「空と海」の海

先日は急に思い立ち、宇賀神先生と映画「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」を見てきました。

私はこの映画の原作、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」という小説が大好きなのです。

ただし、お大師さん(空海さま)の実像としてではなく、幻想的な雰囲気のSF小説として大好きでした。

この本と出会ったときは夢中になって読みましたが、逆に「読み終わるのがもったいないから読み進めたくない」という、なんとも矛盾した気持ちが湧きあがるくらい大好きだったことを覚えています。

映画そのものに関しましては、これまた原作とも内容がかなり変わってきており、唐の時代の風景のCG映像が良かったのと、主人公役の方のお顔がキュートでした♥とだけ申し上げておきましょう。

 

やはり、多分に史実に近く、「もしかしてその時代生きていらして、実際にお大師さんをご覧になったのでは!?」と申し上げたくなるような小説といえば、司馬遼太郎さんの「空海の風景」でしょうか。

その小説「空海の風景」の中で、お大師さんのお名前「空海」に関する、とても素晴らしい司馬さんの考察が書かれてありました。

 

まずはこちらの写真を見ていただきたいと思います。

これは去年の12月に、瀬戸内海に面した四国は香川県の五色台(ごしきだい)というところで撮影しました。

旅館のお部屋から撮影しましたので、ちょっと窓ガラスの反射とかが写ってしまっていますね。

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五色台から瀬戸内海の多島美

遠くにうっすらと見える大きな橋が瀬戸大橋です。

まさに「多島美」という言葉はこの景色のためにあるのでは、という美しさでした。

画像がぼやけずに見えるといいのですけれど。

 

ここは香川県、我らが弘法大師 空海さまのお生まれになった讃岐の国です。

五色台は実際にお生まれになった場所からは少し離れていますが、お大師さん(空海さま)は瀬戸内海に面したここ讃岐の国でこの世に生を受けられました。

幼い頃のお大師さんにとりましては、海と言えばこの穏やかな瀬戸内の海だったのではないでしょうか。

 

ところが司馬遼太郎さんは、お大師さんがご自身のお名前を「空海」、つまり空と海、と名づけられたけれど、多分にその「海」は瀬戸内海のような小さな海を見て名づけられたのではないのだ、とおっしゃっていました。

そうではなく、お大師さんの人間としてのスケールを考えたときに、高知など四国の中でも南の方から見える、その果てしない先には世界があるという、大きな大きな太平洋を見て「海」とつけられたのではないだろうか、と。

お大師さんがまだ若く、無名の私度僧(しどそう:律令制度のもと、官の許可なく勝手に僧となった人)でいらした頃、山野での厳しい修行に明け暮れ、四国じゅうの山に入られていました。

当然、高知からの太平洋もご覧になられたでしょうね。

 

たしかに、ずっと以前に四国八十八か所巡りをしていて、地球の形そのままに、まぁるく見える水平線の太平洋を見たときには、「きっとそうだ!」と思いました。

世界につながっている、黒く青い、果てしなく大きな海。

この先にはどんな景色が待っているのだろうと、まだ見ぬ世界への憧れを抱かせる大きな大きな海。

まさにお大師さんのスケールそのものでした。

 

・・・ですが私は去年、この光に溢れた多島美を見て、「いえいえ、もしかしたらその『海』は、太平洋でもあるけれど、それと同時に瀬戸内海の穏やかな明るい美しさも含まれているのでは?」とも思いました。

私が何度か感じたお大師さんは、大きさはそれこそ山のようだったり、空のように果てしなくていらっしゃいました。

たしかに司馬遼太郎さんのおっしゃるような、世界につながる大きさです。

ところがそれと同時に、限りなく優しい光を感じのです。

それは荒々しい波の外海に照りつける厳しい日差しではなく、瀬戸内海の春の波がたたえるような、とっても明るくて、ずっとそこに浸っていたいような優しい光でした。

 

五色台から眺める、光溢れる多島美の景色を見ておりますと、ふと、そのような思いに至りました。

 

1200年以上の長きにわたり、人々を魅了し続けるお大師さん。

実際に生きていらした頃は、どんな方だったのでしょうね。

私自身が四国で「お会いした」と感じたときのお大師さんは、すでに人間としての存在感ではなく、遥かに大きな「世界そのもの」でした。

 

ちょっと面白いのですが、高野山で「お会いした」お大師さんは、すごく別の感じでしたが・・・。

このお話もいずれ、また。

 

まあ、ですが、今日のお話はあくまでも私の感性の問題ですね。

真言門徒の端くれの端くれで、空海さまLOVE♥の、私個人の感性です。

四国八十八か所巡りをしてお大師さんに惚れ込んだため、高野山にまで(最短コースでしたが)上がってしまった、ワタクシ個人の感性です。

実際に四国八十八か所巡りをなさって、司馬遼太郎さんの小説を読まれた方は、もしかしたら「いやいや、やはり空海さまの『海』は太平洋でしょう!」とおっしゃるかも知れません。

同じ景色を見ましても人によって感じるものが違うように、大きな存在のお大師さんも、色々に感じられるのだと思います。

 

本当に、山のように空のように海のように大きな存在だったお大師さん。

大好きすぎて独り占めしたいのですが、日本一の富士山も独り占めできないですものね。

みんなでシェアするしかないのかぁ・・・チェッ(T-T)

 

合掌

治に居て乱を忘れず

宇賀神先生は、映画が大好きです。

歴史ものとかも大好きでいらっしゃいますが、実は、いわゆるパニック映画も大好きです。

最近はディザスター(大災害)ムービーとも言うのでしょうか?

地球規模の大災害が起きたり、人類が滅びてしまいそうなウイルスがまん延したり、エイリアンが襲ってきたりするような映画です。

一流映画から三流のパニック映画まで、楽しんでご覧になっています。

 

ただ、ちょっと変わっておりますのは、その映画を見ながら宇賀神先生は、

「どうやったらこの映画のストーリーの中で生き残れるか?」

を常に考えておられるのだそうです。

どこに逃げて、どんな風に立ち回ればその大災害の中で生き残れるのか、を常に考えながらパニック映画を楽しんでおられるのですって。

 

そして、「自分は何が起きても必ず最後まで生き残れる!」という、なんとも不思議な自信まで持っておられます。

私なんかは、エイリアンが襲ってきたら多分真っ先に死んでしまいそうですけど(^-^;)

 

