橋渡し

宇賀神先生は加持祈祷を生業となさっていました。

この場合の加持祈祷とは、真言宗のお作法にのっとり「手に印を結び、口に真言を唱え、心中に佛を加持して」人々の(病気や災難を除くなどの)願いを叶える、ということです。

そしてその下支えともいうべき大事な要素として「氣」の力を重視しておられました。

加持祈祷が本当に効果があるのかどうかを考えるとき、「法力」という単語が頭をかすめる人もいらっしゃるのではないかなと思います。

つまり、ある決まった儀式儀礼をして佛様に祈るわけですが、それが本当に効果があって願いが叶うかどうかは、儀式儀礼をする人間の法力が強いかどうかにかかっているのではないか、と。

ある人が儀式を行ってもあまり効果ははっきりしないけれど、この人がすると何かが具現化することが多い、というような。

法力、もっと俗的な言葉を用いるのなら念力、というような力のことですね。

宇賀神先生ご自身は、その法力や念力というものに強くこだわられて、お若い頃はとくに「力の強さ」を願ってお修行なさっておられたようです。

私はその頃はお会いしていませんが、当時のお話しをお聞きしますと、法の力、念の力、氣の力を求め、身体を鍛えたり膨大な知識を得ようとしたり行法を修したり、弘法大師空海様も山野に入りお修行なさったように、何かこう、目には見えない力を追い求めておられたようです。

求道、というのですかね。

その頃の宇賀神先生を見てみたかった気がします。(その頃の私は多分、幼稚園児くらいの年齢でした。)

果たして求めたものにたどり着かれたのか、まだまだ道半ばと思われていたのか、とにかくやがてたくさんの人様からその力の恩恵にあずかろうと頼りにされて、宇賀神先生は多くのご依頼をいただくようになりました。

そしてなんのツテもなく仙台から大阪に出てこられ、5年もたたずに宗教法人を設立するまでになられて、当時のお力、勢いはさぞやのものだったのでしょうと、想像に難くありません。

そんな宇賀神先生は、やはりその風貌も独特の雰囲気というか、オーラというか、知らない人が宇賀神先生をご覧になられても、「あれ、この人は何かちょっと違うな」と感じ取られるものをお持ちでした。

別に宇賀神先生が尊大で偉そうな態度をとられるとかそういう訳ではないのですが、周りの人は自然と宇賀神先生のちょっと普通とは違うオーラを感じられることが多かったように思います。

そしてそれは同業他社である、加持祈祷を生業となさるお寺さんでもそうでした。

敢えて名前は言いませんが、どちらも優に1200年の歴史のあるとても有名なふたつのお寺さんに、ご縁あってお参りさせていただいたときのことです。

ひとつのお寺のご住職様と、もうひとつのお寺の次期住職様に

「私には特に法力などというものがある訳ではないのですが・・・」

と、同じようなセリフを言われて内心びっくりしたことがありました。

別にそんな深い話をしていたわけではないのです。

もちろん「ご自身に法力があると思われますか?」なんていう愚かな質問をしたわけでもありません。

当時私はご縁のあった神様や佛様のお守りをいただくのをとても楽しみにしていて、そんな際の軽い会話の中で、しかも何故か宇賀神先生にではなくお二人とも私に、ポロッとそんなことをおっしゃったのでした。

多分お二人とも宇賀神先生をご覧になり、何か同業者のような雰囲気と、しかも「法力があるのでは・・・」とまで直感なさったから、あんな風に私におっしゃったのかなと思いました。

私はとても歴史あるお寺さんなのに、と、お二人の謙虚さに心打たれました。

そしてお寺さんを後にしてから、宇賀神先生と二人になったときに尋ねました。

「さっきね、実は住職さんが私にこんなことを言わはって・・・」と。

「それで、やっぱり法力のある・無し、ってあるんかな?」と。

すると宇賀神先生は、

「さあ。でも佛さんへの橋渡しだから。」

とおっしゃいました。

ちょっとびっくりして、でもちょっと腑に落ちました。

びっくりしたのは、宇賀神先生はあれほど法なり念なり氣の力というものを追い求めてこられたはずなのに、先生の答えは法力のある無しはさほど重要ではないとでも言うような口ぶりだったからです。

そして腑に落ちたのは、そのどちらのお寺さんでも、私は佛様に出会えて涙し、このお寺さんの佛様は本当に素晴らしく、また、それはその佛様をお守りしている人達の真心が素晴らしいからだと感じていたからです。

橋渡し、か。

法力のある無しという尺度は置いといて?

と、宇賀神先生のお言葉を印象深く覚えています。

そして今、私自身も、そんな橋渡しに少しでもなれればと思ってお祈りすることがあります。

例えばご病気を患っておられた方で、今でも宇賀神先生のことを慕って心の頼りにしてくださる方がいらっしゃれば、そしてそんな方からご連絡いただくようなことがあれば、毎日のお勤めの際などに宇賀神先生にそっとお願いしています。

およそ法力などと呼べるものは私には無いけれど、もしかしたら宇賀神先生とご縁のあった方達と宇賀神先生への橋渡しなら少しはできるかもと思って。

最近はふたつの嬉しいご報告をいただきました。

お一人は受験の合格と、もうお一人は就職が叶ったことと。

「宇賀神先生と綾野さんのおかげです!」

なんて喜びのメッセージをいただいてしまって、もう、また泣いちゃいますよね。

そんな純粋な人たちの純粋なお心がこの橋(私)を渡って行って、宇賀神先生や神様佛様に届けばいいなと思っています。

いえ、もしかしたら私という橋を渡らなくても、純粋なお心は宇賀神先生や神様佛様に直接届きますよね。

きっと。

宇賀神先生、よかったねぇ。

今でも、宇賀神先生のことを頼りにしてくだる方達がいらっしゃるよ。

今でも、宇賀神先生のことを慕ってくださる方達がいらっしゃるよ。

今でも、宇賀神先生のためにお祈りしてくださる方達がいらっしゃるよ。

ありがたいねぇ。

合掌