天下無敵

前回までの「されど顔で運命は決まる1」にも通じることではありますが、今日は

「本当の『天下無敵』とは。(多分)」

というお話をお伝えさせていただきたいと思います。

 

私は宇賀神先生のおっしゃるところのノーテンキ本が大好きで、一時期はよく読んでいました。(今も少し(^-^;))

いわゆる、「願えば叶う!」系の、自己啓発とも呼べないような?、夢見る本♥です。

そのなかに、とても印象深い例え話が書いてありました。

 

それはこういうものです。

 

*****

とある旅人がとある村にさしかかりますと、村の入り口におばあさんが一人座っていました。

その旅人がおばあさんに『この村の人達はいい人達かい?』と尋ねました。

するとおばあさんは『今まであんたが通ってきた村々の人はいい人達だったかい?』と聞き返しました。

旅人が『いや、あんまりいい人達じゃなかったねぇ。みな不親切だし。』と答えますと、おばあさんは『じゃあ、この村の人達もいい人じゃないよ。』と言いました。

『そうかい、分かったよ。』と言って、旅人はその村に入らずに、別の道を行きました。

 

しばらくして、また別の旅人がその村にさしかかり、やはりおばあさんに『この村の人達はいい人達かい?』と尋ねました。

おばあさんはまた、『あんたが今まで通ってきた村々の人はいい人達だったかい?』と、同じように聞き返しました。

今度の旅人は『ああ、みんないい人達だったよ。親切にしてくれてね。』と嬉しそうに答えました。

するとおばあさんは、『じゃあ、この村の人達もいい人達だよ。』と答え、その旅人はお礼を言って嬉しそうにその村に入っていきました。

*****

 

たしかこんな例え話でした。

 

私はこの話にとても考えさせられました。

ちょっと、出来すぎた感はありますが、あながちまるっきりのウソでもないように思えたのです。

 

自分に置き換えてみますと、私は基本的には人に対して悪い態度で接しようとは思いませんが、もし目の前に現れた人が、すごくムスッとしていたり嫌な態度だったりしたら、いつものようににこやかに対応する、とはなかなかいきません。

身構えてしまいますね。

反対に、その同じ人がとても機嫌よくニコニコとしていらしたら、私もつられたようにニコニコと対応してしまいます。

同じ私でも、人により、また同じ人を相手にしましてもその時々により、態度を変えてしまいます。

 

先程の例え話に戻しますならば、同じ村の人でも、訪れる旅人により、態度を変えるということが起こり得ます。

ある村で温かく受け入れてもらえた旅人は、次の村でも温かく受け入れてもらえるような素晴らしい人なのかも知れません。

もちろん、旅人側だけに100%の責任があるわけではございません。

もしかしたらとんでもなく悪人だらけの村もあるかも知れませんものね。

世の中のことですから。

ですが、そんな稀な場合を除きまして、どうせなら、どこの村へ行きましても、ニコニコと親切に受け入れてもらいたいものです。

そのためには、自分自身が温かく迎え入れられるような旅人でいないと。

 

私はこれを、「天下無敵」と呼んでいます。

 

本当の天下無敵とは、やって来る敵をバッタバッタとなぎ倒す強い人のことを言うのではなく、どこに行っても敵のいない、温かく迎えてくれる友達だけがいる人生だと理解しました。

どこにも敵がいない。

どこにいっても温かく受け入れてもらえる。

理想です。

 

先程も申し上げましたが、世の中のことですから100%はあり得ないかも知れません。

運よく自分自身がいつも素晴らしい旅人でいられたとしましても、どこでも常に温かく受け入れられることなんて、あり得ないかも知れません。

ですが、何もしなければ半々の確率だとしましても、もしかしたら私の在り方で50%のものが80%くらいにまでは、なるかも知れません。

また、80%や100%にならなくても、少なくとも自分の人生という旅を素晴らしいものにする、素晴らしい旅人でいたいと思いました。

 

そう願っておりますためか、または今のこの世の中、とくに私の住まいしておりますこの時代、この日本がよほど恵まれた国ということもございますが、お陰様で私の周りには素晴らしくいい人達しかいらっしゃいません。

ありがたいとは「有り難い」、つまり、そう有ることは難しいと書きますが、本当にありがたいことだと心から感謝しています。

宇賀神先生が「わしは人(会員さんやご相談者様)に恵まれている。」宇賀神先生の財産)と、しみじみとおっしゃるのも、同じお気持ちなのだと思います。

宇賀神先生は顔(人相)を変えると、周りの人達との関係性が変わり、そして文字通り世界が変わりました。

ここで大事なことは、周りの人達の先生に対する態度が変ったから世界が変わったということではありません。

先生がまずご自身の人相、つまり人としての相、イコール「在り方」を変えられたのです。

すると、世界が変わったのです。

 

この、「天下無敵」の真実に思いが至りました時は、我ながら「天才!」と、自分で自分のことを褒めてしまいました。

さらに嬉しいことに、当時よくそのご著書を読んでおりました、日本一の高額納税者のタイトルをお持ちの斎藤一人さんが、同じことをご自身のご本の中で書いておられるのを、後になって発見しました。

「本当の天下無敵っていうのはね、どこに行っても敵がいなくて、友達ばかりいる人のことを言うんだよ。」

と、書いておられました。

あの大富豪と同じ考えに至るなんて♥( ̄∇ ̄)

とっても嬉しかったのを覚えています。

 

すると、ワタクシの周りの「いい人」達から、素晴らしいツッコミを頂戴しました。

「じゃあ、あと、斎藤一人さんにあって綾野さんに足りないのはお金だけですね!」

とか。

「いや、まあ、敵もいないかも知れないけど、友達もいないって前に言ってませんでした?」

とか。

ええ、ええ。

私は本当にスバラシー人達に囲まれていますヨ( ̄∇ ̄;)♥

いつもありがとうね!

 

合掌

されど顔で運命は決まる その3

ひとつご説明申し上げますと、その白ヒゲのおじいさんが言われた「そんなにアゴを引かないで」というアドバイスには、こういう訳かな、と思われます理由がございます。

先生いわく、「アゴを引くのは武術武道をする人間なら当然の姿勢」なのだそうです。

そしてアゴをひきますと、自然と目は、人をにらみつけるような眼差しになります。

その眼差しはやはり、言うなれば戦闘態勢にある人間の目なのです。

見る側の人からも本能的にそう受け取られるのでしょう。

 

「目の前の人間は、私のことを敵として向かい合っている。」

 

周り中の人からそんな風に思われて、あまりいいことがあるとは思えません。

「お前は敵だ!」というオーラを自ら発しながら歩いてれば、「そりゃ、始終ケンカにもなるわなー」と、宇賀神先生も今では理解なされます。

ですが、当時の先生は、そんなご自身に気づかれずにケンカに明け暮れて生きておられたのですね。

 

なんとももったいない話です。

 

