「運がいい」をどうしても数えられなかったときに宇賀神先生がしたこと。

seiyoken

先日、宇賀神先生のお父様のお友達である鈴木さんが、「運のいいところ」を数えるだけでますます運が良くなり、ギャンブルだけで生計を立てられるようになられたお話をいたしました。

ところが、ちょうど20代の頃の宇賀神先生は仕事に就いては辞め、を繰り返していて今でいうワーキングプア状態でいらっしゃったのですが、当時のことを振り返られて、

「鈴木さんの話は覚えていたけれど、わしは運がいいところなんてひとつもなかったから数えられなかった。」

と、おっしゃいました。

では、そんな人生の低迷期だった宇賀神先生は、いったいどうなさってそこを脱することができたのでしょう?

「そんなときにわしが何をしたかと言うと、夢を見たんだよ。」

宇賀神先生の勉強会に参加いただいている方達は何度かお聞きになられたと思いますが、よく言われる「夢見」のことですね。

(⇒ご参考までに、「夢見の技術」も併せてどうぞ!)

繰り返し繰り返し自分の望む未来を夢に見るとこによって現実化させていく、という。

もっとくだけた言い方ですと、単なる妄想とも言えましょうか。

そう言うと身もフタもないですかね?(^-^;)

20代当時の宇賀神先生にも数えられる運の良かったところはあったと思うのですが、人生の低迷期真っ只中だった宇賀神先生には、そんな心の余裕もなかったのでしょう。

しんどいときに、なかなか脳内お花畑にはなりにくいものです。

ただ、小さい子供の頃から学校の先生にまで「宇賀神、夢は寝てから見ろ!」と怒られるくらいボーッと夢の世界に浸っていた宇賀神先生です。

寝ているときだけでなく、昼間も起きていながらにして何度も夢を見ておられました。

自分にとって都合のいい、マンガのような夢です。

そう、例の、

「僕にはすごい力が眠っていて、いつかそれが目覚めたらすごいことになる!」

という、まるでSFマンガのような夢です。

(⇒「思い込みのチカラ」も読んでくださいね♥)

ですが、宇賀神先生いわく、このときはまだご自身が夢に見ているとやがてそれが現実になるなどという不思議な力があるなんて、全然思ってもいなかったんですって。

今みたいに引き寄せの法則も日本で流行っていない時代でしたし、ご自身の人生が思うようにいかないと腹を立てては八つ当たりする先もない、というような毎日でしたから。

ただ単に、つらい毎日から現実逃避するかのようにボーっとして自分に都合のいい夢ばかり思い描いていただけなんだ、とおっしゃいました。

そうしましたら、ある日、人生の低迷期どころかどん底!から頂点?の、「突然ひどい腰痛になり起きあがることもままならない」→「幽体離脱を体験」という一連の流れの、このお仕事に入るきっかけとなった事件が起きたのですねー。

(どん底から頂点?体験記はこちらをどうぞ♥⇒

気功師デビュー秘話 その1」、

気功師デビュー秘話 その2」、

気功師デビュー秘話 その3」)

本当に、マンガのような夢を繰り返し見ていたらマンガのように面白い人生になってしまった宇賀神先生。

いえいえ、ですが、そのおかげで不思議な能力を得られ、今日も先生のもとに来ていただいたご相談者さま達にとても喜ばれていらっしゃるわけですから、夢、と申しますより妄想!?もバカにはなりません。

有名な小説の中の言葉で、「待て、そして希望せよ。」というのがございます。

私もこの言葉が大好きなのですが、これはまるで宇賀神先生のこの「夢を見た」ことに近いのではと思っております。

「待て」と言いますが、この言葉の裏側にはただ待つのではなく、何かしらの行動の積み重ねがあるとは思います。

宇賀神先生も多分、ただ夢を見られていただけではなく、たとえば当時は本を尋常でないくらい沢山たくさん読まれたり、身体を鍛え続けておられました。

そして、「希望せよ」。

自分の望む未来をひたすら夢見て、希望を持ち続けること。

まあ、宇賀神先生の当時の正直な思いとしましては、ただただ現実逃避的に夢想しておられただけのようですが(^-^)

望む未来を夢に見る。

繰り返し繰り返し、鮮明に見る。

寝ているときだけでなく、起きているときも夢を見る♥

宇賀神先生が「運がいいこと」を数えられなかったときに実践なさり、そして願いを叶えられた方法です。

まだまだ世の中はコロナ禍にあり、何だか暗い話も多いですもの。

せめて望む明るい未来を夢見て、楽しくすごせますように。

人間には夢を見る力があります♥

ですが、何度夢見ても「3杯目」は無いですよー♥

seiyoken
精養軒にて(いつぞやの!早くまた行ける日がきますように(^-^))

合掌

プロセス(過程)と結果

昨日はまた、ブログランキングの設定方法が分からず頭を悩ませ、少なくとも5時間はパソコンの前で唸っておりました。

いやもう、アナログを通り越してレトロなワタクシがこのような最新型「こんぴゅーたー」を使ってブログを書き、しかもランキングに参加して世の中の流れに遅ればせならがついて行こうと思うこと自体、そもそものマチガイだったのでは、と何度悔やまれたことでしょう。

しかも夜寝た後の夢の中までパソコンを触っていて、「やった!わかった!できたー!!」と喜んだら目が覚めました。

朝喜びながら起きてそれが夢だと分かり、夢の中でまで悩んでいた自分に笑ってしまいました。

ところが同時に、不思議なことに、昨日分からなかったことが一晩寝たら多分理解できたのでは?という状態になっておりましたから、人間の頭は面白いですねぇ。

と申しますより、あまりにもトロくて宇賀神先生のつけたニックネームが「トロ子」のワタクシの理解のスピードも含めましてレ「トロ」なのでしょう。

一晩たって、ようやく理解できました。(多分理解してる・・・ハズ。)

ところで、数日前の記事で、私はたくさん幸せを感じます、ということをしきりに書きました。

宇賀神先生といつもの日常を過ごせるだけで幸せです、と。

ですが、もしもそれをご覧になり、宇賀神先生と私がいっつも毎日まいにち超♥甘々の仲良し生活をしていると思われましたら、トンデモナイ誤解ですよ!

よく、犬も食わねぇなんとやらもいたします。

はいはい、うちの母もあきれるくらい、よくケンカしております。

例えば先日も、宇賀神先生がご相談者さまのご予約の日にちを間違って予約表に書いておられました。

その日は月曜日でしたが、ひと仕事の後もうどなたもいらっしゃらないと思って午後に宇賀神先生と二人してスーパーに買い物に出かけたのですが、帰ってまいりますと家の玄関の前に水曜日にいらっしゃるはずのK様が待っておられるではないですか!

「あれ、すみません!ご予約は明後日では・・・?」

とお尋ねしますと、

「いえ、今日の日にお願いしていました。」

「申し訳ありませんーーー!」

ということがありました。

そのお仕事の後、K様に

「申し訳ありませんでした。宇賀神先生は日にちと時間を本当に間違えることが多くて、今回も明後日のところにK様のご予約が書かれていて・・・。」

と、しきりに謝り、宇賀神先生には

「前より日にちとか頭に入らなくなってきたよなぁ、認知症進んだんかなぁ!今度からご本人さんに予約表に記入していただいた方が間違いがないんかなぁ。」

などと言っておりました。

ですが、私はK様の手前もございますから、とても控えめに先生に訴えていたつもりでした。

その翌々日、K様の奥様のご予約があり、奥様がお見えになりました。

K様の奥様に、

「先日のご主人さんのご予約のことでは大変失礼しました。寒い中お待たせしてしまって・・・。」

と申し上げますと、

「いえいえ、いいんですよ。そういう主人も、鍵を忘れたり、色々ありますから。」

と優しく笑って許してくださいました。

ですがさらに、

「主人が『宇賀神先生はエライ奥さんにきつぅに言われたはったで。』って言ってて。」

と、うふふ♥と笑いながらおっしゃるではありませんか。

えっ・・・「きつぅ」って、(大阪弁で「きつく」ということなのですが)私、めっちゃ控えめに言ったつもりなんやけど・・・( ̄∇ ̄;)

などということがあり。

K様ご夫婦はとても仲が良く、またお二人ともとても穏やかなお人柄でいらっしゃいます。

綾野ちゃんはちょっと、キツイ(T-T)のかなぁ。

そういえばうちの父にも以前言われたことがありました。

「綾野ちゃんは宇賀神家の“ジャイアン”ですから、言動は抑えて、抑えて。」と。

私がジャイアン・・・そしたら宇賀神先生が、のび太くん(T-T)

目に見えるようでしょうか、その構図が。

トホホ。

というように、宇賀神先生と私の日常は決して甘々♥スウィート♥なものではありませんよ!

