宇賀神弁財天さまと、実は蛇がコワイ宇賀神先生

今までに何度か宇賀神弁財天(うがじんべんざいてん)さまのことを、言葉ではご説明してまいりましたが、そう言えば画像をお見せしたことがなかったかしらと思いまして、本日特別大公開!いたします。

 

こちらは、東京は上野にございます、「東京国立博物館」に展示されている宇賀神弁財天さまです。

とっても綺麗なお顔でしょう?

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宇賀神弁財天さま

 

説明書きも下に載せますね。

字がきれいに読めますでしょうか?

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宇賀神弁財天さまの説明書き

 

「とぐろを巻いた蛇のからだに老人の顔をつける宇賀神を頭上にいただく」と説明されております。

最古の作例ですって!

鎌倉時代のものが、こんなに綺麗に残っているなんて。

 

ちょっとアップで。

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弁天様アップ

 

そして、弁天さまの頭上の「宇賀神さま」を、超アップで撮ってみました。

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宇賀神さま

長いあごひげを生やしたおじいさんの顔が、見えますでしょうか?

まさに、宇賀神先生のお顔のよう!

何だか不思議な符合にびっくりしてしまいます。

 

ちなみに関西は琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)は、実はこの宇賀神弁財天さまの聖地でもありまして、そこの弁天さまの頭上には鳥居とともに宇賀神さまが乗っておられました。

「神さまon神さま」ですね。

 

実は宇賀神さまの起源は更に古くからあるらしく、なんと縄文時代の遺跡からも、とぐろを巻いた蛇の身体に老人の顔を持つ神さまを頭上に乗せた女性の土偶が発見されているそうです。

それが長い歴史のなか、後にインドから伝わってきた川(水)を司る「サラサヴァティ」という神さまと重なり、弁財天さまと呼ばれるようになり、宇賀神弁財天さまとなったようです。

なぜ川を司る神さまと結びつけられたのかと申しますと、蛇の長細い身体が、川の流れのイメージと重なったからではないかとの推測です。

また、蛇は龍のイメージとも結び付けられますが、龍もそもそも水と関係が深いですものね。

 

今は弁天さまを七福神の神さまとしてご存じの方は多いですが、宇賀神弁財天さまとして認識なさっている方は、そんなに多くはないようですね。

時代の流れとともに注目を浴びて人気が出たり、知る人ぞ知るという存在になられたり、神様も芸能人のようです。

 

さて、そんな蛇の身体をもつ宇賀神さまですが、その神さまと同じ名前を持つ宇賀神先生(ちなみに、本名です。)は、実は蛇が大の苦手なのです!

先日の四天王寺さんのお話で、

「『今度の秋に来たら蛇を首に巻いたげる』っておじさんが言ってくれたよー!

秋に一緒に行こうヨ♥」

と宇賀神先生を誘いますと、

「わしは絶っっっ対!行かん!!!!!」

と、断固拒否されてしまいました。

そんな名前持ってるクセにねぇ。

仕方がないので、ワタクシ一人で行くとしますか。

 

ただ面白いのが、そんな蛇が大の苦手の宇賀神先生が一度マムシに遭遇なさったことがあるそうなのです。(面白く・・・ないですね。コワイですね。)

 

それは、宇賀神先生がこの仕事を始められ、まだ仙台に住んでおられた頃のことです。

よく山中のお滝場やお堂などで、お一人でお修行しておられました。

当時のお修行とは、身体の鍛錬から密教の行法、瞑想など、色々を自分なりに考えられ、されていたのですって。

 

ある日、福島県の山中の洞窟(壁に石の佛様が彫られていた霊場だそうです)で座禅を組み、目をつぶって静かに瞑想なさっていたときのことです。

ふと何かの気配を感じ、着ていた作務衣の上着の裾をそ~っと持ち上げますと、なんとそこにはとぐろを巻いた1匹のマムシが・・・!!

 

マムシって、噛まれたら死ぬやん(T-T)

 

毒持ってるやん(T-T)(ToT)

 

内心、

「ひーえーーー!!!」

と思いながらも、そこはいざというときの肝はすわった宇賀神先生、マムシを刺激しないように、そろ~~っと身体を動かし、後ずさりしながらマムシから離れ、見事脱出に成功なさったのですって。

 

よく、蛇が大嫌いなのに冷静に対処できましたねー。

人生初の「蛇タッチ」をこわごわながらもしようと思えた私でも、もしそんな場面に遭遇しましたらその瞬間にパニックにおちいり、慌てて動いてマムシにガブリと噛まれてしまうのがオチですね!

100%、噛まれる自信あります!(そんな自信持ってどうするー。(T-T))

 

「マムシ相手にそんな対処ができたんやったら、四天王寺さんで白蛇を首に巻いてもらっても大丈夫やって!

ブログ用に写真撮りに行こ♥」

と申し上げましても、

「絶対に行かん!」

そうです。

ざんねーん( ̄∇ ̄)

 

ということで、蛇の身体を持つ神さまと同じ名前をしているくせに、蛇が大の苦手な宇賀神先生でした♥

 

 

*****

(オマケ)

 

神さまではなく、人間の宇賀神先生@お花見。

大好きなお酒をお供え?してもらって嬉しそう。

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お花見にて

 

「かんながらのみち」と言う言葉があり、色々な意味を含む言葉のようですが、宇賀神先生はその言葉を「神さまのように生きること」ととらえておられます。

「神さまが人々の幸せを願われるように、人々の幸せを願う」ととらえておられます。

 

もちろん名前は神さまと同じ名字をお持ちですが、神さまの存在からは遥かにほど遠いご性格の宇賀神先生。

でこぼこの性格のため、なかなかこの世を上手く渡れずにいた若かりし頃。(されど顔で運命は決まる その1

そして、たったひとつの才能だけでようやくこの世をなんとか泳いでいくことを覚えた宇賀神先生。(でこぼこの才能

ですが、その神さまからほど遠い存在の人間が、神さまのように生きようと懸命に思うことこそが尊い、と私は思います。

痛みを知らない人間には、人様の痛みは理解できないですものね?

