ごめん、前世を思い出しました。

今年の5月17日のブログで、「前世の因縁?忘れちゃったもーん!」というお話をいたしました。

ごめんなさい。

先に素直に謝ります。

実は宇賀神先生は、ご自身の前世を覚えてらっしゃいます。(私は前世を覚えておりません。それは事実です。)

 

ただ宇賀神先生は人様にたいして、前世などと申します不確かなことに心囚われて人生を生きてほしくないと思われ、あるいは自分自身は囚われるつもりはない、と常々おっしゃってますので、5月にはそのように書きました。

ところがつい最近、先生がひとつ前の前世だけでなく、もうひとつ前の前世まで思い出してしまわれました。

ですので、これはちょっと、皆さんにもお伝えした方がいいのかなと思いまして、こうして書くことにいたしました。

 

宇賀神先生は、ひとつ前の前世に関しましては、わりと明確に覚えてらっしゃいました。

勉強会でも何度もそのお話をお聞きしましたし、私との縁も、その時にあったようだとは(これは私だけ)お聞きしています。

ですが、さらにもうひとつ前の前世につきましては、本当につい先日、思い出されました。

 

例えばそのような前世に関することを思い出しますときや、神様佛様のお声をお聞きしますときなどは、ちょっと普通の意識状態とは違うようなことがあります。

もちろん宇賀神先生の場合は、見た目にも明らかな、いわゆる「トランス状態」などというわけではありません。

ただ、そのときにお話なさいましたことを、後になってあまり覚えてらっしゃらないことの方が多いのです。

先生はよく、

「変性意識に近い感じだからか、覚えてないんだよ。」

と、おっしゃいます。

 

ですので、神様や佛様にお聞きしたことなど、宇賀神先生がお話になりますと、私が覚える役目をします。

遥か昔(古代くらい?)で申しますところの、審神者(さにわ・神さまのご神託を受けている巫女の通訳をする人)といった役どころでしょうか。

神様とお話をしております巫女は変性意識下にありますので、理性を保っております審神者役の人が巫女と相談者との間に立ち、論理的に道筋を立てて解釈し、結論を導きだし、通訳したそうです。

 

さて、夜に寝かかっておりますお布団の中で、突然その前世の前世を思い出された宇賀神先生、横におります私にそのことを告げられましたが、翌朝にはすでに内容を忘れておられました。

「あのね、昨日言ったこと覚えてる?」

と、翌朝尋ねますと、

「ああ、なんか、そんなこと言ったけど、あんまり覚えてない。」

と、おっしゃいました。

別に寝ぼけてらしたわけではありませんよ、念のため。(^-^;)

 

宇賀神先生の面白いところは、

「どんな過去生やったか聞きたい?」

と私が尋ねましても、

「別に知らなくていい。」

と、おっしゃるのです。

 

なぜでしょうねぇ。

 

それを知ったからと言って、何かが変わるわけでもないから?

過去のことはどうにもならないから?

それとも、今世がややこしくなるから?

 

とにかく、「別に改めて思い出さなくてもいい」と先日以来、宇賀神先生は私にその内容を尋ねておられません。

ですので、私もあえて宇賀神先生にお伝えしていません。

私だけの秘密ですね、今のところ。

 

退行催眠までして前世をお知りになりたいと思われる方もいらっしゃいる世の中ですのに、ご自分で勝手に思い出しちゃった前世に強い関心を示さないなんて、私からしましたら、ちょっと変わったお考えですね。

いえ、勝手に思い出されること自体、変わってらっしゃいますけど。

 

まあ、ですが、このように、宇賀神先生はあんまり霊だの前世だのに心囚われないのです。

思い出しちゃった前世は仕方がないけど、それもただ目の前を通り過ぎる景色のように見られただけで、だからどうするとかは、あまりありません。

囚われない心。

それが大事ですね。

 

と、申しますことで、今日は

「前世なんか関係ないよ、って申しましたが、実は先生は2つも覚えていらっしゃいます、ごめんなさい。でもやっぱり、前世などに心囚われない方がいいですよ。」

というお話でした。

 

合掌

スキルス性のがんが消えた!

つい今しがた、とっても嬉しいニュースが入ってきました!

なんと、宇賀神先生がお加持なさった方のスキルス性胃がんが消えてしまったのですー!!!

これは宇賀神先生にとりましても、一大ニュースでした。

 

と、申しますのも、宇賀神先生は今まで何人もの方のがんを消してこられました。

もちろん必ずしも消えるケースばかりではありませんでしたが、それでもがんが消えた方は1人や2人ではありませんでした。

ところが、残念ながら、スキルス性のがんは難しかったのです。

これは、ものすごく怖い性質のガンで、以前何人かの方がスキルス性のがんを患って宇賀神先生のもとへ来られましたが、お救いできたことはありませんでした。

 

先生がおっしゃるには、

「以前にスキルス性がんで足のリンパがこーんなに腫れた人が来て、一度お加持したらその場でみるみるリンパの腫れが小さくなったんだよ。

良かったねー、って言って帰って、次の日その人が来たら、リンパの大きさがそっくりそのまま元の大きさに戻るどころか、2倍の大きさに膨れ上がっていたんだ。

同じがんでも、あれは特別な進行をするがんだね。

わしもまだどう克服していいか分からない。」

とのことでした。

 

ですが先月、胃がんとの診断を受けられた埼玉在住の女性が、宇賀神先生が月に一度行っておられます東京出張に合わせてお越しになり、先生がお加持なさいました。

そして、継続的な「遠隔の御祈願」も合わせてご依頼くださいました。

先生がお会いなさったときには、ただ胃がんですとの診断を受けられていたのですが、その後の検査でスキルス性と分かられたそうです。

スキルス性とお聞きして、正直なところ、先生も苦しい思いをなさりました。

難しいがんだからです。

 

