呪術合戦 その3

使い魔の猫ちゃんたちにG氏の護衛を頼むことになさったとは言え、G氏が宇賀神先生のところへいらしている間、ずっと呪いの針が飛んできていました。

なんと彼は体調不良を理由に?仕事を休まれ、宇賀神先生のお家に何日も滞在なさっていたのです。

遥か彼方のフィリピンから飛んできます針をひとつひとつキャッチしましては、猫ちゃんたちが元の蟲使いめがけて投げ返してくれます。

猫ちゃんたちは、健気にも自らすすんで呪い返しをしてくれていましたが、あまりにも絶え間なく呪いの針が飛んできますので、宇賀神先生がちょっと策を講じました。

 

1本ずつ飛んできます針を猫ちゃんたちにキャッチさせ、手元に集めます。

そしてそれを数日かけてかなりの数にしましてから、一気にバサーッと向こうに返すのです。

針を1本ずつ返すのではなく、何千本という束にして返すような状態をつくったのです。

1本が刺さりましてもG氏が苦しむような針です。

それが何千本もの束で返ってきましては、その蟲使いもたまったものではなかったのでしょうねぇ。

それ以来、ピタリと針が飛んでこなくなったそうです。

 

G氏は東京にお住まいですので、一安心なさり、ご自宅に帰られました。

もちろん念のため宇賀神先生はしばらくの間、猫ちゃんたちを護衛として彼につけてあげました。

 

ところが、G氏が東京に帰られてしばらくしますと、再び痛みが襲いはじめました。

今度は、初めのとは違う種類の痛みです。

手の指が痛くなり、G氏がお医者様に行きますと、「壊死しかけている」と告げられました。

びっくりしたG氏は、東京にいらっしゃる宇賀神先生のお弟子さんのE先生のところへ行かれました。

 

E先生が「氣」でもってG氏の指の痛いところを切り裂きますと(もちろん、目に見えない氣のボディ=微細身《みさいしん》を切るのであって、現実の身体を切るわけではありません。)、そこから黒い煙のようなものがモワァッと出てたそうです。

これが新たな呪いの正体かと、お二人とも驚かれました。

そしてまた、G氏は宇賀神先生にご相談なさいました。

 

フィリピンの蟲使い(も呪術師の一種です)の事情にはG氏がお詳しいのですが、なんでも呪術師の組織のようなものもあり、例えばある蟲使いが呪いに失敗しますと、その方の師匠のところへ行き、加勢を頼むのですとか。

そうして今度は二人がかりで呪いを行うそうなのです。

もう20数年も前の話ですが、こんなシステムが今でもあったらイヤだなぁ、と思います。

 

G氏から再び助けを頼まれた宇賀神先生、今度はとうとう頭にきました。

「だいたい、人を呪い殺すことを職業にしていること自体、許せなかった。」

と、おっしゃっています。

 

今度は完璧な「呪い返し」をなさいました。

 

それはどのようなものかと申しますと、要は、氣でできました網のようなもので、その呪術師(蟲使い)をすっぽりと包んでしまうのです。

そうしますと、彼が放った呪いが例えどんなものであれ、そっくりそのまま彼のもとへ返り、その網を抜けて外へ及ぶことはないのだそうです。

つまり、人を呪えば呪うほど、そしてそれが強力であれば強力であるほど、それを放った術者自身が苦しむことになります。

まさに「人を呪わば穴二つ」状態を作ってしまうのです。

 

ただ、宇賀神先生は普段はここまでなさいません。

いくらはじめに呪いをかけた呪術師が悪いと申しましても、

「人がご飯を食べるお茶碗を持つ左手と、お箸を持つ右手をたたきおとし、食べられなくすることは良くない。」

と申しますのが宇賀神先生の信条です。

その人の生命線(ご飯を食べる手段)を絶つことをよしとなさいません。

 

ですが・・・

 

人の生命線どころか、生命そのものまで奪おうとするほどの呪いには、さすがに腹を立てられたのでしょうね。

ついに、一番強い呪い返しをなさいました。

 

(その4につづく)

 

合掌

呪術合戦 その2

知り合いのフィリピン人の呪術師(この方も有名な方だったそうです)にご相談なさったG氏。

相談しておられる間も痛みが続きます。

 

G氏が「ここが痛い!」とうめきますと、呪術師はその箇所をなでさすり口を当てて

何かを吸い出すような格好をし、それをオエッと吐き出されます。

その吐き出されたものの数々が、私が空けましたガラス瓶の中に詰め込まれておりました、女の人の髪の毛やサソリやその他諸々でした。

不吉なものが出てくるわ出てくるわ。

キリがありません。

呪術師は、

「あんた誰かに呪われているよ。女の恨みだね。相手はあんたが死ぬまで呪い続けるからね。相当、腕のたつ術者に守ってもらわないと、あんたこのままじゃ死ぬよ。」

と、おっしゃったそうです。

そのときG氏は

「この状況を助けてくれるのは、宇賀神先生しかいない。」

と、思われたとか。

 

その呪術師が本当にG氏の呪いのもとを吐き出されたのかは分かりません。(口から髪の毛やサソリの死骸が出てくるとは、ちょっと思えません。)

当時はトリックも多用したような怪しげな呪術師も、世界的に流行っておりましたから。

ですが、G氏の全身の痛みは現実です。

そして、どうやら呪いをかけられているというのは、間違いないようでした。

 

フィリピンでは呪いを職業になさっている蟲使い(むしつかい)もいらしたそうです。

蟲使いの人にとりましては、20数年前当時、例えば日本円で30万円ももらえば、1年間は遊んで暮らせるほどの金額になるのです。

するとその間、依頼されてひとりの人をずーっと呪い続けるのです。

他の仕事をしなくてもいいわけですから。

呪われた方はたまったものではありません。

G氏もお蔭で、絶え間のない痛みにさいなまれました。

 

G氏は呪術師が吐き出された不吉なものの数々をアルコール漬けにして日本に持ち帰り、宇賀神先生のもとに持って来られました。

(それでそのままガラス瓶を置き去りにしなくても!)

