ミディアム

ミディアム?ミディアムシップって、何のこと?お肉の焼き加減ですか?

と思ったのは、数か月前にこの言葉を(お肉の焼き加減ではない意味で)初めて聞いたときでした。

近頃のスピリチュアル界では、いわゆる「霊媒師」という意味で使われているようです。

知らんかったー。

霊媒師という単語にくらべて、いいですね、日本人の性質か、お流行りのカタカナ語にするとなんとなく良い印象を受けるのでしょうか。

ただひとつ昔の霊媒師さんの印象と違うところは、「誰それの恨みや後悔の念であなたの因縁がどうのこうの」というような、脅し的な要素が少ないということでしょうか。

(もちろんすべての霊媒師さんが脅されていたわけではありません。)

どちらかというと、「亡くなった愛する人が、愛に溢れた世界からあなたのことを見守っています」というような愛のメッセージを伝える、という感じのものが多いかなと思いました。

そう、最近流行のミディアムシップは、

「愛する人は亡くなってもあなたのそばにいて、あなたのことを見守っています。」

「あなたを愛で包んでいます。」

「あなたの幸せを願っています。」

「死んでからの世界は、愛に溢れたものです。」

というような、愛、幸せ、心の平穏、が根底に流れている世界のものが多いようです。

これまでのような(昭和の時代に多く見たような?)

「先祖の因縁があるからお墓を買いなさい。」

「この因縁を晴らして幸せになるために高額な仏像を買いなさい。」

「あなたの前世の業が今の困難を招いているのだから、お祓いを受けなさい。」

というおどろおどろしいものとは違うものが多いようです。

その点はいいのかな、と思います。

実際その通り(死後の世界は愛に溢れた世界)だと、私自身もそう思っていますし。

ただ。

耳に心地よい言葉を並べて、それで悲しみに打ちひしがれている人の心を慰めているだけなのでは?と思ってしまうようなものも無きにしも非ず、と感じてしまうのは、ひねくれているでしょうか。

当たり障りのない内容を、誰にでも当てはまるような内容を、それを優しい聞き心地のよい言葉で糖衣のようにくるんで悲しみにくれている人を慰めて商売にしているだけかな、と感じるものもありました。

もちろん本当にミディアムとして他の人より細やかな感覚をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、それほどでもないのに糖衣にくるまれた言葉を話しているだけの人もいるかなぁ、と感じてしまったのは、まさに愛する人を失って、その人の声を聞きたいと泣きながら願っていた私が感じたことでした。

私が得たいものは、そんな優しいウソにくるまれた商売上の話じゃないのです。

たしかに、私が感じる亡くなった後の世界は、愛や幸せや穏やかさに溢れたものでした。

本当に、不思議なくらい光で溢れたような世界なのです。

これは噓偽りのない私の感覚です。

ただ、そんな風な「光溢れたあの世」を描いている人の発言でも、あぁ、この人の話は心に響くなぁと思うもの、でもこの人の話はただの上っ面の言葉かなぁと思うもの、両方ありました。

それはもちろんほとんどの方がお仕事ですもの、玉石混交、いろんな方がいらっしゃいます。

少なくとも、宇賀神先生という本物の霊能者を間近で見ていた私は、石の方にはなびきたくないなと思いました。

宇賀神先生は、とても骨太と言うのでしょうか、地に足がついているというのでしょうか、先生の霊能力は何というか、うわついたものではありませんでした。

糖衣にくるまれたような優しい嘘でもありませんでした。

もちろんおどろおどろしいものでもありませんでした。

力強かったなぁ。

温かくて、大きくて、力強い、ほんとうの優しさ。

どう、表現すればいいのか分かりませんが。

とにかく、違いました。

多分、宇賀神先生に実際にお会いになった方ならこの感覚を共有していただけるかもしれません。

しかも、あんなに神様や佛様とお話しもなさっていて、ときには亡くなった方ともお話しなさっていたのに、それ(霊媒的なこと)に自分がどうすべきかの判断を安易に委ねたり、霊媒的に聞いたことで人にこうするべきとアドバイスしたり(人を動かそうとしたり)、決してなさいませんでした。

神のお告げ、亡くなった人のお告げ、で人を動かそうとは決してなさらなかったのです。

どうしても、亡くなった愛する家族が自分に何を言っているか知りたい、と涙とともに本気で願われた方に、宇賀神先生がお聞きになったことをお話ししておられるのを、一度だけ見ました。

そういえば、別件では、「これは亡くなった人に聞いたけど、そのご家族には絶対言っちゃだめだよ。傷つくから。」と言われたこともありました。

生きている人同士のコミュニケーションも難しいですが、亡くなった人を交えたコミュニケーションも難しいところがあるようです。

言っていいこと、言っちゃいけないこと、色々。

あやのには、難しすぎて嫌になるときが、ときどきあります。

宇賀神先生はその点、色々と上手でいらっしゃいました。

宇賀神先生はよく勉強会で

「霊に関わってはいけない。マイナスの存在だから。霊に関わっても生きている人間のプラスの氣を吸い取られるだけで、何もいいことないからね。除霊とか色々やって、面白がって霊に関わってる人間の顔を見てみな。ろくな人相にならないよ。」

とおっしゃっていました。

だから私も今までそんな霊媒師さんとか、世の中の宇賀神先生以外の霊能者さんとか、まったく興味ありませんでした。

あ、すみません、今も興味ありません。

今も昔もずっと興味があるのは、宇賀神先生だけです。

要は、宇賀神先生以外、誰も、どんな霊能者も、信用する気がないんでしょうね、私が。

いまだに悲しみでいっぱいの私の心は固く閉ざされていて、どの霊媒師・ミディアムの言葉も信用できないのでしょう。

我ながら寂しい人間だとは思いますが、宇賀神先生がいらっしゃるから寂しくありません。(と強がっておく。)