はっきり申し上げて鬼嫁とヒゲの生えた幼稚園児(と宇賀神先生を形容するあたり♠)との漫才の毎日、ケンカなんてしょっちゅうです。

ですが、そのケンカの日々も含めまして幸せだ、と思います。

もちろんケンカの最中はそんなこと考えもしません(^-^;)

ただ、キラキラ輝いた毎日ばかりが続けばそれはそれで最高でしょうが、そうでない日もあるのも人生ですもの。

笑う日もあれば、泣く日も腹が立つ日もございます。

宇賀神先生大好き♥と思う日もあれば、大っ嫌い!!とケンカするときも多々ございます。

私の好きな歌で「人生は潮の満ち引き」という歌詞の歌がございますが、人生の潮の満ちたときも引いているときでさえも、後から振り返れば本当は幸せだったと思えれば、それは最強ではないでしょうか。

不運に見舞われているように思える引き潮のときも、それに必死であらがったり、あるいは頭を低くして嵐が通り過ぎるのをじっと耐えて待っていたり、何かしらのその人なりの人生のドラマがあったはずですから。

その人生のドラマを、その時はつらくて大変でも、ふと何かの拍子に思い返したときに愛おしむような視点を持ちたいと、いつも思います。

その愛おしむ目線はまるで、親が子を見つめるように、あるいは、神さまや佛さまが子供である人間をご覧になるかのように。

そしてできましたら、その振り返るときが、それが起きている最中に近い時であればあるほど幸せを感じられる時間が増えるのかなぁ、と、脳内お花畑のワタクシはいつも思います。

多分ビジネスの世界とか、過程(プロセス)よりも結果(あるいは成果)を出すことが厳しく求められる世界はあると思います。

ですが人生そのものにおきましては、結果(成果)は、イコール、過程と思ってもいいのではないでしょうか。

だって、人生の結果って、何のことで、いつ分かるのでしょう?

いつ、これが結果です、といえば納得できるのでしょうか?

出世したとき?たくさんのお金を得たとき?自分の子供が社会人になれたとき?それとも自分自身が死ぬときにやっと合否を決める?

そのときまで待たなければいけないの?

死ぬときはもしかしてもう認知症になっちゃってて、分からないかも?

でしたら、もう今この瞬間こうして生きていること(過程、プロセスそのもの)がすでに成果であるかのように享受する思いでいたいと、いつも思います。

キラキラした甘々の日だけでなく、引き潮の日もまた、人生の成果であると愛おしく思いたいと、いつも思います。

で、それで、結局なにが言いたいのかと申しますと、私が貴重な休日に、ブログの設定でパソコン相手に5時間以上!!!四苦八苦しているこの状況でさえ、幸せだー!と泣いてやるぅぅ(ToT)(ToT)(ToT)ということなのです。

慣れないことで苦労してるプロセス(過程)でさえ、大事な私の人生の一部ですもの。

夢の中でまで格闘していた私を褒めてあげたいと思います。(だれも褒めてくれへんから。)

人生のプロセス(過程)がすでに結果である、ととらえれば、何でも楽しく幸せに見ないと損する気がして、欲張りの綾野ちゃんは今日も楽しく生きようとするのでした。(やはり脳内お花畑)

ところがさらに上手が・・・。

このブログを公開前に宇賀神先生に最終チェックしていただきましたら、先生が

「今日という日は、わしが楽しむためにある!」

「わしは毎日幸せ♥ハッピーライフv(^-^)v」

ですって。

のび太くんのくせに幸せって、やっぱり宇賀神先生が最強でした( ̄∇ ̄)♥

合掌

香港風邪と「おさすりさん」

宇賀神先生が小学校5年生の頃、香港風邪と呼ばれる、今で言うところの新型ウイルスが世界中で蔓延しました。

そのウイルスは日本にもやってきて、まだ子供だった宇賀神先生もかかってしまわれました。

呼吸が苦しくなって熱が出て、とてもつらかったことを覚えておられるそうです。

手に持った鏡の前で口を開け自分の喉を見てみますと、奥の方が赤くはれていて、「だから呼吸が苦しいんだと思った」とおっしゃいました。

「そしてこのはれが段々ひどくなって、最後に喉がつまって呼吸できなくなったらどうしようと、子供心に怖かった」と。

その頃の宇賀神先生のお家は、貧乏な暮らしをしていました。

もちろん戦後は日本中が困窮していた時代ですが、先生いわく「学校の給食費も払えなかった」そうですから、子供心にも自分の家は他の家庭より裕福ではないと感じておられたのでしょう。

当然、お医者さまに容易にかかれる経済状態ではありませんでした。

宇賀神少年はお父様に言いました。

「父ちゃん、熱が出てきたよ。しんどいよ。」

するとお父様は答えられました。

「そうだな、熱が38度を超えたら、医者に連れて行ってやる。」

ほどなくして、熱が38度を超えました。

「父ちゃん、熱が38度を超えたよ。」

するとお父様は答えられます。

「そうだな、近所で色々聞いてきたが、この風邪はどうやら医者に行っても治んねぇらしい。医者に行ってもダメだ。ほら、これやるから、おさすりさんのとこに行きな。」

そのときお父様から300円ほどのお金を渡された、と宇賀神先生は記憶しておられます。

多分はじめからお医者さまのところへ行かせる余裕はなかったのだと思われましたが、仕方なく宇賀神少年はそのお金を持って、近所の「おさすりさん」あるいは「おさすりばあさん」と呼ばれている方のところへ行きました。

そこには独り暮らしの年配の女性がおられました。

そのおさすりさんは、

「どれ、口を開けて見せてみな。」

とおっしゃり、宇賀神少年が口を開けて見せると、

「おお、喉がこんなにはれて、かわいそうに。痛いだろう。よしよし、こっちへおいで。ここに座りな。」

と、奥にうながされました。

宇賀神少年がおさすりさんに言われた通りに座ると、おさすりさんは少年の頭の上から手ぬぐいをかけ、それを首の横側にくるように垂らして、手ぬぐいの上から少年の首の横をさすりはじめました。

しゃっしゃっしゃっ・・・

とても軽い手加減で、手ぬぐいの上から耳のあたりや喉のあたりをさすってくれます。

痛くなく、とっても気持ちよかったんですって。

そうしておさすりさんがしばらーく宇賀神少年の喉のあたりをさすられた後、

「はい、いいよ。どうだい、つばを飲み込んでも痛くないだろ?」

と尋ねられました。

宇賀神少年は言われた通りにつばを飲み込んでみてびっくり、あれほど重く痛かった喉が痛くありません。

「痛くない!」

そして、鏡で自分の口の中を見てみました。

「喉の奥のはれがひいてる!」

「これで大丈夫だから。」

宇賀神少年は不思議でした。

「しゃっしゃっしゃっ」だけで、あんなにしんどかった喉のはれてたのが無くなったの?