完璧ではなく、欠けているからこそ、人は美しいのだと思います。

 

 

先生の袖に、桜の花が遊びにきてくれました♥

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桜の花びらと

 

合掌

四天王寺さんで白蛇に触った話。

今日はちょっと笑ってご容赦いただきたいお話を。

 

先日の記事でお話しした四天王寺さんで、私はなんと生まれて初めて生きた白蛇に触りました。

まさか祖母に会い、お大師さんにお会いするほかに、白蛇に出会うとは。

そして触らせてもらえるとは、夢にも思いませんでした。

 

毎月21日には、四天王寺さんでお大師さんのご命日にちなんだ市(露天商)が立つのですが、春と秋のお彼岸にはそのお祭り騒ぎが数日間続きます。

骨董からガラクタ(失礼!)、古着や着物、食べ物などなど、広い境内で迷いそうなほどの数の露天商が出ます。

 

そんななか、いらしたのです・・・白蛇が。

その露店は、白蛇の脱皮した皮をお守りとして売っておられて、またちょっとした占いもなさっているようでした。

生きた白蛇を、真っ赤な壁にガラスの扉がついたケースに入れて、お祀り(おまつり)しておいででした。

なかなかに怪し気な雰囲気満載のお店(ごめんなさーい!)でしたが、生きた白蛇がこんなに近くで見られるなんてあまりにも珍しく、立ち止まってしげしげと見入ってしまいました。

そしてまた、お店の人に馴れ馴れしく、もとい、親し気に話しかけるのが平気なワタクシは、

「うわぁ、こんな近くで生きた白蛇を見たの初めてですー♥珍しいんですってねー♥」

とかなんとか申し上げながら、お店の人に色々なお話をお伺いしておりました。

 

そして、勇気を振り絞って、

「あの、白蛇の写真を撮らせてもらってもいいですか?」

とお尋ねしますと、お店のおじさんが、

「いいけど、みんなお守りを買ってから写真撮らはるわなぁ。このお守りの中に白蛇の脱皮した皮が入ってるから、お財布に入れといて。」

と、おっしゃいました。

さすが商売人!

 

「あっ、それもそうですよね!( ̄∇ ̄;)すみません。じゃあ、お守りひとつ、ください!本当に白蛇の皮が入っているんですかー?」

「そうやで。お守りの中に白蛇の皮が入っているから、お財布に入れてな。一番小さいのは1000円、これは蛇の皮を切ったときの切りくずが入ってるから。皮が大きいのんほど1万、10万、30万のもあるで。」

「じゃあ、1000円ので!」

と、1000円のお守りをいただくことにしました。

 

すると、そのおじさんが

「ほな、あんたのお財布そこに置き。」

と、おっしゃり・・・

言われるがまま商品の棚のところに私のお財布を置き、その上に買ったお守りを置きますと、なんと白蛇をガラスのケースから出してくださり、私のお財布の上に!!!

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白蛇 on 私のお財布!

そして私のお財布の上で、怪し気にも神社で巫女さんが振るような鈴を振ってくださり、ご祈祷?してくださいました!

ご祈祷ならうちの旦那さんもしてますぅー( ̄∇ ̄)、とはモチロン申し上げませんでしたよ。

ちなみに、この写真の中の蛇の頭のところに見えますのが、たしか30万円のお守りだったと思います。(あれ、それとも見本でしたっけ?)

蛇のお腹(まさに蛇腹)と背中のうろこ状の模様が見えますでしょうか?

 

そしてそして、さらに調子に乗ったワタクシは内心恐る恐る、

「もしよろしければ、蛇に触らせてもらってもいいですか?」

と尋ねました。

するとあっさり、

「いいよ。人に慣れてるから、噛まへんよ。大丈夫や。」

とご快諾くださり。

 

触りました・・・!

touch!
白蛇に触りました!

生まれて初めての、蛇にタッチ!

少々?ビビりながら触っているのがよくわかりますね!

指先しか、よう触りませんでした( ̄∇ ̄;)

「金運向上」のお守りのところへ潜ろうとする白蛇♥

蛇の体表面の感触は、そうですね、想像していたよりも固いプラスチックのようでした。

白い蛇はアルビノですので、赤い目をしていましたよ。

 

そもそも宇賀神先生の名字の「宇賀神(うがじん)」は、本当の神様の名前で、その神様は

「白いヒゲを生やしたおじいさんが頭で、とぐろを巻いている白蛇が身体」

の神様です。(宇賀神 龍仙という名前

また、お稲荷さんともつながりが深い神様です。

稲荷神社の御祭神が宇迦之魂神(うがのみたまのかみ)のところもございます。

そしてその宇賀神様を頭に乗せられた「宇賀神弁財天」という弁天様もいらっしゃいます。

 

お稲荷さんに弁天さんときましたら、「豊穣」「財運」ですね!

なので、もちろん私が買ったお守りも「金運向上」なのでした♥

こんなおバカな記事におつき合いいただいたお礼に、お守りの中身を大公開!

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白蛇の皮のお守り

右側の黄色い(アヤシイ)紙の中に、左下の白い紙に包まれて、左上の蛇の皮(のカケラ)が入っていました。

ちゃんとお腹と背中の両方があって、びっくり。

もちろんあの日以来、ありがたく、大切にお財布の中に入れております。

これをご覧になった皆さまにも金運がつきますようにー¥$€£♥

 

えっ、それで私に金運がついたのか、ですって?

そうですね、あれ以来、新幹線でお金の入ったお財布を拾い、別のところで電車の回数カードを拾いましたが、どちらも届け出たため自分の手元に一銭も入らなかったのがミソ!

大丈夫、金運向上はまだ始まったばかりです♥(と、自分に言い聞かせる。)

 

そうそう、先日の四天王寺さんの記事をご覧になり、さっそくお参りなさった方がお大師さんのお写真をお送りくださいました!

テントが無く、とても分かりやすい素敵なお写真ですので、ご許可いただき掲載いたしますね!

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四天王寺のお大師さんと錫杖

お大師さんの錫杖から一本の紐が、私達の握れる錫杖まで伸びています。

W先生、お写真をありがとうございます!

 

今でも四天王寺さんで出会った白蛇のことを思い出しますと、ちょっぴり興奮してしまいます。

生まれて初めて触ったなぁー。

そう言えばお店のおじさんが、白蛇に触ってあまりにも喜んでいる私にむかって、

「今度の秋のお彼岸に来たら、この蛇を首に巻いたげるわ。」

と、おっしゃってくださいました。

秋・・・行こうかナ( ̄∇ ̄)♥

 

合掌

四天王寺さん

長らく更新をさぼっておりました。

あっという間に季節は移りかわり・・・時が過ぎるのが早すぎると感じる今日この頃。

今日からは少しさかのぼって3月のことをお話させてくださいね。

 

3月のお彼岸には、私は大阪の天王寺にございます「四天王寺さん」にお参り致しました。

四天王寺さんは、日本で一番古い官寺です。

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四天王寺さん門

四天王寺さんの境内にはお彼岸のお参りに合わせた縁日(?)の屋台がたくさん出ます。

ちょっと写真には写せなかったので、様子が分かりにくいかも知れません。

私がお参りした日は雨でしたが、晴れておりましたら、本当にお祭りさわぎの露天商の賑わいです。

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お寺の境内からアベノハルカスも見えます。

 

実はここ四天王寺さんには、私の祖母と祖父が眠っております。

宇賀神先生が、

「綾野さんのおばあちゃんがお彼岸までには一度会いに来てほしいって言ってるよ。」

と、ずうっと前から何度もおっしゃるのです。

不届きなことに、私はあまりお墓参りには行っておりません。

「家で毎日おばあちゃんにお供えもしているし、いっか。」

と、なぜかマメに行く習慣のないまま生きております。

一応、高野山でお修行のマネゴトもさせていただいておきながら、面目ない限りです。

 

ところが今年は宇賀神先生があまりにもおっしゃるので、お参りに行くことにしました。

すると、やはり先生のもとへ祖母から連絡?が行っていただけのことはございまして、私は今回四天王寺さんで祖母に「会う」ことができました。

私はいわゆるおばあちゃん子でしたので、嬉しかったですねー。

お墓の前でお経を唱えておりますと雨が結構降りだしてきましたが、祖母に会えた嬉しさに、傘を取りだす気にもなれずただただ雨に濡れながら、涙とともに声にならないお経をあげておりました。

 

「千の風になって」という有名な歌の通り、「おばあちゃんは佛様と同じく、どこにでも会いに来てくれる。」と信じておりますが(「千の風になって」は本当でした、というお話。)、今回のお墓参りでおばあちゃんに会えたと強く感じた私の感覚もまた、事実です。

もちろん科学的に真実かどうかは分かりませんが、私が個人的に感じた「会えた」という感覚は、私にとりましてはまぎれもない事実です。

いったい全体、死んだあとの魂の仕組みはどんなものなのでしょうか?