そして今は、ひたすら自分で宇賀神先生の言葉を聞けるように、宇賀神先生の姿を見られるように、宇賀神先生の心を感じられるようになろうとしています。

誰も信用できないから、自分の霊感を磨くことにしました。

宇賀神先生に関してだけ。

その一心に願う思いのためか、少しずつ、少しずつ、宇賀神先生とつながっているように思えてきました。

先生は霊には関わらないようにとおっしゃいましたが、

「わしは例外だから。特別待遇だから。」

と笑って許してくださると思っています。

というより、

「わしがこんなに話しかけてるのに、あやのさんは鈍くてなかなか理解してくれないんだよ。あんなに教えたはずなのに。」

と思っておられるようです。

もっともっと明確に、宇賀神先生の言葉が聞こえますように。

もっともっと明確に、宇賀神先生の姿が見られますように。

もっともっと明確に、宇賀神先生の存在を感じられますように。

宇賀神先生に関してだけでいいので、最高のミディアムになれますように。

(他は怖いからあんまり見たくないです。)

合掌

これからの生き方

「わしが死んだらね、背後霊のようにあやのさんにひっついて、寄ってくる男を追い払うんだ。」

と、何度か宇賀神先生がおっしゃったことがありました。

唐突にそんなことをおっしゃるときが何度かあったのです。

「えっ。そしたら私に再婚の望みナシやん?」

こんな風に二人で笑っていました。

「いや、でも先生が妬くほどモテへんから心配ないって。それに、私が再婚なんかできひんくらいに先生が長生きしてくれたらいいんやんか。少なくとも100歳まで長生きしてよー。そしたら私は74歳やし、それくらいやったら一緒に佛様のところに行ってもいいくらいの歳やんか。」

と。

「それに・・・宇賀神先生がいなくなったら、どうやって生きていく?お金のことじゃなくって。何を人生の喜びとし、何を幸せに思って生きていく?あやのは宇賀神先生が人生のすべてやで。そのすべてを失ったら、どうやって生きていっていいか分からへん。だから絶対長生きしてよ。」

とも、よく言っていました。

そんな会話を何度かしていたとき、あるときふと宇賀神先生が、

「そしたら、わしが死んだら、わしの菩提を弔って・・・高野山の尼寺に入るか?」

と、おっしゃいました。

「あっ、そっかー。佛道かぁ。そやな。私も一応尼僧のはしくれのはしくれやし、佛様の道やったら、こんなにありがたいことないな。それに、それやったらわざわざ高野山に行かんくても、ここ(家)が私の大事なお寺(聖域)やし、宇賀神先生が私の護り本尊さんやし、先生をお祀りしてここで佛様と神様と一緒に暮らすわ。それならちょっとできるかな、どうかな。」

「でもやっぱり、そんなん寂しすぎるから長生きしてよー。」

こんな会話を、笑いながら、心の底から宇賀神先生の長寿を願いながら、二人でしておりました。

そして今。

あのときの宇賀神先生のふとした一言が、どんなに私の生きる支えとなっていることか。

「わしの菩提を弔って」

「高野山の尼寺に」

葬儀のときに、棺の中の宇賀神先生がお花でいっぱいに満たされたとき、まさに優しく美しい佛様の像を見るようでした。

ああ、まさに佛様になられたのだと思いました。

私の、大事な大事な、尊く、それでいて肌が触れるほどにとても近く、楽しくて、限りなく優しくて、温かい、愛する佛様。

宇賀神先生のことを誰よりも誰よりもお護りして生きていこうと思いました。

お寺さんがご本尊様をお護りするように。

そしたら今まで通り二人で一緒に幸せに生きていけるのかもと思いました。

「わしが死んだらね、背後霊のようにあやのさんにひっついて。」

って言ったよね。

たしかに、その言葉通り、なんかひっついてくれてるって、思うようになってきたよ。

信じてるから。

今まであやのに言ってくれたことはすべて実現して、先生の言葉通りになってきたから。

ずっと一緒やで。

合掌

花の袈裟をまとって

宇賀神先生が阿字のふるさと(佛様のもと)へ還られました。

今年、2023年4月11日のことでした。

あまりにも突然のことで、そしてあまりにも宇賀神先生らしい安楽な、それでいて大往生なご帰還でした。

ただあまりにも早すぎるご帰還であったことは、何故、と今でも思います。

宇賀神先生を長くご存じの方、とくに昔から勉強会に参加されている方でしたら、

「先生の言ってはった通りや・・・!」

と思わざるを得ない、ある意味予言通りの亡くなり方でもありました。

ですがもちろん、私にとりましてはあまりにも突然すぎて、あまりにも悲しすぎる出来事で、そのときは後にも先にもただ一度だけ、

「地獄のような日だ。」

という嘆きに押しつぶされる思いでした。

いつもいつも、この世こそが天国でありがたいと幸せにひたりながら日々暮らしておりましたのに。

その私が「地獄」と思ったのは、生まれて初めてでした。

ですがやはり、この世は地獄ではないよと、その後すぐに宇賀神先生に教えられました。

葬儀のときに、最後に棺に花を入れていきますよね。

まず最初に宇賀神先生のお顔の周りに皆で花を飾りました。

それから喪主である私に真っ白の綺麗な胡蝶蘭が手渡され、それを宇賀神先生の胸の上に置きました。

その後次々とすべての花を身内の皆で棺に入れていったのですが、最後に見ますと、その花がちょうど僧衣の袈裟のように、左肩から右脇へと流れるようだったのです。

最初に胸に置いた胡蝶蘭を斜めに置いたのですが、その後皆がそれぞれに入れていってくれた花が偶然、胡蝶蘭の斜めの流れに続いていったようでした。

もちろん、無意識だと思います。

私ももちろん何も考えられず、ただただひたすら綺麗なお花で宇賀神先生を包んであげるために、ありったけの花でたくさんたくさん飾ろうとしただけでした。

ただ、それだけでした。

それが、すべての花で埋めつくされた後にふと見ますと、なんとも幸せそうな穏やかな綺麗なお顔で、まるで花で織られた美しい袈裟を身にまとっておられるようで、そしてお顔の周りも身体もすべてたくさんの綺麗な花に囲まれて。