宇賀神先生のところで、他のご相談者さまの順番を待っておられる間も彼は「痛い!痛い!」ともだえ苦しむのだそうです。

見かねた他の方が、

「先生、私は後でいいですから、あの方を先にしてあげてください。」

と、おっしゃるほどだったそうです。

 

「しょーがねーなー。」

と、G氏を見ますと、身体のあちこちに、長さ30センチくらいの銀色の細く長い針(もちろん普通の人には見えない)が刺さっています。

「これかー。」

と、宇賀神先生が抜きますと、その部分の痛みがなくなります。

 

宇賀神先生は、その針を抜いて、手にある印(いん・密教で佛様のご真言を唱えるときに形作る手の作法)を結び、あるご真言を唱えたあと、その針にフッと息を吹きかけ、飛ばします。

そうですね、飛ばすときの様子を例えますなら、昔見ました「西遊記」の孫悟空が頭の毛を抜いてフッと息を吹きかけ飛ばしますと、自分の分身になりましたよね。

あれに似た感じで飛ばします。

もちろん目に見えない、向こうから飛んできた呪いの針を、です。

すると、その針は遠く呪いをかけたフィリピンの蟲使いのもとへ飛んでいき、その人に刺さります。

要は、「呪い返し」です。

呪いをかけた人に、そっくりそのまま返すのです。

 

宇賀神先生は、G氏の全身に刺さった長い針を次々に抜いては、全て返されました。

やっとG氏の苦しみが楽になりました。

 

ところが。

 

またしばらくしますと「ううーっ」とうめきながらG氏が苦しみだすのです。

見ますと、再びおびただしい数の針が刺さっています。

「こりゃ、キリがねーなー。」

と、宇賀神先生も困られました。

相手の蟲使いはG氏を呪うことだけを寝ているとき以外ずっと続けられますが、先生は他のお仕事もあり、G氏のためだけに24時間呪いを返し続けることは不可能です。

 

さあて、そこで、活躍したのは誰だとお思いですか?

 

じつは、使い魔の猫ちゃんたち(使い魔その1その2)です!

宇賀神先生が困っておられたのを見たのか、はたまた面白い遊び♥だと思ったのか、先生が頼んでもいらっしゃらないのに、自ら動きだしてくれました。

 

キラッと銀色に輝く針が、どこからともなくG氏めがけて飛んできます。

それを猫ちゃんたちがG氏に刺さる前に空中でキャッチし、そのまま相手に投げ返します。

まるで猫じゃらしに夢中になって飛びつく猫のように、銀色の針に飛びついてキャッチするのです。

針は次々と飛んできますが、猫ちゃんたちがことごとく返してくれました。

 

なんていい子たちなのでしょう。

「これはいい!」

と、宇賀神先生も大助かりです。

 

しばらく、そのフィリピンの蟲使いが懲りて呪うことをやめるまで、猫ちゃんたちをG氏に護衛としてつけてあげることにしました。

猫ちゃんたちは霊体ですから、眠ることはありません。

24時間、彼のために働いてくれます。

宇賀神先生やG氏が夜眠っているときでさえ、働いてくれます。

なんとも頼もしい護衛ですね。

 

(その3につづく)

 

合掌

呪術合戦 その1

祈りに力があるのなら、呪いにも力があると思われますか?

残念ながら、答えはイエス、です。

 

私が宇賀神先生と結婚しましてから、最初に取り組みましたのは、奈良にございます先生のお寺の大掃除ならぬ大片付けでした。

ちょっとお恥ずかしい話、めちゃくちゃに不用品だらけで、1階の住居部分などは特に足の踏み場もないほどでした。

そこで、家具なども含めましてゴミを引き取ってくださる業者さんにお願いし、一大処分することにしました。

 

ですが、例えば缶ジュースなどの古いものを引き取っていただく場合、缶と中身の分別は私がしないといけないとのこと、引き取り処分当日はその分別に明け暮れました。

なにしろ20年前に賞味期限の切れたジュースが何箱もあったり、中身が真っ黒に変色してしまって、元が何でありましたか(多分、梅酒とか?)見当もつかないような大きなガラス瓶などが山のようにあります。

流し台にザルを置きまして、中身を片っ端から空けていきました。

 

そのうちのひとつ、中身がやはり真っ黒になっておりますガラス瓶をザッと空けたときのことです。

なんと驚いたことに中から出てきましたのは、女の人のものと思われます長い髪の毛の束と、サソリと、あとわけのわからない真っ黒に変色したものの数々でした。

「XΔ≅*#$%&+<=∑!?!?!?」

オロがくるとは、まさにこのことです。

日本語になっていない声をあげ、腰が抜けそうになり、その場でたたらを踏んでしまいました。

 

ゴミ処理業者の方は私の声にびっくりして飛んでこられて、ザルの中をご覧になり、

「あらー。」

と、何故か余裕のリアクション。

鳥肌がたってオロオロしております私に、

「ま、がんばってください。」

とかなんとか笑いながらおっしゃいました。

 

『まじ?怖がってる私の代わりにゴミ袋に入れてくれてもいいやん!(ToT)』

と思いましたものの、元来気がヨワイもので?よう頼みません。

震える手でゴミ袋に入れましたよー、その髪の毛とサソリ!

