龍の背中

今日はちょっとだけ、だんじり(地車)のご紹介を♥

 

昨日お伝えしました深江のお稲荷さんのだんじりの「舞い舞い」の動画です。

まだ序盤で、紙吹雪も少ないときですが。

しかも、スマホ撮影→転送のため、かなり画像も荒いです。

そして、一瞬です。

こんな雰囲気なんだ~とだけでも、ご紹介できましたら幸いです。

 

深江のお稲荷さんのだんじり「舞い舞い」

クリックしてくださいますと、再生できましたでしょうか?

(再生するためのボタンのようなものが画面の下の方?に出てきましたでしょうか。)

万が一できないときはどなたかお教えくださいませ・・・って、教えていただいても改善できなかったらどうしよう。

私のパソコンでは再生できているのですが・・・機械オンチでごめんなさい。

 

そして、こちらは向こう側へ帰るだんじりの写真です。

ですのでこの写真ではだんじりのお尻が見えているのですね。

龍の背中
龍の背中

 

今日は龍は、金色に見えたと申しますよりは、存在を感じました。

この写真で申しますと、ちょうど撮影しております私が龍の背中(たてがみの部分)の上に乗っておりますような、そんな立ち位置です。

どうでしょう、この写真を撮影しておりますとき私は、金色の光をまき散らしながら向こうへ波打つように進んでいく大きな龍の背中を鳥肌とともに感じておりました。

 

宇賀神先生は、このような感じ方・見え方は感性の問題だから、正しいとか正しくないとかはないんだと思うよ、とおっしゃいました。

 

そう、感性。

同じものを見ましても、同じ場所におりましても、五感や心で感じるもの・感じ方は人それぞれですものね。

なるべくでしたら私自身の感性は、素晴らしいもの、美しいもの、などに敏感でありたいと思います。

 

私の撮影では到底だんじりの迫力や楽しさを撮りきれませんでしたが、ちょっとその雰囲気だけでも感じていただけますと幸いです。

 

***

ひとつ訂正させてください。

昨日は『お稲荷さんのお祭りで「茅の輪くぐり」がございます』と書きましたが、今日見ますと、「菅の輪くぐり」となっておりました。

昨日の分も修正しておきます。

申し訳ありませんでした。

ちなみに、深江は昔は菅笠作りが盛んで、人々は深江で菅笠を買い求め、それをかぶって「暗がり峠越え(くらがりとうげごえ)奈良街道」を通って、お伊勢さんへお参りに行っておられたのですって。

今日その菅の輪をくぐりますと、菅の青い香りがとても心地よかったです。

***

 

合掌

黄金色の龍

3日間ほどご無沙汰いたしております。

出張方々、出かけておりました。

更新をお休みしておりました間にもブログページを訪れてくださった方達がいらして、とてもありがたく存じております。

 

この場をお借りし、御礼申し上げます。

 

さて、このブログに度々登場していただいている深江のお稲荷さん、私はつい親しみを感じて“様”ではなく“さん”付けで呼ばせていただいていますが、本当はお茶目なヤキモチ焼きさんでもおしゃべり好きさんというだけでもありません。

それぞれの神様によってまた色々な性格?の違いを感じたりもしますが、深江のお稲荷さんは本当にお心の温かさと広さを感じられる神様です。

お参りさせていただき、手を合わせ目をつぶりますと、まぶたの中に温かな太陽が見えるようです。

 

さて、今日7月31日と8月1日は、そんな深江のお稲荷さんの夏祭りです。

こぢんまりとした境内ですが、いくつかの露店と、深江の昔ながらの“菅笠”(すげがさ)のミニチュアを作って売っておられたり、最近では“菅の輪くぐり”などもなさっています。

8月1日には、だんじり(地車)の巡行もあります。

私はこのだんじりが大好きなのです。

毎年、見に参ります。

 

特に、だんじりの最後の見せ場が好きです。

ちょうど神社のすぐ手前の大通りの交差点で地元の人が「舞い舞い」と呼んでおられる、だんじりが神社に帰り着く直前の、迫力ある最後の見せ場です。

交差点で信号が変わったスキにだんじりが大通りを大急ぎで渡り、渡りました先で急ブレーキをかけ、紙吹雪をまき散らせながらだんじりの上と下で人々が踊りさわぎ、音と光とともにそれはそれは賑やかな見せ場となります。

それを何度も繰り返すのです。

 

あれは数年前の夏祭りでした。

私はいつものようにその「舞い舞い」を見に行きました。

そしてそこで生まれて初めて見ましたものは、「黄金色の龍」でした。

 

私がおりました交差点の向こう側にだんじりがおりました。

交差点を往復するのが終わりましたのか、ちょっと休憩なさっていましたのか、ずっと向こう側にとどまる形でだんじりがおりました。

向こうでライトに煌々と照らされて、ちょうど私から見まして左側に正面を向けております形でだんじりがおり、お囃子とともに人々が踊り、紙吹雪が舞っておりました。

そのライトがオレンジ色に近い光(白熱電球)のせいだったのかも知れません。

だんじりと、その周りが金色に輝いて見えました。

 

そして、あっと気がつきますと、だんじりと重なるように大きな大きな黄金色の龍の頭が見えたのです。

だんじりの龍の頭に続いて、大通りに沿うように右に向って大きく波打つようにうねる龍の身体が横たわっています。

その龍の胴体は、太さが大通り沿いの家々よりも大きいほどで、長さは果てが見えないほど続いておりました。

龍の身体が、夜の暗闇のなかキラキラと金色に輝きながら、大通りに沿ってうねるようにどこまでも続いていたのです。

一体どこまでの大きさがあるのでしょうと、驚きました。

そして、だんじりの上から巻かれる紙吹雪も、金色にキラキラと光っています。

まさに、龍が口から火を噴いている光景に見えました。

 

その黄金色の龍を見た瞬間、私の目からは涙が溢れ、とまらなくなりました。

私は神さまや佛さまにお会いしますと、いつも自然と涙が出てきてとまらなくなります。

怒涛のような幸福感に包まれて、瀧のように涙が流れるのです。

 

深江のお稲荷さんが、龍のお姿で現れられるなんて、思ってもみませんでした。

たしかに宇賀神弁財天さまは頭の上に蛇体を持つ白鬚のおじいさんをのせておられますし、また、だんじりの上で踊る踊りは、どなたかは“龍踊り”とおっしゃっていました。

踊る人の手で龍の動きを表しているのでしょうか?

