気配

つい先日、思いもかけない瞬間に宇賀神先生の気配を色濃く感じました。

眼科医院にいたときでした。

左目の瞼の内側にものもらいができてしまい、なかなか治らないので眼科に行ってきました。

受付けをしていただいていたとき、係の方が

「今日はご主人さんはいらっしゃらないんですか?いつも一緒にいらしてて。」

と尋ねてくださいました。

「それが、2年ほど前に亡くなりまして・・・。」

とお答えしますと、見覚えのある受付けの方は残念がってくださいました。

いまだに宇賀神先生に会いたくて毎日泣いている私です。

外でどなたかに宇賀神先生のことに触れられますと、どうしてもつらさがこみあげてきて。

待合い室のベンチに座りながら、ここへは宇賀神先生の付き添いでいつも一緒に来て、隣に座ってたな、と目に涙を浮かべているのを気づかれないようにしながら思い出しておりました。

すると、ふいに誰もいない隣に宇賀神先生があたかも座っておられるような気配を感じました。

「先生だ・・・!」

と思いました。

そのときの感覚は何とも不思議なものでした。

周りの世界が止まったかのような、あるいは、周りのすべての存在が消えてしまったかのような、と言えばいいでしょうか、そんな感覚におちいりました。

周りの世界から遮断されてしまった、という表現の方が近いかも知れません。

周囲の景色も見えているのに、私と宇賀神先生だけがその世界から遮断されてしまったかのような感覚でした。

周りの音も聞こえてはいるものの、どこか遠くから聞こえているようでした。

そして、隣にいる宇賀神先生の存在だけが色濃く感じられて。

嬉しかったなぁー・・・。

このまま時が止まって、このまま世界から切り離されて、二人でずっといられたらいいのにと思いました。

ますます涙がにじんできました。

もうすぐ受診だから泣いていると驚かれてしまうから、それは避けたいなと思っておりました。

なんでこんな時に色濃く存在を感じたのか。

家でひとりでいるときでしたら遠慮なく泣けていいのに。

ずっと宇賀神先生との世界に浸っていたいという思いと、受診するから涙をこらえないとという思いとがせめぎあっておりました。

なけなしの、霊感と呼べるほどの感覚も乏しい私ですが、それでも宇賀神先生の存在を強く感じたい、宇賀神先生の声を聞きたいといつも願っております。

こうして、たまに思い出したように配線がつながって宇賀神先生を感じられたときの喜びと言ったら。

今の私にとりまして、その喜びが生きる力を支えてくれているような気がいたします。

よく映画のセリフで愛する人に“You are my world.(君は僕の世界だよ。)”というシーンがあったりしますが、宇賀神先生が佛様の国に旅立たれた後、まさに私は世界を失ったのだと嘆いておりました。

ですが今は、現実世界にいらっしゃらなくてもやっぱり宇賀神先生は私の世界なのだと思っております。

失ってなどいない。

今も宇賀神先生が私の世界であることには変わりがないなのですから。

そう言い聞かせて、自分の寂しい心を慰めております。

また宇賀神先生の気配をたくさんたくさん感じられますように。

そんな日が増えますように。

ささやかな私の願いです。

合掌