ですが、宇賀神先生は日々進歩なさっています。

遠隔の御祈願をなさるとき、今までとは違う方法を色々考えられ、毎日その方の病気平癒を祈ってこられました。

そうしましたら、なんと今日、つい今しがた、その方から

「スキルス性がんが消えたと検査の結果言われました。」

とお電話がありました。

しかも、初め(スキルス性と分かります前)は胃の中にたくさんがんがあり、それを取り除くために胃をどれだけ切除しないといけないか、というお話でしたのに、今は小さいがんがいくつか残っているだけですので、内視鏡手術で対応できるとのことでした。

 

宇賀神先生は、大きく一歩前進なさいました。

 

目に見えるものではありませんので正確には分かりませんが、「氣」と申しますものは、やはり若いときには溢れるように力強く、年をとるにつれて衰えてまいります。

一年に春夏秋冬がございますように、人生にも春夏秋冬があり、生まれいづる春、盛りの夏、を過ぎますと、一般的に衰えを表します秋・冬となり、人生の終焉を迎えます。

お釈迦さまの説かれた「諸行無常(しょぎょうむじょう)」ですね。

 

ところが、宇賀神先生もご自身で認められますように、確かに氣のパワーそのものといたしましては、お若い頃のようにどんどん溢れるということはありません。

(先生も数えで70歳でいらっしゃいます。)

ですが、どうやら先生にとりましての「秋」は衰退の秋ではなく、「実りや熟成の秋」のようなのです。

今まで青々と繁っておりました葉が木から落ち、それが土の中で熟成し、やがて次へと続くための養分となりますように、先生の中で何かが静かに熟成してきているようなのです。

あるいは美味しい栗が実りましたか( ̄∇ ̄)v

 

ずっと昔、初めてお不動さんが宇賀神先生に話しかけてくださったとき、

「お前、氣を練ったり色々しているようだが、その先に行こうと思ったら、佛教(密教)のことも学ばないとな。」

とおっしゃいました。

どうやら宇賀神先生は、「氣」というパワーだけでは説明のつかない、「その先」へ来ていらっしゃるということでしょうか。

 

ああ、それにしましても、今日はなんというおめでたい日なのでしょう。

ご縁があり、宇賀神先生を頼ってきてくださった方のお力になれただけでなく、宇賀神先生の大きな「一歩前進」が目に見えた日です。

お祝いしないといけませんね?

 

神さま佛さま、そして宇賀神先生、皆さま、ありがとうございます!

お蔭様をもちまして、精進させていただいております。

これからも、ますます皆さまのお力になれますよう、励みます。

いつもお見守り下さり、ありがとうございます。

心より、御礼申し上げます。

 

 

うーん、今日はいい日だ!

 

いえ、ちょっと間違えました。

 

今日“も”いい日だ!!! \( ̄∇ ̄)/

 

合掌(ばんざい!)

呪術合戦 その4

宇賀神先生がフィリピンの呪術師に、呪い返し(封じ)のためにつけられた「氣」でできた網は、宇賀神先生が外されるまで、その呪術師の周りに存在します。

すると、彼はその後一切の呪術が(よい方も悪い方も)効かなくなり、呪術師としてのお仕事が成り立たなくなります。

もちろんそれだけでなく、健康だって害されるでしょう。

もし本当に、その呪術師がG氏を死ぬまで呪おうと思っていたのでしたら、そっくりそのまま、自分が死んでしまうまで呪い続けられたことになります。

もちろん呪術師が呪うことをやめれば、少なくとも健康を害するようなことはありません。

 

G氏の指の壊死のような症状はとまり、その後もG氏は元気に暮らしておられます。

そこから考えますと、この呪術合戦は宇賀神先生が勝たれたことになるのでしょうね。

(当然じゃないか、という先生のお声が聞こえてきそうです。)

 

ですが、なんとも後味の悪い話です。

G氏が助かりましたのは、もちろん何より良かったです。

彼は宇賀神先生の大事なお友達でもありますから。

そして、確かに(依頼されたと申しましても)人を呪い殺そうとすることは、とても良くないなぁとも思います。

そんな力があるのなら、もっといいことの方に使えばいいのに、と思います。

ですが、万が一、自分に呪いが返ってきていても「相手が死ぬまで続けよう」と思って続けたため、その呪術師が死んでしまっていたら?

そこまでしなかったかも知れませんが、宇賀神先生はその時以降、彼から氣の網を取り除いていないわけですから、少なくとも呪術師(蟲使い)としての職業が成り立たなくなって、ご飯を食べる手段を失ってしまい、路頭に迷うようなことになってしまっていたら?

その責任は誰にかかるのでしょう。

 

もちろん現実世界での責任問題の話ではありません。

現実の世界では、人を呪ったり、それを返したりすることで罪には問われません。

私は、宇賀神先生が将来天寿をまっとうなさり亡くなられて、佛さまの御前に行かれましたときに、

「お前は人を助けるためとは言え、人を殺したね?」

と、怒られないかを心配しているのです。

(「絶対、大丈夫!」って宇賀神先生はおっしゃるのですが。)

 

また、宇賀神先生みたいな人に呪い返しをされなくても、このフィリピンの呪術師に限らず、「人を呪わば穴二つ」と申しますのは、本当です。

ちょっと汚い言葉ですが、「天にツバする」は、まさに的を射た表現です。

誰かに意図的に呪い返しをされなくても、残念ながら、自分がした呪いはやがて自分自身にかえってきます。

道徳的な教えとしてではなく、現実問題として、人を呪ったりしますと、その分自分にも不幸が返ってくるのです。

他者への善なる祈りが自分に善のパワーとして返ってくるのと同様に、他者への悪い思いは、悪いパワーとして自分自身に返ってきます。

 

