鼓動脈打つ湯峰のお不動さん

湯峰温泉の東光寺さんには、とても力強いお不動さんが祀られてあります。

以前にもチラッとご紹介しました。

↓↓↓

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その4

 

こちらのお不動さんは、東寺さんの仏師だった方が彫られたそうで、熊野本宮大社さんの方で祀られていたこともあるそうです。

はっきり言って、惚れ惚れするほどの超イケメン。

ちょっぴり強面。

 

私達はいつも湯峰温泉に行きましたら、必ず初日にほんのわずか、まさに貧者の一灯を東光寺さんにお供えさせていただきます。

そして今回はさらに、お正月の少し前から湯峰に滞在していて、先日の記事でお伝えしたようにお薬師さんに心癒していただき感謝しておりましたので、私は東光寺さんに改めて元旦のお供えもさせていただくことにしました。

大晦日の12月31日に、ちょうどご住職さんの息子さんがお納経の受付のところにいらっしゃいましたので、お供えをお渡ししました。

 

それは、はっきり言って下心。

息子さんに、

「明日2020年元旦の、新年一番初めの朝の勤行のお供えをさせてください!」

とお願いしたのです。

なんて素晴らしいチャンスなんだ、と、いつもの自分のトロさを挽回したいのか、たまには一番乗りしたいものだと「2020年の一番初め」を厚かましくお願いいたしました。

息子さんは快くお受け取りくださいました。

いい人や( ̄∇ ̄)♥

 

そして次の日、2020年1月1日、またいつものように湯胸茶屋さんで「きつねうどん&温泉コーヒー」のお昼をいただく前に東光寺さんにお参りに行きますと、お納経所の中から息子さんが私達に気づかれました。

そしてひょっこり顔を出され、

「宇賀神さん!よかったら中でお参りしてくださいよ!」

と、声をかけてくださり、また、佛さまのお供えのお下がりまでくださいました。

 

なんと光栄なことでしょう。

 

お堂の中でお参りさせていただくという、新年早々嬉しいご提案をいただき、宇賀神先生と私は、ありがたく中に上がらせていただくことにしました。

そして、左奥のお不動さんの前で、元旦のお勤めをさせていただきました。

 

ということで、とっても幸せな思いをさせていただきましたので、皆さんにも幸せのお裾分けを。

少し前に息子さんに、

「お不動さんのお写真をブログでご紹介させていただいても大丈夫ですか?」

とお尋ねし、ご了承いただいておりましたので、今回は特別に!

ハンサムなお不動さんを皆さんにもご紹介いたしましょうー!!

 

prayer2020-1-1
2020年元旦のお勤め

 

本当に本当に、幸せでしたねぇ。

新年早々、こんなに素晴らしいお不動さんの真正面でお勤めさせていただけるなんて。

じんじんと、お不動さんのお慈悲のお心が身に染み入るようでした。

額を床につけ礼拝したときに、涙がにじみ出ました。

 

以前にお伝えしたかと思われますが、宇賀神先生が若い頃、氣のお修行を自分なりになさっていたとき、一番初めに感得なさった佛さまは、お不動さんでした。

とってもご縁の深いお不動さん。

宇賀神先生もとても嬉しそうでした。

 

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湯峰のお不動さんと

 

この写真をお撮りしたとき宇賀神先生が、

「こうしてここに立ってるだけでもお不動さんからドクンドクンと脈打つパワーが押し寄せてくる・・・!」

と、感激なさっていました。

 

いやもう本当に、素晴らしいお不動さんなのです。

具体的にどこがどういう風に?と尋ねられましても、なかなか私の拙い言葉では説明しきれず、

「それはご自身のお心でお会いになり、感じてください。」

としか言いようがないんですけれど。

 

お優しいお薬師さんと、力強いお不動さんと。

すごい方々が湯峰にはいらっしゃいます。

 

湯峰温泉は温泉地として素晴らしいだけではなく、素晴らしい佛さまがいらっしゃる信仰の地でもあります。

何しろ世界遺産に登録された唯一の入湯できる温泉ですから!

人々が1200年以上も昔から、熊野詣でという信仰とともに入浴してきた歴史があるのです。

その中のお薬師さんとお不動さん。

こんなにひっそりとした谷合いの村に、と思ってしまうような、小さな小さな温泉街に、素晴らしい佛さまがいらっしゃいます。

 

湯峰温泉は世界遺産に登録されたこともあり、ここ数年は外国人観光客も増えました。

熊野古道を歩かれたり、温泉に入られたり、湯筒で卵をゆでるのまで楽しんでおられるようです。

私は何かと英語を話す機会が増えて嬉しい限り。

 

こんなに素晴らしい温泉なんだから、もっとたくさんの人に愛されるといいなぁ、と、いつも思っています。

全世界から愛される温泉♥

なんて素敵なのでしょう。

 

そして一人でも多くの方がお薬師さんやお不動さんのお心に触れ、その素晴らしさに巡りあえたなら、なんて素敵なのでしょう。

ハンサムなお不動さんを独り占めしたいワタクシの乙女心は置いといて(T-T)♥

 

ちなみに、東光寺さんでは拝観料をお支払いいたしますと、お堂の中に入れてくださり、ご住職さんや息子さんが佛さまのご説明をしてくださいます。

たしか、お薬師さんの御簾もあげてくださり、湯峰温泉のもととなりましたお薬師さんにお会いすることもできたと思います。

ぜひ一度お薬師さんにお会いになり、お不動さんの脈打つパワーをすぐ近くから感じてみられてはいかがでしょうか?

 

そうそう、そのお不動さんの年に一度のお祭りが3月28日と、上の記事でもご紹介しました。

今年は土曜日なんですよね。

私達が行こうと思えば、金曜日から湯峰に行っておけば、参加できます。

しかも出張の予定も今のところ外れています。

これはもう!と、ワタクシが虎視眈々と狙っているのは、言うまでもありません。

また近づいてまいりましたら、宇賀神先生におねだりしてみようと思います。

 

・・・あっ!

でもそうか、前日の金曜日は(クジ引きで当たった自治会長のお役目の)自治会の会議が・・・多分ある・・・いえ、絶対あります。

自治会の会議は第4金曜日開催でした、たしか。

夜中に到着覚悟で会議のあとサンダースで走るか・・・。

それで次の日に寝坊してお祭りに参加できなかったら元も子もないですねぇ(T-T)

私ならあり得ます。

そんなドジ。

 

かと言って金曜日はそのまま家で寝て、土曜日の超早朝に湯峰に向けて立つ、というのも、「ホントにちゃんと起きられる?間に合う?」って心配(T-T)

お不動さんのパワーがドオン!!と湯峰から届いて、びっくりして目が覚めないかな。

って、あり得へんなー(T-T)

 

ああ、今年の目標は早寝早起きにしよう。

それとも「クジ運がよくなる!」か。

いや、そもそもクジ運って、目標にするようなものではありませんよねぇ。

まだまだ迷いの多い人生。

だからこそ楽しい修行はまだまだ続く、と、よしとしますか♥

 

合掌

(するしか救いがナイ我が人生、とも言う。)

ココロも癒す、湯胸薬師さま。

あけましておめでとうございます。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

 

宇賀神先生と私はこの年末年始を和歌山県の湯峰温泉(ゆのみねおんせん)で過ごしておりました。

湯峰温泉に関しましては以前にもご紹介しましたね。

湯峰温泉シリーズはこちらからどうぞ!

↓↓↓

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その1

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その2

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その3

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その4

 

湯峰温泉には東光寺さんというお寺さんがあり、上の記事でもご紹介したように、その胸のところから温泉が湧き出ていたという、ここ湯峰温泉の起源となりました「湯胸薬師」さまがご本尊さんです。

お薬師さまはそのお名前の通り病気を治してくださることで有名な佛さまですが、私は今回、この湯胸薬師さまに心を治していただいた心地がいたします。

 

と申しますのも、昨年の秋から年末にかけて落ち着かなくバタバタと過ごすスケジュールだったためか、私の心は相当すさんで( ̄∇ ̄;)おりました。

やらなきゃいけないことはなかなか進まない、やりたいことは一歩踏み出せない、そのうえ宇賀神先生とはケンカばかり!