ですが、いつもは温かな太陽のような光の大きな玉?で拝見するお稲荷さんが、黄金色の龍に見えるなんて、思ってもみませんでした。

 

人々が嬉しそうに騒いでおられる中、私は身動きできずに涙を流しながら、ただただその龍に見とれておりました。

 

本当は、ずっと見ていたかった。

ですが、あまりにも泣き続けておりますことにだんだんと恥ずかしくなり、「舞い舞い」を最後まで見ずに立ち去ることにしました。

やはり長年住んでおりました地元ですから、当然私の顔を知ってくださっている方達もおられるわけで、後日どなたかが私の両親に

「あんたはんとこの娘さん、だんじり見て泣いてはりましたで。

どないかしはったんでっか。」

とでもおっしゃいましたらちょっと恥ずかしいじゃないですか。

常識人のワタクシといたしましては、涙を隠すようにこそこそと帰ることにいたしました。

ですが、本当は離れたくなかった。

まばたきするのも惜しいほどに、ずうっと、ずうっと、見ていたかったのです。

 

後ろを振り返り、振り返り、しながら家に帰りましたが、だんじりが見えております間中、それは黄金色の龍でした。

あんなに不思議で美しい光景が見えるなんて、本当に幸せでした。

やはり恥ずかしさを顧みず、ずうっと眺めていたらよかったのでしょうか。

 

本当は、この黄金色の龍の光景は私の宝物で、世界中から隠して自分だけのものにしたいと思っています。

正直な気持ち、独占欲です。

ですが、宇賀神先生と同じように、私の大好きな深江のお稲荷さんのことを、世界中から隠して自分だけのものにしたいような、世界中の人にその素晴らしさを知ってもらって、世界中の人から好きになってもらいたいような。

そんな相反する気持ちがあります。

どちらも本当の気持ちで、我が心ながら、女心は少々フクザツですね?

 

残念ながら、あの日以来、黄金色の龍を拝見するご縁には恵まれておりません。

ぜひもう一度、いいえ、もう何度でもお会いしたいと願っておりますが、今のところは後にも先にもあの日だけです。

きっといつかまた、お会いできる幸運に恵まれますように。

明日はいよいよだんじり巡行の日です。

 

 

(申し訳ありません。このページを公開する前に日付が変わってしまいました。“明日”を“今日”としてお読みくださいませ。)

 

合掌

“God bless you.”(神様の祝福がありますように。)

宇賀神先生のもとに来られる方達のご相談を垣間見させていただいていますと、お一人お一人の人生という長いドラマの一部を拝見しているようです。

どんなに栄華を極められた方も、ご自身ではどんなに平凡な人生と思われている方も、一つとして同じストーリーはなく、悲喜こもごも、嬉しいことも悲しいこともあるのが人生なのかなぁ、と思われます。

 

ときにそんな方達のお話は、私の心の中に少しの重みをもたらされます。

宇賀神先生は

「感情移入をしないように。それではプロは務まらない。」

と、おっしゃいます。

その通りだと思います。

気持ちを込めることと感情移入することは似て非なるもので、感情移入することでかえっていい結果を生まないことの方が多いような気がいたします。

 

今日も私の大好きな方から、ご相談とまではなさいませんでしたが、あるお話をお聞きしまして、その方のためにお祈りするような気持ちになりました。

その方は、信仰について悩んでおられました。

明日、その方にこの詩をご紹介しようと思います。

私はその方に、心からお幸せになっていただきたいと願っております。

「無名の南軍兵士の祈り」

大きなことを成し遂げるために

力を与えてほしいと神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

 

より偉大なことが出来るようにと

健康を求めたのに

より良き事ができるようにと病弱を与えられた

 

幸せになろうとして、富を求めたのに

賢明であるようにと、貧困を授かった

 

世の中の人々の称賛を得ようと、

成功を求めたのに

得意にならないようにと、失敗を授かった

 

人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと命を授かった

 

求めたものは一つとして与えられなかったが、

願いは全て聞き届けられた

 

神の意にそわぬものであるにも関わらず

心の中で言い表せないものは全て叶えられた

 

私はあらゆる人の中で

最も豊かに祝福されたのだ

数年前、偶然この詩を知りましたが、とても有名なようですね。

宇賀神先生も初めてお知りになったとき、感動して涙を流されていました。

この詩は日常の中で、つい見失ってしまいそうになる何かを思い出させてくれるような気がいたします。

 

もちろんこの詩の中の「神」とは、キリスト教の神様のことですが、ちょっと乱暴な言い方ですが、そんなのはどうでも構わないのです。

日本の八百万(やおよろず)の神様でありましても、キリスト教の神様でありましても、それは人々の信仰する心ですから。

素晴らしいものは素晴らしい。

ありがたいものはありがたい。

シンプルにそう思う人間でありたいと思います。

(と申しますより、複雑になれない単細胞なだけだったりして。)

 

宇賀神先生はお加持なさいますときに、佛さまのご真言を唱えられますが、決してご相談者様に信仰を押しつけることはなさいません。

先生は常々、人様に信仰を押しつけることは、

「小さな親切、大きなお世話」

だとおっしゃっています。

信仰とは、惚れて惚れて惚れぬくこと。

は、宇賀神先生の口ぐせです。

決して人様から「あなたはこの人に惚れなさい」と押しつけられるものではありません。

 

