霊媒体質の方がご先祖様&その他大勢を呼び寄せてしまったお話。

宇賀神先生のご相談者様のなかには、結構「霊媒体質」の方がいらっしゃいます。

先生のおっしゃる霊媒体質とは、霊が見えるだけでなく、霊に憑かれやすい人のことです。

霊に憑かれてしまいますと、ご本人様となさいましてはお身体の具合まで悪くなられたり、やはり苦しいことが多いようです。

先生は「霊媒しやすいのはその人の体質なんだよ。」

とおっしゃいます。

つまり、コントロールできるものではない、と。

 

この場合、宇賀神先生のようにもともとの素質に加えてお修行なさった結果、レベルの低い?霊だけでなく、神様や佛様とも通じられるのは霊媒体質とは言いません。

それはもはや「神通力」ですね。

読んで字の如く、神様に心が通じる力、または、神様にも通じる(準じる)力、です。

宇賀神先生に関しましては、霊にとりつかれてしんどい思いをなさる、などということは見たことがございません。

 

そうではなく、自分の意思とは無関係なところで、それこそ有縁無縁の諸聖霊等(うえんむえんのしょしょうりょうとう)、つまり、自分にご縁のあるご先祖様などだけではなく、そこらへん?に浮遊している霊とも通じてしまい、ついて(憑いて)こられてしんどい思いをしてしまう方のことを、霊媒体質と申し上げております。

悪い病気は治せても、弱い体質は治しにくいように、霊媒体質も治すのは難しいようです。

体質ですから仕方がないですね、としか申し上げようがないそうです。

その方には、対処法しかありません、とお伝えしています。

つまり体質を根本から変えるのではなく、表面上起きている症状をなくする(たとえば今憑いている霊を祓う、とか、身体のつらい部分を治す、など。)しか方法がないのです。

 

代表的な方法は

無視する、

いい匂いのお香を焚く、

塗香をつける、

護身法(ごしんぼう・真言宗の、身を護るための方法)を組む、

宇賀神先生に会う?

などですね。

 

最後の宇賀神先生に会う、と申しますのは、たいていの霊は先生を怖がって逃げてしまうそうです。

まるで避雷針のようなお方。( ̄∇ ̄)

 

また逆に、霊媒体質になろうと思ってなれるものでも、あんまりないようです。

ただ、霊の世界に興味を持ち、関わりたいと思われていると、そのような体質に近づくかも知れません。

ですが、そうなられましても何の得もないございません。

人に見えないものが見える、とお聞きしますと、何だか特殊な能力でちょっとすごいような気がいたしますが、実際は人生にマイナスを持ち込むことの方が多く、プラスに作用することは、あまりお聞きしたことがありませんね。

ほとんどの霊媒体質の方は、次元の低い?霊はよく見えても、天のいと高きところにおわします神佛はなかなか見えないものです。

しかも憑かれてしまいますと、身体の具合は悪くなり、当然、運気も落ちます。

 

宇賀神先生がいつも、

「霊はマイナスの存在だから。

だから見ないように。見ても無視するように。

こちらから見えて、気にすると、向こう(霊)からも見えて嬉しがって寄ってくるからね。

『誰も気づいてくれないのに、オレのことが見えるのかー?』って、嬉しがって、ついて(憑いて)くるからね。

ついてこられても生きている人間のプラスのエネルギーを吸い取られるだけで、何もいいことがないから。

霊はマイナスの存在だからね、人間のプラスのエネルギーが欲しいんだよ。」

と、おっしゃるのは、このためです。

 

ところが今月のはじめ頃、宇賀神先生の以前からのご相談者様で、この霊媒体質の方が、ご自宅からはとても遠いご先祖様のお墓参りに行かれたときに、

「もう年齢も高くなり、今後はこうしてお墓参りも難しいと思います。

つきましては、私が死ぬまでは私の自宅のほうで毎朝供養させていただきますから、どうか、ΟΟ家先祖代々の諸精霊、自宅の方へお越しください。」

ということをお伝えなさったそうです。

 

さあ、それからが大変。

 

なぜか、ΟΟ家のご先祖様だけでなく、それを聞きつけた「有縁無縁の諸精霊」までついて(憑いて)きてしまいました。

「あの人についていったら供養してくれるらしいってー!」

とでも思われたのでしょうか?

呼ばれてもないのに、ご縁のない方達までついてきてしまったようです。

 

その方は、普段から神様ともお話なさっていらっしゃいますが、それ以来、とんでもなく具合を悪くなさいました。

今のところ、宇賀神先生が「霊的なボディガード」をその方のところへ送り、お守りしているようですが、いかんせん、憑いてきた霊の数が多すぎるようです。

しかも、その方に関係のない霊たちだけでありましたら、片っ端からボディーガードが切り捨てて?いけばいいのですが、なかにはその方のご先祖様もいらっしゃるのです。

私は、

「どうして?『霊が殺される』というのは、つまり霊にとってはあの世に成仏するってことで、霊としても助かるんじゃないの?だから片っ端から切り捨てていけばいいんじゃないの?」

と、先生にお尋ねしましたが、どうもそんな単純な問題ではないようなのです。

 

実際どのような違いがあるのか私には分かりませんが、霊魂をあの世に成仏させるのと、やっつける?のは、微妙に違うようです。

あの世のことは、私にはまだよく分かりません。

たぶん死んだらイヤでもわかるのでしょうけれど。

 

ですが、とにかく、今そのご相談者様はお墓参りに行かれてから2週間近くも苦しんでおいでで、

「近いうちのご予約時にお会いするまで、なんとか耐えておきます。」

と、おっしゃっています。

宇賀神先生も、

「実際に(ご相談者様に)会うまでは、これ以上の対処はできないね。」

と、おっしゃっています。

 

ですので、次回お会いするときのために、これから私はその

「ご縁のない霊だけを選別して取り除き、祓う」

ための道具作りをいたします。

 

宇賀神先生に、

「色々な人の参考になるから、この道具の写真をブログに載せるのはどう?」

とお尋ねしますと、一言のもとに却下されました。

いわく、

「坊主はその修法(すほう=行法・ぎょうぼう。加持祈祷のこと。)の内容は間違っても公開しないもんだ。」

ですって。

 

まあ、秘「密」の密教ですからね。

皆さま、何卒お許しくださいませ。

なんだか触りだけをお話して肝心なところをお見せしない映画の予告編のような内容になってしまいましたが、世の中にはこんなこともあるんだなぁ、と思っていただけましたら幸いです。

 

「さわらぬ神にたたりなし」

と、言われますね。

昔の人は、どうして真実をご存じなのでしょうか。

霊も、あんまりさわらない方がいいみたいです、というお話でした。

 

合掌

人の欲

先日、うちの近くの白龍大神さま(白龍さん)のお話をこのブログでご紹介いたしました。

その次の日に白龍さんにご報告かたがたお参りに行きますと、と申しますより、お参りに行く前から、白龍さんの喜ばれているお気持ちが伝わってきていました。

「嬉しい」というお気持ち(念波?)が、白龍さんから届いているのが離れていても分かるのです。

とっても可愛らしい神様ですから、子供のように喜んでくださっているのが、ひしひしと伝わってきました。

「やっとボクのことを紹介してくれたか!」

といったところでしょうか?