ケンカと申しましてもほとんど私が一方的に怒っているのですけれど。

しかも、犬も食わねぇ何とやら、すぐに仲直りするのですが、母に「どうせすぐ仲直りするねんから、そんなケンカばっかりせんとき!」と言われるほど私の内心は荒れておりました。

 

以前に「人は苦境にあるときの在り方で、その人の真価が問われるのだそう」とかなんとか書いておきながら、ほんのちょっとの忙しさにココロ荒れ放題のワタクシでございました。

お恥ずかしい限りでございます。

そしてその荒れ放題の心のまま、宇賀神先生と湯峰温泉に向かいました。

 

ところで、宇賀神先生と私は湯峰温泉のことを「半日村」と呼んでおります。

「半日村」の話をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。

斎藤隆介さんと滝平二郎さんによる絵本で、山に囲まれた土地のため、1日のうちほんの少しの時間(半日)しか日が差さない村のお話です。

とても素晴らしいお話が、美しい切り絵とともに描かれています。

私が小さい頃、父が私と弟に買ってくれて、今でも大事に持っています。(ということは姉が独り占めしているのか・・・。)

 

湯峰温泉は半日村というほどひどくはありませんが、やはり谷合いにあるため、朝日が射すのはゆっくりめで、またかなり早く日がかげります。

正直、日影になりますと、湯峰は寒いですねー。

サンダース号での車中泊キャンプですと、やはりしんしんと冷え込んできます。

とくに今年は到着したはじめの2日ほどは、夜の冬の星座が美しすぎるほどに晴れた日で、めちゃくちゃ寒うございました。

放射冷却現象とかなんとか言うのですよね。

真冬のオリオン座とおうし座のプレアデス星団も思わず見とれるほどの美しさで、それほど晴れ渡っていて、寒さもひときわでした。

 

そんな寒さの中だからこそ余計に、昼の日差しのありがたさが身にしみます。

 

湯峰に到着した次の日くらいでしょうか。

暖かいひなたを歩いておりますと、モヤモヤした重苦しい気分が、急にふと軽くなったのを感じました。

心が何の前触れもなく急に、文字通り「晴れ渡った」のです。

 

「あれっ?どうしたのかな?」

と自分でも不思議に思った瞬間、

「あ、お薬師さまだ。」

と直感しました。

なんの根拠も理由もないのですが、これはお薬師さまのお慈悲のお力に癒されたのだと、なぜか私の心は確信していました。

 

もう17年ほども前、宇賀神先生と私がこの湯峰温泉に通い出したきっかけが、先生がその前に見られた新聞か何かに書かれていたことでした。

その記事には、阪神大震災でご家族を亡くされうつ病を患われた方が、この湯峰で湯治をなさり回復された、と書かれていたそうです。

温泉で身体だけでなく、心も治せるんだなぁ、と思ったものです。

もしかしたらその方は、温泉だけでなくお薬師さまのお助けもいただいて、うつ病という心の病から回復なさったのかも知れません。

今回、私はそれを強く感じました。

 

そのためかどうかは分かりませんが、今回の滞在中は佛さまとの回路?ご縁?が濃くつながったのか、毎日お参りするたびにまた例の訳の分からない涙が出そうで出そうで、お経を読む声がつまってしまいました。

泣いては恥ずかしいからと、短めに読もうと思った般若心経でさえ、声がふるえました。

ありがたいなぁ、と内心は感謝の気持ちでいっぱいでした。

だって出てくるのは、訳の分からない、幸せの涙だからです。

本当はね、人目も気にせず泣きたいところだったのですが、そこはそれ、シャイと申しますか周りの人にご迷惑をおかけしたくないと申しますか、変人に見られたくない常識人のフリと申しますか、とにかくこらえました。

 

そう言えば私をお四国さんに導いてくださった、まあ所謂ところのすごい霊感をお持ちだったOさんのおばあちゃんも、お寺さんでお参りするたびにお堂の前に座り込んでむせび泣いておられましたねぇ。

あれは多分、喜びの涙だったのですね。

(Oさんのおばあちゃんのエピソードのひとつはこちらからどうぞ。→「使い魔 その2」)

 

湯峰温泉のつぼ湯を撮ろうと思いましたら、日差しがちょうど「天の階(あめのきざはし)」のように綺麗に撮れました♥

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つぼ湯に天の階

 

神さまの氣も佛さまのお慈悲も身にしみいる湯峰温泉。

1200年の歴史は、伊達ではございません。

そうそう、今日1月8日は、湯胸薬師さまの年に一度のお祭りでした。

もちろん私達は仕事日ですので行くことはかないませんでしたが、遠く大阪からお祈り申し上げました。

お薬師さまのお心は、湯峰の温泉そのままに、温かかったですねぇ。

 

合掌

祝、再開!

ずいぶんと長い間ご無沙汰しておりました!

気がつけばもう12月も半ばを過ぎ、2019年もあとわずか。

光陰矢の如しどころか、弾丸のようです。

7月下旬に選挙の管理人を生まれて初めて勤めて以来、自治会の仕事から法事や弾丸出張、アメリカ旅行など色々とあり、ただ日常をバタバタ、というべきかジタバタと過ごしておりました。

なにか楽しいことなどがあるたびに、「ああ、これもお伝えしたいなー」と、頭の中だけでブログを書いておりました。

読めるわけないやーん!と自分でツッコミを入れながら。

と、言い訳はこのくらいに致しまして(^-^;)

お陰様で宇賀神先生と私は元気にしております!

 

ただ、本当はね、悲しいこともいくつかあったのですよ。

数年に渡り宇賀神先生のもとに通ってくださっていた、がんを患われていた方達がお亡くなりになったり、また、私をお四国さん(四国八十八か所巡礼)に導いてくださったOさんのおばあちゃんが亡くなったり。

がんを患われていた方達につきましては詳しいことは書けませんが、ご本人さんやご家族さま達にも、私はたくさんの、勇気とでも呼べばいいのでしょうか、生きる力をいただいておりました。

その方達やご家族さま達の、生きることへの力を見させていただいていたのです。

そしてそのお別れは、やはりつらかったです。

 

生と死について思いを巡らすときは、本当にありとあらゆる感情が同時に自分の中に存在することに気づきますね。

喜びと悲しみと、愛と寂しさ、勇気と怖れ、怒りと赦し(ゆるし)、感謝と謝罪、など。

普通ですと「矛盾」と呼ばれる相反するような思いが、同時に自分の中に存在するのに気づきます。

 

人間の心はふたつに割って切ることはできませんもの。

「矛盾」という単語は、「矛盾があること自体がおかしい」という意味で生まれたのではなく、「往々にして矛盾はありえる」から生まれた単語なのかな、と思います。

だからね、いつも、「矛盾しててもいんだよー」って自分に言い聞かせてます。

 

また、Oさんのおばあちゃんにつきましては、彼女の最期に、私は素晴らしい教えをいただきました。

このお話はいずれまた別の機会に皆さまにも必ずお伝えしたいと思っております。

 

Oさんのおばあちゃんとは、もう20年ほども前になりますが、私はお四国さん巡礼に一緒に参りました。

そのときにOさんのおばあちゃんの信心なさるお姿を強烈に目に焼き付けさせられたのです。

もちろんおばあちゃんとは八十八か所を車で巡りましたが、駐車場からお寺さんまで山道だったり、距離が結構あるところもございましたから。

おばあちゃんは当時70歳を過ぎていて坂道を歩くのもおつらいような状態でしたが、お四国さんの杖と私の支えを頼りに、懸命に歩かれました。

 

右手に杖、左手に私、の両手にすがりながら、

「六根清浄、六根清浄、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・!」

と、唱えるというよりは、絞り出すような声でうなりながら、懸命に坂道も登られました。

坂の上から来る方達が思わず左右に分かれて道を譲ってくださるような気迫と必死のお姿でした。

「すみません、ありがとうございます!」と言いながら、歩きやすい道の真ん中を通していただきましたねぇ。

 