そう、まるで、優しく美しい佛様の像を見るようでした。

「ああ、宇賀神先生はいいところへ還られるんだ。佛様そのものになられるんだ。」

そう思いました。

その気づき以来、宇賀神先生は私の護り本尊様です。

私は一人になったわけじゃないと知りました。

「これからも二人で一緒に幸せに生きていこう。」

そう、宇賀神先生に約束しました。

合掌

恋文・今年最後のお不動さんの日に

ブログ、あんなに書くのが楽しかったブログ。

いまこの瞬間は楽しいとか楽しくないとか、そんなのはもうどうでも、そんな尺度はもうどうでもよくなりました。

なぜ書くのかという理由もこの8か月ほど考えてみたりもしましたが、思考がうろうろと彷徨うままちゃんとした答えも出ず、なぜ書くのか、も、どうでもよくなりました。

たぶん、文章という形で心の出口が欲しいというのが今の思いに一番近いのかもしれません。

だとしたら、宇賀神先生への恋文か。

私の心の向かう先なら。

宇賀神先生に、

「ブログどうしよう。」

と尋ねましたら、

「あやのさんは書くのが好きだったからなぁ。温泉にもよくノートを持って行っては何か書いていた。」

と言われました。

いえ、正確には、そう言われたような気がしました。

声ではない言葉で、私の心の中に直接そう言われた気がしました。

なので、という言い方も変かもしれませんが、今後書いていく記事は、ただの私のひとりごとと思っていただけますと幸いです。

ただの私の心の出口ですから。

宇賀神先生の楽しい話を書きたいと思いながらも、たくさん悲しいことも書くでしょう。

今までは読んでくださる方のことも考えて私なりに言葉を選んだり、書く内容も選んだりしましたが、これからはちょっとそんな余裕もないかもしれません。

ただひたすらに嘆き悲しむ暗い文章になるのか、ただひたすらに宇賀神先生への愛の語りかけになるのか、ただひたすらに霊媒的夢物語になるのか。

めちゃくちゃ支離滅裂なブログになるかも。

傍若無人に書いてしまうかも。

大阪弁とかも混じる変な言葉になるかも。

もう、明日には挫折するかも。

自分でも分かりませんが、とりあえず今日は泣きながらキーボードを打つことにしました。

泣いていたら、宇賀神先生がいつもなぐさめてくれるから。

いつも、ふわぁっと、優しくあったかーいもので包んでくれるから。

ありがとう。

愛してる。

いつもそばにいて。

アメリカの氣を感じる

「ここニューヨークで感じるアメリカの氣の大きさは、日本の東京の100倍くらい大きい。」

宇賀神先生はわくわくしているご様子で、こうおっしゃいました。

アメリカ行きは、ある方のご好意で実現することになりました。

アメリカ在住の女性で、日本人のお母様とアメリカ人のお父様の間に生まれられたハーフでいらして、英語はもちろん日本語もペラペラ♥でいらっしゃる、Cさんとおっしゃいます。

お仕事のお忙しい社長さんでいらっしゃいますが、日本もこよなく愛しておられ、毎年必ず日本を訪れてらっしゃいます。

Cさんのご主人さんもまた、アメリカ人というより国際人と申し上げた方がぴったりなような、見識の豊かな方。

実はずっと以前に「春の氣(昨日は優しい春の夜でした。)」でご紹介した絵(The sign of blessings/天の祝福のサイン)を描かれたのは、こちらのご主人さんです。

素晴らしいアーティストでいらっしゃいます。

お名前の頭文字も同じくCさんなのですが、ご縁のまた先にご縁がつながり、宇賀神先生と私はとっても仲の良いCさんご夫妻に出会うことができました。

2019年の春にCさんご夫妻が日本に遊びにいらしたときに、「今度アメリカに遊びにきませんか?」と誘ってくださいました。

まるで、隣町に遊びにこないか♥というくらいの軽やかさと親しみを込めて、おっしゃってくださいました。

私はCさんご夫妻が軽やかに世界中を旅なさっているのをお聞きしておりましたから、憧れましたねぇ。

超がつくほど久しぶりの海外への旅でしたからとてもためらわれましたが、紆余曲折の末、旅慣れたCさんご夫妻のご好意に甘えることにいたしました。

2019年、ちょうど1年前の、秋のことでした。

とっても贅沢なプライベートツアーを組んでいただいたようなものでした。

宇賀神先生と私だけでしたら多分、海外で電車ひとつ乗るのにも、てんやわんや。

それをホテルからアメリカの国内線飛行機から電車、タクシー(あちらではUber(ウーバーというタクシーのシステム)がすごく進んでいるのですね。)まで、全てすべて手配していただきました。

お陰様でアメリカの東の方を北から南へと移動する壮大な旅となり、しかも宇賀神先生が「行きたい」とおっしゃったところに重点を置いた、とてもじゃないですが普通のツアー旅行では叶えられないような贅沢な旅となりました。

今思い出しましても夢のようです。

Cさん、その節はお世話になり、本当にありがとうございました。

今でもアメリカ旅行は私の心の中でキラキラと輝いております。

さて、宇賀神先生との旅は、やはりどうしても氣というものを基準に考えます。

氣のいいところを選んで行き、そこで氣の充電を楽しみながら滞在します。

当然アメリカに行く前も、宇賀神先生は「ここは氣が強い場所に違いない」と見当をつけておられるところがいくつかございました。

そのうちのひとつが、「ニューヨークの五番街」。

私は世の中に疎い方ですので知らなかったのですが、そこは有名な一流ブランドショップが並ぶ、日本で言うところの銀座のような街なのでした。

さすがにブランドものにご縁の無いワタクシでも知っているような名前のお店が、大きな軒を競うようにして並べていました。

有名なかの方のビルの前で!警察官の方達は、実物では初めて見るような大きさのホンモノの銃を構えておられました。(カメラ目線をありがとうございます!)