しかもその人の運勢の強いとき、例えば若く健康で、力や希望に溢れておりますときは、

「人盛りに神祟りなし」

と、申しますように、自分のした呪いが自分にハネ返ってくることは少ないです。

ですが、それは、呪った人の運勢が弱ってきたときに限って、返ってくるのです。

まさに「弱り目に祟り目」とはこのことです。

昔の人の色々なことわざが、あまりにも的確すぎて驚いてしまいます。

 

深江のお稲荷さんは以前、宇賀神先生にこのことを

「返り念(かえりねん)」

として教えてくださいました。

 

自分のしたことは、やがて自分に返ってくる。

だから、力のある者ほど、その力を悪いことに使ってはいけないのだ、と。

 

ハリウッド映画のスパイダーマンのセリフではありませんが、

「大いなる力は、大いなる責任がともなう」

のですね。

 

このことを知らず、自分の力の及ぶまま好き放題してしまいますことを、

「力に溺れる」

とか、

「術に溺れる」

と申します。

 

宇賀神先生がG氏の件などで呪術師に相対なさるとき、積極的に相手の方を呪うのではなく、相手のしたことをそのまま返す形で応戦なさるのは、そのためです。

 

たぶん、武術武道をなさっている方には、この感覚は想像しやすいのではないでしょうか。

ご自身が鍛錬なさり、武術の実力がつけばつくほど、安易に素人相手のケンカなどなさいませんよね。

相手の方にケガを負わせた責任が、重くのしかかってきますから。

 

宇賀神先生なんかは大変ですよ。

ちょっと、人に腹を立てたりなさいますと、自分の「力」が勝手に相手にダメージを与えようとしてしまいます。

無意識のうちにも。(実は意識してたりして?)

ですが、宇賀神先生の強い強い念の「返り念」を受けますのは、他でもない、宇賀神先生ご自身です。

しかもご自分の運勢が弱ったときに限って。

 

そんなの、いやですねぇ。

 

このG氏の件では、彼が助かり、本当によかったと思います。

時代劇の鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)の鬼平さんではありませんが、

「善にも強えェが悪にも強えェ。」

だなんて、宇賀神先生は、ちょっとカッコイイですね。

ですが、お若い頃はかなりのやんちゃでいらした先生です。

どうか先生は術に溺れず(ちょっとしたことに腹を立てず!)、そのお力をいいことにのみ使っていただきたいと願っております。

 

***

 

さてさて、今回の一連の呪術合戦は、20数年前のフィリピン人の蟲使いの方のお話でした。

それが、現代の日本でも、このようなことがあるだなんて、皆さんは信じられますか?

悲しいかな、あるのですねぇ、これが。

そして宇賀神先生は現時点でも、ご依頼を受けて、ある方をお守りしています。

まあ、ですが、宇賀神先生が霊視なさった相手の呪い方が、なんとも醜く、よくもそんなことができるなぁ、と驚きます。(美しい呪いがあるとも思えませんが。)

まだこれは現在進行形で続いておりますし、ちょっとダークなお話が4話も続きまして、少々疲れてしまいましたので、いずれまた折りを見ましてこのことはお話したいと思います。

明日以降はまた何か明るいお話をいたしましょうね。

気が重いお話に長々とおつき合いくださり、ありがとうございました。

 

合掌

 

呪術合戦 その3

使い魔の猫ちゃんたちにG氏の護衛を頼むことになさったとは言え、G氏が宇賀神先生のところへいらしている間、ずっと呪いの針が飛んできていました。

なんと彼は体調不良を理由に?仕事を休まれ、宇賀神先生のお家に何日も滞在なさっていたのです。

遥か彼方のフィリピンから飛んできます針をひとつひとつキャッチしましては、猫ちゃんたちが元の蟲使いめがけて投げ返してくれます。

猫ちゃんたちは、健気にも自らすすんで呪い返しをしてくれていましたが、あまりにも絶え間なく呪いの針が飛んできますので、宇賀神先生がちょっと策を講じました。

 

1本ずつ飛んできます針を猫ちゃんたちにキャッチさせ、手元に集めます。

そしてそれを数日かけてかなりの数にしましてから、一気にバサーッと向こうに返すのです。

針を1本ずつ返すのではなく、何千本という束にして返すような状態をつくったのです。

1本が刺さりましてもG氏が苦しむような針です。

それが何千本もの束で返ってきましては、その蟲使いもたまったものではなかったのでしょうねぇ。

それ以来、ピタリと針が飛んでこなくなったそうです。

 

G氏は東京にお住まいですので、一安心なさり、ご自宅に帰られました。

もちろん念のため宇賀神先生はしばらくの間、猫ちゃんたちを護衛として彼につけてあげました。

 

ところが、G氏が東京に帰られてしばらくしますと、再び痛みが襲いはじめました。

今度は、初めのとは違う種類の痛みです。

手の指が痛くなり、G氏がお医者様に行きますと、「壊死しかけている」と告げられました。

びっくりしたG氏は、東京にいらっしゃる宇賀神先生のお弟子さんのE先生のところへ行かれました。

 

E先生が「氣」でもってG氏の指の痛いところを切り裂きますと(もちろん、目に見えない氣のボディ=微細身《みさいしん》を切るのであって、現実の身体を切るわけではありません。)、そこから黒い煙のようなものがモワァッと出てたそうです。

これが新たな呪いの正体かと、お二人とも驚かれました。

そしてまた、G氏は宇賀神先生にご相談なさいました。

 

フィリピンの蟲使い(も呪術師の一種です)の事情にはG氏がお詳しいのですが、なんでも呪術師の組織のようなものもあり、例えばある蟲使いが呪いに失敗しますと、その方の師匠のところへ行き、加勢を頼むのですとか。

そうして今度は二人がかりで呪いを行うそうなのです。

もう20数年も前の話ですが、こんなシステムが今でもあったらイヤだなぁ、と思います。

 