今のところ私には知る由もございませんが、あの世へ旅立ったときはイヤでも分かるでしょうから、そのときまでのお楽しみにとっておくことにしますか。

 

・・・そして話は変わりますが、四天王寺さんにはお大師さんの像がございます。

四天王寺さんは真言宗ではございませんが、色々な宗派を総合してお祀りなさっているようです。

実はここのお大師さんには以前、驚くほどの鮮やかさで頭痛を取ってもらったことがあります。

 

去年のその日は、宇賀神先生と一緒にお参りいたしました。

家の近くから路線バスに乗って二人で四天王寺さんに行きました。

私は車の運転は大好きですが、乗り物酔いも結構してしまいます。

案の定、路線バスで酔ってしまい、頭が痛くなってきました。

先生が「お参りした後に天王寺でご飯食べて帰ろう。」とおっしゃってくださったのですが、「頭が痛くて食べられへん・・・。」という、なんとも情けない返事をしたほどでした。

 

ところが四天王寺さんに着いてそのお大師さん像に会いに行き、お大師さんにつながっている錫杖(しゃくじょう)を握ってお参りした瞬間、頭痛がスーッとどこかへ消えてしまいました。

あまりの鮮やかさに、ちょっとびっくり。

真言宗のお寺でもないのに?

お大師さんのお力は、一体どこまで届くのでしょうか。

 

と、思っておりましたら、宇賀神先生が、

「わしが先に錫杖を持って振ったときに、お大師さんに『綾野の頭痛を治してくらっしぇ~!!!』って頼んだ♥」

ですって。

「くらっしぇ~」って一体、どこのお国の人なの・・・。( ̄∇ ̄;)

うーん、ですが、驚くほど効きました。

お願いしてくれてありがとう♥

 

そのお大師さん像が、こちら。(まずは遠景)

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四天王寺のお大師さん像 遠景

この写真を撮った日はテントが設営されており、ちょっと分かりづらいのですが、真ん中の木の左側にお大師さん像、右側にお参りする人が握るための錫杖が見えますでしょうか?

 

お大師さんの右手に握っておられる錫杖から紐が伸びていて、

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四天王寺のお大師さん

私達が握る錫杖までつながっています。

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お大師さんにつながる錫杖

 

つまり、この錫杖を握りますと、なんとお大師さんの御手につながるのですねー。

かの方の御手は、どんなだったのでしょうか。

きっと気持ちのいい「氣」に溢れておいでだったのでしょうね。

もちろん宇賀神先生の手も、それはそれは優しくて温かくて気持ちのいい氣が溢れておりますけれど♥

 

この錫杖は揺さぶりますとジャラジャラと音が鳴りますので、皆さん神社の鈴のように鳴らしてお参りなさいます。

宇賀神先生もそうですね。

ちなみに、私はいつも両手ではさんで拝む形でお祈りいたします。

もし皆さんもいつか四天王寺さんへお参りなさることがございましたら、霊験あらたかなお大師さんに、ぜひご挨拶申し上げてくださいませ。

できましたらそのときは本当は、「治してくらっしぇ~!」などとお願いなさらず、「本日ご縁を持ちましてお参りさせていただき、ありがとうございます。」などと御礼申し上げていただけますと、幸いです♥(お参りの極意 その1その2

 

合掌

夢見の技術

唐突ですが、宇賀神先生は夢をコントロールすることができます。

 

夢と申しますのは、目標としての夢ではなく、寝ている間に見る夢のことです。

私のような普通の人ならば、なかなかコントロールすることのできない、夜寝ている間に見る夢のことです。

 

ひと頃は「夢見」の技術は超能力開発のための方法の1つとして有名だったようです。

カルロス・カスタネダさんが書かれた夢見を使う呪術師の本のシリーズも、知る人ぞ知るという感じでしたね。

私はずっと以前に、宇賀神先生のところへ通ってらした会員さんに教えていただいて、当時は何冊か夢中になって読んだはずですが、私の素晴らしい脳ミソはあまり内容を覚えてないようです。

ちょっと小難しすぎて・・・。

ですが、たしかその本に登場する南米の呪術師は伝統的な呪法として、今で申しますところの幻覚を見せる植物、つまりは麻薬のようなものを用いておられたようです。

 

もちろん幻覚剤(麻薬)は今の日本では違法ですが、古くからある世界中の呪術には、そのようなものの作用の力を借りることも多かったようです。

幻覚剤の力を借りて、よりスムーズに変性意識の状態に持っていくのです。

素質のあるシャーマン(呪術師)は、訓練を経て、変性意識状態にあるときに、神々の言葉を聞くようです。

 

もちろん変性意識下にあれば、どなたでも幻覚は見るでしょうし、幻聴も聞くでしょう。

ですが、もともと霊感のある人で、さらに訓練を重ねた人は、より正確に(その種族の信じるところの)神様や精霊の声を聞くのでしょうね。

それが果たして本当に神様の声なのかどうかなど、見極めるのも紙一重の難しい世界です。

 

ちょっと話が横に逸れました。

 

そう、宇賀神先生の夢の話ですが。

先生の「夢見の技術」は、カルロス・カスタネダさんの書かれたようなものより、もっとシンプルです。

多分これは、宇賀神先生の精神構造?が普通の人とちょっと違うからかも、としか申し上げようもないのですが。

先生いわく、

「(見たい夢を)見ようと思ったら見られる。」

のだそうです。

そしてそれを、映画でも見るような感覚で楽しんでおられます。

 

毎晩というわけではございませんが、たまに寝られる前に

「今日はこんな夢を見ながら寝ることにするわ。」

と、おっしゃるときがございます。

 

あるいは、ときに嫌な夢を見て目覚められましたら、

「もう一回寝て、敵(かたき)を取ってくる!」

と、二度寝なさいます。

 

再び起きられたあと、

「それで?敵は取れたん?」

と尋ねますと、

「大逆転してきた!」

と自慢げに、都合よく展開した夢のストーリーを話されます。

 

まあ、ですが、所詮は夢の話ですので、その内容は大したことない、もっと率直に申し上げますと、「どーでもいい」ような内容です。

大抵の場合が突飛もない設定で突飛もない展開の物語です。

今までお聞きした夢の中身までは、いくら私の記憶力がよくても?覚えておりません。

たぶん宇賀神先生ご自身でも覚えていらっしゃるものなんて、ほとんどないでしょう。

 