いま、接戦(混乱?)の選挙のさなかの、かの方のビルの前で写真を撮りました。

そしてそのビルのある通りこそ、五番街の大きな大きな氣の流れの通り道でした。

氣が流れて来る方を見て。

歩いている途中で立ち止まり、「ちょっと待っててね。」と、流れて来るその氣の心地よさに浸る宇賀神先生。

「やっぱり、アメリカの氣は日本の氣とは比べものにならないくらい大きい。」

とおっしゃいました。

「これがアメリカの発展を支えているんだなぁ。」

と。

氣の心地よさに吸い寄せられるように人が集まり、そこに街ができます。

氣が大きければ大きいほど、街の発展も国の発展も大きくなるのでしょうか。

そして銀座の氣と同じように、五番街の氣も華やかで、なんだかウキウキしてしまうような明るさがあり、そこを歩くだけでも楽しいような心地がいたしました。

そして、氣の通り道もございましたら、氣が地球の中から噴き出してくる、いわゆる龍穴もございます。

もちろん氣の通り道にいるだけでも充分すぎるほど氣の充電もできますが、やはり、行けるものなら行ってみたいアメリカの龍穴。

次回はその龍穴のことに触れたいと思います。

合掌

「世界中の博物館を見に行きたい。」

「宇賀神先生の夢は何?」

と尋ねたことがございました。

「もしもこれをしなかったら、すごく心残りになるっていう夢はある?」

と。

そうしましたら、宇賀神先生が

「世界中の博物館を見に行きたい。」

と、おっしゃいました。

なんていい子なんでしょう・・・!

と、思わず小さい子を持つお母さんのような気持ちになってしまいました。

この子に広い広い世界を見せてあげたい!と。

まあ、ワタクシがそのように思わなくても宇賀神先生はご自身でも、ちゃあんと今までも広い世界をご覧になってきてるのですが(‾∇‾)

宇賀神先生は、博物館が大好きです。

日本全国を旅しましても、旅先で必ず

「ここにはΟΟ博物館があるんだよね。(見に行きたいんだよね。)」

と、おっしゃいます。

よくもまあ全国の博物館を覚えていて、それをまた何度も見に行きたがるものだといつも感心するのですが。

そしてまた、旅先で歩いているときに偶然、博物館とは呼べないような規模の資料館(入館料が無料だったり、100円くらいだったりするような小さな規模の)に出会いましたら、必ず入ろうとなさいます。

もともと博物館がそんなに好きでもない私からしましたら、ここの展示物の何が面白いの?と言ってしまいそうな小さな小さな資料館でも、ご覧になった後は「面白かった」とおっしゃいます。

お母ちゃんには、理解できひん面白さやね(^-^;)

ちなみに、そんな宇賀神先生が今、図書館で借りて読んでらっしゃる本が、「栃木県 郷土歴史資料事典」。

まさに、「読む博物館」ですね。

何か必要なことを調べるために事典をもちいてらっしゃるのではなく、物語か何かのように全部を読み進めていらっしゃるのです。

私なら読み始めて数分で眠りに落ちそうな本です(本と書いて睡眠薬と読む(^-^;))

ですが、そんな博物館の面白さを理解できなかったワタクシにも、衝撃の出会いがございました。

始祖鳥の化石です。

始祖鳥の化石 / 東京国立博物館にて
始祖鳥

東京の国立博物館に、始祖鳥の化石がやって来て、それを宇賀神先生と見に行ったことがございました。

「これ、教科書で見た・・・!」

私にとりましては、忘れられない衝撃の出会いとなりました。

本で習い覚えていた知識が現実となって目の前に現れた喜び、という衝撃でした。

知的興奮とでもいうのでしょうか?

鳥が好きということもありましたが、教科書で見た知識と現実がつながり、また恐竜の時代・化石という過去と現在(の鳥への進化)がつながった瞬間でもありました。

点と点がつながって線になって、それが面になり、やがて立体に展開していく面白さ、って例えると余計わかりにくい表現でしょうか。

宇賀神先生が博物館がお好きな理由が、少しわかった気がいたしました。

もうひとつおまけ。始祖鳥と同じ展覧会で展示されていました。記憶に間違いがなければ、片方の角が大人の背丈ほどもありました。あまりの美しさに息を飲みましたが、何の骨だったんだろう。説明文を撮り忘れました。

宇賀神先生の頭の中には、驚くほど雑多な知識が山ほどつめこまれています。

法律みたいな小難しいことから、歴史、地質学も大好きで、兵器や戦闘機、電車も大好き、その他色々、さらにはどうでもいいような(失礼!)雑学の果てまで。

その数えきれないような雑多なあちこちの点が、博物館を見たり本を読んだりして頭の中で結びつき線になり面になり、やがて立体となって生き生きとしたドラマが展開するような物語が見えてくるのでしょう。

生命の進化というドラマだったり、大陸や島や地形の成り立ちというドラマだったり、人の歴史というドラマだったり。

多分、宇賀神先生の頭の中では、歴史上の人物でさえ、熱い息吹を持った、今まさに生きている人間として目の前に見ておられる気がいたします。

ですからこそ、あっちの博物館で見た知識と、こっちの本で見た知識がちゃあんと結びつき、知識自体が生命を持って、そのドラマの世界がますます多彩な色を輝かせてくるのではないでしょうか。

私なんて、あっちで見た知識はあっちの点、こっちで得た知識はこっちの点のまま、なかなか結びつかないですもの(T-T)

ですから、今まで博物館に行きましてもあまり面白くなく、「私、先にカフェで休憩しとくからゆっくり見ててね(^-^;)」とか何とか言っておりましたねぇ。

始祖鳥との衝撃の出会い以降、少しは博物館を楽しめるようになってまいりました。

宇賀神先生ほどではございませんが。

宇賀神先生いわく、

「だってここ(博物館)には人間の英知がつまっているんだよ!」

とのこと。

ええ子や(T-T)

なんてええ子なんや(T-T)

きっときっと、世界中の英知を、見に行こうね。

きっときっと、日本国中、世界中の英知を、遺跡を、今生きている人々も、見に行こうね。

という経緯もあり?、ちょうど去年の今頃、太平洋を渡りました。

世界最大級の博物館、「スミソニアン博物館」を目指して。

大きな大きな国、アメリカを目指して。

宇賀神先生と私にとりましては、壮大な旅となりました。

次回からは、そんな1年前を懐かしみつつ、アメリカでもやらかした珍道中(‾∇‾)、もとい、素晴らしい旅の思い出をご紹介したいと思います。

今はまだまだ世界を旅することは難しいからこそ、楽しかったアメリカに思いを馳せ、心だけでも旅してきたいと思います。

合掌

「あーっ、早くみんなとうまい酒が飲みてぇなあ!」

今日は、独り言を。

昨日は十五夜でした。

お月さん、ご覧になられましたか?

