気合い術 その1

こんにちは。

2日ほど東京出張に行っておりましたため、ブログの更新ができませんでした。

週末にはどうしても、氣を取りますための温泉地での(極楽)修行♥や出張が入りますため、更新が途絶えがちになりますことをお許しください。

あと平日でもたま~にサボりますことも、お許しくださいませね( ̄∇ ̄)

 

前回まで“気功師デビュー秘話1”としまして、宇賀神先生が小さい頃からずっと「氣」というものを追い求めていらしたことが、初めて人様のお役にも立つ実践的なものとなりましたエピソードをご紹介いたしました。

このブログを書いておりますのは、宇賀神先生の妻であります私、綾野です。

先生との長い(まだまだ短い?)おつき合いの中で、また勉強会のお話のなかでも、ずっと何度も聞いておりましたことを覚えていて、それを文章に表しています。

そしてこのブログを書きあげましたら、公開する前にほぼ必ず先生にもチェックしていただいております。

そうしますと、先生ご自身も昔を色々と思い出すいいきっかけとなりますようで、横向温泉でのことなどをまた詳しく思い出され、「そうそう、こんなだった」とご自身を再発見なさるようです。

 

ひとつ思い出されましたのは、当時は身体のしくみなど何もご存じなかった宇賀神先生が、横向温泉で、一体全体どうやって人様の痛い苦しいを取ることができたのか、ということです。

それは私も不思議でした。

 

今でこそ宇賀神先生は、一体その頭のどこにそんな知識が、というほどたくさんのことをご存じです。

それこそ身体の仕組みから、法律のことから、歴史から、ありとあらゆる分野まで。

興味のある分野のことは色々と覚えておいでで、一見何の役にも立ちそうにない戦闘機や武器、電車も大好きですし、地質学や気候、昔の古い映画なんかも詳しくていらっしゃいます。

 

そうそう、忘れてはならないのは宇賀神先生はお料理を作るのも大好きでいらっしゃいます。

実は先生は調理師免許をお持ちで、お若い頃は洋食のコックさんもなさっていました。

先生にお料理を教えてくださった先輩が東京の帝国ホテルのグリルご出身の方でしたそうで、先生は当時の洋食の本場・帝国ホテル仕込みのお料理を作ってくださいます。

まあ~、それはそれは、先生の「昭和の味・ナポリタン」は絶品ですよ!

私は世界一美味しいと思っております♥

以前東京に行きましたときに帝国ホテルに行き、ナポリタンをいただいたのですが・・・正直に申し上げまして、先生のナポリタンの方が断然!美味しかったです。

あ、イケマセン・・・これを書いておりますだけでヨダレが出てまいりました( ̄∇ ̄)

 

えーと、何のお話でしたっけ。

 

そうです。

宇賀神先生が横向温泉で初めて人様のお身体を治されましたとき、身体の仕組みについて当時は何の勉強もなさっていませんでしたのに、どうして治すことができましたのか。

先生は、

「そいうえば、初めから、わしの手は人の痛いところがここだ、って分かったな」

と、おっしゃいました。

 

例えば「腰が痛い」とおっしゃる方でも、腰のどの部分の骨のずれが原因で腰痛を起こしているのか、というのは人それぞれです。

あるいはお身体のどの部分の氣がとどこおって痛みが生じているのか、など。

背骨や骨盤や仙腸関節(せんちょうかんせつ)というものがどのような形をしているのかという基本的なことも、今でこそ勉強なさってご存じですが、その時は何一つご存じありませんでした。

「でも、手がスーッとその人の痛いところ(の原因の場所)に行くんだよ」

と宇賀神先生はおっしゃいます。

 

熟練の職人さんなども、手そのものがセンサーとなり、“頭でなく身体が覚えていて勝手に動く”ような感覚だとお聞きしますが、それに近い感じなのでしょうか。

宇賀神先生のその感覚は、天性のもののようです。

 

天性の感覚を持った人が、勉強なさって研鑚し、経験を積まれますと、果たして宇賀神先生のような人になられましたねぇ。

 

それで、横向温泉でその人たちの痛いところにスーッと手が勝手に行き、その後はどうやって治すことができたの?と尋ねますと、

「いや、だから、例えば腰の痛いところに手をおいて、

こっちに足を動かした方が痛いか、逆の方が痛いかって聞いて、

痛くないほうに足を動かしたまま“エイッ!”って気合いかけたら“痛くなくなった”ってみんな言うんだよ。」

と、おっしゃいました。

 

それは、その時は宇賀神先生ご自身でもお気づきではありませんでしたが、

「気合い術」

と呼ばれるものです。

 

(その2につづく)

 

合掌

 

気功師デビュー秘話 その3

宇賀神先生が宿をチェックアウトしようとなさいましたとき、自分達も治してほしいと、宿泊なさっている全ての人かと思われます方達がぞろぞろと出て来られ、先生に頼まれました。