G氏から再び助けを頼まれた宇賀神先生、今度はとうとう頭にきました。

「だいたい、人を呪い殺すことを職業にしていること自体、許せなかった。」

と、おっしゃっています。

 

今度は完璧な「呪い返し」をなさいました。

 

それはどのようなものかと申しますと、要は、氣でできました網のようなもので、その呪術師(蟲使い)をすっぽりと包んでしまうのです。

そうしますと、彼が放った呪いが例えどんなものであれ、そっくりそのまま彼のもとへ返り、その網を抜けて外へ及ぶことはないのだそうです。

つまり、人を呪えば呪うほど、そしてそれが強力であれば強力であるほど、それを放った術者自身が苦しむことになります。

まさに「人を呪わば穴二つ」状態を作ってしまうのです。

 

ただ、宇賀神先生は普段はここまでなさいません。

いくらはじめに呪いをかけた呪術師が悪いと申しましても、

「人がご飯を食べるお茶碗を持つ左手と、お箸を持つ右手をたたきおとし、食べられなくすることは良くない。」

と申しますのが宇賀神先生の信条です。

その人の生命線(ご飯を食べる手段)を絶つことをよしとなさいません。

 

ですが・・・

 

人の生命線どころか、生命そのものまで奪おうとするほどの呪いには、さすがに腹を立てられたのでしょうね。

ついに、一番強い呪い返しをなさいました。

 

(その4につづく)

 

合掌

呪術合戦 その2

知り合いのフィリピン人の呪術師(この方も有名な方だったそうです)にご相談なさったG氏。

相談しておられる間も痛みが続きます。

 

G氏が「ここが痛い!」とうめきますと、呪術師はその箇所をなでさすり口を当てて

何かを吸い出すような格好をし、それをオエッと吐き出されます。

その吐き出されたものの数々が、私が空けましたガラス瓶の中に詰め込まれておりました、女の人の髪の毛やサソリやその他諸々でした。

不吉なものが出てくるわ出てくるわ。

キリがありません。

呪術師は、

「あんた誰かに呪われているよ。女の恨みだね。相手はあんたが死ぬまで呪い続けるからね。相当、腕のたつ術者に守ってもらわないと、あんたこのままじゃ死ぬよ。」

と、おっしゃったそうです。

そのときG氏は

「この状況を助けてくれるのは、宇賀神先生しかいない。」

と、思われたとか。

 

その呪術師が本当にG氏の呪いのもとを吐き出されたのかは分かりません。(口から髪の毛やサソリの死骸が出てくるとは、ちょっと思えません。)

当時はトリックも多用したような怪しげな呪術師も、世界的に流行っておりましたから。

ですが、G氏の全身の痛みは現実です。

そして、どうやら呪いをかけられているというのは、間違いないようでした。

 

フィリピンでは呪いを職業になさっている蟲使い(むしつかい)もいらしたそうです。

蟲使いの人にとりましては、20数年前当時、例えば日本円で30万円ももらえば、1年間は遊んで暮らせるほどの金額になるのです。

するとその間、依頼されてひとりの人をずーっと呪い続けるのです。

他の仕事をしなくてもいいわけですから。

呪われた方はたまったものではありません。

G氏もお蔭で、絶え間のない痛みにさいなまれました。

 

G氏は呪術師が吐き出された不吉なものの数々をアルコール漬けにして日本に持ち帰り、宇賀神先生のもとに持って来られました。

(それでそのままガラス瓶を置き去りにしなくても!)

宇賀神先生のところで、他のご相談者さまの順番を待っておられる間も彼は「痛い!痛い!」ともだえ苦しむのだそうです。

見かねた他の方が、

「先生、私は後でいいですから、あの方を先にしてあげてください。」

と、おっしゃるほどだったそうです。

 

「しょーがねーなー。」

と、G氏を見ますと、身体のあちこちに、長さ30センチくらいの銀色の細く長い針(もちろん普通の人には見えない)が刺さっています。

「これかー。」

と、宇賀神先生が抜きますと、その部分の痛みがなくなります。

 

宇賀神先生は、その針を抜いて、手にある印(いん・密教で佛様のご真言を唱えるときに形作る手の作法)を結び、あるご真言を唱えたあと、その針にフッと息を吹きかけ、飛ばします。

そうですね、飛ばすときの様子を例えますなら、昔見ました「西遊記」の孫悟空が頭の毛を抜いてフッと息を吹きかけ飛ばしますと、自分の分身になりましたよね。

あれに似た感じで飛ばします。

もちろん目に見えない、向こうから飛んできた呪いの針を、です。

すると、その針は遠く呪いをかけたフィリピンの蟲使いのもとへ飛んでいき、その人に刺さります。

要は、「呪い返し」です。

呪いをかけた人に、そっくりそのまま返すのです。

 

宇賀神先生は、G氏の全身に刺さった長い針を次々に抜いては、全て返されました。

やっとG氏の苦しみが楽になりました。

 

ところが。

 

またしばらくしますと「ううーっ」とうめきながらG氏が苦しみだすのです。

見ますと、再びおびただしい数の針が刺さっています。

「こりゃ、キリがねーなー。」

と、宇賀神先生も困られました。

相手の蟲使いはG氏を呪うことだけを寝ているとき以外ずっと続けられますが、先生は他のお仕事もあり、G氏のためだけに24時間呪いを返し続けることは不可能です。

 

さあて、そこで、活躍したのは誰だとお思いですか?

 

じつは、使い魔の猫ちゃんたち(使い魔その1その2)です!