そう言えば、小さい頃初めてテレビで見た「エイリアン2」は、子供心にめちゃくちゃ怖かったですねー。

シガニー・ウィーバーさんが演じられるリプリーという女性が、エイリアンの巣窟の奥深くに捕らえられてしまった小さい女の子を、たった一人で救出に向かうのですが。

恐ろしいエイリアンが数多くいる、その奥底へ。

あまりに怖く、その映画を見た後、当時小学生だった私は

「もしもお母さんがエイリアンに捕まっても、怖くて助けに行かれへんかも知れへん。」

と、泣いてしまいました。

すると母は笑いながら、

「お母さんはもしも綾野ちゃんがエイリアンに捕まったら、きっと助けに行くわ。

でも多分きっと途中でエイリアンに負けてしもうて綾野ちゃんのところまでたどり着かれへんわ。

そのときはごめんな。」

と、慰めてくれました。

30年以上たちましても忘れられない、母の絶妙なフォローでした。

 

ちょっと話が逸れましたね。

 

まあ、きっと宇賀神先生でしたら、そんなエイリアンの巣窟に入って行っても必ず生きて帰るという、まったく根拠のない自信をお持ちだと思います。

と申しますより、そもそもそんなエイリアンのいるところへ行かない運のよさを得るには、ということを考えられるのかも知れません。

とにかく、映画を見られるときも、惨事や災害のニュースを見られたときも、

「もし自分がその場にいたならば、どう立ち回ってその状況を切り抜けるか」

を常に考えられるそうです。

 

これを、

「治に居て乱を忘れず」(ちにいてらんをわすれず)

と、おっしゃっています。

 

どんなに平和な世の中に生きておりましても、「いざ」とか「万が一」のときのことを忘れないでいる、ということです。

 

たとえばちょっと笑える話ですが、宇賀神先生はひと頃はよく、

「歩くときは両手を空けておく。」

と、おっしゃっていました。

「どうして?」

と尋ねますと、

「忍者がいつ襲ってくるか分からないから。」

と、冗談半分、本気半分で?、答えておられました。

 

一体全体今の時代、どこに忍者がいるんだろうと思いながらも、

「ふーん。」

と、受け流すしかございませんでしたね(^-^;)

 

実際のところ、宇賀神先生は普段からあまり荷物を持たなくていいように、身軽でいることを心掛けていらっしゃいます。

ただ単に、重たい荷物が煩わしいだけかも知れませんが。

常に、色々なことに素早く対処できるように、身軽でいる。

昨日の「宇賀神先生のシンプルライフ」でご紹介した旅の荷物を、幼稚園掛けしたカバンにひとまとめになさり両手を空けておられたのも、そういう考えもあったからかも知れませんね。

今の時代さすがに忍者は襲ってはこないとは思いますが、身軽な自分でいるのは大事なことだと思います。

 

また、蛇足ですが、15年ほど前に宇賀神先生は片目を失くされたため段差が分かりづらく、そのため、ここ数年は片手にステッキをお持ちにはなっています。

しかもそのステッキも、なんと中に傘が内蔵されているという特殊なステッキです。

これで、いざというとき(突然の雨)にも対処できるという・・・。

(ここだけの話ですが、そのステッキ傘を差される先生は、まるでアニメ映画のトトロが傘を差している姿を彷彿とさせます♥)

 

そして普段は身軽に歩かれる宇賀神先生ですが、最近たまに私が重たい荷物を持っておりますと、「持とうか?」と代わりに持ってくれようとなさいます。

内心うれしく思いながらも、

「あれ、忍者が襲ってくるかも知れないから、両手を空けとくんじゃなかったの?」

と尋ねますと、

「最近はわしも年を取って、忍者も襲ってこない。」

って。

( ̄∇ ̄)

オモロイこと言うやん。

 

宇賀神先生は手荷物も身軽でいらっしゃいますが、心持ちも軽く飄々(ひょうひょう)と生きておられるようです。

そういう身軽さ、心軽さがあればこそ、「乱」が来たときも生き残っていけるのかも知れません。

心の中もミニマリストかぁ。

羨ましいかぎりです。

 

***オマケ。

totoro
トトロの傘

「このステッキ傘をブログで紹介するから、広げて持ってー。」

と頼んで撮った写真を見せますと、ご自身でも

「これじゃトトロの傘やー。」

と、笑っておられました。

テレパシーで、私が内心「トトロみたい♥」て思ってたのが伝わったのかしら?(^-^;)

 

合掌

宇賀神先生のシンプルライフ

最近はシンプルライフやミニマリズム(ミニマリスト)などという考え方が流行っておりますね。

かくいう私も、心密かに憧れております。

ただし、憧れと実情は別、とは、念を押させていただきたいのですが(T-T)

まだまだ「断捨離」も道なかば。

ワタクシは色々といらないものを抱えたまま生きております。

 

それにひきかえ、宇賀神先生の生き方は、いたってシンプルです。

先生が教えられている様々なことも、とてもシンプルです。

 

「氣」を使って人様を治す方法や、氣を導引する方法。

神様佛様に向き合う際の考え方(在り方)。

お加持の作法。

超能力開発?

考え方。

などなど。

 

実際に習ってしまえば、「ええっ、そんな単純な!?」というくらい、シンプルです。

それは宇賀神先生の考え方が、非常にシンプルなことが多いからでしょうか。

ですが、先生は、

「みんなの方が色々なことをフクザツに考えすぎるんだよー。」

と、おっしゃいます。

 

うーん、たしかに。

 

そして、長年に渡り宇賀神先生の教えを身近に受けておりますためか、私の頭の中も少しずつシンプルに馴染んできて、佛教や哲学もムツカシー話になりますと、頭に入ってきません。

えっ?

これは能力とか脳みそのキャパシティとかの、別問題でしたか?(^-^;)

ごめん・・・。

 

またちなみに、宇賀神先生は旅の荷物も超少なく、例えば去年たまたまお一人で一週間ほどの湯治をなさったときの旅の荷物は、

・日数分の薬

・下着のパンツ2枚

・肌着のシャツ1枚

・ハンカチ1枚

・無理やり持たせたポケットティッシュひとつ

だけでした。

 

「もっと用意がいるんじゃないの?」

と、びっくりする私に、

「パンツとハンカチは手で洗って乾かす。タオルは宿のを使う。湯治して宿にいるだけなんだから、宿の浴衣で一日中過ごすし、本当はシャツもいらないくらいだよ。」

と、平然としておられました。

シンプルライフやミニマリズムに憧れ、そういう方達の色々な本を何冊も読みましたが、究極のミニマリストはうちにいたよー、と、初めて知りました。

 

もともと宇賀神先生のお若い頃からの憧れが「ギターを持った渡り鳥」シリーズでしたので、身軽に旅できるのでしょうか。日本全国どこでもお家

心配性の私とは、正反対の荷物です。

「梵天丸もかくありたい」と、泣きそうになりました(T-T)

 

ですが、そんな旅の荷物やご自身の考え方とは裏腹に、宇賀神先生が読まれる本や、見られるテレビは雑多です。

たまには難しそうな本から、マンガ本まで。

テレビも歴史や宇宙などに関するすごく勉強になる番組から、料理番組から、めっちゃくだらない番組まで。

テレビ嫌いの私など、横からリモコンでプチっと消してしまいたくなるようなウルサイ番組も、しょっちゅう見ておられます。

 