「あの足の悪いおじいさんが治ったんだ、わしらのことも治してはもらえんだろうか。」

ですが宇賀神先生は明日からまた会社に行かないといけません。

「わしは明日から仕事があるから、帰らねぇと。」

と、言いますと、

「失礼だが、あんちゃん、会社からいくらもらってんのっしゃ?(もらっているのですか?)」

と、唐突に尋ねられました。

「手取りで98000円だよ。」

「なんだぁ~、そったらぽっちの金!」

“そったらぽっち(たったそれだけ)”と言われましても、当時は今で言うワーキングプア状態の先生でしたが、会社をクビになるわけにもいきません。

すると代表格のおばあさんが、

「じゃあこうしてはいかがかね。

あんちゃんは今日ここに泊まってわしらのことを治してくれる。

そして明日の朝もう1回治してくれてから会社に行くんだ。

そうしたら遅刻にはなるが、まる1日休むわけじゃないから、クビにはならんじゃろ。」

とおっしゃりました。

 

それもそうかな、と、元来が植木等さんの“スーダラ節”をモットーに?生きて来られた宇賀神先生です、なし崩しにそのままもう1泊することになさいました。

 

横向温泉の湯治宿には膝から腰から首など、あちこちを痛めてらっしゃるお年寄りばかりいらっしゃいました。

誰にも何にも治療方法など教わったことのなかった先生ですが、不思議とその方達のお身体を触っているうちに、なぜか皆さん治ってしまわれたそうです。

多分、先生ご自身でも不思議だったんじゃないでしょうか。

でも、事実治っちゃったんですよねー。

皆さん「痛くなくなった!」と喜ばれたそうです。

 

そして次の日のお昼、宇賀神先生が今度こそ宿を出ようとチェックアウトを済ませましたとき、皆さんが見送りにきてくださいました。

すると先の代表格のおばあさんが、

「あんちゃん、これ、少ないけどみんなの気持ちだから。」

と、おっしゃって、お金の入った封筒を渡してくださいました。

先生が思わず中を見ようとなさいますと、

「見ねぇでけろ!恥ずかしい額だから!」

とおっしゃいますので、はやる気持ちを抑えて封筒をしまわれました。

 

皆さんに見送られながら車で宿を出発し、一つ目の角を曲がったところで車をとめ、急いで封筒の中をご覧になりました。

39年前の当時は今とは貨幣価値が若干違う時代でしたが、中に入っていましたのは15万円もの大金でした。

今でいうワーキングプア状態の宇賀神先生でしたから、それはそれはびっくりなさったそうです。

ひと月分のお給料以上の金額を、ひと晩で稼いでしまわれました。

 

宇賀神先生が幼い頃にお父様の事業が失敗し、それ以来ずっと貧乏な子供時代でした。

そして先生が社会人になられましてからも、貧しい暮らしには変わりありませんでした。

先生にとりまして、貧しい暮らしから脱しますのは、幼少時代からの1番の願いだったのです。

「自分のこの不思議な力は人から感謝されたうえに、お金になるんだ!」

その事実に気づかれたときの先生の打ち震えるような喜びは、想像にかたくないですよね。

宿を出られ、皆さんから見えなくなってすぐのところで封筒の中を見ました若かりし頃の宇賀神先生、「その気持ち分かるよー。」と言ってあげたくなります。

 

そして宇賀神先生はこの横向温泉での出来事をきっかけに、「氣」というものを実践的に人生上に活かして生きていこうと思われました。

それは、日本ターザンがかつて幼い頃の宇賀神少年に、

「氣を操るものは、そのコントロールの範囲内で全ての事象をひん曲げることができる。」

と、ただ一言教えてくださったことをずっとずっと忘れずにきたことが、ようやく芽が出た瞬間でした。

 

・・・ところで、よもや“スーダラ節”をご存じない方はいらっしゃらないと思うのですが・・・ジェネレーションギャップということもあり?、ご説明いたしますと。

「サラリーマンは~気楽~な稼業っと、きたも~んだっ!」

という、かの有名な植木等さんの名曲です。

いえね、もちろんワタクシも知らない方の世代だったのですけどね、宇賀神先生に教えてもらったのですよ、念のため!

先生はこの曲が大好きなのです。

この歌のいい加減さ。

宇賀神先生は、

「いい加減なのではなく、“良い加減”なんだよ( ̄∇ ̄)V」

と常々おっしゃっています。

 

ま、紙一重ですね。

 

合掌

 

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ありがとうございます♥

気功師デビュー秘話 その2

宇賀神先生は生まれて初めて幽体離脱を体験なさり、痛くて立つこともままならないほどの腰痛をご自身で治してしまわれました。

どんな仕組みで痛みがとれてしまいましたのか見当もつきませんでしたが、腰痛がとれましたのを幸いに、もとの職場に復帰なさいました。

 

それからほどなくしてのゴールデンウィークの帰り道に、宇賀神先生は福島県の横向温泉(よこむきおんせん)に立ち寄られました。

39年ほど前のその時は、当時結婚なさっていた前の奥さんとご一緒でした。

 

横向温泉は、地下に降りていきますような形で温泉がありました。

しかも地下3階まで降りるような、男女混浴の温泉でした。

宇賀神先生がお若い頃の東北地方の温泉には湯治文化が色濃く残っておりまして、たくさんのお年を召した方達が、お身体を治すために温泉宿で何日も滞在なさっていました。

先生の奥さんがお風呂で出会われたおばあさんが、ご主人さんのことを話されたそうです。

なんでもその方のご主人さんはお若い頃から渓流釣りがお好きで、冷たい水につかりながら何時間も釣りをなさっていたそうです。

そのためずい分と腰を痛めてしまわれ、この横向温泉にいらしている、と。

ですが、ここの温泉浴場が地下にありますため、まず地下への階段を降りることができず、結局温泉に入ることも叶わずにいらっしゃいました。

 