誰かを好きになる気持ちは、人に強制されるものではなく、自分の心の中から自然に湧いてくるもの。

損得勘定は抜きです。

神さまや佛さまを好きになる気持ちも、同じです。

ご利益があるから好きになるのではないですし、どなたを好きになるのも自由です。

 

あ、ちょっと押しつけがましいですか。

私は少なくとも、ご利益があるから好きになるという打算では、神さま佛さまを好きにはなりません。

でも打算で好きになる人もいらっしゃるでしょう。

それすら、自由です。

信仰の自由。

自由とは、「自らに由る」と書きます。

 

私は宇賀神先生の「人に信仰を押しつけない」とのスタンスは、とても素晴らしいと思います。

 

今日も、すべての善き人々の善き幸せが叶いますように。

 

合掌

 

 

追伸:金曜日から3日間、仕事の関係でブログの更新はお休みさせていただきます。

また来週の月曜日に(たぶん遅くなるとは思われますが・・・ごめんなさい。)書きたいと思います。

よろしくお願いいたします。

・・・あれ、でももう日付が木曜日から金曜日に変わってしまっていますね(^-^;)

早よ寝よ。

「薄氷を踏むように」または金魚も生き返ったお話。

宇賀神先生は大胆なように見えて、じつは結構慎重なお人です。

29年前、大阪に何のあてもなく一旗上げようと出てこられたのは確かにとても大胆な行動です。

無謀と申し上げてもいいくらいかも知れません。

ですが、こと加持祈祷に関しましては、とても慎重な姿勢を貫いていらっしゃいます。

 

深江のお稲荷さんはこのことを、

「薄氷を踏むように」

と、表現してくださいました。

 

「薄氷を踏むように慎重に、どの人に対してもお加持しなさい」と。

 

以前の記事で、福島県の横向温泉で思いがけず、生まれて初めてたくさんの人々を不思議な力で治すことになりましたことをご紹介いたしました。

気功師デビュー秘話

湯治にいらしていた大勢のおじいちゃん、おばあちゃん達が口々に「治った!」「痛くなくなった!」と喜ばれましたが、実はその人達が本当に治ったのかどうか、一番不安でいらしたのは宇賀神先生ご本人でした。

 

もしかして催眠術?とか、プラシーボ効果(その人達の思い込み)だけで痛みが取れて治ったように勘違いなさっているだけだとしたら、どうしようと思っておられました。

一時的に痛みがとれたため治ったと勘違いなさっているだけで、本当は全然治っていなかったら?

それが例えば膝が痛い方でしたら、あとでまた痛くなるだけで済むかもしれませんが(それでもつらいですけれど)、それがもし、虫垂炎などでも起こされているとしたら、痛みだけを一時的に消すことは命に関わる重大なことです。

宇賀神先生は、悩まれました。

 

そんなある日、当時住んでおられた仙台市のマンションの廊下を歩いておられますと、そこで数軒となりの奥さんが金魚の水槽を何やら掃除なさっていました。

宇賀神先生が横を通られますと、その方は死にそうにプカーと浮いております金魚を何匹かよけておられました。

「あらー。大変だねぇ。」

と先生が声をかけますと、

「そうなの。病気みたいなんだけど、うちの主人が大事にしてる金魚だから、きっと怒るわぁ。」

とおっしゃいました。

 

そのとき、ピンと来られた宇賀神先生、

「ちょっとわしに任せてみてくれないか?」

と、ご近所さんに頼まれました。

 

そしてお腹を横に向けてプカプカ浮いております金魚の尻尾をつかみ、

「ええいっ!」

という「氣合い」とともに、ピシッ!とムチ打つように金魚をしならせました。

そして水の中に金魚を放しますと・・・果たして、その金魚は再び泳ぎだしました。

 

宇賀神先生は、何匹かの死にかけておりました金魚を全てそのようにして生き返らせました。

人間で申しますところの、「喝」を入れたのですね。

金魚をムチのようにしならせることで一瞬にして背骨を整え、そのとき同時に「氣合い」をかけられました。

 

ご近所の奥さんはとても喜ばれました。

 

この件で宇賀神先生は、ご自分の力は催眠術じゃないと確信を得られました。

金魚には催眠術は効きませんし、プラシーボ効果も、金魚には無縁です。

本当に治ったんだ、と、確信なさいました。

 

宇賀神先生はいつも、

「わしは“無師独学”だから。」

「わしのこの技法は、誰にも教わることなく、全て自分で築き上げてきた。

どんなことを勉強すればいいのか、どんな修行をすればいいのか、誰にも教わることなくここまできた。」

と、おっしゃっています。

 

ですので、どうやって確かめればご自分のこの力が幻想や催眠術ではないと分かるのか、それも含めまして全てご自身で考えられ、一歩ずつ進んでこられました。

まさに手探りで、ご自身の手と足とで確かめながら、一歩一歩進まれ、今日に至ったのですね。

 

死にかけておりました金魚に試してみよう!と思いつかれたのも、さすがだなぁと思います。

金魚には催眠術も効かないもんね?って。

お蔭様で後年、ワンちゃんうちのぴーちゃんも助っております。

 

宇賀神先生がどなたに師事されることもなく、全てご自身で築き上げてこられたからこそ、慎重に、慎重に。

これからもこのご姿勢を貫いていただきたいと思います。

 

合掌

思い込みのチカラ

今日は宇賀神先生の能力開花のきっかけとなりました、「思い込みの力」についてご紹介いたしましょう。

 