ですが、そのおさすりさんの言葉通りそのまま喉のはれは無くなり、ほどなくして熱も下がり、宇賀神少年は無事に元気を取り戻しました。

宇賀神先生は、

「今思えばリンパマッサージのようなことをしてくれたんだと思う。」

「あのおさすりさんも、今のわしの仕事の原点だ。」

と、おっしゃいます。

やはり子供心にも嬉しかったのでしょう。

お父様に「医者でも治らねぇらしい。」と言われたしんどくて高熱を伴う風邪が、とっても気持ちのいいおさすりさんの「しゃっしゃっしゃっ」だけで治ってしまったんですもの。

もちろん何の検査もしたわけではありませんから、宇賀神先生がかかられた病気が本当に当時流行した新型のウイルスだったのか、ただの風邪だったのかは分かりません。

ですが、いずれにしましても、呼吸が苦しくなるほどの怖ろしい喉のはれと、38度を超えるほどの熱を伴う風邪または感染症が、リンパマッサージもどきだけで回復に向かったのは宇賀神先生が体験なさった事実です。

痛い注射を打つこともなく気持ち良くさすってもらっただけで病気が治ったなんて、よほど嬉しかったのでしょう。

以前にもご紹介しました、日本ターザンとの強烈な出会いとともに、このおさすりさんの体験は宇賀神先生の心に深く刻み込まれました。

(日本ターザン、三浦MAXさんとの出会いのお話はこちらをどうぞ!⇒⇒⇒

「氣」という概念 ― Qi Power あるいは日本ターザンとの出会い その1

「氣」という概念 ― Qi Power あるいは日本ターザンとの出会い その2

たしかに、宇賀神先生の言動やお仕事ぶりを拝見しておりますと、この日本ターザンとおさすりさんを足して2で割ったような、そんな気が・・・イヤイヤ。

いえいえ、真面目な話、剛柔あわせ持った、と表現できるような氣を感じます。

宇賀神先生のお仕事は加持祈祷です。

その加持祈祷を成就ならしめるもの、根底に流れるものは氣です。

その「氣」の、剛を日本ターザンから、柔をこのおさすりさんから感じとられたのが、宇賀神少年の氣との最初の出会いだったのかも知れません。

・・・ところで、このときの風邪(ウイルス)なんですが、宇賀神先生が「わしが小学校の、確か5年生のときにかかったのは香港風邪だった」と頑なにおっしゃるのですが、いくつかのサイトで調べて見ますと、ちょうど先生が5年生になる少し前に世界的に流行していたのはアジア風邪だと書かれていました。

香港風邪はその10年ほど後ですので、年代が全然合わないんですよね。

ですが先生は、がんとして譲りません。

「だってわしが学校で、『この風邪を引いたときにする咳は、ホンコン!ホンコン!っていうんだよ!』って冗談言ってたら、学校の先生がうしろからパーンと頭をはたいて『世界でたくさんの人が死んでるのに、なんちゅうことを言うんだ!』って怒ったんだから。だから絶対に香港風邪だ。」

ですって。

アジア風邪って、香港もアジアの国ですから、勘違いなさっているのでしょうかねぇ。

よく分かりませんが、とにかく宇賀神先生が学校の先生に頭をたたかれた思い出とともに「あれは香港風邪だった」とおっしゃいますので、今日のタイトルを香港風邪といたしました。

何卒ご了承くださいませ。

人の手には不思議な力が宿っております。

それを意識的に使える人と、そうでない人もいらっしゃいますが、少なくとも誰かに優しくさすってもらえるのは、どなたにとりましても極上の癒しとなります。

まだまだ新型コロナウイルスも油断できない毎日です。

今、すぐそばにいる大事な人の背中を優しくさすってあげるのも、いいアイデアですね♥

さすってもらった人は、アナタのとりこになるかもヨ( ̄∇ ̄)♥

合掌

「運がいい」を数えるだけで、運が良くなる話

これは私の憧れであるギャンブル運!までもが強くなるコツのお話です♥

宇賀神先生のお父様のお友達のことなのですが。

そうですね、昭和30年代の頃の記憶になります。

その方は先生のかすかな記憶によりますと、鈴木さんとおっしゃられました。

先生のお父様がパチンコ屋さんをなさっていたことから、鈴木さんと知り合われました。

(こちらの記事で当時のことを少しご紹介しております。→「Meijiのチョコレート」)

鈴木さんはパチンコのプロ、つまり、パチンコで生計を立てて暮らしておられる方でした。

宇賀神先生のお父様がパチンコ屋さんをやめられた後もお友達づきあいが続いて、お父様は鈴木さんから「パチンコでの勝ち方」を色々教わられたそうです。

パチンコの台の選び方から玉の打ち方(その時代は手でレバーを弾いて一粒ずつパチンコ玉を打つ方式でした)まで、パチンコひとつにとりましてもすごい「技術」が必要なようで、鈴木さんは「お友達の宇賀神さんだから」と、色々と詳しく教えてくださったそうです。

ですが最後に、「パチンコはね、技術も大事だがそれは半分でね、後の半分は運も必要なんだ。」とおっしゃったそうです。

ではどうすればパチンコで勝てるようなギャンブル運が強くなるのでしょうか?

その鈴木さんはギャンブル運の付け方までお父様に教えてくださったのですって。

宇賀神先生が生まれられたのは戦後5年もたっていない頃です。

お父様のお友達である鈴木さんも、第2次世界大戦の際は兵士として南方へ派遣されていました。

パプアニューギニアです。

パプアニューギニアと言えば激戦地中の激戦地、送られた兵士達は相手国の人達だけでなく飢えとも戦わなければならないような状況で、生きて帰ることは絶望的とも言える過酷な戦地でした。

鈴木さんは運悪くそこへ送られました。

そしてさらに運の悪いことに、パプアニューギニアでの戦闘中に肺結核を患われました。

しかも病状は重くなり、肺の一部を切除しなければならないほどの状態となられたそうです。

もちろんと申しますべきか、そのような大変な手術は現地では難しかったのでしょう、鈴木さんは日本に送り返されることになりました。

そして日本で片肺のほとんどと、肋骨や大胸筋までも切除するような大手術を受け、何とか命をとりとめ、そのまま日本で終戦を迎えられました。

肺の手術により一命をとりとめたものの、敗戦後の日本は鈴木さんにとりましては生きるのに過酷な時代でした。

鈴木さんだけではありません、日本中の人にとりまして、過酷な時代でしたね。

普通の人でも大変な時代ですのに、彼には片肺がほぼありません。

呼吸が苦しいのです。

普通の人のように動いただけでも、息が切れます。

そしてたびたび熱を出しては、せっかく見つけた仕事も休まないといけない状態でした。

上役の人からは「給料どろぼう」とまでののしられたそうです。

「何で俺だけこんな目に。」

息苦しい身体を抱えて、彼は運命を恨むような心持ちでした。

パプアニューギニアという激戦地に送られ、結核を患いそのため片肺のほとんどを切除し、呼吸は苦しく胸は痛く、体調も崩してばかり、せっかく見つけた働き口でも休みがちのため「給料どろぼう」とののしられ。

鈴木さんは彼自身の不運さを呪いながら生きながらえておられました。

ところがある日、鈴木さんはどなたかに言われたそうです。

「あんたはね、運の悪さを数えているが、違うよ。運が良かったところを数えてみな。」

と。

その人いわく。

鈴木さんは戦時中、パプアニューギニアに送られました。

パプアニューギニアは、「玉砕」を命じられた激戦地です。

玉砕とは、送られた兵士達は「自ら死んで一秒でもアメリカ軍の進行を食い止めろ」と命令されたのです。

たった一秒でも遅らせるために死ねとは、今の平和な時代に生きる私たちから見れば「そんなバカな」と到底受け入れられないような命令を、南方に送られた兵士達は否応もなく命じられたのです。

ですが鈴木さんは、「幸か不幸か」、結核を病み、パプアニューギニアから送り返されました。

しかも当時、南方への航路では日本の船はよく攻撃されては沈められていたそうです。

幸いにも彼の乗った船は、無事に日本に帰り着きました。

また、宇賀神先生いわく、送り返された港は呉だったのでは、とおっしゃいました。

広島の呉に海軍の港があったそうで、南方から帰国した船は呉についたはずだ、と。

もし彼がそのまま広島の病院にとどまり、そこで肺の切除手術を受けておられたのでしたら、そうですね、もしかしたら原爆に巻き込まれていたかもしれません。

ですが彼は別の場所で手術を受けられ、無事に終戦を迎えられました。

当時、結核という病気は今よりもコントロールされておらず、命に関わる恐ろしい病気でした。

他の人に伝染させないよう、終戦後もしばらくは世間様からの隔離生活を余儀なくされた彼は、隔離病棟(療養所?)にいたおかげでかえって終戦前後に多くの人が体験した飢えをまぬがれました。

働き口も見つけてもらい、最低限の暮らしを送れるだけのお金は継続して得られていたようです。

鈴木さんは「失ったもの」、健康な身体や切除された肺、を見つめ続けて「自分はなんて不運なんだ」と嘆いておられましたが、鈴木さんにアドバイスなさった方は、「自分では気がついていないけれど、もうすでに持っていたもの」、つまり、不幸が重なったように見えて実は一緒にやってきていた幸運を数えなさい、とおっしゃいました。

