今日は宇賀神先生の苦手な分野のことをお話しましょう。
宇賀神先生は子供の頃、今で申しますところの学習困難児、ですが当時は「異常児」との診断を受けてしまったことはお話しました。
先生ご自身も、「自分は周りの子達と比べて、何かおかしいのかな?」とは、少しは思っておられたようです。
それを決定づけられましたのは、小学校の算数の授業のときでした。
その日は、皆で教室で算数の九九の表を習っていました。
学校の先生がおっしゃいます。
「いいかー。九九はすごいんだぞ。数字が倍・倍になって増えるのが、ぱっと計算できるんだ。ひとつずつ足さなくても、倍・倍に増えていくんだぞ。」
と、九九の表の便利さを教えられました。
その九九の表をじぃーっと眺めていた幼き日の宇賀神少年は、あることに気づきます。
手をあげて担任の先生に質問しました。
「せんせぇー。九九は変だよ。
先生は倍・倍に増えていくって言ったけど、それは2の段から上だけだよ。
2×2=4、2×3=6は、増えるけど、1の段は逆に減ってるよ。
1×2=2、1×3=3で、1+2=3、1+3=4って足すより少なくなってるよ?」
と。
そのときの学校の先生の対応が何とも残念でした。
「宇賀神はバカだから黙ってろ。」
と、一言のもとに、その質問は無視されたのでした。
お陰で宇賀神先生は、そのとき練習しておりました7の段までは覚えられたのですが、8の段以上はいまだに覚えておられません。
必要なときは、たとえば8×3=24を3×8=24、という風にひっくり返して計算しておられます。
いえ、ですから、本当の話ですよ。
しかも、残念なことにその単純な計算式も往々にして間違っていることが多いのですけれどね。(真実を申し上げますと、掛け算だけでなく足し算も間違っておられます。)
またある日のことです。
同じく算数の授業で、時計を習っておられました。
とくに小さな子供さんやお孫さんをお持ちの方はご理解いただけると思うのですが、まだ時計や時間の概念の無い子供に、時計を理解させるのは結構難しいですよね。
宇賀神少年も、その日は皆と一緒に時計を教室で習っておりました。
そして、また先述の九九のようにじぃーっと時計の図を眺めていますと、ふと疑問が湧きあがってきました。
手をあげて担任の先生に質問します。
「せんせぇー。この『時計』は変だよ。
1時間は60分でしょ。
1分は60秒でしょ。
それなのにどうして1秒は60で割れないの?
0.99秒があるのはどうしてなの?」
と。
またまた、担任の先生がおっしゃいました。
「宇賀神はバカなんだから黙ってろ!」
と。
私からしましたら、九九のことも時計のことも、なんて素晴らしい着眼点なんでしょうと思うのですが、担任の先生の心無い一言で宇賀神先生の気づきの芽はつまれてしまいました。
お陰で、宇賀神先生はいまだに「時計」に関しましても苦手で、たとえば
「17時って7時のこと?」
と、聞かれます。
たとえば20時が夜の8時、というのもよく呑み込めてらっしゃいません。
いえ、ですから、本気で。
何度お伝えしましても、時計に関する考え方が今ひとつ頭に入らないのです。
ついでに申し上げますと、何故かそれに伴いまして、カレンダー(これから先の予定)も今ひとつ、頭に入らないのです。
今日が何曜日、というのも80%以上の確率で間違っておられますし、宇賀神先生が楽しみになさっている「週末の予定」でさえ、今週分の予定が頭に入っております確率は50%です。
いえいえ、ですから、ウソではありません。
よくそれで生きてこれたねー、と言いたくなりますが、これで生きてこられました。
ちょっとだけ弁明させていただきますと、宇賀神先生は私から見ましたらバカなどではなく、たとえば先生がとても興味を持っておられる医療や佛教や東西の歴史、地質学、果ては料理や戦闘機やどうでもいい雑学などに関しましては、驚くほどの知識も見解も持っておられます。
私は内心、宇賀神先生のことを「歩くグーグル」と呼んでおります。
だって何を尋ねても知っておられて、とっても分かりやすく教えてくれるんですもの。
(たま~にハッタリの大嘘をおっしゃいますけどね。とくに酔っ払っちゃったときなど。)
人の得意なこと、不得意なことを、よく円グラフのように表したりすると思うのですが、それがそんなにひどくでこぼこすることなく、万遍なく色々な方向にそこそこ伸びている人もいらっしゃいましょう。
当たり前の社会人として立派に生きていける人ですね。
あんまりでこぼこが無い方が、「円転自在」よろしく、気持ちよく世の中を生きていけるような気がいたします。
ですが、宇賀神先生のそれは、多分にたったひとつの分野に向けられて大きく突出し、あとのほとんどは平均以下、かも知れません。
たったひとつの分野とは、申し上げるまでもなく、神佛のエージェントとしての、お加持のお仕事です。
「円転自在」の境地からはほど遠く、その分野においてでないと、生きていけません。
その代わり、その分野に関しましては、誰にも負けないという自負さえあります。
でこぼこがあまり無い方が幸せなのか、宇賀神先生のようにひとつ突出したような方が幸せなのかは分かりません。
その人それぞれだと思います。
事実、宇賀神先生がご自身の生きる道を見つけられるまでの人生は、上記の子供時代からも含めまして、なかなかつらいことも多かったようです。
先生は「わしは神さん佛さんに拾ってもらった」という風におっしゃっています。
ですので尚のこと、神様佛様のエージェントとして働き、ご恩返しをなさっているのでしょうね。
そしてどちらかというと、でこぼこが割合に平均的に巡らされ、でも実はこっそりとその中のいくつかが「超がつくほど平均点以下」の私は、宇賀神先生のサポートをして何とか生きております。
一応、17時が夕方の5時というのは理解しておりますから。
ええ、ええ、さも常識人代表のようなエラソーな顔をして、ですね、先生のかたわらで幸せに生きております( ̄∇ ̄)
ま、ですから、幸せは人それぞれということでしょうね?
今日はご相談者の方で、自閉症を患ってらっしゃるという方にお会いしました。
その方は驚いたことに、全ての日付の曜日を「覚えて」おられるそうです。
計算で出す方法はあるようですが、そうではなく、記憶してらっしゃるのですって。
本当にそんなことができるのでしょうかとびっくりして、私の生年月日をお伝えしますと、その日は「水曜日だった」と見事に当てられました。
もちろん、その才能が実生活の上で何の役に立つかは分かりません。
そして他にどんな才能をお持ちなのかも私は全てお聞きしたわけではありません。
ただ、25歳だとおっしゃった彼の目はとても優しく綺麗に澄んでいました。
その澄んだ目は、誰にも奪えない、しかも誰が教えても教えられない「天から与えられた才能」です。
もちろんそれは、まぎれもなくご両親や周りの方達との人生の中で育まれたものではありますが。
宇賀神先生は、
「才能は、それが活かされようが活かされまいが、あるというだけで素晴らしい。」
とおっしゃいます。
ですが、親心(いや、姉心・・・くらいにしておいて)としましては、彼のその才能(澄んだ目)に見合う幸せな人生を、これから先も歩んでほしいなと思います。
「水を得た魚」という表現がございますが、彼の生きる世界の水が、彼にとって優しく心地いいものでありますことを願ってやみません。
合掌