そんなお話をお聞きし、何を思われたのか宇賀神先生の前の奥さんが、

「うちのお父さんなら治せるかも知れないよ」

と、おっしゃったそうです。

すぐ隣の浴槽に入っておられた先生がその話を聞かれ、

「そんなのやったこともねぇし、治るがどうか分かんねぇよ。」

とおっしゃいましたが、もうおばあさんはその気です。

少しでも望みがあるなら是非にも、と頼まれました。

 

宇賀神先生はその時はもちろん人様を治されたこともなく、またご自身もどうしてあんなひどい腰痛が消えてしまったのか分かりませんでしたが、とにかく、頼ってこられたそのおじいさんのために一所懸命治そうと試みられました。

あの幽体離脱をなさったときに眼下の自分がしていた動きを思い出しながら、そのおじいさんの足にも同じ動きを再現してさしあげたそうです。

もちろん「氣」というものを意識なさりながら。

 

するとどうでしょう、ついさっきまでお座布団1枚の高さにもつまずかれるようでしたおじいさんが、兵隊さん歩きのように足を高々と上げて行進なさるではありませんか。

おじいさんの腰の痛いのが、治ってしまいました。

これにはおじいさんやおばあさんはおろか、宇賀神先生ご自身もびっくりなさったそうです。

 

「どうもやはり、わしには不思議な力があるらしい。」

宇賀神先生はそのとき、確信に近いものを持たれました。

 

翌朝、宇賀神先生と前の奥さんがチェックアウトして宿を出ようとなさいますと、宿の方が、

「昨日、足の悪いおじいさんを治したのはあんちゃんかね?」

と、尋ねられました。

「そうです。」

と、先生が答えますと、

「ちょっ、ちょっと待っててけろ!」

とその場で待たされました。

すると、宿の奥から、それこそ宿中の人かと思われます程たくさんの方達がぞろぞろとやって来られ、

「あんちゃん、あんたあの足の悪いおじいさんを治したんだ。

是非わしらのことも治してはもらえんだろうか。」

と、頼まれたそうです。

 

(その3につづく)

 

合掌

 

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気功師デビュー秘話 その1

宇賀神先生が初めて「氣」というものを使い、ご自身を治し、さらに思いがけず人様まで治してしまったときのお話をいたしましょう。

これは先生が高野山で阿闍梨になられる遥か以前のお話です。

これがまた、マンガみたいな、本当のお話。

 

今から39年ほど前、当時の宇賀神先生は30歳、まだ会社勤めをなさっていて、空手の師範やボディビルもなさっていて、筋骨隆々の若さ溢れるお身体でした。

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ボディビル時代の宇賀神先生

(後列の真ん中が宇賀神先生です。)

 

ところが当時のお仕事は重たいお砂糖を運ぶ重労働。

しかも力があるのをいいことに、30kgを3袋、計90kgものお砂糖を一度に運ぶようなお仕事をなさっていました。

そんな無茶なお身体の使い方をしていたものですから、当然支障をきたし、ある日突然ひどい腰痛に見舞われて、立つことすらつらい状態になってしまいました。

 

そして整形外科や鍼灸師さん、接骨院など、何軒ものところに行きましたが、その腰痛は一向によくなりませんでした。

果ては拝み屋さん(今の先生のように、神様や佛様に拝んで病気平癒を祈る人ですね。東北にはその文化が色濃く残っているようです。)まで行かれたそうです。

ですが、何の変化も起きません。

絶望の淵に立たれた宇賀神先生、自分はこのまま一生立つのも困難な身体でいるのかと、嘆き悲しまれました。

 

宇賀神先生はどうすることもできず、痛みに苦しみながら家で寝ておられました。

 

ふと目を覚ましますと、誰かが宇賀神先生の頭を後ろから押さえています。

それだけでなく、背中も誰かに押さえられていました。

あれっと思って目を見開きますと、なんと布団に寝ている自分自身が見えるではありませんか。

先生は宙に浮いて、天井と壁に頭と背中を押し付けるようにしていたのです。

そして、眼下にもう一人の自分を見下ろしていました。

そのもう一人の自分が布団の上に寝ころんだまま、足をバタンバタンと大きく動かして身体をひねり、奇妙な動き方をしていたそうです。

 

自分自身は天井付近に浮いたまま、下に降りることも叶わず、もう一人の自分は寝たまま天井側の自分自身に気づず、変な動き方をしている。

もしかしたらこのまま死ぬのかも。

と、宇賀神先生は急に怖くなりました。

その途端、先生の意識は布団の中の寝ている自分に戻りました。

 

驚いたことに、起き上がりますと、寝る前までひどく自分を苦しめていた腰痛が消えていました。

 

さっきの眼下の自分がしていた動きで腰痛が治ったのか。

天井に浮かんでいた自分は、世に言う幽体離脱(ゆうたいりだつ)をしていたのか。

と、宇賀神先生は、その不思議を解明したい気持ちでいっぱいになりました。

 

