( ̄∇ ̄;)

 

合掌

「どんだけ~!」な珍道中4~そこまでやるか編~

(年始からの珍道中シリーズその4です。)

夢のように幸せな入院生活3日目の朝、宇賀神先生が予定通り雲仙温泉をチェックアウトなさいました。

お嫁ちゃんのいない湯治生活がよほど味気なかったのか?、先生はなんと朝ご飯も食べずに朝早く山を下りてこられたそうです。

「ええーっ、あの朝のバイキング、私の超憧れ『デザートのアイスクリームも食べ放題♥』も食べんと下りてきたんー?」

と、びっくりして言いました。

そしてそのときハッと気づきました。

半年以上も前から私が楽しみにしていた、朝のバイキングのアイスクリーム&コーヒーも、雲仙温泉につかることも、私は今回ただの一度もできず仕舞いだったんだー(ToT)と。

このリベンジは、いつか必ず!と心に誓いました。

 

さて、とは言うものの、ちょっとまだお腹の痛みは残っており、これで大阪に帰るべく運転できるかなーと不安ではありました。

とてもじゃないですが全て車で帰るのはつらすぎて、実は入院中にスマホでフェリーの予約は取っておりましたが、その港までの運転も少々不安でした。

 

フェリーの選択肢は3つありました。

福岡から、大分の別府から、そして鹿児島の志布志港から、のフェリーでした。

私達がおりましたのは長崎の島原市、そこから一番近いのは福岡でしたが、寒波がくるため雪が少々心配でした。

別府も、途中の九重連山の近くを通るときの路面状況とか、心配しすぎかなとも思いましたが、ちょっとためらいました。

一番距離があるとは言え、鹿児島ならいくら何でも雪の心配はないでしょうと思いました。

しかも当初の予定も、雲仙の後は車で鹿児島を巡って帰ろうと、鹿児島近辺のホテルも何泊か予約しておりました。

ですが小鳥を連れておりますので、長時間乗るフェリーの場合はペットも何らかの形で(車の中に置き去りにするのではなく)乗船できるプランのある船でないと、心配で乗れません。

 

すると、なんとその鹿児島発のフェリーに「ウィズペットプラン」と言って、ペットを自分の部屋に連れて入れるプランがあることを見つけました。

しかも乗船したい日の12月31日に、最後のひと部屋が空いていました。

まさに天の恵み!

これで何の心配もないー♥と、ネットで予約しました。

お値段めちゃ高かったですけど(T-T)背に腹は、ではなく、腹は背に変えられませんでした。

 

鹿児島の志布志港まで、予約していた薩摩川内のホテルを経由して300km余りの距離です。

入院する前の痛みでしたら絶望的な距離ですが、痛み止めを点滴していただいた後はずいぶんと落ち着いておりましたので、何とか行けるかな、と賭けるしかありませんでした。

万が一腹痛が少々ぶり返しても、2泊3日もかければどうにかこうにか行けるでしょうと、12月29日の朝退院し、31日のフェリーに乗るべく島原を後にしました。

 

「どぎゃんとかして帰らんとね。」

とおっしゃってくださった婦人科のお若いお医者さまが、最後に痛み止めのロキソニンというお薬を処方してくださいました。

今まで市販の痛み止めなど飲んだことがありませんでしたが、まあ恐ろしいくらいによく効くお薬でした。

退院前に1錠飲んだだけで、最後まで残っていた痛みがピタリとおさまりました。

 

「ああ、だから(我が家のかかりつけ医の)N先生が以前、『あんな怖い薬を市販して』っておっしゃったんだ。」

と判りました。

あんまりにも痛み止めがよく効きすぎるから、何か重大な病気があっても見過ごすことになりかねない、ということなのかな、と。

やっぱり痛みというサインがないと、病気に対して何らかの手を打とうという気持ちも起きにくいですものね。(経験者談)

とにもかくにも、その時は痛みの原因の見当も少しついていたわけですから、大阪に帰ることを最優先に、痛み止めをありがたく服用しました。

 

お腹の痛みさえなければ、旅は快適なものでした。

島原から熊本までの1時間程の高速フェリーも、かもめにかっぱえびせんをあげなから楽しく乗っておりました。

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フェリーから雲仙岳

 

かっぱえびせんが船内で「かもめも大好き!」と、売られているのです。

どうやら餌付け?されているようですね。

高速フェリーのお客さんがかっぱえびせんを買われてかもめにあげるものですから、どこからともなくやってきたたくさんのかもめが、熊本までずーっとついてきました。

鳥好きの私にはたまりません。

seagull
かもめのアイコンタクト

 

