恋文・今年最後のお不動さんの日に

ブログ、あんなに書くのが楽しかったブログ。

いまこの瞬間は楽しいとか楽しくないとか、そんなのはもうどうでも、そんな尺度はもうどうでもよくなりました。

なぜ書くのかという理由もこの8か月ほど考えてみたりもしましたが、思考がうろうろと彷徨うままちゃんとした答えも出ず、なぜ書くのか、も、どうでもよくなりました。

たぶん、文章という形で心の出口が欲しいというのが今の思いに一番近いのかもしれません。

だとしたら、宇賀神先生への恋文か。

私の心の向かう先なら。

宇賀神先生に、

「ブログどうしよう。」

と尋ねましたら、

「あやのさんは書くのが好きだったからなぁ。温泉にもよくノートを持って行っては何か書いていた。」

と言われました。

いえ、正確には、そう言われたような気がしました。

声ではない言葉で、私の心の中に直接そう言われた気がしました。

なので、という言い方も変かもしれませんが、今後書いていく記事は、ただの私のひとりごとと思っていただけますと幸いです。

ただの私の心の出口ですから。

宇賀神先生の楽しい話を書きたいと思いながらも、たくさん悲しいことも書くでしょう。

今までは読んでくださる方のことも考えて私なりに言葉を選んだり、書く内容も選んだりしましたが、これからはちょっとそんな余裕もないかもしれません。

ただひたすらに嘆き悲しむ暗い文章になるのか、ただひたすらに宇賀神先生への愛の語りかけになるのか、ただひたすらに霊媒的夢物語になるのか。

めちゃくちゃ支離滅裂なブログになるかも。

傍若無人に書いてしまうかも。

大阪弁とかも混じる変な言葉になるかも。

もう、明日には挫折するかも。

自分でも分かりませんが、とりあえず今日は泣きながらキーボードを打つことにしました。

泣いていたら、宇賀神先生がいつもなぐさめてくれるから。

いつも、ふわぁっと、優しくあったかーいもので包んでくれるから。

ありがとう。

愛してる。

いつもそばにいて。

アメリカの氣を感じる

「ここニューヨークで感じるアメリカの氣の大きさは、日本の東京の100倍くらい大きい。」

宇賀神先生はわくわくしているご様子で、こうおっしゃいました。

アメリカ行きは、ある方のご好意で実現することになりました。

アメリカ在住の女性で、日本人のお母様とアメリカ人のお父様の間に生まれられたハーフでいらして、英語はもちろん日本語もペラペラ♥でいらっしゃる、Cさんとおっしゃいます。

お仕事のお忙しい社長さんでいらっしゃいますが、日本もこよなく愛しておられ、毎年必ず日本を訪れてらっしゃいます。

Cさんのご主人さんもまた、アメリカ人というより国際人と申し上げた方がぴったりなような、見識の豊かな方。

実はずっと以前に「春の氣(昨日は優しい春の夜でした。)」でご紹介した絵(The sign of blessings/天の祝福のサイン)を描かれたのは、こちらのご主人さんです。

素晴らしいアーティストでいらっしゃいます。

お名前の頭文字も同じくCさんなのですが、ご縁のまた先にご縁がつながり、宇賀神先生と私はとっても仲の良いCさんご夫妻に出会うことができました。

2019年の春にCさんご夫妻が日本に遊びにいらしたときに、「今度アメリカに遊びにきませんか?」と誘ってくださいました。

まるで、隣町に遊びにこないか♥というくらいの軽やかさと親しみを込めて、おっしゃってくださいました。

私はCさんご夫妻が軽やかに世界中を旅なさっているのをお聞きしておりましたから、憧れましたねぇ。

超がつくほど久しぶりの海外への旅でしたからとてもためらわれましたが、紆余曲折の末、旅慣れたCさんご夫妻のご好意に甘えることにいたしました。

2019年、ちょうど1年前の、秋のことでした。

とっても贅沢なプライベートツアーを組んでいただいたようなものでした。

宇賀神先生と私だけでしたら多分、海外で電車ひとつ乗るのにも、てんやわんや。

それをホテルからアメリカの国内線飛行機から電車、タクシー(あちらではUber(ウーバーというタクシーのシステム)がすごく進んでいるのですね。)まで、全てすべて手配していただきました。

お陰様でアメリカの東の方を北から南へと移動する壮大な旅となり、しかも宇賀神先生が「行きたい」とおっしゃったところに重点を置いた、とてもじゃないですが普通のツアー旅行では叶えられないような贅沢な旅となりました。

今思い出しましても夢のようです。

Cさん、その節はお世話になり、本当にありがとうございました。

今でもアメリカ旅行は私の心の中でキラキラと輝いております。

さて、宇賀神先生との旅は、やはりどうしても氣というものを基準に考えます。

氣のいいところを選んで行き、そこで氣の充電を楽しみながら滞在します。

当然アメリカに行く前も、宇賀神先生は「ここは氣が強い場所に違いない」と見当をつけておられるところがいくつかございました。

そのうちのひとつが、「ニューヨークの五番街」。

私は世の中に疎い方ですので知らなかったのですが、そこは有名な一流ブランドショップが並ぶ、日本で言うところの銀座のような街なのでした。

さすがにブランドものにご縁の無いワタクシでも知っているような名前のお店が、大きな軒を競うようにして並べていました。

有名なかの方のビルの前で!警察官の方達は、実物では初めて見るような大きさのホンモノの銃を構えておられました。(カメラ目線をありがとうございます!)

いま、接戦(混乱?)の選挙のさなかの、かの方のビルの前で写真を撮りました。

そしてそのビルのある通りこそ、五番街の大きな大きな氣の流れの通り道でした。

氣が流れて来る方を見て。

歩いている途中で立ち止まり、「ちょっと待っててね。」と、流れて来るその氣の心地よさに浸る宇賀神先生。

「やっぱり、アメリカの氣は日本の氣とは比べものにならないくらい大きい。」

とおっしゃいました。

「これがアメリカの発展を支えているんだなぁ。」

と。

氣の心地よさに吸い寄せられるように人が集まり、そこに街ができます。

氣が大きければ大きいほど、街の発展も国の発展も大きくなるのでしょうか。

そして銀座の氣と同じように、五番街の氣も華やかで、なんだかウキウキしてしまうような明るさがあり、そこを歩くだけでも楽しいような心地がいたしました。

そして、氣の通り道もございましたら、氣が地球の中から噴き出してくる、いわゆる龍穴もございます。

もちろん氣の通り道にいるだけでも充分すぎるほど氣の充電もできますが、やはり、行けるものなら行ってみたいアメリカの龍穴。

次回はその龍穴のことに触れたいと思います。

合掌

「世界中の博物館を見に行きたい。」

「宇賀神先生の夢は何?」

と尋ねたことがございました。

「もしもこれをしなかったら、すごく心残りになるっていう夢はある?」

と。

そうしましたら、宇賀神先生が

「世界中の博物館を見に行きたい。」

と、おっしゃいました。

なんていい子なんでしょう・・・!