 

そんな風に素敵な白龍さんなのですが、とてもとても残念なことに、その白龍さんのところに設置されておりますお賽銭箱が、ちょくちょく壊されております。

金属性の細長い筒が地面から直接立っていて、それがお賽銭箱なのですが、その足元の扉はほぼ半開きになっており、鍵もあまり機能していないようです。

近所のお店の人が、

「お賽銭箱はよく荒らされているみたいです。」

と、おっしゃっていました。

 

本当に悲しいことですが、

「神様にも人間の欲は止められないよ」

というお言葉を、深江のお稲荷さんから宇賀神先生がお聞きになったことがございます。

それは以前、うちの車(サンダース号)が、車上荒らしにあったときのことでした。

 

じつは、サンダース号には、とある神様が乗ってくださっています。

私はこの神様のお陰で、サンダース号を乗りこなせる?ようになりました。

ですが、そんな神様が乗ってらっしゃるサンダース号でさえ、車上荒らしにあいました。

そのときに、深江のお稲荷さんが、さっきのお言葉を宇賀神先生におっしゃったのです。

「だって『賽銭ドロボウ』という言葉が存在するだろう?

神にも、人間の欲はとめられないんだよ。」

とのことでした。

 

なんとも悲しいことですね。

ですが、ドロボウをするような心も現実として人間の中に存在します。

良し悪しは別として。

 

そうかと思えば。

また別の日に白龍さんにお参りに行きますと、前にタクシーが停まっていて、どうやら運転手さんらしき人が白龍さんのところのお掃除をなさっているようでした。

もしかして白龍さんのお守をなさっている方かなと思いまして、縁起などお聞きしたいと思い、思い切って声を掛けてみました。

すると、その方はなんとボランティアで、自主的に

「散らかって汚れていたらここの神さんが気の毒で。」

と、縁もゆかりもないけれどお掃除するようになられたのですって。

 

お賽銭箱の鍵が壊されていて、お金を入れても壊れた扉からコロコロと硬貨が転がって出てきてしまい、お賽銭をどこに入れたものか迷うのです、とお話しますと、

「そうなんですわ。

ここはよう荒らされてましてね。

この間も若い子らが鍵壊してるの僕見ましたわ。

万が一お賽銭がこぼれてたら、僕がいつも掃除するときに、ここの神さんの持ち主さんにだけ分かるようなところに隠しとくんです。

ここの持ち主さんは、時々遠くからタクシーで来てお世話したはるみたいですわ。」

と、その方はおっしゃいました。

 

奇特な方がいらっしゃるのですねぇ。

私は、

「お陰様で、気持ちよくお参りさせていただいております。ありがとうございます。」

と、感謝の気持ちをお伝えしました。

 

ドロボウをするのも人間の自然な心の働き(の一部)でしたら、

この運転手さんのように、神様のお掃除を全くのボランティア精神からなさるのもまた、人間の自然な心の働き(奇特な人の)なのですね。

時代劇の「鬼平犯科帳」で、鬼の平蔵様がおっしゃった、

「人間ってなァな、不思議なもんだな。

いいことをしながら悪いことをし、

悪いことをしながらいいことをするんだ。」

というセリフを思い出してしまいました。

 

宇賀神先生はこのことを、

「人間は、偉くなくもない。」

という風におっしゃっています。

ちょっと変わった国語の表現ですが。

 

また、宇賀神先生は、

「神様は、人に拝まれてこそお力を得られる。

人に拝まれなくなった神様は、段々とお力もなくなるんだよ。」

と、おっしゃいます。

 

なかには、地質学的な巨大なエネルギー(例えば日本列島を横断するような断層のエネルギー)から生まれた神様もいらして、そのような存在の方達は、もしかしましたら拝まれなくても大きなお力をお持ちだとは思います。

ですが、少なくとも、この白龍さんのような存在の神様は、人に拝まれれば拝まれるほどお力も増すようですね。

逆に、忘れ去られてしまった神社の神様などは、悲しいことになります。

 

白龍さんは本当に小さな祠の神様ですが、あんな奇特な運転手さんがお掃除していらしゃいますし、実は隠れファンが多い神様なのかも知れません。

と、またこのようなことを書いておりますと、白龍さんの

「えっへん!」

という得意げなご様子が見えてきますよ。

また明日、ご報告かたがたお参りに行かないといけませんね?

ぴかぴかの100円玉、お財布の中にあるかどうか確かめなくっちゃ。

 

合掌

 

SPIRITUAL(スピリチュアル)は案外身近なところに。

ここ数日の台風は、かなり勢力が強かったようですね。

大変な思いをされました方達に、心からお見舞い申し上げます。

 

先週末は台風の予兆のなか何とか予定をキャンセルすることなく、宇賀神先生と両親とともに乗鞍高原温泉に行っておりました。

先生の大好きな硫黄泉の温泉で、曇り空ではありましたが、紅葉もとっても綺麗でした。

どちらかと申しますと、紅葉もずいぶんと進みすぎているくらいでした。

やはり長野県の高原ですからね、大阪に比べますとずいぶん季節が早いようです。

 

今日はそんな旅のアルバムから。

わたくし個人としましては、実はとっても公開をためらってしまう、宇賀神先生の「雪ん子じいさん」の一枚を。

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雪ん子じいさん

 

宇賀神先生が着ていらっしゃるの、お分かりになりますでしょうか?

「はんてん(半纏)」ですよー!

「綿入れ半纏」とも言いますでしょうか?

先生は、

「はんてんこそ『湯治の正装』だ!」

と主張してはばからないのです。

 

ですが、途中のサービスエリアもお食事処も、みんなこのスタイルで闊歩なさるのですから、ちょっと驚きです。

たしかに私は、あまり身なりばかりを気になさる男性より、「中身が大事」な先生が大好きなのですが、いくらなんでも「はんてん」はねぇ。

これは家着でしょう。

相変わらず我が道を行く宇賀神先生です。

ま、カワイイ♥から許します!?

 

また、とっても小さなことですが、今回は素敵な体験もしました。

皆さまは「雪虫」をご存じでしょうか?

私はずっと以前、図書館の子供向けの絵本のコーナーで偶然、「雪虫のふしぎ」とか何とか、そのような題名の本を見かけて知ったのですが。

まるで雪のような、真っ白の綿に似た毛のようなものを身にまとっている虫です。

しかもとても小さい虫ですので、飛ぶ様も風に乗ってまるで雪が舞うようなのですって。

 

今回の旅行で、その本物の雪虫に初めて会いました。

たしかに雪のようにふわふわと舞い、知識でしか知らなかった私でも、一目で雪虫と分かりましたよ。

そしてなんと嬉しいことに、私はその雪虫と心が通じてしまいました。

 

乗鞍高原で喫茶店に入ろうとしたときのことです。

もしかしてこのふわふわと飛んでいる白い虫は雪虫かな?と思った私は、着物の袖をそっと前に出して雪虫に声をかけました。

「ここにとまりー。」と。

そうしましたら、ホントにそこにとまってくれたのです。

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袖にとまってくれた雪虫

 

本当にとまってくれるとは思わなかったですので、あわててスマホをカバンから出して撮影しますと、今度はなんと、パッと羽を広げてポーズを取ってくれました!