 

今思い出しましても、鳥肌がよみがえるようです。

 

そして、宇賀神先生に電話しました。

「大きなガラス瓶から髪の毛とサソリと、その他諸々出てきたよー!」と、震える声で訴えますと、

「ああ、それ、G氏の例の“呪い”のもとだよー。」

と、笑いながら言います。

「そんなの、まだそこにあったのかー。」

と。

人が生まれて初めてたたらを踏むという経験をしましたのに、なんで笑えるのー、と思いましたが、それが宇賀神先生です。(?)

それに、G氏がもう何年も前、“フィリピンの蟲使い(むしつかい・呪術師の一種。虫などを使って、人を呪うことを職業にしている人)”なる方に、ひどい目に会わせられましたことは、私も聞いておりました。

またそれが、マンガのようなホントの話なのですが・・・。

 

今から20数年前、G氏は当時流行っておりましたテレビの怪奇番組のプロデューサーをなさっていました。

怖くて怪しげな?ことばかりを取り上げる番組です。

そのお仕事でフィリピンに行っておられました。

そしてそこで、とある人間関係のトラブルに巻き込まれますと、その後全身が痛くて苦しくて仕方がないという症状に見舞われました。

 

さすが怪奇番組のプロデューサーです、すぐにお知り合いのフィリピン人の呪術師のもとへ相談しに行かれました。

フィリピンでは、呪術師という職業が存在するのですね?

日本で申しますところの霊媒師というところでしょうか。

 

「呪術」と申します言葉自体に“呪い”の文字が入っておりますので、なんだかオドロオドロしいような気がいたしますが、広範囲の意味でとらえますならば、英語で申しますところのシャーマンも呪術師ですし、宇賀神先生のお仕事だってある意味、呪術師的な部分があります。

「呪」という漢字の成り立ちが、「口で何かを唱えながら踊る・あるいはひざまずく」などと申しますようですから、もともとは悪い意味ではありません。

要は呪文を唱えながら祈る、というような意味でしょうか。

現に、日本で一番有名な般若心経というお経のなかでは、「呪」という漢字は「マントラ」=「ご真言」を表す単語として使われておりますように、いい方の意味で用いられております。

「呪」はもともと、私たち真言宗徒にとりましては、ありがたい「ご真言」と同じ意味で使われていたのです。

 

さて、そのG氏、尋ねて行きました呪術師に、驚くようなことを言われました。

 

(その2につづく)

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その4

マスター・スジャンタが本当は宇賀神先生とY先生のお二人だけにお会いし、何をお伝えなさりたかったのかは、分かりません。

それを詳しくお聞きできなかったのは残念ですね。

ただ、アカシック・レコードに関しましては、少し示唆をいただけたようです。

 

残念ながらこのブログ上では、アカシック・レコードにつきまして詳しくお話させていただくことは、控えさせていただきます。

ますます夢物語のように現実離れした心象と、幽霊など大したことないと思えますようなものすごく怖い、と申しますより、もはや信仰という名の畏怖を覚えますような世界でもありますので、これ以上のことは軽々しく口にはできません。

ただ、とても深遠な世界で、マスター・スジャンタが本当にそこへ行ってらしたのかは私には分かるはずもごさいませんが、とにかく彼がすごい能力をお持ちだったことだけは確かなようです。

 

マスター・スジャンタはインドネシアのスハルト大統領の政治顧問でいらした、と初めにお伝えしましたが、それは、彼の霊能を用いまして大統領に外交上のアドバイスをなさっていたようなのです。

(これはY先生からの伝え聞きです。)

例えばインドネシアで他国の人と外交上のお話をなさいますときは、マスター・スジャンタが隣の部屋で外国からの使者の本意を霊視なさり、大統領に陰でアドバイスなさっていらしたとか。

マスター・スジャンタは、あの、クルッと白目になられる瞬間にすべてを見通されるわけですから、相手の方がどこまで譲歩なさるおつもりか、大統領は知られた上で有利に話を運べたのでしょうか。

 

彼よりすごい霊能を持った人には、宇賀神先生もいまだにお会いしたことはありません。

ですが、先生がマスター・スジャンタにお会いしてから数年後、スハルト大統領はクーデター(とまでは言わないのでしょうか?)により失脚なさいました。

スハルト大統領が独裁者でいらしたことは事実で、マスター・スジャンタはその大統領に仕えていらしたわけです。

宇賀神先生がマスター・スジャンタとお会いしましたのは、私と出会う前でした。

私は直接お会いしたわけではありませんので、彼の人となりを存じませんが、それでもやはり心配してしまいます。

「大統領の失脚を、マスター・スジャンタの予言で回避することはできなかったの?」

と、私は宇賀神先生に尋ねました。

すると先生は、

「それは歴史とか時代とか、とにかく大きな運命の流れだから誰にもどうすることもできないよ。

それに独裁者がクーデターにより失脚して政権交代となるのは必定だから。」

とおっしゃいました。

 

彼のような、ある意味優秀なシャーマン(巫女などを意味します、神さまなどのご託宣をする宗教的職能者)であります方が、時の権力者に重用されますことは歴史の中でもよくあることです。

シャーマン本人にとりまして本意でありましても、本意ではないにしましても。

そして、そのシャーマンを利用なさっていた権力者がその座を追われますときは、運命を共にするしかないことは、容易に想像できます。

大きな歴史の渦には、誰もが巻き込まれてしまいます。

願わくば、マスター・スジャンタがどのような形にせよ、お命が助かり、少しでも難を逃れられましたことを祈るばかりです。

 

