気功師デビュー秘話 その1

宇賀神先生が初めて「氣」というものを使い、ご自身を治し、さらに思いがけず人様まで治してしまったときのお話をいたしましょう。

これは先生が高野山で阿闍梨になられる遥か以前のお話です。

これがまた、マンガみたいな、本当のお話。

 

今から39年ほど前、当時の宇賀神先生は30歳、まだ会社勤めをなさっていて、空手の師範やボディビルもなさっていて、筋骨隆々の若さ溢れるお身体でした。

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ボディビル時代の宇賀神先生

(後列の真ん中が宇賀神先生です。)

 

ところが当時のお仕事は重たいお砂糖を運ぶ重労働。

しかも力があるのをいいことに、30kgを3袋、計90kgものお砂糖を一度に運ぶようなお仕事をなさっていました。

そんな無茶なお身体の使い方をしていたものですから、当然支障をきたし、ある日突然ひどい腰痛に見舞われて、立つことすらつらい状態になってしまいました。

 

そして整形外科や鍼灸師さん、接骨院など、何軒ものところに行きましたが、その腰痛は一向によくなりませんでした。

果ては拝み屋さん(今の先生のように、神様や佛様に拝んで病気平癒を祈る人ですね。東北にはその文化が色濃く残っているようです。)まで行かれたそうです。

ですが、何の変化も起きません。

絶望の淵に立たれた宇賀神先生、自分はこのまま一生立つのも困難な身体でいるのかと、嘆き悲しまれました。

 

宇賀神先生はどうすることもできず、痛みに苦しみながら家で寝ておられました。

 

ふと目を覚ましますと、誰かが宇賀神先生の頭を後ろから押さえています。

それだけでなく、背中も誰かに押さえられていました。

あれっと思って目を見開きますと、なんと布団に寝ている自分自身が見えるではありませんか。

先生は宙に浮いて、天井と壁に頭と背中を押し付けるようにしていたのです。

そして、眼下にもう一人の自分を見下ろしていました。

そのもう一人の自分が布団の上に寝ころんだまま、足をバタンバタンと大きく動かして身体をひねり、奇妙な動き方をしていたそうです。

 

自分自身は天井付近に浮いたまま、下に降りることも叶わず、もう一人の自分は寝たまま天井側の自分自身に気づず、変な動き方をしている。

もしかしたらこのまま死ぬのかも。

と、宇賀神先生は急に怖くなりました。

その途端、先生の意識は布団の中の寝ている自分に戻りました。

 

驚いたことに、起き上がりますと、寝る前までひどく自分を苦しめていた腰痛が消えていました。

 

さっきの眼下の自分がしていた動きで腰痛が治ったのか。

天井に浮かんでいた自分は、世に言う幽体離脱(ゆうたいりだつ)をしていたのか。

と、宇賀神先生は、その不思議を解明したい気持ちでいっぱいになりました。

 

小学5年生のときに日本ターザンに出会い、「氣」というもののすごさを知り、それを自分なりに追求して高めてきてはいたものの、具体的に氣を人生上に活かす手段も知り得ないままこの時まできました。

(詳しくは“「氣」という概念 – Qi Power あるいは日本ターザンとの出会い その1その2

幽体離脱しましたことと、氣を操ることと、どんなふうに関係があるのでしょうか。

あの身体の動きと、人生を絶望してしまうほどの腰痛が治りましたことと、どんな関係があるのでしょうか。

具体的なことは何も分かりませんでしたが、自分なりに氣に関して追い求めてきましたことと、その日の出来事とは関連があるような気がしてなりませんでした。

そしてますます、氣というものに心ひかれました。

 

(その2につづく)

 

合掌

 

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ありがとうございます♥

本当の奇跡

今月は宇賀神先生のお誕生月です。

私の両親がいつも弟家族も含めまして、それぞれのお誕生月に皆で集まってお祝いしようと食事会を開催してくれます。

ですので、昨日の日曜日には、先生のためのお祝いの会を開いてくれました。

メインディッシュは先生も大好きなトンカツ( ̄∇ ̄)♥

バースデーケーキも用意して、皆で楽しく夕飯をいただきました。

 

私には3人の姪と甥がいるのですが、それぞれ中学1年、小学2年、保育園年中さん、でしたか、もうとってもパワフルな大阪っ子です。

3人にとりましては宇賀神先生は「おじ」にあたるのですが、なにしろ弟の年齢より私の父の年齢に近い先生です、なんとなーく「おじちゃん」と呼びにくいのか、

「宇賀神さん」とか、1番下の子は「うがじんちぇんちぇー」と呼んでくれます。

その1番下の子が描いてくれた、宇賀神先生の似顔絵がこちら。

 

portrait
まぁちゃんが描いてくれた宇賀神先生の似顔絵

 

とってもとっても幸せそうな似顔絵です。

これはもちろん姪っ子の心の中が幸せに溢れているため、こんなに幸せそうな絵が描けるのですね。

それと同時に、宇賀神先生もとてもにこやかに優しく姪や甥に接してくださっていますので、それが姪の目にはこんな風に映るのでしょうかと、嬉しくもあります。

 

毎年お誕生日をお祝いしていただくたびに宇賀神先生がおっしゃるのですが、先生は小さい頃、一度もお誕生日のお祝いをご両親からしていただいたことがないそうです。

じつは先生の幼少時代は、何の屈託もなくお幸せなお暮しだったとは、言えないようです。

もちろん戦後まもない時代でもありますので、日本全国のほとんどの方達が貧しい暮らしをなさっていました。

先生はさらに、ご両親の愛情にも、お腹いっぱいに満たされていたとは言えないような幼少時代でした。

 