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羽を広げてポーズを取ってくれた雪虫

 

そして羽を広げたままじっとそこにいて、写真撮影のモデルを務めてくれていました。

「えーっ、ポーズ取ってくれたん?めっちゃ嬉しいー!ありがとう♥」

と、雪虫にずっと話しかけながら写真を何枚も撮りました。

雪虫は、じっと袖にとまっていてくれました。

 

すごくすごく嬉しくて、胸のあたりがふわぁっと温かくなりました。

虫と心が通じた、なんて思ったのは生まれて初めてです。

しかも、実は私は大の虫嫌いなのです。

蝶々やトンボでさえ、見ている分にはいいのですが、内心「近くに来ないでねー!」と懇願しています。

私が太刀打ちできますのは、蚊の大きさまでですね(T-T)

雪虫がとても小さかったというのもあるのでしょうが、とにかく怖くなく接することができました。(でもやっぱり直接はよう触りません。)

 

そして、ひとしきり撮影した後、

「来てくれてありがとう。もう帰りやー。」

と伝えますと、ふわーっと飛んでいきました。

全てのタイミングで、まるで私の言葉を理解してくれているようでした。

 

どんなにか、どんなにか嬉しかったことでしょう。

 

宇賀神先生がこのことを、

「一寸の虫にも五分の魂、って言うんだなぁ。」

とおっしゃいました。

 

以前にご相談者様に、家で羽化させた蝶々とまるで気持ちが通じたようなことがあった、というお話をお聞きしたことがございました。

その女性は蝶々を芋虫のときから育てて、まだ小さかった子供さんお二人と羽化する瞬間を見守っていたのですって。

やがて時間をかけてさなぎから蝶々となって出てきますと、ふわっと飛び立ち、まず子供さんお二人の手にそれぞれとまりました。

そして次にそのご相談者様のところへ蝶々が来たのですが、その方は「手にとまられるのはイヤだな。」と思われたそうなのです。

すると、蝶々はその方の気持ちを察したかのように、手ではなく肩にとまってくれたのですって。

「なんで私が手にとまられたらイヤやっていうのが蝶々に分かったんやろ、と不思議やったよ。」

蝶々は、まるで皆に「ありがとう」と伝えてくれたようでした。

そして、そのまま外に出られるようにと開けていた窓から、飛んで出ていったそうです。

「わたし涙が出たわ。」

と、その方はおっしゃいました。

 

それがもし犬とか鳥(ぴーちゃん♥)とかでしたら、人間の思うことも理解してくれるでしょうと思いますが、果たして虫の小さな脳みそで「心が通じる」なんて、本当にあるのかなぁ、と憧れを持ってそのお話をお聞きしていました。

ですが、今回、その憧れが現実となって私の身に起こりました。

「心が通じた」

と、思ってしまったのです。

今思い出しましても心がポッと温かくなる嬉しい出来事でした。

 

もしかしましたら、虫と心が通じただなんて申しますと、ヘンな目で見る人もいらっしゃるでしょうね?

いえ、そもそも私自身が虫は怖かったですので、先述のご相談者さまのお話をお聞きするまで考えたくもありませんでした。

ですがもしかしましたら、虫を飼ったことがおありになる方でしたら、

「そんなこともあったよ。」

と、思われる方もいらっしゃるかも知れません。

 

だって日々の世話をしなかった虫とでさえ、心が通じたと思える出来事があったのですもの。

毎日世話をした方にでしたら、おおいにあり得ることですね。

 

世間でよく言われております「スピリチュアル的」な出来事や考え方は、案外身近に存在するのでは、と思うのです。

(スピリチュアル的とは、宗教的・精神的・超自然的な、魂の、などという意味で使われております。)

なにも大上段に構えた大げさな奇跡ばかりがスピリチュアル的なのではなく、もっと身近に、もっと当たり前に身の周りに起こっている様々なことが、すでに「スピリチュアル的(な奇跡)」なのかも知れませんね。

と申しますより、スピリット抜きで生きることを考える方が難しいのではないでしょうか。

 

私には、「雪ん子じいさん」の存在自体が、すでに「スピリチュアル的」ですよ。

だって、あの「湯治の正装」のセンスなんてまさに・・・奇跡的でしょう?( ̄∇ ̄)

 

雪虫は、「雪を呼ぶ虫」と言われているそうです。

この虫が舞いはじめますと、もうすぐ雪が降ると知られているのですって。

乗鞍が紅葉の美しい季節を経て、真っ白な雪の世界に包まれますのも、そう遠くないようです。

 

合掌

 

でこぼこの才能

今日は宇賀神先生の苦手な分野のことをお話しましょう。

 

宇賀神先生は子供の頃、今で申しますところの学習困難児、ですが当時は「異常児」との診断を受けてしまったことはお話しました。

先生ご自身も、「自分は周りの子達と比べて、何かおかしいのかな?」とは、少しは思っておられたようです。

それを決定づけられましたのは、小学校の算数の授業のときでした。

 

その日は、皆で教室で算数の九九の表を習っていました。

学校の先生がおっしゃいます。

「いいかー。九九はすごいんだぞ。数字が倍・倍になって増えるのが、ぱっと計算できるんだ。ひとつずつ足さなくても、倍・倍に増えていくんだぞ。」

と、九九の表の便利さを教えられました。

 

その九九の表をじぃーっと眺めていた幼き日の宇賀神少年は、あることに気づきます。

手をあげて担任の先生に質問しました。

「せんせぇー。九九は変だよ。

先生は倍・倍に増えていくって言ったけど、それは2の段から上だけだよ。

2×2=4、2×3=6は、増えるけど、1の段は逆に減ってるよ。

1×2=2、1×3=3で、1+2=3、1+3=4って足すより少なくなってるよ?」

と。

 

そのときの学校の先生の対応が何とも残念でした。

「宇賀神はバカだから黙ってろ。」

と、一言のもとに、その質問は無視されたのでした。

お陰で宇賀神先生は、そのとき練習しておりました7の段までは覚えられたのですが、8の段以上はいまだに覚えておられません。

必要なときは、たとえば8×3=24を3×8=24、という風にひっくり返して計算しておられます。

いえ、ですから、本当の話ですよ。

しかも、残念なことにその単純な計算式も往々にして間違っていることが多いのですけれどね。(真実を申し上げますと、掛け算だけでなく足し算も間違っておられます。)

 

またある日のことです。

 

同じく算数の授業で、時計を習っておられました。

とくに小さな子供さんやお孫さんをお持ちの方はご理解いただけると思うのですが、まだ時計や時間の概念の無い子供に、時計を理解させるのは結構難しいですよね。

宇賀神少年も、その日は皆と一緒に時計を教室で習っておりました。

そして、また先述の九九のようにじぃーっと時計の図を眺めていますと、ふと疑問が湧きあがってきました。

手をあげて担任の先生に質問します。

「せんせぇー。この『時計』は変だよ。

1時間は60分でしょ。

1分は60秒でしょ。

それなのにどうして1秒は60で割れないの?