と、思わず小さい子を持つお母さんのような気持ちになってしまいました。

この子に広い広い世界を見せてあげたい!と。

まあ、ワタクシがそのように思わなくても宇賀神先生はご自身でも、ちゃあんと今までも広い世界をご覧になってきてるのですが(‾∇‾)

宇賀神先生は、博物館が大好きです。

日本全国を旅しましても、旅先で必ず

「ここにはΟΟ博物館があるんだよね。(見に行きたいんだよね。)」

と、おっしゃいます。

よくもまあ全国の博物館を覚えていて、それをまた何度も見に行きたがるものだといつも感心するのですが。

そしてまた、旅先で歩いているときに偶然、博物館とは呼べないような規模の資料館(入館料が無料だったり、100円くらいだったりするような小さな規模の)に出会いましたら、必ず入ろうとなさいます。

もともと博物館がそんなに好きでもない私からしましたら、ここの展示物の何が面白いの?と言ってしまいそうな小さな小さな資料館でも、ご覧になった後は「面白かった」とおっしゃいます。

お母ちゃんには、理解できひん面白さやね(^-^;)

ちなみに、そんな宇賀神先生が今、図書館で借りて読んでらっしゃる本が、「栃木県 郷土歴史資料事典」。

まさに、「読む博物館」ですね。

何か必要なことを調べるために事典をもちいてらっしゃるのではなく、物語か何かのように全部を読み進めていらっしゃるのです。

私なら読み始めて数分で眠りに落ちそうな本です(本と書いて睡眠薬と読む(^-^;))

ですが、そんな博物館の面白さを理解できなかったワタクシにも、衝撃の出会いがございました。

始祖鳥の化石です。

始祖鳥の化石 / 東京国立博物館にて
始祖鳥

東京の国立博物館に、始祖鳥の化石がやって来て、それを宇賀神先生と見に行ったことがございました。

「これ、教科書で見た・・・!」

私にとりましては、忘れられない衝撃の出会いとなりました。

本で習い覚えていた知識が現実となって目の前に現れた喜び、という衝撃でした。

知的興奮とでもいうのでしょうか?

鳥が好きということもありましたが、教科書で見た知識と現実がつながり、また恐竜の時代・化石という過去と現在(の鳥への進化)がつながった瞬間でもありました。

点と点がつながって線になって、それが面になり、やがて立体に展開していく面白さ、って例えると余計わかりにくい表現でしょうか。

宇賀神先生が博物館がお好きな理由が、少しわかった気がいたしました。

もうひとつおまけ。始祖鳥と同じ展覧会で展示されていました。記憶に間違いがなければ、片方の角が大人の背丈ほどもありました。あまりの美しさに息を飲みましたが、何の骨だったんだろう。説明文を撮り忘れました。

宇賀神先生の頭の中には、驚くほど雑多な知識が山ほどつめこまれています。

法律みたいな小難しいことから、歴史、地質学も大好きで、兵器や戦闘機、電車も大好き、その他色々、さらにはどうでもいいような(失礼!)雑学の果てまで。

その数えきれないような雑多なあちこちの点が、博物館を見たり本を読んだりして頭の中で結びつき線になり面になり、やがて立体となって生き生きとしたドラマが展開するような物語が見えてくるのでしょう。

生命の進化というドラマだったり、大陸や島や地形の成り立ちというドラマだったり、人の歴史というドラマだったり。

多分、宇賀神先生の頭の中では、歴史上の人物でさえ、熱い息吹を持った、今まさに生きている人間として目の前に見ておられる気がいたします。

ですからこそ、あっちの博物館で見た知識と、こっちの本で見た知識がちゃあんと結びつき、知識自体が生命を持って、そのドラマの世界がますます多彩な色を輝かせてくるのではないでしょうか。

私なんて、あっちで見た知識はあっちの点、こっちで得た知識はこっちの点のまま、なかなか結びつかないですもの(T-T)

ですから、今まで博物館に行きましてもあまり面白くなく、「私、先にカフェで休憩しとくからゆっくり見ててね(^-^;)」とか何とか言っておりましたねぇ。

始祖鳥との衝撃の出会い以降、少しは博物館を楽しめるようになってまいりました。

宇賀神先生ほどではございませんが。

宇賀神先生いわく、

「だってここ(博物館)には人間の英知がつまっているんだよ!」

とのこと。

ええ子や(T-T)

なんてええ子なんや(T-T)

きっときっと、世界中の英知を、見に行こうね。

きっときっと、日本国中、世界中の英知を、遺跡を、今生きている人々も、見に行こうね。

という経緯もあり?、ちょうど去年の今頃、太平洋を渡りました。

世界最大級の博物館、「スミソニアン博物館」を目指して。

大きな大きな国、アメリカを目指して。

宇賀神先生と私にとりましては、壮大な旅となりました。

次回からは、そんな1年前を懐かしみつつ、アメリカでもやらかした珍道中(‾∇‾)、もとい、素晴らしい旅の思い出をご紹介したいと思います。

今はまだまだ世界を旅することは難しいからこそ、楽しかったアメリカに思いを馳せ、心だけでも旅してきたいと思います。

合掌

「あーっ、早くみんなとうまい酒が飲みてぇなあ!」

今日は、独り言を。

昨日は十五夜でした。

お月さん、ご覧になられましたか?

昨日の記事で、「今日は十五夜です」とお伝えしましたら、宇賀神先生のお弟子さんが満月のお写真をグループLINE上にあげてくださいました。

伊丹の満月と火星
名古屋の満月と火星
名古屋の満月と火星(と、土星のような青い光!)

どのお写真にも綺麗にお月さんと火星が写っています。

火星はお月さんの右斜め上45°くらい?

一昨日の位置とずいぶん違っていて、私が一昨日の撮影時間を間違って記憶してたかな?と少々不安になってまいりました(^-^;)

間違っていたら申し訳ありません。

せっかくLINEにあげてくださったお写真のことでからかうつもりはなく、これはまったくの愛情でもって申し上げるのですが(^-^)♥・・・写真とか絵って、時として、その撮った人、描いた人をよぅく表したりしません?

上のお写真では、

1枚目の方は、心優しさ♥をともなった大人の冷静さ(^-^)

2枚目の方は、直球!そのまんま過ぎてちっちゃい子みたいでカワユイ( ̄∇ ̄)♥

3枚目の方は、お月さんと火星をアップで撮ろうとしたら何だか土星みたいな光が写ってラッキー!?的な。思いがけず惑星たくさん見ちゃったよ?って。

ね?

お三方をご存じの(宇賀神先生のお弟子さんの)皆さんならご納得いただけると思います!