ですが、よくそんなに自在に夢を操れるものですね。

しかも「見ようと思ったら見られる」だなんて、シンプルすぎます。

そこらへんの精神構造がすごいですね。

 

最近は「明晰夢」(めいせきむ)として、夢見の技術は再び脚光を浴びているようです。

(かなりマイナーな一部の方達の間のみでしょうけれど。)

明晰夢とは、その夢の中で寝ている本人が「これは夢だ」と気づき、さらにはその夢の中で自由に動ける、というものだそうです。

 

「見たいと思ったら(見たい夢が)見られるんだよ。」とおっしゃる宇賀神先生からは、「どうやったら見られるようになるのか」をなかなか習いにくいと思い、仕方がないので最近の明晰夢関係の本を読んでみるのですが・・・なかなかうまくいきません。

と申しますのも、ワタクシの得意技が「ドラエモンに出てくるのび太君なみに、ベッドに入ったら3秒で寝られる」というくらいの寝つきのよさなのです。

「今日こそ、いい夢を見よう!」と思う間もなく、布団に入ったらすぐに記憶がございません(^-^;)

まるでいつぞやの国会議員のような言い訳。

 

いえ、ごめんなさい、ちょっと違いますね。

明晰夢関係の本によりますと、人は皆、毎晩寝ている間に必ず夢は見ているそうなのです。

ただ、ほとんどの人がそれを覚えていないだけなんですって。

ですので、正確に申し上げますと、私は毎晩夢を見ているけれども夢の内容を覚えていない、ということになります。

ましてや自由に動き回れるようには、なかなかねぇ。

 

ですが、人が寝ている間の脳の働きは素晴らしいらしく、まだまだ解明されていないことの方が多いそうです。

そしてやはり夢は、宇賀神先生の持つ不思議な能力にも関係が深いようです。

夢をコントロールすることは、もしかしたら超能力や霊能力、氣をコントロールする力にも何か関係があるのかも知れません。

どういうつながりがあるのかという科学的な解明は、まだまだ更に先の研究分野なのでしょう。

 

ただ、今の段階で申し上げられますことは、夢をコントロールできたからと言って、必ずしも何か超能力や氣の分野においての成果が現れるわけではないということです。

また逆に、夢をコントロールできないからと言って、氣を操ることができないというわけでもございません。

現に、私は夢はコントロールできませんが、氣に関しましては多少は可能です。

何かしらの影響はあるのかも知れない、というだけの話です。

 

少なくとも、ままにならない世の中で生きていて、せめて夢の中では思う存分自由に行動してみたいですね。

自称「寝るときは『のび太君』並み」のワタクシも、いつも楽しい夢を見ることを願っています。

さて、皆さんなら、どのような世界を思い描かれますか?

まずはヘンゼルとグレーテルのような「お菓子の家」でしょうか?

宇賀神先生は、お酒を「浴びるほど飲んでみたい」を通り越し、「お酒の中で泳いでみたい♥酒風呂」でしょうか??

皆さんもどうぞ、楽しい夢の世界を探検してみてくださいね!

 

合掌

 

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ありがとうございます♥

NEXT – 視た時点で未来は変わる その2

はじめに母が皮膚の異変に気づき、近くの内科で紹介状を書いてもらった時点では、宇賀神先生は

「もしかして皮膚がんで簡単に手術で取れるのだったら、早く切ってもらった方がいい。お義母さんは前にも一度あったし。皮膚がんだって危ないからね。今回わしは手を出さんよ。」

と、おっしゃいました。

そして「毎日のお勤めの時の『遠隔のご祈願』だけは今まで通り続けておくから。」ともおっしゃいました。

 

その1週間後、皮膚組織の生体検査を受けた日には、

「それ(皮膚の変質)は、もう、がんじゃないと思う。」

と、突然言い出されました。

 

そして更にその1週間後の検査結果を聞きに行く当日の朝、宇賀神先生は

「それはもう絶対がんじゃないから。最近わしの能力はますます上がってきているからね。わしが保証する。」

って・・・。

自信満々の断定ぶりでございました。

「手を出さないから」と、言いながら、毎日の遠隔のご祈願だけで治してくださったのでしょうか。

なんだかんだ言って?

 

宇賀神先生はよく、

「引っかかり」や「手ごたえ」

とも、おっしゃっています。

ご祈願をお引き受けしておりますと、その方の状態が分かったり、

「自分の力が及びはじめた」とか、「効き始めた」、

「これなら、どのくらいの期間でどのくらいの(治癒の)段階まで持っていける」

などということが、分かることが多いのだそうです。

 

また、時にはちょっと絶望的なご祈願をお引き受けすることもございます。

たいがいの場合、あまりにも力が及びかねるご依頼はお断りすることもございますが、それでもどうしてもご依頼者様が引き受けて欲しいと望まれたとき、断りかねてお引き受けしたこともございます。

そんなとき、ご祈願のはじめには何の手ごたえもなく、「暗中模索」そのものの状態のようです。

ところが続けておりますと、ふと引っかかり(手ごたえ)を感じ、その瞬間にご依頼者様が快方に向かう様子が見えてくるのだそうです。

見えなかった未来が、あるいは絶望的と見えていた未来の映像が、切り替わってくるのです。

 

お引き受けしておりますご依頼について宇賀神先生からお話をお聞きしておりますと、日がたつにつれてお話しなさる「未来像」が変わってきたと感じることが、よくございます。

それは何も宇賀神先生がいい加減なことをおっしゃっているのではなく、ご祈願を継続することにより、未来がよりよい方向へ変わってきているということなのです。

宇賀神先生の祈り(行動)が、未来を変えるのです。

 

人が何か行動することにより、未来が変わる。

当たり前といえば当たり前なのですが、

宇賀神先生の霊視により、「既にある未来が見えていた」にもかかわらずそれでも「未来は変わりうる」

というのが、私は何だか嬉しいのです。

 

また、それと同時に、

「祈りには未来を変える力がある」

ということが、私にはとってもありがたいと思うのです。

 

運命ってあるのかないのか?

私にはそんな難しいことはよくわかりません。

ですが、どちらかと申しますと、私は「人には未来(運命)を変えうる力がある」と考える人間でいたいと思っています。

 

宇賀神先生が霊視でご覧になった未来でさえも変わって行くのですよ。

もちろんこれは、宇賀神先生の霊視が相当な確率で当たっている、と信じております私の立場での意見ですが。

「多少なりとも能力のある宇賀神先生がご覧になった未来でさえ変わる。見た時点により。」

そう思いますと、私は何だか希望が湧いてきます。

 

そして当の母ですが、結果としましては皮膚の変質はがんではございませんでした。

一度目の皮膚がんのときと同じように、長年シミのようであったものが黒く隆起し、かゆくなってきておりましたのに、がんではありませんでした。

 

まさに、宇賀神先生の予言通り。

 

しかもありがたいことに、

「良性ですが、取りましょう。」

と、病院のお医者様におっしゃっていただいて、簡単な外科手術で切除していただけました。

もちろん以前のがんの時の手術の重さとは、比べものにならないほどの軽さの手術(日帰りでの処置)でした。

これで母の

「がんでなかったらいいのに」という願いも、

「でもこれがいつまたがん化するのかという不安を抱えたままでいるのも怖い」という思いも、

両方解消されたのでした。

 

何だかできすぎた結末に少々笑ってしまいそうになりましたが(お母さん、笑ってごめん。)、何はともあれ「めでたしめでたし」なのでした。

やっぱり、映画も人生もハッピーエンドがいいですね!