0.99秒があるのはどうしてなの?」

と。

またまた、担任の先生がおっしゃいました。

 

「宇賀神はバカなんだから黙ってろ!」

と。

 

私からしましたら、九九のことも時計のことも、なんて素晴らしい着眼点なんでしょうと思うのですが、担任の先生の心無い一言で宇賀神先生の気づきの芽はつまれてしまいました。

お陰で、宇賀神先生はいまだに「時計」に関しましても苦手で、たとえば

「17時って7時のこと?」

と、聞かれます。

たとえば20時が夜の8時、というのもよく呑み込めてらっしゃいません。

いえ、ですから、本気で。

何度お伝えしましても、時計に関する考え方が今ひとつ頭に入らないのです。

 

ついでに申し上げますと、何故かそれに伴いまして、カレンダー(これから先の予定)も今ひとつ、頭に入らないのです。

今日が何曜日、というのも80%以上の確率で間違っておられますし、宇賀神先生が楽しみになさっている「週末の予定」でさえ、今週分の予定が頭に入っております確率は50%です。

いえいえ、ですから、ウソではありません。

よくそれで生きてこれたねー、と言いたくなりますが、これで生きてこられました。

 

ちょっとだけ弁明させていただきますと、宇賀神先生は私から見ましたらバカなどではなく、たとえば先生がとても興味を持っておられる医療や佛教や東西の歴史、地質学、果ては料理や戦闘機やどうでもいい雑学などに関しましては、驚くほどの知識も見解も持っておられます。

私は内心、宇賀神先生のことを「歩くグーグル」と呼んでおります。

だって何を尋ねても知っておられて、とっても分かりやすく教えてくれるんですもの。

(たま~にハッタリの大嘘をおっしゃいますけどね。とくに酔っ払っちゃったときなど。)

 

人の得意なこと、不得意なことを、よく円グラフのように表したりすると思うのですが、それがそんなにひどくでこぼこすることなく、万遍なく色々な方向にそこそこ伸びている人もいらっしゃいましょう。

当たり前の社会人として立派に生きていける人ですね。

あんまりでこぼこが無い方が、「円転自在」よろしく、気持ちよく世の中を生きていけるような気がいたします。

 

ですが、宇賀神先生のそれは、多分にたったひとつの分野に向けられて大きく突出し、あとのほとんどは平均以下、かも知れません。

たったひとつの分野とは、申し上げるまでもなく、神佛のエージェントとしての、お加持のお仕事です。

「円転自在」の境地からはほど遠く、その分野においてでないと、生きていけません。

その代わり、その分野に関しましては、誰にも負けないという自負さえあります。

 

でこぼこがあまり無い方が幸せなのか、宇賀神先生のようにひとつ突出したような方が幸せなのかは分かりません。

その人それぞれだと思います。

事実、宇賀神先生がご自身の生きる道を見つけられるまでの人生は、上記の子供時代からも含めまして、なかなかつらいことも多かったようです。

先生は「わしは神さん佛さんに拾ってもらった」という風におっしゃっています。

ですので尚のこと、神様佛様のエージェントとして働き、ご恩返しをなさっているのでしょうね。

 

そしてどちらかというと、でこぼこが割合に平均的に巡らされ、でも実はこっそりとその中のいくつかが「超がつくほど平均点以下」の私は、宇賀神先生のサポートをして何とか生きております。

一応、17時が夕方の5時というのは理解しておりますから。

ええ、ええ、さも常識人代表のようなエラソーな顔をして、ですね、先生のかたわらで幸せに生きております( ̄∇ ̄)

ま、ですから、幸せは人それぞれということでしょうね?

 

今日はご相談者の方で、自閉症を患ってらっしゃるという方にお会いしました。

その方は驚いたことに、全ての日付の曜日を「覚えて」おられるそうです。

計算で出す方法はあるようですが、そうではなく、記憶してらっしゃるのですって。

本当にそんなことができるのでしょうかとびっくりして、私の生年月日をお伝えしますと、その日は「水曜日だった」と見事に当てられました。

 

もちろん、その才能が実生活の上で何の役に立つかは分かりません。

そして他にどんな才能をお持ちなのかも私は全てお聞きしたわけではありません。

ただ、25歳だとおっしゃった彼の目はとても優しく綺麗に澄んでいました。

その澄んだ目は、誰にも奪えない、しかも誰が教えても教えられない「天から与えられた才能」です。

もちろんそれは、まぎれもなくご両親や周りの方達との人生の中で育まれたものではありますが。

 

宇賀神先生は、

「才能は、それが活かされようが活かされまいが、あるというだけで素晴らしい。」

とおっしゃいます。

ですが、親心(いや、姉心・・・くらいにしておいて)としましては、彼のその才能(澄んだ目)に見合う幸せな人生を、これから先も歩んでほしいなと思います。

「水を得た魚」という表現がございますが、彼の生きる世界の水が、彼にとって優しく心地いいものでありますことを願ってやみません。

 

合掌

 

神様のおねだり

先日の亀戸の天神さんのお話の中で、宇賀神先生と私がご飯をいただいていたときに、天神さんが「当然、私にも(お供えを)くれるよね。」と、出てきていらしたことをお伝えしました。

そんな「神様からのおねだり」、実はもう一人(一柱)別の神様からもお伺いしたことがございます。

亀戸の天神さんよりもずいぶん以前のお話になります。

その神様とは、うちの近くの、近鉄布施駅近くの高架下にひっそりと祀られていらっしゃる、「白龍大神(はくりゅうのおおがみ)」様です。

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白龍大神さま

 

その白龍大神様(白龍さん)の近くのうどん屋さんで先生と温かいおうどんをいただいていたときです。

いつもご飯をいただく前には、今までご縁のございました神様佛様にお供えをするのですが、そのとき急に白龍さんが

「ボクにもちょーだいっ!」

と、ポンッと、目の前?に現れられました。

正確に申し上げますと、お言葉とともにその白龍さんの祠が突然まぶたの中にイメージとして見えたのですが、まさに「ポンッと」という表現がぴったりの現れ方でした。

しかもご自身のことを「ボク」ですって。

しかも「ちょうだい」ではなく、「ちょーだい」です。

幼児言葉的?

 

それまでも白龍さんのことを存じてはいて、たまにお参りさせていただいてましたが、ただのご挨拶程度?のおつきあいでした。

とっても小さな祠に祀られておいでで、電信柱の奥の、目立たない場所にいらっしゃる小さな小さな神様です。

多分古くからの由緒ある神様ではないのでしょう、と思っておりましたが、いつもお榊などのお世話はされていて、どなたかが大事にお守なさっているようでした。

 

私自身、さして濃いご縁を感じていたわけでもなく、毎日毎食のお供えまではさせていただいておりませんでした。

「濃いご縁を感じた神様佛様」と申しましても、私が「よいお参りをさせていただいた」とか、「お言葉をいただいた」と感じ、感謝申し上げた方達に対して一方的にお供えしているようなものです。

例えるなら、とっても大好きな大スターに差し入れを届けて満足するファン心理とでも申し上げましょうか?

