ミディアム

ミディアム?ミディアムシップって、何のこと?お肉の焼き加減ですか?

と思ったのは、数か月前にこの言葉を(お肉の焼き加減ではない意味で)初めて聞いたときでした。

近頃のスピリチュアル界では、いわゆる「霊媒師」という意味で使われているようです。

知らんかったー。

霊媒師という単語にくらべて、いいですね、日本人の性質か、お流行りのカタカナ語にするとなんとなく良い印象を受けるのでしょうか。

ただひとつ昔の霊媒師さんの印象と違うところは、「誰それの恨みや後悔の念であなたの因縁がどうのこうの」というような、脅し的な要素が少ないということでしょうか。

(もちろんすべての霊媒師さんが脅されていたわけではありません。)

どちらかというと、「亡くなった愛する人が、愛に溢れた世界からあなたのことを見守っています」というような愛のメッセージを伝える、という感じのものが多いかなと思いました。

そう、最近流行のミディアムシップは、

「愛する人は亡くなってもあなたのそばにいて、あなたのことを見守っています。」

「あなたを愛で包んでいます。」

「あなたの幸せを願っています。」

「死んでからの世界は、愛に溢れたものです。」

というような、愛、幸せ、心の平穏、が根底に流れている世界のものが多いようです。

これまでのような(昭和の時代に多く見たような?)

「先祖の因縁があるからお墓を買いなさい。」

「この因縁を晴らして幸せになるために高額な仏像を買いなさい。」

「あなたの前世の業が今の困難を招いているのだから、お祓いを受けなさい。」

というおどろおどろしいものとは違うものが多いようです。

その点はいいのかな、と思います。

実際その通り(死後の世界は愛に溢れた世界)だと、私自身もそう思っていますし。

ただ。

耳に心地よい言葉を並べて、それで悲しみに打ちひしがれている人の心を慰めているだけなのでは?と思ってしまうようなものも無きにしも非ず、と感じてしまうのは、ひねくれているでしょうか。

当たり障りのない内容を、誰にでも当てはまるような内容を、それを優しい聞き心地のよい言葉で糖衣のようにくるんで悲しみにくれている人を慰めて商売にしているだけかな、と感じるものもありました。

もちろん本当にミディアムとして他の人より細やかな感覚をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、それほどでもないのに糖衣にくるまれた言葉を話しているだけの人もいるかなぁ、と感じてしまったのは、まさに愛する人を失って、その人の声を聞きたいと泣きながら願っていた私が感じたことでした。

私が得たいものは、そんな優しいウソにくるまれた商売上の話じゃないのです。

たしかに、私が感じる亡くなった後の世界は、愛や幸せや穏やかさに溢れたものでした。

本当に、不思議なくらい光で溢れたような世界なのです。

これは噓偽りのない私の感覚です。

ただ、そんな風な「光溢れたあの世」を描いている人の発言でも、あぁ、この人の話は心に響くなぁと思うもの、でもこの人の話はただの上っ面の言葉かなぁと思うもの、両方ありました。

それはもちろんほとんどの方がお仕事ですもの、玉石混交、いろんな方がいらっしゃいます。

少なくとも、宇賀神先生という本物の霊能者を間近で見ていた私は、石の方にはなびきたくないなと思いました。

宇賀神先生は、とても骨太と言うのでしょうか、地に足がついているというのでしょうか、先生の霊能力は何というか、うわついたものではありませんでした。

糖衣にくるまれたような優しい嘘でもありませんでした。

もちろんおどろおどろしいものでもありませんでした。

力強かったなぁ。

温かくて、大きくて、力強い、ほんとうの優しさ。

どう、表現すればいいのか分かりませんが。

とにかく、違いました。

多分、宇賀神先生に実際にお会いになった方ならこの感覚を共有していただけるかもしれません。

しかも、あんなに神様や佛様とお話しもなさっていて、ときには亡くなった方ともお話しなさっていたのに、それ(霊媒的なこと)に自分がどうすべきかの判断を安易に委ねたり、霊媒的に聞いたことで人にこうするべきとアドバイスしたり(人を動かそうとしたり)、決してなさいませんでした。

神のお告げ、亡くなった人のお告げ、で人を動かそうとは決してなさらなかったのです。

どうしても、亡くなった愛する家族が自分に何を言っているか知りたい、と涙とともに本気で願われた方に、宇賀神先生がお聞きになったことをお話ししておられるのを、一度だけ見ました。

そういえば、別件では、「これは亡くなった人に聞いたけど、そのご家族には絶対言っちゃだめだよ。傷つくから。」と言われたこともありました。

生きている人同士のコミュニケーションも難しいですが、亡くなった人を交えたコミュニケーションも難しいところがあるようです。

言っていいこと、言っちゃいけないこと、色々。

あやのには、難しすぎて嫌になるときが、ときどきあります。

宇賀神先生はその点、色々と上手でいらっしゃいました。

宇賀神先生はよく勉強会で

「霊に関わってはいけない。マイナスの存在だから。霊に関わっても生きている人間のプラスの氣を吸い取られるだけで、何もいいことないからね。除霊とか色々やって、面白がって霊に関わってる人間の顔を見てみな。ろくな人相にならないよ。」

とおっしゃっていました。

だから私も今までそんな霊媒師さんとか、世の中の宇賀神先生以外の霊能者さんとか、まったく興味ありませんでした。

あ、すみません、今も興味ありません。

今も昔もずっと興味があるのは、宇賀神先生だけです。

要は、宇賀神先生以外、誰も、どんな霊能者も、信用する気がないんでしょうね、私が。

いまだに悲しみでいっぱいの私の心は固く閉ざされていて、どの霊媒師・ミディアムの言葉も信用できないのでしょう。

我ながら寂しい人間だとは思いますが、宇賀神先生がいらっしゃるから寂しくありません。(と強がっておく。)

そして今は、ひたすら自分で宇賀神先生の言葉を聞けるように、宇賀神先生の姿を見られるように、宇賀神先生の心を感じられるようになろうとしています。

誰も信用できないから、自分の霊感を磨くことにしました。

宇賀神先生に関してだけ。

その一心に願う思いのためか、少しずつ、少しずつ、宇賀神先生とつながっているように思えてきました。

先生は霊には関わらないようにとおっしゃいましたが、

「わしは例外だから。特別待遇だから。」

と笑って許してくださると思っています。

というより、

「わしがこんなに話しかけてるのに、あやのさんは鈍くてなかなか理解してくれないんだよ。あんなに教えたはずなのに。」

と思っておられるようです。

もっともっと明確に、宇賀神先生の言葉が聞こえますように。

もっともっと明確に、宇賀神先生の姿が見られますように。

もっともっと明確に、宇賀神先生の存在を感じられますように。

宇賀神先生に関してだけでいいので、最高のミディアムになれますように。

(他は怖いからあんまり見たくないです。)

合掌