そんなときに、その白いヒゲのおじいさんに出会われて、またアドバイスをいただけたなんて、何という幸運なのでしょうか。

見ず知らずの行きずりの人が、そんなに大切なことを教えてくださったのです。

私でさえその頃の宇賀神先生に出会っていたならば、恋に落ちるどころかコワくて避けて通ったであろう、そんなオーラを発している先生に、よく話しかけてくださったと思います。

そのおじいさんに、お会いしてみたかったですね。

何をさなっていた方なのでしょうね。

 

(ただ、ここで少し付け加えさせていただきたいのは、逆にアゴを上げている姿勢(相)も、それはそれであまりよくありません。

スタミナのない、どこか抜けたような人相になってしまいます。

やはり、背筋を伸ばして軽くアゴを引く程度の、ほどほどの姿勢がいいかと思われます。)

 

そしてやはり、そのおじいさんが予言なさった通り、宇賀神先生が「いい顔」になられた後、運命も好転し始めました。

周りの人から怖がられず好かれるようになりました。

街でもケンカをしなくなりました。

職場でも、上司を殴ってはすぐに辞めるということがなくなりました。

 

そんなある日、突然腰を痛めて動けなくなり、幽体離脱して自分自身を治し気功師デビュー秘話1、それがきっかけでこの氣の世界に進まれたのです。

おじいさんがおっしゃったように、

「あんたの人生はガラッと変わるよ。」

ということが、実現したのです。

 

心も生活もすさんだような人生から、今となりましては人様から先生と呼ばれ親しまれるような人生へ。

「俺の人生はこんなはずじゃなかった」

という思いから、今は

「これはこれで、よかったのかも知れない」

という穏やかな思いへ。

そしてこういう、柔和な顔へ。

smile
仏舎利塔にてスマイル
coffee-smile
人のコーヒーをへつる。

 

あっ、2枚目の写真は余計でしたか?

とあるレストランで私の食後のコーヒーをへつろうと、嬉しそう~(^-^)にコーヒーカップをスススーっとご自分の方へ引いていく宇賀神先生です。

心ひそかな嬉しさがにじみ出ている、この笑顔!

可愛いすぎます♥

(また私のヘンタイな美的感覚を披露してしまいましたか。)

 

以前に宇賀神先生は氣の世界に関しましては「無師独学」でここまで来られた、とお伝えしました。

ですが、あのとき出会われた白いヒゲのおじいさんや、孤児院の園長先生宇賀神先生と佛さまの出会い小学校の荒川先生思い込みのチカラなど、人生の様々な場面でとても大事なことを教えてくださった方達に恵まれてこられました。

それこそ、人生の路線の方向まで変えてくださるような方達に。

ご縁の妙ですね。

感謝の一言しかございません。

 

そして、今、宇賀神先生は、あの時出会われた白いヒゲのおじいさんに似た格好をなさっています。

白いヒゲを生やし、作務衣や、羽織に野袴といった格好で毎日を過ごされています。

あまり人様に影響を受けない先生ですが、ご自身でも

「わしのこの格好は、あの時のおじいさんを真似ているんだと思う。」

と、おっしゃっています。

一体何を生業になさって生きておられるのか、とらえどころのない、でもその器の大きさがうかがえる不思議な存在感のおじいさんに、若かりし頃の宇賀神先生は憧れられたのでしょうか。

 

よく、20歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい、と聞きます。

生き方が顔に表れるのでしょうね。

私の中学校のときの「名物先生」も、そんなことをおっしゃっていました。

その学校の先生は、

「毎朝、鏡を見ていますか?

今日はどんな顔をしていますか?」

と、中学生の私に、顔に生き様が表れることを教えてくださいました。

 

もちろん、その日一日気をつけたからって人相がすぐに変わるわけではありませんが、人生は一日一日の積み重ねですもの。

いえ、さらに申し上げますなら、いい顔でいる習慣のない人は、気をつけても一日中いい顔でいることは難しいと思います。

無意識でいることの方が多いですから、なかなか自分の表情に自分で気づくことは難しいですね。

今日も、明日も、道を歩いておりましても、

「あれ、この人何かいいことがあったのかな?」

「なんだか幸せそうな人ね?」

と思われるくらいの和やかないい顔で歩きたいものです。

 

このエピソードを勉強会で習った私も、普段からいい顔でいようと心掛けてはおります。

宇賀神先生に、「わたしは『いい顔』してるかなぁ」と尋ねましたら、

「綾野はいい顔だよー♥」と褒めてくださいましたが、それって、

何とかもエクボ、とか。

さらに申し上げますなら、

何とかは盲目、なだけで。

全然真実を見ていなかったらどうしよう(T-T)、とか思ってしまいます。

(あれっ、ちょっとノロケてご馳走してしまいましたか♥)

 

あるいは、それでもここ数年は少しは柔和な顔になったかなぁ、と思うようになりましたが、それってもしかして年齢と重力に負けて目が垂れてきただけだったらどうしよう(T-T)とか。

 

いやいや、そんなカナシーことは考えず、あのおじいさんが教えてくださったように、「楽しいことを考えて」生きていきましょうね!

笑ってキャンディ~♥(古すぎますか?)

 

合掌

 

されど顔で運命は決まる その2

当時20代後半でいらした宇賀神先生が街を歩いておられますと、突然、白いヒゲのおじいさんが声をかけてこられました。

「お兄さん、ケンカ強いんだ。」

 

会ったこともない人にいきなりそんな事を言われてびっくりなさいましたが、もちろん腕におぼえのある宇賀神先生は、

「はぁ、まあ強いですよ。」

と、答えられました。

するとそのおじいさんは、

「自分で言うほどなんだから、よほどなんだろう。

でもね、そんな顔して歩いてると、いつかは誰かに刺されて死ぬよ。

世の中に、バカと気違いと間違いはあるからね。」

と、おっしゃったそうです。

 

そのときふと宇賀神先生の脳裏に浮かびましたのは、それよりずいぶん以前に亡くなられた「力道山」さんのことでした。

プロレスで有名な力道山さんでしたが、お酒が入り暴れていた素人さんをいさめようとして逆にお腹を刺され、結果としてそれがもとで腹膜炎を起こされて亡くなられたのですとか。

格闘技のプロも何の間違いか、時には素人に殺されるのです。

「世の中にバカと気違いと間違いはある。」

と、そのおじいさんはおっしゃいました。

お酒が入り、人を殺めてしまう。

格闘技のプロが素人に殺められる。

なんとも、バカや間違いの一言では片づけられない事態ですね。

 

そして、さらにおじいさんは続けられました。

「それに、あんたは運も良くないね。

始終ケンカして会社もやめるんだ。

運がないから金もない。

当然、女にもモテない。

パチンコも運がないから勝てないだろ。」

宇賀神先生にまったく面識のなかったおじいさんは、ものの見事に先生の現状を言い当てられました。

本当に、おじいさんのおっしゃる通りの生活だったのです。

そしてその不満、怒りを、街でケンカをして憂さ晴らしなさっていたような毎日でした。

 

宇賀神先生は自分のすさんだ現状を言い当てられ、腹が立つより驚かれました。

「えー?」

と、どうしてこの人には分かるんだろうと首をかしげておりましたら、その白いヒゲのおじいさんは、さらにこうもおっしゃいました。

 