ご両親が離婚なさり、その都合で宇賀神先生は2年ほど栃木県の孤児院に入れられていたそうです。

その孤児院が天台宗のお寺さんが経営なさっている孤児院で、毎朝ご本尊のお薬師さまを前にお勤め(お経をよむこと)があり、それが先生と佛さまの最初の出会いになるのですが。

そのお話もまたいずれ。

とにかく「お誕生日おめでとう」と言ってもらった記憶が、あまりないそうです。

 

ですので、3人の姪と甥が大声を張り上げて、なかば叫ぶように?元気いっぱいにハッピーバースデーの歌をうたってくれるのには、先生は時に眼頭が熱くなられるようです。

「ハッピーバースデー・ディア やっちゃーん/宇賀神さーん/うがじんちぇんちぇー♥」とそれぞれが声を大きくして音程すらバラバラに?歌ってくれるのが、最高に幸せなようです。

昨日も私の実家でのお誕生日会からの帰り道に、宇賀神先生が

「こんなにもいい家族を与えてくれてありがとう。」

と、おっしゃってくださいました。

 

宇賀神先生はお仕事で、様々な奇跡と呼ばれることを起こされてきました。

例えばガンを消してしまったり、難病の方を社会復帰なさるまで回復させられたり。

私自身もこの目で何度もその事例を見ています。

ですが、本当の奇跡とは、不幸とも呼べる幼少時代を過ごしながらも、今現在こんなにも心優しい宇賀神先生でいてくださることではないかと思っています。

まあ、多少ひねくれているとも申せますが!?そのお心の中はとっても優しくキュートなお人なのです♥

この世に生まれてきてくれてありがとう。

優しい宇賀神先生でいてくれてありがとう。

いつも楽しそうにニコニコと笑っていてくれてありがとう。

お仕事に励んで、たくさんの人の助けになってくれてありがとう。

神様佛様に好かれるような人でいてくれてありがとう。

私は心から、この奇跡に感謝しています。

 

ちなみに、昨日一番楽しかったのは、クライマックスでケーキのローソクを吹き消したあと、

「あーっ!お誕生日のお願いごとするの忘れたー!!」

と宇賀神先生が叫ばれたこと。

もう遅いよーん。

やっぱり、きっと忘れると思って、私がちゃっかり代わりに心の中でお願いごとをしておきました!

「みんなもっともっと幸せになりますように♥」ってね v( ̄∇ ̄)v

お願いごとドロボウ、大成功でした!

 

合掌

湯峰の美味しいおススメ

今日はまたちょっと湯峰に戻りまして、少し美味しいもののお話を♥

せっかくですから湯峰温泉に行かれましたら、お湯につかり外からの氣をいただき、それと同時に温泉コーヒーでお腹のなかからも氣をいただきましょう!

 

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湯胸茶屋

 

ここは東光寺さんが経営なさっている、お寺さんのすぐ裏手にあります「湯胸茶屋」さんです。

パッと見は、まるで時代劇から抜け出たような外観ですね。

東光寺さんのお家に湧いている温泉水を使って淹れてらっしゃる「温泉コーヒー」は、私にとりましては絶対に外せないアイテムです。

 

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湯胸茶屋で温泉コーヒー

 

 

宇賀神先生が大好きなのはここのきつねうどん!

おあげさんが大きくて美味しいのです♥

 

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湯胸茶屋できつねうどん

 

なんだか宇賀神先生の食べてらっしゃる写真が多いこのブログ。

まあ、先生の嬉しそうなお顔への愛ゆえ♥と、お許し下さいませ( ̄∇ ̄)

(ちなみに温泉水でつきました杵つき餅も、先生は大好きです。)

 

また、こちらの湯胸茶屋さんでも買えますが、生卵を買いまして、温泉がポコポコと湧いて出てきています「湯筒」でゆでますと、しっとりと美味しい温泉卵のできあがりです!

(スーパーで生卵を買って持って来られる場合は、湯筒につけておくためのネットと紐が必要です。アツアツを召しあがるならお塩も!)

私たちと同じようにキャンピングカーで来ていらっしゃる方達、あるいは普通の軽自動車の中を独自に改装なさってキャンピングカーにしていらっしゃる、私たちが「達人!」と尊敬する方達は、ご自身で色々な食材をお持ちになってこの湯筒でゆがいてらっしゃいます。

それこそ、さつま芋とか山菜とか、冬にはカニや栗をゆでる方も!

(写真・階段下)

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湯峰の湯筒

 

本当は湯峰温泉の駐車場には「キャンプ・炊飯禁止」と書かれていますが、湯峰の方達はおおらかにキャンピングカーの私たちを泊めさせてくださっています。

車中泊の私たちもなるべくご迷惑をおかけしないよう、マナーには気をつけています。

 

湯峰の霊験あらたかなお薬師さまとお不動さまと、すぐ近くにございます、全国の熊野神社の総本社であります熊野本宮大社さん。

くすり湯の1日券で1日に何度も温泉につかり湯治をして、コーヒーや温泉卵でお腹の中からも氣をいただいて、湯峰は極楽のようなところです。

皆様も是非一度、訪れてみてくださいませ♥

 