 

合掌

NEXT – 視た時点で未来は変わる その1

皆さんは「NEXT―ネクスト」という映画をご存知でしょうか?

ニコラス・ケイジさん主演の、少し以前のハリウッド映画です。

その映画のなかでニコラス・ケイジさん演じる主役のクリス・ジョンソンは、2分先までの未来が「視え」ます。

未来が見えるだなんて何とも便利な能力だと思うのですが、それがたった2分先までだけ、という設定が面白いですね。

ほんの少し先の未来が見えることによってどんなストーリーが展開していくのかは、映画を見てのお楽しみとしまして。

 

その中で、未来を見る目を持つ主人公が面白いことを言っていました。

「未来というのは、見るたびに変わる。見た時点の未来だからだ。」

 

映画の中では単純に、主人公がある行動を取ろうとすると2分先の結果が見えて、それにより主人公は行動を変えていきます。

すると、また別バージョンの行動を取った先の、別の未来が見えてくるのです。

便利と言えば、便利でしょうか。

 

ところが宇賀神先生の場合も、少し似たようなことがよくあります。

先生の場合は霊視により、時に未来が見える(感じる)ことがございます。

ところが、ある出来事を見た時点によって、「見えてくる未来」が変わることがままあるのです。

 

実は先週、私は母の付き添いで、検査結果を聞きに大病院に行きました。

母は数年前に皮膚がんを患い切除手術を受けたのですが、そのすぐ近くのところに以前と同じような皮膚の変質がおきてきたのです。

以前に日焼け跡のしみががん化したときと同じような状態になりました。

不安になり、いつも行く近所の内科のお医者様に相談しますと、やはり診てもらった方がいいとのことでした。

前回のときもそのお医者様が「すぐに大きな病院で検査してもらったほうがいい」と、しみのがん化を発見してくださったのでした。

紹介状を書いてもらって、母は恐る恐る前回手術を受けた大病院に行くことにしました。

 

まずは大病院の生体検査に行く前に、私は宇賀神先生に、できることならうやむやのうちに皮膚がんを消すようお加持をしてほしいと頼みました。

先生は以前、母の2度目の肺がんを消してくれたことがあるからです。

ところが、先生から返ってきた返事は意外なものでした。

 

「それは、もし病院で切除してもらえるならそうした方がいい。

お母さんは前に皮膚がんも肺がんもあったからね。

その皮膚がんの場所も肺に近いところだし。

皮膚がんだって結構危ないんだよ。

皮膚なら外から取るだけだし、お加持だなんだって言ってぐずぐずしてがんの深度が増すよりも、早く取れるうちに取ったほうがいい。

その方が傷は浅いから。

だからわしは今回直接のお加持はしないよ。」

 

私は少なからずショックでした。

肺がんのときはPET検査で「99%の確率で肺がんです」とまで言われたのを消してくれたのに、しかも身内なのに、どうして、と。

なんだか見放されたような気になりました。

ですが、宇賀神先生は、

「お義母さんのためを思うからこそ、手術で早く簡単に取れるものは取ってしまった方がいい。」

と、断言なさいました。

 

私は本当に悲しかったのですが、これは宇賀神先生の長年のご経験と、普通の人にはない勘(いわゆる霊感や第6感)との両方で出された結論でしたので、納得するしかございませんでした。

普通に理性的?に考えますと、

「結果がどう出るか分からないにしろ、とりあえず手術をするにしろ、少しでも軽い手術で済むように直接お加持をしてみてくれてもいいじゃない。」

と思うところです。

ですが、時として宇賀神先生がご自身の霊感で感じられ決断なさったことは、理屈抜きにして結果的に正しかった、ということが多かったのです。

それを何度も横で目撃しておりました私は、納得するしかございませんでした。

と申しますのも、これがもし母(身内)のことでなければ、私も冷静に判断して「宇賀神先生の不思議な勘に従った方が結果的にうまくいく。」と素直に思うと感じたからです。

 

ただ、毎日のお勤め(お経を読むこと)のときに合わせてなさっている「遠隔のご祈願」では、いつも私の両親の健康をお願いしておりましたので、そちらの方は継続してくださっていました。

遠隔はしてもよくって、直接はしない方がいいとは。

私にもその違いはよく分からないのですが、宇賀神先生の中での微妙な感覚でそうご判断なさいました。

 

それで大きな病院に生体検査に行ったのが2週間前でした。

 

すると、2週間前のその検査日に、大病院で皮膚組織を取る際にお医者様が

「うーん、これはもしかたらがんじゃないかも知れませんねぇ。」

と言いだされました。

 

母は正直なところ、複雑な気持ちだったのではないでしょうか。

「もしもがんだったらまた手術を受けなくては」という不安と、

「もしかしたらがんではないかも知れない」という期待と、

「でも今回がんでないと診断されて手術をせずに済んでも、またいつがん化するかも知れないという不安を抱えたままになるのか」というジレンマと。

 

どちらにしましても、つらい話ですね。

 

ところが、家に帰り宇賀神先生に

「大病院のお医者様が『もしかしてがんじゃないかも知れません』って言わはってん。」

と伝えますと、

「あっ、わしも、それはもうがんじゃないと思う。」

と、急に言いだされました。

 

遠隔のご祈願を請け負っておりますと、そのご依頼者様の様子が分かることが多いそうなのです。

これも霊視とか霊感とかの類でしょうね。

先生は、遠隔のご祈願の際の手ごたえで、母の皮膚の変質は「もう、がんじゃないと思う」という風に、あっけらかんとおっしゃいました。

私からしましたら、

「えっ、1週間前とは180°言うことが違うやん。」

と、びっくりしたわけですが。

 

(その2につづく)

 

合掌

日々是平穏無事(ひび これ へいおん ぶじ)

「日々是平穏無事」

深江のお稲荷さんから教わった、宇賀神先生の大好きなお言葉です。

「何はなくとも毎日が平穏で無事ならば、それが一番でしょう。」

という意味だそうです。

 

今日は先日書きました「治に居て乱を忘れず」の補足をお話したいのですが。

 

その記事の中で、平和で穏やかな毎日を生きておりましても、「いざ」とか「万が一」の事態を忘れてはいけないよと、宇賀神先生がよくおっしゃられていると書きました。

ちょっと面白かったのは、私の周りから返ってきた反応では、

「災害に遭ったらどうする」ではなく、

「もしここで敵に襲われたらどう応戦する」と申しますような、それこそ「天下無敵」とは真逆のものが多かったのです。

 