小学5年生のときに日本ターザンに出会い、「氣」というもののすごさを知り、それを自分なりに追求して高めてきてはいたものの、具体的に氣を人生上に活かす手段も知り得ないままこの時まできました。

(詳しくは“「氣」という概念 – Qi Power あるいは日本ターザンとの出会い その1その2

幽体離脱しましたことと、氣を操ることと、どんなふうに関係があるのでしょうか。

あの身体の動きと、人生を絶望してしまうほどの腰痛が治りましたことと、どんな関係があるのでしょうか。

具体的なことは何も分かりませんでしたが、自分なりに氣に関して追い求めてきましたことと、その日の出来事とは関連があるような気がしてなりませんでした。

そしてますます、氣というものに心ひかれました。

 

(その2につづく)

 

合掌

 

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本当の奇跡

今月は宇賀神先生のお誕生月です。

私の両親がいつも弟家族も含めまして、それぞれのお誕生月に皆で集まってお祝いしようと食事会を開催してくれます。

ですので、昨日の日曜日には、先生のためのお祝いの会を開いてくれました。

メインディッシュは先生も大好きなトンカツ( ̄∇ ̄)♥

バースデーケーキも用意して、皆で楽しく夕飯をいただきました。

 

私には3人の姪と甥がいるのですが、それぞれ中学1年、小学2年、保育園年中さん、でしたか、もうとってもパワフルな大阪っ子です。

3人にとりましては宇賀神先生は「おじ」にあたるのですが、なにしろ弟の年齢より私の父の年齢に近い先生です、なんとなーく「おじちゃん」と呼びにくいのか、

「宇賀神さん」とか、1番下の子は「うがじんちぇんちぇー」と呼んでくれます。

その1番下の子が描いてくれた、宇賀神先生の似顔絵がこちら。

 

portrait
まぁちゃんが描いてくれた宇賀神先生の似顔絵

 

とってもとっても幸せそうな似顔絵です。

これはもちろん姪っ子の心の中が幸せに溢れているため、こんなに幸せそうな絵が描けるのですね。

それと同時に、宇賀神先生もとてもにこやかに優しく姪や甥に接してくださっていますので、それが姪の目にはこんな風に映るのでしょうかと、嬉しくもあります。

 

毎年お誕生日をお祝いしていただくたびに宇賀神先生がおっしゃるのですが、先生は小さい頃、一度もお誕生日のお祝いをご両親からしていただいたことがないそうです。

じつは先生の幼少時代は、何の屈託もなくお幸せなお暮しだったとは、言えないようです。

もちろん戦後まもない時代でもありますので、日本全国のほとんどの方達が貧しい暮らしをなさっていました。

先生はさらに、ご両親の愛情にも、お腹いっぱいに満たされていたとは言えないような幼少時代でした。

 

ご両親が離婚なさり、その都合で宇賀神先生は2年ほど栃木県の孤児院に入れられていたそうです。

その孤児院が天台宗のお寺さんが経営なさっている孤児院で、毎朝ご本尊のお薬師さまを前にお勤め(お経をよむこと)があり、それが先生と佛さまの最初の出会いになるのですが。

そのお話もまたいずれ。

とにかく「お誕生日おめでとう」と言ってもらった記憶が、あまりないそうです。

 

ですので、3人の姪と甥が大声を張り上げて、なかば叫ぶように?元気いっぱいにハッピーバースデーの歌をうたってくれるのには、先生は時に眼頭が熱くなられるようです。

「ハッピーバースデー・ディア やっちゃーん/宇賀神さーん/うがじんちぇんちぇー♥」とそれぞれが声を大きくして音程すらバラバラに?歌ってくれるのが、最高に幸せなようです。

昨日も私の実家でのお誕生日会からの帰り道に、宇賀神先生が

「こんなにもいい家族を与えてくれてありがとう。」

と、おっしゃってくださいました。

 

宇賀神先生はお仕事で、様々な奇跡と呼ばれることを起こされてきました。

例えばガンを消してしまったり、難病の方を社会復帰なさるまで回復させられたり。

私自身もこの目で何度もその事例を見ています。

ですが、本当の奇跡とは、不幸とも呼べる幼少時代を過ごしながらも、今現在こんなにも心優しい宇賀神先生でいてくださることではないかと思っています。

まあ、多少ひねくれているとも申せますが!?そのお心の中はとっても優しくキュートなお人なのです♥

この世に生まれてきてくれてありがとう。

優しい宇賀神先生でいてくれてありがとう。

いつも楽しそうにニコニコと笑っていてくれてありがとう。

お仕事に励んで、たくさんの人の助けになってくれてありがとう。

神様佛様に好かれるような人でいてくれてありがとう。

私は心から、この奇跡に感謝しています。

 

ちなみに、昨日一番楽しかったのは、クライマックスでケーキのローソクを吹き消したあと、

「あーっ!お誕生日のお願いごとするの忘れたー!!」

と宇賀神先生が叫ばれたこと。

もう遅いよーん。

やっぱり、きっと忘れると思って、私がちゃっかり代わりに心の中でお願いごとをしておきました!

「みんなもっともっと幸せになりますように♥」ってね v( ̄∇ ̄)v

お願いごとドロボウ、大成功でした!