私が個人的に、生きてらっしゃるうちに是非ともお会いしたかった方の1人が、マスター・スジャンタでした。

宇賀神先生が25年ほど前にマスター・スジャンタにお会いなさったときに、すでに80歳近い?ご高齢でいらしたそうです。(正確なところは分かりません。外国の方の年齢は、ちょっと判断しにくいですから。)

そう考えますと、今現在も生きていらっしゃるかどうかは・・・。

マスター・スジャンタにお会いしてから何度か、宇賀神先生のところへ彼からのテレパシーが、時折届いていたそうです。

ですが、宇賀神先生は死者からもお話をお聞きになりますからねぇ。

どちらでしょうか。

 

それと、今回4話にわたってマスター・スジャンタのお話を書いておりましたら、やはり、ちょっとそんな予感もしたのですが、どうやら彼がうちに来られたようなのです。

昨晩先生がお一人で出かけられ、私が留守番しておりましたときに、スーッとどなたかが廊下を通られたのが見えました。

不思議と怖い感じはしませんでした。

宇賀神先生が帰られてから、

「あのさ、マスター・スジャンタって白くて長い衣を着てはった?

ふくらはぎ近くまで長いようなの。白いズボンと。

背が高くて、長く白い服を着た人がスーッて通るのが見えてん。

もしかしたら、誰か来はったかも知れんし、白い壁を見間違えただけかも知れへん。」

と尋ねますと、

「あ、それ、マスター・スジャンタ。

綾野さんの頭の中の映像まで見えたから、分かる。

間違いない。

彼はひざ丈くらいの白いスーツを着ていたから。

やっぱり、彼が来るような気がしてたんだ。

綾野さん、彼に気に入られたら大変だぞー。

80近い爺さんだったけど、女好きだったからなぁ。

色々と綾野さんに教えたくてしょうがないんだろ。」

と、おっしゃってくださいました。

それはちょっと、光栄すぎますね?

 

さあて、真相や、いかに( ̄∇ ̄)

マスター・スジャンタ、ユー・アー・ベリー・ベリー・ウェルカム(大歓迎!)ですわよ♥

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その3

マスター・スジャンタは、宇賀神先生とY先生にのみお会いすることを期待なさっていましたが、その他の方達もたくさんいらしてしまいました。

そのため、深いことを伝授なさるのではなく、彼の能力で知ることのできます未来などをお伝えしましょう、という霊能占い&人生相談大会になってしまいました。

 

ご相談なさりたい方を目の前にしますと、マスター・スジャンタは一瞬、目をクルッと白目になさり、たった一瞬でその人につきましての色々を話し始められました。

どうやら白目になられるその一瞬に彼の秘密がございますようで、どなたが何をご相談なさいましても、お聞きになってないことまでピタリと言い当てられ、その場に居合わせられた他の方達まで皆さん大納得なさるほどの精度でした。

 

ただ一つの大きな問題は、通訳でした。

マスター・スジャンタが話される言葉は、母国語でありますインドネシア語と、ひどいオランダなまりの英語です。

そこに、インドネシア語を少しだけ理解なさるフィリピン人の英語を話される女性。

そしてY先生ともう一人、英語を少し理解できる日本人。

と、相談なさる方をいれますと、なんと合計4人で外国語を使った伝言ゲームをしないといけないような状況でした。

宇賀神先生いわく、

「だんだん“しっちゃかめっちゃか”になってきた。」

そうです。

 

するとマスター・スジャンタが、宇賀神先生の方をご覧になりながら片目でウインクなさり、

「テレパテ!テレパテ!」

とおっしゃったそうです。

どうやらオランダなまりの英語で「テレパシー」とおっしゃりたかったよう。

突然、宇賀神先生の頭の中に彼の考えが流れ込んできました。

先生は、

「テレパシーでわしの頭の中に話してよこすから、通訳しろということだな。」

と、すぐに理解なさいました。

 

そこで、宇賀神先生がしっちゃかめっちゃかになっております伝言ゲームの方達に、

「マスター・スジャンタは、多分こう言ってると思うよ。」

と、先生がマスター・スジャンタから“直接”お聞きになったことをご相談なさった方と通訳してくださる人にお伝えし、マスター・スジャンタに逆戻りしていくような方向に伝えていきました。

そうしますと、

「グーッド!(いいね!)」

と、マスター・スジャンタは嬉しそうにおっしゃいました。

 

「えっ、宇賀神先生は彼のインドネシア語とオランダなまりの英語の混ぜこぜが分かるの?」

と、皆さん不思議がられましたが、先生は、

「いやいや、彼の考えがテレパシーで直接頭の中に入ってくるんだよー。」

と、ご説明なさいました。

 

それからはどなたかがご相談なさるたびに、マスター・スジャンタの答えが宇賀神先生の頭の中にテレパシーで入って来まして、それを逆たどりに通訳していきましては、

「グーッド!」

と、マスター・スジャンタがおっしゃる、という形で最後まで霊能占い大会は進みました。

 

そして、宇賀神先生は特に何を悩んでおられるわけでもありませんでしたので、何もお尋ねなさいませんでしたが、マスター・スジャンタは、

「あなたは胃が弱いからマンゴーをたくさん食べて、ピーナッツオイルを毎日ティースプーンで1杯飲みなさい。」

と、おっしゃいました。

 

確かに宇賀神先生は胃が痛くなりがちで、当時はよく胃薬も飲まれていました。

そんなことは何ひとつマスター・スジャンタにおっしゃったわけではありませんでしたが、彼は見抜かれました。

ただ、ピーナッツオイルはあまり日本人にはなじみがなく、おなかを下し気味になりますとか。

マンゴーも先生はそんなにたくさん召し上がる習慣もなく、彼のアドバイスはそのままとなりました。

 

ですが後年、宇賀神先生が人生最大の危機とも申しますべき状況に陥りましたのは、今になって考えますと、胃潰瘍で倒れられ入院なさったのがきっかけでした。

あの、うつ病のようになり、湯の峰温泉に通うことになりました時ですね。

マスター・スジャンタは、そのような大きな厄災に先生が見舞われますことを感じられていたのでしょうか?