*パプアニューギニアに兵士として送り込まれたこと

*その地で悲惨な戦争を体験したこと

*肺結核を病んだこと

*その状態があまりにもひどくなり、手術を受けなければ死ぬほどになり、本国に送り返されたこと

*手術により片肺の大部分と、肋骨や大胸筋の一部まで失ったこと

または、

*激戦の地だったパプアニューギニアから送り返されたこと

*敵国からの攻撃をまぬがれて無事に日本に帰り着いたこと

*原爆も空襲も受けることなく終戦を迎えられたこと

*無事に手術を終え、当時は亡くなる人もまだ多かった結核を患いながらも命を拾ったこと

どちらも事実です。

コインの表と裏のように表裏一体で存在しており、ただ、表と裏のどちらを見ようと思うのかは、鈴木さん次第でした。

鈴木さんはその人に「運のよかったことを数えてみな」と言われてから、そのアドバイスを実行なさったそうです。

そうして気がつけば、ギャンブル運だけで生計をたてられるほど、運が強くなられたそうです。

まあ、パチンコで生計をたてることの是非を問うのはさておいて、私は鈴木さんがご自身の運の良さ、ひいては「鈴木さん自身」を信じて生きられるようになられたのがよかったのではと思います。

自分自身を信じるって案外簡単そうで、ときに私のような軟弱な人間にはちょっぴり難しいこともございますから。

あっ。

宇賀神先生にはいっつも簡単でしょうか。

と申しますのも、

「自信は『自分を信じる』って書くんだよ。その根拠は?って聞かれても、根拠もなく自分を信じることを自信って言うんだよ!」

とは先生の口ぐせですから。

いっつも自信たっぷりだもんねぇ。

だから、こけてもこけてもめげないんですねぇ。

だから、なんだかんだで運もいいのでしょうねぇ。

いいことだ♥

at-itami
何度ダメって怒られても「めげずに」おかわりをねだる宇賀神先生(先週、伊丹空港にて)

合掌

「ペンちゃんクリック!」にほんブログ村のランキングに参加しはじめました。

やっと、やっとの事でブログランキングの参加を決心しました。

どのカテゴリーのランキングにするか迷いに迷って結局、にほんブログ村の「健康」カテゴリーの中の「心と体」というサブカテゴリーのランキングに参加することに決めました。

宇賀神先生のお仕事の範囲が広いですからね。

体の健康だけでなく、心はもちろん、仕事や人生そのものに関わることや、時には霊的なご相談までも引き受けておられますから、長いあいだ決めかねておりました。

ですが、「心と体」というカテゴリー名を見た瞬間、「イコール、人生のすべて」という言葉がふと思い浮かびましたので、こちらに決めました。

今日以降の更新ページと今までの記事にもひとつずつクリックボタンを設置していこうと思っておりますので、お読みいただけましたらぜひ応援のクリックをお願いいたします。

この、可愛いペンギンのバナー(ボタン)にしましたので、記事の最後にこれを見かけられましたらぜひクリックをお願いいたします♥

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いやぁ、ですが、もともと超がつくほどのアナログ人間のワタクシ、このランキング参加のためのバナー(ボタン)設置にひと苦労もふた苦労もいたしました。

しかも同時にブログ記事を書くためのツールもアップデートしましたら、今までと勝手が違ってしまい、未だにちゃんと把握できておりません。

今日もこれを書くのに四苦八苦。

ワケも分からず触ってるうちに何とか書けましたー!というのが本音でしょうか。

また明日も同じことがちゃんとできるのか不安です(^-^;)

ですが、ひとつひとつできることが増えるのは楽しいですね?

また、これからも少しずつ更新していこうと思っておりますので、お楽しみいただけますと幸いです。

ところでこのペンギンのボタン、可愛いですよね♥

うちのぴーちゃんのようです。(何の鳥を見てもぴーちゃんに見えます。)

ペンギンは飛べません。

ですが、その泳ぐ姿を見た時に、「まるで海の中を飛んでいるかのよう!」と感動いたしました。

飛べないはずのペンギンが飛んでいるかのような可愛いイラストのバナー。

クリックしていただける際は、宇賀神先生がね、

「『ペンちゃんクリック♥』って言って押してください!」

ですって。

相変わらず「嬉しがり」の宇賀神先生でした(^-^)♥

合掌

 

 

***追記***

2024年1月現在、ブログランキングからは退会しました。

下記は、思い出までに残しておきます。

 

 

 

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ありがとうございます♥

「いつも一緒にいる人と、いつもの日常を過ごすあたりまえ」という名の奇跡

またずいぶんとご無沙汰しております。

日本だけでなく世界中でいまだ新型コロナウイルスが猛威をふるっておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

宇賀神先生と私はお陰様で無事に暮らしております。

よくよく考えますとこのブログの最終の更新日が今年の3月になっており、なんと半年以上も更新せずにいたわけですが、光陰矢の如しとはよく言ったものですねぇ(言い訳)。

この半年は新型ウイルスに「感染しない、させない」ようにというのを念頭に置いて必死だったという感じがいたします。

気がつけばもう10月?本当に??というのが本音ですが、一体今年は何をしていたかなぁ、と思いますと、「ただただ一所懸命に、ただただ無事でいられるよう生きた」が私の答えでしょうか。

そして何を一所懸命にしていたかと言いますと、

感染しないように人混みを避けた

手洗い、うがい、マスクの着用をこころがけた

寝る時間を長くとるようにした(1日10時間寝た日もたくさん・・・)

美味しいご飯をたくさん作った

美味しそうなお惣菜をたくさん買って楽チンをした

好きなものを食べた

スイーツも自分に甘く好きなだけ許した

宇賀神先生と仲良く過ごした

両親とも楽しく過ごした

弟は何かと忙しくなかなか会えないけれど、学校が休校になっていたあいだ両親のところに疎開してきていた姪っ子や甥っ子になるべく会いにいった

姪っ子の好きそうなご飯を作っては持っていき、「あやのちゃんのハンバーグがいちばん美味しい!」との最高のほめ言葉をもらった

姪っ子から「あやのちゃんだいすき」と書かれたラブレターを何通ももらった

・・・といったところでしょうか。

いやー、こうしてふり返りましても、「精一杯生きたよな」と我ながら満足しております。

ただひとつ、自分でしようと決めておりました分野の勉強がなかなか進んでおらず、かなりちょっぴりヘコむ時もございますが、おおむね満足です。

え?

「精一杯生きる」「一所懸命生きる」のハードルが低すぎますか??

ですよねー!

私もそう思います(^-^)

ただ、色々なことのハードルが低いと、人生のおトク感が満載ですよ!

この「一所懸命に生きる」や「幸せ」や「奇跡」のハードルが、一般的な水準(なんてあるのかどうか分かりませんが)からしましたら、もしかしたら私はとっても低いのかも知れません。

と申しますのも、「あたりまえの毎日を過ごす」だけで、私にとりましてはもうすでに一所懸命生きていることであり、奇跡のような幸せだと思えるからです。

つまり、私のとりましては、こうして宇賀神先生と笑って一緒にいられるだけで奇跡のようだ、と幸せなのです♥

at-home
お家でお気に入りのテンガロンハットをかぶって

 

south-col-dining
サウスコルさんダイニングにて2020年9月

 

norikura
乗鞍にて2020年9月

よく大きな災害に遭われたりしたときに、それまであたりまえだった日常がじつはあたりまえではなかったんだ、ありがたかったんだと気づいた、と言われます。

お陰様で私はそんなに大きな災害に遭ったことはございませんが、日常があたりまえではなくありがたいものなのだと感じられる感覚が、わりと常にございます。

大きな災害ではありませんでしたが、私の人生がちょっぴりしんどい状況にあったときに、

「自分が今すでに持っているもの(あたりまえのように自分の中や自分の周りに存在するもの)を数えよう。持っていないもの(欲しいもの)ではなく。」

というようなことを書かれた本を読みました。

私がまだ20代の頃でしたが、その文章はちょっとした気づきとなりました。

しんどいときは余計に人様の情けが身にしみるのでしょうか、今まであたりまえのように受けておりました周りの人の優しさにあらためて気づかされていたときでもありましたから。

また大事な人が元気に楽しく生きていることも、あたりまえではなく、本当はありがたいことだったのだと気づかされたときでもありましたから。

それ以来、この「すでに持っていたもののありがたさに気づく」ことの大切さが、私の中に深く根づきました。

あたりまえだったものは本当は、とっても得難い幸せであり、奇跡だったのです。

自分自身でも気づかないまま、いつのまにか手のひらの中にあった、とっても得難い奇跡だったのです。

遅まきながらそのことに気づけた20代後半。

それ以来ずっと、私は結構いつも幸せだったりいたします。

だってもうすでに私には、たくさんの幸せと奇跡がこの手の中に存在するのですから。

若干、かなり?、脳内がお花畑状態とも言えるかもしれません(^-^;)

ですので、こうして宇賀神先生と一緒に毎日笑って過ごせるだけでも本当に幸せだなぁ、と思うのです。

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大好きなカフェにて2020年10月

宇賀神先生が元気に生きてらっしゃること、楽しくお仕事してらっしゃること、もう本当にそれだけで幸せです。

この笑顔も可愛いですよね♥(かなりナントカは盲目を自覚。)

そうそう、その宇賀神先生、一昨日から仙台に出張に行っておられます。

今回は台風がきており、直前で飛行機の便を変更してもらったり、一昨日はかなりバタバタいたしました。

ですがちゃんと空港まで行って、相棒のクマちゃんと先生のお見送りをしたんですよ!