合掌

湯峰温泉の近くの熊野本宮大社さんも、並々ならぬ神様です。

せっかく湯峰に行かれました際は、是非とも熊野本宮大社さんまで足を伸ばしてみてください。

こちらの神様も、素晴らしいお力をお持ちです。

 

宇賀神先生は実は素戔嗚尊(すさのおのみこと)さまが大好きです。

素戔嗚尊さまは、お若い頃は特に?やんちゃ(乱暴)で武勇に優れた(荒々しい)神様です。

日本神話の中のそんな武勇伝の数々が先生も共感なさるところがおありなのか、先生は素戔嗚尊さまが好きなのですって。

熊野本宮大社さんの主祭神は、素戔嗚尊さまです。

 

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熊野本宮大社

 

これもまた数年前の話なのですが、湯峰に行きました際に、いつものように熊野さんまで足を伸ばしました。

その時はちょうど、本殿の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根のふき替え工事が行われていました。

1枚分3000円をお支払いしますと、檜皮(ひわだ・ヒノキの樹皮)を1枚いただくことができ、そこに名前と祈願文を書きこみますと、それがなんと本殿の屋根に使われるとのことでした。

しかもちょうどその時の檜皮は、4つございます神殿のうち、素戔嗚尊さまの神殿の屋根に使われるとのことでした。

たしか何年間でしたか・・・忘れてしまいましたが、少なくとも私たちの寿命より長く、次のふき替え工事まで素戔嗚尊さまの屋根の上に置いていただけるのです。

 

もちろん、素戔嗚尊さまファンの宇賀神先生にお名前を書いていただこうと、1枚分お支払いしました。

“お参りの極意”の回でお伝えしましたように、檜皮に祈願文を書くと申しましても、私たちは「家内安全」や「商売繁盛」などのお願いごとは書きません。

神様に感謝申し上げるための四字熟語はあるのですかとお尋ねしましたら、

「神恩感謝」(しんおんかんしゃ)

ですと教えていただきました。

なんとも素敵な言葉があるのですねぇ。

宇賀神先生は、ご自身のお名前「宇賀神 龍仙」と、「神恩感謝」とを檜皮に書かれました。

 

すると、檜皮を購入しますと、購入のための申し込み用紙を1枚あてがわれまして、そこに

「神様へのメッセージを書いて下さい。」

という欄がありました。

せっかくですから、私はここに一言書かせていただきましょうと、ペンを取りました。

 

もちろん神様に申し上げることは感謝の言葉なのですが、何かひとひねり?欲しいかな、と、ある一言をつけ足しました。

そしてペンを置いて横で宇賀神先生が書き終わられるのを見ていますと、何だか急に足の底からざわざわと鳥肌のようなものがたってきまして、それが全身をのぼっていき、やがて頭のてっぺんまで覆ってしまいました。

すっごーーーく、気持ちがいいのです。

別に寒くもなく、風が吹いたわけでもありませんのに、文字通り全身を鳥肌に覆われまして、私はその場を動けませんでした。

 

すると宇賀神先生が、

「すごいものを見た・・・。」

と、おっしゃいました。

 

なんと素戔嗚尊さまの凛々しく巨大なお顔が私の斜め上に現れて、神様の「息」をふぅーっと私に向って吹きかけられていたと、宇賀神先生はおっしゃるのです。

そんな光景は生まれて初めて見た、とおっしゃいました。

「生きる」という字と「息」が同じ音で通じるものがありますように、神様に息を吹きかけていただきますことは、それはそれは有り難い祝福なのだそうです。

「息吹長世の術」(いぶきながよのじゅつ)と申します、日本古来の治療法?に通ずるものでもあるそうです。

 

と同時に、すごくヤキモチを焼かれました。

「わしでさえ、してもらったことないのにー!(しかも宇賀神先生の方が素戔嗚尊さまのファンでしたのに!)」と。

私は、

「やっぱり3000円は綾野ちゃんのお財布からお支払いしたからね?」

「あ、でも家計費を稼いでくださっているのは先生なのにねぇ?」

などとニンマリしながら先生をからかっていました。

 

一体私の何をお気に召してくださり、そのようなことをしていただけましたのか。

その時は本当に言葉も出ず、一歩も動けないような気持ちのよさでした。

その感覚はどなたにも証明することはできませんが、ですが私が宇賀神先生に一言も「いま全身鳥肌に覆われている」なんて言わない(言えない)うちに先生が「すごいものを見た」とおっしゃいましたので、何らかの符合がございましたのは確かです。

あんな風な気持ちの良い感覚は後にも先にもその時だけですので、どなたに証明することができなくても、私の一生の宝物です。

 

日本全国の神様佛様にご縁がある度にお参りさせていただいておりますが、宇賀神先生にとりましても、あのようにはっきりと眼前に神様のお顔が出ていらしたのは、あまり例がないようです。

やはり全国の熊野神社の総本宮にあたられる熊野本宮大社さんです。

そのお力は、並々ならぬもののようです。

 

さて、綾野さん、素戔嗚尊さまにそんないいことをしていただいて、また惚れちゃったのですかって?

ト―ゼンでございますわよっ♥(^∇^)♥

 

合掌

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その4

今日はいよいよ、湯峰のお不動さまについて。

実は私たちも長いあいだ湯峰温泉に通いながら、そして東光寺さんに必ずお参りもしておきながら、湯胸薬師さまの横にいらっしゃるお不動さまには気づかずにおりました。

普通にお参りさせていただく位置からは、少し見えにくいのです。(いいわけですね!)