宇賀神先生にも、これは誰々のお写真で、ってお伝えしましたらウンウンって納得しておられました。

・・・いえ、ですから、決してお三方をからかっているわけではなく、心の底から愛情をもって申し上げておりますので、何卒ご容赦のほどを(^-^;)うふふ♥♥♥

宇賀神先生のお弟子さん達とは、ほぼ毎月のようにお会いしておりました。

いつも奈良や東京での勉強会の後、2次会で楽しく飲んで食べて。

こじんまりとした集まりでしたが、ですからこそ距離が近く、とてもリラックスして、本当にただただ楽しい集まりでした。

不思議なくらい、皆さん本当にいい方達ばかりなんです。

お酒の飲めない私が参加しておりましても(私以外はほとんど「のん兵衛」!)、本当に楽しくご一緒できました。

やはり飲めない私は社会人時代のいわゆるお酒の席というのはあまり好きではなかったのですが、宇賀神先生のお弟子さんたちのお酒は「楽しいお酒」なのです。

1滴も飲めなくても、楽しくて笑ってばかりの、心から和める席です。

そんな皆さん達とコロナのため勉強会を中断したまま、はや8か月・・・?

さみしいなぁ・・・(T-T)

あんなにあたりまえのように、お会いしておりましたのに、ね。

そう思っておりましたら、宇賀神先生が、

「あーっ、早くみんなと美味しいお酒が飲みてぇなあ!!!」

って。

叫んでおられました。

というより、月夜に向って吠えておられました。

(ところで、宇賀神先生はじめお弟子さんの皆さん、ほとんどの方が「勉強会の再開を楽しみにして」とおっしゃらず、「また一緒に飲める日を楽しみにしています!」っておっしゃるの、どういうことでしょう?(^-^;))

もうちょっと。

もうちょっと、今が辛抱のしどころ、と言い聞かせております。

で、ブログの新しい設定にも少し慣れて参りましたので、次はがんばってzoom(ズーム)のお勉強しますから、できるようになりましたらオンライン飲み会しましょうね!

って1週間以上前にもLINEでつぶやいてた気がします。

相変わらずレトロでトロ子ですみません(^-^;)

ですが上には上がいるもので、「zoom」の文字をご覧になって宇賀神先生が、

「この200m(にひゃくめーとる)ってナニ?」

って聞いてこられました( ̄∇ ̄)

かわいすぎるぅー♥(T-T)

「それはね、昔でいうところのテレビ電話よ♥」

と、ちゃんと昭和言葉でご説明申し上げましたので、ご理解いただけたようです(^-^)

月に向って?叫んでた宇賀神先生(昨日の18時30分頃。火星はやっぱり右斜め上45°)

みんなの願いよ、月に届けー\(^-^)/♥♥♥

合掌

STAY AT HOMEで2020年宇宙の旅

「STAY AT HOME(ステイ・アット・ホーム)」はコロナ禍におきまして、「私は家にいます」という宣言のような意味を持つハッシュタグとして使われていたと記憶しております。

コロナの感染拡大を防ぐためにも、「私は家にいます、むやみに外(人混み)に出ないようにしようね」という意味で使われていたと思います。

最近は経済再開の動きも始まったためか、あまり聞かなくなりましたが、もともと引きこもり大好きな私は、どちらかというと今でも喜んで?継続しております。

ただ、感染を避けようとしておりますと、どうしても歩くこと自体も減ってしまって、体力の低下をひしひしと感じております。

ですので最近はなるべく、宇賀神先生とお散歩しようと心掛けております。(いまさら・・・(^-^;))

夕方暗くなってからのお散歩になってしまうこともあるのですが、一昨日は宇賀神先生が、「十三夜を見に行こう。」と誘ってくださいました。

十三夜をバックに

宇賀神先生がラジオか何かでお知りになったようなのですが、十三夜と十五夜の両方を見ると縁起がいいと、昔の人はおっしゃっていたとか。

どちらか片方ですと、「片詣り(かたまいり)」になるのだそうです。

つまり片手落ちですよ、と。

知りませんでしたねー。

とまあ、そんな他愛もないことを口実に、今日10月31日も十五夜(満月)を見に、先生とお散歩に行こうと思っております。

今日はお天気もよく、全国の広い範囲で満月を楽しめるのではないでしょうか。

ところで、上の写真でお月さまの左横の少し上、ちょうど宇賀神先生の頭の少し上に、小さく星が写っているのが、見えますでしょうか?

あれは火星です。

この写真を撮ったのがだいだい18時過ぎくらいでしょうか、その頃の東の空には、火星が見えます。

やはり惑星は大きく明るく見えます。

本来、星を見るのには明るい月夜は適さないのですが、惑星はそれでもはっきりと見えるくらい、大きくて明るいです。

しかも、ご存じでしょうか?、火星はちゃんとオレンジ色に見えるんですよ。

大阪のように空気の澄んでいない都市でも、火星はオレンジ色に見えます。

しかも今の時期は、同じ18時過ぎくらいの時間には、そのまま目線を南に移しますと、木星と土星も見えます。

18時頃の南の空の、目線を少し上に上げたあたりを探してみてください。

一番大きく明るく見える星が木星で、その左横に、少し暗く土星が見えます。

私の父は若い頃から星が好きなのですが、いまでも天体のことは気にかけているようです。

今の時期の火星、木星、土星のことも父に教えてもらいました。

とくに太陽の周りを回っている惑星は他の星(恒星)と違い、春夏秋冬の季節で決まった動きをするわけではありません。

冬にはこの星座が見える、というような季節性の規則があるわけではないのです。

ですので、一度に3つも惑星が見える空(しかも明け方には金星まで見えるのですって!)というのは、「得した感じ」がする話なのだそう。(父談)

そんな星好きの父が、お友達に宛てた天体に関するメールを紹介させてください。

下記のメールの中に出てくる小惑星も、地球や他の惑星と同じように太陽の周りを回っている小さな小さな星なのですが、その小惑星の砂を採取して持ち帰ろうとしている探査機に関する話題です。

今朝、アメリカの小惑星探査機「オシリス・レックス」が、小惑星「ベンヌ」に着陸し「岩石や砂」を採取したとのことです。2023年に地球に持ち帰る予定ですがうまく行きます様に。

地球からの探査機が「小惑星」を訪れ、砂を採取するのは三度目です。

一度目は日本の探査機「はやぶさ」が、2005年に小惑星「イトカワ」に着地し、2010年、地球に微量の砂を持ち帰りました。

二度目は同じく日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に、昨年・2019年に2回着地し、今年の12月6日に前回と同じオーストラリア南部の砂漠に持ち帰る予定です。うまく行きます様に。

「オシリス・レックス」は2016年に打ち上げられました。「はやぶさ2」探査機が総重量600㎏に対し、「オシリス・レックス」は2tもあります。着地後、本体からアームを地上に伸ばし、その先端から「窒素ガス」を噴き出し、巻き上がった砂を採取するとのこと。