「でもね、あんたはね、これが激しい。」

そうおっしゃりながら、手のひらを上に向けたり下に返したりを繰り返されます。

「あることをきちんとやったら、あんたの運命はガラッと変わるよ。」

と。

 

それは何かと申しますと・・・

 

「まず、その顔やめな。

そんな目で人をにらみつけて。

そんなにアゴを引いて人をにらみつけながら歩くんじゃないよ。

もう少しアゴを上げて、にっこり笑って楽しいことを考えながら歩きなよ。

いい顔をするようになったら、あんたの運命はガラッと変わるよ。

良くなるよ。」

 

おじいさんは、そう断言なさいました。

 

その当時、街で人とぶつかってはケンカばかりなさっていた宇賀神先生でしたが、なぜかこの初対面のおじいさんに「運が悪いだろう」とまでズバリ言い当てられましても、不思議と腹が立ちませんでした。

このおじいさんに、

「はぁ、どうも、ありがとうございます。」

と素直に答えて、別れられたそうです。

 

別に威圧的でもない、かと言って変な小細工をしかける小者のようでもない、

不思議な存在感のあるおじいさんだったそうです。

心が荒れていた宇賀神先生が素直にお礼を言ってしまったくらいの、形容しがたい何かを感じさせる人物だったようです。

 

さて、家に帰られた宇賀神先生、さっそく鏡を取りだしてご自身の顔をまじまじとご覧になられました。

するとびっくり、

「自分でもムッときて『このヤロー!』ってケンカをふっかけたいくらい、嫌な顔つきだった。」

そうです。

そして納得されました。

たしかに、こんな顔をして歩いてたら始終ケンカになるのかも知れない、と。

自分でも見ているだけで腹が立つような嫌な顔だった、と。

きっと、他人が見ても「なぜか腹が立つ顔」なんだろう、と。

 

本当に、当時は「外に出たらケンカになるもの」と思われてたくらい、休みの日は「パチンコとケンカと酒」ばかりだったそうです。

「なんでこんなにケンカになるのかな」

という思いも忘れてしまっていたくらい、当たり前のことになっていたんですって。

 

そして、なぜかそのおじいさんのおっしゃることを素直に聞こうと思われた宇賀神先生は、鏡を片手にニッコリ笑ってみました。

「ひえーっ!」

あまりの恐ろしさに再びびっくり。

ニッコリしても顔がこわばっていて、もっと怖いくらいなのです!

まるで、ターミネーター2(または「ジェネシス」)に登場するシュワルツェネッガーさんのようです。

笑顔を知らない殺人マシンのターミネーターは、ジョン・コナー(「ジェネシス」ではサラ・コナー)に教えられ、笑顔の練習をするのですが・・・どうもその表情は、笑顔からは程遠く。

 

「笑顔って、どんなだったかな・・・。」

さあ、その日から、宇賀神先生の訓練が始まりました。

ひとつ事を思い立たれると、毎日粛々と続けられる宇賀神先生。

来る日も来る日も鏡を片手に「笑顔」の練習をなさいました。

 

そしてしばらく時がたち、鏡の中の笑顔がコワくなくなった頃、空手道場の生徒さんや周りの人達から怖がられず、逆に慕われるようになってきたことに気づかれました。

 

(その3へつづく)

 

合掌

 

されど顔で運命は決まる その1

観相学(または人相学)という言葉をお聞きになったことはございますか?

そう、人の顔を見て、その人の性格や運勢を判断する学問ですね。

ですが、学問って・・・あれは、占いの一種ではないの?学問だなんて呼べるの?という疑問も浮かび上がります。

 

たしかに、人相や手相は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のような、ある意味不確かなもののように思われますが、また別の見方では、統計学とでも申しましょうか、「こんな顔の特徴をした人はこんな性格の人が多いですよ」という側面もあるようです。

そして、性格が決まればその人の行動が決まります。

 

よく言われておりますよね。

「行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人生が変わる。」

と。

 

例えばつまり、慎重な人はほぼ常に慎重に行動し、そうでない人はいつも勇み足に飛び出します。

慎重な人は、もしかしたら失敗は少ないかもしれないけれど、チャンスを逃すことも多いかも知れません。

でももしもそのチャンスにうまく乗れたら、ミスも少なく大飛躍することもあるのかも。

勇み足の人は、人に先駆けて色々なことを進めていけるけれど、あまり深く考えずポロポロと抜け落ちてしまった失敗部分が、後で大変なことになるかも知れません。

でももしもその勢いが勝れば、まだ誰も行ったことのない世界に行けるのかも知れません。

 

そして人相見の達人は、その成功するか失敗するかの確率もさらに「氣色」(けしょく)と呼ばれております、顔や身体に現れる氣の色を見て判断なさるようです。

そう考えますと、じつは人相学って、ちょっと奥深いもののように思えますね。

 

さて、今日の題名に「顔で運命は決まる」と少々強気なことを書きましたが、何を隠そう、宇賀神先生ご自身が「顔で運命が変わった」という人生でございました。

 

宇賀神先生は今でこそ少しは柔和なお顔をなさって(と私は思って♥)いますが、このお仕事を始められる前、まだ20代の頃は、今とはまるで違うお顔をなさっていました。

その頃の写真を私は以前に一度だけ見たことがございますが、正直に申し上げますと、

「多分この時に出会ってたら、好きになることはなかったかも?」

いえいえ、もっとホントのことを言いますと、

「道ですれ違ってたら、コワくて避けてたかも!」

というようなお顔をなさっていました。

すさんだ心と人生が、そのまま表れているようなお顔なのです。

 

写真が残っていればよかったのですが、残念ながらちょっと見当たらなくて・・・申し訳ありません。

宇賀神先生は「そんな写真あってもブログに載せないで!」とご自身でおっしゃってましたが。

まあ、いわゆるヤクザさんのような怖~いお顔なのでした。

まるで別人のようです。

 

それもそのはず、その当時は空手の師範代として毎日何時間も道場で生徒さん達に稽古をつけ、ときに当時お住まいだった仙台の警察機動隊の空手クラブに出稽古まで行っておられるほどの腕っぷしの強さでした。

それだけでなく、街なかでのケンカも日常茶飯事。

道を歩いていて、すれ違いざまにトンッと肩がぶつかりますと、

「おいコラ、気をつけろ!」

「なんだこの野郎!」

と、あっという間にケンカを始めます。

もちろん機動隊の方達に空手を教えておられるくらいですから、負けません。

ときには1週間のうちに27回も街なかでケンカしたんですって。

1日1回以上・・・。

何という荒れた人生だったのでしょうか。

 

その頃は、いくら空手の師範代をしていたからってそれだけで食べられるわけもなく、職を転々としながらのワーキングプア状態で、思うようにならない人生に腹を立てながら生きておられました。

「俺の人生はこんなはずじゃないのに!」

というような、誰のせいでもない、かと言って自分のせいにすることもできない怒りを、ケンカで晴らしているような毎日でございました。

 