先生の乗られた飛行機を背景に記念撮影してきました。

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相棒のクマちゃん、宇賀神先生の乗られた飛行機を背景に

見てください、この哀愁ただようクマちゃんの背中!

先生が乗られた飛行機が通路から切り離され、滑走路に向かうのを見送っています。

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飛行機を見送るクマちゃん

なんて寂しげな背中なんでしょう。

飛行機を見送るワタクシのようです。

そしてついに、宇賀神先生の乗られた飛行機が離陸しました。

(なんとか写真撮れたけど、違う飛行機だったらどうしよう!)

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離陸しました!

そして昨日は、いつも仙台のお世話をしてくださるT様のお陰様で、いつものように無事にお仕事を終えられたようです。

「いつものように」。

ありがたいですよねぇ。

本当に。

「いつものように」「あたりまえ」は私にとりましてはまるで奇跡にようにとってもありがたいものです。

(ひすいこたろうさんの言葉をご紹介したこちらの「そんなこともあるよ、人生だから。」と、「神さまの見た風景」もまたご覧になってくださいね!)

そんな奇跡に囲まれて毎日を生きていられるなんて、私は本当に幸せな人間だ、と思うんですけどねぇ。

(まさにオメデタイ頭なだけかも知れませんが・・・。)

あたりまえ=奇跡、ととらえられるくらい奇跡のハードルを下げて周りを見てみてください。

世界がきっと輝いて見えてきますよ。

そして、いつもの日常を過ごせた日が、一所懸命に生きた素晴らしい一日だった、と満足して思えるようになりますよ。

脳内お花畑になってみたい方はぜひお試しくださいませ♥

今この瞬間から、カンタンに幸せな毎日になること請け合いです。

合掌

不安も強さも、何なら宇宙(仏法)までも、自分の中に見い出すということ。

私は小さい頃は、不安がりでした。

怖がりという日本語はありますが、不安がりという単語があるかどうかは正直知らないのですが、とにかく毎晩漠然とした不安を感じていたのを覚えています。

本当に毎晩でした。

 

毎日まいにち寝るとき、お布団に入った後、母に

「明日何か悪いことが起きる気がする。」

と言いますと母は、

「何にも起これへんよ。」

と言ってくれ、私は安心して眠る、というのが日課だったことを覚えています。

 

大人になった今、そして宇賀神先生と一緒に暮らしだして20年近くたった今、小さい頃のような不安がりではなくなりました。

もちろん先生の根っからの強さ、明るさに救われたのは言うまでもありません。

ただ、仏教を少々かじり、お大師さま(弘法大師 空海さま)のお言葉も少々覚え、私は私の不安の出どころを知りました。

それは、私自身の中でした。

 

不安や恐怖は、どこか外(の事象)からやってくるのではありません。

自分自身の中からやってくるのです。

 

今でしたら、当然の脅威として、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっています。

かなりの伝染力を持っていて、いまだに世界がその未知のウイルスをコントロール下に置けていない状態です。

そしてそのウイルスのため、世界中の国々が色々な方針を模索し、紆余曲折しながらほぼ鎖国に近い状態を開始したり、かなりの混乱期にあると思います。

そのこと自体は、実際の、現実にある脅威です。

ウイルスに伝染する危険性や、食料の不足や物資の不足も起こり得る可能性、という。

 

ですがそれを恐怖に思うかどうかは、また別問題なのです。

 

またもや私の好きなハリウッド映画のセリフで恐縮なのですが、

「Danger is very real. But fear is your choice.」

「危険はたしかに厳然としてある。だがそれを恐怖に思うかどうかはお前次第だ。」

と言ったものがありました。(少々うろ覚えですが。)

SF映画の中のセリフで、宇宙船が墜落してしまい、英雄である父親が大けがを負って動けなくなり、まだ子供の年齢の息子が一人で恐ろしいモンスターの住む森を駆け抜けて助けを呼びに行かなければならない、というシーンでのセリフでした。

そのモンスターは、人間の恐怖心を察知すると襲い掛かってくる、という性質を持っています。

ですから恐怖心さえ感じなければモンスターからはこちらの存在は見えないのですが、そうは分かっていても、殺されるかも知れない状況下で、恐ろしいと思う心をとめることは容易ではありません。

一人でモンスターと戦わなければならない恐怖におびえる息子に、英雄である父親が先程のセリフを言いました。

「危険はたしかに厳然としてある。だがそれを恐怖に思うかどうかはお前次第だ。」と。

私は「素晴らしいセリフだー!」と感動したと同時に、古今東西の智慧は同じなのだなぁ、と感心したものです。

 

古今東西、すべての心の素晴らしい働きも弱い働きも、外側の事象が原因なのではなく、自分自身の心が生み出している、あるいは自分自身の心の中に見い出しているのだ、という教えが存在します。

 

例えばどこかの国の神話では、神さま達が会議をして、この世で一番大事なものを人間たちが容易と見つけられないようどこに隠そうか、と話し合っていたそうです。

はじめは

「世界で一番高い山の上はどうか。」

という意見が出たり、

「いやいや、世界で一番深い海の底はどうか。」

という意見も出ました。

どんなお宝なのか、とにかく大事な宝物で、それをたやすく人間に見つけてほしくはないそうなのです。

すると、最後にある神さまが、

「それでは人間の心の中はどうか。」

と提案し、他の神さま全員が

「それはいい!そこなら簡単には見つけられないだろう!」

と賛成し、全会一致で世界一大事なものを人間の心の中に隠したそうです。

 

そして、我らがお大師さまは、何なら悟りでさえも遥か遠くにあるのではなく、自らの心の内にある、とおっしゃっています。

有名なお大師さまの般若心経秘鍵に、こう書かれています。

 

「夫れ佛法遥に非ず、心中にして即ち近し。

眞如外に非ず、身を棄てて何んか求めん。」

 

(それぶっぽうはるかにあらず、しんじゅうにしてすなわちちかし。

しんにょほかにあらず、みをすてていずくんかもとめん。)

 

さすがお大師さま・・・うっとりと酔いしれてしまうほど美しすぎる文章です。

私のこの稚拙なブログでご紹介するなんて無礼千万もいいところですね。

どうかお許しを(T-T)

 

つまりお大師さまは、佛法(仏法)、イコール、悟りは、もうすでに自身の心の中にある、とおっしゃっています。

自分の外側の世界のどこを探しても無く、自分の心の中にあるものだとおっしゃっています。

 

そしてその後に続く文章では、

 

「迷悟我れにあれば發心すれば即ち到る。」

(めいごわれにあればほっしんすればすなわちいたる。)

 

迷いも悟りも自分(の中)にあり、悟りに到ろうと思うだけで、たちまちに到っている、

とも。

 

すべてすべて、はじめから、自分の中にあるそうです。

嫌なものがどこかからやって来るのでも、素晴らしいものをどこかへ探しに行かなければならないのでも、ないそうです。

 

いまの世界、あるいは私自身の状況に当てはめるのでしたら、不安がどこかからやってくるのでもなく、愛と平穏をどこかへ探し求めていくのでもないのだそうです。

すべてはじめから、自分の中に存在しています。

それを見い出せるかどうか、あるいは、見い出そうと思えるかどうかも、私次第です。

 