ただの私の一方的な好意、自己満足です。

 

ですので、その当時はまだ神様から「ちょーだい」だなんて、言われたことはありませんでした。

 

それが、何とも可愛らしく「ボクにもちょーだいっ!」ですって♥

 

びっくりして宇賀神先生に

「あそこの白龍さんが『お供えちょーだい』って出てきはった!」

とお伝えしますと、

「そりゃ、あげなきゃなー。」

と笑われまして、私はお供えをしました。

こんなに可愛らしく出てきてくださったことが、ただただ嬉しくてありがたくて、もちろんそれ以来欠かさずお供えしております。

 

この白龍さんは本当に可愛らしいのです。

 

後日に宇賀神先生と白龍さんにお参りしたときなど、先生がたまたまお財布の中にございました13円をお賽銭入れに入れようとなさいましたら、

「白龍さんが『あそこの(深江の)お稲荷さんには100円、あそこの観音様には50円、それなのにどうしてボクには13円なの?』って言ってるー。」

と、苦笑しながらおっしゃいました。

「えーっ、それは大変!( ̄∇ ̄;)」

と、あわてて100円玉を探しました。

(ちょっと悲しいお話ですが、この白龍さんのお賽銭箱は、よくドロボウに壊されているのです。)

 

また、ある時は私がお財布の中の100円玉をお賽銭で入れようとしましたら、

「そっちのぴかぴかの100円玉の方がいい。」

なんて、本当に子供みたいなことをおっしゃいました。

 

前回お伝えしました亀戸の天神さんは、やはり平安貴族のご出身のためか、「スーッと」とか、「しずしずと厳かに」という表現がぴったりの現れ方でいらっしゃいましたが、白龍さんはまさにポップアップ画面のように「ポンッと」ご出現なさいました。

そしてこの可愛らしいおねだりの数々。

ハートがノックアウトされちゃいそうでしょう?(言い方が古いですか?)

 

宇賀神先生が、

「たぶんこの白龍さんは、昔相場で儲けた人が建てたんだね。

この近辺で商売してる人は『今日の手形が落ちないと大変なんですー!』って泣きつきにくるらしい。

結構頼りにされてる神様なんだよ。」

とおっしゃいました。

先生の霊視ですが。

 

このように、(輪廻転生の輪から)解脱なさった佛様に比べまして、解脱なさっていない神様は、まだいくぶん人間に近いところもお持ちのように感じます。

神様のカラーと申しますか、ご性格と申しますか、色々と面白いです。

もちろん、これは宇賀神先生や私の感性のことですから、もしかしたら他の方には、たとえば今日の白龍さんも「可愛らしい神様」ではなく、「めちゃ頼りになるすごい神様」として目に映るかも知れません。

それは本当にあり得ます。

と申しますのも、たとえば美術展で同じ絵画を見ましても、感じることは人それぞれですものね。

どなたの感性が正しくてどなたのは正しくない、などということはございませんから。

 

もし布施駅近辺にお越しの際は、ぜひお参りなさってみてください。

ちっちゃなちっちゃな祠に祀られておいでの、ともすれば見過ごしてしまいそうな神様です。

お賽銭はもちろん、100円玉でなくても10円玉でも構いません。

もしそのときお財布の中にお持ちでしたら、ぴかぴかのキレイな硬貨をさしあげてくださいませね。

神様はきっと喜ばれます。

 

***

今日、いつものようにこの記事を書きましたあと、宇賀神先生に見てもらいましたら、先生が、

「本当の信心というのはね、神様をあてにするのではなく、神様にあてにされる生き方のことを言うんだよ。

『俺んちの氏子はがんばって生きているな』と、神様に頼もしいと思ってもらえる生き方をすることが、本当の信心なんだ。」

と、おっしゃいました。

神様にあてにされる、ですか。

たしかに、宇賀神先生は「わしは神さん佛さんのエージェントだから(神佛に仕えて働く)。」と、よくおっしゃっていますものね。

頼りがいのあるエージェント、と神様佛様に思っていただけましたら、この上ない喜びですね。

この点で申しますと、私は白龍さんにとりましては、「ご飯を毎食ちゃんと忘れずに届けてくれる頼りがいのあるウェイトレス」として目に映ったのでしょうか?

うーん・・・まぁ、いっか♥( ̄∇ ̄)

***

 

合掌

自己愛主義

先週末は湯の峰温泉に湯治に(氣をとりに)行っておりました。

なかなか出先でのブログ更新は私には難しく、ここのところ休みがちで申し訳ありません。

お詫びに?旅先での宇賀神先生の素敵な笑顔の写真を。

 

sake-please
「山の神、お酒をもう一本。」の図

 

この一本指の意味、いつもこのブログを見てくださっている皆様でしたら何のことかお分りになりますでしょうか?

そう、「山の神、お酒をもう一本ちょうだい♥」の指です。

 

あげませんってばv(^-^)v

 

宇賀神先生のいいところは「めげない」ところです。

そしてそれが悪く出ますと「こりない」のですが。

表裏一体ですね。

どんなに私に「お酒は1日1合まで。」ときつく言われましても、めげずに「今日は特別もう一本。」とおねだりなさいます。

 

よく、長所と短所は一本の線上にあるようなもの、と言われますね。

それがシーソーのようにバランスを取っているのですとか。

その人のある一面がシーソーの片方に傾いたときは長所として現れ、もう片方に傾いたときは短所として現われるのですって。

たとえば、「大らか」がある面では「大ざっぱ」となり、「勇敢」が悪くでますと「むこうみず」、となりますように。

 

先程の宇賀神先生の「めげない」というご性格は、本当に素晴らしいといつも思います。

私自身もそんな先生の強さにどれほど救われたことでしょうか。

イヤなこと、つらいこと、不安なこと、人生ですから色々と起こりますけれど、宇賀神先生の

「大丈夫。何の問題も無い!」

というお言葉に、いつも救われる心地がいたします。

「そんな、大丈夫っていう根拠があるの?」

と尋ねましても、

「根拠がなくても『自らを信じる』ことを自信っていうんだ。」

という、やはりいつもの返事がかえってきます。

訳が分かったような、分からないような言葉ですが、「自分を信じる」って、当たり前にできる方にはとても簡単なことかも知れませんが、そうでない大多数?の方達には案外と難しかったりするのかも知れません。

 

自分を信じること。

自分の健康を信じること。

自分の幸せな現在と未来を信じること。

 

言葉にしますと一見簡単なようですが、実際となりますと、つい

「この仕事はうまくいかないんじゃないか。」

「将来大変な病気にかかったり、もっと年を取ると寝たきりになるんじゃないか。」

「老後が心配。」

などという不安が頭をよぎりますものね。

 

宇賀神先生は、よく

「わしは100とハタチまで(つまり120歳まで)生きるからね。」

とおっしゃいます。

そんなに長生きされたら、美人薄命( ̄∇ ̄)で私の方が先にあの世に行きそうですヨ。

ちなみに先生は糖尿病をお持ちですし、脳梗塞もご経験なさいました。

なのにこの自信は一体どこから。

 

普通は、それぞれの心配事に対して色々な対策を講じておき、「備えあれば憂いなし」として少しは不安を和らげる、とするのでしょうが、宇賀神先生の場合はちょっと違います。

「困ったことは、困ったことが起きてから心配しても充分間に合う。(だから先に心配しない。)」

「人生はまず走り出して、こけたところがスタートだ。」

「こけてもタダじゃ絶対起きない。地面に何かいいものが落ちてないか探して拾ってから起き上がるんだ。」

これらの言葉は、宇賀神先生の口ぐせです。

踏まれても踏まれてもめげない雑草のような?強さです。

 