昨日の記事で、「今日は十五夜です」とお伝えしましたら、宇賀神先生のお弟子さんが満月のお写真をグループLINE上にあげてくださいました。

伊丹の満月と火星
名古屋の満月と火星
名古屋の満月と火星(と、土星のような青い光!)

どのお写真にも綺麗にお月さんと火星が写っています。

火星はお月さんの右斜め上45°くらい?

一昨日の位置とずいぶん違っていて、私が一昨日の撮影時間を間違って記憶してたかな?と少々不安になってまいりました(^-^;)

間違っていたら申し訳ありません。

せっかくLINEにあげてくださったお写真のことでからかうつもりはなく、これはまったくの愛情でもって申し上げるのですが(^-^)♥・・・写真とか絵って、時として、その撮った人、描いた人をよぅく表したりしません?

上のお写真では、

1枚目の方は、心優しさ♥をともなった大人の冷静さ(^-^)

2枚目の方は、直球!そのまんま過ぎてちっちゃい子みたいでカワユイ( ̄∇ ̄)♥

3枚目の方は、お月さんと火星をアップで撮ろうとしたら何だか土星みたいな光が写ってラッキー!?的な。思いがけず惑星たくさん見ちゃったよ?って。

ね?

お三方をご存じの(宇賀神先生のお弟子さんの)皆さんならご納得いただけると思います!

宇賀神先生にも、これは誰々のお写真で、ってお伝えしましたらウンウンって納得しておられました。

・・・いえ、ですから、決してお三方をからかっているわけではなく、心の底から愛情をもって申し上げておりますので、何卒ご容赦のほどを(^-^;)うふふ♥♥♥

宇賀神先生のお弟子さん達とは、ほぼ毎月のようにお会いしておりました。

いつも奈良や東京での勉強会の後、2次会で楽しく飲んで食べて。

こじんまりとした集まりでしたが、ですからこそ距離が近く、とてもリラックスして、本当にただただ楽しい集まりでした。

不思議なくらい、皆さん本当にいい方達ばかりなんです。

お酒の飲めない私が参加しておりましても(私以外はほとんど「のん兵衛」!)、本当に楽しくご一緒できました。

やはり飲めない私は社会人時代のいわゆるお酒の席というのはあまり好きではなかったのですが、宇賀神先生のお弟子さんたちのお酒は「楽しいお酒」なのです。

1滴も飲めなくても、楽しくて笑ってばかりの、心から和める席です。

そんな皆さん達とコロナのため勉強会を中断したまま、はや8か月・・・?

さみしいなぁ・・・(T-T)

あんなにあたりまえのように、お会いしておりましたのに、ね。

そう思っておりましたら、宇賀神先生が、

「あーっ、早くみんなと美味しいお酒が飲みてぇなあ!!!」

って。

叫んでおられました。

というより、月夜に向って吠えておられました。

(ところで、宇賀神先生はじめお弟子さんの皆さん、ほとんどの方が「勉強会の再開を楽しみにして」とおっしゃらず、「また一緒に飲める日を楽しみにしています!」っておっしゃるの、どういうことでしょう?(^-^;))

もうちょっと。

もうちょっと、今が辛抱のしどころ、と言い聞かせております。

で、ブログの新しい設定にも少し慣れて参りましたので、次はがんばってzoom(ズーム)のお勉強しますから、できるようになりましたらオンライン飲み会しましょうね!

って1週間以上前にもLINEでつぶやいてた気がします。

相変わらずレトロでトロ子ですみません(^-^;)

ですが上には上がいるもので、「zoom」の文字をご覧になって宇賀神先生が、

「この200m(にひゃくめーとる)ってナニ?」

って聞いてこられました( ̄∇ ̄)

かわいすぎるぅー♥(T-T)

「それはね、昔でいうところのテレビ電話よ♥」

と、ちゃんと昭和言葉でご説明申し上げましたので、ご理解いただけたようです(^-^)

月に向って?叫んでた宇賀神先生(昨日の18時30分頃。火星はやっぱり右斜め上45°)

みんなの願いよ、月に届けー\(^-^)/♥♥♥

合掌

STAY AT HOMEで2020年宇宙の旅

「STAY AT HOME(ステイ・アット・ホーム)」はコロナ禍におきまして、「私は家にいます」という宣言のような意味を持つハッシュタグとして使われていたと記憶しております。

コロナの感染拡大を防ぐためにも、「私は家にいます、むやみに外(人混み)に出ないようにしようね」という意味で使われていたと思います。

最近は経済再開の動きも始まったためか、あまり聞かなくなりましたが、もともと引きこもり大好きな私は、どちらかというと今でも喜んで?継続しております。

ただ、感染を避けようとしておりますと、どうしても歩くこと自体も減ってしまって、体力の低下をひしひしと感じております。

ですので最近はなるべく、宇賀神先生とお散歩しようと心掛けております。(いまさら・・・(^-^;))

夕方暗くなってからのお散歩になってしまうこともあるのですが、一昨日は宇賀神先生が、「十三夜を見に行こう。」と誘ってくださいました。

十三夜をバックに

宇賀神先生がラジオか何かでお知りになったようなのですが、十三夜と十五夜の両方を見ると縁起がいいと、昔の人はおっしゃっていたとか。

どちらか片方ですと、「片詣り(かたまいり)」になるのだそうです。

つまり片手落ちですよ、と。

知りませんでしたねー。

とまあ、そんな他愛もないことを口実に、今日10月31日も十五夜(満月)を見に、先生とお散歩に行こうと思っております。

今日はお天気もよく、全国の広い範囲で満月を楽しめるのではないでしょうか。

ところで、上の写真でお月さまの左横の少し上、ちょうど宇賀神先生の頭の少し上に、小さく星が写っているのが、見えますでしょうか?