「僕も昔、(武術の)現役だったころは、ここで襲われたらこう応戦して、とかよく考えてました。」

と、コメントくださる方もいらっしゃいました。

その方はあるマーシャルアートの分野で、一時はプロにまでなっておられました。

「うーん、さすが!」

と思いました。

 

もちろん、それも大切です。

防犯の意識も含めて。

ですが、私は正直なところ、最近はとくに防災の意識でもって「乱を忘れず」と申し上げたかったのです。

日本は地震大国ですからね。

 

宇賀神先生はよく旅の車中泊先でも、

「今もしここで地震がきたらどうするか」

というようなことをおっしゃいます。

「万が一のときに出口に近く、早く脱出できそうなところか」

「もし津波が発生しそうなら、どう行けば高台に逃げられるか」

「いや、そもそも海辺の低地はなるべく避けて」

など。

 

「そんなパニック映画みたいなことしょっちゅう起こらへんよ~。」

と時に申し上げたくなりますが、宇賀神先生は常に常に考えておられます。

こういう思考が当たり前のようなのです。

 

ちなみに宇賀神先生はサバイバル道具のようなものもお好きです。

 

たとえば一番簡単なものですと、宇賀神先生はいつも指一本ほどの小さなライト(懐中電灯)を携行しておられます。

地震が来たときの基本的な備えですね。

ひところは小型のナイフが一体化したマネークリップを持ち歩いておられましたが、いくら地震がきてもいきなり無人島のようなサバイバル状態にはならないから、と持つのをなるべくやめてもらいました。

そしてもちろん家には水や食料、カセットコンロなども最低限は欠かさないようにしております。

 

そう言えば、宇賀神先生のご相談者様で、ある市の消防団の団長さんをなさっている方は、いつも「さらし」を丸々一反(さらしでしたら12m程)お腹に巻いておられます。

お若い頃からなさっていた武道の習慣だそうですが、その方が

「旅先で火事にあっても、このさらしをロープ代わりにして逃げられます。」

と、おっしゃっていました。

もちろんお部屋に入る前に非常口は必ずチェックなさるそうです。

 

そのさらしをロープ代わりにして逃げるには、団長さんのように相応の訓練を積まないと、まず私のような素人には難しい話です。

ですが、その方は火事の場合を除いても、色々な場面での「いざ」というときに対応する手段として、さらしを常に巻いておられるそうです。

「怪我をしたときに血止めとしても使えます。」

と、なんともサバイバルなことまでおっしゃっていました。

 

その団長さんは阪神大震災のときも現地に入り災害活動に従事しておられたそうですので、そのような「ギリギリ限界の現場」を体験なさった方にとりましては、備えの意識はもはや当たり前なのかも知れませんね。

 

また、私の父はよく乗合船に乗って海釣りに行くのですが、若い頃はよく山登りをしておりました習慣のためか、必ず食べ物を一食分は余分に買って持っていきます。

(お父さん、水も余分に持っていってくれてるかな?)

非常食はいわば万が一のときの保険ですね。

保険は、ムダになった方がつまりは「災難に遭わずにすんだ」ということですので、ありがたいですね。

そして家に帰り、翌日に美味しく非常食をいただいております。

 

地震や津波だけでなく、はたまた忍者だけでなく?、色々な「万が一」のための備えはあるとは思いますが、過剰にならない程度に、皆さまもお考えになってみてください。

ちなみに、万が一私が忍者に襲われましても、できる防御といえば逃げることくらいでしょうか。

何を隠そう、実は逃げ足が一番速いのは、宇賀神先生なのですが。

逃げるが勝ち?(^-^;)

 

そして、

「絶対何があっても自分は生き残る、と思うことが大事だよ。」

「最後の最後の本当の武器は、自己保全本能(先生の造語?)だ。」

「自分の本能を信じられなくて、どうする。」

「世の中が大変なことになったらね、自分の本能だけが頼りなんだよ。」

とは、宇賀神先生の口ぐせでございます。

 

やはり一番最初で最後の備えは、「心」でしょうか。

「構え」とも申しますね。

以前、何かの折に不安を感じておりましたときに、私は佛様から一言だけ教えていただいたことがございます。

「真の武器は、ここ(ハート)にある。」

と。

 

 

合掌

「空と海」の海

先日は急に思い立ち、宇賀神先生と映画「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」を見てきました。

私はこの映画の原作、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」という小説が大好きなのです。

ただし、お大師さん(空海さま)の実像としてではなく、幻想的な雰囲気のSF小説として大好きでした。

この本と出会ったときは夢中になって読みましたが、逆に「読み終わるのがもったいないから読み進めたくない」という、なんとも矛盾した気持ちが湧きあがるくらい大好きだったことを覚えています。

映画そのものに関しましては、これまた原作とも内容がかなり変わってきており、唐の時代の風景のCG映像が良かったのと、主人公役の方のお顔がキュートでした♥とだけ申し上げておきましょう。

 

やはり、多分に史実に近く、「もしかしてその時代生きていらして、実際にお大師さんをご覧になったのでは!?」と申し上げたくなるような小説といえば、司馬遼太郎さんの「空海の風景」でしょうか。

その小説「空海の風景」の中で、お大師さんのお名前「空海」に関する、とても素晴らしい司馬さんの考察が書かれてありました。

 

まずはこちらの写真を見ていただきたいと思います。

これは去年の12月に、瀬戸内海に面した四国は香川県の五色台(ごしきだい)というところで撮影しました。

旅館のお部屋から撮影しましたので、ちょっと窓ガラスの反射とかが写ってしまっていますね。

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五色台から瀬戸内海の多島美

遠くにうっすらと見える大きな橋が瀬戸大橋です。

まさに「多島美」という言葉はこの景色のためにあるのでは、という美しさでした。

画像がぼやけずに見えるといいのですけれど。

 

ここは香川県、我らが弘法大師 空海さまのお生まれになった讃岐の国です。

五色台は実際にお生まれになった場所からは少し離れていますが、お大師さん(空海さま)は瀬戸内海に面したここ讃岐の国でこの世に生を受けられました。

幼い頃のお大師さんにとりましては、海と言えばこの穏やかな瀬戸内の海だったのではないでしょうか。

 

ところが司馬遼太郎さんは、お大師さんがご自身のお名前を「空海」、つまり空と海、と名づけられたけれど、多分にその「海」は瀬戸内海のような小さな海を見て名づけられたのではないのだ、とおっしゃっていました。

そうではなく、お大師さんの人間としてのスケールを考えたときに、高知など四国の中でも南の方から見える、その果てしない先には世界があるという、大きな大きな太平洋を見て「海」とつけられたのではないだろうか、と。

お大師さんがまだ若く、無名の私度僧(しどそう:律令制度のもと、官の許可なく勝手に僧となった人)でいらした頃、山野での厳しい修行に明け暮れ、四国じゅうの山に入られていました。

当然、高知からの太平洋もご覧になられたでしょうね。

 