 

合掌

湯峰の美味しいおススメ

今日はまたちょっと湯峰に戻りまして、少し美味しいもののお話を♥

せっかくですから湯峰温泉に行かれましたら、お湯につかり外からの氣をいただき、それと同時に温泉コーヒーでお腹のなかからも氣をいただきましょう!

 

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湯胸茶屋

 

ここは東光寺さんが経営なさっている、お寺さんのすぐ裏手にあります「湯胸茶屋」さんです。

パッと見は、まるで時代劇から抜け出たような外観ですね。

東光寺さんのお家に湧いている温泉水を使って淹れてらっしゃる「温泉コーヒー」は、私にとりましては絶対に外せないアイテムです。

 

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湯胸茶屋で温泉コーヒー

 

 

宇賀神先生が大好きなのはここのきつねうどん!

おあげさんが大きくて美味しいのです♥

 

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湯胸茶屋できつねうどん

 

なんだか宇賀神先生の食べてらっしゃる写真が多いこのブログ。

まあ、先生の嬉しそうなお顔への愛ゆえ♥と、お許し下さいませ( ̄∇ ̄)

(ちなみに温泉水でつきました杵つき餅も、先生は大好きです。)

 

また、こちらの湯胸茶屋さんでも買えますが、生卵を買いまして、温泉がポコポコと湧いて出てきています「湯筒」でゆでますと、しっとりと美味しい温泉卵のできあがりです!

(スーパーで生卵を買って持って来られる場合は、湯筒につけておくためのネットと紐が必要です。アツアツを召しあがるならお塩も!)

私たちと同じようにキャンピングカーで来ていらっしゃる方達、あるいは普通の軽自動車の中を独自に改装なさってキャンピングカーにしていらっしゃる、私たちが「達人!」と尊敬する方達は、ご自身で色々な食材をお持ちになってこの湯筒でゆがいてらっしゃいます。

それこそ、さつま芋とか山菜とか、冬にはカニや栗をゆでる方も!

(写真・階段下)

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湯峰の湯筒

 

本当は湯峰温泉の駐車場には「キャンプ・炊飯禁止」と書かれていますが、湯峰の方達はおおらかにキャンピングカーの私たちを泊めさせてくださっています。

車中泊の私たちもなるべくご迷惑をおかけしないよう、マナーには気をつけています。

 

湯峰の霊験あらたかなお薬師さまとお不動さまと、すぐ近くにございます、全国の熊野神社の総本社であります熊野本宮大社さん。

くすり湯の1日券で1日に何度も温泉につかり湯治をして、コーヒーや温泉卵でお腹の中からも氣をいただいて、湯峰は極楽のようなところです。

皆様も是非一度、訪れてみてくださいませ♥

 

合掌

湯峰温泉の近くの熊野本宮大社さんも、並々ならぬ神様です。

せっかく湯峰に行かれました際は、是非とも熊野本宮大社さんまで足を伸ばしてみてください。

こちらの神様も、素晴らしいお力をお持ちです。

 

宇賀神先生は実は素戔嗚尊(すさのおのみこと)さまが大好きです。

素戔嗚尊さまは、お若い頃は特に?やんちゃ(乱暴)で武勇に優れた(荒々しい)神様です。

日本神話の中のそんな武勇伝の数々が先生も共感なさるところがおありなのか、先生は素戔嗚尊さまが好きなのですって。

熊野本宮大社さんの主祭神は、素戔嗚尊さまです。

 

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熊野本宮大社

 

これもまた数年前の話なのですが、湯峰に行きました際に、いつものように熊野さんまで足を伸ばしました。

その時はちょうど、本殿の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根のふき替え工事が行われていました。

1枚分3000円をお支払いしますと、檜皮(ひわだ・ヒノキの樹皮)を1枚いただくことができ、そこに名前と祈願文を書きこみますと、それがなんと本殿の屋根に使われるとのことでした。

しかもちょうどその時の檜皮は、4つございます神殿のうち、素戔嗚尊さまの神殿の屋根に使われるとのことでした。

たしか何年間でしたか・・・忘れてしまいましたが、少なくとも私たちの寿命より長く、次のふき替え工事まで素戔嗚尊さまの屋根の上に置いていただけるのです。

 

もちろん、素戔嗚尊さまファンの宇賀神先生にお名前を書いていただこうと、1枚分お支払いしました。

“お参りの極意”の回でお伝えしましたように、檜皮に祈願文を書くと申しましても、私たちは「家内安全」や「商売繁盛」などのお願いごとは書きません。

神様に感謝申し上げるための四字熟語はあるのですかとお尋ねしましたら、

「神恩感謝」(しんおんかんしゃ)

ですと教えていただきました。

なんとも素敵な言葉があるのですねぇ。

宇賀神先生は、ご自身のお名前「宇賀神 龍仙」と、「神恩感謝」とを檜皮に書かれました。

 

すると、檜皮を購入しますと、購入のための申し込み用紙を1枚あてがわれまして、そこに

「神様へのメッセージを書いて下さい。」

という欄がありました。

せっかくですから、私はここに一言書かせていただきましょうと、ペンを取りました。

 

もちろん神様に申し上げることは感謝の言葉なのですが、何かひとひねり?欲しいかな、と、ある一言をつけ足しました。

そしてペンを置いて横で宇賀神先生が書き終わられるのを見ていますと、何だか急に足の底からざわざわと鳥肌のようなものがたってきまして、それが全身をのぼっていき、やがて頭のてっぺんまで覆ってしまいました。