荒れた心を持ち、空手道場で教えているとは言え人様と殴る蹴るの毎日。

しかも街を歩いては見知らぬ人とケンカをするなんて、現世の世界がまるで修羅界さながらのようですね。

 

そんなある日、宇賀神先生が道を歩いておりますと、

「お兄さん、」

と、見知らぬ人から声をかけられました。

 

宇賀神先生は20代後半、

空手を毎日5~6時間なさり、筋肉隆々で胸囲は1メートル20センチ、

薄っぺらなファッションに身をつつみ、

肩で風を切りながら歩いておられました。

 

声をかけたその人は、さあ、70歳ぐらいだったのでしょうか、

白いあごひげを生やし、

帽子(ハット)をかぶり、

羽織に野袴という、

まるで今の宇賀神先生のような身成りをなさっていたそうです。

 

声をかけてくださったそのおじいさんは言います。

「お兄さん、ケンカ強いんだ。

でもね、そんな顔して歩いてると、いつかきっと誰かに刺されて死ぬよ。」

 

(その2につづく。)

 

合掌

神意ためすなかれ

2月3日は節分でしたね。(もうずいぶん日がたってしまいました・・・。)

私達の敬愛する「深江のお稲荷さん」でも節分祭が行われ、もちろん宇賀神先生と私もお参りに行きました。

ほんの少しですが、夜の縁日も設けられ、大きな護摩も焚かれて、毎年楽しみにしております。

 

護摩木も奉納できるのですが、その木には名前と祈願文が書けるようになっています。

写真を撮っておけばよかったですね・・・。

すみません。

表側に名前、裏側に祈願を書きます。

宇賀神先生の場合は、もちろん表側には

「宇賀神 龍仙」

裏側の祈願文のところには

「神恩感謝」

と、毎年書かれます。

私はもう少し丁寧に

「神恩感謝申し上げます」

と書きますけれど。

やはり、神様にお願いごとはしない(お参りの極意1)、という姿勢でお参りいたします。

 

ところが、お参りを済ませましたときに、私はふと「おみくじ」があることを思い出しました。

じつは今年のお正月にお参りしましたときに、私は一度引いておりました。

そして、私はなぜかいつも「小吉」か「末吉」なのです。

今年のお正月もやはり、「小吉」でした。

ああそして、今回の節分もやはり、「小吉」でした。

 

小吉とか末吉って、まだ「吉」の部類といえば部類なのですが、何だかちょっと淋しいんですよね。

日の光を浴びる豪快な人生と申しますより、月影の中のささやかな運勢と申しますか。

いつも「控えめに」とか「時を待て」とか書かれていて、

「いつになったら『時』は来るのー?」

と言いたいくらい、ほぼ毎回小吉です。

「私はおみくじを引くと大吉が多いです。」

とおっしゃる方もいらっしゃいますが、本当に羨ましい限りです。

 

宇賀神先生は、

「何を言う。『小吉は大吉に通じ、大吉は大凶に通じる』って言うんだ。」

などと、「また今回も小吉かー。」と、結果を見て落ち込む私を慰めてくださいますが。

まあ、でも凶の部類でないだけでもありがたいでしょうか。

 

ただ、宇賀神先生は、おみくじを一切引かれません。

「そもそもそんなの信じてない。」

そうです。

それに、

「ここまでいつも神様によくしていただいてて、さらに『私の運勢はこれからどうなるのでしょうかー!?』としつこく尋ねるなんて、神様に失礼だよ。」

と、いつもおっしゃいます。

 

だって、ねぇ。

女の子(と呼べる年齢かどうかは別として)はもともと占い好きだったりしますよね?

理性では占いなんか(ゴメンナサイ)で運勢をジャッジされてたまるものですか、と思いながらも、内心実は「わたしの運勢ってどうなんだろう?教えてほしいなー♥」と心くすぐられていたりして。

 

それに宇賀神先生は、ご自分からは引こうとはなさらず、私が散々言ってようやく「じゃあ引いてもいいよ」と承諾なさった時は、必ずと申し上げていいほど大吉なのです。

それがなんだか悔しい。

 

ですが、本当に宇賀神先生のスタンスが、そもそもおみくじに全く興味がなく、かえって神様に神意を問うなんて失礼だ、とまで思われているようです。

その節分の日もやはり、

「神様に私の運勢はよいのでしょうかー?もっとよくなるんですかー??って尋ねるなんて失礼だよ」

と、言われてしまいました。

「もうすでにこれだけよくしていただいているのだから」

と。

 

「神様はね、人間に『かんながらの道』を示してくださっているのがお仕事なんだよ。

つまり、神様のように生きるという道なんだ。

神様はいつも氏子(うじこ)のことを大事に思っていてくださる。

つまりは子供とおんなじだからね。

それだけでもう充分よくしてもらっていると思わないか?

だから、既にこんだけよくしてもらってるんだから、これ以上『まだなにかいいことくれますか?』って聞くのはいかん。

それを『神意ためすなかれ』って言うんだ。」

 

そして、最後の極めつけが、

「それにね、『あわてる乞食はもらいが少ない』って、さっき神様もおっしゃったよ。」

ですって!

 

あんまり

「私の運勢はどうなんでしょうかー!?」

「なにかいいことありますよねー!」

「っていうか、なにかいいことくれますよねー!!」

「なにかいいことあるってメッセージくださいー!!!」

という気持ちの見え隠れするような態度でお参りしておみくじを引くこと自体、そもそも「親のスネをあわててかじろうとする子供」のように醜い、と。

 

はい、たしかに・・・。

「神様にお願いごとはしない」と散々このブログでも申し上げながらも、やはりおみくじを引こうとする時の私の心の底には、

「なにかいいことありますよねー!?」

という、まさに「慌てる乞食」のような思いがございましたねぇ。

しかも、最近は乞食さんの方がよほど慌ててらっしゃらない。

私の方が、トロいくせに気があせっていました。

 

まあ、楽しんでおみくじを引かれている方は、どうぞそのままなさっていてくださいね。

今回のこのお話は、ちょっと、と申しますより「もっと」、幸せをくれるって言ってほしいなー、というスケベ根性の見え隠れする私への、宇賀神先生からのアドバイスを忘れないように書きました。

これからは、「最後にたーっくさん♥もらえるように」慌てないことにいたします!

 

・・・えっ?

これも神様には全部お見通し?