(それだったら、そこまで教えてくれても良かったのにー、とは行かないのが世の常でしょうか。)

 

とにかく、マスター・スジャンタのおっしゃったことは、その場に居合わせた皆さんが納得せざるを得ないようなことばかりで、人の前世から亡くなったお身内のことから、何もかもをズバリと言い当てておられました。

 

そしてまた、宇賀神先生がマスター・スジャンタのように明確で子細な思考をテレパシーで送ってくる人にお会いしたことは、後にも先にも彼以外ございません。

私からしましたら、それを余すところなく正確に受け取られ、伝えられる宇賀神先生もすごいなぁと思います。

どなたもでも受け取れるわけではありませんからね。

 

(その4につづく)

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その2

インドのサイババさんのアシュラム滞在中に街へ出かけられたY先生、インド名物?お乞食さんにお金を恵んで欲しいとたくさん言い寄られました。

ある一人のお乞食さんにお金を求められ、断りますと、そのお乞食さんは、

「せっかくお前に喜捨(きしゃ・喜んで貧しい人に施しなどをすること)する機会を与えたのに、断るとは何事だ!」

と、怒られたそうです。

面白い人だと思われたY先生はなぜかその人とウマが合い?、そのままその人の家までついて行って、ご飯をご馳走になったのですとか。

なかなか、Y先生も面白いお方です。

 

そしてマスター・スジャンタは、ご存じであるはずもないY先生のお乞食さんとのこのエピソードを、ズバリ言い当てられました。

 

この人は本物だ。

 

そう感じられ、Y先生は是非ともマスター・スジャンタとゆっくりお話しする機会を持てますよう、頼まれたのですとか。

マスター・スジャンタは、

「私はもうインドネシアに帰らないといけない。あなたとあなたの先生(宇賀神先生のことですね)は面白い人間だから、2人でインドネシアにいらっしゃい。」

とおっしゃってくださいました。

 

この衝撃的な出会いを経て、Y先生と宇賀神先生と、それぞれのご家族とその他何人かのY先生のお知り合いの方達と、結構な人数でインドネシアを訪れたそうです。

 

ところが、マスター・スジャンタは本当は、Y先生と宇賀神先生のお二人だけで来てほしかったみたいなのです。

宇賀神先生いわく、何かお二人にお教えしたいことがあったようでした。

宇賀神先生とY先生はお二人ともそれなりに色々なことがおできになる“霊能者”でいらっしゃいますが、他の方達はそうではありません。

そんな他の方達のいらっしゃる前で何やら秘密のこと?を伝えるわけにもいかなかったらしく、仕方がないのでマスター・スジャンタは、「何か人生上の悩みなどあれば、それについてお答えしましょう」と申しますような、何だか「霊能占い&人生相談」大会みたいなものになってしまいました。

 

まあですが、マスター・スジャンタの霊能は、ただ事ではありませんから。

それはそれはすごい霊能占いとなったようです。

 

ところで皆さまは、「アカシック・レコード」という言葉をお聞きになったことはございませんでしょうか。

日本語で申しますところの、虚空蔵界(こくうぞうかい)にございます、記録のことです。

この虚空蔵界には、全宇宙の、過去・現在・未来すべての、と申しましても過言ではない、ありとあらゆる知識や記録などがあるそうです。

そこに行きますと、地球上のすべての人の前世から未来まではおろか、宇宙の誕生以来の一切のことが分かるのですとか。

虚空とは、「何も無い空間」という意味と、「妨げるものがなく、全てを包括する空間」という一見相反するような意味をもつ言葉です。

密教上では、「この世の全ての記録がある宇宙」が虚空蔵界で、ここを司る佛さまが虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)さまです。

 

虚空蔵菩薩さまとお聞きしますと、すぐに思い浮かびますのは、なんと申しましても我らが弘法大師・空海さまです。

お大師さまがまだお若かったころ、四国の室戸岬にごさいます洞窟で、

虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修され、その行が満ちたとき、

「明星来迎(みょうじょうらいごう)し」、

つまり、流れ星が口の中に飛び込んできて、

彼は偉大な力と知恵を持たれるようになった、

とは、有名なお話です。

つまり、お大師さんのもはや超能力と呼びましても過言ではない法力と、膨大な密教の体系をたった2年ほどで唐より持ち帰られたその天才的な頭脳は、この虚空蔵菩薩さまを瞑想するお修行の結果、得られたと。

 

この「虚空」が、古代インドのサンスクリット語で「アカシャ」と申します。

ですので、アカシック(虚空蔵界の)レコード(ここでは、記録、という意味の方ですね)となります。

 

一体なぜ唐突にアカシック・レコードのお話になったかと申しますと。

どうやらマスター・スジャンタは、この虚空蔵界に瞬時にかつ自由に出入りなさり、そのため人が話をしないことでも、何でもお分かりになるそうなのです。

Y先生のことを「サイキック・ボーイ」と見抜かれましたのも、お乞食さんにご飯をご馳走になりましたのをご存じでしたのも、そのためだったようです。

 