以前にもお話したこともあるかと思いますが、宇賀神先生は絵がお上手です。

うちにございます、お不動さんの絵もお描きになりましたし、小学校のときに描かれました絵が、栃木県の図工の教科書に20年間ほども採用されたそうです。

宇都宮市内?の“パインミシン”(当時ございましたミシンの会社だそうです)の工場見学に行かれたときに描かれました絵が、栃木県の美術選で最優秀賞に選ばれ、教科書に載ることになったのですって。

 

宇賀神先生の小学校時代の担任の先生に、荒川先生とおっしゃる女性の先生がおられました。

この方は、後に栃木県で女性で初めて校長先生になられた方です。

荒川先生は、宇賀神少年に絵の才能を見出されていました。

ちょうど当時は、放浪画家の「山下 清」さんが有名になられた時代でしたから、「おバカのやっちゃん」とよばれた宇賀神少年の境遇と重ねられ、なおのこと宇賀神少年にも山下 清さんのような絵の才能があると思ってくださったのかも知れません。

 

昨日のお話で、宇賀神先生が小学校3年生のときに孤児院に入られたことをお伝えしましたが、荒川先生がそれをお知りになり、大変驚かれたそうです。

「やっちゃんには立派なご親戚もいるのに、孤児院に入るなんて。一体どうしたの?」

と、おっしゃってくださいました。

宇賀神先生のご親戚は、宇都宮近辺では“名家”として名が通っていました。

そして、ありがたいことに孤児院の園長先生と同じように、

「孤児院に入れられるくらいなら、やっちゃんを私の養子にくださいませんか?」

と、宇賀神少年のお父様に尋ねてくださったのですって。

もちろんお父様のお返事は、

「まがりなりにも宇賀神家の長男ですから、養子にやるつもりはありません。」

でした。

 

このことに関しましても宇賀神先生は、

「もしもあのとき荒川先生の養子になっていたら、わしは今頃“日本のゴッホ”になっていたかも知れないのに!」

と、悔しそうにおっしゃいます。

うーん、まあ、ゴッホかどうかは微妙ですけれどね。

(「ゴホン、ゴホ、ゴホ」と咳払い。by宇賀神先生)

 

そしてこの荒川先生は、宇賀神少年を勇気づけるためにこんな言葉をかけてくださいました。

 

「やっちゃんにはね、すごい力が眠っているんだから。

今は分からないかもしれないけれど、大人になってその力が目覚めたときには、素晴らしい未来が来るよ。

今はつらいだろうけれど、頑張るんだよ。」

 

今になって思いますと、荒川先生は宇賀神少年に絵の才能を見出されていたわけですから、山下清さんのように、将来絵の才能が目覚めたらすごいことになる、とおっしゃったのだと思います。

 

ですが、宇賀神少年はここで、少々の勘違いをいたしました。

「僕にはとっても大きな“超能力”が眠っていて、それが目覚めたときに、すごいことになるんだ!」

と。

まるでマンガの主人公がある日突然、驚くような超能力に目覚め、スーパーヒーローになるように。

 

この1~2年後に「日本ターザン」に出会われたわけですから、そのとき宇賀神少年の中で、この思いは期待から確信に変わったのではないでしょうか。

「僕もきっとこうなるに違いない!」と。

 

まさしく

「ああ、カンチガイ・・・!!」

です。

 

「絵の才能が目覚めたときに」すごいことになる、とおっしゃってくださった荒川先生。

「超能力が目覚めたときに」すごいことになる、と思った宇賀神少年。

 

少々、と申しますよりはかなりの勘違いでしたが、この荒川先生のお言葉を忘れずにいた宇賀神先生は後に、本当に超能力(って言ってしまってもいいでしょうか?)に目覚められ、今のお仕事を始められました。

世の中を大きく変えるほどすごいことには、まだ?なってはおりませんが、少なくとも宇賀神先生の人生や、今まで微力ながらもお力になれましたご相談者さまの人生を変えられるような「すごいこと」にはなりましたね。

宇賀神少年の思い込みが、信念と呼ばれるほどの強さにまでなりました結果、宇賀神先生は今のお力を得られました。

 

私が宇賀神先生の勉強会に参加しだしましたのは、もう22年ほど前にもなりますが、宇賀神先生がそこで

「わしは小さい頃から『自分にはすごい力が眠っていて、それが目覚めるときすごいことになる』って信じていた。」

とおっしゃいますのを、ずーっと聞いておりました。

それは、60年も前の荒川先生のお言葉がもとになっていたのですね。

そしてここだけの話、荒川先生がおっしゃった「すごい力」って、実は絵の才能のことだったんだー(超能力ではなく)と、気づかれましたのは、実はつい最近のことなのです。

そのことに気づかれた瞬間の宇賀神先生のお顔ってば・・・“へなへなプシュー”と空気が抜ける風船のようでしたねぇ( ̄∇ ̄)

 

宇賀神先生が今日こうしておられますのも、ある意味、荒川先生のお蔭かも知れません。

宇賀神先生は荒川先生のお言葉をもとに、ご自身にはすごい力があると思い込まれたわけですから。

宇賀神先生は今でも、荒川先生のこのお言葉を感謝の気持ちとともに覚えておられます。

 

この、思い込みの力と申しますものは、(それがたとえ勘違いによるものでありましても)かなりの可能性があるようですね?

これを活用しない手はないですね!

