宇賀神先生は以前、勉強会で
「命日は佛様の国での誕生日なんだよ。」
と教えてくださいました。
ですので、本来はめでたい日なんだ、と?
今年の宇賀神先生のご命日には、有難いことにもとの会員さん達がそれぞれご自宅で宇賀神先生のためにお祈りくださったようです。
その日はたしかに、いつにも増して宇賀神先生のための献杯の思いが先生に強く届いたのでしょうか、なんだかうきうきと忙しそうにあちらの盃、こちらの盃に呼ばれては飲みに出かけられている宇賀神先生のご様子が心に届きました。
いや、こちらの世界ではみな宇賀神先生がいらっしゃらなくなったことを悲しんでいるのですよ、と言いたかったのですが、それでも伝わってくる宇賀神先生のご様子は、なんだか嬉しそう、でした。
どこまで行っても、幸せな宇賀神先生。
佛様の国に行ってまでも、幸せなのですねぇ。
よかったねぇ。
でもさ、金子みすゞさんの詩、「大漁」を素晴らしい感性だと私に教えてくださったのは宇賀神先生だったんですけどね。
朝焼け小焼けだ
大漁だ。
大羽鰯の
大漁だ。
濱は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何萬の
鰯のとむらひ
するだろう。
(金子みすゞ 「大漁」)
宇賀神先生は佛様の国でお誕生日のお祝いのお酒がいっぱい届いて嬉しかったんだろうけどさ、海のなかに残された私は悲しかったんだよ。
知ってた?
それに、家では可愛いお嫁ちゃん(自分で言っておきます)が毎日ちゃあんとお酒をお供えしてるのに、やっぱり楽しい飲み友達と飲むお酒は嬉しいかね?
まあ、いいや。
いいですよ。
宇賀神先生がうきうきと楽しそうでしたから。
いつも泣きながらお供えしてごめんね。
私の悲しい心よりは愛しく思う心が、お供えとともに届きますように。
合掌