(その3につづく)

 

合掌

本物のテレパシー(超能力の一種)を使う人 その1

昨日は宇賀神先生の「意思伝達能力」についてお話しました。

今日は本物のテレパシーのご経験につきまして、お話したいと思います。

テレパシーって、意思伝達の究極の形ですね。

いわゆる「超能力」と呼ばれるものの一種です。

時を追ってお話したいと思いますので、また数回に分けましてお話しさせていただきます。

 

宇賀神先生は、正確な年数は分かりませんが少なくとも25年近く前、本物のテレパシーをお使いになる、宇賀神先生でさえ舌を巻かれるほどのすごい能力を持った方とお会いなさいました。

インドネシアの、マスター・スジャンタ(正しくはマスター・スハント?)です。

世の中にご自分は超能力者だとおっしゃる方は、それこそ玉石混交でゴマンといらっしゃいましょうけれど、彼は正真正銘の本物だったと先生はおっしゃいます。

 

まず、マスター・スジャンタとの出会いは、以前にもこのブログに登場してくださいました、宇賀神先生の親友でありお弟子さんでありますY先生がきっかけです。

Y先生は、その当時世界的に有名でいらしたサイババさんにお会いするために、インドにございますの彼のアシュラムに行っておられました。

むか~し聞いたお話ですと、何でもサイババさんの手からは“聖なる灰”のようなものが出現するとか?・・・よくは分かりませんが、とにかく当時は奇跡を起こされると有名な方でした。

サイババさんにお会いするために世界中から人々が集まって来られていましたから、彼のアシュラムに行きましても、何日も待たされましたうえ、必ずしもお会いできるとは限らなかったそうです。

 

Y先生はサイババさんのアシュラムに滞在なさり、数日にわたってお会いする機会を待っておられました。

そこで、ただボーっと待っているのも何でしたので、Y先生はそのアシュラムに同じように滞在なさっている大勢の人達を治療なさっていました。

世界中からいらした見ず知らずの人達を、です。

Y先生はお医者様ですが、宇賀神先生のお弟子さんでもいらして、また色々な治療法の研究もなさっておいででした。

ですので、宇賀神先生のように、病院の設備がなくても“治療”なさることは可能でした。

 

そのアシュラムで、Y先生がある人の首の骨のずれを治そうとなさったときのことです。

当人を前に座らせ、向こう側を向いていただき、当時よく使われていた“打法”でもって、背中側から首の骨のずれを動かそうとなさいました。

そのとき、ちょうど向こう側からマスター・スジャンタが通りかかられました。

まさに目の前の人の首の骨を打法で打とうとなさったとき、マスター・スジャンタが、

「オー、サイキック・ボーイ!(おや、超能力者だね)」

とおっしゃりながら、Y先生の目の前の方の首をスーッとなでて行かれました。

 

すると、Y先生は、今さっきまでご自身が治そうとなさっていた首の骨のずれが、既に治ってしまっていたことに気づかれました。

 

あのひとなでで、彼は治してしまった!

 

びっくりなさったY先生は、慌ててマスター・スジャンタを追いかけられ、どのような素性でいらっしゃるのかお伺いしました。

すると彼は、インドネシアのスハルト大統領の政治顧問をなさっていて、サイババさんのご親友でいらっしゃると答えられました。

(この、彼の経歴につきましては、宇賀神先生がマスター・スジャンタから直接お聞きになったわけではなく、Y先生からの伝え聞きです。)

そして、マスター・スジャンタは、ふとからかうように、突然このようにおっしゃいました。

「あなた、このインドで乞食の家に行ってご飯をご馳走してもらうなんて、ダメだよ。」

と。

それはY先生がアシュラム滞在中に街に出かけられ、偶然出会われたお乞食さんとのことを、知られるはずもないマスター・スジャンタが話された瞬間でした。

 

(その2につづく)

 

合掌

意思伝達能力

今日は加持祈祷や氣とは何の関係もないお話ですが。

私の見解ですが、宇賀神先生には外国語をお話になるような言語能力は無いとお見受けしていますが、それでも何故か外国の方と意思疎通してしまうような「意思伝達能力」は、高いものをお持ちだと思っております。

先生ご自身では「わしのは英語力じゃなく“単語力”なんだよ。」とおっしゃっています。

 

これは宇賀神先生と私が出会います少し前のお話ですが、先生がお一人で台湾にご旅行なさったことがあるそうです。

台湾の華西街と申します地区の龍山寺にお参りなさったあと、ふらふらと夜の屋台を飲み歩き、ホテルに帰ろうとなさっていました。

台湾では露店の屋台で皆さん普段からご飯を食べなさるそうです。

夜道を歩いておられますと、少し離れた後ろを何人かの黒いナイロンジャンバーを着た人達がついてくるようでした。

その日は暑い夏の夜でしたから、夏にナイロンジャンバーなんてヘンだな、と怪しげな気配を感じられたそうです。

 

やはり、どうも後をつけられているような気がしておりますと、大通りから少し暗い道に入りましたところで、その人達が宇賀神先生をぐるりと取り囲みました。

そして突然大声でワァワァと何かしゃべりながら、“おしくらまんじゅう”のように数人がかりで身体全体を使って先生を細い路地に追いやろうとしました。

「これは屋台でわしの財布を見て、盗りにきたんだな!」

と思われ、とっさに一人の人を突き飛ばし、ダダッと走って壁を背に立たれました。

20年近く武道をなさり、お若い頃はケンカも(あまり大きな声では言えませんが)たくさん経験なさった先生です。

1対多数での立ち位置に、とっさに移動なさいました。

 

そして都合のよいことに、昼間に台北駅の2階のデパートで購入しておりました、なんと折り畳み式ヌンチャク!をウエストポーチから取り出し、ブルース・リーよろしくビュンビュン振り回され、ピタッと脇にはさんで止められました。

折り畳み式と申しましても、ずっしりと重い金属製です。(まだ家にあります。)

こんなヌンチャクで叩かれましては、相手の方はちょっと怪我をしてしまいますね。

長年なさった空手ではヌンチャクも練習したんですって。

 

ですが、カンフー映画のようにヌンチャクを振り回し、ピタリと構えを決めましたものの、ここで何かひとこと言わなければ!