そんなぁー(T-T)

 

合掌

Meijiのチョコレート

今日は氣とか神様佛様とか、そういう話題ではないのですが、宇賀神先生の思い出話をひとつ。

 

宇賀神先生のお父様は、お若い頃はエリートサラリーマンでした。

戦前の、大阪が「大大阪(だいおおさか)時代」と呼ばれた頃に、栃木県から出てこられ、大阪の缶詰を売る会社にお勤めだったそうです。

数か月ものあいだ中国や当時の朝鮮、台湾に出張に行かれては、大金のお給料を持って帰られたのですって。

 

まあ、ですが、お父様の人生もまた、宇賀神先生と同じくらい喜劇的?ジェットコースター的!波乱万丈の人生だったようです。

いつかまた、その面白い人生の物語を順を追ってお伝えしたいものですが、今日は、そんなお父様が戦後始められた事業が失敗した後の、宇賀神先生の子供の頃のお話を。

 

お父様はよくパチンコ屋さんに行っておられたそうです。

その直前にはパチンコ屋さん(当時のスマートボールと言われていた種類)を経営なさっていましたが、その事業が失敗し、それまで裕福だった宇賀神家は一気に貧乏になりました。

その失敗した事業と同じ種類のパチンコ屋さんによく遊びに行かれるなんて、私にはちょっと理解しがたいですが・・・。

とにかく、家計が傾いても、遊興に使うお金は減らされなかったのでしょうか、お父様は毎日のようにパチンコをなさっていたそうです。

 

宇賀神少年は当時小学校3年生でした。

毎日学校から帰りますと、お父様の遊んでいるパチンコ屋さんに行きます。

そして、

「お父ちゃん、パチンコ玉12個ちょうだい。」

と、頼むのですって。

 

「こうやって玉を分けるとな、運が逃げるんだよ。」

と、おっしゃりながらも、お父様はいつも12個くださったそうです。

 

宇賀神少年はそれを持って、景品の交換カウンターに行き、大好きな「明治のチョコレート」に換えてもらったそうです。

それまでの裕福な「おぼっちゃん」暮らしから一転、貧乏で学校の給食費も払ってもらえないような暮らしになってしまった宇賀神少年にとりましては、つらい日々の中のささやかな幸せだったようです。

 

もちろんその時代は日本国中みんなが貧乏な時代ではございましたし、その中でも更に貧乏だった私の母などからしましたら、「チョコレートを毎日食べられるだけでも贅沢」という感覚だそうです。

ですが、まあ、それまでがお女中さんがついててくださるような裕福な暮らしをしていた宇賀神少年でしたから、その落差にはまた別のつらさもあったかも知れません。

 

そうして小さい頃大好きだった明治のチョコレートは、大人になられた今でも大好きで、「世界一美味しいチョコレート」とおっしゃっています。

明治の板チョコをこよなく愛する宇賀神先生。

ですが、もちろん他のメーカーさんのチョコレートもやはりお好きで、つい今朝も、お土産にいただいたチョコレートを朝食後のデザートに召し上がりました。

一応も二応も宇賀神先生は糖尿病をお持ちですから、なるべく間食はせず、甘いものをいただくときは朝か昼のお食事と合わせていただきます。

その方が血糖値が乱高下しなくていいんですってね。

 

食後に緑茶とチョコレート。

最近の定番になってきております。

 

そして、いまだにチョコレートを、子供のような嬉しそうな顔をして召し上がるのです。

そんな時の宇賀神先生は、私の目にはこんな風に映ります。

childhood
宇賀神先生幼少期

 

これはまだ幼稚園の頃の宇賀神先生です。

先生のご家庭が裕福でいらした頃、栃木県は二荒山神社前の「上野さん」と先生が呼ばれるデパートの、お誂えの服を着て撮影なさったものです。

こんなちっちゃな子供にお誂えだなんて、本当に贅沢な暮らしをなさっていたのですね。

 

あんまり食べると鼻血がでるよ、って、言ってあげたくなりますね。

と、申しますのも・・・

 

宇賀神先生が召し上がったあとのテーブルの下には、それこそ子供のように、たいてい食べ物のかけらが落ちています。

当然チョコレートも。

冬は床暖房をつけ、温かくなっております床の上に、チョコレートも。

どうなると思われますか・・・?

( ̄∇ ̄;)

 

「チョコレート踏まんとってー!」

「それ、伸ばさんとってー!!」

「部屋中に広げて歩かんとってー!!!」

と、ときに叫び、ときに心で泣きながら(T-T)床に溶けたチョコレートを今日も拭き取るワタクシでした。

ぴーちゃん(うちの鳥)が、りんごジュースをまき散らしながら飲むのといい勝負です、ホント。

 

と、申しますことで、今日はめっちゃ嬉しそうにチョコレートを召し上がる宇賀神先生を見て思い出したエピソードでした♥(^-^)

 

合掌

旅に飲んで・・・

宇賀神先生はとっても旅好きです。

先週末も再び乗鞍高原温泉に行ってまいりました。

さすがに乗鞍は雪でしたねー。

Norikura
乗鞍岳

 

私の父が今年75歳になるのを機に、運転免許を自主的に返納することにしました。

父は雪道の運転も平気ですが、私はできません。

と申しますことで、父の運転で行ける最後の雪見旅行に行って参りました。

それが今回の、乗鞍高原温泉です。

 

宇賀神先生は無邪気なところがあり、と申せばよいのでしょうか、それとも率直に「したい放題する小さい子供のように、余計なことばかりする」と申せばよいのでしょうか。

今回の旅行も、行く道の途中に雪の鎌倉がありました。

それを見つけた先生は、

「あのね!綾野さん、あのねっ!! 写真、撮って欲しいの!!!」

と、さも嬉しそうにおっしゃいました。

in-front-of-kamakura
鎌倉の前にて

 

その鎌倉の中には雪で作られた椅子がございました。

はいはい、写真撮りますヨ。

inside-kamakura
鎌倉の中にて

 

鎌倉の中の奥の壁には神棚が設えられていましたが、なんだかそれが柱のように見え、雪の白さとあいまって、アメリカの有名なリンカーン大統領の大きな大きな白い像を思い出しました。

リメイク版の映画「猿の惑星」にも出てきた、あの巨大な像ですね。

 

何枚も写真を撮りながら

「うわー!結構冷たい!」

「えー、鎌倉って、ぬくいんとちゃうの?」

「雪の椅子も冷たい―!」

などと、きゃあきゃあ騒いでおりますと、周りの人達も鎌倉に気づかれ、いつの間にか順番待ちの人だかりができました。

なぁんだ、やっぱり大人もこういう楽しそうなの大好きなんですよね♥

 

じつは宇賀神先生は幼稚園の頃、園長先生にとても名誉ある?烙印を押されていました。

「やっちゃんはね(宇賀神先生のことです)、『しなさい』と言うことは絶対にしないのに、『しちゃいけない』と言うことは必ずするんです。」

しかも、

「やっちゃんにクラスのみんなが釣られて大騒ぎになりますので、うちには来させないでください!」

と、さもメイワクそうに、ほぼ毎日のように園長先生に手を引かれて家に連れて帰られたそうです。

 

ところがもちろん宇賀神先生のお母様は、

「月謝(?)も払ってるんだから、絶対に行ってこい!」

と、毎朝送り出します。

そうやって、

「行けー!」

「帰れー!」

の往復の毎日だったのですとか。

 

それが小学校では「異常児」の烙印となり、大人になりましては・・・今の宇賀神先生ですね(^-^;)

はい、いまだに大阪弁で申しますところの「いらんことしぃ」の宇賀神先生は、余計なことをして雪の鎌倉に座り記念撮影を楽しまれたため、ズボンのお尻のことろが悲しくなるくらい濡れてしまいました。

車のシートを濡らさないように布を敷いて座ってもらいましたよ・・・。

やはり、「三つ子の魂百まで」でしょうか。

 

宇賀神先生は、色々なことを楽しまれるのがとても上手です。

旅も、目的地に着くだけでなく、その途中の小さなことも、いちいち?楽しもうとなさいます。

私などは自分が何をしましても遅いことを自覚しておりますので、先を急ぐことに一所懸命になり、旅の途中(プロセス)を楽しむことを忘れてしまいがちです。

(なにしろ、一所懸命急いでも人様より遅いのですから!)

