プロセス(過程)と結果

昨日はまた、ブログランキングの設定方法が分からず頭を悩ませ、少なくとも5時間はパソコンの前で唸っておりました。

いやもう、アナログを通り越してレトロなワタクシがこのような最新型「こんぴゅーたー」を使ってブログを書き、しかもランキングに参加して世の中の流れに遅ればせならがついて行こうと思うこと自体、そもそものマチガイだったのでは、と何度悔やまれたことでしょう。

しかも夜寝た後の夢の中までパソコンを触っていて、「やった!わかった!できたー!!」と喜んだら目が覚めました。

朝喜びながら起きてそれが夢だと分かり、夢の中でまで悩んでいた自分に笑ってしまいました。

ところが同時に、不思議なことに、昨日分からなかったことが一晩寝たら多分理解できたのでは?という状態になっておりましたから、人間の頭は面白いですねぇ。

と申しますより、あまりにもトロくて宇賀神先生のつけたニックネームが「トロ子」のワタクシの理解のスピードも含めましてレ「トロ」なのでしょう。

一晩たって、ようやく理解できました。(多分理解してる・・・ハズ。)

ところで、数日前の記事で、私はたくさん幸せを感じます、ということをしきりに書きました。

宇賀神先生といつもの日常を過ごせるだけで幸せです、と。

ですが、もしもそれをご覧になり、宇賀神先生と私がいっつも毎日まいにち超♥甘々の仲良し生活をしていると思われましたら、トンデモナイ誤解ですよ!

よく、犬も食わねぇなんとやらもいたします。

はいはい、うちの母もあきれるくらい、よくケンカしております。

例えば先日も、宇賀神先生がご相談者さまのご予約の日にちを間違って予約表に書いておられました。

その日は月曜日でしたが、ひと仕事の後もうどなたもいらっしゃらないと思って午後に宇賀神先生と二人してスーパーに買い物に出かけたのですが、帰ってまいりますと家の玄関の前に水曜日にいらっしゃるはずのK様が待っておられるではないですか!

「あれ、すみません!ご予約は明後日では・・・?」

とお尋ねしますと、

「いえ、今日の日にお願いしていました。」

「申し訳ありませんーーー!」

ということがありました。

そのお仕事の後、K様に

「申し訳ありませんでした。宇賀神先生は日にちと時間を本当に間違えることが多くて、今回も明後日のところにK様のご予約が書かれていて・・・。」

と、しきりに謝り、宇賀神先生には

「前より日にちとか頭に入らなくなってきたよなぁ、認知症進んだんかなぁ!今度からご本人さんに予約表に記入していただいた方が間違いがないんかなぁ。」

などと言っておりました。

ですが、私はK様の手前もございますから、とても控えめに先生に訴えていたつもりでした。

その翌々日、K様の奥様のご予約があり、奥様がお見えになりました。

K様の奥様に、

「先日のご主人さんのご予約のことでは大変失礼しました。寒い中お待たせしてしまって・・・。」

と申し上げますと、

「いえいえ、いいんですよ。そういう主人も、鍵を忘れたり、色々ありますから。」

と優しく笑って許してくださいました。

ですがさらに、

「主人が『宇賀神先生はエライ奥さんにきつぅに言われたはったで。』って言ってて。」

と、うふふ♥と笑いながらおっしゃるではありませんか。

えっ・・・「きつぅ」って、(大阪弁で「きつく」ということなのですが)私、めっちゃ控えめに言ったつもりなんやけど・・・( ̄∇ ̄;)

などということがあり。

K様ご夫婦はとても仲が良く、またお二人ともとても穏やかなお人柄でいらっしゃいます。

綾野ちゃんはちょっと、キツイ(T-T)のかなぁ。

そういえばうちの父にも以前言われたことがありました。

「綾野ちゃんは宇賀神家の“ジャイアン”ですから、言動は抑えて、抑えて。」と。

私がジャイアン・・・そしたら宇賀神先生が、のび太くん(T-T)

目に見えるようでしょうか、その構図が。

トホホ。

というように、宇賀神先生と私の日常は決して甘々♥スウィート♥なものではありませんよ!

はっきり申し上げて鬼嫁とヒゲの生えた幼稚園児(と宇賀神先生を形容するあたり♠)との漫才の毎日、ケンカなんてしょっちゅうです。

ですが、そのケンカの日々も含めまして幸せだ、と思います。

もちろんケンカの最中はそんなこと考えもしません(^-^;)

ただ、キラキラ輝いた毎日ばかりが続けばそれはそれで最高でしょうが、そうでない日もあるのも人生ですもの。

笑う日もあれば、泣く日も腹が立つ日もございます。

宇賀神先生大好き♥と思う日もあれば、大っ嫌い!!とケンカするときも多々ございます。

私の好きな歌で「人生は潮の満ち引き」という歌詞の歌がございますが、人生の潮の満ちたときも引いているときでさえも、後から振り返れば本当は幸せだったと思えれば、それは最強ではないでしょうか。

不運に見舞われているように思える引き潮のときも、それに必死であらがったり、あるいは頭を低くして嵐が通り過ぎるのをじっと耐えて待っていたり、何かしらのその人なりの人生のドラマがあったはずですから。

その人生のドラマを、その時はつらくて大変でも、ふと何かの拍子に思い返したときに愛おしむような視点を持ちたいと、いつも思います。

その愛おしむ目線はまるで、親が子を見つめるように、あるいは、神さまや佛さまが子供である人間をご覧になるかのように。

そしてできましたら、その振り返るときが、それが起きている最中に近い時であればあるほど幸せを感じられる時間が増えるのかなぁ、と、脳内お花畑のワタクシはいつも思います。

多分ビジネスの世界とか、過程(プロセス)よりも結果(あるいは成果)を出すことが厳しく求められる世界はあると思います。

ですが人生そのものにおきましては、結果(成果)は、イコール、過程と思ってもいいのではないでしょうか。

だって、人生の結果って、何のことで、いつ分かるのでしょう?

いつ、これが結果です、といえば納得できるのでしょうか?

出世したとき?たくさんのお金を得たとき?自分の子供が社会人になれたとき?それとも自分自身が死ぬときにやっと合否を決める?

そのときまで待たなければいけないの?

死ぬときはもしかしてもう認知症になっちゃってて、分からないかも?

でしたら、もう今この瞬間こうして生きていること(過程、プロセスそのもの)がすでに成果であるかのように享受する思いでいたいと、いつも思います。

キラキラした甘々の日だけでなく、引き潮の日もまた、人生の成果であると愛おしく思いたいと、いつも思います。

で、それで、結局なにが言いたいのかと申しますと、私が貴重な休日に、ブログの設定でパソコン相手に5時間以上!!!四苦八苦しているこの状況でさえ、幸せだー!と泣いてやるぅぅ(ToT)(ToT)(ToT)ということなのです。

慣れないことで苦労してるプロセス(過程)でさえ、大事な私の人生の一部ですもの。

夢の中でまで格闘していた私を褒めてあげたいと思います。(だれも褒めてくれへんから。)

人生のプロセス(過程)がすでに結果である、ととらえれば、何でも楽しく幸せに見ないと損する気がして、欲張りの綾野ちゃんは今日も楽しく生きようとするのでした。(やはり脳内お花畑)

ところがさらに上手が・・・。

このブログを公開前に宇賀神先生に最終チェックしていただきましたら、先生が

「今日という日は、わしが楽しむためにある!」

「わしは毎日幸せ♥ハッピーライフv(^-^)v」

ですって。

のび太くんのくせに幸せって、やっぱり宇賀神先生が最強でした( ̄∇ ̄)♥

合掌