宇賀神先生のところへは、様々な悩みやご病気を抱えた方達が来られます。
ご病気に関しましては、もうそれこそありとあらゆるご病気としか言いようがありません。
軽いもの?(と申しましても、ご本人様にとりましては深刻ですが)は、腰痛や首・膝の痛みなど。
膝が痛くて歩くのもつらい、というのから、かつての私のような腰痛、椎間板ヘルニア、ひどいものは背骨の圧迫骨折まであります。
その圧迫骨折の痛みのあまり、うちにいらした方がその場で嘔吐なさった時には、私は洗面器を持ってオロオロしてしまいましたね。
先生は平然と落ち着いておられましたが。
重い病気は、例えばがん、膠原病や聞いたこともなかったミトコンドリア病などという難病指定のもの、小児マヒなど先天性のもの。
果ては緊急を要する間脳損傷やくも膜下出血などもありました。
(もちろん間脳損傷などはご本人様は意識がありませんので、ご家族様が遠隔のご祈願を頼まれます。)
正直に申し上げて、全ての方が助かるわけではありません。
中には申し訳ないことですが、全くご縁がないとしか言いようがない程お力になれない方も、そうですね、年に1~2人ほどは、おられます。
ですが、ご縁に従っていらした方達の多くは、何らかの形で救いを得られています。
もちろん奇跡のように回復なさる方達も少なくありません。
例えば、奇跡のような事例といたしましては、間脳損傷を起こされたK様。
20歳過ぎの頃スノーボードをなさっていたときに転倒なさり、間脳損傷を起こされました。
運び込まれた病院のお医者様いわく、よくて一生意識不明の植物状態、悪くすればこのまま亡くなります、と。
ご家族やご親戚の方達がいらして、先生を前に、何とか助けてほしいと泣かれたそうです。
いくらなんでも難しすぎます、と先生は断ろうとなさったのですが、あまりに泣かれるご家族を見て、遠隔のご祈願をお引き受けしました。
***私たちが「遠隔のご祈願」と呼んでおりますものは、朝夕のお勤め(勤行、お経を読むこと)の時をメインに、宇賀神先生独自の方法でご相談者様のご無事をお祈りするものなのですが・・・ごめんなさい、ちょっと今このブログ上ではご説明が難しいです。***
いずれにしましてもこのK様、どうなられたかと言いますと、奇跡的に意識を取り戻され今現在も元気に働いておられます。
私はこの話を先生からお聞きしていて、K様が社会復帰なさってから先生と結婚して初めてK様にお会いしたのですが、一度魂がさまよわれていた時によほど美しい世界を見てこられたのか、とても綺麗な瞳をなさっておいでだったのが印象的でした。
また、このような劇的な回復まで起こせないときでも、精一杯の救いを差し上げようと先生はなさいます。
例えばこの4月に初めていらしたS様。
70歳前の方で、末期の肺がんを患っておられます。
末期と申しましても、お医者様から受けた余命の宣告は既に去年の12月までだったそうで、もういつどうなってもおかしくない時期だそうです。
S様はとにかく全身が痛くて呼吸をするのも苦しく、夜は背中の痛みのあまり横になることもできず、お布団を抱えるように座ってしか寝られないそうです。
初めていらした日に、宇賀神先生が「とにかくその痛い苦しいを何とかしましょう」とお加持なさり。
お加持が終わったあと、急にK様が泣きだされました。
「身体が楽です・・・!」と。
痛みのあまり丸く固まっていた背中が伸び、仰向けにもなれますと喜ばれました。
精一杯の救いを、と私は申しましたが、先生の目指すところは常に「劇的な回復」です。
遥か遠いところに目標を持ち、そこへ到達しようと願い続けるからこそ、その手前には軽々と行き着くのだと。
もちろん遠い目標と同時に、まず着実に届くべき一歩も明確にしつつ、です。
宇賀神先生の精神構造は普通の人とちょっと違うところがあり、他の誰が「そんなの無理でしょう」と言っても、ことこの人々の祈願に応えるという点に関しましては、決してあきらめません。
一歩一歩確実に進もうとし、末期と言われた人達に対してさえ、その方が最後の最後に息を引き取られるまであきらめないのです。
本当に、このことに関してだけは、その強く折れない心はどこから来るのだろうといつも不思議です。
宇賀神先生を頼って来てくださる方達は、先生の中に希望の光を見出されて来られるのでしょうか。
佛教の世界観では、この世のことを「無明長夜の闇路」などと表しますが、その真っ暗な世界のなか、お釈迦さまのおっしゃった「自灯明、法灯明」とともに、人々のささやかな希望の光たりえますようにと、願ってやみません。
合掌