 

これはもしかしたら、人生という旅でも同じなのかな、と思うことがございます。

宇賀神先生は、人生という名の旅の、色々な場面で色々なことを楽しんでおられます。

私なら見逃してしまいがちな「小さな楽しみ」を見つけられる達人、と申し上げた方が、より近い表現でしょうか。

あるいは、普通ならちょっと大変だなぁと思うようなことでさえそこに楽しみを見つけ出し、「楽しんでしまう」達人、でしょうか。

ちょっと、マジメなおカタイ常識人?の私から見ましたら、羨ましいなーと思わずにはいられません。

 

そんな宇賀神先生が今回の旅で読まれた句がございます。

あの有名な松尾芭蕉の

「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」

という俳句がございますね。

とてもいいなー、と私も好きな句なのですが。

それを畏れ多くもリメイクした!宇賀神先生の句がこちら。

 

 

『旅に飲んで 夢は湯舟に 浮かんでる』

 

どういう意味かと申しますと、

「旅先のいい~湯の露天風呂で、キリッと冷えた冷酒を飲みほした瞬間、空に浮かぶ美しい月をあおぎ、『うーん、いい月夜だ!』と言いながら、そのまま心臓発作でぶくぶくと湯に沈み、死ぬと同時に温泉で湯灌(ゆかん)まで済ませてしまう」

と、申しますような、なんとも不届きな。

お宿にメイワクでしょう、それは( ̄∇ ̄;)

 

ま、とにかく、宇賀神先生は(周りの迷惑をさておいてでも!?)我が道を行く達人でもいらっしゃるようです。

人生も旅と同じなのでしょう。

どうせなら、宇賀神先生のおっしゃるような「アハハ、オホホと笑いながら」の楽しい旅をしたいと、心から願っております。

(できればあんまり周りにメイワクをかけずに。)

 

合掌

「ぶって~」と「かんで~」

いえいえ、たいして面白いジョークなわけでもなく。

宇賀神先生と私が勝手に低~いレベルの面白さに笑っていただけなんですけれどね。

笑いのレベルは低いですが、その内容は私達にとりましては、とても嬉しいことです。

前回お伝えしました、「佛の手」に関しましての、面白?エピソードとは。

 

宇賀神先生には何人かのお弟子さん達がいらっしゃいます。

お弟子さんとはつまり、うちのお寺の会員さんなのですが、今いらしてくださっている方達は、ほとんどの方がそれこそもう20年ほども通ってくださっている長いお付き合いの方達です。

宇賀神先生から習われた「氣」による治病法やお加持の方法を、公表して、またはご自身の心の中でこっそりと用いられ、人生の色々な局面やお仕事の場で使っておられる方も多いようです。

 

先生の教えは氣を身体の健康のみに使うのではなく、人生そのものを健康に?していくのに役立ちます。

少なくとも、私が今、以前に比べまして少しは人生を心軽やかに過ごせているように思いますのは、考え方なども含めまして、長年かけて先生が教えてきてくださったことが少しずつ私の中にしみこんできているからかなと思っております。

 

うちの母なんかは、

「なんで宇賀神先生はそんなに自分に都合よく考えられるの!?(だから楽しそうに生きてるの?)」

と、いつも羨ましそうに言っております。

「モテ髪師 大悟」さんがご自身の本の中でおっしゃっていたのですが、こういうのは

「ポジティブでもネガティブでもなく、『自分に都合よくティブ』」

というのだそうです。

あまりの名言に笑ってしまいました。

まるで宇賀神先生の生き方そのものですね。

私の大好きな言葉です。

 

さて、そんな長年のお弟子さん達のなかに、名古屋で柔道整復のお仕事をなさっている方がいらっしゃいます。

彼はもう20年以上も毎月毎月、欠かすことなく熱心に宇賀神先生の勉強会に通っておられます。

私と同じ時に高野山に上がられ、一緒に権教師の資格も取られたHさんです。

私が密かに羨んでいるほど長くて濃いまつ毛の、素敵な男性です。

ハリウッドの映画俳優のロバート・ダウニー・Jr.さんにちょっと似ていて、同じく映画俳優のオデッド・フェールさんに劇似で、彼らを映画で見るたびに、「似てるよね~♥」と、宇賀神先生に言いながら私の目はハートになっております。

 

さて、そのHさんが奥様とご一緒に数年前の忘年会 in 但馬にご参加くださったときのことです。

奥様が、

「お陰様で主人は『名古屋のゴッドハンド』と呼ばれています。」

と、おっしゃいました。

たとえばスポーツジムで同じクラスの方がエクササイズ中に転んで足をくじかれた瞬間、クラス中の期待の目がHさんに集まるのだそうです。

それくらい、周りの方達に

「あの人なら、きっと治してくれる」

と、思われているのですって。

 

そのことをお聞きになり、宇賀神先生はとっても喜ばれました。

やはりご自身のお弟子さんが、先生の教えられた技術を用いてご活躍なさり、多くの人から頼りにされていらっしゃるのは、とても誇らしいそうです。

「自分が教えてきたことは、間違いじゃなかった。」

と、心から喜んでおられました。

 

でも、とっても優しくカッコイイHさんも大好き♥なのですが、それ以上に宇賀神先生LOVE♥♥のワタクシとしましては、ちょーっと、ヤキモチを妬いてしまいました。

ですので、忘年会から帰宅した後でその心のモヤモヤを先生に訴えました。

「だってさぁ、だ~れも、宇賀神先生のことを『ゴッドハンド』だなんて、呼んでくれてないよ?(T-T)」

って。

 

で、そのときピンときて、叫んでしまった一言がこちらです。

「そうか!

あっちが『神の手(ゴッドハンド)』なら『かんで~』だ!!

そしたら宇賀神先生は『佛の手』だから『ぶって~』だ!!!

『ぶって♥』と『かんで♥』なら、いいコンビじゃないか。

これからは私が『ブッダハンド』って言ったげる!!!

v( ̄∇ ̄)v」

と・・・。

 

 

しょーもな・・・いですよね?

