子供の言うこと

このお正月は、弟家族の都合で3人の姪と甥が実家に2~3日泊まることとなり、私も手伝いと称して喜び勇んで一緒に泊まりました。

大好きな姪っ子と甥っ子が3人そろってお泊りに来てくれるのですから、寂しくなく、思わぬにぎやかなお正月となり、とても嬉しかったです。

その3人姉弟の一番下の子、Mちゃんは、以前にこのブログでお絵描きを紹介した子です。

小学校5年生になりました。

そのMちゃんとお正月に話していたとき、ふいにMちゃんが

「なぁなぁ、あやのちゃん。あやのちゃんは何歳まで生きたいー?」

と聞いてきました。

子供には死というものに対する漠然とした恐怖心があるのか、たまにこんなことを尋ねるときがありますね。

「せやなぁ、何歳までかは分からへんけど、あんまり長生きしたくもないなぁ。」

と答えました。

「なんで?」

と、Mちゃん。

「だって、宇賀神先生もおらへんし、長生きしても寂しいだけやん。」

と、正直な気持ちを伝えました。

するとMちゃんが、

「でもこうやってたら一緒におるからいいやんか。」

と言いました。

そのときMちゃんは、いつも私がご飯を食べる前に宇賀神先生はじめ神様や佛様たちにお供えをしているお作法のマネをしました。

Mちゃんにとって真言宗のお作法(印とご真言)は面白い?らしく、私がしていたらニヤニヤしながら見て、覚えてマネしようとするのです。

ですので最近は、Mちゃんの前では大っぴらにしないようにしています。

お作法は遊びではありませんし、まったく真言宗に関係のないMちゃんが見よう見まねで覚えるのもよくないなと思いますので。

まだちゃんと覚えてはいないようなので、よかったなと思っています。

宇賀神先生からは

「越法罪」(おっぽうざい)

という言葉を教わりました。

真言宗はやはり密教、秘密の教えですから、「教わる資格のない相手に、教えるのは罪である」とされています。

ですので例え大好きな姪っ子であっても、マネして覚えられてしまうのもよくないと思って、最近はMちゃんの前では大っぴらにしていませんでした。

Mちゃんが見ていない隙にこっそりしたり、もう合掌だけでお供えしたりしてました。

なのに、私がいつもお供えすることをちゃんと覚えていて、しかもそれをすると宇賀神先生が一緒にいるから大丈夫だと言うのです。

何をどう感じているのか、いないのか。

佛教も、お作法も、なぁんにも知らないくせに。

(いえ、すみません、私もなんにも分かっていません。)

子供は不思議な感覚を持ちあわせているなぁと思いました。

「でも、そっかぁ、Mちゃんから見たら、こうして私が宇賀神先生ことを思いながらお供えしてたら、亡くなっても一緒にいることになってるのかぁ。」

と、とても嬉しく、小さなMちゃんに慰められた思いでした。

素直な子供の感性でそう感じてくれたのなら、真実に違いないと思いました。

合掌