 

あれは忘れもしない数年前の3月27日のことでした。

翌日の3月28日が、東光寺さんで年に一度のお不動さまのお祭りを行われる日だということでした。

いつもはお不動さまをお薬師さまの脇にお祀りしていらっしゃるのですが、その日は翌日のお祭りのためにお不動さまをお薬師さまの前に出されていました。

もう手で触れることもできますような距離です。

その時はたまたま私たちの友人を連れて湯峰に行っておりましたので、東光寺さんを拝観させていただきましょうと、中に入らせていただいたのです。

ご住職さまが、お薬師さまとお不動さまのご説明をしてくださいました。

 

東光寺さんは天台宗のお寺さんです。

ですがこのお不動さまは、真言宗の東寺さんの仏師であられた方が作られたとのことでした。

長いあいだ熊野本宮大社さんのほうに祀られていらしたそうですが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・日本では神様と佛様を別々にお祀りしようとしたこと)の運動などにより、今では東光寺さんに祀られておいでです。

熊野は過去に大雨により川が氾濫し、熊野本宮大社さんもその洪水により流されたこともございますので、お不動さまの詳しい資料なども消失してしまったそうです。

 

お不動さまの経緯がどのようなものでありましても、直接お会いさせていただきまして、その凄さに驚きました。

まず、何と申しましても、超!美形!!

めちゃくちゃ美男子でした。

普通お不動さまは憤怒の相(ふんぬのそう)と申しまして、怖く怒ったお顔をなさっています。

それが、まあ、確かにお顔もお身体も普通のお不動さまのように青黒いのですが、怒ってらっしゃるかどうかなど気にもならないくらい凛々しいお顔です。

ちょっと見惚れてしまいます。

 

そして何より、そのお不動さまから来るエネルギーの凄いこと凄いこと。

まるで心臓が鼓動を打つように、ドクンドクンという脈打つようなエネルギーの波がお不動さまから来るのが分かりました。

ちょっと横に立っていますと、鳥肌が立つくらい。

「ええーっ、どうして今までこの凄さに気づかなかったの!?」

と、気づかなかった自分が情けなくなるほどのエネルギーでした。

あるいは、翌日がお祭りの日でしたので、お不動さまもとてもお喜びだったのかも知れません。

「明日は私が主役だー!」って。

 

神様や佛様から感じますエネルギー(と呼ぶのが適切かどうかは分かりませんが)にも色々な感じ方がございましたが、湯峰のお不動さまのように生きていらっしゃるかのような脈打つような、ある意味生々しいタイプは初めてでした。

やはり如来様や菩薩様よりは人間に近い明王様の部に属されているせいでしょうか。

 

いずれにしましても、またまた惚れっぽいワタクシは内心ひそかに恋に落ちたのでした♥

翌日のお不動さまのお祭りには心から参加させていただきたかったのですが、どうしても予定があり、参加できませんでした。

それだけが心残りです。

お祭りで嬉しそうになさるお不動さまを見たいなーと、あの日以来、3月28日が休日で湯峰に行けはしないかとカレンダーを見るのですが、なかなかその幸運には巡り合えていません。

 

*****

 

湯峰温泉に通い出しましてから14年がたち、宇賀神先生はよみがえられました。

お身体のご病気からも、お心のご病気からも、そして人生の窮地からも。

今は糖尿病の数値も正常値で安定し、失いました片目は戻ることはありませんが、もう片方の目は助かりました。

残ったほうの目の視力は眼鏡をかけましても14年前には0.4でしたが、今は視力までも回復し、0.7です。

調子のいい時は0.8まで上がっていました。

宇賀神先生も私も、湯峰の温泉の力と、湯胸薬師さまとお不動さまのお力とを、信じています。

お蔭様をいただきまして、先生は復活なさいました。

ですので今でも日を見つけましては、私たちは湯峰温泉に通っております。

 

先日“その2”でご登場いただきました、宇賀神先生のことを「この人は小栗判官」とおっしゃった湯峰温泉の番台のおじさんは、今ではもう職を退かれましたが、ご近所にお住まいですので毎日温泉に入りに来られているそうです。

ありがたいことに今でもお会いしますと、

「おっ!おかえり!」

と、お声をかけてくださいます。

感謝、感謝です。

 

合掌

 

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その3

さて、今日は湯峰温泉におわします、湯胸薬師さまとお不動さまにつきましてご紹介したいと思います。

お二方(?)は、湯峰温泉にございます東光寺(とうこうじ)さんに祀られています。

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東光寺さん

 

ここは「湯峰温泉」という名前ですが、その元になりましたのが、ある岩の真ん中の穴から温泉のお湯が出てきているのが発見されまして、その岩がちょうど「佛さま(お薬師さま)の胸の辺りに穴が開いている」というように見られたそうです。

佛さま(お薬師さま)の胸から湯が出ている

湯胸(ゆのむね)薬師

ゆのみね

湯峰温泉(ゆのみねおんせん)

 

というように、音が段々と転じまして、今の湯峰温泉の名前になりましたとか。

いずれにしましてもこの湯峰温泉、平安時代の貴族たちが列をなして熊野詣(くまのもうで)をなさる際に湯垢離をしに来られたとお伝えしましたが、その歴史は1200年どころか、1800年前には発見されたそうです。

那智(なち)のほうには、1800年ほど前に、インドから来ました裸形仙人(らぎょうせんにん)が湯峰に庵を結んで温泉につかり、お修行なさったという記録が残っているそうです。