持ち帰る砂の量は、「イトカワ」の分は肉眼では判りづらい程の微量でした。

この12月の「リュウグウ」の分は多くて20g位かと期待されています。或いは、それより少ないかも。

今朝の「ベンヌ」の分は2㎏位が期待されています。なにしろ「オシリス・レックス」は機体が大きい。

「リュウグウ」は直径約900m、「ベンヌ」は約500mで、どちらも地球と火星の間を、大きな惑星と同じ様に太陽の周りを公転しています。

惑星の形は色々ある様に観測されていますが、「リュウグウ」と「ベンヌ」は偶然に「どちらも算盤の球に似た形」をしていました。表面も砂が一杯の「イトカワ」と違って、どちらもゴツゴツした岩が一杯でした。

この小惑星、「小惑星番号」がふられた分だけでも30万個にものぼります。太陽系の成り立ちを始め、地球への衝突の可能性についても研究が進められています。

2020年10月21日の父のメールより
小惑星リュウグウ(画像はJAXA(宇宙航空研究開発機構)さんよりお借りしました。)

このメールを見て、いいなぁ、と思いました。

父の心はどうやら、リュウグウや、はやぶさ2、今年の12月6日のオーストラリアにまで飛んでいるようです。

このはやぶさ2は地球に近づき、採取した砂の入ったカプセルをオーストラリアの砂漠に向けて遥か上空から投下した後、地球には着陸することなく、最初は確定していなかった2つめのミッションに向けて再び地球を離れることになったそうです。

父はこの2つめのミッションが決まる前から、その可能性が実現することを楽しみにしておりました。

科学の探求の裏側にも人の想いや願いがあり、時間の流れがやがて歴史となるドラマを感じますね。

宇賀神先生の心は今日の十五夜(満月)に。

父の心はリュウグウ、はやぶさ2に。

「思いを馳せる」という言葉がございますが、人間の心は本当にそこに駆けていくことができるのでしょうね。

家にいながらにして、心は宇宙に。

2020年宇宙の旅。

宇宙から帰還しましたら、盛大にお祝いしましょうね?

十三夜のお祝い膳

最後の写真は、一昨日の十三夜に宇賀神先生が作られた「お祝い膳」です。

今日の十五夜はどんなご馳走にたどり着くでしょうか?

あっ、ご馳走も、「馳せる」と「走る」ですねぇ。

宇賀神先生いわく、美味しいものを得るためには駆け回らないといけないんですって。

今日も心はお月さんに馳せて行き、身体は近所のお散歩に行きますので、どうかどうか美味しいご馳走♥にたどり着けますように!

月より団子?( ̄∇ ̄;)♥

合掌

嵐が過ぎるまでは

今日は特に、宇賀神先生を直接ご存知の方たちに向けて、先生が「伝えてね」とおっしゃったメッセージをお書きします。

今年に入ってから新型コロナウイルスが世界中で蔓延し、日本も例外ではなく、いまだにその脅威は去っていません。

10月下旬の現時点ではGO TOキャンペーンやGO TOイートキャンペーンも始まって、また日本の新規感染者数の増加が世界に比べると緩やかなこともあり、なんとなーく気持ちが緩んできた感じはいたします。

ですが、ワクチンや治療薬ができたわけでもありませんから、心から安心できませんね。

ですので、経済再開の流れは少しずつ動き出してはいるものの、まだまだその流れから遠く取り残され苦しい状況の方達も多うございます。

世の中の流れに素早く乗れる人、乗れない人、立場は色々でいらっしゃると思われますが、今日は特に、そんなに器用に立ち回れない人(筆頭はワタクシですね・・・)に向けての伝言のようです。

以下は、宇賀神先生の言葉通りに書きます。

『今までの人類の歴史を見ても新しいウイルスや病原菌のパンデミック(感染爆発)は何度も起きてきた。

一度や二度じゃないからね。

ペストもコレラもスペイン風邪も、みんなそう。

古い歴史を見ても、例えば南米のインカ帝国が滅びたのは侵略してきたスペイン人が持ち込んだ病原菌(天然痘など)に対して免疫がなくて、それでほとんどのインカ人が死んだからだって言われてるんだ。

中国発のウイルスによるパンデミックも、多かった。

人口の半分が免疫を獲得すると、そのパンデミックは収まると言われている。

集団免疫だね。

それを、今回ワクチンを待たずに本当にコロナに感染することによっていち早く集団免疫を獲得しようとして失敗したのがイギリスだ。

そう言った首相が国民からえらい怒られて、また自らかかってしまった。

治ってよかったけど。

昔はこんな新しい病気が伝染していく仕組みなんて分からなかったから、ヨーロッパでは「悪魔が病気をバラまいている」、日本では「鬼が病気をバラまいている」って言われてきた。

