最近は、宇賀神先生のことを確かに感じられるときが増えてきたように思います。
確信といってもいい瞬間があるくらいです。
2年前のことを思いますと、こんなにも感じられるようになったのかと我ながら不思議でもあります。
実は、今日は、なんと私が久しぶりに他人様の治療(お加持)をしてしまいました。
その方は長く宇賀神先生の会員さん(お弟子さん)でいらしてくださった方でした。
今まで宇賀神先生が亡くなられた後は、患者さん達に治療のことを尋ねられましても私ではなく、他の宇賀神先生の会員さんにみていただくよう、おすすめしておりました。
私自身は悲しみに打ちひしがれており、とてもじゃないですが他人様のお身体の病気に対応する気力もなく、お会いする気力さえないくらいでした。
せいぜい、家族や身内の治療が精一杯でした。
ところが今日の方は、他の方をご紹介するとお伝えしましても、他の方でなく、「綾野さんに」お願いしたいとおっしゃられました。
しかも昨日(金曜日)にお電話いただいて、今日(土曜日)にお願いしたいと。
なんとその方は癌を患われ、近々手術のご予定とのことでした。
いきなり、治療の実績もほぼない私が、癌を患われている方の治療、ですか?
しかもお電話いただいた次の日に?
と、はじめは怖さが先立ちました。
そして次に、やはり今はまだ人に会いたくなくて引きこもっているくらいなのに、しかも人が我が家に訪ねてこられるなんて、と。
はじめは少し考えさせてくださいとお断りしました。
私自身が他人様のお身体のことに携われる状態ではありませんと現状をお話しし、せめて来週までお返事を待っていただけませんかとお伝えしました。
すると、その方がもしかしたら週明けの月曜日にはそのまま入院になってしまうかもしれない、スケジュールが分からないとおっしゃられました。
そんな急すぎるお話に、心が追いつかず、やはりお断りしてしまいました。
ですが、お電話を切った後、やはりどうしたものかと悩み・・・母に電話して相談しました。
すると母に、
「それで断ってそのまま入院しはったら、あんた自身が後悔するやろ。」
と言われました。
その通りかもと思い直し、すぐに私の方からお電話し、よろしければ明日お越しくださいとお伝えしました。
その方は喜ばれましたが、さあそこからが大変です。
世捨て人さながらの家になっておりましたのを、そこから片づけ、掃除をして、せめて他人様に入っていただけるよう(見えるところだけ)必死に取り繕いました(^-^;)
治療が大変なのか掃除が大変なのか。
我ながら。
かくして今日(土曜日)、その方が来られていざ治療させていただいたのですが。
それがもう不思議な感覚で。
あれは、私じゃなかった。
自分で治療しながら、これは私の力ではないと自分自身ではっきりと分かっていました。
特に癌の箇所の治療をしたときです。
今まで家族や身内の治療を何度もしましたが、こんな感覚にここまで強くとらわれたことはありませんでした。
もちろんどんな方法で治療するかなどは宇賀神先生から教わったことを思い出しながら自分で考えて行ったのですが、実際にしているときは、その治療を行っているのは、私自身であって私自身ではないようでした。
鳥肌すら立ちました。
顕教は、佛様「の」教えです。
それに対し、密教は、佛様「になる」教えです。
私が治療時に感じたその感覚が、もしかしたら私が私でありながら、同時に宇賀神先生でありお不動様であるような、そんな体験なのかも知れないと思えました。
言葉にするのも畏れ多いですが、これが密教でいうところの入我我入の境地なのかとさえ、思いました。
いえもちろん、そんな大それたことはできず、その触りの部分ですらあり得るのかどうかとは思いますが。
とにかく、私の力だけではないと、私自身が理解しておりました。
治療を受けられたその方も、
「宇賀神先生に治療してもらっているみたいでした。」
「胃を治療してもらっていたとき、その場所がすごく熱くなりました。」
と、治療後はとても身体が軽くなられたと喜んでくださいました。
そして、
「ものすごいお修行なさったんですね。」
とまでおっしゃってくださり、ありがたいやら恐縮するやらでした。
ただ、これで、今回たった一度治療させていただいたところでどこまでの効果をもたらすことができるのかは全く分かりません。
もしかしたら今日一日お身体が楽になられただけかも知れませんし、もしかしたら手術が少しでも軽く済むことになるのかも知れないですし、分かりません。
ですが、宇賀神先生がいらっしゃらない今、重い病気を宣告され、とても不安で、藁をもつかむ思いで私を頼られました。
もうこの際「私はワラです!」と覚悟を決め(^-^;)、心を尽くして、私にできることを精一杯させていただきました。
願わくば、神様佛様、宇賀神先生のお慈悲を賜りますことを心よりお祈り申し上げております。
宇賀神先生が佛様の国に旅立たれてから、2年と半年ほどたちました。
2年前は宇賀神先生が遠くに行ってしまわれたと、言葉では言い表せないくらい嘆いておりました。
もちろん、今でも、毎日のように寂しくて泣いております。
今でも、宇賀神先生のことを抱きしめて、声をあげて泣いているのです。
ただ、今日のようにふと、宇賀神先生が一緒にいるというよりは半ば重なるようにして私とともに存在してくれていると思える瞬間が増えました。
私が宇賀神先生を抱きしめているように、宇賀神先生も私を抱きしめてくださっているような。
あるいは、文字通り私の中に宇賀神先生が存在してくださり、宇賀神先生の中に私が存在しているような。
その瞬間は、とてつもない幸福感というべきか、安らぎというべきか、そんな大きな何かに包まれます。
最近の映画で見た印象的なセリフが、「さよならは別れじゃない」です。
あれは決して別れではない、自分自身に、そう泣き叫びながら日々言い聞かせております。
合掌