私も思い込んでみようかしら。

「私にはものすごーい文才と魔法のチカラがある!!!」

って。

 

ありがたい、ありがたい♥(『領収書が先』を実践中。)

 

合掌

 

にほんブログ村のランキングに参加しております。ペンちゃんクリック♥応援をお願いいたします。

ありがとうございます♥

宇賀神先生と佛さまの出会い

今日は宇賀神先生と佛さまの一番初めの出会いについてお話ししましょう。

宇賀神先生のご記憶の中にございます、一番初めの出会いです。

 

それは宇賀神先生が、小学校3年生(多分)のときでした。

以前にも少しお話しましたが、先生はご両親の愛情一杯に育たれた、とは言いきれないような少年時代でした。

先生が小学校3年生くらいのとき、お父様とお母様が離婚なさった関係で、1年とちょっとの間ですが、孤児院に入っておられました。

栃木県・宇都宮市にございます、下野三楽園(しもつけさんらくえん)という孤児院です。

 

そこは、日光山輪王寺(にっこうさん・りんのうじ)の経営なさる孤児院だそうで、日光山輪王寺は、天台宗のお寺さんです。

お寺さんの経営でしたので、孤児院の方でも毎朝お勤め(勤行=ごんぎょう・お経を読むこと)があり、そこで暮らす子供たちもそれに参加しておりました。

ご本尊さまは、薬師如来さまでした。

 

ところで、子供の頃の宇賀神先生は、今で申しますところの“学習困難児”でした。

その頃は学習困難児という言葉もなく、宇賀神先生がおっしゃるには、

「担任の先生の机の上にポンと置いてあった学籍簿には、わしのことは“異常児”って書いてあった。」

そうです。

ちょっと信じられるような?、信じられないような。

ですが、当の宇賀神先生ご本人が、

「わしは小さい頃、口をポカーンと開けている“おバカのやっちゃん”だったから。」

とおっしゃっています。

 

その宇賀神少年に、いつの頃からか朝のお勤めが始まりますと、とても綺麗な光の雲が、すぅーっとお薬師さまの頭の中に吸い込まれていくのが、見えたそうなのです。

やはり口をポカーンと開けて、その光の雲を目で追っていたのでしょうね。

ある日、孤児院の園長先生(この方もお坊さんだそうです)が尋ねられました。

「やっちゃんはいつもお勤めのときに上を見ているけど、何か見てるのかい?」

と。

 

宇賀神少年は正直に、

「お経が始まると紫と金色にピカピカ光る雲が、佛さんの頭の中に入っていくのが見える。」

と、答えました。

 

園長先生は驚かれ、“おバカのやっちゃん”と周りから馬鹿にされておりました宇賀神少年に、こう告げられました。

「それはすごいねー。

先生もその佛さまの光が見たくて何年もお修行したけど、ついに見えなかったんだよ。

やっちゃんに佛さまの光が見えるなんて、先生はうらやましいな。」

と。

 

宇賀神少年の「夢でも見ているのでは?」と普通なら笑ってしまいますような言葉を、園長先生は笑われませんでした。

そして、「先生はやっちゃんがうらやましいよ」とまでおっしゃってくださいました。

宇賀神少年の言葉を真摯に受け止めてくださった園長先生の愛情が、ありがたいですね。

 

もちろん宇賀神先生はそのとき本当に紫と金色に光る雲をご覧になっていました。

大人になりましてから分かったことですが、お薬師さまは別名、瑠璃光如来(るりこうにょらい)さまとも呼ばれていらっしゃいます。

瑠璃色、つまり、紫色を帯びた濃い青色、の光の佛さまと書きます。

先生がご覧になった、光の雲と同じ色ですね。

 

その光が見えたからと申しましても、また、園長先生がうらやましいな、とおっしゃってくださいましても、宇賀神少年にはそれが一体何を意味しますのかは、あまりよく分からなかったようです。

ですが後年、大人になりましてから紆余曲折の末やはり佛門に入られたわけですから、小さな頃から本人の気づかないところで有り難いご縁をいただいていたのですねぇ。

 

ちなみに、その光が見えたからかどうかは分かりませんが、園長先生から宇賀神少年のお父様のところへ、

「やっちゃんを出家させるおつもりは無いですか?」

との問い合わせがあったそうなのです。

残念ながらそのときお父様は

「まがりなりにも宇賀神家の長男ですから、出家させるつもりはありません。」

と断られたそうです。

宇賀神先生は、

「もしあのとき親父が園長先生の申し出を受けていたら、わしは今頃天台宗の高僧だったのに!」

と、いまだに残念そうにおっしゃいます。

 

私は、「いえいえ、高僧かどうかは別問題ですよ」とは、ちっちゃい声で言いました。

 

合掌

笹の小舟を折って流すように

今日は宇賀神先生からのご伝言です。

どうして前世などに心囚われない方がいいのか、ということにつきまして。

 

宇賀神先生いわく、

「それはね。

例えば前世ですごい大金持ちで、全ての財産を金塊にしてここに埋めた、って覚えていたとするだろ?

そしたらどうするの?

きっと現代だとその上にビルでも建ってて、

『僕が前世でここに埋めた金塊を掘り出したいんだ!このビル邪魔だ~っ!』

とでも言うの?

そんなの無意味だし、頭おかしいって思われるのがオチだろ。

だから気にしない方がいいんだよ。」

ですって。

 

なんだか、宇賀神先生らしい(単純)明快な例えですが。

とにかく、こういうことらしいです。

 

昨日もお伝えしましたが、例えば見えてしまった霊や過去生を気にしないためのコツは、

「ただ目の前を通り過ぎる景色のように見るだけ」

です。

電車に乗っておりますとき、車窓の外を流れていく景色を眺めますように、執着もせず、否定もせず、ただ、流します。

ただ見えましたこと、聞こえましたことを

「あっ、そう。」

とだけ、受け流します。

 

これは瞑想しておりますときに浮かんでくる雑念の対処法と同じかと思われます。

座禅を組むなどして瞑想しますとき、初めは心に色々なことが思い浮かんできます。

今日のお昼ご飯は何を食べよう、とか、あの用事を片付けなきゃ、とか。

ですが、心に浮かんできます様々なことを、「心を無にしないとダメだ。」などと否定しなくてもいいのだそうです。

否定しますと、かえって執着を生んでしまいます。

そうではなく、ただそれらのことを、窓の向こうに流れる景色のように見ては手放していく。

そうしておりますうちに、ふと心が無になる瞬間が訪れるのだそうです。

 