そしてそのとき日本で流行るのが陰陽師だったり、密教だったり。

今は「鬼滅の刃」とかいう漫画が流行っているらしいけど、そういうのを描く人はやっぱり勘がいいんだね。

イマジネーションが強い。

何かを感じていち早く物語を描き始めていたんだろ。

そして読む人もそれを求めている。

すごい力(霊力)が宿る刀で、悪い鬼を退治してくれる存在を。

桃太郎伝説も同じだよ。

桃太郎の桃も中国では悪病を払って不老長寿を得られる実とされていて、だから「桃」太郎は「鬼(病気)」を退治したんだな。

伝説っていうのはは史実を伝えるために物語にして書かれていたりするから。

それで、世界の中には閉じ込められたマイナス面の意識もある。

怨念だったり、呪術だったり。

そんな裏側の意識は、何かの加減でブワッと表に出てくる。

気をつけないといけないよ。

人の心が弱ると、裏側の意識がブワッと出てくるんだよ。

で、間違った神がかり的なことが言われたりする。

例えば関東大震災のときも、そんな大災害が起きるのは日本の神様をないがしろにしたからだ、と言われてやたらと神さまを祭り上げだし、やがて「神国日本」と騒がれ始めた。

そして神の国となった日本は戦争に向かって、「神風」特攻隊まで生んで。

たしかに今回のコロナことでも、日本国中の神さまや佛さま達が総出でみんなのことを守ろうとしてくださっている。

わしもそれをひしひしと感じているし、感じているのはわしだけじゃないと思う。

でも、そんな神さまや佛さまのご加護を、昔の日本みたいに変な方向に解釈して利用したらダメなんだ。

疫病は宗教(変に偏った宗教的な解釈)では抑えられない。

それならこんなときはどうすればいいのかって、地道な方法に目を向けて、感染を避けるしかないんだ。

人混みへの外出を控え、マスクをして、うがい手洗いをして、感染を避けるしかない。

嵐がおさまるまで(ワクチンや治療薬ができるまで)頭を低くしてじっと我慢するんだよ。

それ以外に方法はない。

心が弱るとつい裏側の世界に逃げたくなるけど、そうではなく地道な方法を選ぶんだよ。

人間の弱った心が作る暗い行動こそが怨霊なんだ。

悪い夢を見ないこと。

いい夢を見て、この疫病がおさまったらどこか旅行にでも行こうとか、楽しい夢を見て、無事に過ごすしかない。

このコロナも、いつか必ず終息する日がくる。

今までコレラだって結核だって、みんな乗り越えて来た。

だから、嵐がおさまるまで頭を低くして、じっと我慢して、無事でいるしかない。

それ以外に、方法はないんだよ。』

宇賀神先生は、

「嵐がおさまるまでは頭を低くしてじっと我慢するんだよ。」

と何度もおっしゃいました。

宇賀神先生には、不思議な力があります。

それこそ、普通ではなかなか治らない病気をおさめたり、取れなかった痛みを消してしまったり、会ったこともない人を遠くからご祈祷して健康を回復させたり。

ときには「奇跡です!」とまでおっしゃってくださる方達もいらっしゃいます。

ですが、そんな宇賀神先生は、目指す最終ゴールが奇跡のようなことでも実際になさるお仕事の姿勢は、「一歩一歩、地道に」なんです。

ベイビーステップ(ほんの小さな一歩)とも取れるような小さなことを、一つずつ積み重ねていかれるんです。

暗い森の中を一歩ずつ歩みを進めていたら、あるとき突然森を抜けて視界が明るく開ける瞬間が来るかのように、宇賀神先生のお仕事は、小さな積み重ねをしていくうちに、奇跡とも言えるようなことが起こったりするのです。

地道な歩みの結果、地道にゴールにたどり着くこともございますし、一足飛びにゴールにワープすることもございます。

そこのところをお伝えするのが、いつも難しいなと思うのですが。

ですので、今回のコロナ禍も、「地道に」対処する。

感染をさけ、マスクをし、うがい手洗いを心掛ける。

「嵐が過ぎるまでは頭を低くしてじっと待つんだよ。」と。

とはおっしゃるものの、宇賀神先生ご自身もつらいですよねぇ。

今日も偶然、映画のワンシーンでイタリアのローマをご覧になり、

「ここに普通に行けたときがあったんだよなぁ。」

と、ちょっぴり涙ぐんでおられました。

新型ウイルスがこんなに蔓延しておらず、安心して旅行できていた頃を思い出されて。

のび太くんの、今日もちょっぴり涙ぐんだ瞬間!

もちろん、私たちは毎日毎日、1日も早くコロナがおさまるよう、お祈りしております。

私はまだイタリアには行ったことはございませんので、遠い奇跡(イタリア)を目指してまずは一歩一歩(コロナがおさまるご祈願と、貯金(T-T)と、ローマ遺跡を歩くための強い足腰!)、地道に歩いていきますか。

ということで、今から宇賀神先生と近所のお散歩にまいります♥

どうか皆さんも、今日の一日を何卒ご無事にお過ごしくださいませ。

合掌

ペンちゃんフライングで「果報は寝て待て」

まずは、嬉しいお知らせをさせてください。

先週にブログランキングに参加しだしたことをお伝えし、「ペンちゃんクリック♥」をお願いしてまいりました。

お陰様で今日これを書いております時点で、ランキングに参加しておられる100万ものブログの中で4,520位に位置しており、また健康カテゴリーでは3万2千ほどのブログの中で25位、心と体カテゴリーの中では1,000ほどの中で上位3位に位置しております。

もちろんこの順位は流動的ですが、それでも参加からたった1週間ほどでこの成績は嬉しいですね!

本当に皆さんの応援のお陰様です。

ありがとうございます!

まさに、飛べないはずのペンちゃんがフライングしました。

フライングのもうひとつの意味としまして、スタート前に飛び出してしまう、そのフライングもございます。

まだまだ私のブログページのすべてにバナーを貼るなど設定が追いついていないことも多々ございます。

あまり焦らずひとつひとつ処理しつつ、今まで通り読んでくださる皆さんのためにも、楽しみながら大好きな宇賀神先生のことなどを綴っていきたいと思います。

ランキング参加と、このブログを書くためずっと使っておりますwordpressという名の機能の仕様がアップデートされたことにより、今までと勝手が違ったりして、今のところ私のブログの表示設定そのものを色々と見直しております。

そのためここ数日はブログの見た目もたびたび変化しております。

しばらくはこの右往左往が続き、ご不便をおかけするとは思われますが、「まだ綾野はあーだこーだと苦労してるのかー。」と、大きな目で見てやってくださいませ。

また、このことに伴い、コメント欄を閉じたことをお知らせいたします。

(多分ですが、近いうちに念のための「お問い合わせ」の欄は設置するかもしれません。)

今までの経験とこれからのことも考えますと、ちょっとコメント欄は閉じてみることにいたしました。

ネットに関するコワイ話も色々と聞き及びますし、小心者のワタクシは、コワイことが起こる前に避けることにいたしました。

今まで何度か温かいコメントをお寄せいただいた方達には心より御礼申し上げます。

もしかしましたらwordpressの設定により、今までいただいたコメントの表示そのものも隠すことになるかも知れませんが、何卒ご了承くださいませ。

ここのところブログを書くことそのものよりも、アップデートについていくことや設定の方に時間をとられております。

そして、私がこぉんなに手間をかけつつブログを書いているなんて、これっぽっちも気づかない宇賀神先生。

前回書きました「夢を見る」の記事のことを「あんなー、この間の夢見の話のことやねんけどなー・・・」と、私が何やら話しかけようとしましたら、宇賀神先生がぽろっとひとこと、

「果報は寝て待て」

っておっしゃいました。

えっ・・・( ̄∇ ̄;)

一瞬、ワタクシは目が点に。

何なん、それ・・・。

ワタクシが数時間かけてネットで設定を調べつつ書きあげ、何度も何度も読み返しては誤字脱字がないか散々チェックして、やっと、やっとの思いで完成させた記事を!

たった7文字に要約したの!

しかも端的に、的確に、的を射すぎているじゃないの!!

これ、国語の「要約しなさい」っていうテストなら満点よね!!!

宇賀神先生、国語能力すごいやーん(ToT)(ToT)(ToT)

そう、宇賀神先生がぽろっと「果報は寝て待て」とおっしゃって、初めて気づきました。

前回のあの長文駄文が、たったの7文字に要約できることを(T-T)

お陰で何を先生に話しかけようとしていたのか忘れてしまいました。

ということで、皆さん、大切なことは「果報は(夢見ながら)寝て待て」ということです。

カンタンです。

カンタンすぎます(T-T)

そう言えば、この果報を寝て待てということわざですが、ネットで調べましたら「棚からぼた餅」的に幸運が降ってくるのを待つというのではなく、「人事をつくして天命を待つ」のように、するべきことをしたらあとは結果を焦らず待てばよい、というのが本来の意味のようですね?