ある日など、どこかの宿坊に泊まったときに、

「あんたさんですか、おばあちゃんの手を引いてお参りしてはるお孫さんというのは。」

と、見知らぬ人に声を掛けられたほどでした。

おばあちゃんの気迫がすごすぎて、有名人になってましたね。

 

そんなOさんのおばあちゃんとのお四国さん巡りを通じて、信仰というものが何も大上段に構えるような特別でなものでなく、生活のなかに空気のように当たり前に存在している世界を見ました。

こんな世界もいいなぁ、と思ったのです。

そして、気がつけば出家させていただいておりました。

そんな彼女の最期に、私はまた宇賀神先生を通じて彼女から素晴らしい教えを受けたのです。

最後の最後まで、すごいおばあちゃんでした。

 

とまぁ本当に、何から書けばいいのやらと思案しすぎて書きだせないほど、この5か月ほどの間にも色々なことが起きました。

 

実は今日のブログ再開も、私がとても信頼している臨床心理士をなさっているNさんという方に、昨日ほんの少し「先生あのね♥」みたいにお話ししただけで、軽ろやかに一歩を踏み出し、キーボードを打つ気になれたのです。

人間の心は、というより私自身の心も、不思議なものです。

以前にも私はNさんからもたくさんの「気づき」をいただき、私の心の中の大きな流れが変わりました。

このお話も、いずれまた。

自分の心に気づく、というのは、素晴らしい恩恵をもたらしますね。

 

まあ、ただ、なんやかやと忙しく、なかなかブログを書く時間を取れなかったのも事実です。

うーん、というより私がトロすぎて時間を作りだせなかったというのがホントのところでしょうか?

11月からはアメリカに行き、帰国後も週末のたびに何かしらお仕事があり、平日もお仕事日で週末もお仕事なら、いつ休むねーん(T-T)と、お仕事があるヨロコビに泣いております。

やはりここは主婦の特権、お昼寝が欲しいところ。

この1年ほど、とくに去年の年末に体調を崩してから、睡眠時間の確保が何よりの薬と実感しております。

今年は本当に、体調不良に泣かされましたねぇ。

理想は8時間睡眠!

なかなか理想通りにはいきませんけれど。

 

年末も差し迫り、何とはなしに気ぜわしくなって参りましたが、皆さまもどうかお身体をお大事にお過ごしくださいませね。

睡眠、大事ですよー!

私はすでに年末の大掃除も放棄しました!

それより何より寝ることを選び、書きたかったブログや、自分のしたいことを選びます!

幸せだなぁ( ̄∇ ̄)♥

 

段々と支離滅裂なことを言い出しましたが、ここらへんで次回に譲りたいと思います。

またこれからもぼちぼちと再開してまいりますので、よろしくお願いいたします♥

 

***

本日のオマケ。

先週末に行った出張先の仙台にて。

由緒正しき日本のファーストフード♥立ち食いそば屋さんにて。

時代劇さながらに、着物だって似合うでしょ(^-^)

寒くてお腹が空いた朝に最高でした!

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大好き日本の元祖ファーストフード!

 

合掌

一寸先は光!

宇賀神先生は、めげない性格です。

踏まれても踏まれてもまた立ち上がる雑草のように、めげません。

そんな宇賀神先生の底力の強さに、私は何度救われる心地がしたことでしょう。

あれでしょうか、これが団塊世代の人間の生き力の強さでしょうか?

 

まぁですね、正直なところ、人生なにかと思うところも、出来事も、色々とございます。

相田みつをさんではありませんが、人生ですから。

悲喜こもごもとはよく申しますが、喜怒哀楽あるのが人生ですよね。

その全てを無理やりなポジティブシンキングで良い出来事に塗り替える必要はないと思っております。

嬉しいことは、嬉しいままに。

悲しいことは、悲しいままに。

腹がたつことは、腹がたつままに。

嫌なことに「これも人生を形成する上で必要なことだったんだ」と、無理やり意味づけをしてポジティブに変換する必要はないと思っております。

誰でも嫌なことは起こってほしくないですし、でも起こってしまったのでしたら、それをそのまま悲しんだり、悔しがったり、素直にして何がネガティブなのでしょうか?

嬉しいことも、悲しいことも、自分の心が感じたまま素直に受け止めて、感じること。

自分の心の動きを、世間で一般的によいと言われております心持ちはもちろんのこと、悪いと言われております心持ちさえも、そのまま認めて受け入れること。

嫌なことは「自分の心が嫌だと感じた」と、自分に許してあげること。

それを無理に「そんな風に思ってはダメだ」と抑えつけずに。

 

嬉しいことは嬉しいこととして感じた、嫌なことは嫌なこととして感じた、

その全てを「是なり(ぜなり)」とする姿勢こそが、本当のポジティブかなと思います。

 

で、誰がいったいそんなにポジティブなのかと申しますと、もちろんこのお方でございます。

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億の近道!

さらに!

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億の近道!!

もちろん、宝くじが当たる「前祝い」に大人様ランチを♥

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大人様ランチ!

ついでに、オマケ♥

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私も仲間に入れて!

 

はい、先日、行って参りました!

ジャンボ宝くじ特設会場の大阪駅前第四ビル前、が工事中で、第三ビル前に。

夫婦2人してワイワイ喜びながら、看板前で記念撮影しておりました。

おバカすぎる、もとい、平和すぎる2人でございます。

 

ホントつきに、もうそろそろ宝くじを当てていただきたい今日この頃( ̄∇ ̄)

 

ちなみに、クジ運の悪いワタクシがつい最近当てた大当たりは「自治会長」の座。

ウソのような本当の話(T-T)

東京出張で不在の間に行われたマンションの理事会で、どなたかがうちのために引いてくださったクジで大当たりしたそうです!

その場にいなくてもクジ運悪いなんて!

いやいや、大当たりなんですから、良くなったのかも!!(T-T)

って無理やりポジティブシンキングしてるじゃないのー。

 

と1人ツッコミを入れてしまうくらい、自治会長ってお仕事大変です。

実は私の父も今現在地元で自治会長(町会長)を務めており、父の仕事は私の千倍ほど大変です。

名称は同じ自治会長でも地域も違いますし、仕事の範疇は全く別物と申しましてもいいくらい、本当に大変です。

私なんて1年限りですから、仕事もそこそこ。

しかも父は、色々な自治会のお仕事をこれまで24年間続けてきました。

その最後の大仕事が今の自治会長です。

1000倍の仕事×24年間=2万4千倍。

気が遠くなりそうです。

ワタクシは2万4千分の1で充分です(T-T)

でもそれでも選挙の立ち会いも務めますし、地域の運動会とか(ToT)、ホントたいへんー。

「今年度で卒業したら盛大にお祝いしようね、お父さん!」と約束しております。

 

そしてさらに、

「なんという我がクジ運の悪さよ!」

と嘆いておりましたら、宇賀神先生が

「綾野さんの最大のクジ運の悪さは、わしという旦那さんかも(^-^)」

なんておっしゃるのです!

いえ、それ、トドメですから( ̄∇ ̄;)

慰めになってません。

 

ですが、大丈夫です!

何が大丈夫かって、私はクジ運はまぁまぁですが(是なりって認めてないやん)、人運はとっても良い(ハズな)のです。

宇賀神先生は超がつくほどポジティブな人!

2枚目の「億の近道」の写真なんて後光が差してるみたいでしょう♥

そんな宇賀神先生の口ぐせは、

「一寸先は光!」

です。

「一寸先は闇」ではありません。

この宇賀神先生の明るさに、いつも救われております。

 

人は苦境にあるときに、その人の真価が問われると聞いたことがございます。

いい状況のときは誰でも周囲に対してよく振る舞えますが、望ましくない状況に陥ってしまったときに、それでもよりよく振る舞おうと思えますのか、それとも傍若無人な態度になってしまいますのか。

そのときに、その人の、人となりの底力(真価)があらわになるのですって。

 

宇賀神先生も70歳を超え、お釈迦様のおっしゃった「生老病死」の四苦のうちの、老いの苦しみを感じられることも少なくありません。

ですが、その苦に際しましても、苦を苦である(是なり)と受け止め、先生はこんなに明るいのです。

宝くじ売り場で後光が差すほどに!?