たしかに、ずっと以前に四国八十八か所巡りをしていて、地球の形そのままに、まぁるく見える水平線の太平洋を見たときには、「きっとそうだ!」と思いました。

世界につながっている、黒く青い、果てしなく大きな海。

この先にはどんな景色が待っているのだろうと、まだ見ぬ世界への憧れを抱かせる大きな大きな海。

まさにお大師さんのスケールそのものでした。

 

・・・ですが私は去年、この光に溢れた多島美を見て、「いえいえ、もしかしたらその『海』は、太平洋でもあるけれど、それと同時に瀬戸内海の穏やかな明るい美しさも含まれているのでは?」とも思いました。

私が何度か感じたお大師さんは、大きさはそれこそ山のようだったり、空のように果てしなくていらっしゃいました。

たしかに司馬遼太郎さんのおっしゃるような、世界につながる大きさです。

ところがそれと同時に、限りなく優しい光を感じのです。

それは荒々しい波の外海に照りつける厳しい日差しではなく、瀬戸内海の春の波がたたえるような、とっても明るくて、ずっとそこに浸っていたいような優しい光でした。

 

五色台から眺める、光溢れる多島美の景色を見ておりますと、ふと、そのような思いに至りました。

 

1200年以上の長きにわたり、人々を魅了し続けるお大師さん。

実際に生きていらした頃は、どんな方だったのでしょうね。

私自身が四国で「お会いした」と感じたときのお大師さんは、すでに人間としての存在感ではなく、遥かに大きな「世界そのもの」でした。

 

ちょっと面白いのですが、高野山で「お会いした」お大師さんは、すごく別の感じでしたが・・・。

このお話もいずれ、また。

 

まあ、ですが、今日のお話はあくまでも私の感性の問題ですね。

真言門徒の端くれの端くれで、空海さまLOVE♥の、私個人の感性です。

四国八十八か所巡りをしてお大師さんに惚れ込んだため、高野山にまで(最短コースでしたが)上がってしまった、ワタクシ個人の感性です。

実際に四国八十八か所巡りをなさって、司馬遼太郎さんの小説を読まれた方は、もしかしたら「いやいや、やはり空海さまの『海』は太平洋でしょう!」とおっしゃるかも知れません。

同じ景色を見ましても人によって感じるものが違うように、大きな存在のお大師さんも、色々に感じられるのだと思います。

 

本当に、山のように空のように海のように大きな存在だったお大師さん。

大好きすぎて独り占めしたいのですが、日本一の富士山も独り占めできないですものね。

みんなでシェアするしかないのかぁ・・・チェッ(T-T)

 

合掌

治に居て乱を忘れず

宇賀神先生は、映画が大好きです。

歴史ものとかも大好きでいらっしゃいますが、実は、いわゆるパニック映画も大好きです。

最近はディザスター(大災害)ムービーとも言うのでしょうか?

地球規模の大災害が起きたり、人類が滅びてしまいそうなウイルスがまん延したり、エイリアンが襲ってきたりするような映画です。

一流映画から三流のパニック映画まで、楽しんでご覧になっています。

 

ただ、ちょっと変わっておりますのは、その映画を見ながら宇賀神先生は、

「どうやったらこの映画のストーリーの中で生き残れるか?」

を常に考えておられるのだそうです。

どこに逃げて、どんな風に立ち回ればその大災害の中で生き残れるのか、を常に考えながらパニック映画を楽しんでおられるのですって。

 

そして、「自分は何が起きても必ず最後まで生き残れる!」という、なんとも不思議な自信まで持っておられます。

私なんかは、エイリアンが襲ってきたら多分真っ先に死んでしまいそうですけど(^-^;)

 

そう言えば、小さい頃初めてテレビで見た「エイリアン2」は、子供心にめちゃくちゃ怖かったですねー。

シガニー・ウィーバーさんが演じられるリプリーという女性が、エイリアンの巣窟の奥深くに捕らえられてしまった小さい女の子を、たった一人で救出に向かうのですが。

恐ろしいエイリアンが数多くいる、その奥底へ。

あまりに怖く、その映画を見た後、当時小学生だった私は

「もしもお母さんがエイリアンに捕まっても、怖くて助けに行かれへんかも知れへん。」

と、泣いてしまいました。

すると母は笑いながら、

「お母さんはもしも綾野ちゃんがエイリアンに捕まったら、きっと助けに行くわ。

でも多分きっと途中でエイリアンに負けてしもうて綾野ちゃんのところまでたどり着かれへんわ。

そのときはごめんな。」

と、慰めてくれました。

30年以上たちましても忘れられない、母の絶妙なフォローでした。

 

ちょっと話が逸れましたね。

 

まあ、きっと宇賀神先生でしたら、そんなエイリアンの巣窟に入って行っても必ず生きて帰るという、まったく根拠のない自信をお持ちだと思います。

と申しますより、そもそもそんなエイリアンのいるところへ行かない運のよさを得るには、ということを考えられるのかも知れません。

とにかく、映画を見られるときも、惨事や災害のニュースを見られたときも、

「もし自分がその場にいたならば、どう立ち回ってその状況を切り抜けるか」

を常に考えられるそうです。

 

これを、

「治に居て乱を忘れず」(ちにいてらんをわすれず)

と、おっしゃっています。

 

どんなに平和な世の中に生きておりましても、「いざ」とか「万が一」のときのことを忘れないでいる、ということです。

 

たとえばちょっと笑える話ですが、宇賀神先生はひと頃はよく、

「歩くときは両手を空けておく。」

と、おっしゃっていました。

「どうして?」

と尋ねますと、

「忍者がいつ襲ってくるか分からないから。」

と、冗談半分、本気半分で?、答えておられました。

 

一体全体今の時代、どこに忍者がいるんだろうと思いながらも、

「ふーん。」

と、受け流すしかございませんでしたね(^-^;)

 

実際のところ、宇賀神先生は普段からあまり荷物を持たなくていいように、身軽でいることを心掛けていらっしゃいます。

ただ単に、重たい荷物が煩わしいだけかも知れませんが。

常に、色々なことに素早く対処できるように、身軽でいる。

昨日の「宇賀神先生のシンプルライフ」でご紹介した旅の荷物を、幼稚園掛けしたカバンにひとまとめになさり両手を空けておられたのも、そういう考えもあったからかも知れませんね。

今の時代さすがに忍者は襲ってはこないとは思いますが、身軽な自分でいるのは大事なことだと思います。

 

また、蛇足ですが、15年ほど前に宇賀神先生は片目を失くされたため段差が分かりづらく、そのため、ここ数年は片手にステッキをお持ちにはなっています。

しかもそのステッキも、なんと中に傘が内蔵されているという特殊なステッキです。

これで、いざというとき(突然の雨)にも対処できるという・・・。

(ここだけの話ですが、そのステッキ傘を差される先生は、まるでアニメ映画のトトロが傘を差している姿を彷彿とさせます♥)

 

そして普段は身軽に歩かれる宇賀神先生ですが、最近たまに私が重たい荷物を持っておりますと、「持とうか?」と代わりに持ってくれようとなさいます。

内心うれしく思いながらも、

「あれ、忍者が襲ってくるかも知れないから、両手を空けとくんじゃなかったの?」

と尋ねますと、

「最近はわしも年を取って、忍者も襲ってこない。」

って。

( ̄∇ ̄)