すっごーーーく、気持ちがいいのです。

別に寒くもなく、風が吹いたわけでもありませんのに、文字通り全身を鳥肌に覆われまして、私はその場を動けませんでした。

 

すると宇賀神先生が、

「すごいものを見た・・・。」

と、おっしゃいました。

 

なんと素戔嗚尊さまの凛々しく巨大なお顔が私の斜め上に現れて、神様の「息」をふぅーっと私に向って吹きかけられていたと、宇賀神先生はおっしゃるのです。

そんな光景は生まれて初めて見た、とおっしゃいました。

「生きる」という字と「息」が同じ音で通じるものがありますように、神様に息を吹きかけていただきますことは、それはそれは有り難い祝福なのだそうです。

「息吹長世の術」(いぶきながよのじゅつ)と申します、日本古来の治療法?に通ずるものでもあるそうです。

 

と同時に、すごくヤキモチを焼かれました。

「わしでさえ、してもらったことないのにー!(しかも宇賀神先生の方が素戔嗚尊さまのファンでしたのに!)」と。

私は、

「やっぱり3000円は綾野ちゃんのお財布からお支払いしたからね?」

「あ、でも家計費を稼いでくださっているのは先生なのにねぇ?」

などとニンマリしながら先生をからかっていました。

 

一体私の何をお気に召してくださり、そのようなことをしていただけましたのか。

その時は本当に言葉も出ず、一歩も動けないような気持ちのよさでした。

その感覚はどなたにも証明することはできませんが、ですが私が宇賀神先生に一言も「いま全身鳥肌に覆われている」なんて言わない(言えない)うちに先生が「すごいものを見た」とおっしゃいましたので、何らかの符合がございましたのは確かです。

あんな風な気持ちの良い感覚は後にも先にもその時だけですので、どなたに証明することができなくても、私の一生の宝物です。

 

日本全国の神様佛様にご縁がある度にお参りさせていただいておりますが、宇賀神先生にとりましても、あのようにはっきりと眼前に神様のお顔が出ていらしたのは、あまり例がないようです。

やはり全国の熊野神社の総本宮にあたられる熊野本宮大社さんです。

そのお力は、並々ならぬもののようです。

 

さて、綾野さん、素戔嗚尊さまにそんないいことをしていただいて、また惚れちゃったのですかって?

ト―ゼンでございますわよっ♥(^∇^)♥

 

合掌

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その4

今日はいよいよ、湯峰のお不動さまについて。

実は私たちも長いあいだ湯峰温泉に通いながら、そして東光寺さんに必ずお参りもしておきながら、湯胸薬師さまの横にいらっしゃるお不動さまには気づかずにおりました。

普通にお参りさせていただく位置からは、少し見えにくいのです。(いいわけですね!)

 

あれは忘れもしない数年前の3月27日のことでした。

翌日の3月28日が、東光寺さんで年に一度のお不動さまのお祭りを行われる日だということでした。

いつもはお不動さまをお薬師さまの脇にお祀りしていらっしゃるのですが、その日は翌日のお祭りのためにお不動さまをお薬師さまの前に出されていました。

もう手で触れることもできますような距離です。

その時はたまたま私たちの友人を連れて湯峰に行っておりましたので、東光寺さんを拝観させていただきましょうと、中に入らせていただいたのです。

ご住職さまが、お薬師さまとお不動さまのご説明をしてくださいました。

 

東光寺さんは天台宗のお寺さんです。

ですがこのお不動さまは、真言宗の東寺さんの仏師であられた方が作られたとのことでした。

長いあいだ熊野本宮大社さんのほうに祀られていらしたそうですが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・日本では神様と佛様を別々にお祀りしようとしたこと)の運動などにより、今では東光寺さんに祀られておいでです。

熊野は過去に大雨により川が氾濫し、熊野本宮大社さんもその洪水により流されたこともございますので、お不動さまの詳しい資料なども消失してしまったそうです。

 

お不動さまの経緯がどのようなものでありましても、直接お会いさせていただきまして、その凄さに驚きました。

まず、何と申しましても、超!美形!!

めちゃくちゃ美男子でした。

普通お不動さまは憤怒の相(ふんぬのそう)と申しまして、怖く怒ったお顔をなさっています。

それが、まあ、確かにお顔もお身体も普通のお不動さまのように青黒いのですが、怒ってらっしゃるかどうかなど気にもならないくらい凛々しいお顔です。

ちょっと見惚れてしまいます。

 

そして何より、そのお不動さまから来るエネルギーの凄いこと凄いこと。

まるで心臓が鼓動を打つように、ドクンドクンという脈打つようなエネルギーの波がお不動さまから来るのが分かりました。

ちょっと横に立っていますと、鳥肌が立つくらい。

「ええーっ、どうして今までこの凄さに気づかなかったの!?」

と、気づかなかった自分が情けなくなるほどのエネルギーでした。

あるいは、翌日がお祭りの日でしたので、お不動さまもとてもお喜びだったのかも知れません。

「明日は私が主役だー!」って。

 