この笑顔、プリントアウトしてマイ神棚に飾ろうっと♥

可愛いすぎますよね!( ̄∇ ̄)←親バカですみません。

仙台四郎さんのようにご利益があるかも♥←救いようのない親バカですみません。

 

一寸先は光。

 

私にとりまして、今日はちょっと特別な日だったのですが、

「もちろん大事な自分自身も含めて、すべて人の人生の、一寸先が光でありますように。」

と心から願えた、今日もとてもいい1日でした。

 

合掌

宇賀神さまからのお呼び出しはささやか(かつキョーレツ)に その2

はい、先日の記事の、キョーレツな後日談です。

 

かの台風から2か月後の、宇賀神先生の奈良のお寺の勉強会でのことです。

その日は毎月の勉強会とは別の、直伝講習会と私達が呼んでおります、年に1度の大事な勉強会の日でした。

去年は東京から参加してくださる方達が多かったため、うちの車で奈良の道場まで東京組の方達とともに行きました。

そしてその車中で、私は弁天堂の年に一度の大祭のことを話しておりました。

2019年のその秋の大祭、「巳成金大祭(みなるかねたいさい)」に、みんなでお参りに行きましょうね!と。

皆さんも「いいですねー!」などと言ってくださってた瞬間のことです。

 

突然、カーステレオが鳴りだしました。

しかも流れてくる音楽?は、祭囃子(まつりばやし)・・・。

 

「ええっ!?なにこれ??先生スイッチ入れたん?・・・そんなわけないな、大体スイッチ知らんもんな。でもこれ、どうやって消すん???」

 

実はその車はいつものキャンピングカーではなく、父から譲り受けた別の車で、私はカーステレオのスイッチがどれかさえ把握しておりませんでした。

音量も大きくて、どうやって小さくするのかも、運転しておりましたし、余計パニックになり分かりません。

 

後ろに乗ってくださってた方達もびっくり。

お祭りの話をしておりましたら、急に祭囃子のBGMがかかるんですもの。

ふつう、車の中でかけるのは音楽で、祭囃子のCDなんてかけませんものね。

しかもCDは入れてないはずですし。

スイッチの場所さえ知らないですのに。

だぁれもスイッチ押していないのに急にかかるなんて、ちょっとオカルト?

( ̄∇ ̄;)

 

どうやって止めたものかとオロオロしておりますと、一番後ろに座っておられた方が、「その丸いボタンを押すんじゃないでしょうか?」と一言。

「ええー、これですか?」と押しますと、見事止まりました!

 

いやー、もうホントにびっくりでした。

後で父に聞きますと、以前車中で聞いた阿波踊りのCDか何かを、車のステレオが記憶しているそうです。

ですので、今実際にCDが入っていなくても、メモリーとして残っているのですって。

ですが、誰もスイッチを押していないのにもかかわらず、なぜ急に鳴りだしたのかだけは謎です。

 

もうこれは、必ず必ず毎月お参りさせていただき、今年の秋の巳成金大祭にもぜひお参りしたいと思っております。

あんなに熱烈大歓迎なBGMまで流していただいては、ねぇ。

ふつう神さまや佛さまからのお呼び出しって、もっとささやかなものかと思っておりましたが、なかなかに強烈でございました。

 

あっ、そうか。

 

私があまりにもニブチンで神さまや佛さまのおっしゃってることに気づかないものですから、

「これくらいハッキリと言ってやらないと分からないだろう。」

と、少々強めにお伝えいただいているのでしょうかね?

ありがたいご縁にただただ感謝申し上げるばかりです。

 

ただ、こんな風に神さまにお招きいただいたかな、と思うようなことがございましても、別にだからと言って宝くじに当たるわけでもなし、特別大きな幸運に見舞われたわけでもございません。

相変わらず私のクジ運は悪いですし、今年は年末年始もゴールデンウィークも(不)健康運で大変でしたもの。

 

そう言えば、4月に私の実家で開いたお誕生日会で、またもやビンゴゲームをしたのですが、なぜか3人の姪っ子と甥っ子が口を揃えて

「あやのちゃん、またベッタコー???」

「またベッタコー?」

「またベッタコー??」

と、嬉しそうに叫ぶのです。(ベッタコとは、『一番最後』という意味です。)

何のこと?と思いますと、前回のビンゴゲームで私が一番最後まで上がらず残っていたらしく、それを子供たちは律儀に覚えていたのですねー。

それを口々に、何度も嬉しそうに叫ぶのです。

忘れてくれたっていいのに( ̄∇ ̄;)

 

と申しますより、本人が真っ先に忘れておりましたのに。

母に確認して、そうだったっけ?と、それでも思い出せないくらいでした。

 

そして果たして、その日のビンゴゲームも、私はベッタコになったのでした(ToT)

 

なんでやねん。

 

 

ですが、笑われるかもしれませんが、それでもなお私は私のことを「運がいい!」と思えて仕方がないのです。

たしかにクジ運に関しましては、まぁそれなりかも知れませんが、その他のすべては「私は運がいい!」と思っております。

そして、私は自分が幸せだとしか思えません。

やはり「おめぇさんの頭の中が一番めでてぇな。」という、アレでしょうか。

(こちらも見てくださいね!⇒「めでたい富士山をおすそわけ。」)

 

まあ、いいですよね。

こんな(頭の中が)シアワセな人間が少しくらい存在しても。

 

 

今月の東京出張で弁天堂にお参りに行きますと、不忍池の早咲きの蓮の花に出会えました。

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不忍池の蓮の花

 

今年の巳成金大祭にいくぞー♥

そして、朝いちばんにお参りして、宇賀神さまの彫られた1500体(でしたか?)限定の金のお守り小判とか、色々たーくさん買うんだーーー(^-^)♥♥

今から楽しみでなりません。

名前もいいでしょう?

巳「成金」大祭ですって!

 

ああ、そのことを考えながらキーボードを打っておりますワタクシの顔は、今、ニヤけております( ̄∇ ̄)

皆さんの目にも浮かぶようでしょうか?

メデタイ人間のメデタイ話をお聞きになり、「ぷぷっ、なんてオツムがおめでたい人なんだ。」と笑っていただけますと幸いです。

一日一笑!

私は毎日百笑はしておりますネ。

(^-^) × 100♥

 

合掌

宇賀神さまからのお呼び出しはささやか(かつ強制的)に その1

先日の白蛇の木のお話の続きです。

 

初対面の方のお庭に入れていただき、白蛇が出現したという木に触らせていただきました。

その女性はとても明るく楽しいお話をしてくださったのですが、その日は10月1日、まだまだたくさんの蚊がいて、お庭でお話をお聞きしている間に4か所も刺されてしまいました。

こりゃたまらない、と、

「すみません、蚊にたくさん刺されてしまって。外に出ませんか。それに私もそろそろ・・・。」

と、もう行かなくちゃ、をお伝えしました。

そう、私は新幹線の切符を手配しないといけなかったのでした。

 

外へ出ますと、その女性は今度は不忍池の弁天堂のお祭りの話を始められました。

「それでね、とってもご縁を感じてね。ご存じ?不忍池の弁天様のお祭り。この間あったばかりで、行ってきたの。」

どうやら年に一度の大祭がつい先日行われたみたいで、白蛇にご縁を感じたその方は、初めて大祭に行かれたそうです。

「いえ、知りませんでした。私は月に一度仕事でこの近辺に来るだけですので、お祭りの日には合いませんでしたねー。」

とお答えしました。

 

ですがそのとき、なんとなーく、

「あ、これはもしかしたら不忍池の弁天様が『ちゃんとお参りにおいでよー』と誘ってくださっているのかな。」

と感じました。

白蛇に、お祭りのお話ですものね。

 

以前にもお伝えしましたが、不忍池の弁財天さまの頭には鳥居が乗っていて、その鳥居の奥には宇賀神さまが鎮座しておられます。

その宇賀神さまとは、頭が長いヒゲの生えたおじいさん、そして身体がとぐろを巻いた(白)蛇という、ちょっと変わったいで立ちをした神さまなのです。

以前にもご紹介しました、こちらの写真を。

↓↓↓

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八臂辯才天さまの頭上の宇賀神さま
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上野の博物館の宇賀神弁財天様

 

 

毎月その弁天様の前を通りますのに、先を急ぐからってちゃんと毎回お参りしておりませんでしたから。

やっぱりご挨拶にはおいでよ、ということなのでしょうか?