残念ながら台湾語は話せません。

そこで口をついて出ました言葉が、

 

「アイアム、カラテ・マスター!

ドント・タッチ・ミー!!!」

 

・・・相手の人達は一瞬お互いの顔を見合わせ、ワッと一目散に飛んで逃げてしまったそうです。

 

どうですか、とっさに出ましたヌンチャクにこの英語!

さぞ相手の人達は驚いたことでしょうねー。

そして確かに、英単語を並べて、でもちゃんと通じてます。

英語が喋れない人はこの単語がとっさに出てくるのも難しいようなのですが、宇賀神先生は確かに“単語力”に優れていらっしゃると思います。

このとっさの場面で的確なセリフ(in 英語)がよく出てきましたこと!

 

お若い頃はケンカ慣れしていらっしゃいましたので、あまり怖くなかった、というのも助かりましたね。

もしかしたらその台湾の人達は先生の英語を理解したわけではなく、ただたんにヌンチャクと凄い迫力に驚いただけかも知れません。

宇賀神先生が後でお聞きになったそうですが、黒いナイロンジャンバーに黒ズボン、白シャツのいで立ちは、台湾の“黒社会”(日本で申しますところのヤクザさんですね)の証だそうです。

 

ちなみに私は少しは英語が話せます。

小さい頃から英語が好きでした。

ですが、もしこんな窮地に陥りましたとき、とっさにこんな風にセリフが出てくるかなぁ、と思います。

いえ、もしかしたら日本語でだってうまく話せないかも知れません。

怖さが先に立ってしまいますと、頭が回りませんもの。

いくら宇賀神先生がケンカ慣れしていらしたとは申しましても、この窮地に、しかも外国語で、すごみつつ適格に物事を伝えて、しかも人を(自分の思うように)動かすなんて、ちょっと普通はできないと思います。

 

やはりこれは、言語能力ではなく、意思伝達能力と言えませんでしょうか。

 

おまけに、こんなすごい体験をなさりながら、後に私と結婚しまして、この話をしてくださいました際に、

「ところでわしの話した英語(単語)、意味は合ってるんだよね?」

と聞いてこられたときにはびっくりしました。

 

そんなんも知らんとしゃべっとったんかー( ̄∇ ̄;)

 

さすが本能の強い人は、自覚がなくても生き残るための正しいこと?をちゃんとしてしまうようですね?

いえいえ、アナタ様はそれでいいのですよ!

その生き力の強さこそが、宇賀神先生の先生たるゆえんです。

 

ただひとつだけ残念なことには、宇賀神先生の意思伝達能力が一番発揮されませんのは、夫婦間の会話のときなのです!

先生いわく、「ジェネレーションギャップが原因だよー。」とのことですが、もうちょっと話が通じるといいよね?

相変わらず、都合が悪くなりますと出てくる英単語です。

先生、がんばってー♥

 

合掌

七夕は佛仙道光明不動寺の創立記念日です。

昨日は七夕でしたね。

皆さんは何か願い事を短冊に書かれましたか?

小さい頃はそう言えば、「字が上手になりますように」とか書きましたっけ・・・子供心は純粋でしたねぇ。

 

7月7日・七夕は、宇賀神先生が設立なさった宗教法人 佛仙道光明不動寺(ぶっせんどうこうみょうふどうじ)の創立記念日です。

先生は平成元年に宮城県・仙台市から大阪へ出てこられました。

このブログに載せておりますビデオ「佛仙道そのパワーと魅力」を撮影なさった年ですね。

 

その年までの約10年間は、宇賀神先生は仙台でこのお仕事をなさっていました。

まだ高野山へも上がらせていただいておりませんでしたから、気功師のような、東北地方で申しますところの“神さん業”のようなことをなさっていて、やはりすでにたくさんの信者さんがおられました。

 

ですが、宇賀神先生いわく、「自分の力を世に問うてみたかった。」のだそうです。

大勢の信者さんを仙台に残し、大阪へ出てこられることを決意なさいました。

地理的に考えまして、仙台から出られた場合、どうして東京を通り越して大阪まで来られたのかはちょっと不思議ですよね。

それは、先生ご自身が大阪には地縁(ちえん)がある、と思われたからです。

 

宇賀神先生のご両親は栃木県のご出身ですが、戦前に、まだ大阪が「大大阪(だいおおさか)時代」でありました頃、お父様がこちらに就職なさってきたそうなのです。

しかも住んでおられたところは、今の私たちの自宅から一駅となりの今里というところでした。

先生のお父様は当時は海外へも出張なさるエリートサラリーマンでいらしたそうで、その頃は裕福な生活をなさっていたそうです。

ハイカラなこともお好きで、中之島の中央公会堂のレストランで洋食を召しあがったことや、また、御堂筋のことを「飛行機が離着陸するくらいの大きな通りだった」と、幼い頃の宇賀神先生によく話されていたそうです。