オモロイこと言うやん。

 

宇賀神先生は手荷物も身軽でいらっしゃいますが、心持ちも軽く飄々(ひょうひょう)と生きておられるようです。

そういう身軽さ、心軽さがあればこそ、「乱」が来たときも生き残っていけるのかも知れません。

心の中もミニマリストかぁ。

羨ましいかぎりです。

 

***オマケ。

totoro
トトロの傘

「このステッキ傘をブログで紹介するから、広げて持ってー。」

と頼んで撮った写真を見せますと、ご自身でも

「これじゃトトロの傘やー。」

と、笑っておられました。

テレパシーで、私が内心「トトロみたい♥」て思ってたのが伝わったのかしら?(^-^;)

 

合掌

宇賀神先生のシンプルライフ

最近はシンプルライフやミニマリズム(ミニマリスト)などという考え方が流行っておりますね。

かくいう私も、心密かに憧れております。

ただし、憧れと実情は別、とは、念を押させていただきたいのですが(T-T)

まだまだ「断捨離」も道なかば。

ワタクシは色々といらないものを抱えたまま生きております。

 

それにひきかえ、宇賀神先生の生き方は、いたってシンプルです。

先生が教えられている様々なことも、とてもシンプルです。

 

「氣」を使って人様を治す方法や、氣を導引する方法。

神様佛様に向き合う際の考え方(在り方)。

お加持の作法。

超能力開発?

考え方。

などなど。

 

実際に習ってしまえば、「ええっ、そんな単純な!?」というくらい、シンプルです。

それは宇賀神先生の考え方が、非常にシンプルなことが多いからでしょうか。

ですが、先生は、

「みんなの方が色々なことをフクザツに考えすぎるんだよー。」

と、おっしゃいます。

 

うーん、たしかに。

 

そして、長年に渡り宇賀神先生の教えを身近に受けておりますためか、私の頭の中も少しずつシンプルに馴染んできて、佛教や哲学もムツカシー話になりますと、頭に入ってきません。

えっ?

これは能力とか脳みそのキャパシティとかの、別問題でしたか?(^-^;)

ごめん・・・。

 

またちなみに、宇賀神先生は旅の荷物も超少なく、例えば去年たまたまお一人で一週間ほどの湯治をなさったときの旅の荷物は、

・日数分の薬

・下着のパンツ2枚

・肌着のシャツ1枚

・ハンカチ1枚

・無理やり持たせたポケットティッシュひとつ

だけでした。

 

「もっと用意がいるんじゃないの?」

と、びっくりする私に、

「パンツとハンカチは手で洗って乾かす。タオルは宿のを使う。湯治して宿にいるだけなんだから、宿の浴衣で一日中過ごすし、本当はシャツもいらないくらいだよ。」

と、平然としておられました。

シンプルライフやミニマリズムに憧れ、そういう方達の色々な本を何冊も読みましたが、究極のミニマリストはうちにいたよー、と、初めて知りました。

 

もともと宇賀神先生のお若い頃からの憧れが「ギターを持った渡り鳥」シリーズでしたので、身軽に旅できるのでしょうか。日本全国どこでもお家

心配性の私とは、正反対の荷物です。

「梵天丸もかくありたい」と、泣きそうになりました(T-T)

 

ですが、そんな旅の荷物やご自身の考え方とは裏腹に、宇賀神先生が読まれる本や、見られるテレビは雑多です。

たまには難しそうな本から、マンガ本まで。

テレビも歴史や宇宙などに関するすごく勉強になる番組から、料理番組から、めっちゃくだらない番組まで。

テレビ嫌いの私など、横からリモコンでプチっと消してしまいたくなるようなウルサイ番組も、しょっちゅう見ておられます。

 

そのためか、考え方はシンプルでも、頭の中の知識は雑多に、しかも膨大にあるようです。

高尚なものから低俗なものまで。

この雑多な知識と経験が、宇賀神先生の中から醸し出される複雑なオーラと申しますか、人間性を形成しているのでしょうね。

 

そうそう、初めに宇賀神先生の生き方はシンプルだと申し上げましたが、それは今の在り方が、という意味においてです。

今まで生きてこられた人生は波乱万丈そのもの。

複雑といえば複雑な人生です。

よくもまあ、そんな道筋をたどって今まで無事に生きてこれましたね、という人生でいらっしゃいました。

 

ただ、30歳の頃、氣の世界に入られて、お不動さんに出会われてからの宇賀神先生の在り方がシンプルなのです。信仰とは、惚れて惚れて惚れぬくこと。

宇賀神先生にとりまして大事なものは、

神様と佛様と、

氣と、

温泉と、

そして綾野ちゃん♥

(あっ、またドサクサに紛れてノロケましたヨ( ̄∇ ̄))

 

ああっ、それとお金も大事でしたか!?

小さい頃、お父様の事業が失敗してからずっと貧乏でいらっしゃいましたからねぇ。

Meijiのチョコレート

 

宇賀神先生は、透き通るように高尚な宗教者がおっしゃるような、「お金は大事ではありません」と申しますようなセリフは、決しておっしゃいません。

「お金は大事だよ。お金が汚いなんて思ってはいけない。軽んじてもいけないよ。」

と、常々おっしゃっています。

かと言って、もちろんウン百万円の壺を信者さんに買わせる、などということも一切なさいません。

地道に働いて、地道に稼ぎ、地道に生きるんだ、と、そういう姿勢を大事になさっています。

 

私は宇賀神先生が「お金は大事だよ」とおっしゃるのは、地に足のついた生き方をなさっているからだと解釈しています。

ふわふわとしたきれい事だけでなく、かといって我利我利(がりがり)亡者になり下がるわけでもなく。

当たり前のことを当たり前に、率直におっしゃる先生の在り方が、私は好きです。

 

また、ここで「地道に働いて」と宇賀神先生がおっしゃいますのは、「地道に神様佛様のエージェントとして働いて」ということです。

言うなれば神様と佛様と先生との三人四脚で生きていく、ということです。

それしか、先生の生きる道はございません。

たとえ先生が横道に逸れようとしましても、きっと両側からはさんでくださっている神様と佛様が

「そっちは違ーう!」

と、強制的に軌道修正してくださるのでは、と想像してしまいます( ̄∇ ̄)♥

 

まあ、ですが、どこへでもウロチョロと動き回ってしまう元祖「いらんことしぃ」の宇賀神先生は、そうでもしないとどこへ行かれるのか分からないのでしょう。旅に飲んで・・・

なんとも有り難い人生ですね?

 

宇賀神先生を見て思いますことは、在り方がシンプルですと、なぜか旅の荷物までシンプルになるようです。

だって、人生も「旅」ですものね?

何が必要で何がいらないのか。

見極める目が欲しいものです。

ああ、私の旅の荷物は、いつになったら軽くなるのでしょう(T-T)

ミニマリストへの憧れは、まだまだ続きます。

 

合掌