宇賀神先生が困っておられたのを見たのか、はたまた面白い遊び♥だと思ったのか、先生が頼んでもいらっしゃらないのに、自ら動きだしてくれました。

 

キラッと銀色に輝く針が、どこからともなくG氏めがけて飛んできます。

それを猫ちゃんたちがG氏に刺さる前に空中でキャッチし、そのまま相手に投げ返します。

まるで猫じゃらしに夢中になって飛びつく猫のように、銀色の針に飛びついてキャッチするのです。

針は次々と飛んできますが、猫ちゃんたちがことごとく返してくれました。

 

なんていい子たちなのでしょう。

「これはいい!」

と、宇賀神先生も大助かりです。

 

しばらく、そのフィリピンの蟲使いが懲りて呪うことをやめるまで、猫ちゃんたちをG氏に護衛としてつけてあげることにしました。

猫ちゃんたちは霊体ですから、眠ることはありません。

24時間、彼のために働いてくれます。

宇賀神先生やG氏が夜眠っているときでさえ、働いてくれます。

なんとも頼もしい護衛ですね。

 

(その3につづく)

 

合掌

呪術合戦 その1

祈りに力があるのなら、呪いにも力があると思われますか?

残念ながら、答えはイエス、です。

 

私が宇賀神先生と結婚しましてから、最初に取り組みましたのは、奈良にございます先生のお寺の大掃除ならぬ大片付けでした。

ちょっとお恥ずかしい話、めちゃくちゃに不用品だらけで、1階の住居部分などは特に足の踏み場もないほどでした。

そこで、家具なども含めましてゴミを引き取ってくださる業者さんにお願いし、一大処分することにしました。

 

ですが、例えば缶ジュースなどの古いものを引き取っていただく場合、缶と中身の分別は私がしないといけないとのこと、引き取り処分当日はその分別に明け暮れました。

なにしろ20年前に賞味期限の切れたジュースが何箱もあったり、中身が真っ黒に変色してしまって、元が何でありましたか(多分、梅酒とか?)見当もつかないような大きなガラス瓶などが山のようにあります。

流し台にザルを置きまして、中身を片っ端から空けていきました。

 

そのうちのひとつ、中身がやはり真っ黒になっておりますガラス瓶をザッと空けたときのことです。

なんと驚いたことに中から出てきましたのは、女の人のものと思われます長い髪の毛の束と、サソリと、あとわけのわからない真っ黒に変色したものの数々でした。

「XΔ≅*#$%&+<=∑!?!?!?」

オロがくるとは、まさにこのことです。

日本語になっていない声をあげ、腰が抜けそうになり、その場でたたらを踏んでしまいました。

 

ゴミ処理業者の方は私の声にびっくりして飛んでこられて、ザルの中をご覧になり、

「あらー。」

と、何故か余裕のリアクション。

鳥肌がたってオロオロしております私に、

「ま、がんばってください。」

とかなんとか笑いながらおっしゃいました。

 

『まじ?怖がってる私の代わりにゴミ袋に入れてくれてもいいやん!(ToT)』

と思いましたものの、元来気がヨワイもので?よう頼みません。

震える手でゴミ袋に入れましたよー、その髪の毛とサソリ!

 

今思い出しましても、鳥肌がよみがえるようです。

 

そして、宇賀神先生に電話しました。

「大きなガラス瓶から髪の毛とサソリと、その他諸々出てきたよー!」と、震える声で訴えますと、

「ああ、それ、G氏の例の“呪い”のもとだよー。」

と、笑いながら言います。

「そんなの、まだそこにあったのかー。」

と。

人が生まれて初めてたたらを踏むという経験をしましたのに、なんで笑えるのー、と思いましたが、それが宇賀神先生です。(?)

それに、G氏がもう何年も前、“フィリピンの蟲使い(むしつかい・呪術師の一種。虫などを使って、人を呪うことを職業にしている人)”なる方に、ひどい目に会わせられましたことは、私も聞いておりました。

またそれが、マンガのようなホントの話なのですが・・・。

 

今から20数年前、G氏は当時流行っておりましたテレビの怪奇番組のプロデューサーをなさっていました。

怖くて怪しげな?ことばかりを取り上げる番組です。

そのお仕事でフィリピンに行っておられました。

そしてそこで、とある人間関係のトラブルに巻き込まれますと、その後全身が痛くて苦しくて仕方がないという症状に見舞われました。

 

さすが怪奇番組のプロデューサーです、すぐにお知り合いのフィリピン人の呪術師のもとへ相談しに行かれました。

フィリピンでは、呪術師という職業が存在するのですね?

日本で申しますところの霊媒師というところでしょうか。

 

「呪術」と申します言葉自体に“呪い”の文字が入っておりますので、なんだかオドロオドロしいような気がいたしますが、広範囲の意味でとらえますならば、英語で申しますところのシャーマンも呪術師ですし、宇賀神先生のお仕事だってある意味、呪術師的な部分があります。

「呪」という漢字の成り立ちが、「口で何かを唱えながら踊る・あるいはひざまずく」などと申しますようですから、もともとは悪い意味ではありません。

要は呪文を唱えながら祈る、というような意味でしょうか。

現に、日本で一番有名な般若心経というお経のなかでは、「呪」という漢字は「マントラ」=「ご真言」を表す単語として使われておりますように、いい方の意味で用いられております。

「呪」はもともと、私たち真言宗徒にとりましては、ありがたい「ご真言」と同じ意味で使われていたのです。

 

さて、そのG氏、尋ねて行きました呪術師に、驚くようなことを言われました。

 

(その2につづく)

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その4

マスター・スジャンタが本当は宇賀神先生とY先生のお二人だけにお会いし、何をお伝えなさりたかったのかは、分かりません。

それを詳しくお聞きできなかったのは残念ですね。

ただ、アカシック・レコードに関しましては、少し示唆をいただけたようです。

 

残念ながらこのブログ上では、アカシック・レコードにつきまして詳しくお話させていただくことは、控えさせていただきます。

ますます夢物語のように現実離れした心象と、幽霊など大したことないと思えますようなものすごく怖い、と申しますより、もはや信仰という名の畏怖を覚えますような世界でもありますので、これ以上のことは軽々しく口にはできません。