またこれは、不安が強い方の、心を安らげるためのイメージ法にも似ていますね。

不安と申します感情も、ある程度は人間にとりまして必要なものですが、それが大きくなりすぎますとかえって押しつぶされるように一歩も動けなくなってしまいます。

そんなときに、あるイメージを思い浮かべると効果的なのですって。

 

そのイメージとは、

「笹の小舟を折り、その上に自分が不安に思っていることをのせて、川にそっと浮かべて流していく」

というものです。

 

これは、宇賀神先生が高校生のとき、佛教系の高校に通っていらしたのですが、そのときの学校の先生(実際にお坊さんでいらした方)に教わった方法です。

また、同じことを最近のNHKさんのテレビでもしていました。

ご自身で抱えておられます不安に気づかれましたら、それを

「こんな不安を抱えている自分はダメだ」と否定するのでもなく、

「大変だ~!」と執着するのでもなく、

「自分にはこんな不安があるのだなぁ」と、笹の小舟にそれをのせてあげて、そっと川に浮かべて流して(手放して)いく、という情景をイメージするのだそうです。

テレビの番組の中でとても不安の強い方達にこのイメージ方法を試していただいたところ、たしか2週間ほどでしたか、正確なことは忘れてしまいましたが、強い不安に襲われなくなったそうです。

 

この、色々とこだわってしまいがちなことを、「ただ、目の前を通り過ぎる景色のように見るだけ」と申します方法は、心軽やかに生きるコツかも知れませんね。

宇賀神先生は、よくこういうものの見方をなさいますので、自称・街中仙人(まちなかせんにん)として、飄々として楽し気に生きておられるのでしょうか。

 

ですが、もしも私でしたら、万が一前世で埋めた金塊を覚えておりましたら、やっぱりめちゃくちゃに執着してしまいそうですねー。

なんとしても手に入れたいと思っちゃう。

ドリルで掘り出しますか?

まだまだ修行が足りんということですね。

 

あと、これは、宇賀神先生がおっしゃっていたのですが、

「最近の人は笹舟の折り方を知らないんだよー。」

って。

実は私も知りません。

ジェネレーションギャップとか申します、あれですか。( ̄∇ ̄)

そんな美しい遊びができます小川が、私が生まれましたときにはもう近所になかったのですねぇ。

先生の世代の方のご記憶には、美しい日本の風景もいっぱいあるのでしょうね。

 

今日は、宇賀神先生からのご伝言でした。

 

合掌

ごめん、前世を思い出しました。

今年の5月17日のブログで、「前世の因縁?忘れちゃったもーん!」というお話をいたしました。

ごめんなさい。

先に素直に謝ります。

実は宇賀神先生は、ご自身の前世を覚えてらっしゃいます。(私は前世を覚えておりません。それは事実です。)

 

ただ宇賀神先生は人様にたいして、前世などと申します不確かなことに心囚われて人生を生きてほしくないと思われ、あるいは自分自身は囚われるつもりはない、と常々おっしゃってますので、5月にはそのように書きました。

ところがつい最近、先生がひとつ前の前世だけでなく、もうひとつ前の前世まで思い出してしまわれました。

ですので、これはちょっと、皆さんにもお伝えした方がいいのかなと思いまして、こうして書くことにいたしました。

 

宇賀神先生は、ひとつ前の前世に関しましては、わりと明確に覚えてらっしゃいました。

勉強会でも何度もそのお話をお聞きしましたし、私との縁も、その時にあったようだとは(これは私だけ)お聞きしています。

ですが、さらにもうひとつ前の前世につきましては、本当につい先日、思い出されました。

 

例えばそのような前世に関することを思い出しますときや、神様佛様のお声をお聞きしますときなどは、ちょっと普通の意識状態とは違うようなことがあります。

もちろん宇賀神先生の場合は、見た目にも明らかな、いわゆる「トランス状態」などというわけではありません。

ただ、そのときにお話なさいましたことを、後になってあまり覚えてらっしゃらないことの方が多いのです。

先生はよく、

「変性意識に近い感じだからか、覚えてないんだよ。」

と、おっしゃいます。

 

ですので、神様や佛様にお聞きしたことなど、宇賀神先生がお話になりますと、私が覚える役目をします。

遥か昔(古代くらい?)で申しますところの、審神者(さにわ・神さまのご神託を受けている巫女の通訳をする人)といった役どころでしょうか。

神様とお話をしております巫女は変性意識下にありますので、理性を保っております審神者役の人が巫女と相談者との間に立ち、論理的に道筋を立てて解釈し、結論を導きだし、通訳したそうです。

 

さて、夜に寝かかっておりますお布団の中で、突然その前世の前世を思い出された宇賀神先生、横におります私にそのことを告げられましたが、翌朝にはすでに内容を忘れておられました。

「あのね、昨日言ったこと覚えてる?」

と、翌朝尋ねますと、

「ああ、なんか、そんなこと言ったけど、あんまり覚えてない。」

と、おっしゃいました。

別に寝ぼけてらしたわけではありませんよ、念のため。(^-^;)

 

宇賀神先生の面白いところは、

「どんな過去生やったか聞きたい?」

と私が尋ねましても、

「別に知らなくていい。」

と、おっしゃるのです。

 

なぜでしょうねぇ。

 

それを知ったからと言って、何かが変わるわけでもないから?

過去のことはどうにもならないから?

それとも、今世がややこしくなるから?

