あの手が懐かしい

風邪を引きました。

幸いコロナやインフルエンザではありませんでしたが、数年ぶりにしんどい風邪を引いてしまいました。

熱が出て喉が痛くて身体のふしぶしも痛く、寝苦しかった夜、やはり思い出すのは宇賀神先生の優しい手でした。

以前、よく患者さんからは

「宇賀神先生の手を家に持って帰りたい。」

と言われていました。

宇賀神先生の手から出る「氣」がとても気持ちよく、お身体につらいところを持っておられる方達は、なおさら宇賀神先生の手に癒しの力を感じられたのだと思います。

今回の風邪でつらかった夜、その患者さん達のお気持ちをいやというほど思い知りました。

元気なときでも、たとえば道を歩いているとき、いつもつないでいた宇賀神先生の手を感じられないかと、そっと右手で空中をつかんでみたりしています。

「こうやって手をつないで歩いてたよね。」

と小声で言いながら、手に触れる感覚がないかと、見えない手をつないでいるようにしてみます。

宇賀神先生が生きていらしたときには私が車を運転する際に、よく助手席の宇賀神先生と手をつないでいました。

今乗っている車はオートマチック車ですので、曲がり角や山道でないときは片手で運転していても大丈夫でした。

その前に乗っていたキャンピングカーはミッション車でしたのでしょっちゅうギアチェンジをしないといけなかったのですが、それでもふと手をつなぎたいなと思ったときは助手席に手を伸ばしていました。

しばらく手をつないでいて、やはり左手をギアに戻さないといけないときは宇賀神先生がそっと私の手をギアのところに戻し、ぽんぽんと2回くらい優しく撫でて手を放してくれました。

優しかった宇賀神先生の手。

風邪で寝苦しかった夜はことさらに、宇賀神先生の優しい手が思い出されました。

今でも車に乗っているとき、宇賀神先生の手を感じないかと助手席の方に手を伸ばし、見えない手を繋ごうとしています。

そしてハンドルに手を戻すとき、宇賀神先生がぽんぽんと優しく手の甲を撫でてくれるのではないかと、その感触を探しています。

いつかその感触を強く感じる瞬間が来るに違いないと、あきらめていません。

合掌