こんなことを考えながらも、その女性にお礼を言ってお別れし、再びタクシーを拾いに大通りの方へ歩き出しました。

 

そして大通りでタクシーを待っていたのですが・・・やはり結構な数のタクシー、20台は見送ったでしょうか、が通りましたが、全てお客さんを乗せておられ、空車が1台もありませんでした。

これはもう。

「ああ、『今日は上野駅まで歩いて、お参りにおいで』っていうお呼び出しなんだ。」

と観念しました。

いえいえ、もしかしたらただの勘違いかもしれませんが、そういうことにして、この暑い中をえっちらおっちら歩いていくか!と、自分で自分を納得させました。

 

そしてまたもと来た道を戻り、上野駅まで歩くことにして、もちろん弁天堂にも寄ってご挨拶申し上げました。

「本日ご縁を持ちましてお参りさせていただき、ありがとうございます。

思いがけず東京に延泊し、こうしてお参りさせていただくことができて嬉しかったです。

昨夜、かの方の家に泊めていただいたことも、とても嬉しかったです。

お陰様で無事に、しかも楽しく東京にもう1泊することができました。

朝から汗ばむ暑い日にも、公園の緑にも、感謝申し上げます。

台風の被害が少しでも軽くありますように。」

と、そう心の中でお話して、お参りいたしました。

 

すると、今まで何度かお参りさせていただいたときよりもさらに強い、お力というのでしょうか、弁天様から何か押し寄せるものを感じました。

「うわー、何で今まで気がつかなかったんだろう。ニブチンもいいところだなー。」

と、正直、自分の鈍感さに今さらながら苦笑する思いでした。

 

そして、ご挨拶(お参り)をすませて上野駅に向かおうと弁天堂の階段を降りましたら、すれ違いざまに見知らぬ女性が、

「あら。お着物で、素敵ですね。」

と声を掛けてくださいました。

「ありがとうございます。」

と、嬉しくてにっこり笑って返事しますと、

「今からの勤行、参加なさらないんですか?もうすぐですよ?」

と、おっしゃいました。

 

えっ・・・一般の人が参加できる勤行があるの?

 

しかも今から??

 

これももう・・・!!、参加しなくては。

 

この場合は完全に、「ささやかなお呼び出し」と申しますよりは、ご命令でしょう。

 

この日、台風のお陰で予定になかった東京滞在延長となり、見知らぬ2人の女性から弁天様のところへと導かれました。

お祭りのお話と、参加できる勤行のお話と。

しかも今からですって!

 

ありがたすぎるご縁だなぁー♥

 

と、一人で勝手に幸せな思いにひたり、弁天堂にきびすを返し、寺務所の方にお尋ねしました。

「今から勤行なさるのですか?何分ぐらいかかりますか?あの、お経とか知らないんですけど、それにもしかしたら途中で抜けさせていただかないといけないかも知れませんが、参加させていただけますか?」

と、色々とお尋ねしましたが、全て大丈夫とのこと、ありがたく参加させていただきました。

 

もう、本当に、こんな風に参加させていただけるだけで幸せでした。

そして、心の中で、

「これからはちゃんと毎回お参りさせていただきます。」

と、今までの失礼をお詫びかたがた、昨日・今日と起きた全てのエピソードに感謝申し上げました。

 

そして宇賀神先生と私は10月の出張から毎回、ちゃんとご挨拶してから仕事場へ行くようにいたしました。

そうしましたら、その月でしたか翌月でしたかに、急にひょっこりと例の宇賀神さまの石像が作られておりました。

ご縁だねぇ、と、宇賀神先生とびっくりしました。

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双子の宇賀神さま?

すみません、あんまり可愛いものですから、何度も載せてしまって( ̄∇ ̄)♥

 

そしてさらに、この弁天様からのお呼び出しのエピソードにはキョーレツな後日談がございまして。

ですがやっぱりちょっと、長くなってまいりましたので、もう1回続きます(^-^)

 

合掌

白蛇が出現した木に触った話

東京、上野は寛永寺さんの「不忍池の弁天堂」の前の宇賀神さま。

去年(2018年)の10月くらいに、急にひょっこりと石像が建てられました。

あまりにも宇賀神先生にそっくりで?、お参りさせていただくたびについつい記念撮影してしまいます。

いつぞやも先生の写真を撮っておりましたら、私の後ろで5人ほどの外国人観光客の方達が何故か一緒にシャッターを切られていました。

海外からいらした人の目にも「どこか似ている」と映るのでしょうか?

その「外国人撮影隊にカメラ目線」な宇賀神先生。

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こっち見てよー。

 

宇賀神先生と私は毎月東京に出張しております。

上野の近くにいつも行くのですが朝は仕事の準備など気がせくものですから、不忍池の弁天堂の前をタクシーで通ることはございましても、あまりお参りしておりませんでした。

もちろん何度かはご挨拶に参りましたが、いつも素通りして申し訳ないなー、と思いながらも毎回お参りしませんでした。

 

ところが、忘れもしない去年の9月も末のことです。

とてつもなく勢力の強い台風が近畿〜関東も含めて通過したことを覚えておいででしょうか?

あの日、私達は東京におりました。

そして、もしかしたら大阪へ帰る新幹線が運休になるかもと思いながら仕事しておりますと、案の定、JRがその旨を発表しました。

 

ああーやっぱり、と思いながら、いつも仕事場としてご自宅をお借りしている方に泊めていただくようお願いしました。

こんなときはホテルもなかなか見つけづらいかと思って、甘えました。

ありがたいことに二つ返事でご快諾いただき、急きょ東京に延泊することに。

 

そして泊めていただいた翌朝、帰りの新幹線の切符を手配しようと、まずは上野駅に私一人で行くことにしました。

新幹線の手配も不慣れなら、こんな風に天候によりキャンセルになったときの手続きなどもよく知りませんでしたので、とりあえずは駅に行くことにしました。

 

ところが、泊めていただいた方の家を出て、タクシーを捕まえようと待っておりましたが、なかなか来ません。

いつもでしたらそこは結構たくさんのタクシーが通るところなのです。

いえ、たしかにタクシーは何台も通るのですが、全てお客さんが乗っておられて、一台も空車が来ませんでした。

「台風の次の日だからまだ落ち着いてないのかな?」と思い、あっちの角へウロウロ、こっちの角へウロウロ、と、タクシーに来ていただけそうな場所を探してしばらくおりました。

 

ですがとうとうそこは来ないようだと諦めて、ちょっと距離があるのですが、歩いて大通りの方まで行ってみようと思いました。

そうして道を歩いていますと、見知らぬ一人のご婦人から

「あの、すみません、ちょっとお話いいですか?」

と声をかけられました。

 

その方は、私がタクシーを待ってウロウロしておりました辺りにお住まいの方で、家の前の道を掃除なさってました。

私が2度ほど前を通ったものですから、何となく目が合って会釈したりしておりましたら、ついに3度目くらいに声を掛けてきてくださったのです。

ですが、いきなり「お話」ってなんだろう、とちょっとドキドキしながら、「ええ、何でしょう。」とお答えしました。

するとその方は、珍しいことを話しだされました。

 

その方の家のお庭に何本かの木が植えられているのですが、何年か前のある日突然、白蛇が木のところに出現したのですって。

びっくりしたその女性は、どうやって追い払ったものかとオロオロして、これまた道を行く見知らぬ人に声をかけて「どうしたらいいでしょう?」とお尋ねになったそうです。

するとその通行人の方は、

「いやぁ、白蛇は縁起がいいから、神さまの使いって聞きますから、おにぎりをお供えしたらいいんですよ。」

とお答えなさったそうです。

 