それは、自分の中の不安を無視したり否定したりするというのではありません。

そうではなく、ただ不安があることを認めるだけでいいのです。

不思議なことに、心の中の不安を認めてあげるだけで、その不安が暴走するのが自然に止むことに気づくと思います。

そうやって不安を認めた上で、さらに自分の中に愛や平穏も見い出すことです。

あるいは、愛や平穏があったことを思い出す、と言ってもいいかもしれません。

だって元からあったのに、周りの状況にびっくりして、ただ忘れがちになるだけなのですから。

 

とは申しましても、三つ子の魂百までの例え通り、根っからの不安がりではある私です。

可能な範囲で、できる備えはするつもりです。

食べ物や日用品、少々の現金など、物流が滞る可能性を考えますと、準備せずにはおられません。

幸か不幸か、私達は震災も経験しております。

地震にしましてもウイルスにしましても、何らかの災害に見舞われたときに、毎日の生活を送るのに何が必要になってくるのかを思い出して、無理のない範囲で備えたいと思っております。

 

これは決して脅かすのでも予言でもありませんが、昔から疫病に見舞われたときに地震などの天災も同時にやってくる可能性がある、と言われております。

私達は大阪に住まいしておりますが、東南海地震が30年以内に起こる確率は高まってきています。

「『大地震が来るか来ないか、ではなく、いつ来るか』の問題だと思ってください。」

と、地震学者の方かどなたかが、以前テレビでおっしゃっていた言葉が忘れられません。(やっぱり不安がり。)

もしかしたら、コロナ騒ぎが収束する前に来る可能性だって、否めないのです。

 

ですからこそ、備えを。

 

宇賀神先生と私は車中泊キャンプ旅行もよくしておりますから、何となくキャンプの用意にも似ているな、と思いながら少しずつ備えております。

そして、備えあれば憂いなし、のことわざ通り、ある程度の備えをして、うがい手洗いの励行、人混みにはなるべく行かないなどの自律をしたあとは、今日も枕を高くして寝たいと思います。

もう「明日何か悪いことが起きる気がする」とは、思わなくなりました。

「今日もいい日だったなぁー。明日もきっといいことが起きるなぁー♥」

と、若干欲ボケた思考に包まれて毎晩眠りについております。

 

そして、こういう状況下だからこそ、余計に家族への感謝や愛情を再確認できます。

宇賀神先生には、

「綾野がこうして日々安穏と暮らしていられるのは、先生のお陰やでー♥」

と、ことあるごとに口にしています。

 

そして直接口で伝えるのは少々照れくさいような気がする両親には、メールでちょっぴり書いたり、態度と行為では思いっきり示すようにしています。

あっ、この場を借りて言っとこう!

 

「お父さんお母さん、いつもありがとう♥

お父さんお母さんのお陰で、綾野は幸せに暮らしています!」

 

ひゃっほー( ̄∇ ̄) ←←←やっぱり照れてる。

 

家族といえば、小学校が休校になり、3月のはじめから私の両親のところへ疎開?してきている一番下の姪っ子が、ひな祭りの日に私にお手紙をくれていました。

love-letter
まぁちゃんからのラブレター

今気づきました、私が左下に後から書いた日づけが間違っています。

「2020.3.3」が正しいです。

 

そしてこちらが、その中身です(^-^)

love
手紙の内容は似顔絵でした。

左から、まぁちゃんとまぁちゃんのお兄ちゃん、宇賀神先生、私ですって。

みんなにこにこ笑っていて、先生にはちゃんとお髭まであります!

先生と私は、王様とお姫様のように王冠をかぶっています。

 

そして、「あやのちゃんだいすき」ですって( ̄∇ ̄)♥♥♥

いやもう、世界中に自慢したいこのお手紙。

私もまぁちゃん大好きです♥

このお手紙も私が将来死んだときに棺に入れてもらうべく、宝物のファイルに入れておこうっと。

 

幸いなことに、私達は心の中に何を見い出し、どの部分にフォーカスを当てるか、選ぶことができます。

脅威に対する不安なのか、

平穏であるのか、

家族との生活を守ろうとする強さなのか。

 

まだまだお大師さまのおっしゃる悟りを自分の中に見い出すのは難しいですが、私は少なくとも自分の中に、不安や弱さとともに強さを見い出せるようにはなりました。

もちろん私達を含め、日本国中だけでなく世界中の人々が仕事や生活に対する不安を感じておられるとは思われますが、パンドラの箱の底に希望が残っていたように、心の中に平穏と強さを見つけられますことを願っております。

日本はもともと地震などの天災も多かったからでしょうか。

日本人はしなやかに、強いですもの。

今まで何度だって災害から立ち上がってきました。

その力強さを、血の中にも記憶しているのでしょう。

ただそれを、自分の中から思い出すだけだと思えば、こんなにありがたいことはありませんね。

 

ああ、ですが、ワタクシがたったひとつ怖れていることは、ワタクシのパンドラの箱を開けたとき、最後に残っているものが希望ではなく、深く考えられない単細胞が故のノーテンキさ加減だったらどうしよう、と思わなくもないことでございます。

あり得る・・・と少々悩むフリをしながら今日は床につきたいと思います♥

ノーテンキを自分の中に見い出せる(っていうかそれしか持ってナイ)私に感謝!

 

合掌

生きとし生けるもの、死せるものすべて

ヴィパッサナー瞑想という言葉をお聞きになったことはありますか?

世の中には色々な種類の瞑想があり、ヴィパッサナー瞑想も有名な瞑想のようです。

 

ヴィパッサナー瞑想の最初は、「今ここ」の状態に気づく、というところから始まります。

今、ここ、この瞬間、に集中する瞑想と申しましょうか。

過去を悔やむことや未来に不安を抱くことはどちらも幻にとらわれるのと同じく意味のないことだという考えのもと、今の自分の実際の身体の動きであったり、心の動きであったり、とにかく今の自分の状態に意識を向けるところから始めます。

(解釈が間違っていたらごめんなさい。)

私は以前このヴィパッサナー瞑想で有名な方の本を読んだことがあるのですが、その本の中でヴィパッサナー瞑想の方法のひとつとして、「幸せを願う」という方法が紹介されていました。

 

最初は「私が幸せでありますように」から始まり、

「私の好きな人が幸せでありますように」に続き、

次はなんと「私の嫌いな人が幸せでありますように」、

そして最後は「生きとし生けるものすべてが幸せでありますように」

というように、段々とその対象の範囲を広げて行く方法だったという記憶がございます。

 

素敵な拡大の仕方だなぁ、と思ったことを覚えています。

 

ところがあるとき、ふと、

「生きとし生けるものすべてというなら、もしかしたら『死せるものすべて』にもその祈りの範囲を広げるのは、あってしかるべきかも?」

と思いました。

もちろんそのお祈りは幸せをお祈りすると申しますよりは、感謝であったりご冥福を祈るものであったりするわけですが。

だって私の人生なり生活なりは、先人達のお陰の上に成り立っているのです。

私の大好きな祖父母だけでなく、会ったことのないご先祖様や、見ず知らずの過去に生きた人達が築いてくださった日本という社会があるお陰で、私はここにこうして安心して暮らしていられます。

ですので、「死せるものすべて」もその範囲に入れる方がいいのかな、とふと思いました。

 

ところが、ひとつひっかかることがありました。

それは、もしかしてそんな風にお祈りすることで、例えば成仏できていない霊たちが「ここなら祈ってもらえるらしい!」などと喜んで?たくさん集まってきたらどうしよう、というものでした。

と申しますのも、ご先祖様のお墓の前で、「お墓参りに来るのも身体的にも難しく、これからは家の方でご供養させていただきますので、こちらにいらしてください。」とおっしゃった方が、その周り中の無縁仏さんにまでついてこられて大変な思いをなさり、宇賀神先生にお祓い(ご祈祷)していいただく、という事件を目撃したからです。

(その時の記事はこちら→霊媒体質の方がご先祖様&その他大勢を呼び寄せてしまったお話。

実害の例をこの目で見てしまっていましたので、そんなえらいことにでもなったらどうしよう、と、正直不安を感じました。

 