その戦前の大阪暮らしの時代は、お父様にとりまして、一番華やかでお幸せな時代のようでした。

先生はそんなお父様のお話を聞かれ、自然と大阪に憧れを持たれたのでしょうか。

 

戦争が終わりまして後にお父様は栃木県の宇都宮市に戻られ、そこから仙台へと移り住まれ、宇賀神先生が小学校3年生のころ、お父様は事業に失敗なさいました。

先生は、それまではおあつらえの洋服を着せてもらって、“ねえや”までいらしたお坊ちゃんの暮らしから一転、貧乏な生活になられたそうです。

その落差は、さぞおつらかったと思われます。

 

ですので、ご両親が一番裕福でお幸せな時代を過ごされた大阪に、もしかしたらご縁があるのではと思われて、宇賀神先生は東京を飛び越えて大阪に出てこられたのですって。

また、明治以降の有名な宗教家は大阪に多かったそうで、もしかしたら宇賀神先生のようなお力を持っておられる方にお会いできるかも知れないと、期待なさったそうです。

 

驚きますことに、宇賀神先生は大阪に何か“つて”がおありになって来られたわけではありません。

どなたのお知り合いもなく、唐突に大阪に出てこられました。

無謀と申しますか、それともご自分によほどの自信がおありになったのか。

とにかく、お仕事をしなくても3年間は食べるに困らないだけの貯金を持って、大阪に出てこられたそうです。

ちょうど先述のビデオと同じ年の宇賀神先生ですから、若い?パワーに溢れて、怖いものはなかったのでしょうかねぇ。

 

ですが、大阪に出てこられたお蔭で、高野山へ上がらせていただくご縁も頂戴し、宗教法人も設立でき、今に至ります。

宇賀神先生のご性格とお力でしたら、やはり密教系、しかも真言宗が一番ご縁がありそうですが、これがもし東京でしたら、総本山であります高野山からはとても遠いですものね。

 

ご縁ともうしますものの妙には、いつもため息をつく思いです。

よくその細い糸をたどって、たどって、ここへ至ったものですね。

 

ちなみに宇賀神先生が大阪へ出ていらした当時はワタクシは14歳くらいでしょうか?

中学校2年生とおっちゃんですやん・・・その頃出会っておりましたら、恋に落ちなかったかも???

そう考えますと、この結婚はもはや犯罪ですね。

やっぱり、ご縁は妙すぎます。( ̄∇ ̄;)

 

合掌

祈りの力

この数日、九州の方では大雨の被害が大きいようです。

被災されました方達に、心よりお見舞い申し上げます。

 

このようなとき、皆さまも、たとえご自身のお身内が被災地域に住んでおられなくても、自然と被災された方達のご無事を祈られるのではないでしょうか。

 

人は、自然と、祈る。

ときに自分の為だけでなく、他者の為にも。

 

それは、本能に近いところで、祈りというものの力を知っているからでしょうか。

 

宇賀神先生にとりましては、祈りには力がある、ということは「当然のこと」です。

別にどなたと議論するまでもなく、また証明する必要すら感じず、当たり前のように思われています。

だからこそ、それをお仕事にもできておられるわけですが。

 

ですが今の世の中、全ては科学という物差しで測れない(証明できない)と、信じることは難しいようです。

もちろんこの“科学的な姿勢”のおかげで世の中の色々なことが理性的・合理的に考えられて、今の素晴らしい世界になりました。

ただ、少し残念であるとしますなら、科学の物差しでは測れない物事を、論外だと排除してしまうことでしょうか。

例えば先程の「祈りには力がある」というようなことです。

可能性としましては、それはもしかしたら、科学の物差しの大きさが、ただ単に祈りの力を測れるほど大きくなってないだけかも知れませんね?

 

ずい分と以前に知ったのですが、リン・マクタガートさんとおっしゃる女性がある実験をなさったそうです。

たしか、アメリカの西海岸に住んでおられる何人かの方達でグループを作り、アメリカの東海岸で入院なさっている患者さんグループの健康を祈る、という実験です。

双方とも面識がない方達でグループを作ります。

さらに祈ってもらう方の患者さん達には、ご自身が誰かに祈ってもらっている、ということを知らせません。

そして同じく東海岸の別の患者さん達で、誰にも祈ってもらわないグループも作りました。

 

すると実験の結果は、やはり、祈ってもらっていた患者さん達のほうが、誰にも祈ってもらわなかった患者さん達よりも、回復が早かったそうです。

 

と、ここまでは、宇賀神先生のなさっていることをご存じの方達でしたら、想像に難くないと思われます。

きっと、そういうことだってありえるよね、と思えます。

 

じつは、さらに素晴らしいことには、見ず知らずの患者さんの健康を祈られた、西海岸の人達の健康まで増進してしまったそうなのです。

これはすごいことだと思いませんか。

「情けは人の為ならず」ということわざが、意識のレベルでも起こるのです。

人の健康を祈るとなぜか自分まで健康になってしまうなんて、神様佛様はなんて素晴らしいギフトを私たちにくださったのでしょうか。

 

じゃあきっと、人の幸せを祈ると自分まで幸せになる、ということだって起こり得ますよね?

 

祈りには、力がある。

その力は、祈った方にも祈られた方にも、双方に作用する。

そして人は、本能に近いところで、自然と祈る。

自分の為だけでなく、他者の為にも自然と。

 

本当に素晴らしい天からのギフトだと思っております。

 

多くの人の、善なる祈りが、天にも届きますように。

 

合掌