今日お勤めをしていた時、部屋の中で自由に飛ばしていた小鳥(ぴーちゃんという名の飼っている鳥です)が、お経本を持つ手の上に乗ってきてくれて、くつろぎはじめました。
鳥を飼ったことのある方ならお分かりいただけると思いますが、羽毛をふくらまし気味にして、お腹をぺたんと下にくっつけて、温かくして寝るときのようなくつろぎの格好をしてくれました。
そして左手に掛けているお数珠の丸いふさをかじかじしたり、お経本の文字をつっついたり、リラックスしながら遊んでくれていました。
その時、宇賀神先生の
「あやのさんの“大幸せ(だいしあわせ)”の瞬間だね。」
という声が聞こえてきました。
また、涙が出てきました。
この言葉は、宇賀神先生が以前にも実際におっしゃってくださったものです。
以前にも同じように、私がお勤めをしているときにぴーちゃんが手の上に乗ってきてリラックスしていたのを見て、宇賀神先生がこうおっしゃいました。
この言葉が聞こえた瞬間、宇賀神先生の優しい心が私の中に流れ込んできました。
亡くなられた今も、こうして宇賀神先生の温かい思いが私の中に流れ込んでくる。
これを大幸せと言わずに、何と言いましょうか。
ただ同時に、果てしない寂しさをともなっていることは、どうしようもないことではありますが。
宇賀神先生はたくさんの優しい言葉、温かい言葉を残してくれました。
この9か月間、それらの言葉にどれほど心救われ、勇気づけられたことでしょう。
たくさんたくさん、優しくしてくれてありがとう。
宇賀神先生のお陰で、あやのは今でも幸せ者です。
さて、このぴーちゃん、こうしてブログを書いているときも時々手に乗ってきてくれます。
しかも右手に。
そうすると右手を動かせなくなりますので、私は必然的に左手だけでキーボードを打っています。
ちょっと、面倒ではあります。
でもやっぱり大幸せには代えられませんので、乗ってきてくれると嬉しいなぁと、今日も右手に小鳥の体温の温かさを感じながら、このブログを書いております。
合掌