神様や佛様から感じますエネルギー(と呼ぶのが適切かどうかは分かりませんが)にも色々な感じ方がございましたが、湯峰のお不動さまのように生きていらっしゃるかのような脈打つような、ある意味生々しいタイプは初めてでした。

やはり如来様や菩薩様よりは人間に近い明王様の部に属されているせいでしょうか。

 

いずれにしましても、またまた惚れっぽいワタクシは内心ひそかに恋に落ちたのでした♥

翌日のお不動さまのお祭りには心から参加させていただきたかったのですが、どうしても予定があり、参加できませんでした。

それだけが心残りです。

お祭りで嬉しそうになさるお不動さまを見たいなーと、あの日以来、3月28日が休日で湯峰に行けはしないかとカレンダーを見るのですが、なかなかその幸運には巡り合えていません。

 

*****

 

湯峰温泉に通い出しましてから14年がたち、宇賀神先生はよみがえられました。

お身体のご病気からも、お心のご病気からも、そして人生の窮地からも。

今は糖尿病の数値も正常値で安定し、失いました片目は戻ることはありませんが、もう片方の目は助かりました。

残ったほうの目の視力は眼鏡をかけましても14年前には0.4でしたが、今は視力までも回復し、0.7です。

調子のいい時は0.8まで上がっていました。

宇賀神先生も私も、湯峰の温泉の力と、湯胸薬師さまとお不動さまのお力とを、信じています。

お蔭様をいただきまして、先生は復活なさいました。

ですので今でも日を見つけましては、私たちは湯峰温泉に通っております。

 

先日“その2”でご登場いただきました、宇賀神先生のことを「この人は小栗判官」とおっしゃった湯峰温泉の番台のおじさんは、今ではもう職を退かれましたが、ご近所にお住まいですので毎日温泉に入りに来られているそうです。

ありがたいことに今でもお会いしますと、

「おっ!おかえり!」

と、お声をかけてくださいます。

感謝、感謝です。

 

合掌

 

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その3

さて、今日は湯峰温泉におわします、湯胸薬師さまとお不動さまにつきましてご紹介したいと思います。

お二方(?)は、湯峰温泉にございます東光寺(とうこうじ)さんに祀られています。

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東光寺さん

 

ここは「湯峰温泉」という名前ですが、その元になりましたのが、ある岩の真ん中の穴から温泉のお湯が出てきているのが発見されまして、その岩がちょうど「佛さま(お薬師さま)の胸の辺りに穴が開いている」というように見られたそうです。

佛さま(お薬師さま)の胸から湯が出ている

湯胸(ゆのむね)薬師

ゆのみね

湯峰温泉(ゆのみねおんせん)

 

というように、音が段々と転じまして、今の湯峰温泉の名前になりましたとか。

いずれにしましてもこの湯峰温泉、平安時代の貴族たちが列をなして熊野詣(くまのもうで)をなさる際に湯垢離をしに来られたとお伝えしましたが、その歴史は1200年どころか、1800年前には発見されたそうです。

那智(なち)のほうには、1800年ほど前に、インドから来ました裸形仙人(らぎょうせんにん)が湯峰に庵を結んで温泉につかり、お修行なさったという記録が残っているそうです。

ちょっとホントかなぁ、というほどの古さですが、確かに温泉は効果が高く、お薬師さまのご威徳も素晴らしいものがあります。

 

現代でも熊野修験の山伏さんたちが、必ずこの湯胸薬師さまと上の湯峰王子にお参りなさるそうです。

今回湯治に行っております間にも、山伏さんが装束を着られてホラ貝を吹き、お薬師さまにお参りなさって山に入って行かれるところに遭遇しました。

 

宇賀神先生も通われるたびにお薬師さまとお話させていただいておりますし、私も何度かそのお心に触れ、涙が出ることもございました。

東光寺さんのご住職さまともお話させていただいておりますが、ご住職さまがおっしゃるには、宇賀神先生のように全国で「神様業」をなさっているような、いわゆる教祖さま?がここに来られて、ご住職さまのご祈祷を受けられるそうです。

ご住職さまは、

「私は何というか、その、霊感みたいなものは無いのですが、全国の教祖さんたちは何か佛さまを感じられるみたいですねぇ。」

と、おっしゃいます。

東光寺さんは檀家さまのない、うちと同じくご祈祷をもっぱらとなさるお寺さんだそうです。

 

このようなことを申しまして失礼にあたらなければと願うのですが、ご住職さま自ら「霊感がない」とおっしゃっているにも関わらず、ご祈祷だけで運営できてしまうほどの佛さまのお力(ご利益)って、ある意味すごいことですよね。

宇賀神先生のお仕事であるご祈祷は、佛さまにお願いもするのですが、先生ご自身や先生の周りの守護霊団も自ら動かれて、その成就を得ています。

それに対して東光寺さんは、本当に「佛さま頼り」。

もちろんご住職さまが佛さまにお話を聞いていただけるお方だからこそ、叶うのですが。

私にとりましては、どちらも凄いことです。

 

この湯胸薬師さまは、東光寺さんに拝観料(たしか1人500円)をお支払いしますと、お堂の中に入って見せていただけます。

ご住職さまが少しご説明もしてくださったように記憶しています。

もし湯峰に行かれることがございましたら、是非一度お会いなさってみてはいかがでしょうか。

「ただの岩やん」と思われますのも、

「なんとありがたい佛さま」と思われますのも、

お心一つでございます。

 