「私は追い払う方法をお聞きしたかったんですけどね。」

と、その女性は私に笑いながらそのときのことを話されました。

 

「ええー、それでどうなさったんですか?」

と尋ねますと、

「その人の言う通り、おにぎりをお供えしたの。」

と、何とも天真爛漫なお答え。

 

「そしたらしばらくしてね、息子から連絡があって、『ママ、又吉さんの書いた話が芥川賞にノミネートされたんだ』って言うの。」

と。

どうやら彼女の息子さんは出版社か何かにお勤めのようで、彼のお仕事に関わりのある方の著書が芥川賞にノミネートされたとご報告なさいました。

すると彼女は、

「それ絶対、芥川賞取るわよ!だってうちに白蛇が出たんだもの!」

と、自信満々に答えられたそうです。

 

そして果たして、又吉直樹さんの「火花」は、見事に芥川賞を受賞されました。

 

「ええー、すごいですね!」

とびっくりしながらお話をお聞きしていますと、

「ねぇ、あなたもその木を触ってみない?きっといいいことあるわよ。」

と、ご親切にもお庭に招いてくださり、その木のところへ案内してくださいました。

 

「これね、しめ縄を巻いたの。」

と、ありがたい白蛇が出たその木には、今ではしめ縄が巻かれてありました。

 

「あなたも是非触って♥」

と嬉しそうにすすめてくださいましたので、

「うわー、ありがとうございます!」

と、思わずその方にも木にも手を合わせ、木の幹に触らせていただきました。

 

いやー、東京の都会のど真ん中で、まさか白蛇が出現した木に出会うとは。

そしてまた初対面の方にそんな楽しいお話を聞かせていただき、お庭に入れていただき、その木に触らせていただけるなんて。

なんだかもうそれだけでとても有り難く、幸せな気分になりました。

 

(ちょっとだけ続きます。)

 

合掌

ホントつき

「僕のことウソつきって呼ばないで!ホントつきって呼んで!!」

宇賀神少年は小さい頃、そう心の中で叫んでいました。

 

宇賀神先生の能力は、一言では言い表せないほど多岐に渡ります。

氣と呼ばれる力で人様の病苦を取り除いたり、

お加持の力と先生の人生経験から導き出されたアドバイスとで人生の苦難を解決に導いたり、

霊視により見えざるものの世界のことについてお答えしたり。

そしてこれらの能力の原点ともいうべき特異な才能の一つが、「ホントつき」です。

 

「ウソつき」という言葉がございますね。

文字通り、ウソをつく人のことです。

そして「ホントつき」とは、初めはウソをつくのですが、やがてそのウソがホントになる(実現してしまう)力を持っている人のことを表わします。

はい、もちろん宇賀神先生の造語ですよ(^-^)

そして宇賀神先生は、ホントつきです。

 

宇賀神先生は子供の頃から夢見がちでした。

いえいえ、これではちょっと言葉を取り繕いすぎです。

宇賀神先生は夢見がちなんていう可愛いものではなく、異常児と烙印を押された小学校・中学校時代は、

「宇賀神!夢は寝てから見ろ!]

と、毎度のように学校の先生に注意されるくらい、目を開けたままボーっとして、周りの景色も眺めつつ同時に頭の中の夢の世界も見ていたという、素晴らしすぎるイメージ力をお持ちでした。

(詳しくは「イメージの力」をお読みくださいませ♥)

結果としてそれが後の瞑想力(という言い方が適切かどうかは分かりませんが)につながったり、霊視につながったりするのですから、人生何がどう生きてくるのかは分かりませんね。

 

そしてそんな風に目を開けながら見た夢でずっと見ていた映像が、あるいはその場で口から出まかせで言ったことが、後に実現していたなんてことも、実は結構たくさんあるのです。

 

たとえば、とても長い時間をかけて実現したことで申しますと、さっきご紹介した記事の、英語の授業のときのことです。

その当時の英語の先生のお名前は、門脇先生とおっしゃいました。

そして生徒たちがつけたあだ名は「ワンスモア門脇」。

と申しますのも、その門脇先生が生徒たちに英語を読ませるときに、

「はい、この文章を読んで、ワンスモア(もう一度)!」

と、よくおっしゃっていたからだそうです。

先生の口ぐせをあだ名にするのは、子供にはよくある話ですね。

 

さて、そのワンスモア門脇先生が当時中学生でいらした宇賀神少年に授業で質問なさいますと、学校の授業に到底ついて行けてなかった宇賀神少年は、いつも答えられませんでした。

そんなとき門脇先生は必ずこうおっしゃたそうです。

「あのな、宇賀神が将来大人になるころには、英語はもっと必要になっているぞ。外国に行く機会も増えるだろう。そんなときに英語ができないと不自由だぞ。」

だから勉強しなさい、と先生は宇賀神少年の身を案じておっしゃりたかったのでしょう。

 

ところが宇賀神少年はめげずにこう言いました。

「大丈夫です、先生。僕が大人になって外国に行くときは、僕専用の通訳を連れて行きますから、なんの問題もありません。」

するとワンスモア門脇先生は、

「チッチッチ、君のその学力じゃ、将来専用の通訳なんて雇える身分じゃないよ。」

と、おっしゃいました。

そう考えられるのも当然ですよね。

 

ところが・・・ごめんなさい、門脇先生。

先生が宇賀神少年の将来を案じてそんな風におっしゃってくださったのはありがたいのですが、大人になった宇賀神先生は、今、「専用の通訳」を手に入れられました。

はい、私のことです。

 

と申しましても通訳できるというほどの英語力でもないのですが、とにかく私は英語は大好きなのです。

なんでしょう、音(発音)なのかな?文法なのかな?

よくこのブログを書くときにも、大好きな「アイアンマン」や「ターミネーター・ジェネシス」などをアマゾンプライムでBGM代わりに聞きながら書くぐらい、英語の音は大好きなのです。

 

そして今年の秋に、実はとっても嬉しいことにアメリカに旅行に行くことになったのですが、宇賀神先生がこのワンスモア門脇先生のことを思い出されては、

「ほら、わしはやっぱり『ホントつき』だろ。」

とおっしゃっています。

 

中学校時代にペロッと口から出まかせで言ったことが、半世紀を過ぎてたしかに実現しました。

専用の通訳(私)を連れて、英語の本場、アメリカに旅行するという特典までついて。

あるいは、それは口から出まかせではなく、本気だったのでしょうか?

だとしましたら、昭和30年代当時の宇賀神少年は何を根拠にそんなことを言ったのでしょうねぇ。

根拠なんて、果てしなく無さそうですよね。

少なくとも私には何ひとつ見出せません。

 

やはり、ホントつき。

 

宇賀神先生の感覚では、

「今の段階では実現していないから人はウソって言うけど、でもいずれ必ず実現するから、それはホント。だから僕はウソつきじゃなく、ホントつき。」

だそうです。

だから心の中で「僕のことウソつきって呼ばないで!」って小さい頃からずーっと抵抗していたのですとか。

このホントつきの素質は、物心ついたときからすでに持っておられたのですって。

うーん、何と申せばよいのやら。

周りの大人達は大変だったでしょうねぇ。

今は私が大変ですよ(T-T)

ウソがホントになるまでは、超がつくほど凡人のワタクシといたしましては、振り回されてるという表現がぴったりの毎日でございます(ToT)

 

まあともかく、このことなどは半世紀以上もたってから実現しましたが、もっと短いスパンで起こることもしょっちゅうです。

いずれ再び東京に仕事にいくようになるよ、ということも、もうその数年前からホントをついて(予言して)おられました。

 

もっと近くで申しますと、あるとき梅田の繁華街にございますルクアでエレベーターに乗ろうと待っておりますと、一機目に到着したエレベーターは満員で、とても乗れませんでした。

繁華街でしかもすごく混む時間帯だから仕方がないよね、などと言っておりますと、ご機嫌に酔っぱらった宇賀神先生が、

「次に来るエレベーターは空っぽ!」

と嬉しそうに叫ばれるのです。

「またまたぁ、そんなこと言って、混む時間帯の繁華街やでー。」

と私が言うが早いか、次に到着してチーンと開いたエレベーターの中には誰一人乗っておられませんでした。

周りの人達も一同うわぁっと歓声をあげました。

まるでマンガのような宇賀神先生の日常と人生。

そのスリルとワクワク感は、ハリウッド映画のアイアンマンにも匹敵いたします。

お陰様でタイクツいたしません( ̄∇ ̄)

(ですがしょっちゅうハラハラいたします。)

 

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このときのホントは?