そのためか、考え方はシンプルでも、頭の中の知識は雑多に、しかも膨大にあるようです。

高尚なものから低俗なものまで。

この雑多な知識と経験が、宇賀神先生の中から醸し出される複雑なオーラと申しますか、人間性を形成しているのでしょうね。

 

そうそう、初めに宇賀神先生の生き方はシンプルだと申し上げましたが、それは今の在り方が、という意味においてです。

今まで生きてこられた人生は波乱万丈そのもの。

複雑といえば複雑な人生です。

よくもまあ、そんな道筋をたどって今まで無事に生きてこれましたね、という人生でいらっしゃいました。

 

ただ、30歳の頃、氣の世界に入られて、お不動さんに出会われてからの宇賀神先生の在り方がシンプルなのです。信仰とは、惚れて惚れて惚れぬくこと。

宇賀神先生にとりまして大事なものは、

神様と佛様と、

氣と、

温泉と、

そして綾野ちゃん♥

(あっ、またドサクサに紛れてノロケましたヨ( ̄∇ ̄))

 

ああっ、それとお金も大事でしたか!?

小さい頃、お父様の事業が失敗してからずっと貧乏でいらっしゃいましたからねぇ。

Meijiのチョコレート

 

宇賀神先生は、透き通るように高尚な宗教者がおっしゃるような、「お金は大事ではありません」と申しますようなセリフは、決しておっしゃいません。

「お金は大事だよ。お金が汚いなんて思ってはいけない。軽んじてもいけないよ。」

と、常々おっしゃっています。

かと言って、もちろんウン百万円の壺を信者さんに買わせる、などということも一切なさいません。

地道に働いて、地道に稼ぎ、地道に生きるんだ、と、そういう姿勢を大事になさっています。

 

私は宇賀神先生が「お金は大事だよ」とおっしゃるのは、地に足のついた生き方をなさっているからだと解釈しています。

ふわふわとしたきれい事だけでなく、かといって我利我利(がりがり)亡者になり下がるわけでもなく。

当たり前のことを当たり前に、率直におっしゃる先生の在り方が、私は好きです。

 

また、ここで「地道に働いて」と宇賀神先生がおっしゃいますのは、「地道に神様佛様のエージェントとして働いて」ということです。

言うなれば神様と佛様と先生との三人四脚で生きていく、ということです。

それしか、先生の生きる道はございません。

たとえ先生が横道に逸れようとしましても、きっと両側からはさんでくださっている神様と佛様が

「そっちは違ーう!」

と、強制的に軌道修正してくださるのでは、と想像してしまいます( ̄∇ ̄)♥

 

まあ、ですが、どこへでもウロチョロと動き回ってしまう元祖「いらんことしぃ」の宇賀神先生は、そうでもしないとどこへ行かれるのか分からないのでしょう。旅に飲んで・・・

なんとも有り難い人生ですね?

 

宇賀神先生を見て思いますことは、在り方がシンプルですと、なぜか旅の荷物までシンプルになるようです。

だって、人生も「旅」ですものね?

何が必要で何がいらないのか。

見極める目が欲しいものです。

ああ、私の旅の荷物は、いつになったら軽くなるのでしょう(T-T)

ミニマリストへの憧れは、まだまだ続きます。

 

合掌

天下無敵

前回までの「されど顔で運命は決まる1」にも通じることではありますが、今日は

「本当の『天下無敵』とは。(多分)」

というお話をお伝えさせていただきたいと思います。

 

私は宇賀神先生のおっしゃるところのノーテンキ本が大好きで、一時期はよく読んでいました。(今も少し(^-^;))

いわゆる、「願えば叶う!」系の、自己啓発とも呼べないような?、夢見る本♥です。

そのなかに、とても印象深い例え話が書いてありました。

 

それはこういうものです。

 

*****

とある旅人がとある村にさしかかりますと、村の入り口におばあさんが一人座っていました。

その旅人がおばあさんに『この村の人達はいい人達かい?』と尋ねました。

するとおばあさんは『今まであんたが通ってきた村々の人はいい人達だったかい?』と聞き返しました。

旅人が『いや、あんまりいい人達じゃなかったねぇ。みな不親切だし。』と答えますと、おばあさんは『じゃあ、この村の人達もいい人じゃないよ。』と言いました。

『そうかい、分かったよ。』と言って、旅人はその村に入らずに、別の道を行きました。

 

しばらくして、また別の旅人がその村にさしかかり、やはりおばあさんに『この村の人達はいい人達かい?』と尋ねました。

おばあさんはまた、『あんたが今まで通ってきた村々の人はいい人達だったかい?』と、同じように聞き返しました。

今度の旅人は『ああ、みんないい人達だったよ。親切にしてくれてね。』と嬉しそうに答えました。

するとおばあさんは、『じゃあ、この村の人達もいい人達だよ。』と答え、その旅人はお礼を言って嬉しそうにその村に入っていきました。

*****

 

たしかこんな例え話でした。

 

私はこの話にとても考えさせられました。

ちょっと、出来すぎた感はありますが、あながちまるっきりのウソでもないように思えたのです。

 

自分に置き換えてみますと、私は基本的には人に対して悪い態度で接しようとは思いませんが、もし目の前に現れた人が、すごくムスッとしていたり嫌な態度だったりしたら、いつものようににこやかに対応する、とはなかなかいきません。

身構えてしまいますね。

反対に、その同じ人がとても機嫌よくニコニコとしていらしたら、私もつられたようにニコニコと対応してしまいます。

同じ私でも、人により、また同じ人を相手にしましてもその時々により、態度を変えてしまいます。

 

先程の例え話に戻しますならば、同じ村の人でも、訪れる旅人により、態度を変えるということが起こり得ます。

ある村で温かく受け入れてもらえた旅人は、次の村でも温かく受け入れてもらえるような素晴らしい人なのかも知れません。

もちろん、旅人側だけに100%の責任があるわけではございません。

もしかしたらとんでもなく悪人だらけの村もあるかも知れませんものね。

世の中のことですから。

ですが、そんな稀な場合を除きまして、どうせなら、どこの村へ行きましても、ニコニコと親切に受け入れてもらいたいものです。

そのためには、自分自身が温かく迎え入れられるような旅人でいないと。

 

私はこれを、「天下無敵」と呼んでいます。

 

本当の天下無敵とは、やって来る敵をバッタバッタとなぎ倒す強い人のことを言うのではなく、どこに行っても敵のいない、温かく迎えてくれる友達だけがいる人生だと理解しました。

どこにも敵がいない。

どこにいっても温かく受け入れてもらえる。

理想です。

 

