「永訣の朝」
宮沢賢治さんの詩です。
ご存じでしょうか?
宮沢賢治さんの妹のとし子さんが亡くなられる日に書かれたそうですが、その深い深い愛情と、深い深い悲しみに、とても心打たれる詩です。
私はたしか中学校のときにでも習ったような気がしますが、大学1年生の時にあらためて合唱曲という形でこの詩に再会しました。
ちょうどその少し前に、両親とともに私を育ててくれた祖母が亡くなりましたので、聴いていて涙が出てきたのを覚えています。
昨日ネットで「永訣の朝 混声合唱曲」で検索しますと、パナソニック合唱団さんのYOUTUBE(ユーチューブ動画)が出てきました。
荘厳な曲で、とても美しい演奏でしたので、ぜひお聞きになってみてください。
この詩の岩手言葉がなじみの無いところもあるかも知れませんので、ぜひ原文の詩もあわせてご覧になりながらお聞きいただければと思います。
やはり、現代語訳ではなく原文がいいと思います。
より一層、心にしみてきます。
(「永訣の朝 原文」で検索しても詩の中で「天上のアイスクリーム」などと書かれたものが出てくるのですが、それは私の知る原文ではありません。今は本でもそのように改定されてしまったのでしょうか?もっと、古い言葉で書かれているものが私の知る原文です。下記のマイナビニュースさんのサイトに紹介されているものが、私の知る原文だと思います。リンクを貼りつけさせていただきます。
「永訣の朝」(宮沢賢治)の全文と現代語訳・意味を紹介! 詩の背景も解説 | マイナビニュース (mynavi.jp))
この詩のなかで、妹のとし子さんが苦しい息の下から、兄の賢治さんにひと椀の雪を取ってきてほしいと頼みます。
その、真っ白な雪を彼は取りにいくのですが、その情景は原文の詩をご覧になっていただくとして。
詩の最後の部分が、今の私の心により一層突き刺さります。。
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率の天の食に変つて
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
兜率(とそつ)あるいは兜率天とは、次の佛陀となられる弥勒菩薩様がお修行なさっておられる世界と言われています。
佛様の世界で、自分の取ってきたこの雪が天の食(じき)に変わって、とし子さんやみんなに聖い資糧(とうといしりょう)をもたらすように、と。
こんなにも深い愛情と、深い悲しみと、悲痛なほどの願いを、こんなにも美しい言葉の結晶に昇華するなんて。
愛する人を失う悲しみは誰しも、今も昔も、その深さたるや。
そして亡くなった後でさえ、その人の幸せを願う気持ちも。
「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」
私は、自分の悲しみは真には誰にも分からないだろうと、固く心を閉ざしていると自分でも思います。
なのに、誰にも分からないだろうと言いながら、人は誰かと共感することによって慰められることも知っています。
愛する人を失うという自分に似た境遇の、彼の身を切られるような慟哭をうたった詩に触れることで、心のどこかが救われるような気がします。
合掌