 

宇賀神先生も苦笑い、なさっていました。

 

だから、たいして面白くもないんですけどね、と冒頭にお断りさせていただいたのですが(T-T)

だから、前回の「銀座の美しい女(ひと)」の話の中に連ねて書きたくなかったのですが。

 

ごめんなさい。

心より、お詫び申し上げておきますネ。

 

まぁ、ですので、ワタクシのしょーもないダジャレはこの際どうでもよいのですが。

 

宇賀神先生は、ご自身の長年のお弟子さんが「ゴッドハンド」とまで呼ばれて人々に頼りにされていることに、本当に心から喜ばれていました。

家でそのときのことを思い出しながら話すたびに、先生は今でも嬉しそうな、誇らしそうな顔をなさいます。

 

残念ながら、宇賀神先生と私の間には子供がおりません。

先生の血を分けた子供が、先生の力を習い受け継ぐことは、どうやら難しそうです。

ですが、宇賀神先生の教えを長い年月に渡って受けてこられたお弟子さん達が、それぞれの人生のなかでそのことを活かされて、それぞれの人生をよりよいものになさろうとし、また更にその力を他者のためにも用いられています。

「弟子」って、「弟」「子」と書きますが、この方達は多分に先生の寿命よりも長く生きていかれるでしょう。

そして、先生の寿命よりも長く、先生から受けた教えをこの世で生(活)かしていてくださるでしょう。

まるで先生の弟か子供のように。

 

もちろん、私もその一人でありたいと思っております。

悲しいかな、私はHさんや他のお弟子さん達のように、身体堅固で力強い氣に溢れているというタイプではありませんが、私には私のできることもあるはずです。

少なくとも、ありがたいことに「宇賀神」の霊統(霊的な血統、とでも申しましょうか)を受け継ぐことを、神様はお許しくださっているそうです。

 

宇賀神先生のお力は、結構オールマイティ(人生の色々な局面に対応できる)に近いものがあります。

得手に帆をあげよ、ということわざもありますね。

先生の才能で築き上げてこられたオールマイティの能力全てをひとりで受け継ぐのは難しくても、それぞれのお弟子さん達が、それぞれの得意分野で、宇賀神先生から習われたことを活かしていかれれば、これほど嬉しいことはございません。

 

それに、皆さん本当に本当に、宇賀神先生のことを大事にしてくださるのです。

今月の勉強会では、私は所用があり、勉強会の最後までおらずに2次会も参加せずに先に帰りました。

すると、その日はステッキを持たずに歩いておられた先生の手を、階段で引いてくださったり、果ては、酔っぱらって靴を履きにくそうにしておられた先生のために手助けまでしてくださったそうなのです。

「わしが靴ベラ使えないのを見て、靴まで履かせてくれたんだよ~~~。」

と、家に帰った私に、半泣きになりながらおっしゃいました。

(年をとると涙もろくなるのですヨ。)

もう、皆さんのこのお気持ちだけで、十分すぎるくらい有り難いと、先生ともども心から感謝しております。

 

ねっ!

名古屋のゴッドハンドさん♥

最高ですね!!

(これからも心の中で「アイアンマン♥」ってお呼びすることを許してくださいね!)

 

合掌

仏手柑

先月の東京出張の折に、仏手柑(ぶっしゅかん)という、とてもおめでたい名前の、花のような柑橘類に出会いました。

銀座の「懐食 みちば」さんに、とても綺麗に飾られていました。

宇賀神先生の奥に見えますでしょうか?

ちょうど下向きに小さい子供の手が開いているような、黄色い、花のような形の実です。

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仏手柑と宇賀神先生

あまりの珍しさに、先生も思わず喜ばれて「蓮華印(れんげいん)」を。

蓮華印とは、密教の印(手の形)のひとつで、その名の通り、蓮の花を意味します。

 

またまた身内を褒めるのもなんですが、この写真の宇賀神先生から優しく溢れてくる「氣」は、なんとも言えませんね。

先生の手の蓮華印から氣を感じられます。

(え?私だけ??)

 

蓮はお釈迦様の愛されたお花です。

よく佛具にも表現されていますし、佛像や佛画にも、佛様とともに描かれていますね。

ちょっと話が横に逸れますが、なぜお釈迦様が蓮の花を愛されたかご存じでしょうか?

 

それは、蓮の花が泥の中から生えているのに、どういう訳かひとつも泥をつけておらず、清浄(しょうじょう)な存在だからだそうです。

苦海に生まれ落ち、生きている人間も、かくありたい、と思われたのでしょうか。

あるいは、いろいろな世間の泥にまみれた人でありましても、その人の中に存在する佛性は、蓮の花のように美しいとご覧になられたからでしょうか。

お釈迦様のご真意は私などには測りかねますが、このことを初めて宇賀神先生に教えていただいたときは、とても感銘を受けたことを覚えています。

「ほんまやー!」って。

あの泥を、蓮の花はどうやって落としてきたのでしょうね?

 

ところで先の仏手柑、みちばさんのお店にとても大事に飾られていましたが、いくつかございました盆栽などの飾り物の中のひとつでした。

はじめ私は、仏手柑がそこにあるということにすら、全く気づいておりませんでした。

まぁ、悲しいかな、「花より団子( ̄∇ ̄)♥」な人間なのです。

 

ところが、その日ご一緒くださった、私が勝手に「銀座の“美しい女(ひと)”」と心の中でお呼びしております方が、真っ先に見つけられました。

「あそこにね、とても綺麗な花がありますね。」

と。

そこでお店の方にお尋ねして、仏手柑という名前を教えていただいたのです。

 

ですが内心、本気で盆栽などアウトオブ眼中だった(まるで眼中になかった)ワタクシは、とても驚きました。

だって、その方は、あまり視力もよい方ではいらっしゃらないのです。

眼鏡をかけないと、テレビの字が見えないとおっしゃっていました。

私は、当然のことながらそんなの余裕で見えます。

 

ですが、私より視力の悪いその方は、美しいもの、素晴らしいものを見る「視力」を、私などとは比べものにならないくらいお持ちでした。

そのとき、私は「お目が高い」という言葉を思い出しました。

「お目が高いって、この人のようなことを言うんだなぁ」と、つくづく思いまして、そのような人とお知り合いになれたことをとても幸せに感じました。

 

みちばさんではゆっくりした時間にお食事をいただきましたので、お食事が終わる頃には周りの席がとても空いてきました。

ですので、お店の方にご無理申し上げ、食後のコーヒーを是非とも仏手柑の前のテーブルに移動してそこでいただけませんか、とお願いしてみました。

すると快く承諾くださり、さっそくテーブルを移して、綺麗な仏手柑を間近に眺めながらコーヒーをいただきました。

 

宇賀神先生は仏手柑を背に座られました。

ご一緒くださった方は、花(実)と先生を見られるようにと、仏手柑を正面にご覧になるように座られました。

そして、先程の写真の蓮華印を結ばれた先生を笑いながらご覧になり、

「私にとっては宇賀神阿闍梨の手も、佛の手ですよ。」

と、おっしゃってくださいました。

先生の、人の痛み苦しみを癒す手は佛の手だと、おっしゃってくださいました。

この方は、難病を患われているのです。

 

佛の手だなんてとても畏れ多いことではありますが、「お目が高い」この方に、そんな風に言われて、私は本当に本当に嬉しかったです。

その日は12月の、クリスマスやお正月を前に輝きを増してきた銀座の街で、美しい女(ひと)と美しい花(実)を愛でながら、内心とても幸せな時間に浸っておりました。

 

ただ、「佛の手」に関しまして、大阪人のワタクシとしましてはどうしても話したいちっちゃな面白(?)エピソードがあり、「せめて少しは笑いを取らないと!」という大阪人根性がウズウズするのですが・・・。

ですが、今日のところは、この美しい方の余韻に浸りながら筆を置きたいと思います。

またいつか、あの素敵な時間に身を置けたら、と願わずにはいられません。

 

合掌

あけましておめでとうございます。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 

ずいぶんとご無沙汰いたしておりますが、いかがお過ごしでしょうか?