先程も申し上げましたが、世の中のことですから100%はあり得ないかも知れません。

運よく自分自身がいつも素晴らしい旅人でいられたとしましても、どこでも常に温かく受け入れられることなんて、あり得ないかも知れません。

ですが、何もしなければ半々の確率だとしましても、もしかしたら私の在り方で50%のものが80%くらいにまでは、なるかも知れません。

また、80%や100%にならなくても、少なくとも自分の人生という旅を素晴らしいものにする、素晴らしい旅人でいたいと思いました。

 

そう願っておりますためか、または今のこの世の中、とくに私の住まいしておりますこの時代、この日本がよほど恵まれた国ということもございますが、お陰様で私の周りには素晴らしくいい人達しかいらっしゃいません。

ありがたいとは「有り難い」、つまり、そう有ることは難しいと書きますが、本当にありがたいことだと心から感謝しています。

宇賀神先生が「わしは人(会員さんやご相談者様)に恵まれている。」宇賀神先生の財産)と、しみじみとおっしゃるのも、同じお気持ちなのだと思います。

宇賀神先生は顔(人相)を変えると、周りの人達との関係性が変わり、そして文字通り世界が変わりました。

ここで大事なことは、周りの人達の先生に対する態度が変ったから世界が変わったということではありません。

先生がまずご自身の人相、つまり人としての相、イコール「在り方」を変えられたのです。

すると、世界が変わったのです。

 

この、「天下無敵」の真実に思いが至りました時は、我ながら「天才!」と、自分で自分のことを褒めてしまいました。

さらに嬉しいことに、当時よくそのご著書を読んでおりました、日本一の高額納税者のタイトルをお持ちの斎藤一人さんが、同じことをご自身のご本の中で書いておられるのを、後になって発見しました。

「本当の天下無敵っていうのはね、どこに行っても敵がいなくて、友達ばかりいる人のことを言うんだよ。」

と、書いておられました。

あの大富豪と同じ考えに至るなんて♥( ̄∇ ̄)

とっても嬉しかったのを覚えています。

 

すると、ワタクシの周りの「いい人」達から、素晴らしいツッコミを頂戴しました。

「じゃあ、あと、斎藤一人さんにあって綾野さんに足りないのはお金だけですね!」

とか。

「いや、まあ、敵もいないかも知れないけど、友達もいないって前に言ってませんでした?」

とか。

ええ、ええ。

私は本当にスバラシー人達に囲まれていますヨ( ̄∇ ̄;)♥

いつもありがとうね!

 

合掌

されど顔で運命は決まる その3

ひとつご説明申し上げますと、その白ヒゲのおじいさんが言われた「そんなにアゴを引かないで」というアドバイスには、こういう訳かな、と思われます理由がございます。

先生いわく、「アゴを引くのは武術武道をする人間なら当然の姿勢」なのだそうです。

そしてアゴをひきますと、自然と目は、人をにらみつけるような眼差しになります。

その眼差しはやはり、言うなれば戦闘態勢にある人間の目なのです。

見る側の人からも本能的にそう受け取られるのでしょう。

 

「目の前の人間は、私のことを敵として向かい合っている。」

 

周り中の人からそんな風に思われて、あまりいいことがあるとは思えません。

「お前は敵だ!」というオーラを自ら発しながら歩いてれば、「そりゃ、始終ケンカにもなるわなー」と、宇賀神先生も今では理解なされます。

ですが、当時の先生は、そんなご自身に気づかれずにケンカに明け暮れて生きておられたのですね。

 

なんとももったいない話です。

 

そんなときに、その白いヒゲのおじいさんに出会われて、またアドバイスをいただけたなんて、何という幸運なのでしょうか。

見ず知らずの行きずりの人が、そんなに大切なことを教えてくださったのです。

私でさえその頃の宇賀神先生に出会っていたならば、恋に落ちるどころかコワくて避けて通ったであろう、そんなオーラを発している先生に、よく話しかけてくださったと思います。

そのおじいさんに、お会いしてみたかったですね。

何をさなっていた方なのでしょうね。

 

(ただ、ここで少し付け加えさせていただきたいのは、逆にアゴを上げている姿勢(相)も、それはそれであまりよくありません。

スタミナのない、どこか抜けたような人相になってしまいます。

やはり、背筋を伸ばして軽くアゴを引く程度の、ほどほどの姿勢がいいかと思われます。)

 

そしてやはり、そのおじいさんが予言なさった通り、宇賀神先生が「いい顔」になられた後、運命も好転し始めました。

周りの人から怖がられず好かれるようになりました。

街でもケンカをしなくなりました。

職場でも、上司を殴ってはすぐに辞めるということがなくなりました。

 

そんなある日、突然腰を痛めて動けなくなり、幽体離脱して自分自身を治し気功師デビュー秘話1、それがきっかけでこの氣の世界に進まれたのです。

おじいさんがおっしゃったように、

「あんたの人生はガラッと変わるよ。」

ということが、実現したのです。

 

心も生活もすさんだような人生から、今となりましては人様から先生と呼ばれ親しまれるような人生へ。

「俺の人生はこんなはずじゃなかった」

という思いから、今は

「これはこれで、よかったのかも知れない」

という穏やかな思いへ。

そしてこういう、柔和な顔へ。

smile
仏舎利塔にてスマイル
coffee-smile
人のコーヒーをへつる。

 

あっ、2枚目の写真は余計でしたか?

とあるレストランで私の食後のコーヒーをへつろうと、嬉しそう~(^-^)にコーヒーカップをスススーっとご自分の方へ引いていく宇賀神先生です。

心ひそかな嬉しさがにじみ出ている、この笑顔!

可愛いすぎます♥

(また私のヘンタイな美的感覚を披露してしまいましたか。)

 

以前に宇賀神先生は氣の世界に関しましては「無師独学」でここまで来られた、とお伝えしました。

ですが、あのとき出会われた白いヒゲのおじいさんや、孤児院の園長先生宇賀神先生と佛さまの出会い小学校の荒川先生思い込みのチカラなど、人生の様々な場面でとても大事なことを教えてくださった方達に恵まれてこられました。

それこそ、人生の路線の方向まで変えてくださるような方達に。

ご縁の妙ですね。

感謝の一言しかございません。

 

そして、今、宇賀神先生は、あの時出会われた白いヒゲのおじいさんに似た格好をなさっています。

白いヒゲを生やし、作務衣や、羽織に野袴といった格好で毎日を過ごされています。

あまり人様に影響を受けない先生ですが、ご自身でも

「わしのこの格好は、あの時のおじいさんを真似ているんだと思う。」

と、おっしゃっています。

一体何を生業になさって生きておられるのか、とらえどころのない、でもその器の大きさがうかがえる不思議な存在感のおじいさんに、若かりし頃の宇賀神先生は憧れられたのでしょうか。

 

よく、20歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい、と聞きます。

生き方が顔に表れるのでしょうね。

私の中学校のときの「名物先生」も、そんなことをおっしゃっていました。

その学校の先生は、

「毎朝、鏡を見ていますか?