この「果報」を、「家宝」とするのは間違いです、とネットにもズバリ書かれてありましたが、何を隠そう、家宝だと思い込んでいたのは大人になるまでのワタクシです。

「棚からぼた餅的に、家宝のようにすんごいお宝が降ってくるのを、寝て待っていればよい♥」

と思い込んでいたのは、大人になるまでのワタクシです。

このことからも、デフォルト(初期設定値状態)で脳内お花畑な人間なのが自分でもよく分かります。

いやーねー、もうっっっ( ̄∇ ̄;)♥

今まで200近い記事をブログで書いてきて、宇賀神先生より多少の国語能力はあるだろうとタカをくくっておりましたが、今回、じつは惨敗してたんだー!ということを痛感いたしました(T-T)

やっぱりのび太くんは最強です♥

ゆめゆめ侮ってはなりませぬ♥♥♥

ワタクシの代わりに泣いてるのび太くん!

今日のオマケの写真は泣いてるのび太くん!

いえいえ、ジャイアンが泣かせたのではありませんよ!

ラジオで「浪曲・赤垣(赤埴?)源蔵徳利の別れ」を聞いて感動して泣いておられました。

ねーっ、浪曲聞いて泣く人が、国語能力低いわけなかったですよね♥

合掌

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ありがとうございます♥

「運がいい」をどうしても数えられなかったときに宇賀神先生がしたこと。

seiyoken

先日、宇賀神先生のお父様のお友達である鈴木さんが、「運のいいところ」を数えるだけでますます運が良くなり、ギャンブルだけで生計を立てられるようになられたお話をいたしました。

ところが、ちょうど20代の頃の宇賀神先生は仕事に就いては辞め、を繰り返していて今でいうワーキングプア状態でいらっしゃったのですが、当時のことを振り返られて、

「鈴木さんの話は覚えていたけれど、わしは運がいいところなんてひとつもなかったから数えられなかった。」

と、おっしゃいました。

では、そんな人生の低迷期だった宇賀神先生は、いったいどうなさってそこを脱することができたのでしょう?

「そんなときにわしが何をしたかと言うと、夢を見たんだよ。」

宇賀神先生の勉強会に参加いただいている方達は何度かお聞きになられたと思いますが、よく言われる「夢見」のことですね。

(⇒ご参考までに、「夢見の技術」も併せてどうぞ!)

繰り返し繰り返し自分の望む未来を夢に見るとこによって現実化させていく、という。

もっとくだけた言い方ですと、単なる妄想とも言えましょうか。

そう言うと身もフタもないですかね?(^-^;)

20代当時の宇賀神先生にも数えられる運の良かったところはあったと思うのですが、人生の低迷期真っ只中だった宇賀神先生には、そんな心の余裕もなかったのでしょう。

しんどいときに、なかなか脳内お花畑にはなりにくいものです。

ただ、小さい子供の頃から学校の先生にまで「宇賀神、夢は寝てから見ろ!」と怒られるくらいボーッと夢の世界に浸っていた宇賀神先生です。

寝ているときだけでなく、昼間も起きていながらにして何度も夢を見ておられました。

自分にとって都合のいい、マンガのような夢です。

そう、例の、

「僕にはすごい力が眠っていて、いつかそれが目覚めたらすごいことになる!」

という、まるでSFマンガのような夢です。

(⇒「思い込みのチカラ」も読んでくださいね♥)

ですが、宇賀神先生いわく、このときはまだご自身が夢に見ているとやがてそれが現実になるなどという不思議な力があるなんて、全然思ってもいなかったんですって。

今みたいに引き寄せの法則も日本で流行っていない時代でしたし、ご自身の人生が思うようにいかないと腹を立てては八つ当たりする先もない、というような毎日でしたから。

ただ単に、つらい毎日から現実逃避するかのようにボーっとして自分に都合のいい夢ばかり思い描いていただけなんだ、とおっしゃいました。

そうしましたら、ある日、人生の低迷期どころかどん底!から頂点?の、「突然ひどい腰痛になり起きあがることもままならない」→「幽体離脱を体験」という一連の流れの、このお仕事に入るきっかけとなった事件が起きたのですねー。

(どん底から頂点?体験記はこちらをどうぞ♥⇒

気功師デビュー秘話 その1」、

気功師デビュー秘話 その2」、

気功師デビュー秘話 その3」)

本当に、マンガのような夢を繰り返し見ていたらマンガのように面白い人生になってしまった宇賀神先生。

いえいえ、ですが、そのおかげで不思議な能力を得られ、今日も先生のもとに来ていただいたご相談者さま達にとても喜ばれていらっしゃるわけですから、夢、と申しますより妄想!?もバカにはなりません。

有名な小説の中の言葉で、「待て、そして希望せよ。」というのがございます。

私もこの言葉が大好きなのですが、これはまるで宇賀神先生のこの「夢を見た」ことに近いのではと思っております。

「待て」と言いますが、この言葉の裏側にはただ待つのではなく、何かしらの行動の積み重ねがあるとは思います。

宇賀神先生も多分、ただ夢を見られていただけではなく、たとえば当時は本を尋常でないくらい沢山たくさん読まれたり、身体を鍛え続けておられました。

そして、「希望せよ」。

自分の望む未来をひたすら夢見て、希望を持ち続けること。

まあ、宇賀神先生の当時の正直な思いとしましては、ただただ現実逃避的に夢想しておられただけのようですが(^-^)

望む未来を夢に見る。

繰り返し繰り返し、鮮明に見る。

寝ているときだけでなく、起きているときも夢を見る♥

宇賀神先生が「運がいいこと」を数えられなかったときに実践なさり、そして願いを叶えられた方法です。

まだまだ世の中はコロナ禍にあり、何だか暗い話も多いですもの。

せめて望む明るい未来を夢見て、楽しくすごせますように。

人間には夢を見る力があります♥

ですが、何度夢見ても「3杯目」は無いですよー♥

seiyoken
精養軒にて(いつぞやの!早くまた行ける日がきますように(^-^))

合掌

プロセス(過程)と結果

昨日はまた、ブログランキングの設定方法が分からず頭を悩ませ、少なくとも5時間はパソコンの前で唸っておりました。

いやもう、アナログを通り越してレトロなワタクシがこのような最新型「こんぴゅーたー」を使ってブログを書き、しかもランキングに参加して世の中の流れに遅ればせならがついて行こうと思うこと自体、そもそものマチガイだったのでは、と何度悔やまれたことでしょう。

しかも夜寝た後の夢の中までパソコンを触っていて、「やった!わかった!できたー!!」と喜んだら目が覚めました。

朝喜びながら起きてそれが夢だと分かり、夢の中でまで悩んでいた自分に笑ってしまいました。

ところが同時に、不思議なことに、昨日分からなかったことが一晩寝たら多分理解できたのでは?という状態になっておりましたから、人間の頭は面白いですねぇ。

と申しますより、あまりにもトロくて宇賀神先生のつけたニックネームが「トロ子」のワタクシの理解のスピードも含めましてレ「トロ」なのでしょう。

一晩たって、ようやく理解できました。(多分理解してる・・・ハズ。)

ところで、数日前の記事で、私はたくさん幸せを感じます、ということをしきりに書きました。

宇賀神先生といつもの日常を過ごせるだけで幸せです、と。

ですが、もしもそれをご覧になり、宇賀神先生と私がいっつも毎日まいにち超♥甘々の仲良し生活をしていると思われましたら、トンデモナイ誤解ですよ!