 

とにかく、「別に改めて思い出さなくてもいい」と先日以来、宇賀神先生は私にその内容を尋ねておられません。

ですので、私もあえて宇賀神先生にお伝えしていません。

私だけの秘密ですね、今のところ。

 

退行催眠までして前世をお知りになりたいと思われる方もいらっしゃいる世の中ですのに、ご自分で勝手に思い出しちゃった前世に強い関心を示さないなんて、私からしましたら、ちょっと変わったお考えですね。

いえ、勝手に思い出されること自体、変わってらっしゃいますけど。

 

まあ、ですが、このように、宇賀神先生はあんまり霊だの前世だのに心囚われないのです。

思い出しちゃった前世は仕方がないけど、それもただ目の前を通り過ぎる景色のように見られただけで、だからどうするとかは、あまりありません。

囚われない心。

それが大事ですね。

 

と、申しますことで、今日は

「前世なんか関係ないよ、って申しましたが、実は先生は2つも覚えていらっしゃいます、ごめんなさい。でもやっぱり、前世などに心囚われない方がいいですよ。」

というお話でした。

 

合掌

スキルス性のがんが消えた!

つい今しがた、とっても嬉しいニュースが入ってきました!

なんと、宇賀神先生がお加持なさった方のスキルス性胃がんが消えてしまったのですー!!!

これは宇賀神先生にとりましても、一大ニュースでした。

 

と、申しますのも、宇賀神先生は今まで何人もの方のがんを消してこられました。

もちろん必ずしも消えるケースばかりではありませんでしたが、それでもがんが消えた方は1人や2人ではありませんでした。

ところが、残念ながら、スキルス性のがんは難しかったのです。

これは、ものすごく怖い性質のガンで、以前何人かの方がスキルス性のがんを患って宇賀神先生のもとへ来られましたが、お救いできたことはありませんでした。

 

先生がおっしゃるには、

「以前にスキルス性がんで足のリンパがこーんなに腫れた人が来て、一度お加持したらその場でみるみるリンパの腫れが小さくなったんだよ。

良かったねー、って言って帰って、次の日その人が来たら、リンパの大きさがそっくりそのまま元の大きさに戻るどころか、2倍の大きさに膨れ上がっていたんだ。

同じがんでも、あれは特別な進行をするがんだね。

わしもまだどう克服していいか分からない。」

とのことでした。

 

ですが先月、胃がんとの診断を受けられた埼玉在住の女性が、宇賀神先生が月に一度行っておられます東京出張に合わせてお越しになり、先生がお加持なさいました。

そして、継続的な「遠隔の御祈願」も合わせてご依頼くださいました。

先生がお会いなさったときには、ただ胃がんですとの診断を受けられていたのですが、その後の検査でスキルス性と分かられたそうです。

スキルス性とお聞きして、正直なところ、先生も苦しい思いをなさりました。

難しいがんだからです。

 

ですが、宇賀神先生は日々進歩なさっています。

遠隔の御祈願をなさるとき、今までとは違う方法を色々考えられ、毎日その方の病気平癒を祈ってこられました。

そうしましたら、なんと今日、つい今しがた、その方から

「スキルス性がんが消えたと検査の結果言われました。」

とお電話がありました。

しかも、初め(スキルス性と分かります前)は胃の中にたくさんがんがあり、それを取り除くために胃をどれだけ切除しないといけないか、というお話でしたのに、今は小さいがんがいくつか残っているだけですので、内視鏡手術で対応できるとのことでした。

 

宇賀神先生は、大きく一歩前進なさいました。

 

目に見えるものではありませんので正確には分かりませんが、「氣」と申しますものは、やはり若いときには溢れるように力強く、年をとるにつれて衰えてまいります。

一年に春夏秋冬がございますように、人生にも春夏秋冬があり、生まれいづる春、盛りの夏、を過ぎますと、一般的に衰えを表します秋・冬となり、人生の終焉を迎えます。

お釈迦さまの説かれた「諸行無常(しょぎょうむじょう)」ですね。

 

ところが、宇賀神先生もご自身で認められますように、確かに氣のパワーそのものといたしましては、お若い頃のようにどんどん溢れるということはありません。

(先生も数えで70歳でいらっしゃいます。)

ですが、どうやら先生にとりましての「秋」は衰退の秋ではなく、「実りや熟成の秋」のようなのです。

今まで青々と繁っておりました葉が木から落ち、それが土の中で熟成し、やがて次へと続くための養分となりますように、先生の中で何かが静かに熟成してきているようなのです。

あるいは美味しい栗が実りましたか( ̄∇ ̄)v

 

ずっと昔、初めてお不動さんが宇賀神先生に話しかけてくださったとき、

「お前、氣を練ったり色々しているようだが、その先に行こうと思ったら、佛教(密教)のことも学ばないとな。」

とおっしゃいました。

どうやら宇賀神先生は、「氣」というパワーだけでは説明のつかない、「その先」へ来ていらっしゃるということでしょうか。

 

ああ、それにしましても、今日はなんというおめでたい日なのでしょう。

ご縁があり、宇賀神先生を頼ってきてくださった方のお力になれただけでなく、宇賀神先生の大きな「一歩前進」が目に見えた日です。

お祝いしないといけませんね?

 

神さま佛さま、そして宇賀神先生、皆さま、ありがとうございます!

お蔭様をもちまして、精進させていただいております。

これからも、ますます皆さまのお力になれますよう、励みます。

いつもお見守り下さり、ありがとうございます。

心より、御礼申し上げます。

 

 

うーん、今日はいい日だ!

 

いえ、ちょっと間違えました。

 

今日“も”いい日だ!!! \( ̄∇ ̄)/

 

合掌(ばんざい!)