今日はどんな顔をしていますか?」

と、中学生の私に、顔に生き様が表れることを教えてくださいました。

 

もちろん、その日一日気をつけたからって人相がすぐに変わるわけではありませんが、人生は一日一日の積み重ねですもの。

いえ、さらに申し上げますなら、いい顔でいる習慣のない人は、気をつけても一日中いい顔でいることは難しいと思います。

無意識でいることの方が多いですから、なかなか自分の表情に自分で気づくことは難しいですね。

今日も、明日も、道を歩いておりましても、

「あれ、この人何かいいことがあったのかな?」

「なんだか幸せそうな人ね?」

と思われるくらいの和やかないい顔で歩きたいものです。

 

このエピソードを勉強会で習った私も、普段からいい顔でいようと心掛けてはおります。

宇賀神先生に、「わたしは『いい顔』してるかなぁ」と尋ねましたら、

「綾野はいい顔だよー♥」と褒めてくださいましたが、それって、

何とかもエクボ、とか。

さらに申し上げますなら、

何とかは盲目、なだけで。

全然真実を見ていなかったらどうしよう(T-T)、とか思ってしまいます。

(あれっ、ちょっとノロケてご馳走してしまいましたか♥)

 

あるいは、それでもここ数年は少しは柔和な顔になったかなぁ、と思うようになりましたが、それってもしかして年齢と重力に負けて目が垂れてきただけだったらどうしよう(T-T)とか。

 

いやいや、そんなカナシーことは考えず、あのおじいさんが教えてくださったように、「楽しいことを考えて」生きていきましょうね!

笑ってキャンディ~♥(古すぎますか?)

 

合掌

 

されど顔で運命は決まる その2

当時20代後半でいらした宇賀神先生が街を歩いておられますと、突然、白いヒゲのおじいさんが声をかけてこられました。

「お兄さん、ケンカ強いんだ。」

 

会ったこともない人にいきなりそんな事を言われてびっくりなさいましたが、もちろん腕におぼえのある宇賀神先生は、

「はぁ、まあ強いですよ。」

と、答えられました。

するとそのおじいさんは、

「自分で言うほどなんだから、よほどなんだろう。

でもね、そんな顔して歩いてると、いつかは誰かに刺されて死ぬよ。

世の中に、バカと気違いと間違いはあるからね。」

と、おっしゃったそうです。

 

そのときふと宇賀神先生の脳裏に浮かびましたのは、それよりずいぶん以前に亡くなられた「力道山」さんのことでした。

プロレスで有名な力道山さんでしたが、お酒が入り暴れていた素人さんをいさめようとして逆にお腹を刺され、結果としてそれがもとで腹膜炎を起こされて亡くなられたのですとか。

格闘技のプロも何の間違いか、時には素人に殺されるのです。

「世の中にバカと気違いと間違いはある。」

と、そのおじいさんはおっしゃいました。

お酒が入り、人を殺めてしまう。

格闘技のプロが素人に殺められる。

なんとも、バカや間違いの一言では片づけられない事態ですね。

 

そして、さらにおじいさんは続けられました。

「それに、あんたは運も良くないね。

始終ケンカして会社もやめるんだ。

運がないから金もない。

当然、女にもモテない。

パチンコも運がないから勝てないだろ。」

宇賀神先生にまったく面識のなかったおじいさんは、ものの見事に先生の現状を言い当てられました。

本当に、おじいさんのおっしゃる通りの生活だったのです。

そしてその不満、怒りを、街でケンカをして憂さ晴らしなさっていたような毎日でした。

 

宇賀神先生は自分のすさんだ現状を言い当てられ、腹が立つより驚かれました。

「えー?」

と、どうしてこの人には分かるんだろうと首をかしげておりましたら、その白いヒゲのおじいさんは、さらにこうもおっしゃいました。

 

「でもね、あんたはね、これが激しい。」

そうおっしゃりながら、手のひらを上に向けたり下に返したりを繰り返されます。

「あることをきちんとやったら、あんたの運命はガラッと変わるよ。」

と。

 

それは何かと申しますと・・・

 

「まず、その顔やめな。

そんな目で人をにらみつけて。

そんなにアゴを引いて人をにらみつけながら歩くんじゃないよ。

もう少しアゴを上げて、にっこり笑って楽しいことを考えながら歩きなよ。

いい顔をするようになったら、あんたの運命はガラッと変わるよ。

良くなるよ。」

 

おじいさんは、そう断言なさいました。

 

その当時、街で人とぶつかってはケンカばかりなさっていた宇賀神先生でしたが、なぜかこの初対面のおじいさんに「運が悪いだろう」とまでズバリ言い当てられましても、不思議と腹が立ちませんでした。

このおじいさんに、

「はぁ、どうも、ありがとうございます。」

と素直に答えて、別れられたそうです。

 

別に威圧的でもない、かと言って変な小細工をしかける小者のようでもない、

不思議な存在感のあるおじいさんだったそうです。

心が荒れていた宇賀神先生が素直にお礼を言ってしまったくらいの、形容しがたい何かを感じさせる人物だったようです。

 

さて、家に帰られた宇賀神先生、さっそく鏡を取りだしてご自身の顔をまじまじとご覧になられました。

するとびっくり、

「自分でもムッときて『このヤロー!』ってケンカをふっかけたいくらい、嫌な顔つきだった。」

そうです。

そして納得されました。

たしかに、こんな顔をして歩いてたら始終ケンカになるのかも知れない、と。

自分でも見ているだけで腹が立つような嫌な顔だった、と。

きっと、他人が見ても「なぜか腹が立つ顔」なんだろう、と。

 

本当に、当時は「外に出たらケンカになるもの」と思われてたくらい、休みの日は「パチンコとケンカと酒」ばかりだったそうです。

「なんでこんなにケンカになるのかな」

という思いも忘れてしまっていたくらい、当たり前のことになっていたんですって。

 

そして、なぜかそのおじいさんのおっしゃることを素直に聞こうと思われた宇賀神先生は、鏡を片手にニッコリ笑ってみました。

「ひえーっ!」

あまりの恐ろしさに再びびっくり。

ニッコリしても顔がこわばっていて、もっと怖いくらいなのです!

まるで、ターミネーター2(または「ジェネシス」)に登場するシュワルツェネッガーさんのようです。

笑顔を知らない殺人マシンのターミネーターは、ジョン・コナー(「ジェネシス」ではサラ・コナー)に教えられ、笑顔の練習をするのですが・・・どうもその表情は、笑顔からは程遠く。

 

「笑顔って、どんなだったかな・・・。」

さあ、その日から、宇賀神先生の訓練が始まりました。

ひとつ事を思い立たれると、毎日粛々と続けられる宇賀神先生。

来る日も来る日も鏡を片手に「笑顔」の練習をなさいました。

 

そしてしばらく時がたち、鏡の中の笑顔がコワくなくなった頃、空手道場の生徒さんや周りの人達から怖がられず、逆に慕われるようになってきたことに気づかれました。

 

(その3へつづく)

 

合掌

 

されど顔で運命は決まる その1

観相学(または人相学)という言葉をお聞きになったことはございますか?