よく、犬も食わねぇなんとやらもいたします。

はいはい、うちの母もあきれるくらい、よくケンカしております。

例えば先日も、宇賀神先生がご相談者さまのご予約の日にちを間違って予約表に書いておられました。

その日は月曜日でしたが、ひと仕事の後もうどなたもいらっしゃらないと思って午後に宇賀神先生と二人してスーパーに買い物に出かけたのですが、帰ってまいりますと家の玄関の前に水曜日にいらっしゃるはずのK様が待っておられるではないですか!

「あれ、すみません!ご予約は明後日では・・・?」

とお尋ねしますと、

「いえ、今日の日にお願いしていました。」

「申し訳ありませんーーー!」

ということがありました。

そのお仕事の後、K様に

「申し訳ありませんでした。宇賀神先生は日にちと時間を本当に間違えることが多くて、今回も明後日のところにK様のご予約が書かれていて・・・。」

と、しきりに謝り、宇賀神先生には

「前より日にちとか頭に入らなくなってきたよなぁ、認知症進んだんかなぁ!今度からご本人さんに予約表に記入していただいた方が間違いがないんかなぁ。」

などと言っておりました。

ですが、私はK様の手前もございますから、とても控えめに先生に訴えていたつもりでした。

その翌々日、K様の奥様のご予約があり、奥様がお見えになりました。

K様の奥様に、

「先日のご主人さんのご予約のことでは大変失礼しました。寒い中お待たせしてしまって・・・。」

と申し上げますと、

「いえいえ、いいんですよ。そういう主人も、鍵を忘れたり、色々ありますから。」

と優しく笑って許してくださいました。

ですがさらに、

「主人が『宇賀神先生はエライ奥さんにきつぅに言われたはったで。』って言ってて。」

と、うふふ♥と笑いながらおっしゃるではありませんか。

えっ・・・「きつぅ」って、(大阪弁で「きつく」ということなのですが)私、めっちゃ控えめに言ったつもりなんやけど・・・( ̄∇ ̄;)

などということがあり。

K様ご夫婦はとても仲が良く、またお二人ともとても穏やかなお人柄でいらっしゃいます。

綾野ちゃんはちょっと、キツイ(T-T)のかなぁ。

そういえばうちの父にも以前言われたことがありました。

「綾野ちゃんは宇賀神家の“ジャイアン”ですから、言動は抑えて、抑えて。」と。

私がジャイアン・・・そしたら宇賀神先生が、のび太くん(T-T)

目に見えるようでしょうか、その構図が。

トホホ。

というように、宇賀神先生と私の日常は決して甘々♥スウィート♥なものではありませんよ!

はっきり申し上げて鬼嫁とヒゲの生えた幼稚園児(と宇賀神先生を形容するあたり♠)との漫才の毎日、ケンカなんてしょっちゅうです。

ですが、そのケンカの日々も含めまして幸せだ、と思います。

もちろんケンカの最中はそんなこと考えもしません(^-^;)

ただ、キラキラ輝いた毎日ばかりが続けばそれはそれで最高でしょうが、そうでない日もあるのも人生ですもの。

笑う日もあれば、泣く日も腹が立つ日もございます。

宇賀神先生大好き♥と思う日もあれば、大っ嫌い!!とケンカするときも多々ございます。

私の好きな歌で「人生は潮の満ち引き」という歌詞の歌がございますが、人生の潮の満ちたときも引いているときでさえも、後から振り返れば本当は幸せだったと思えれば、それは最強ではないでしょうか。

不運に見舞われているように思える引き潮のときも、それに必死であらがったり、あるいは頭を低くして嵐が通り過ぎるのをじっと耐えて待っていたり、何かしらのその人なりの人生のドラマがあったはずですから。

その人生のドラマを、その時はつらくて大変でも、ふと何かの拍子に思い返したときに愛おしむような視点を持ちたいと、いつも思います。

その愛おしむ目線はまるで、親が子を見つめるように、あるいは、神さまや佛さまが子供である人間をご覧になるかのように。

そしてできましたら、その振り返るときが、それが起きている最中に近い時であればあるほど幸せを感じられる時間が増えるのかなぁ、と、脳内お花畑のワタクシはいつも思います。

多分ビジネスの世界とか、過程(プロセス)よりも結果(あるいは成果)を出すことが厳しく求められる世界はあると思います。

ですが人生そのものにおきましては、結果(成果)は、イコール、過程と思ってもいいのではないでしょうか。

だって、人生の結果って、何のことで、いつ分かるのでしょう?

いつ、これが結果です、といえば納得できるのでしょうか?

出世したとき?たくさんのお金を得たとき?自分の子供が社会人になれたとき?それとも自分自身が死ぬときにやっと合否を決める?

そのときまで待たなければいけないの?

死ぬときはもしかしてもう認知症になっちゃってて、分からないかも?

でしたら、もう今この瞬間こうして生きていること(過程、プロセスそのもの)がすでに成果であるかのように享受する思いでいたいと、いつも思います。

キラキラした甘々の日だけでなく、引き潮の日もまた、人生の成果であると愛おしく思いたいと、いつも思います。

で、それで、結局なにが言いたいのかと申しますと、私が貴重な休日に、ブログの設定でパソコン相手に5時間以上!!!四苦八苦しているこの状況でさえ、幸せだー!と泣いてやるぅぅ(ToT)(ToT)(ToT)ということなのです。

慣れないことで苦労してるプロセス(過程)でさえ、大事な私の人生の一部ですもの。

夢の中でまで格闘していた私を褒めてあげたいと思います。(だれも褒めてくれへんから。)

人生のプロセス(過程)がすでに結果である、ととらえれば、何でも楽しく幸せに見ないと損する気がして、欲張りの綾野ちゃんは今日も楽しく生きようとするのでした。(やはり脳内お花畑)