ただ、とても深遠な世界で、マスター・スジャンタが本当にそこへ行ってらしたのかは私には分かるはずもごさいませんが、とにかく彼がすごい能力をお持ちだったことだけは確かなようです。

 

マスター・スジャンタはインドネシアのスハルト大統領の政治顧問でいらした、と初めにお伝えしましたが、それは、彼の霊能を用いまして大統領に外交上のアドバイスをなさっていたようなのです。

(これはY先生からの伝え聞きです。)

例えばインドネシアで他国の人と外交上のお話をなさいますときは、マスター・スジャンタが隣の部屋で外国からの使者の本意を霊視なさり、大統領に陰でアドバイスなさっていらしたとか。

マスター・スジャンタは、あの、クルッと白目になられる瞬間にすべてを見通されるわけですから、相手の方がどこまで譲歩なさるおつもりか、大統領は知られた上で有利に話を運べたのでしょうか。

 

彼よりすごい霊能を持った人には、宇賀神先生もいまだにお会いしたことはありません。

ですが、先生がマスター・スジャンタにお会いしてから数年後、スハルト大統領はクーデター(とまでは言わないのでしょうか?)により失脚なさいました。

スハルト大統領が独裁者でいらしたことは事実で、マスター・スジャンタはその大統領に仕えていらしたわけです。

宇賀神先生がマスター・スジャンタとお会いしましたのは、私と出会う前でした。

私は直接お会いしたわけではありませんので、彼の人となりを存じませんが、それでもやはり心配してしまいます。

「大統領の失脚を、マスター・スジャンタの予言で回避することはできなかったの?」

と、私は宇賀神先生に尋ねました。

すると先生は、

「それは歴史とか時代とか、とにかく大きな運命の流れだから誰にもどうすることもできないよ。

それに独裁者がクーデターにより失脚して政権交代となるのは必定だから。」

とおっしゃいました。

 

彼のような、ある意味優秀なシャーマン(巫女などを意味します、神さまなどのご託宣をする宗教的職能者)であります方が、時の権力者に重用されますことは歴史の中でもよくあることです。

シャーマン本人にとりまして本意でありましても、本意ではないにしましても。

そして、そのシャーマンを利用なさっていた権力者がその座を追われますときは、運命を共にするしかないことは、容易に想像できます。

大きな歴史の渦には、誰もが巻き込まれてしまいます。

願わくば、マスター・スジャンタがどのような形にせよ、お命が助かり、少しでも難を逃れられましたことを祈るばかりです。

 

私が個人的に、生きてらっしゃるうちに是非ともお会いしたかった方の1人が、マスター・スジャンタでした。

宇賀神先生が25年ほど前にマスター・スジャンタにお会いなさったときに、すでに80歳近い?ご高齢でいらしたそうです。(正確なところは分かりません。外国の方の年齢は、ちょっと判断しにくいですから。)

そう考えますと、今現在も生きていらっしゃるかどうかは・・・。

マスター・スジャンタにお会いしてから何度か、宇賀神先生のところへ彼からのテレパシーが、時折届いていたそうです。

ですが、宇賀神先生は死者からもお話をお聞きになりますからねぇ。

どちらでしょうか。

 

それと、今回4話にわたってマスター・スジャンタのお話を書いておりましたら、やはり、ちょっとそんな予感もしたのですが、どうやら彼がうちに来られたようなのです。

昨晩先生がお一人で出かけられ、私が留守番しておりましたときに、スーッとどなたかが廊下を通られたのが見えました。

不思議と怖い感じはしませんでした。

宇賀神先生が帰られてから、

「あのさ、マスター・スジャンタって白くて長い衣を着てはった?

ふくらはぎ近くまで長いようなの。白いズボンと。

背が高くて、長く白い服を着た人がスーッて通るのが見えてん。

もしかしたら、誰か来はったかも知れんし、白い壁を見間違えただけかも知れへん。」

と尋ねますと、

「あ、それ、マスター・スジャンタ。

綾野さんの頭の中の映像まで見えたから、分かる。

間違いない。

彼はひざ丈くらいの白いスーツを着ていたから。

やっぱり、彼が来るような気がしてたんだ。

綾野さん、彼に気に入られたら大変だぞー。

80近い爺さんだったけど、女好きだったからなぁ。

色々と綾野さんに教えたくてしょうがないんだろ。」

と、おっしゃってくださいました。

それはちょっと、光栄すぎますね?

 

さあて、真相や、いかに( ̄∇ ̄)

マスター・スジャンタ、ユー・アー・ベリー・ベリー・ウェルカム(大歓迎!)ですわよ♥

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その3

マスター・スジャンタは、宇賀神先生とY先生にのみお会いすることを期待なさっていましたが、その他の方達もたくさんいらしてしまいました。

そのため、深いことを伝授なさるのではなく、彼の能力で知ることのできます未来などをお伝えしましょう、という霊能占い&人生相談大会になってしまいました。

 

ご相談なさりたい方を目の前にしますと、マスター・スジャンタは一瞬、目をクルッと白目になさり、たった一瞬でその人につきましての色々を話し始められました。

どうやら白目になられるその一瞬に彼の秘密がございますようで、どなたが何をご相談なさいましても、お聞きになってないことまでピタリと言い当てられ、その場に居合わせられた他の方達まで皆さん大納得なさるほどの精度でした。

 

ただ一つの大きな問題は、通訳でした。

マスター・スジャンタが話される言葉は、母国語でありますインドネシア語と、ひどいオランダなまりの英語です。

そこに、インドネシア語を少しだけ理解なさるフィリピン人の英語を話される女性。

そしてY先生ともう一人、英語を少し理解できる日本人。

と、相談なさる方をいれますと、なんと合計4人で外国語を使った伝言ゲームをしないといけないような状況でした。

宇賀神先生いわく、

「だんだん“しっちゃかめっちゃか”になってきた。」

そうです。

 