あれは火星です。

この写真を撮ったのがだいだい18時過ぎくらいでしょうか、その頃の東の空には、火星が見えます。

やはり惑星は大きく明るく見えます。

本来、星を見るのには明るい月夜は適さないのですが、惑星はそれでもはっきりと見えるくらい、大きくて明るいです。

しかも、ご存じでしょうか?、火星はちゃんとオレンジ色に見えるんですよ。

大阪のように空気の澄んでいない都市でも、火星はオレンジ色に見えます。

しかも今の時期は、同じ18時過ぎくらいの時間には、そのまま目線を南に移しますと、木星と土星も見えます。

18時頃の南の空の、目線を少し上に上げたあたりを探してみてください。

一番大きく明るく見える星が木星で、その左横に、少し暗く土星が見えます。

私の父は若い頃から星が好きなのですが、いまでも天体のことは気にかけているようです。

今の時期の火星、木星、土星のことも父に教えてもらいました。

とくに太陽の周りを回っている惑星は他の星(恒星)と違い、春夏秋冬の季節で決まった動きをするわけではありません。

冬にはこの星座が見える、というような季節性の規則があるわけではないのです。

ですので、一度に3つも惑星が見える空(しかも明け方には金星まで見えるのですって!)というのは、「得した感じ」がする話なのだそう。(父談)

そんな星好きの父が、お友達に宛てた天体に関するメールを紹介させてください。

下記のメールの中に出てくる小惑星も、地球や他の惑星と同じように太陽の周りを回っている小さな小さな星なのですが、その小惑星の砂を採取して持ち帰ろうとしている探査機に関する話題です。

今朝、アメリカの小惑星探査機「オシリス・レックス」が、小惑星「ベンヌ」に着陸し「岩石や砂」を採取したとのことです。2023年に地球に持ち帰る予定ですがうまく行きます様に。

地球からの探査機が「小惑星」を訪れ、砂を採取するのは三度目です。

一度目は日本の探査機「はやぶさ」が、2005年に小惑星「イトカワ」に着地し、2010年、地球に微量の砂を持ち帰りました。

二度目は同じく日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に、昨年・2019年に2回着地し、今年の12月6日に前回と同じオーストラリア南部の砂漠に持ち帰る予定です。うまく行きます様に。

「オシリス・レックス」は2016年に打ち上げられました。「はやぶさ2」探査機が総重量600㎏に対し、「オシリス・レックス」は2tもあります。着地後、本体からアームを地上に伸ばし、その先端から「窒素ガス」を噴き出し、巻き上がった砂を採取するとのこと。

持ち帰る砂の量は、「イトカワ」の分は肉眼では判りづらい程の微量でした。

この12月の「リュウグウ」の分は多くて20g位かと期待されています。或いは、それより少ないかも。

今朝の「ベンヌ」の分は2㎏位が期待されています。なにしろ「オシリス・レックス」は機体が大きい。

「リュウグウ」は直径約900m、「ベンヌ」は約500mで、どちらも地球と火星の間を、大きな惑星と同じ様に太陽の周りを公転しています。

惑星の形は色々ある様に観測されていますが、「リュウグウ」と「ベンヌ」は偶然に「どちらも算盤の球に似た形」をしていました。表面も砂が一杯の「イトカワ」と違って、どちらもゴツゴツした岩が一杯でした。

この小惑星、「小惑星番号」がふられた分だけでも30万個にものぼります。太陽系の成り立ちを始め、地球への衝突の可能性についても研究が進められています。

2020年10月21日の父のメールより
小惑星リュウグウ(画像はJAXA(宇宙航空研究開発機構)さんよりお借りしました。)

このメールを見て、いいなぁ、と思いました。

父の心はどうやら、リュウグウや、はやぶさ2、今年の12月6日のオーストラリアにまで飛んでいるようです。

このはやぶさ2は地球に近づき、採取した砂の入ったカプセルをオーストラリアの砂漠に向けて遥か上空から投下した後、地球には着陸することなく、最初は確定していなかった2つめのミッションに向けて再び地球を離れることになったそうです。

父はこの2つめのミッションが決まる前から、その可能性が実現することを楽しみにしておりました。

科学の探求の裏側にも人の想いや願いがあり、時間の流れがやがて歴史となるドラマを感じますね。

宇賀神先生の心は今日の十五夜(満月)に。

父の心はリュウグウ、はやぶさ2に。

「思いを馳せる」という言葉がございますが、人間の心は本当にそこに駆けていくことができるのでしょうね。

家にいながらにして、心は宇宙に。

2020年宇宙の旅。

宇宙から帰還しましたら、盛大にお祝いしましょうね?

十三夜のお祝い膳

最後の写真は、一昨日の十三夜に宇賀神先生が作られた「お祝い膳」です。

今日の十五夜はどんなご馳走にたどり着くでしょうか?

あっ、ご馳走も、「馳せる」と「走る」ですねぇ。

宇賀神先生いわく、美味しいものを得るためには駆け回らないといけないんですって。

今日も心はお月さんに馳せて行き、身体は近所のお散歩に行きますので、どうかどうか美味しいご馳走♥にたどり着けますように!