ところがさらに上手が・・・。

このブログを公開前に宇賀神先生に最終チェックしていただきましたら、先生が

「今日という日は、わしが楽しむためにある!」

「わしは毎日幸せ♥ハッピーライフv(^-^)v」

ですって。

のび太くんのくせに幸せって、やっぱり宇賀神先生が最強でした( ̄∇ ̄)♥

合掌

香港風邪と「おさすりさん」

宇賀神先生が小学校5年生の頃、香港風邪と呼ばれる、今で言うところの新型ウイルスが世界中で蔓延しました。

そのウイルスは日本にもやってきて、まだ子供だった宇賀神先生もかかってしまわれました。

呼吸が苦しくなって熱が出て、とてもつらかったことを覚えておられるそうです。

手に持った鏡の前で口を開け自分の喉を見てみますと、奥の方が赤くはれていて、「だから呼吸が苦しいんだと思った」とおっしゃいました。

「そしてこのはれが段々ひどくなって、最後に喉がつまって呼吸できなくなったらどうしようと、子供心に怖かった」と。

その頃の宇賀神先生のお家は、貧乏な暮らしをしていました。

もちろん戦後は日本中が困窮していた時代ですが、先生いわく「学校の給食費も払えなかった」そうですから、子供心にも自分の家は他の家庭より裕福ではないと感じておられたのでしょう。

当然、お医者さまに容易にかかれる経済状態ではありませんでした。

宇賀神少年はお父様に言いました。

「父ちゃん、熱が出てきたよ。しんどいよ。」

するとお父様は答えられました。

「そうだな、熱が38度を超えたら、医者に連れて行ってやる。」

ほどなくして、熱が38度を超えました。

「父ちゃん、熱が38度を超えたよ。」

するとお父様は答えられます。

「そうだな、近所で色々聞いてきたが、この風邪はどうやら医者に行っても治んねぇらしい。医者に行ってもダメだ。ほら、これやるから、おさすりさんのとこに行きな。」

そのときお父様から300円ほどのお金を渡された、と宇賀神先生は記憶しておられます。

多分はじめからお医者さまのところへ行かせる余裕はなかったのだと思われましたが、仕方なく宇賀神少年はそのお金を持って、近所の「おさすりさん」あるいは「おさすりばあさん」と呼ばれている方のところへ行きました。

そこには独り暮らしの年配の女性がおられました。

そのおさすりさんは、

「どれ、口を開けて見せてみな。」

とおっしゃり、宇賀神少年が口を開けて見せると、

「おお、喉がこんなにはれて、かわいそうに。痛いだろう。よしよし、こっちへおいで。ここに座りな。」

と、奥にうながされました。

宇賀神少年がおさすりさんに言われた通りに座ると、おさすりさんは少年の頭の上から手ぬぐいをかけ、それを首の横側にくるように垂らして、手ぬぐいの上から少年の首の横をさすりはじめました。

しゃっしゃっしゃっ・・・

とても軽い手加減で、手ぬぐいの上から耳のあたりや喉のあたりをさすってくれます。

痛くなく、とっても気持ちよかったんですって。

そうしておさすりさんがしばらーく宇賀神少年の喉のあたりをさすられた後、

「はい、いいよ。どうだい、つばを飲み込んでも痛くないだろ?」

と尋ねられました。

宇賀神少年は言われた通りにつばを飲み込んでみてびっくり、あれほど重く痛かった喉が痛くありません。

「痛くない!」

そして、鏡で自分の口の中を見てみました。

「喉の奥のはれがひいてる!」

「これで大丈夫だから。」

宇賀神少年は不思議でした。

「しゃっしゃっしゃっ」だけで、あんなにしんどかった喉のはれてたのが無くなったの?

ですが、そのおさすりさんの言葉通りそのまま喉のはれは無くなり、ほどなくして熱も下がり、宇賀神少年は無事に元気を取り戻しました。

宇賀神先生は、

「今思えばリンパマッサージのようなことをしてくれたんだと思う。」

「あのおさすりさんも、今のわしの仕事の原点だ。」

と、おっしゃいます。

やはり子供心にも嬉しかったのでしょう。

お父様に「医者でも治らねぇらしい。」と言われたしんどくて高熱を伴う風邪が、とっても気持ちのいいおさすりさんの「しゃっしゃっしゃっ」だけで治ってしまったんですもの。

もちろん何の検査もしたわけではありませんから、宇賀神先生がかかられた病気が本当に当時流行した新型のウイルスだったのか、ただの風邪だったのかは分かりません。

ですが、いずれにしましても、呼吸が苦しくなるほどの怖ろしい喉のはれと、38度を超えるほどの熱を伴う風邪または感染症が、リンパマッサージもどきだけで回復に向かったのは宇賀神先生が体験なさった事実です。

痛い注射を打つこともなく気持ち良くさすってもらっただけで病気が治ったなんて、よほど嬉しかったのでしょう。

以前にもご紹介しました、日本ターザンとの強烈な出会いとともに、このおさすりさんの体験は宇賀神先生の心に深く刻み込まれました。

(日本ターザン、三浦MAXさんとの出会いのお話はこちらをどうぞ!⇒⇒⇒

「氣」という概念 ― Qi Power あるいは日本ターザンとの出会い その1

「氣」という概念 ― Qi Power あるいは日本ターザンとの出会い その2

たしかに、宇賀神先生の言動やお仕事ぶりを拝見しておりますと、この日本ターザンとおさすりさんを足して2で割ったような、そんな気が・・・イヤイヤ。

いえいえ、真面目な話、剛柔あわせ持った、と表現できるような氣を感じます。

宇賀神先生のお仕事は加持祈祷です。

その加持祈祷を成就ならしめるもの、根底に流れるものは氣です。

その「氣」の、剛を日本ターザンから、柔をこのおさすりさんから感じとられたのが、宇賀神少年の氣との最初の出会いだったのかも知れません。

・・・ところで、このときの風邪(ウイルス)なんですが、宇賀神先生が「わしが小学校の、確か5年生のときにかかったのは香港風邪だった」と頑なにおっしゃるのですが、いくつかのサイトで調べて見ますと、ちょうど先生が5年生になる少し前に世界的に流行していたのはアジア風邪だと書かれていました。

香港風邪はその10年ほど後ですので、年代が全然合わないんですよね。

ですが先生は、がんとして譲りません。

「だってわしが学校で、『この風邪を引いたときにする咳は、ホンコン!ホンコン!っていうんだよ!』って冗談言ってたら、学校の先生がうしろからパーンと頭をはたいて『世界でたくさんの人が死んでるのに、なんちゅうことを言うんだ!』って怒ったんだから。だから絶対に香港風邪だ。」

ですって。

アジア風邪って、香港もアジアの国ですから、勘違いなさっているのでしょうかねぇ。

よく分かりませんが、とにかく宇賀神先生が学校の先生に頭をたたかれた思い出とともに「あれは香港風邪だった」とおっしゃいますので、今日のタイトルを香港風邪といたしました。

何卒ご了承くださいませ。

人の手には不思議な力が宿っております。

それを意識的に使える人と、そうでない人もいらっしゃいますが、少なくとも誰かに優しくさすってもらえるのは、どなたにとりましても極上の癒しとなります。

まだまだ新型コロナウイルスも油断できない毎日です。

今、すぐそばにいる大事な人の背中を優しくさすってあげるのも、いいアイデアですね♥

さすってもらった人は、アナタのとりこになるかもヨ( ̄∇ ̄)♥

合掌