呪術合戦 その4

宇賀神先生がフィリピンの呪術師に、呪い返し(封じ)のためにつけられた「氣」でできた網は、宇賀神先生が外されるまで、その呪術師の周りに存在します。

すると、彼はその後一切の呪術が(よい方も悪い方も)効かなくなり、呪術師としてのお仕事が成り立たなくなります。

もちろんそれだけでなく、健康だって害されるでしょう。

もし本当に、その呪術師がG氏を死ぬまで呪おうと思っていたのでしたら、そっくりそのまま、自分が死んでしまうまで呪い続けられたことになります。

もちろん呪術師が呪うことをやめれば、少なくとも健康を害するようなことはありません。

 

G氏の指の壊死のような症状はとまり、その後もG氏は元気に暮らしておられます。

そこから考えますと、この呪術合戦は宇賀神先生が勝たれたことになるのでしょうね。

(当然じゃないか、という先生のお声が聞こえてきそうです。)

 

ですが、なんとも後味の悪い話です。

G氏が助かりましたのは、もちろん何より良かったです。

彼は宇賀神先生の大事なお友達でもありますから。

そして、確かに(依頼されたと申しましても)人を呪い殺そうとすることは、とても良くないなぁとも思います。

そんな力があるのなら、もっといいことの方に使えばいいのに、と思います。

ですが、万が一、自分に呪いが返ってきていても「相手が死ぬまで続けよう」と思って続けたため、その呪術師が死んでしまっていたら?

そこまでしなかったかも知れませんが、宇賀神先生はその時以降、彼から氣の網を取り除いていないわけですから、少なくとも呪術師(蟲使い)としての職業が成り立たなくなって、ご飯を食べる手段を失ってしまい、路頭に迷うようなことになってしまっていたら?

その責任は誰にかかるのでしょう。

 

もちろん現実世界での責任問題の話ではありません。

現実の世界では、人を呪ったり、それを返したりすることで罪には問われません。

私は、宇賀神先生が将来天寿をまっとうなさり亡くなられて、佛さまの御前に行かれましたときに、

「お前は人を助けるためとは言え、人を殺したね?」

と、怒られないかを心配しているのです。

(「絶対、大丈夫!」って宇賀神先生はおっしゃるのですが。)

 

また、宇賀神先生みたいな人に呪い返しをされなくても、このフィリピンの呪術師に限らず、「人を呪わば穴二つ」と申しますのは、本当です。

ちょっと汚い言葉ですが、「天にツバする」は、まさに的を射た表現です。

誰かに意図的に呪い返しをされなくても、残念ながら、自分がした呪いはやがて自分自身にかえってきます。

道徳的な教えとしてではなく、現実問題として、人を呪ったりしますと、その分自分にも不幸が返ってくるのです。

他者への善なる祈りが自分に善のパワーとして返ってくるのと同様に、他者への悪い思いは、悪いパワーとして自分自身に返ってきます。

 

しかもその人の運勢の強いとき、例えば若く健康で、力や希望に溢れておりますときは、

「人盛りに神祟りなし」

と、申しますように、自分のした呪いが自分にハネ返ってくることは少ないです。

ですが、それは、呪った人の運勢が弱ってきたときに限って、返ってくるのです。

まさに「弱り目に祟り目」とはこのことです。

昔の人の色々なことわざが、あまりにも的確すぎて驚いてしまいます。

 

深江のお稲荷さんは以前、宇賀神先生にこのことを

「返り念(かえりねん)」

として教えてくださいました。

 

自分のしたことは、やがて自分に返ってくる。

だから、力のある者ほど、その力を悪いことに使ってはいけないのだ、と。

 

ハリウッド映画のスパイダーマンのセリフではありませんが、

「大いなる力は、大いなる責任がともなう」

のですね。

 

このことを知らず、自分の力の及ぶまま好き放題してしまいますことを、

「力に溺れる」

とか、

「術に溺れる」

と申します。

 

宇賀神先生がG氏の件などで呪術師に相対なさるとき、積極的に相手の方を呪うのではなく、相手のしたことをそのまま返す形で応戦なさるのは、そのためです。

 

たぶん、武術武道をなさっている方には、この感覚は想像しやすいのではないでしょうか。

ご自身が鍛錬なさり、武術の実力がつけばつくほど、安易に素人相手のケンカなどなさいませんよね。

相手の方にケガを負わせた責任が、重くのしかかってきますから。

 

宇賀神先生なんかは大変ですよ。

ちょっと、人に腹を立てたりなさいますと、自分の「力」が勝手に相手にダメージを与えようとしてしまいます。

無意識のうちにも。(実は意識してたりして?)

ですが、宇賀神先生の強い強い念の「返り念」を受けますのは、他でもない、宇賀神先生ご自身です。

しかもご自分の運勢が弱ったときに限って。

 

そんなの、いやですねぇ。

 

このG氏の件では、彼が助かり、本当によかったと思います。

時代劇の鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)の鬼平さんではありませんが、

「善にも強えェが悪にも強えェ。」

だなんて、宇賀神先生は、ちょっとカッコイイですね。

ですが、お若い頃はかなりのやんちゃでいらした先生です。

どうか先生は術に溺れず(ちょっとしたことに腹を立てず!)、そのお力をいいことにのみ使っていただきたいと願っております。

 

***

 

さてさて、今回の一連の呪術合戦は、20数年前のフィリピン人の蟲使いの方のお話でした。

それが、現代の日本でも、このようなことがあるだなんて、皆さんは信じられますか?

悲しいかな、あるのですねぇ、これが。

そして宇賀神先生は現時点でも、ご依頼を受けて、ある方をお守りしています。

まあ、ですが、宇賀神先生が霊視なさった相手の呪い方が、なんとも醜く、よくもそんなことができるなぁ、と驚きます。(美しい呪いがあるとも思えませんが。)

まだこれは現在進行形で続いておりますし、ちょっとダークなお話が4話も続きまして、少々疲れてしまいましたので、いずれまた折りを見ましてこのことはお話したいと思います。

明日以降はまた何か明るいお話をいたしましょうね。

気が重いお話に長々とおつき合いくださり、ありがとうございました。

 

合掌