このことを宇賀神先生に尋ねますと、

「坊主のくせにそんな情けないことを言ってどうする。そのための護身法(ごしんぼう=真言宗における魔から身を守るための法)があるじゃないか。」

とたしなめられました。(坊主じゃなくて尼さんですが・・・。)

「それに、『有縁無縁諸聖霊等 皆成仏道(うえんむえんしょしょうりょうとう、かいじょうぶつどう)』という言葉があるように、縁の有る無し、命の有る無しに関わらず、すべての霊性の成仏を祈るのは、当たり前のことだ。」

とおっしゃられました。

 

ああ、そうだったのか。

 

いつも不動法という密教の御修法を宇賀神先生がなさるときによくお聞きしておりました「有縁無縁諸聖霊等」というのは、「生きとし生けるもの、死せるものすべて」と同じことだったんだ、と思いました。

耳で聞き、頭で理解していたものが、腑に落ちたような感覚でした。

 

さらに先生は、

「基本的に霊を拝むことによって何かを得ようとか何かをしてもらおうとか思わない限り、霊に憑かれたりしないもんだ。」

ともおっしゃいました。

なかには「霊媒体質」と先生がおっしゃる、関係のない霊までまるで吸い取り紙のように引き寄せてしまう不便な体質の方もおられるそうです。

先の記事の方のように。

ですが、滅多にないそうです。

 

それで私は霊媒体質かどうか、と申しますと、

「そんなことを心配するなんてプロ(のお坊さん、じゃなかった、尼さん)としてなってない。」

とのことでした。

 

(プロかどうかはおいておきまして)多分に私は霊媒体質ではありませんが、宇賀神先生のおっしゃりたいことは、そんなことはどうでもよく、要は私自身に祈る者としての覚悟があるかどうかが問題なだけ、なのでした。

 

覚悟。

 

が、あるかどうか。

 

あとはどうでもいい。

 

のですって。

 

ねぇ。

 

まあ、それ以来は覚悟を決めて?、ふと自分の心に浮かんだお祈りの言葉通り「生きとし生けるものすべて、死せるものすべて」に、感謝のお祈りを捧げております。

私が普段している瞑想はヴィパッサナー瞑想ではありませんが、朝の勤行の際やそのあとに瞑想する時など、この気持ちが自分自身の心の底にあるのを見るようになりました。

 

今日は3月11日でした。

(書いてるうちに昨日になってしまいました・・・今朝も早起きしたのに(T-T)眠すぎる。)

 

朝のお勤めのときに、9年前のこの日に亡くなられた方達のご冥福をお祈りしました。

すると、私の心か魂のどこかがまた何かを感じたのか、涙が出て途中からまともなお経になりませんでした。

その涙はいつもの幸せだけが満ちている涙ではなく、穏やかな愛情や喜びとともに悲しみと無念さも少し混じったような、不思議な感覚でした。

亡くられてでさえ、私達を支えようとしてくださっているような、そんな切実な想いを感じて涙が出ました。

 

瞑想を続けているためかどうかは分かりませんが、こんな風に目に見えない存在の想いを感じることが増えました。

それは神さまであったり佛さまであったり、神佛以外の初めからこの世に実体をもたない存在であったり、亡くなられた方であったりいたします。

亡くなられた後もずっと私達を支えようとしてくださっている方達の想いに感謝しつつ、今日はお祈りいたしました。

 

いつもお見守りくださり、ありがとうございます。

心より、心より感謝申し上げ、ご冥福をお祈りいたしております。

 

合掌

 

 

*申し訳ありません、翌朝に漢字など訂正いたしました。

宇賀神龍仙より、祈りをこめて

今日もちょっと楽しくて少し不思議なお話をいたしましょう。

 

1週間前の連休に、宇賀神先生と私はいつもの湯峰温泉に湯治にまいりました。

谷合いのひっそりとした温泉郷はいつものように私達を「おかえり」と迎えてくれているようで、今回もとてもよい湯治旅となりました。

 

その初日に宇賀神先生が公衆浴場の薬湯(くすりゆ)の方に入られますと、思いがけず

「あっ、宇賀神先生!」

と、ひとりの男性から声を掛けられました。

その方は以前に湯の峰でお会いした方で、宇賀神先生が腰痛を治してさしあげた方でした。

思いがけない再会に先生もびっくりなさったそうです。

 

宇賀神先生が

「その後、腰の調子はどうなの?」

と尋ねられますと、

「あれ以来ひどく痛むことはなくなりました。」

と答えられました。

そしてさらに、

「ちょっと痛いなー、と思ったときは、奥さんからいただいた先生の名刺で

痛いところをなでると、痛みがマシになるんです!」

とおっしゃったそうです。

 

なんと・・・!

宇賀神先生の名刺の思わぬ効果♥

「拝んだら願いが叶う」的な仏像的効果!?発見!(^-^)!

 

でも実は、このような話は今に始まったことではありません。

 

宇賀神先生のところに何年も通ってくださっている方からは、

「心臓のあたりが苦しくなったとき、『宇賀神先生ー!!!』って思いながら心臓のあたりをなでると、不思議と苦しくなくなるのです。」

といったお話や、

「うちのおばあちゃんは毎晩寝る前に仏壇に手をあわせるとき、『宇賀神先生、宇賀神先生』って唱えてます。」

とか、

「車を運転していて道路の陥没に気づかずに車ごと落っこちました。半回転して真っ逆さまに落ちたんです。普通なら命を落としても不思議でない事故だと言われましたが、宇賀神先生からいただいたお守りを持っていて、無傷でした。」

など、もはや神さまか佛さまかというほどに心の拠りどころにしてくださっているお話は、たくさんお聞きしております。

しかも、ちゃんと実際の「ご利益」が現実に起きているのです。

 

不思議ですよねー。

多分、実際に宇賀神先生にお会いなさったことのない方がこのブログを読まれましても、「うそみたい」と信じられないと思います。

うん、大きな声では言えませんが、横で暮らしている私も実はちょっぴり「ホントにー?」って思ってたりして( ̄∇ ̄)♥

 

ですが、事実です。

 

私はこのブログに、本当のことしか書かない、と決めています。

本当のこと、という言葉に語弊があるのでしたら、少なくとも実際の私の目と耳で見聞きしたことしか書いておりません。

 

事実、佛さまを心の拠りどころとするように宇賀神先生を心の拠りどころとしてくださり、宇賀神先生がいらっしゃらないところでもその「ご利益」を享受なさっている方は多いのです。

宇賀神先生のことを世界一愛する妻のワタクシといたしましては、誇らしく、嬉しく、また、そんな風に思ってくださる方達がありがたくもあります。

大好きな人がたくさんの人達から大好きと思ってもらえるなんて、幸せなことではありませんか?

それは多分、私の大好きな姪っ子や甥っ子がたくさんの人から愛されて、愛に溢れた素晴らしい世界で生きていけますようにと願う気持ちと同じです。

もしも私に子供がおりましても、きっと同じような気持ちを抱くでしょうね。

 

そこで、宇賀神先生の名刺をお持ちでないアナタ様にも朗報です♥

ここで特別に、宇賀神先生のとっておきのお写真をお載せいたしましょう。

と申しましても、この写真は以前も載せたこともあり、またこのブログのヘッダー画像にもしておりますが、とっても意味のあるものですので、ここで改めて再掲いたします。

私のとっても大好きな1枚です。

 

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宇賀神龍仙より、祈りをこめて

 

このお写真で、宇賀神先生が手で形作られているのは「蓮華印(れんげいん)」と申しまして、密教上の印のひとつです。

密教(と申しましても、私は真言密教しか存じません)は「三密加持力(さんみつかじりき)」により、効験を表すとされています。

つまり、

身密(しんみつ)=手で結ぶ印(いん)

口密(くみつ)=口で唱えるご真言

意密(いみつ)=観想、つまり心で観るがごとく想うこと

の3つの力が合わさり、願いを成就させるということです。

 

この写真のなかで宇賀神先生が手で形づくられている印は、蓮の花を意味する蓮華印と申しまして、私達密教徒にとりましてはとってもありがたく大事な印なのです。

蓮の花はお釈迦さまも愛された、仏教とも縁の深い花です。

その蓮の花の輝く光に包まれて、皆さまにも幸せが届きますようにという祈りを込めて、お送りいたします。

 

ホントは誰にもあげたくない宇賀神先生の写真を、タダで大公開!