こーんなに長いことブログの更新をお休みしまして、私の身体のことをご心配くださった方々、本当にありがとうございます。

お陰様で宇賀神先生も私も元気にしております!

ばたばたと忙しかった秋から年末を経て、やっと冬眠という名のタヌキ寝入りから目が覚め?、こうしてパソコンに向かうことができております。

皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、今日からは軽く、冬のお出かけのご報告など。

(新年早々に去年のお話で恐縮です。オニが笑うどころか、あきれそう?)

 

 

まず、12月には光明不動寺の忘年会 in 有馬温泉がございました!

温泉でのバージョンアップした氣の取り方などをもちろんお伝えし、男性陣は宇賀神先生と一緒にお風呂に行かれました。

そして、宴会!

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忘年会2017年

先生お一人だけを写したため、何だかちょっと淋しいような写真になっておりますが。

「かんぱーい!」の後の、わらわらとした(みんなグラスを持って移動中の)瞬間です。

まだグラスのビールに口をつけていらっしゃらない宇賀神先生のお顔がすでに赤いのは、なぜでしょうねぇ( ̄∇ ̄;)

宴会が始まる前から「出来上がっている」人達。

 

まあー、皆さん、お酒のお強いことお強いこと。

類は友を呼んだのかしらん。

(いえいえ、宇賀神先生は最近はお酒もかなり弱くなられましたよ!)

 

そうそう、宴会では光明不動寺独特の「氣でもってビールや飲み物の味を変える」などという笑える?宴会芸を皆さんは先生から教えていただいていました。

美味しくも変えられますし、それこそ、「氣の抜けた」まずいビールにも一瞬で変化させてしまう、と申しますような、アルコール好きの方には笑えないようなワザも教えていただいたり。

ちなみに、アルコールの飲めない方にはコーヒーで伝授しております・・・。

 

ですが、類は友を呼びとは、皆さん本当に気持ちのいい方達ばかりで、お酒の全く飲めない私が参加しておりましても、いつも楽しい宴会です。

初めて忘年会にご参加くださった方達も、

「こんなに気持ちのいい人達ばかりで。」

「とても楽しいお酒をいただきました!」

と一様におっしゃってくださり、ありがたい限りでした。

自分のだんなさんのことを褒めるのもなんですが、ひとえにこれは宇賀神先生のご人徳だなぁ、といつも思います。

なぜか先生の周りには気持ちのいい方達ばかりが集まられます。

先生が以前おっしゃったように、この人達こそ、先生の財産ですね。

会員さん達のプライバシーに配慮して皆さんのお顔は載せませんでしたが、ほんっとうーに皆さん「いいお顔(^-^)」をなさっていました。

今、見返しましても、楽しい写真ばかりです。

うーん、幸せ!

 

そして次の日には、車の台数と人数がうまく合ったため、皆で仏舎利塔に行きました!

stupa2017.12.3
仏舎利塔 遠景

前回は中の仏舎利塔をお見せしましたので、今回は外からの写真を。

インドを彷彿とさせる、素敵な建物です。

初めて行かれた方達もいらして、皆さん、お釈迦様のパワーを感じられて、とっても喜んでくださいました。

 

ただ、ですね。

初めていらした方が多かったためかも知れませんが、あれほど

「お釈迦様のパワーをいただこうなんて、ゆめゆめ思わないんだよ。」

「ここでは氣を取ろうとするのではなく、感じようとするだけなんだよ。」

とお伝えしているにも関わらず、「氣(パワー)をいただきたい」とばかりに仏舎利塔の方に吸い寄せられてしまう人が続出していました。

 

ふつうは、お釈迦様からの溢れてくるパワーを感じられますと、そのパワーの波に押されるような感覚になると思うのですが(多分)。

ところが「そのパワーが欲しい」と強く思われている方は、身体言語でそのお気持ちが表れてしまいますのか、お釈迦様のパワーを感じられた途端に、吸い寄せられるように前に前に引っ張られていらっしゃいました。

 

お釈迦様はですね、「執着を捨てよ」と説かれた方なのです。

王子としての王位後継者の立場、つまり国も、家族も、有り余るほどの財宝も、すべて捨てて出家なさった方なのです。

その遠ぉーい遠ぉーいお弟子である、お坊さん(仏弟子)である宇賀神先生に教えを受けているそのまたお弟子さん(会員さん)達が、「氣(パワー)が欲しい」とお釈迦様の前で執着を露呈なさるのは、いかがなものかと( ̄∇ ̄;)

 

さらに面白かったのは、宇賀神先生が、お釈迦様の氣を感じて吸い込まれるように前につんのめる会員さんの後ろに立たれ、「氣」の手でその方を捕まえますと、ピタッと前のめりにならなくなるのです。

もちろん先生は実際にはその方に触っておられません。

離れたところから、先生の氣の手で、その方の氣のボディをつかまれてるだけなのです。

そして、パッと離しますと、「おおっと!」とばかりに、再び前に吸い込まれそうになっておいででした。

それには一同大爆笑でした。

あまりにも鮮やかすぎて、私もびっくりしてしまいました。

 

宇賀神先生と一緒に暮らしておりますと、いわゆる不思議なことにも慣れっこになってしまい、奇跡的なことでさえも「当たり前のこと」として私の目に映るようになっておりました。

たとえば「電話での遠隔だけで発作が治まりました!」や、「がんが消えました!」「手術がお医者さまも驚くほど軽くで済みました!」「40年以上聞こえなかった耳が聞こえるようになりました!」などとお聞きしましても、

「よかったですー!」とお伝えする心のなかでは、「ありがたいことに、宇賀神先生の場合には、よくある話です。本当になによりです♥(^-^)」との思いがいつもございます。

 

ですが、たま~に、このような新バージョン?の不思議な現象を目の当たりにしますと、「あ、やっぱり先生ってすごいんだー。普通じゃできないことが、できる人なんだー。」とあらためて思います。

いつも、「すごい人なんだ」って忘れててごめんネ。

いつも、

ビデオの録画操作がいまだにできずに私に頼ってこられるからって、

今までかけてたメガネが無い無いってすぐ騒ぐからって、

「すごい人なんだー」っていうことを、忘れててごめんネ。

これからは、

「こう見えても(?)、じつはすごい人だったんだー」

って忘れないようにするネ♥( ̄∇ ̄)

 

新年の目標ですね!

(そしてそれが達成されないことは、よくある話かも!?)

 

では、新年早々ノロケて満足したことろで、次回はまた別のお話を♥

今日も一日、いい日です(^-^)

ありがとうございます。

 

合掌