ちなみに、きっとこのときの宇賀神先生の心の中のホントは、「僕はワインを3杯飲ませてもらえる♥」だったのでしょうね!

果たして宇賀神先生の神通力の成果やいかに!?v(^-^)v

 

さて、宇賀神先生は今度はどんな楽しいホントをついてくださるのでしょうかねぇ。

あっ、そうそう、宇賀神先生がずーっとずーっと前からついてるホントで、まだ実現していないのがあるのですよね。

「わしは一生に一度は宝くじに当たる♥」っていうのが。

これは半世紀も待たなくていいですから!

何なら一生に一度ではなく、二度でも三度でも大歓迎ですから!!

エレベーターがすぐ来たみたいに、早くホントになぁーれ♥♥♥

 

合掌

過去を克服しなくてもいいのだとしたら。

よく、「過去を克服する」という言葉を聞きますね。

自分にとってつらいことが過去にあり、そのことが頭から離れず、同じような出来事があったときに同じようにつまづいたり、また、その過去の出来事のせいで人生が前に進めない気がする、というときに。

私自身、人生の中で少々つらいこともいくつかございましたが、でも必ずしも過去は克服しなくてもいいんだ、と思っております。

そもそも、何故自分自身の大切な人生の一部に対して(例えそれが自分にとって好ましくないものだとしましても)、勝たないといけないのでしょうか。

それよりももっと軽やかで温かい道がある、ということを宇賀神先生に教えていただいた出来事がございました。

 

今までも何度かお伝えいたしましたが、宇賀神先生の子供の頃(小学校以降くらいから)は、お家がとても貧乏でした。

もちろん戦後の昭和30年頃のことですから日本国中・総貧乏な時代でしたが、宇賀神先生のお家も小学校に給食代を払えないくらいの貧乏さ加減でした。

それがいいのか悪いのか分かりませんが、もっと小さい幼稚園の頃は先生のお父様の事業も成功していて、裕福な暮らしをしておられてからの一転、事業が失敗して貧乏暮らしとなられたものですから、やはりその落差は子供心にも余計につらかったことと思われます。

 

そんな貧乏な時代を過ごしたのが、宇都宮と仙台でした。

宇賀神先生は小さい頃、宇都宮と仙台を何年かごとに行き来するように暮らしておられましたが、仙台では二十人町と呼ばれていたところに住んでおられました。

二十人町は仙台駅からすぐのところで、その近くに榴岡公園(つつじがおかこうえん)という結構大きな公園があり、そこは今でも枝垂桜の名所になっております。

公園にはひと目で見渡せないほどの桜が植えられており、それらが全て枝垂桜で、私も一度だけ開花の時期に間に合って行くことができましたが、吉野桜とはまた違う独特の美しさが漂っておりました。

先生も小さい頃はその公園でよく遊んだのですって。

 

大人になり今の仕事を始められ大阪に住むようになられてからは、仙台へは定期的に出張で行くようになられました。

その際に宿泊しますのが、榴岡公園からすぐ近くの小さなビジネスホテルで、つまり宇賀神先生が子供の頃に住んでいた家のすぐ近くになります。

一度、そのホテルのロビーでコーヒーを楽しむ先生のお写真をご紹介したこともごさいますね。

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朝のコーヒー

もともとは有名な旅館だったそうですが、時代とともに今のビジネスホテルのスタイルになられ、小ざっぱりとしていて、先生もとても好きなホテルです。

 

そして大人になった宇賀神先生は、ご自身の夢を叶えられ、一度は世間でよく言われております「成功」を手に入れられました。

自身の持つ不思議な能力を使い、それで生活に余るほどのお金を稼ぎ、ついには念願のお寺を建て、宗教法人も設立なさいました。

 

ところが波乱万丈としか言いようのない宇賀神先生の人生です、ただでは済みませんでした。

 

54歳のときに胃潰瘍で倒れられたのをきっかけに、鬱になり、片目の視力を失い、離婚とともにお金も家も明け渡し、お寺(宗教法人)は残ったものの多くの信用も失い、当時とても鬱のひどかった先生は「全てを失った」という思いに囚われておられました。

その鬱の真っただ中でも仕事だけは何とか懸命に続けておられた先生は、仙台への出張も文字通り必死の思いで行っておられました。

そして、泊まっておられたのは、やはりその榴岡公園近くのホテルです。

 

鬱がひどかった当時の仙台出張の際、宇賀神先生が必ずしておられたことがございました。

それはホテルに泊まった翌朝、ご自身が小さい頃住んでおられた家の跡地に行き(現在は空き地になっていました)、その場所にしばらく立ち、自分自身に言い聞かせておられたことです。

「ここ(ここに住んでいた貧乏な時代)には絶対に戻りたくない。」

と。

 

この場所には戻りたくない。

あのつらかった貧乏時代に戻りたくない。

絶対に戻らない。

鬱を治す。

全てを取り戻す。

 

そう、ご自身に言い聞かせておられたそうです。

 

鬱という病気は不思議ですね。

こんなに明るく元気で、踏まれても踏まれてもめげない雑草のような生き力のある宇賀神先生が、あの当時は泣きながら日々を生きておられました。

そして自分を奮い立たせるために、つらい時代だったと記憶していた昔の家の場所に毎回行っておられたのです。

お陰様で高度成長期時代に生まれ、両親に大切に育てられました私には到底心底は理解できないような、貧乏の苦しみを二度と味わいたくないという、泣くような思いだったのでしょう。

 

そして数年たち、自力で鬱から回復して元気になられ、仕事もご自身の満足からはいまだほど遠いとはいえ、何とか再び「幸せだ」と思える人生を取り戻されました。

もちろんその中には綾野さんという可愛いお嫁ちゃんとの結婚、という要素も大きいかと思われます♥(誰も言ってくれないから自分で言ってみました(^-^;)スミマセン)

 

そんなある日、仙台に出張に行っておられた宇賀神先生から、朝に電話がかかってきました。

ホテルをチェックアウトして、歩きながら電話をしてきてくれました。

そしてしみじみと、こんなことを話されたのです。

 

「綾野さん、わしは今日、初めて気づいたよ。

今まで自分が子供の頃、この近くに住んでいたときは貧乏で嫌な時代、嫌なところだと思っていた。

それが今日、ホテルを出たら榴岡公園から鳥の鳴き声がいっぱい聞こえてきて、緑がいっぱい見えて。

こんな天国みたいないいところに住んでいたんだって、初めて気づいたよ。」

 

と、とても穏やかで幸せそうな声で話されました。

 

「天国みたいないいところだった。」

 

それは、「絶対ここ(この時代)には戻りたくない」という思いとは、正反対のようです。

あんなに嫌って、二度と戻りたくないという思いで見つめていたところは、実は天国のように美しいところだったと気づいた、とおっしゃいました。

私は涙が出そうでしたねぇ。

 

何だかそれが「過去を克服する」という在り方よりも、さらに幸せな在り方(生き方)のように思えました。

克服というよりは、穏やかなまなざしで見つめる、と表現できますでしょうか。

 

私が尊敬するマザーテレサは素晴らしいお言葉(詩)をたくさん残しておられますが、その中の一節に、

「もし私たちの心に静けさが欲しいのなら、

まなざしに静けさを保つことです。

あなたの両方の目で

もっとよく祈れるようになりましょう。」

というのがございます。

 

もしも自分自身のつらい過去でさえ静けさを保ったまなざしで見つめられたのなら、それは克服するよりも軽やかで穏やかな方法で、素晴らしい祈りになるのかも知れません。

そしてそれはきっと、天にも届くような気がいたします。

 

昨日から今日まで(あっ、日づけが変わって昨日になってしまいました。)宇賀神先生は仙台出張に行っておられ、先程帰ってこられました。

おかえり♥

また楽しい土産話でも聞かせてくれるでしょうか。

 

合掌

目を閉じて鑑賞する展覧会

目を閉じて鑑賞する展覧会があるなんて、思いもよりませんでした。

 

4月20日に、東京国立博物館のこちらの展覧会に行ってきました。(ずいぶん昔の日づけ!)