ちょっとホントかなぁ、というほどの古さですが、確かに温泉は効果が高く、お薬師さまのご威徳も素晴らしいものがあります。

 

現代でも熊野修験の山伏さんたちが、必ずこの湯胸薬師さまと上の湯峰王子にお参りなさるそうです。

今回湯治に行っております間にも、山伏さんが装束を着られてホラ貝を吹き、お薬師さまにお参りなさって山に入って行かれるところに遭遇しました。

 

宇賀神先生も通われるたびにお薬師さまとお話させていただいておりますし、私も何度かそのお心に触れ、涙が出ることもございました。

東光寺さんのご住職さまともお話させていただいておりますが、ご住職さまがおっしゃるには、宇賀神先生のように全国で「神様業」をなさっているような、いわゆる教祖さま?がここに来られて、ご住職さまのご祈祷を受けられるそうです。

ご住職さまは、

「私は何というか、その、霊感みたいなものは無いのですが、全国の教祖さんたちは何か佛さまを感じられるみたいですねぇ。」

と、おっしゃいます。

東光寺さんは檀家さまのない、うちと同じくご祈祷をもっぱらとなさるお寺さんだそうです。

 

このようなことを申しまして失礼にあたらなければと願うのですが、ご住職さま自ら「霊感がない」とおっしゃっているにも関わらず、ご祈祷だけで運営できてしまうほどの佛さまのお力(ご利益)って、ある意味すごいことですよね。

宇賀神先生のお仕事であるご祈祷は、佛さまにお願いもするのですが、先生ご自身や先生の周りの守護霊団も自ら動かれて、その成就を得ています。

それに対して東光寺さんは、本当に「佛さま頼り」。

もちろんご住職さまが佛さまにお話を聞いていただけるお方だからこそ、叶うのですが。

私にとりましては、どちらも凄いことです。

 

この湯胸薬師さまは、東光寺さんに拝観料(たしか1人500円)をお支払いしますと、お堂の中に入って見せていただけます。

ご住職さまが少しご説明もしてくださったように記憶しています。

もし湯峰に行かれることがございましたら、是非一度お会いなさってみてはいかがでしょうか。

「ただの岩やん」と思われますのも、

「なんとありがたい佛さま」と思われますのも、

お心一つでございます。

 

明日は湯胸薬師さまのお隣に祀られていらっしゃいます、お不動さまをご紹介したいと思います。

こちらのお方が、また何とも素晴らしく・・・。

 

合掌

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その2

今から14年ほど前、宇賀神先生と私が本格的に湯峰温泉に通いだしましたときは、実は宇賀神先生は胃潰瘍で入院しました直後くらいで、糖尿病により片目の視力を失い、さらにもう片方も失いかけてもいて、そしてひどいうつ病状態のときでした。

そのとき先生は、病院で診断を受けたわけではありませんが(先生はあまり病院に行こうとなさいません)、明らかに人格(考え方)まで後ろ向きに変わってしまいましたほど、うつ状態でした。

人生を建設的に前に進めようとする気力もほどんど失われていました。

あまり思い出したくもありませんが、その当時は宇賀神先生がこのまま社会的廃人になってしまうのではと私が怖れてしまいますほど、先生の実情はひどい様子でした。

幸いなことにお加持のお仕事だけは何とか懸命になさっていましたが、長いお付き合いの何人かの方達は先生のご不調に少なからず気づかれていたようです。

先生は顔つきまで変わっているほどでした。

 

宇賀神先生が常々おっしゃっていましたのは、「自分は“氣・一元論者”だ」ということです。

今までの人生を、「氣」の強さだけで切り開いてきた、と。

まだこの仕事を始めます前に、ご自身で氣を取りそれを錬りながらお修行しておりましたとき、お不動さんに初めてお声を掛けていただきました。

「そこから先へ行こうと思うなら、密教のことも学ばないとな」

とおっしゃられ、宇賀神先生は密教の世界にも進まれました。

ですが、やはり先生のお力の原動力は氣でありますことには変わりはなく、今ももちろん温泉や氣のいい場所に行きましては、瞑想して、氣を取り込みます。

 

ですので、宇賀神先生が大変な窮地に立たれたました14年前のそのとき、私は宇賀神先生に温泉に通おう、と言いました。

いい温泉地で氣を取り高めるしか、先生のお身体とお心と社会的人生の回復はあり得ないと思ったからです。

 

ですが私が温泉に行こうと進めましても、先生には自ら行く気力がなく、

「先生は氣さえ取って元気になれたら、人生は何とでも開けるから!」

と、私が半ば強引に連れて行く、という感じでした。

 

ただ、そんな折に宇賀神先生がある記事で、阪神大震災によりご家族を亡くされてうつ病になられた方が湯峰温泉に通われて回復なさった、ということを知られました。

もしかしたら自分のうつも治るかもしれない、と、先生は湯峰温泉に希望を持たれました。

 

うつの状態って、大変なものですね。

自分でもこのままでは苦しいという思いを抱えていますのに、その窮地から脱しようという気力がどうしても持てないのです。

普通の元気さを持っているときでしたら少しの努力で這い上がることのできる穴の底に、自ら甘んじてうずくまってしまうような、そんな感じでした。

それが病気というものでしょうか。

宇賀神先生ほどの強い“生き力”をもっておられる方が、こんなにまで肩を落とされるものなのかしらと、不思議でした。

 