月より団子?( ̄∇ ̄;)♥

合掌

嵐が過ぎるまでは

今日は特に、宇賀神先生を直接ご存知の方たちに向けて、先生が「伝えてね」とおっしゃったメッセージをお書きします。

今年に入ってから新型コロナウイルスが世界中で蔓延し、日本も例外ではなく、いまだにその脅威は去っていません。

10月下旬の現時点ではGO TOキャンペーンやGO TOイートキャンペーンも始まって、また日本の新規感染者数の増加が世界に比べると緩やかなこともあり、なんとなーく気持ちが緩んできた感じはいたします。

ですが、ワクチンや治療薬ができたわけでもありませんから、心から安心できませんね。

ですので、経済再開の流れは少しずつ動き出してはいるものの、まだまだその流れから遠く取り残され苦しい状況の方達も多うございます。

世の中の流れに素早く乗れる人、乗れない人、立場は色々でいらっしゃると思われますが、今日は特に、そんなに器用に立ち回れない人(筆頭はワタクシですね・・・)に向けての伝言のようです。

以下は、宇賀神先生の言葉通りに書きます。

『今までの人類の歴史を見ても新しいウイルスや病原菌のパンデミック(感染爆発)は何度も起きてきた。

一度や二度じゃないからね。

ペストもコレラもスペイン風邪も、みんなそう。

古い歴史を見ても、例えば南米のインカ帝国が滅びたのは侵略してきたスペイン人が持ち込んだ病原菌(天然痘など)に対して免疫がなくて、それでほとんどのインカ人が死んだからだって言われてるんだ。

中国発のウイルスによるパンデミックも、多かった。

人口の半分が免疫を獲得すると、そのパンデミックは収まると言われている。

集団免疫だね。

それを、今回ワクチンを待たずに本当にコロナに感染することによっていち早く集団免疫を獲得しようとして失敗したのがイギリスだ。

そう言った首相が国民からえらい怒られて、また自らかかってしまった。

治ってよかったけど。

昔はこんな新しい病気が伝染していく仕組みなんて分からなかったから、ヨーロッパでは「悪魔が病気をバラまいている」、日本では「鬼が病気をバラまいている」って言われてきた。

そしてそのとき日本で流行るのが陰陽師だったり、密教だったり。

今は「鬼滅の刃」とかいう漫画が流行っているらしいけど、そういうのを描く人はやっぱり勘がいいんだね。

イマジネーションが強い。

何かを感じていち早く物語を描き始めていたんだろ。

そして読む人もそれを求めている。

すごい力(霊力)が宿る刀で、悪い鬼を退治してくれる存在を。

桃太郎伝説も同じだよ。

桃太郎の桃も中国では悪病を払って不老長寿を得られる実とされていて、だから「桃」太郎は「鬼(病気)」を退治したんだな。

伝説っていうのはは史実を伝えるために物語にして書かれていたりするから。

それで、世界の中には閉じ込められたマイナス面の意識もある。

怨念だったり、呪術だったり。

そんな裏側の意識は、何かの加減でブワッと表に出てくる。

気をつけないといけないよ。

人の心が弱ると、裏側の意識がブワッと出てくるんだよ。

で、間違った神がかり的なことが言われたりする。

例えば関東大震災のときも、そんな大災害が起きるのは日本の神様をないがしろにしたからだ、と言われてやたらと神さまを祭り上げだし、やがて「神国日本」と騒がれ始めた。

そして神の国となった日本は戦争に向かって、「神風」特攻隊まで生んで。

たしかに今回のコロナことでも、日本国中の神さまや佛さま達が総出でみんなのことを守ろうとしてくださっている。

わしもそれをひしひしと感じているし、感じているのはわしだけじゃないと思う。

でも、そんな神さまや佛さまのご加護を、昔の日本みたいに変な方向に解釈して利用したらダメなんだ。

疫病は宗教(変に偏った宗教的な解釈)では抑えられない。

それならこんなときはどうすればいいのかって、地道な方法に目を向けて、感染を避けるしかないんだ。

人混みへの外出を控え、マスクをして、うがい手洗いをして、感染を避けるしかない。

嵐がおさまるまで(ワクチンや治療薬ができるまで)頭を低くしてじっと我慢するんだよ。

それ以外に方法はない。

心が弱るとつい裏側の世界に逃げたくなるけど、そうではなく地道な方法を選ぶんだよ。

人間の弱った心が作る暗い行動こそが怨霊なんだ。

悪い夢を見ないこと。

いい夢を見て、この疫病がおさまったらどこか旅行にでも行こうとか、楽しい夢を見て、無事に過ごすしかない。

このコロナも、いつか必ず終息する日がくる。

今までコレラだって結核だって、みんな乗り越えて来た。

だから、嵐がおさまるまで頭を低くして、じっと我慢して、無事でいるしかない。

それ以外に、方法はないんだよ。』

宇賀神先生は、

「嵐がおさまるまでは頭を低くしてじっと我慢するんだよ。」

と何度もおっしゃいました。

宇賀神先生には、不思議な力があります。

それこそ、普通ではなかなか治らない病気をおさめたり、取れなかった痛みを消してしまったり、会ったこともない人を遠くからご祈祷して健康を回復させたり。

ときには「奇跡です!」とまでおっしゃってくださる方達もいらっしゃいます。

ですが、そんな宇賀神先生は、目指す最終ゴールが奇跡のようなことでも実際になさるお仕事の姿勢は、「一歩一歩、地道に」なんです。

ベイビーステップ(ほんの小さな一歩)とも取れるような小さなことを、一つずつ積み重ねていかれるんです。

暗い森の中を一歩ずつ歩みを進めていたら、あるとき突然森を抜けて視界が明るく開ける瞬間が来るかのように、宇賀神先生のお仕事は、小さな積み重ねをしていくうちに、奇跡とも言えるようなことが起こったりするのです。

地道な歩みの結果、地道にゴールにたどり着くこともございますし、一足飛びにゴールにワープすることもございます。

そこのところをお伝えするのが、いつも難しいなと思うのですが。

ですので、今回のコロナ禍も、「地道に」対処する。

感染をさけ、マスクをし、うがい手洗いを心掛ける。

「嵐が過ぎるまでは頭を低くしてじっと待つんだよ。」と。

とはおっしゃるものの、宇賀神先生ご自身もつらいですよねぇ。

今日も偶然、映画のワンシーンでイタリアのローマをご覧になり、

「ここに普通に行けたときがあったんだよなぁ。」

と、ちょっぴり涙ぐんでおられました。

新型ウイルスがこんなに蔓延しておらず、安心して旅行できていた頃を思い出されて。

のび太くんの、今日もちょっぴり涙ぐんだ瞬間!