するとマスター・スジャンタが、宇賀神先生の方をご覧になりながら片目でウインクなさり、

「テレパテ!テレパテ!」

とおっしゃったそうです。

どうやらオランダなまりの英語で「テレパシー」とおっしゃりたかったよう。

突然、宇賀神先生の頭の中に彼の考えが流れ込んできました。

先生は、

「テレパシーでわしの頭の中に話してよこすから、通訳しろということだな。」

と、すぐに理解なさいました。

 

そこで、宇賀神先生がしっちゃかめっちゃかになっております伝言ゲームの方達に、

「マスター・スジャンタは、多分こう言ってると思うよ。」

と、先生がマスター・スジャンタから“直接”お聞きになったことをご相談なさった方と通訳してくださる人にお伝えし、マスター・スジャンタに逆戻りしていくような方向に伝えていきました。

そうしますと、

「グーッド!(いいね!)」

と、マスター・スジャンタは嬉しそうにおっしゃいました。

 

「えっ、宇賀神先生は彼のインドネシア語とオランダなまりの英語の混ぜこぜが分かるの?」

と、皆さん不思議がられましたが、先生は、

「いやいや、彼の考えがテレパシーで直接頭の中に入ってくるんだよー。」

と、ご説明なさいました。

 

それからはどなたかがご相談なさるたびに、マスター・スジャンタの答えが宇賀神先生の頭の中にテレパシーで入って来まして、それを逆たどりに通訳していきましては、

「グーッド!」

と、マスター・スジャンタがおっしゃる、という形で最後まで霊能占い大会は進みました。

 

そして、宇賀神先生は特に何を悩んでおられるわけでもありませんでしたので、何もお尋ねなさいませんでしたが、マスター・スジャンタは、

「あなたは胃が弱いからマンゴーをたくさん食べて、ピーナッツオイルを毎日ティースプーンで1杯飲みなさい。」

と、おっしゃいました。

 

確かに宇賀神先生は胃が痛くなりがちで、当時はよく胃薬も飲まれていました。

そんなことは何ひとつマスター・スジャンタにおっしゃったわけではありませんでしたが、彼は見抜かれました。

ただ、ピーナッツオイルはあまり日本人にはなじみがなく、おなかを下し気味になりますとか。

マンゴーも先生はそんなにたくさん召し上がる習慣もなく、彼のアドバイスはそのままとなりました。

 

ですが後年、宇賀神先生が人生最大の危機とも申しますべき状況に陥りましたのは、今になって考えますと、胃潰瘍で倒れられ入院なさったのがきっかけでした。

あの、うつ病のようになり、湯の峰温泉に通うことになりました時ですね。

マスター・スジャンタは、そのような大きな厄災に先生が見舞われますことを感じられていたのでしょうか?

(それだったら、そこまで教えてくれても良かったのにー、とは行かないのが世の常でしょうか。)

 

とにかく、マスター・スジャンタのおっしゃったことは、その場に居合わせた皆さんが納得せざるを得ないようなことばかりで、人の前世から亡くなったお身内のことから、何もかもをズバリと言い当てておられました。

 

そしてまた、宇賀神先生がマスター・スジャンタのように明確で子細な思考をテレパシーで送ってくる人にお会いしたことは、後にも先にも彼以外ございません。

私からしましたら、それを余すところなく正確に受け取られ、伝えられる宇賀神先生もすごいなぁと思います。

どなたもでも受け取れるわけではありませんからね。

 

(その4につづく)

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その2

インドのサイババさんのアシュラム滞在中に街へ出かけられたY先生、インド名物?お乞食さんにお金を恵んで欲しいとたくさん言い寄られました。

ある一人のお乞食さんにお金を求められ、断りますと、そのお乞食さんは、

「せっかくお前に喜捨(きしゃ・喜んで貧しい人に施しなどをすること)する機会を与えたのに、断るとは何事だ!」

と、怒られたそうです。

面白い人だと思われたY先生はなぜかその人とウマが合い?、そのままその人の家までついて行って、ご飯をご馳走になったのですとか。

なかなか、Y先生も面白いお方です。

 

そしてマスター・スジャンタは、ご存じであるはずもないY先生のお乞食さんとのこのエピソードを、ズバリ言い当てられました。

 

この人は本物だ。

 

そう感じられ、Y先生は是非ともマスター・スジャンタとゆっくりお話しする機会を持てますよう、頼まれたのですとか。

マスター・スジャンタは、

「私はもうインドネシアに帰らないといけない。あなたとあなたの先生(宇賀神先生のことですね)は面白い人間だから、2人でインドネシアにいらっしゃい。」

とおっしゃってくださいました。

 

この衝撃的な出会いを経て、Y先生と宇賀神先生と、それぞれのご家族とその他何人かのY先生のお知り合いの方達と、結構な人数でインドネシアを訪れたそうです。

 

ところが、マスター・スジャンタは本当は、Y先生と宇賀神先生のお二人だけで来てほしかったみたいなのです。

宇賀神先生いわく、何かお二人にお教えしたいことがあったようでした。

宇賀神先生とY先生はお二人ともそれなりに色々なことがおできになる“霊能者”でいらっしゃいますが、他の方達はそうではありません。

そんな他の方達のいらっしゃる前で何やら秘密のこと?を伝えるわけにもいかなかったらしく、仕方がないのでマスター・スジャンタは、「何か人生上の悩みなどあれば、それについてお答えしましょう」と申しますような、何だか「霊能占い&人生相談」大会みたいなものになってしまいました。

 

まあですが、マスター・スジャンタの霊能は、ただ事ではありませんから。

それはそれはすごい霊能占いとなったようです。

 