湯峰温泉に通うようになりましたとき、温泉の番台のおじさんが私たちを一目ご覧になるなり、

「この人は小栗判官、あんた照手姫や。」

とおっしゃいました。

心底びっくりしました。

彼にはどうして宇賀神先生が病んでいて、私が半ば無理やり(大八車ではなく当時のパジェロを運転して)先生を連れてきているなんて分かられたのでしょうか。

それ以来、私は彼のことを心の中でひそかに“湯峰の主”と呼んでいます。

 

正直に申し上げますと、宇賀神先生からまったく“うつの顔”が消えますのには、6年ほどもかかりました。

その間は湯峰温泉に本当に足しげく通いました。

もちろん他の全国の氣の強い温泉でも氣を取り、日本各地の神様や佛様の励ましもいただいて、長い時間がかかりましたが、先生はもとの力強さを取り戻されました。

まさに伝説の中で小栗判官がここ湯峰でよみがえられたように、先生もよみがえられたのです。

 

ちょっとだけ自慢してもいいでしょうか。

私の父が、宇賀神先生が元気になられてから後に、母やお友達グループの方達とともに湯峰温泉を訪れましたときに、歌を詠んでくれました。

 

「隻眼の 夫を連れて 湯峰に 通う我が子は 照手姫に似て」

 

なんて親バカな歌でしょうと照れつつも、本当は涙が出るほど嬉しかったです。

ありがたきは親の愛、ですね。

 

さて、当の宇賀神先生は、今なんて“喉元過ぎれば熱さを忘れる”のことわざそのままに、

「え、ボクはうつになってたっけ?それってウツ(いつ)のこと?」

なーんて憎たらしい冗談をさも嬉しそうにおっしゃっています。

人にさんざん心配かけといて、ね。( ̄∇ ̄)

ま、元気になってくれましたので、もうそれだけで充分ですけれどね。

 

明日は引き続き、湯峰温泉のお薬師さまとお不動さまをご紹介したいと思います。

さすが歴史ある温泉地の佛様です。

素晴らしい方々です。

 

合掌

湯峰温泉は“よみがえりの湯” その1

昨日まで和歌山県の湯峰(ゆのみね)温泉に行っておりました。

ここは宇賀神先生が惚れ込んで14年以上通い続けている温泉です。

本当は東北にはもっともっと強い氣に溢れた火山性の温泉があるのですが、関西には先生のお眼鏡にかなう温泉がなかなかありません。

もはや信仰と申し上げてもいいほど温泉や湯治の効果を信じていらっしゃる先生としましては、大阪に住まれていて唯一残念に思われている点です。

そんな中、ここ湯峰温泉だけは強い氣と申しますよりは、霊泉と呼ぶにふさわしい温泉で、宇賀神先生が通っておられます。

 

この湯峰温泉はとても小さな温泉街で、一本の道をはさんだ両側に何軒かの温泉旅館や民宿が建っています。

ですが歴史は古く、平安時代にはすでに貴族達が行列をなして熊野詣をするために、ここで湯垢離(ゆごり・温泉で俗世界のけがれを落とすこと)をしたそうです。

そして現代でも、熊野古道とともに世界文化遺産に登録されまして以来、海外からも観光客やバックパッカーの方達が訪れる有名な温泉地となりました。

湯峰温泉の中で一番有名ですのが、なんと申しましてもこの「つぼ湯」です。

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つぼ湯

 

これは貸し切り専用の公衆浴場で、小さな小屋が川面と同じ高さに建てられています。

その中に2人で入りますのが精一杯な程の小さな小さな、それこそ「壺」のような岩の湯舟が地面に掘られています。

温泉は湯舟の底から湧いてきます。

やはりとても人気があり、人の多い休日などは2時間待ちにもなります。

 

この湯峰温泉には小栗判官(おぐりはんがん)の「よみがえり伝説」が伝わっています。

小栗判官が毒殺されたのを哀れに思った閻魔大王が蘇らせてあげたものの、小栗判官は餓鬼(がき)の姿になってしまいます。

恋人の照手姫(てるてひめ)が彼を大八車に乗せ、遠い遠い道のりを引いて熊野まで連れて行き、湯峰温泉で49日のあいだ彼をつぼ湯に入らせました。

そして49日後、見事彼を人間の姿に戻しました。

今から600年ほど昔の話だそうです。

 

「よみがえり」とは、“蘇り”と書きますが、“黄泉がえり”とも書くのですとか。

小栗判官は黄泉の国から、照手姫の愛により、無事に帰ってくることがでしました。

 

ここ湯峰温泉は、宇賀神先生と私の感覚ですが、どこか黄泉の国につながっているとも申せますような、不思議な感覚のある温泉です。

霊泉と申しましたのは、そのためです。

どこか陰影があり、めちゃくちゃに明るい温泉地という訳ではありませんが、もちろん怖い暗さではありません。

他のところで、もう少し暗い場所も世の中には色々とございますが、それらのように「あんまり近づきたくないなー」というような感覚は、ここにはございません。

もちろん宇賀神先生も私も、湯峰温泉が大好きです。

ここの駐車場に着いて車のドアを開けましたとき、川のせせらぎの音と、温泉の匂いを感じます。

その瞬間、とても懐かしいような思いにとらわれ、

「ああ、帰ってきた。」

と、いつも思います。

 

そして実は小栗判官伝説よろしく、宇賀神先生もある意味また、この湯峰温泉で人生最大の危機からよみがえりました。

 

そのお話は、また明日に。

 

合掌

 

 

 