もちろん、私たちは毎日毎日、1日も早くコロナがおさまるよう、お祈りしております。

私はまだイタリアには行ったことはございませんので、遠い奇跡(イタリア)を目指してまずは一歩一歩(コロナがおさまるご祈願と、貯金(T-T)と、ローマ遺跡を歩くための強い足腰!)、地道に歩いていきますか。

ということで、今から宇賀神先生と近所のお散歩にまいります♥

どうか皆さんも、今日の一日を何卒ご無事にお過ごしくださいませ。

合掌

ペンちゃんフライングで「果報は寝て待て」

まずは、嬉しいお知らせをさせてください。

先週にブログランキングに参加しだしたことをお伝えし、「ペンちゃんクリック♥」をお願いしてまいりました。

お陰様で今日これを書いております時点で、ランキングに参加しておられる100万ものブログの中で4,520位に位置しており、また健康カテゴリーでは3万2千ほどのブログの中で25位、心と体カテゴリーの中では1,000ほどの中で上位3位に位置しております。

もちろんこの順位は流動的ですが、それでも参加からたった1週間ほどでこの成績は嬉しいですね!

本当に皆さんの応援のお陰様です。

ありがとうございます!

まさに、飛べないはずのペンちゃんがフライングしました。

フライングのもうひとつの意味としまして、スタート前に飛び出してしまう、そのフライングもございます。

まだまだ私のブログページのすべてにバナーを貼るなど設定が追いついていないことも多々ございます。

あまり焦らずひとつひとつ処理しつつ、今まで通り読んでくださる皆さんのためにも、楽しみながら大好きな宇賀神先生のことなどを綴っていきたいと思います。

ランキング参加と、このブログを書くためずっと使っておりますwordpressという名の機能の仕様がアップデートされたことにより、今までと勝手が違ったりして、今のところ私のブログの表示設定そのものを色々と見直しております。

そのためここ数日はブログの見た目もたびたび変化しております。

しばらくはこの右往左往が続き、ご不便をおかけするとは思われますが、「まだ綾野はあーだこーだと苦労してるのかー。」と、大きな目で見てやってくださいませ。

また、このことに伴い、コメント欄を閉じたことをお知らせいたします。

(多分ですが、近いうちに念のための「お問い合わせ」の欄は設置するかもしれません。)

今までの経験とこれからのことも考えますと、ちょっとコメント欄は閉じてみることにいたしました。

ネットに関するコワイ話も色々と聞き及びますし、小心者のワタクシは、コワイことが起こる前に避けることにいたしました。

今まで何度か温かいコメントをお寄せいただいた方達には心より御礼申し上げます。

もしかしましたらwordpressの設定により、今までいただいたコメントの表示そのものも隠すことになるかも知れませんが、何卒ご了承くださいませ。

ここのところブログを書くことそのものよりも、アップデートについていくことや設定の方に時間をとられております。

そして、私がこぉんなに手間をかけつつブログを書いているなんて、これっぽっちも気づかない宇賀神先生。

前回書きました「夢を見る」の記事のことを「あんなー、この間の夢見の話のことやねんけどなー・・・」と、私が何やら話しかけようとしましたら、宇賀神先生がぽろっとひとこと、

「果報は寝て待て」

っておっしゃいました。

えっ・・・( ̄∇ ̄;)

一瞬、ワタクシは目が点に。

何なん、それ・・・。

ワタクシが数時間かけてネットで設定を調べつつ書きあげ、何度も何度も読み返しては誤字脱字がないか散々チェックして、やっと、やっとの思いで完成させた記事を!

たった7文字に要約したの!

しかも端的に、的確に、的を射すぎているじゃないの!!

これ、国語の「要約しなさい」っていうテストなら満点よね!!!

宇賀神先生、国語能力すごいやーん(ToT)(ToT)(ToT)

そう、宇賀神先生がぽろっと「果報は寝て待て」とおっしゃって、初めて気づきました。

前回のあの長文駄文が、たったの7文字に要約できることを(T-T)

お陰で何を先生に話しかけようとしていたのか忘れてしまいました。

ということで、皆さん、大切なことは「果報は(夢見ながら)寝て待て」ということです。

カンタンです。

カンタンすぎます(T-T)

そう言えば、この果報を寝て待てということわざですが、ネットで調べましたら「棚からぼた餅」的に幸運が降ってくるのを待つというのではなく、「人事をつくして天命を待つ」のように、するべきことをしたらあとは結果を焦らず待てばよい、というのが本来の意味のようですね?

この「果報」を、「家宝」とするのは間違いです、とネットにもズバリ書かれてありましたが、何を隠そう、家宝だと思い込んでいたのは大人になるまでのワタクシです。

「棚からぼた餅的に、家宝のようにすんごいお宝が降ってくるのを、寝て待っていればよい♥」

と思い込んでいたのは、大人になるまでのワタクシです。

このことからも、デフォルト(初期設定値状態)で脳内お花畑な人間なのが自分でもよく分かります。

いやーねー、もうっっっ( ̄∇ ̄;)♥

今まで200近い記事をブログで書いてきて、宇賀神先生より多少の国語能力はあるだろうとタカをくくっておりましたが、今回、じつは惨敗してたんだー!ということを痛感いたしました(T-T)

やっぱりのび太くんは最強です♥

ゆめゆめ侮ってはなりませぬ♥♥♥

ワタクシの代わりに泣いてるのび太くん!

今日のオマケの写真は泣いてるのび太くん!

いえいえ、ジャイアンが泣かせたのではありませんよ!

ラジオで「浪曲・赤垣(赤埴?)源蔵徳利の別れ」を聞いて感動して泣いておられました。

ねーっ、浪曲聞いて泣く人が、国語能力低いわけなかったですよね♥

合掌

にほんブログ村のランキングに参加しております。ペンちゃんクリック♥応援をお願いいたします。

ありがとうございます♥