そう、人の顔を見て、その人の性格や運勢を判断する学問ですね。

ですが、学問って・・・あれは、占いの一種ではないの?学問だなんて呼べるの?という疑問も浮かび上がります。

 

たしかに、人相や手相は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のような、ある意味不確かなもののように思われますが、また別の見方では、統計学とでも申しましょうか、「こんな顔の特徴をした人はこんな性格の人が多いですよ」という側面もあるようです。

そして、性格が決まればその人の行動が決まります。

 

よく言われておりますよね。

「行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人生が変わる。」

と。

 

例えばつまり、慎重な人はほぼ常に慎重に行動し、そうでない人はいつも勇み足に飛び出します。

慎重な人は、もしかしたら失敗は少ないかもしれないけれど、チャンスを逃すことも多いかも知れません。

でももしもそのチャンスにうまく乗れたら、ミスも少なく大飛躍することもあるのかも。

勇み足の人は、人に先駆けて色々なことを進めていけるけれど、あまり深く考えずポロポロと抜け落ちてしまった失敗部分が、後で大変なことになるかも知れません。

でももしもその勢いが勝れば、まだ誰も行ったことのない世界に行けるのかも知れません。

 

そして人相見の達人は、その成功するか失敗するかの確率もさらに「氣色」(けしょく)と呼ばれております、顔や身体に現れる氣の色を見て判断なさるようです。

そう考えますと、じつは人相学って、ちょっと奥深いもののように思えますね。

 

さて、今日の題名に「顔で運命は決まる」と少々強気なことを書きましたが、何を隠そう、宇賀神先生ご自身が「顔で運命が変わった」という人生でございました。

 

宇賀神先生は今でこそ少しは柔和なお顔をなさって(と私は思って♥)いますが、このお仕事を始められる前、まだ20代の頃は、今とはまるで違うお顔をなさっていました。

その頃の写真を私は以前に一度だけ見たことがございますが、正直に申し上げますと、

「多分この時に出会ってたら、好きになることはなかったかも?」

いえいえ、もっとホントのことを言いますと、

「道ですれ違ってたら、コワくて避けてたかも!」

というようなお顔をなさっていました。

すさんだ心と人生が、そのまま表れているようなお顔なのです。

 

写真が残っていればよかったのですが、残念ながらちょっと見当たらなくて・・・申し訳ありません。

宇賀神先生は「そんな写真あってもブログに載せないで!」とご自身でおっしゃってましたが。

まあ、いわゆるヤクザさんのような怖~いお顔なのでした。

まるで別人のようです。

 

それもそのはず、その当時は空手の師範代として毎日何時間も道場で生徒さん達に稽古をつけ、ときに当時お住まいだった仙台の警察機動隊の空手クラブに出稽古まで行っておられるほどの腕っぷしの強さでした。

それだけでなく、街なかでのケンカも日常茶飯事。

道を歩いていて、すれ違いざまにトンッと肩がぶつかりますと、

「おいコラ、気をつけろ!」

「なんだこの野郎!」

と、あっという間にケンカを始めます。

もちろん機動隊の方達に空手を教えておられるくらいですから、負けません。

ときには1週間のうちに27回も街なかでケンカしたんですって。

1日1回以上・・・。

何という荒れた人生だったのでしょうか。

 

その頃は、いくら空手の師範代をしていたからってそれだけで食べられるわけもなく、職を転々としながらのワーキングプア状態で、思うようにならない人生に腹を立てながら生きておられました。

「俺の人生はこんなはずじゃないのに!」

というような、誰のせいでもない、かと言って自分のせいにすることもできない怒りを、ケンカで晴らしているような毎日でございました。

 

荒れた心を持ち、空手道場で教えているとは言え人様と殴る蹴るの毎日。

しかも街を歩いては見知らぬ人とケンカをするなんて、現世の世界がまるで修羅界さながらのようですね。

 

そんなある日、宇賀神先生が道を歩いておりますと、

「お兄さん、」

と、見知らぬ人から声をかけられました。

 

宇賀神先生は20代後半、

空手を毎日5~6時間なさり、筋肉隆々で胸囲は1メートル20センチ、

薄っぺらなファッションに身をつつみ、

肩で風を切りながら歩いておられました。

 

声をかけたその人は、さあ、70歳ぐらいだったのでしょうか、

白いあごひげを生やし、

帽子(ハット)をかぶり、

羽織に野袴という、

まるで今の宇賀神先生のような身成りをなさっていたそうです。

 

声をかけてくださったそのおじいさんは言います。

「お兄さん、ケンカ強いんだ。

でもね、そんな顔して歩いてると、いつかきっと誰かに刺されて死ぬよ。」

 

(その2につづく。)

 

合掌

神意ためすなかれ

2月3日は節分でしたね。(もうずいぶん日がたってしまいました・・・。)

私達の敬愛する「深江のお稲荷さん」でも節分祭が行われ、もちろん宇賀神先生と私もお参りに行きました。

ほんの少しですが、夜の縁日も設けられ、大きな護摩も焚かれて、毎年楽しみにしております。

 

護摩木も奉納できるのですが、その木には名前と祈願文が書けるようになっています。

写真を撮っておけばよかったですね・・・。

すみません。

表側に名前、裏側に祈願を書きます。

宇賀神先生の場合は、もちろん表側には

「宇賀神 龍仙」

裏側の祈願文のところには

「神恩感謝」

と、毎年書かれます。

私はもう少し丁寧に

「神恩感謝申し上げます」

と書きますけれど。

やはり、神様にお願いごとはしない(お参りの極意1)、という姿勢でお参りいたします。

 

ところが、お参りを済ませましたときに、私はふと「おみくじ」があることを思い出しました。

じつは今年のお正月にお参りしましたときに、私は一度引いておりました。

そして、私はなぜかいつも「小吉」か「末吉」なのです。

今年のお正月もやはり、「小吉」でした。

ああそして、今回の節分もやはり、「小吉」でした。

 

小吉とか末吉って、まだ「吉」の部類といえば部類なのですが、何だかちょっと淋しいんですよね。

日の光を浴びる豪快な人生と申しますより、月影の中のささやかな運勢と申しますか。

いつも「控えめに」とか「時を待て」とか書かれていて、

「いつになったら『時』は来るのー?」

と言いたいくらい、ほぼ毎回小吉です。

「私はおみくじを引くと大吉が多いです。」

とおっしゃる方もいらっしゃいますが、本当に羨ましい限りです。

 

宇賀神先生は、

「何を言う。『小吉は大吉に通じ、大吉は大凶に通じる』って言うんだ。」

などと、「また今回も小吉かー。」と、結果を見て落ち込む私を慰めてくださいますが。

まあ、でも凶の部類でないだけでもありがたいでしょうか。

 

ただ、宇賀神先生は、おみくじを一切引かれません。

「そもそもそんなの信じてない。」

そうです。

それに、

「ここまでいつも神様によくしていただいてて、さらに『私の運勢はこれからどうなるのでしょうかー!?』としつこく尋ねるなんて、神様に失礼だよ。」

と、いつもおっしゃいます。

 

だって、ねぇ。

女の子(と呼べる年齢かどうかは別として)はもともと占い好きだったりしますよね?