私としましては内心、「まずは『こけない人生』を目指してくれてもいいんじゃ・・・。」とツッコミを入れたいところですが。

(ですが、こんな風に書きますと、「わしはこれでも用心深く物事を進めてるよ。」とも反論されそうですね。)

 

宇賀神先生は、これらを総じて

「わしは『自己愛主義者』だから。」

と、よくおっしゃいます。

 

自分のことが大好き。

自分を信じている。

自分が必ず幸せな人生を歩むと信じている。

 

これらを総じて「自己愛主義」と宇賀神先生はおっしゃいます。

自分が自分のことを好きになれなくてどうするんだ、と。

 

これは、自分のことだけが大事で他者はどうでもいい、というのとは違います。

他者を大事にするためにも、まずは自分を大事にできる人間でないと。

事実、私の目から見てですが、自己愛主義を名乗ってはばからない宇賀神先生は、たくさんの人達の救いとなっておられます。

 

心理学のことはよく分かりませんが、宇賀神先生を横で見ていますと、自分を好きでいることと、幸せな人生を歩む上でめげない強さをもつことは密接に関係しているように思えます。

ときに、と申しますよりほとんどの場合?宇賀神先生の

「絶対、大丈夫!」

という言葉は何の根拠もなかったりするのですが、それでもその言葉に力を得て前に一歩踏み出せる方達がたくさんいらっしゃるのは、宇賀神先生の生き力の強さを感じられ、勇気を得られるからかも知れません。

私はいつも、宇賀神先生からお加持や氣に関することだけでなく、人生を歩む上での考え方もたくさん学びたいと思っています。

先生の底抜けの明るさと自信の源を、私も持ちたいと願ってやみません。

 

ただ、「めげない」強さの源の「自己愛主義」は大いに賛成いたしますが、ときにそれが悪く出る「こりない」は、ちょっとやめてほしいなぁ、とも思います。

「こりない」の代表はもちろん、宇賀神先生の得意技の盗み酒!

結局私にバレて雷を落とされることが多いのですから、少しはこりてくれよー、と日々願っております。

でも・・・こりないんだなぁ、これが。

シーソーのバランスは、難しいようですね?

と申しますより、先生はきっと「これはこれでわしのバランスだから。」とか何とかおっしゃって、改めるおつもりも無いのでしょうねぇ。

あーあ。

 

合掌

サイン

ずいぶんとご無沙汰しており、申し訳ありませんでした。

お釈迦様にお会いしに行ってから後、何かとばたばたしております。

やっぱりちょっと、この落ち着きの無さは年末まで続きそうです。

いえいえ、私が超多忙人間なのではなく、超のんびり人間のために物事がなかなか片づかないからなのですよ、念のため。

ちなみに宇賀神先生が私につけたアダ名は「トロ子」です♥

私の父は現役の会社員時代に「スピーディー松岡」と異名をとるほど仕事が早い人でした。

その名残は今もあり、いまだに何でもスピーディーにこなします。

そんな父のDNAを一体どこに置き忘れてきたのか、対照的な私を見て宇賀神先生は、

「“スピーディー松岡”の娘がどうして“スローリー綾野”なんだ~( ̄∇ ̄)」

といつも笑います。

 

と、そのようなことはさておき。

 

つい昨日のことです。

朝のお勤め(お経を読むこと)の後、いつものように私は瞑目しておりました。

瞑想と申しますほど大したことをしているのではありません。

ただ、お経を読んでいい気持ちになったときにしばらく目をつぶり、色々な考えが浮かんでは消え、することを楽しんでいるのです。

以前このブログでもお伝えしましたが、「笹の小舟を折って流すように」、自分の中の考えが浮かんできては消えていくのを、見るとはなしに見ています。

 

そのような時間の中、昨日はふと

「あ、東寺さんで今たしか秋の特別公開を開催しているな。」

と思い出しました。

今年の春に東寺さんにお参りしました(密厳国土)ときに衝撃を受けました、あの特別公開の秋版です。

それを思った瞬間、うちのお仏壇の下の引き戸(お線香などを入れております)が、風もごさいませんのに「カタン」と音を立てました。

朝は寒いので窓を開けておりませんでしたし、1時間程そこに座っていてその間は物音もしませんでした。

 

「ああ、これはサインかな。」

と思いました。

お大師さんが

「おいでよ。」

とおっしゃってくださっているのかな、と。

 

このことを宇賀神先生にお伝えしますと、

「きっとそうかもね。」

とおっしゃいました。

「でも、どうしてお大師さんは『見に来てほしい』と思われるのかな。」

と尋ねますと、

「そりゃ、お大師さんがお若い頃に人生の燃えるような情熱のありったけを込めた世界を、見てほしいんだろうよ。」

ですって。

 

妙に納得してしまいました。

「人生の燃えるような情熱のありったけ」ねぇ。

たしかに、今となりましては、東寺さんや高野山、お四国さんなどで私が感じたお大師さんは、それこそ佛様のような大きな大きな存在でした。

生きていた人間としてのパーソナリティは感じられず、人格というような範疇を超えて、例えて申しますならば無色透明な佛様としての存在感、とでも申しましょうか。

どうも私の稚拙な言葉では表現しきれませんが、とにかく深遠な存在でいらっしゃいました。

ですが、そのようなお大師さんも、平安時代には一人の人間として実在しておられたのですものね。

 

燃えるような情熱。

 

もちろんそれだけではなく、素晴らしい才能と命運と財力にも恵まれていらしたのですが。

お大師さんは膨大な密教の体系を、たった700日ほどで唐より持ち帰られました。

本当は20年間?は唐から帰って来てはダメだという遣唐使の制度のもと、海を越えて唐へ渡られたのですが、お大師さんは勝手に2年程で日本へ帰ってこられました。

もう全て必要なもの(密教の全体系)を得た、となさって。

背景には、恵果阿闍梨(けいかあじゃり・密教の第7祖。お大師さんに全てを教えられた師僧さん)に、

「唐ではやがて密教も佛教も滅びる。早く日本に密教を持ち帰りなさい。」

と言われたこともございます。

 

ですが、それもこれも全て天才的な頭脳なくしてはできなかったことでしょうが、これらを支えたものは、

「情熱」

なのですね。

燃えるような思いが、1人の人間に、信じられないような偉業をなさしめたのでしょう。

 

燃えるような思い。

 

私は、持っているだろうか?