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東寺展

東寺さんって、本家本元のお寺は京都にあるから大阪の方が近いし、何もわざわざ東京で行かなくても・・・と、思わなくもないのですが。

それでも国宝の、例の素晴らしすぎる密教法具にもう一度会いたくて、また、どんな風に曼荼羅の世界が展示されているのかが見たくて、行ってきました。

(以前に東寺さんで密教法具に初めて出会ったときのお話はこちら!

⇒「密厳国土」)

 

もちろんお大師さんが唐から持ち帰られた密教法具は文句なしに素晴らしかったのですが、私にとりまして今回一番驚いた出会いは、曼荼羅(まんだら)でした。

曼荼羅とは、密教における佛さまの世界観を表した絵画で、金剛界(こんごうかい)と胎蔵界(たいぞうかい)の2種類ございます。

ご参考までに、東寺展で買い求めましたポストカードでご紹介いたします♥

少々不鮮明なのはお許しくださいませ。

mandala
曼荼羅

普通はこの2種類の曼荼羅を左右に並べて飾るのですが、正直、「これが佛さまの世界を表すのですよ」と言われましてもよく分かりませんでした。

四角く区切った中に大日如来さまを中心としてたくさんの佛さまが描かれており、またこれがこの佛さまで、などと説明されたものもございますが、よく見る実際の世界地図のように、「これが佛さまの御国の世界地図です」と言われましても「密教ではこんな風に表現しているのだなぁ(よく分からないけど)」という程度の感覚でした。

 

ところが今回の展覧会で、「後七日御修法(ごしちにちのみしほ)」の、壇の簡単な模型が展示されておりました。

後七日御修法とは、東寺さんで鎮護国家(ちんごこっか)のために、つまり国全体の平和を願って7日間に渡りご祈祷する壮大なお祈りの儀式のことを指します。

東寺さんで一番偉い方を含めて、何人もの高僧の方達でお祈りするのだそうです。

その際、大きな大きな曼荼羅を前にかかげ、その前に壇(儀式のための道具を色々並べます)を設え、お祈りなさるようです。

今回はその模型、と申しましてもとても大きなもの、が展示されてありました。

 

私の背丈よりも大きな曼荼羅が、壇の前に掲げられてあります。

そしてその手前にございます壇は、2m四方はあるような大きなもので、簡単に佛具などが並べられてありました。

もちろん展覧会ではプリントの曼荼羅でしたが、その曼荼羅と壇を前に立ちましたとき、不思議な感覚を覚えました。

 

「ああ、この曼荼羅が宇宙ですっていわれても仕方がないよな。」

という感覚が自然に沸き起こったのです。

つまり、まるで天体図を見るように、銀河の配置図でも見るかのように、「曼荼羅が宇宙(佛さまの世界)の様子を表しているんだ」と思ってしまったのです。

そしてさらに、「宇宙の地図(曼荼羅)は、そのまま宇宙そのものなんだ」とまで思ってしまいました。

自分でも不思議でした。

頭で理解したのではありません。

曼荼羅が表現している佛さまの世界観は複雑すぎて難しすぎて、どこの部分がどこの佛さまの御国で、などとは記憶できておりません。

ですが、感覚が、「私は今、宇宙(地図)を見ている。」と、思ってしまいました。

今までこれが佛さまの世界地図ですよ、と言われましても「ふーん」としか思えなかったものが、「そうやんな!」としか思えなくなりました。

 

サレンダー(降参)としか言いようがありませんでした。

 

「はい、これは宇宙地図です、これは宇宙そのものです。」と降参してしまいました。

理屈ではなく頭ではなく、心や感覚が先に理解してしまったような感じでした。

「いやもう、そうとしか思えない」と。

そして、だからこそきっと、御修法で「宇宙にお願い」するからこそ、「宇宙が願いを叶えてくれる」のかぁ、と、一人納得してしまいました。

 

曼荼羅なんて、そのよさは全然よく分からない、絵画としても別に部屋に飾りたいとも思えない(失礼!)、佛さまの世界を表しているなんて思えない、と思っておりましたのに。

なのに「降参!」と思ってしまいました。

 

そう、あれは本当に宇宙を表した図なのです。

あれは本当に、宇宙そのものなのです。

 

この感覚に出会えたのは、嬉しかったですねぇ。

 

そしてまた、今回は残念ながら国宝の曼荼羅(9世紀のもの)の展示期間には合いませんでしたが、それより3世紀ほど新しい1191年に描かれました、大きな大きな金剛界曼荼羅(本物)を見ることができました。

もちろんそれでも800年以上も前のものですから、ほとんど色ははげ落ちてしまっていて、わずかに一部の佛さま達が茶色くすすけたように残っているだけでした。

佛さまのお姿が鮮明に見えるわけではございません。

茶色のボヤけた人型の名残が一部分見えている、というような感じでした。

 

ところが、これがまたすごかったのです。

 

大昔の曼荼羅、何メートル四方でしょうか、大きな博物館の天井近くまであるような、大きな大きなものでした。

その前に立ちますと、ふわぁぁっと、溢れる光のようなものが全身に流れ込んできました。

とっても気持ちがよかったのです。

そうですね、例えて申しますなら、白熱球のような暖色の光です。

柔らかな明かりが温かみ(温度)をともなって曼荼羅から溢れ出ている、というような感覚でした。

 

「ここに立つとめっちゃ気持ちいいー。」

と思いました。

 

なので、その曼荼羅の前にずーっとずーっと立っておりました。

しかも目をつぶって。

もちろん、博物館の照明もございますが、それとは別の、その曼荼羅から溢れてくる光の感覚が、目をつぶっていた方が心地よく感じられたからです。

曼荼羅がこんなにも素晴らしいものだったなんて。(今更!?)

 

私にとりまして今回の展覧会は、曼荼羅に対する新しい感覚との出会いでした。

とても幸せでした。

 

 

本当はこの東寺展の開催中にこのことを書きたかったのですが、残念ながら6月2日に終わっていて、間に合いませんでした。

じつはこの1か月以上は、ずうっと風邪を引いておりました。

「今年の風邪は長いですよー。」

と、何人かの方からお聞きしていましたが、ほんっとうーに長かったです(T-T)

もともと一時期は咳喘息を発症し、これまた宇賀神先生に治していただいた経緯もございますためか、咳がなかなか止まりませんでした。

しかも風邪を引き始めた翌日から、仙台への出張と霊地聖地参拝を兼ねて、東北まで運転してしまったのです。

お陰で早期に治る機会を逃してしまい、大阪を出発して石川県を越えるあたりから、熱が出てしまいました。

発熱しながらハンドルを握ったのは生まれて初めてです。

去年の年末から今年の初めにかけての九州旅行といい、この1年は健康の当たり年のようです。

この勢いで宝くじに当たるんじゃないかと心ひそかに期待しております。

 

またまた綾野さんはお腹が痛くなったのでは、と、もしかしたらご心配くださっていた方々、長いことブログも更新せず申し訳ありませんでした。

お陰様でお腹の方は、お薬をいただき、また宇賀神先生にお加持いただき、お正月以来ずっと無事に過ごしております。

ご安心くださいませ。

いつもありがとうございます。

宝くじが当たりましたら、ぜひ一緒にどんちゃんパーティーをしましょうね♥

ご参加ご予定の方は、ご予約リストにお名前をご記入のうえ、今しばらくお待ちくださいませ。

私も曼荼羅を飾り、「宇宙にお願い」することに致します―!

(宝くじの前に健康を祈願しなさいよ、と言われそう?)

 

合掌