理性では占いなんか(ゴメンナサイ)で運勢をジャッジされてたまるものですか、と思いながらも、内心実は「わたしの運勢ってどうなんだろう?教えてほしいなー♥」と心くすぐられていたりして。

 

それに宇賀神先生は、ご自分からは引こうとはなさらず、私が散々言ってようやく「じゃあ引いてもいいよ」と承諾なさった時は、必ずと申し上げていいほど大吉なのです。

それがなんだか悔しい。

 

ですが、本当に宇賀神先生のスタンスが、そもそもおみくじに全く興味がなく、かえって神様に神意を問うなんて失礼だ、とまで思われているようです。

その節分の日もやはり、

「神様に私の運勢はよいのでしょうかー?もっとよくなるんですかー??って尋ねるなんて失礼だよ」

と、言われてしまいました。

「もうすでにこれだけよくしていただいているのだから」

と。

 

「神様はね、人間に『かんながらの道』を示してくださっているのがお仕事なんだよ。

つまり、神様のように生きるという道なんだ。

神様はいつも氏子(うじこ)のことを大事に思っていてくださる。

つまりは子供とおんなじだからね。

それだけでもう充分よくしてもらっていると思わないか?

だから、既にこんだけよくしてもらってるんだから、これ以上『まだなにかいいことくれますか?』って聞くのはいかん。

それを『神意ためすなかれ』って言うんだ。」

 

そして、最後の極めつけが、

「それにね、『あわてる乞食はもらいが少ない』って、さっき神様もおっしゃったよ。」

ですって!

 

あんまり

「私の運勢はどうなんでしょうかー!?」

「なにかいいことありますよねー!」

「っていうか、なにかいいことくれますよねー!!」

「なにかいいことあるってメッセージくださいー!!!」

という気持ちの見え隠れするような態度でお参りしておみくじを引くこと自体、そもそも「親のスネをあわててかじろうとする子供」のように醜い、と。

 

はい、たしかに・・・。

「神様にお願いごとはしない」と散々このブログでも申し上げながらも、やはりおみくじを引こうとする時の私の心の底には、

「なにかいいことありますよねー!?」

という、まさに「慌てる乞食」のような思いがございましたねぇ。

しかも、最近は乞食さんの方がよほど慌ててらっしゃらない。

私の方が、トロいくせに気があせっていました。

 

まあ、楽しんでおみくじを引かれている方は、どうぞそのままなさっていてくださいね。

今回のこのお話は、ちょっと、と申しますより「もっと」、幸せをくれるって言ってほしいなー、というスケベ根性の見え隠れする私への、宇賀神先生からのアドバイスを忘れないように書きました。

これからは、「最後にたーっくさん♥もらえるように」慌てないことにいたします!

 

・・・えっ?

これも神様には全部お見通し?

そんなぁー(T-T)

 

合掌

Meijiのチョコレート

今日は氣とか神様佛様とか、そういう話題ではないのですが、宇賀神先生の思い出話をひとつ。

 

宇賀神先生のお父様は、お若い頃はエリートサラリーマンでした。

戦前の、大阪が「大大阪(だいおおさか)時代」と呼ばれた頃に、栃木県から出てこられ、大阪の缶詰を売る会社にお勤めだったそうです。

数か月ものあいだ中国や当時の朝鮮、台湾に出張に行かれては、大金のお給料を持って帰られたのですって。

 

まあ、ですが、お父様の人生もまた、宇賀神先生と同じくらい喜劇的?ジェットコースター的!波乱万丈の人生だったようです。

いつかまた、その面白い人生の物語を順を追ってお伝えしたいものですが、今日は、そんなお父様が戦後始められた事業が失敗した後の、宇賀神先生の子供の頃のお話を。

 

お父様はよくパチンコ屋さんに行っておられたそうです。

その直前にはパチンコ屋さん(当時のスマートボールと言われていた種類)を経営なさっていましたが、その事業が失敗し、それまで裕福だった宇賀神家は一気に貧乏になりました。

その失敗した事業と同じ種類のパチンコ屋さんによく遊びに行かれるなんて、私にはちょっと理解しがたいですが・・・。

とにかく、家計が傾いても、遊興に使うお金は減らされなかったのでしょうか、お父様は毎日のようにパチンコをなさっていたそうです。

 

宇賀神少年は当時小学校3年生でした。

毎日学校から帰りますと、お父様の遊んでいるパチンコ屋さんに行きます。

そして、

「お父ちゃん、パチンコ玉12個ちょうだい。」

と、頼むのですって。

 

「こうやって玉を分けるとな、運が逃げるんだよ。」

と、おっしゃりながらも、お父様はいつも12個くださったそうです。

 

宇賀神少年はそれを持って、景品の交換カウンターに行き、大好きな「明治のチョコレート」に換えてもらったそうです。

それまでの裕福な「おぼっちゃん」暮らしから一転、貧乏で学校の給食費も払ってもらえないような暮らしになってしまった宇賀神少年にとりましては、つらい日々の中のささやかな幸せだったようです。

 

もちろんその時代は日本国中みんなが貧乏な時代ではございましたし、その中でも更に貧乏だった私の母などからしましたら、「チョコレートを毎日食べられるだけでも贅沢」という感覚だそうです。

ですが、まあ、それまでがお女中さんがついててくださるような裕福な暮らしをしていた宇賀神少年でしたから、その落差にはまた別のつらさもあったかも知れません。

 

そうして小さい頃大好きだった明治のチョコレートは、大人になられた今でも大好きで、「世界一美味しいチョコレート」とおっしゃっています。

明治の板チョコをこよなく愛する宇賀神先生。

ですが、もちろん他のメーカーさんのチョコレートもやはりお好きで、つい今朝も、お土産にいただいたチョコレートを朝食後のデザートに召し上がりました。

一応も二応も宇賀神先生は糖尿病をお持ちですから、なるべく間食はせず、甘いものをいただくときは朝か昼のお食事と合わせていただきます。

その方が血糖値が乱高下しなくていいんですってね。

 

食後に緑茶とチョコレート。

最近の定番になってきております。

 

そして、いまだにチョコレートを、子供のような嬉しそうな顔をして召し上がるのです。

そんな時の宇賀神先生は、私の目にはこんな風に映ります。

childhood
宇賀神先生幼少期

 

これはまだ幼稚園の頃の宇賀神先生です。

先生のご家庭が裕福でいらした頃、栃木県は二荒山神社前の「上野さん」と先生が呼ばれるデパートの、お誂えの服を着て撮影なさったものです。

こんなちっちゃな子供にお誂えだなんて、本当に贅沢な暮らしをなさっていたのですね。

 

あんまり食べると鼻血がでるよ、って、言ってあげたくなりますね。

と、申しますのも・・・

 

宇賀神先生が召し上がったあとのテーブルの下には、それこそ子供のように、たいてい食べ物のかけらが落ちています。

当然チョコレートも。

冬は床暖房をつけ、温かくなっております床の上に、チョコレートも。

どうなると思われますか・・・?