(ちょっとしんどいとブログ更新も怠るくらいですからねぇ(^-^;))

 

お大師さんのその思いは、1200年以上たった今でもこの世界に息づいています。

 

東寺さんの建物群の中に「観智院」(かんちいん)という、もともと密教教学を教えるために建てられた建物があるのですが、そこに一歩足を踏み入れますと、その場に存在する空気の違いを感じられますよ。

この春に参りましたときも、私は建物に入るだけでまた涙が出て止まらなかったほどです。

完全にアヤシイ人でしたね。

観智院の中に飾られておりました宮本武蔵の描いた二幅の絵など、アウトオブ眼中で素通りしました。

私は絵が大好きで、宮本武蔵の有名な百舌鳥の絵なんかすごく素敵だと思うのですが、あの日ばかりは、あの観智院の空間そのものに圧倒されて、彼の絵を見る余裕はございませんでした。

それぐらい、1200年たった今でも、お大師さんの情熱をひしひしと感じられる空間でした。

唐で学んでこられた密教を、日本で教え広め、密厳国土を今ここに現す、というお大師さんの情熱を。

 

やっぱり、お大師さんにお会いしに行きたいですねぇ。

 

サインなどというものは、往々にして本人の思い込みということもあるようです。

物事を都合よく解釈してしまうのです。(まさに「あるある!」ですね。)

ですが、昨日の物音がお大師さんの「おいでよ。」というサインでありましても、そうでなくても、そのようなことはどうでもいいことです。

私はただただお大師さんが大好きで、だからお会いしに行きたいと思うのです。

あのお方の情熱に触れたい。

息吹を感じたい。

 

うーん、やっぱり、行ーこうっと!

 

今年も東寺さんで11月25日まで秋の特別公開をなさっているようです。

皆様もぜひ、お大師さんにお会いしに行かれてみてはいかがでしょうか?

 

合掌

真正仏舎利(しんしょうぶっしゃり)

昨日は急きょ、うちから片道100kmちょっとの姫路まで行って参りました。

このお方に会いに、です。

2600年程前に生きておられた、佛教の始祖、お釈迦様です。

まずは宇賀神先生の記念撮影を。

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仏舎利塔にて

 

姫路駅から2kmほどのところに名古山霊苑という墓地がございまして、その中に仏舎利塔(ぶっしゃりとう)、つまり、お釈迦様のご遺骨が納めれられている塔がございます。

そこへ宇賀神先生とお客様をお連れして、月曜日に急きょサンダース号で行くことになったのです。

 

世界中に仏舎利塔と呼ばれるものは沢山あるのですが、その中でもこの姫路の仏舎利は「真正仏舎利」、つまり正真正銘お釈迦様のご遺骨ですよ、とお墨付きのものです。

と申しますのも、あるとき世界中の仏舎利塔の中の「お釈迦様のご遺骨」とされております骨を計算しましたら、なんとお釈迦様は体重が象2頭分を超えるほどの巨人になってしまい、やはり本物と偽物が混在していると分かりました。

そこで色々と歴史などを調べて多分に本物のお釈迦様のご遺骨です、と証明されたものが「真正仏舎利」と言われております。

 

日本ではその真正仏舎利は2か所に祀られているようでして、ひとつは名古屋の日泰寺さん、そしてもうひとつはこの姫路の名古山霊苑です。

ただ、常時見えるところにご遺骨が入れられた御厨子が安置されておりますのは、この姫路の名古山霊苑です。

つまり、何とも幸運なことに、いつでもお釈迦様にお会いできるのです。

 

仏舎利塔が安置されております建物の中も、それはそれは美しくまばゆいばかりに装飾されておりますし、仏舎利塔そのものも金色に輝いております。

昨日もお見せしましたが、あまりにも美しいのでもう一度。

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仏舎利塔

 

ところで、なぜ宇賀神先生はお釈迦様のことを「人類最強の男」と呼ばれますのか。

それは、仏舎利塔の前に行きますと、今でもありありとそのパワーを感じるからです。

(宇賀神先生に「世界最強」じゃなくて「人類最強」にちゃんと訂正しておいてよ、と言われました。どう違うんだろう・・・。)

とくに、宇賀神先生が「一番感じられる」というお薦めのポイントに立ちますと、ふわーっと後ろに押されてしまいますような、素晴らしいお力を感じられます。

宇賀神先生がそのようなポイントをちゃーんと見つけられるのは、さすがだなぁと思います。

 

ですが落ち着いて考えますと、お釈迦様は2500年ほども前に亡くなられた方ですよね。

(諸説ございますが、2600年ほど前にお生まれになり、80歳くらいまで生きられたそうです。)

そのお力が今もありありと感じられるほどだなんて、すごすぎると思いませんか?

仏典には、お釈迦様が生きていらした頃、お釈迦様の周り50km以内には争い事が起きなかったと書かれているそうですが、納得できるような気がいたします。

 

ちなみに、お葬式のお焼香のときなどに読まれます舎利礼文(しゃりらいもん)というお経は、

「もともと舎利、つまりお釈迦様のご遺骨を礼拝するのが大乗仏教の始まりだった、ということを表している」

と宇賀神先生はおっしゃいます。

2500年ほどの昔から、人々はお釈迦様のご遺骨を「ありがたい」と拝んでこられたのですね。

 

いやもうホントに、ありがたいですよ。

多分にとても小さなお骨のかけらなのでしょうけれど、もうそれだけでも素晴らしい存在です。

手を合わせ目を瞑りますと、あたり一面金色の世界でした。

とても優しく美しい金色の世界。

亡くなられた後2500年ほどたった今でも、お釈迦様から柔らかく波打つような何かが流れてきます。

金色っていうと何か人間の欲の対象の「金」とかを想像しますけど、そのような金色とは違う、とてつもなく優しく美しい金色の光でした。

 

姫路の名古山霊苑は、姫路駅から車で5分ほどです。

しかも拝観料はたったの200円。

申し訳ないくらいです。

たった200円で「人類最強の男」にお会いできるのですから、皆さまもぜひ一度お行きになってくださいませ。

そしてぜひお釈迦様の存在に触れられてください。

お釈迦様にお会いなさり、お心に静寂が訪れましたら、何よりです。

 

「心に静寂」・・・と書きながら、それを一番必要としておりますのは他でもない、ワタクシなのですが( ̄∇ ̄;)

ここは正直に告白しておきますネ!

だって、ねぇ、昨日なぜか急に「姫路に行こう!」とかいうことになってしまい、中国自動車道(高速道路)に乗りましたらまさかの事故渋滞。

しかも11km!

お仕事のある宇賀神先生を乗せ、お客様を乗せ、「帰りがもしかして間に合わなかったらどうしよう、絶体絶命のピーンチ♠」と、内心めちゃくちゃ焦っておりました。

宇賀神先生は相変わらずの

「絶対大丈夫だから!何の問題も無い!」

との予言?をなさっていましたが。

 

帰りは宇賀神先生にもお客様とともに姫路から新大阪まで新幹線に乗っていただき、私だけ車で帰ることにして、それで何とかお仕事に間に合いました。(先生の予言通り?)

大阪にお住まいの方はお分かりになると思いますが、夕方の中国自動車道の宝塚あたり~阪神高速池田線の大阪方面行きは、必ず混みますからね。

「トラベルの語源はトラブル」だと言われておりますのが、身にしみてよーぅく分かりました。

私にとりましては、ハラハラドキドキの大冒険映画の日でしたね!

今度はもうちょっとゆっくりと余裕のある日に行き、大冒険映画ではなく、お釈迦様との逢瀬を心行くまで楽しむロマンス映画の日にしたいものです♥

 

合掌

「世界最強の男」

stupa

今日は、もんのすごーい弾丸旅行(弾丸のように飛んでいく旅行)で、宇賀神先生いわくの「世界最強の男」に会いに行きました。

そのお方がこちら。

金色にまばゆい世界におわします。

さて、そのお方とは?