うやむやのうちに、なかったことに! その2

2014年のゴールデンウィークのことです。

ぴーちゃんがうちに来ます2か月ほど前、私は風邪をこじらせてしまい、咳喘息(せきぜんそく)という、お医者様いわく「喘息の亜系のようなもの」になってしまいました。

 

いつものようにゴールデンウィークは宇賀神先生と一緒に東北の方へ湯治に行き、温泉に入って氣を取るはずでした。

それが、出発直前になりまして私がひどい風邪を引いてしまい、とてもじゃないですが800kmほどもサンダース号(うちのキャンピングカーです)を運転するのが難しくなりました。

ですが、先生にはちゃんと湯治して氣を取っていただかないと、やはりお身体にさわります。

ですので、申し訳ないですが先に一人で飛行機で行っててもらって、風邪が治りましたら後から追いかけます、ということをお願いしました。

私にとりましては、宇賀神先生に温泉に行って氣を取っていただくことは最優先事項でした。

 

宇賀神先生が出発なさり、私は病院で風邪薬をいただいて家で寝ていましたが、なかなかよくなりませんでした。

そして2~3日後には、一晩中ひどい咳が出て、寝られないほどになりました。

翌日病院に行きますと、「咳喘息です」と伝えられました。

 

お医者様は、咳喘息は普通の喘息のように一生ものの病気ではありませんが、数か月あるいはもう少し続くと思ってくださいとご説明なさいました。

そしてステロイドの入った吸入型のお薬をくださいました。

お薬を服用しますと、ウソのように咳が楽になり、その夜はぐっすりと寝ることができました。

もちろん素晴らしい効き目のお薬にはとても感謝しましたが、と同時に、これほどまでによく効くステロイドは少し怖くもありました。

 

咳喘息になってしまい、身体もしんどかったですので、私は結局ゴールデンウィークはずっと家で寝ておりました。

宇賀神先生が帰ってきてくださるのが待ち遠しかったですね。

 

宇賀神先生が東北から帰ってこられ、それから毎日のように喘息もケアしてくださいました。

ご病気の方が、宇賀神先生の手から出る氣が気持ちいいですので、「先生の手だけ持って帰りたいです」とおっしゃってくださるお気持ちが、よーく分かりました。

 

お医者様は咳喘息を治すために、ステロイドの入った吸入型のお薬を、段階を経ながら少しずつ軽いお薬にして、回数も減らしていくような形で進めていきましょう、とおっしゃってくださいました。

2014年の4月28日にひとつ目のお薬をいただき、6月13日には少し軽いめの?二段階目のお薬をいただきました。

私はもちろん、宇賀神先生にお加持していただきながらも、ちゃんとお医者様のお薬も服用していました。

 

ところが、2つ目のお薬をいただいてすぐでしたか、本当にうっかりと、2泊3日の旅先に持っていきますのを忘れてしまったのです。

ゴールデンウィークに湯治に行けなかった私のために、宇賀神先生が温泉に連れていってくださいました。

「あーっ!お薬忘れたー!!」

と、宿につきましてから思いましたが、時すでに遅し。

まあ、宇賀神先生もいらっしゃるので大丈夫ね、と思って過ごしました。

 

そして、なんと、3日吸わなくても何ともなかったですので、家に帰りました後もそのままやめてしまいました。

 

誤解されませんように申し上げておきたいのですが、私は西洋医学を否定するつもりは毛頭ございません。

宇賀神先生も私自身も、大いにその恩恵を被っていると心から感謝しています。

ただ、西洋医学の得意な分野と、東洋医学の得意な分野と、宇賀神先生のお加持のような特殊な事例があるのだと思っています。

 

そして私の咳喘息のときは、本当にお薬を「うっかりと」忘れたのです。

それでも咳が出なかったですので、もういっか( ̄∇ ̄)!と思ってやめちゃいました。

 

咳喘息も何だかお医者様に定期的にみていただく特定の病気だとかで、お薬を(勝手に)やめました後も、もちろん真面目に病院に通いました。

正直にお医者様に「勝手にお薬やめちゃいましたが、大丈夫みたいです!」とお伝えし、苦笑されつつもしばらく経過観察していただいてました。

その翌月の「鳥を飼いだしました」とのご報告に、「咳喘息の人が動物を飼うことは、(病気が悪化する可能性がありますので)あまり感心しません」と心配してくださいましたが、咳もあまり出ずお薬もないままいられました。

そして数か月がたち、お医者様が心配なさった寒い時期が来ましてもひどくなることはありませんでしたので、晴れてお医者様から“無罪放免”を頂戴したのでした。

 

結局、うやむやのうちに、咳喘息もたった1か月ちょっとで宇賀神先生のお蔭で治ってしまいました、と私は思っています。

お医者様はお薬のお蔭です、とおっしゃるかも知れません。

敢えて争う必要もありませんので、どちらも感謝してその恩恵にあずかるつもりです。

 

ですが、咳喘息を治してくださる時の宇賀神先生の手・・・気持ち良かったなー・・・。

先生の場合は、ふわぁっと優しい氣が入ってくるのが分かります。

背中をさすってくださって、つらい呼吸が楽になっていき、それはそれは涙が出るほど優しい氣でした。

先生の手を持って帰りたいとおっしゃる方達のお気持ちが、身にしみてよく分かりました。

 

合掌

 

追伸:明日から3日間はサンダース号で温泉キャンプに行って参りますので、電源の確保が難しく、ブログ更新はお休みさせていただきます。

また月曜日からは宇賀神先生の大好きなその素晴らしい温泉のリポートをさせていただきます!