( ̄∇ ̄;)

 

「チョコレート踏まんとってー!」

「それ、伸ばさんとってー!!」

「部屋中に広げて歩かんとってー!!!」

と、ときに叫び、ときに心で泣きながら(T-T)床に溶けたチョコレートを今日も拭き取るワタクシでした。

ぴーちゃん(うちの鳥)が、りんごジュースをまき散らしながら飲むのといい勝負です、ホント。

 

と、申しますことで、今日はめっちゃ嬉しそうにチョコレートを召し上がる宇賀神先生を見て思い出したエピソードでした♥(^-^)

 

合掌

旅に飲んで・・・

宇賀神先生はとっても旅好きです。

先週末も再び乗鞍高原温泉に行ってまいりました。

さすがに乗鞍は雪でしたねー。

Norikura
乗鞍岳

 

私の父が今年75歳になるのを機に、運転免許を自主的に返納することにしました。

父は雪道の運転も平気ですが、私はできません。

と申しますことで、父の運転で行ける最後の雪見旅行に行って参りました。

それが今回の、乗鞍高原温泉です。

 

宇賀神先生は無邪気なところがあり、と申せばよいのでしょうか、それとも率直に「したい放題する小さい子供のように、余計なことばかりする」と申せばよいのでしょうか。

今回の旅行も、行く道の途中に雪の鎌倉がありました。

それを見つけた先生は、

「あのね!綾野さん、あのねっ!! 写真、撮って欲しいの!!!」

と、さも嬉しそうにおっしゃいました。

in-front-of-kamakura
鎌倉の前にて

 

その鎌倉の中には雪で作られた椅子がございました。

はいはい、写真撮りますヨ。

inside-kamakura
鎌倉の中にて

 

鎌倉の中の奥の壁には神棚が設えられていましたが、なんだかそれが柱のように見え、雪の白さとあいまって、アメリカの有名なリンカーン大統領の大きな大きな白い像を思い出しました。

リメイク版の映画「猿の惑星」にも出てきた、あの巨大な像ですね。

 

何枚も写真を撮りながら

「うわー!結構冷たい!」

「えー、鎌倉って、ぬくいんとちゃうの?」

「雪の椅子も冷たい―!」

などと、きゃあきゃあ騒いでおりますと、周りの人達も鎌倉に気づかれ、いつの間にか順番待ちの人だかりができました。

なぁんだ、やっぱり大人もこういう楽しそうなの大好きなんですよね♥

 

じつは宇賀神先生は幼稚園の頃、園長先生にとても名誉ある?烙印を押されていました。

「やっちゃんはね(宇賀神先生のことです)、『しなさい』と言うことは絶対にしないのに、『しちゃいけない』と言うことは必ずするんです。」

しかも、

「やっちゃんにクラスのみんなが釣られて大騒ぎになりますので、うちには来させないでください!」

と、さもメイワクそうに、ほぼ毎日のように園長先生に手を引かれて家に連れて帰られたそうです。

 

ところがもちろん宇賀神先生のお母様は、

「月謝(?)も払ってるんだから、絶対に行ってこい!」

と、毎朝送り出します。

そうやって、

「行けー!」

「帰れー!」

の往復の毎日だったのですとか。

 

それが小学校では「異常児」の烙印となり、大人になりましては・・・今の宇賀神先生ですね(^-^;)

はい、いまだに大阪弁で申しますところの「いらんことしぃ」の宇賀神先生は、余計なことをして雪の鎌倉に座り記念撮影を楽しまれたため、ズボンのお尻のことろが悲しくなるくらい濡れてしまいました。

車のシートを濡らさないように布を敷いて座ってもらいましたよ・・・。

やはり、「三つ子の魂百まで」でしょうか。

 

宇賀神先生は、色々なことを楽しまれるのがとても上手です。

旅も、目的地に着くだけでなく、その途中の小さなことも、いちいち?楽しもうとなさいます。

私などは自分が何をしましても遅いことを自覚しておりますので、先を急ぐことに一所懸命になり、旅の途中(プロセス)を楽しむことを忘れてしまいがちです。

(なにしろ、一所懸命急いでも人様より遅いのですから!)

 

これはもしかしたら、人生という旅でも同じなのかな、と思うことがございます。

宇賀神先生は、人生という名の旅の、色々な場面で色々なことを楽しんでおられます。

私なら見逃してしまいがちな「小さな楽しみ」を見つけられる達人、と申し上げた方が、より近い表現でしょうか。

あるいは、普通ならちょっと大変だなぁと思うようなことでさえそこに楽しみを見つけ出し、「楽しんでしまう」達人、でしょうか。

ちょっと、マジメなおカタイ常識人?の私から見ましたら、羨ましいなーと思わずにはいられません。

 

そんな宇賀神先生が今回の旅で読まれた句がございます。

あの有名な松尾芭蕉の

「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」

という俳句がございますね。

とてもいいなー、と私も好きな句なのですが。

それを畏れ多くもリメイクした!宇賀神先生の句がこちら。

 

 

『旅に飲んで 夢は湯舟に 浮かんでる』

 

どういう意味かと申しますと、

「旅先のいい~湯の露天風呂で、キリッと冷えた冷酒を飲みほした瞬間、空に浮かぶ美しい月をあおぎ、『うーん、いい月夜だ!』と言いながら、そのまま心臓発作でぶくぶくと湯に沈み、死ぬと同時に温泉で湯灌(ゆかん)まで済ませてしまう」

と、申しますような、なんとも不届きな。

お宿にメイワクでしょう、それは( ̄∇ ̄;)

 

ま、とにかく、宇賀神先生は(周りの迷惑をさておいてでも!?)我が道を行く達人でもいらっしゃるようです。

人生も旅と同じなのでしょう。

どうせなら、宇賀神先生のおっしゃるような「アハハ、オホホと笑いながら」の楽しい旅をしたいと、心から願っております。

(できればあんまり周りにメイワクをかけずに。)

 

合掌