よろしければダウンロードしていただき、お守り代わりにお持ちくださいね♥

心から信じてくださる方には、名刺と同じく、きっとご利益ありますよ(^-^)

もちろん、「そんなん、うそに決まってる!」と思われる方にでさえも、残念ながら?ご利益があるようお祈りいたしております♥

 

いずれにしましても。

祈りの力は果たして届くのかという疑問に対しまして、私達密教徒は「届きます。」と信じております。

在家さん向けのお経本のなかに、私の好きな一節がございます。

「至心発願 天長地久 即身成仏 密厳国土 風雨順次 五穀豊饒 万邦協和 諸人快楽 乃至法界 平等利益」

という祈願文です。

読んで字のごとく、この世が平らかであることを願い、生きとし生けるものの幸せを願う一文なのですが、なんて素晴らしい祈願文なのでしょう、といつも思います。

 

いま、世界中で新型のウイルスに対する不安が渦巻いておりますね。

また、人々の心の不安だけでなく、実際の未知のウイルスであるという脅威も現実にございます。

 

祈りを生業とし、祈ることを自分の生きる道としております私達は、日本を含めまして世界中の人々が1日も早く平穏な日々を取り戻されることを祈るばかりです。

もちろん世界中の人々が同じお気持ちでいらっしゃると思います。

 

宇賀神先生を心の頼りとしてくださる方達にも、このような渦中でさえ、心安らかにお過ごしくださいますようにという祈りを込めて、今日のお写真をお届けいたします。

1日も早くワクチンが開発され、人類が新しい病気に対抗する力を持てますように。

この不安のなかでも、私自身も含めてすべての人々が心の中に平穏を見いだせますように。

心より、お祈り申し上げております。

 

合掌

感応道交(かんのうどうこう)

人が誰かのためを思うとき。

あるいは人の思いが神さま佛さまの御心にかなうものであったとき。

そしてその思いが神さまや佛さまのお慈悲のお心と通じて合い交わえたとき、それを「感応道交(かんのうどうこう)」というのだそうです。

 

先月に私が一人で東京に行った際にたまたま電話がかかってきて、東京にいらっしゃる宇賀神先生の会員さんのワンちゃんの具合がここ2~3日悪いとお聞きして、お加持(氣による施術、とも言えます)に私一人で向かったことを前々回の記事(物語を読むように。)でお話しましたね。

その方の家に向かう途中で、その地域の氏神様だという神さまの前を通りましたので、私は初めてお参りさせていただきました。

それまではお参りしたことはございませんでした。

 

いつも神さまや佛さまにお参りするときのように、

「本日ご縁を持ちましてお参りさせていただき、ありがとうございます。宇賀神綾野と申します。」

と、ご挨拶しました。

そして、もちろん原則通り「お願いはしない」のですが、そのときは、

「これからワンちゃんのお加持をしにまいります。

どうか、あの健気で可愛い小さな命の、助けとなれますように。」

と申し上げました。

 

言葉としましては「助けとなれますように」と、それこそ「神を頼む」ような言葉ではありましたが、私の本心はどちらかというと「宣言」でした。

「必ずや助けとなります」という、決意表明でした。

それは、前回の記事の「宇賀神龍仙、がんばっております!」と同じような、心から信じる神さまや佛さまに対する選手宣誓のようなものでした。

 

そしてお参りが終わり、いつものように鳥居を出たあと振り返って一礼するのですが、そのときに境内のとある場所が目に入り、その瞬間、目頭がじわっと熱くなりました。

「あれ、また何か神さまのお心を感じられたのかな?」

とは思いましたが、鳥居と拝殿の方向の関係で、私はそのとき拝殿の方を見て涙が出たのではありませんでしたので、何だか少し不思議でした。

ですが、お心をいただけたとは思いましたので、もう一度お礼申し上げてその場を後にし、ワンちゃんのお家に向かいました。

 

そのお話を大阪に帰ってから宇賀神先生にいたしますと、

「それを感応道交と言うんだよ。」

と教えてくださいました。

私がワンちゃんを何とか助けたいと思う気持ちが神さまに通じ、神さまの思いと合い交わったときに、私の心がその神さまのお心を感じたのだと。

 

ちょっと嬉しかったですねぇ。

「そっかぁ、神さまと心が通じたのかぁ。」

と思いますと、そしてそれをまた宇賀神先生の口からそんな風に言っていただけますと、なんだか太鼓判を押してもらえたようで嬉しかったです。

 

ちなみに、私がお加持させていただいたワンちゃんですが、その日のうちに元気を回復しました。

2~3日寝床から出てこようとしなかったのが、施術のあと寝床から出てきて、走りだすようになりました。

ご飯も完食するようになりました。

あれ以来1か月ほどたちますが、ずっと元気なようです。

これでしばらくは安心でしょうか。

 

私にもこうしてちょっぴり神さま佛さまのお仕事のお手伝い(お加持)ができて、飼い主さんから涙目で合掌されて感謝されますと、もうそれだけでありがたいなぁと思います。

宇賀神先生の教えを受けだしてから20年以上たちますが、教わっててよかったと思います。

もちろんそれはお加持や気功だけのことではなく、神さま佛さまに相対するときの姿勢や、生きる姿勢そのものも含めて、私は色々なことを学ばせていただいています。

 

そしてワンちゃんのお加持をしに行ったときにお参りした氏神さまですが、後日、宇賀神先生ともお礼参りにまいりました。

そうしましたら、また新たな発見があったのです。

前回に鳥居をくぐって出たときに、境内のある場所が目に入った瞬間涙が出たのですが、その場所に、実は「龍穴(りゅうけつ)」があったのです。

 

龍穴とは、人間でいうところの経絡とツボの関係のように、地球上の氣の流れの上にあるツボのようなものです。

つまり天・地・人の氣のうちの、地の氣がそこから色濃く噴き出しているところなのです。

そして何かただならぬものを感じた昔の人がそこに神さまや佛さまを祀り、現代では神社やお寺になっていたりします。

最近はパワースポットなんていう呼び方もできたりしていて、うまいこと表現するなぁ、と思っています。

 

まさに、地の氣が色濃く出ているところと言う意味では、龍穴こそ本当のパワースポットなのです。

 

宇賀神先生とその氏神さまにお参りしたときに、私一人で来たときには気づかなかった、龍穴に通じる扉を見つけました。

一瞬「閉まっているのかな?」と思いましたが鍵がかかっておらず、誰でも行けるようになっていました。

扉を開けてその空間に足を踏み入れた瞬間、漂う空気が違う、と先生は龍穴にすぐ気づかれたようです。

 

ニブチンの私はその空間に入ってさえ、宇賀神先生に言われるまでまさかそこが龍穴だとは気づかず。

ですが、私の頭は気づかなくても、心と申しますか魂と申しますか、頭ではない私の存在のどこかで何かを感じたから、その龍穴に通じる扉の辺りを目にしたときに涙が出たのですね。

 

不思議なものです。

 

宇賀神先生は「感応道交」とおっしゃいました。

 

地球上のとある箇所で色濃く存在したパワー(力)が、御心を持つ神さま(や佛さま)となり、それを神さまと感じた誰かがそこに神社を建てたのか。

あるいは噴き出すパワーを感じた人間が、そこに何かしらの神さまを祀るための神社を建てたから、パワー(力そのもの)が神さまとなったのか。

その神さまの存在の起源は測りようもございませんが。

 

とにかく、何かが、ある、のです。

 

そしてそのあるものと、私達の心というか魂というか、人間の存在の根源的なところで相通じるものがあるのです。

 

ですがきっとそのあるものとは、実は普遍的に存在していて、ただ私達が気づかずに、あるいはいつもはその存在を忘れてしまっていて、日常生活を送っているだけなのかも知れません。

そしてそれが色濃く出ているところでうっかりと(?)つながったときに、思い出すだけなのかも知れません。

そのうっかりとつながったときの、えも言われぬ幸福感たるや。

いつも流す涙は幸せの涙です。

だから私は神さま佛さま参りをやめられないのかも?

 

またうっかりつながるときが来るといいなーと思いながら、その下心をひた隠しに隠して、私はこれからもまたお参りさせていただくことでしょう。

あぁ、ですが。

神さま佛さまは、なぁんでもお見通し!でしたっけねぇ(T-T)

頭隠してなんとやら。

ヒヨコさんの黄色いアンヨは今日も丸見えでした♥

 

合掌