宇賀神先生はその温泉に惚れ込んで、通い出されてからもう14年になります。

お楽しみにー♥

うやむやのうちに、なかったことに! その1

宇賀神先生のお得意な?お加持効果の現れ方に、私が命名したのですが、「うやむやのうちに、なかったことに!」と申しますのがございます。

ダイエットの「その一口を無かったことに!」ではありませんが。

 

例えば検査で引っかかったりしまして、再検査までの間に、うやむやのうちに消してしまうのです。

「次の検査までに映った影を消してください!」というようなご依頼です。

“再検査で無罪放免”ということが、宇賀神先生のお加持ではよくあります。

(うちの母の2回目の肺癌のときもそうでした。)

 

今日はその一例の私のアトピーにつきまして。

 

以前に私はアトピー性皮膚炎を持っていますとお伝えしました。

小さい頃にアトピーになっていましたが、中学生の時にはとうに消えておりました。

ですので中学生の時に鳥を飼っていましても、何ともありませんでした。

ですが私が25歳前後の頃、実家で犬を飼うようになって以来、再発しました。

時を同じくして実家の増築もしましたので、私のアレルギー源の条件が揃ったのでしょうか。

私はハウスダストと動物上皮にアレルギーがあります。

今でも家で大片付けなど致しますと、目の周りはかゆくなり、喉と鼻の奥がヒリヒリと痛くなり、手の一部分もかゆくアトピー独特のゴワついたような感じになってきます。

 

ですので、宇賀神先生と結婚しましても、動物など飼うつもりはありませんでした。

それが縁あって来てしまったんですねー、鳥が。

うちに。

そう、昨日お話しました、ぴーちゃんです。

 

そのぴーちゃん、実はとっても可愛げのない鳥(多分ぴーちゃんの実情をご存じの方達は、ここでうんうんと大いに頷かれると思います)なのですが、私にとりましては目に入れても痛くないほど可愛いのです。

もはや自分の子供ですね。

 

そうそう、それとですね、話が少し逸れますが、うちには残念ながら子供がいません。

宇賀神先生はお仕事で、子供がなかなかできないとおっしゃる方達にお加持してこられました。

そして、今まで多くの方達が無事にお子様に恵まれていらっしゃいました。

ですがやはり自分のところのは、なかなかうまくいかないものですね?

私達は今世では子供に恵まれないご縁だったようです。

 

今はもう私の年齢も子供を(自然妊娠で奇跡的にできるということを除きまして)人工授精などで望むには高いと思っていますが、数年前までは私も子供が欲しい欲しいとずっと思っていました。

そんなある日うちにやって来ましたのが、当時はまだヒナ鳥のぴーちゃんです。

「神さま、惜しい!

ニアミスです!

鳥類でなく!!

哺乳類の二足歩行の、全身毛むくじゃらでない子供が欲しかったのですー!!!」

と申し上げたかどうかは別としまして。

その日以来、我が子のように大事に大事に育てています。

 

ですが当然、ぴーちゃんが来た当初は私のアトピーも少しひどくなりました。

どうしてもぴーちゃんのことは可愛く、身体も弱いぴーちゃんを手放すことは考えられません。

 

そこで我らが宇賀神先生のご登場です。

先生は毎日のようにアトピーのケアをしてくださいました。

そして、あれよあれよという間にと申しますよりは何だかうやむやのうちに?、ほとんどお薬を使うこともなく、いつのまにかアトピーはよくなっていました。

 

私の場合は、というただし書きをつけさせていただきますが、

宇賀神先生のお加持と、

肌にいい温泉、

自分で作った緑茶ローション、

乾燥予防のためのワセリン、

たまにオロナイン、

で、症状を抑えることができました。

 

今はもう、オロナインは使う必要もなく、一切のお薬を使っておりません。

ハンドクリーム代わりのオイル(しかも食用)くらいです。

私は肌が弱いのを自覚しておりますので、市販のハンドクリームどころか、市販の(お顔用の)化粧水さえ塗りません。

お化粧自体もここ15年以上、したことない・・・(T―T)

「さすが綾野さん、出家なさっただけあってオンナを捨てていますね?」なーんておっしゃらないでくださいネ。(ToT)

 

今でも大片付けをしました時など、一時的に手などがかゆくなることはあります。

ですが、そのままひどくなることは、ほぼありません。

 

さて、そんな風にアトピーと仲良くつきあいつつも大事に大事にしています、うちのぴーちゃん。

こーんなに山ほどの愛情を注いでいるつもりですのに、時に私を血が出るほどつっついたり、テレビの中の人に向かって威嚇したりと、愛されて育てられたとは到底思えない程のおバカっぷりです。

それでも、親(私)の育て方が悪かっただけで、ぴーちゃんはなぁんにも悪くないからねー( ̄∇ ̄)と、我ながら親バカ全開で今日も「ぴーちゃん大好き♥」なワタクシでした。

 

 

あっ・・・そうでした。

これを書きながら、今の今まで忘れておりました。

ぴーちゃんがうちに来ます2か月ほど前に、私はアトピーどころか、風邪をこじらせて咳喘息とやらにまでなってしまったのでした。(自分の病気を忘れるあたり、なんておマヌケなのでしょう!)

もちろん「動物を飼うことは感心しません」とは、お医者様のお言葉でした。

宇賀神先生には、ぴーちゃんがいながらも、私の咳喘息まで治してもらっていました。

明日は続きまして咳喘息のことをお伝えしたいと思います。

 

合掌