高速で進む船にピターッとくっついてきて、かっぱえびせんを投げている私達(ほとんどが子供達)に、アイコンタクトをしてきます。

 

「次はこっちに投げてくれるはず!」

 

そう期待している声が聞こえます。

かもめに向って投げると、その瞬間にかっぱえびせんめがけて高速船より早く飛び、見事キャッチします。

かもめの素晴らしい身体能力、飛行能力にうっとりです。

(塩分で高血圧にならないかちょっと心配。)

 

seagull2
手から食べた決定的瞬間!

なんと熊本の港に到着してからでもかもめが群がっていて、人の手から直接食べていました。

羨ましすぎるぅー(T-T)

ちょっと残しておけばよかったと後悔しました。

 

とまあ、そんなこんなで。

 

問題なくかねてからの予定通り、途中の薩摩川内(さつませんだい)市のホテルまで車で行き、そこに2泊し、九州滞在最終日の朝、そこから志布志港を目指して車を走らせました。

「やっぱり鹿児島はぬくい(温かい)ねー♥寒波なんて全然関係ないくらいやね。」

とか何とか言いながら、ご機嫌で走っておりました。

 

途中の桜島サービスエリアで休憩し、遠くに桜島を眺め、今度はゆっくり近くで見たいものだと思いながら出発しました。

 

そして志布志港最寄りのインターで高速道路を降り・・・いえ、実際はインターひとつ乗り過ごしてしまいました。

またドンクサイことしたなー、と思いつつ、ですが「フェリー出港の2時間前には来てください」との指示にも充分間に合うタイミングだなと、あまり気にせず、インターを降りてすぐのコンビニにお手洗いをお借りしに、立ち寄りました。

 

お手洗いを済ませ、もちろんお借りするだけでは申し訳ないので何か、例えばフェリー内で食べるデザートとか♥買おうと、商品を見ておりました。

すると、なんともゴージャスなプリンアラモード(¥498)が!

ちょっとプリンにしてはゼイタクですが、お腹が痛くて雲仙のお料理もろくに楽しめなかったのですから、これくらい許されるよねー、お正月だしー( ̄∇ ̄)♥と、喜んで手に取っておりました。

 

すると、車に残っていたはずの宇賀神先生が血相を変えてお店に入って来られました。

「大変だ、綾野さん!カバンが無いーーー!!!」

 

・・・。

 

「ええっ!!!」

 

すると、すぐ近くにいらした店員さんも、

「ええっ!!!」

 

あの、宇賀神先生がいつもしていらっしゃるウエストポーチが、無いって。

ちっちゃい子が「お腹痛い」ってお腹を見せるように、上着をめくってお腹を見せています。

「大変だ。忘れた。どこかに無くした・・・。」

と。

 

実は、あまり大きな声では言えませんが、ちょっとした大金がそのウエストポーチには入っていました。

いえ、正直なところ、私達にとりましてはかなりの大金でした。

さすがの宇賀神先生もどうしていいか分からず、お腹を見せたままぼう然と立ち尽くしておられます。

 

私も、こういうのを「オロがくる」とでも言うのでしょうか、すごく動揺して、両手に大事に持っておりましたプリンアラモードをどうしていいか分からず、近くにいらして一緒にびっくりしてくださった店員さんに「すみません、これ!」とお返ししました。

ただならぬ雰囲気に店員さんも「はい!」と受け取ってくださり、慌てて先生とお店を出ました。

 

「一体どこに忘れたん?覚えてる?」

「たぶんさっきのサービスエリアのトイレだ。外してポンと置いて、そのまま出てきた。」

「うっそーーー。」

 

さっきのサービスエリアと申しましても、そこからもう1時間ほども車を走らせておりました。

1時間も前に、あんな大金を。

これはもう絶望的です。

1分後に気づいてトイレに戻るならまだ残っている可能性はあるかも知れませんが、1時間では、さすがにもう無いでしょう。

宇賀神先生も、顔面蒼白でした。

 

「ああ、初めっからJALの飛行機飛ばんかったもんなー。

そんで高速乗り口(方面)間違えて、西の宮で忘れ物して、島原で入院して、最後がこれかぁ。」

と、さすがにノーテンキな私も落胆しました。

 

(すみません、また長くなってきましたので、「この後どうなったか?」のオドロキの結末は次回に。)

 

合掌