明日は湯胸薬師さまのお隣に祀られていらっしゃいます、お不動さまをご紹介したいと思います。

こちらのお方が、また何とも素晴らしく・・・。

 

合掌

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その2

今から14年ほど前、宇賀神先生と私が本格的に湯峰温泉に通いだしましたときは、実は宇賀神先生は胃潰瘍で入院しました直後くらいで、糖尿病により片目の視力を失い、さらにもう片方も失いかけてもいて、そしてひどいうつ病状態のときでした。

そのとき先生は、病院で診断を受けたわけではありませんが(先生はあまり病院に行こうとなさいません)、明らかに人格(考え方)まで後ろ向きに変わってしまいましたほど、うつ状態でした。

人生を建設的に前に進めようとする気力もほどんど失われていました。

あまり思い出したくもありませんが、その当時は宇賀神先生がこのまま社会的廃人になってしまうのではと私が怖れてしまいますほど、先生の実情はひどい様子でした。

幸いなことにお加持のお仕事だけは何とか懸命になさっていましたが、長いお付き合いの何人かの方達は先生のご不調に少なからず気づかれていたようです。

先生は顔つきまで変わっているほどでした。

 

宇賀神先生が常々おっしゃっていましたのは、「自分は“氣・一元論者”だ」ということです。

今までの人生を、「氣」の強さだけで切り開いてきた、と。

まだこの仕事を始めます前に、ご自身で氣を取りそれを錬りながらお修行しておりましたとき、お不動さんに初めてお声を掛けていただきました。

「そこから先へ行こうと思うなら、密教のことも学ばないとな」

とおっしゃられ、宇賀神先生は密教の世界にも進まれました。

ですが、やはり先生のお力の原動力は氣でありますことには変わりはなく、今ももちろん温泉や氣のいい場所に行きましては、瞑想して、氣を取り込みます。

 

ですので、宇賀神先生が大変な窮地に立たれたました14年前のそのとき、私は宇賀神先生に温泉に通おう、と言いました。

いい温泉地で氣を取り高めるしか、先生のお身体とお心と社会的人生の回復はあり得ないと思ったからです。

 

ですが私が温泉に行こうと進めましても、先生には自ら行く気力がなく、

「先生は氣さえ取って元気になれたら、人生は何とでも開けるから!」

と、私が半ば強引に連れて行く、という感じでした。

 

ただ、そんな折に宇賀神先生がある記事で、阪神大震災によりご家族を亡くされてうつ病になられた方が湯峰温泉に通われて回復なさった、ということを知られました。

もしかしたら自分のうつも治るかもしれない、と、先生は湯峰温泉に希望を持たれました。

 

うつの状態って、大変なものですね。

自分でもこのままでは苦しいという思いを抱えていますのに、その窮地から脱しようという気力がどうしても持てないのです。

普通の元気さを持っているときでしたら少しの努力で這い上がることのできる穴の底に、自ら甘んじてうずくまってしまうような、そんな感じでした。

それが病気というものでしょうか。

宇賀神先生ほどの強い“生き力”をもっておられる方が、こんなにまで肩を落とされるものなのかしらと、不思議でした。

 

湯峰温泉に通うようになりましたとき、温泉の番台のおじさんが私たちを一目ご覧になるなり、

「この人は小栗判官、あんた照手姫や。」

とおっしゃいました。

心底びっくりしました。

彼にはどうして宇賀神先生が病んでいて、私が半ば無理やり(大八車ではなく当時のパジェロを運転して)先生を連れてきているなんて分かられたのでしょうか。

それ以来、私は彼のことを心の中でひそかに“湯峰の主”と呼んでいます。

 

正直に申し上げますと、宇賀神先生からまったく“うつの顔”が消えますのには、6年ほどもかかりました。

その間は湯峰温泉に本当に足しげく通いました。

もちろん他の全国の氣の強い温泉でも氣を取り、日本各地の神様や佛様の励ましもいただいて、長い時間がかかりましたが、先生はもとの力強さを取り戻されました。

まさに伝説の中で小栗判官がここ湯峰でよみがえられたように、先生もよみがえられたのです。

 

ちょっとだけ自慢してもいいでしょうか。

私の父が、宇賀神先生が元気になられてから後に、母やお友達グループの方達とともに湯峰温泉を訪れましたときに、歌を詠んでくれました。

 

「隻眼の 夫を連れて 湯峰に 通う我が子は 照手姫に似て」

 

なんて親バカな歌でしょうと照れつつも、本当は涙が出るほど嬉しかったです。

ありがたきは親の愛、ですね。

 

さて、当の宇賀神先生は、今なんて“喉元過ぎれば熱さを忘れる”のことわざそのままに、

「え、ボクはうつになってたっけ?それってウツ(いつ)のこと?」

なーんて憎たらしい冗談をさも嬉しそうにおっしゃっています。

人にさんざん心配かけといて、ね。( ̄∇ ̄)

ま、元気になってくれましたので、もうそれだけで充分ですけれどね。

 

明日は引き続き、湯峰温泉のお薬師さまとお不動さまをご紹介したいと思います。

さすが歴史ある温泉地の佛様です。

素晴らしい方々です。

 

合掌