詳しくは明日。

今日はさすがに疲れすぎて、もう寝ます。

アクセル踏んだら車は勝手に進んでくれるのに、どうしてこんなに疲れるのだろう。

せめて、「世界最強」のお方の金色の夢を見よう。

 

合掌

ここ数年の宇賀神先生の実績

今日は色々と文章を書くのをやめにしまして、ここ数年の宇賀神先生のお加持の実績を羅列することにしました。

「実績」ですから、以下に書くことは多かれ少なかれの成果があったものです。

 

まず、ご病気・けがなどの「病者加持」及び「氣による治病法」の実績から。

 

*がん(スキルス性がん、胃がん、肺がん、大腸がんなど様々。全く消えてしまったものもあれば、小さくなっていたものもある。)

*大腸ポリープ(消えてしまった。)

*うつ病(死ぬことばかりを考えていたうつ病の方が、元気になられた、など。)

*パニック症候群(発作が起きなくなった。)

*ミトコンドリア心筋症(難病のため病気が完治することはないが、心臓を含む全身の筋力の低下により歩くこともままならなかった方が、社会復帰(職場復帰)なさった。)

*間質性肺炎(難病のため病気が完治することはないが、病院から言われた寿命よりはるかに長生きされ、かつ日々の生活の質(QOL)の高い状態で過ごされた。)

*圧迫骨折(寝返りも容易にうてなかった方が、全くの痛み無く生活できるようになった。しかも何人かの圧迫骨折の方の中で、お一人は地球の裏側にいらっしゃるときに遠隔のご祈願により痛みがほぼ無くなり、無事帰国なさった。)

*小脳変性症(難病のため病気が完治することはないが、病気の進行の速度がゆっくりになり、かつ日々の生活の質も高い状態で過ごされた。)

*甲状腺機能(亢進、減退)(正常な状態に戻り、全く生活に支障がなくなった。)

*膠原病(難病のため病気が完治することはないが、痛みが軽減し身体の動かしやすさが増し、生活の質が劇的にあがった。)

*リウマチ(痛みが減り、関節の動かしやすさが増し、生活の質があがった。)

*腰痛(痛みがなくなった。)

*膝痛(痛みがなくなった。)

*腱鞘炎(痛みがなくなった。)

*めまい(季節によりめまいが頻繁に起きていたのが、起きにくくなった。また、起きてもお加持によりすぐにめまいが収まった。)

*難聴(片方の耳が40年以上全く聞こえなかったが、たった1回のお加持により聞こえるようになった、など。)

*アトピー性皮膚炎(数か月かけてよくなり、ひどく再発することがなくなった。)

*喘息(ご高齢の方の喘息がおさまった。また、何かの加減でぶりかえされても、すぐにおさまるようになった。

私の咳喘息は治った。)

*更年期障害(不定愁訴がおさまった。)

*小人症(背が伸びた。)

*ぎっくり腰

*坐骨神経痛

*五十肩

*左右の足の長さの差があるのを揃えた

*小児まひ(病気そのものを完全に無くすことはできないが、身体を本人の意思通り動かしやすくなり、生活の質があがった。)

*腎臓を透析から免れさせた

*頻尿

*血便が出て死にそうになっていた小鳥を回復させた。

*犬の股関節の調整(歩き方が変だったのが、普通に歩けるようになった。)

*不妊(なかなか子供ができなかった人が妊娠した。)

*白内障(視界のにごりがとれてよく見えるようになった。)

*緑内障(眼圧が下がった。)

*くも膜下出血(階段から落ちて外傷性くも膜下出血になり、意識不明だった人の意識が回復した。)

*脳梗塞(脳梗塞になられた方が、後遺症なしに回復した。)

*白杖をついておられるほど目の悪い方の視力の回復

*腰椎のヘルニア

*頸椎のヘルニア

*ED

etc.

 

 

次は霊的なこと・他ご相談に応える「加持祈祷」により成就したもの。

 

*佛像への御魂入れ

*山の神様にお移りいただく(山の中の工事で、3人の工事員の方が事故により亡くなられたため、祠のあった山の神様にお鎮まりいただくべくご祈祷し、安全なところへお移りいただいた。)

*呪詛返し(他者の呪いから守る。これは今も現在進行形。今はほとんど呪いをかけている人からの念が来なくなったとご相談者様が喜ばれている。)

*自殺者のご供養・成仏(佛教的には自殺者は浮かばれないため、供養し、無常林の地獄から佛様の御国へお送りした。)

*恨みを残して亡くなられたであろう方のご供養・成仏(過失による交通事故の加害者のご家族から、亡くなられた被害者の方のご供養を頼まれた。被害者の方にも何割かの過失もあった案件。ご供養したためか、被害者のご家族から損害賠償請求もなかった。)

*お仏壇への御魂入れ(引っ越しにより新しくお仏壇をしつらえた方からのご依頼。)

*お店を建てるためのお祓い(商売繁盛を願って。)

*会社を倒産から免れさせた

*不動産が売れるためのご祈願

*円滑な遺産相続

*就職のご祈願

*取り憑いた霊のお祓い(変わりどころでは、「犬神憑き」なんてのもありました。)

*因縁の解除(のための200人を超える方々のご供養)

*漁船の大漁祈願

etc.

 

 

これらは、宇賀神先生のお仕事のほんの一部です。

ご予約表を見て今日の記事を書いているわけではありませんので、私の頭に思い浮かぶままにいくつか書きだしてみました。

なんと申しますか、こうして一部を書きだしているだけでも、節操のないほどの広範囲のお仕事です。

しかも、たとえばお身体に関しましても、病苦ひとつだけを取り去るのではなく、それにより派生する身体中の不具合を取り去ります。

ご依頼者様によりましては、人生上の不具合?まで、ご相談に応じることもございます。

宇賀神先生は氣のお力や御祈願のお力もさることながら、ヘンに豊富な人生経験や優しいお人柄で、本当にありとあらゆるご依頼を受けておられます。

 

そのため、(全く話が変わりますが、)ブログランキングに登録したいとかねてから思っているのですが、どのカテゴリーに入れればいいのかずっと迷っております。

結局ブログを始めて5か月(月日がたつのは早いですねー!)たった今も登録せずにおります。

気功、だけでもないですし、

お寺(真言宗)、と申しましてもお葬式などしているイメージで、かなり違いますし、

霊能者っていう項目はなく、似たような霊界・霊視とかはあるのですが、なんだか暗くてちょっと範囲もずれているような気がしますし、もしあったとしましても、それだけには収まらない・・・?(タイトルはこれですが)

スピリチュアル、にしては宇賀神先生が力強すぎますし、

やはりここは、どれでもない「超能力」か・・・?(私は昔、『超能力少年バビル二世』が大好きでした。)

迷いに迷っております。

そうですね、今週末うちに泊まりにいらしてくださるY君とAさんに一緒に考えてもらいますか!

と申しますことで、この場をお借りしてお二方、頼みましたよーv( ̄∇ ̄)v

(来週になりましても登録されておりませんでしたら、彼らが非協力的だったということですね、とプレッシャーをかけておこう♥)

 

合掌