涙で読めないお経

正直に告白します。

今日は、お勤め(読経)できませんでした。

毎日お勤めしていますといいながら、今日はできませんでした。

てへ。

とでもごまかしておきましょうか。

いやいや、それはあかんやろー、と自分でもいいながら。

今日はですね、いざお勤めをしようとお佛壇の前に座ってお供えとお経本と塗香を用意して、ロウソクを灯してお線香をたいて、護身法も組んだのに、そこで泣いちゃったのです。

あーあ、泣いてしもうた。

まだ読み始めてもないのに。

そう思ってしばらく落ち着くのを待って、たぶん・・・15分後くらいでしょうか?

もう一度お経本を手に取ると。

また途端に涙が溢れてきました。

そんなことを何度か繰り返して、時計を見ると1時間ほど過ぎてしまってました。

もう、今日は読めないな。

そう思って、せめて光明真言をと思い唱えはじめましたが、これもまたまともに声が出ず、唱えられませんでした。

もう仕方がないから、心の中だけでせめて7回、お唱えしました。

もちろん意図的にさぼる、もとい、休むときもありますが、お経を読もうとしてもはじめから涙で読めない時や、途中で泣いてしまって挫折してしまう時も多々あります。

宇賀神先生が阿字のふるさとに帰られて明日で9か月ですが、今でもやっぱり。

本来なら情けない限りと悔やむべきことかもしれませんが、宇賀神先生には特別に許してもらっています。

というのも、

「涙で読めないお経が一番いいって言われてる。」

と教えてくださったのは、他でもない、宇賀神先生でしたので。

たぶん松原泰道さんのご著書で読んだのだと、宇賀神先生はおっしゃってました。

お孫さんでしょうか、大切なお身内を亡くされて、読経なさろうとしても涙で読めなかったそうです。

「松原泰道さんほどの人でも、涙でお経が読めなかったそうだ。でも、涙で読めないお経が一番心がこもってる、って。」

と宇賀神先生は教えてくださいました。

そしてそれを教わった私が、この9か月涙でお経が読めないことが多く、今日もまた、そんな日でした。

途中で泣いちゃっても、しばらくして再開できる日もあります。

でも、とうとう、最後まで読めないとあきらめてしまう日もあります。

涙と鼻水でティッシュの減りが早い早い。

ただ、そんなお勤めができなかった日でも、今まで宇賀神先生にご祈願を頼まれていた方で大変なご病気でいらっしゃる方や、宇賀神先生のために涙を流してくださった方、私のことまで心配してくださった方、今でも宇賀神先生のことを慕ってくださる方のことを、宇賀神先生、神様、佛様にお願いしています。

どうかどうか、お見守りください、と。

これはもしかすると他でもない、宇賀神先生の供養にもなるかと思い、しています。

明日はまた気を取り直して、お勤めしたいと思います。

やっぱり、せっかく大好きな宇賀神先生に習ったことですから。

宇賀神先生のために私ができる、数少ないことのうちのひとつです。

また、明日ね。

合掌