ところで皆さまは、「アカシック・レコード」という言葉をお聞きになったことはございませんでしょうか。

日本語で申しますところの、虚空蔵界(こくうぞうかい)にございます、記録のことです。

この虚空蔵界には、全宇宙の、過去・現在・未来すべての、と申しましても過言ではない、ありとあらゆる知識や記録などがあるそうです。

そこに行きますと、地球上のすべての人の前世から未来まではおろか、宇宙の誕生以来の一切のことが分かるのですとか。

虚空とは、「何も無い空間」という意味と、「妨げるものがなく、全てを包括する空間」という一見相反するような意味をもつ言葉です。

密教上では、「この世の全ての記録がある宇宙」が虚空蔵界で、ここを司る佛さまが虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)さまです。

 

虚空蔵菩薩さまとお聞きしますと、すぐに思い浮かびますのは、なんと申しましても我らが弘法大師・空海さまです。

お大師さまがまだお若かったころ、四国の室戸岬にごさいます洞窟で、

虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修され、その行が満ちたとき、

「明星来迎(みょうじょうらいごう)し」、

つまり、流れ星が口の中に飛び込んできて、

彼は偉大な力と知恵を持たれるようになった、

とは、有名なお話です。

つまり、お大師さんのもはや超能力と呼びましても過言ではない法力と、膨大な密教の体系をたった2年ほどで唐より持ち帰られたその天才的な頭脳は、この虚空蔵菩薩さまを瞑想するお修行の結果、得られたと。

 

この「虚空」が、古代インドのサンスクリット語で「アカシャ」と申します。

ですので、アカシック(虚空蔵界の)レコード(ここでは、記録、という意味の方ですね)となります。

 

一体なぜ唐突にアカシック・レコードのお話になったかと申しますと。

どうやらマスター・スジャンタは、この虚空蔵界に瞬時にかつ自由に出入りなさり、そのため人が話をしないことでも、何でもお分かりになるそうなのです。

Y先生のことを「サイキック・ボーイ」と見抜かれましたのも、お乞食さんにご飯をご馳走になりましたのをご存じでしたのも、そのためだったようです。

 

(その3につづく)

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その1

昨日は宇賀神先生の「意思伝達能力」についてお話しました。

今日は本物のテレパシーのご経験につきまして、お話したいと思います。

テレパシーって、意思伝達の究極の形ですね。

いわゆる「超能力」と呼ばれるものの一種です。

時を追ってお話したいと思いますので、また数回に分けましてお話しさせていただきます。

 

宇賀神先生は、正確な年数は分かりませんが少なくとも25年近く前、本物のテレパシーをお使いになる、宇賀神先生でさえ舌を巻かれるほどのすごい能力を持った方とお会いなさいました。

インドネシアの、マスター・スジャンタ(正しくはマスター・スハント?)です。

世の中にご自分は超能力者だとおっしゃる方は、それこそ玉石混交でゴマンといらっしゃいましょうけれど、彼は正真正銘の本物だったと先生はおっしゃいます。

 

まず、マスター・スジャンタとの出会いは、以前にもこのブログに登場してくださいました、宇賀神先生の親友でありお弟子さんでありますY先生がきっかけです。

Y先生は、その当時世界的に有名でいらしたサイババさんにお会いするために、インドにございますの彼のアシュラムに行っておられました。

むか~し聞いたお話ですと、何でもサイババさんの手からは“聖なる灰”のようなものが出現するとか?・・・よくは分かりませんが、とにかく当時は奇跡を起こされると有名な方でした。

サイババさんにお会いするために世界中から人々が集まって来られていましたから、彼のアシュラムに行きましても、何日も待たされましたうえ、必ずしもお会いできるとは限らなかったそうです。

 

Y先生はサイババさんのアシュラムに滞在なさり、数日にわたってお会いする機会を待っておられました。

そこで、ただボーっと待っているのも何でしたので、Y先生はそのアシュラムに同じように滞在なさっている大勢の人達を治療なさっていました。

世界中からいらした見ず知らずの人達を、です。

Y先生はお医者様ですが、宇賀神先生のお弟子さんでもいらして、また色々な治療法の研究もなさっておいででした。

ですので、宇賀神先生のように、病院の設備がなくても“治療”なさることは可能でした。

 

そのアシュラムで、Y先生がある人の首の骨のずれを治そうとなさったときのことです。

当人を前に座らせ、向こう側を向いていただき、当時よく使われていた“打法”でもって、背中側から首の骨のずれを動かそうとなさいました。

そのとき、ちょうど向こう側からマスター・スジャンタが通りかかられました。

まさに目の前の人の首の骨を打法で打とうとなさったとき、マスター・スジャンタが、

「オー、サイキック・ボーイ!(おや、超能力者だね)」

とおっしゃりながら、Y先生の目の前の方の首をスーッとなでて行かれました。

 

すると、Y先生は、今さっきまでご自身が治そうとなさっていた首の骨のずれが、既に治ってしまっていたことに気づかれました。

 

あのひとなでで、彼は治してしまった!

 

びっくりなさったY先生は、慌ててマスター・スジャンタを追いかけられ、どのような素性でいらっしゃるのかお伺いしました。

すると彼は、インドネシアのスハルト大統領の政治顧問をなさっていて、サイババさんのご親友でいらっしゃると答えられました。

(この、彼の経歴につきましては、宇賀神先生がマスター・スジャンタから直接お聞きになったわけではなく、Y先生からの伝え聞きです。)

そして、マスター・スジャンタは、ふとからかうように、突然このようにおっしゃいました。

「あなた、このインドで乞食の家に行ってご飯をご馳走してもらうなんて、ダメだよ。」

と。

それはY先生がアシュラム滞在中に街に出かけられ、偶然出会われたお乞食さんとのことを、知られるはずもないマスター・スジャンタが話された瞬間でした。

 

(その2につづく)

 

合掌