「運がいい」を数えるだけで、運が良くなる話

これは私の憧れであるギャンブル運!までもが強くなるコツのお話です♥

宇賀神先生のお父様のお友達のことなのですが。

そうですね、昭和30年代の頃の記憶になります。

その方は先生のかすかな記憶によりますと、鈴木さんとおっしゃられました。

先生のお父様がパチンコ屋さんをなさっていたことから、鈴木さんと知り合われました。

(こちらの記事で当時のことを少しご紹介しております。→「Meijiのチョコレート」)

鈴木さんはパチンコのプロ、つまり、パチンコで生計を立てて暮らしておられる方でした。

宇賀神先生のお父様がパチンコ屋さんをやめられた後もお友達づきあいが続いて、お父様は鈴木さんから「パチンコでの勝ち方」を色々教わられたそうです。

パチンコの台の選び方から玉の打ち方(その時代は手でレバーを弾いて一粒ずつパチンコ玉を打つ方式でした)まで、パチンコひとつにとりましてもすごい「技術」が必要なようで、鈴木さんは「お友達の宇賀神さんだから」と、色々と詳しく教えてくださったそうです。

ですが最後に、「パチンコはね、技術も大事だがそれは半分でね、後の半分は運も必要なんだ。」とおっしゃったそうです。

ではどうすればパチンコで勝てるようなギャンブル運が強くなるのでしょうか?

その鈴木さんはギャンブル運の付け方までお父様に教えてくださったのですって。

宇賀神先生が生まれられたのは戦後5年もたっていない頃です。

お父様のお友達である鈴木さんも、第2次世界大戦の際は兵士として南方へ派遣されていました。

パプアニューギニアです。

パプアニューギニアと言えば激戦地中の激戦地、送られた兵士達は相手国の人達だけでなく飢えとも戦わなければならないような状況で、生きて帰ることは絶望的とも言える過酷な戦地でした。

鈴木さんは運悪くそこへ送られました。

そしてさらに運の悪いことに、パプアニューギニアでの戦闘中に肺結核を患われました。

しかも病状は重くなり、肺の一部を切除しなければならないほどの状態となられたそうです。

もちろんと申しますべきか、そのような大変な手術は現地では難しかったのでしょう、鈴木さんは日本に送り返されることになりました。

そして日本で片肺のほとんどと、肋骨や大胸筋までも切除するような大手術を受け、何とか命をとりとめ、そのまま日本で終戦を迎えられました。

肺の手術により一命をとりとめたものの、敗戦後の日本は鈴木さんにとりましては生きるのに過酷な時代でした。

鈴木さんだけではありません、日本中の人にとりまして、過酷な時代でしたね。

普通の人でも大変な時代ですのに、彼には片肺がほぼありません。

呼吸が苦しいのです。

普通の人のように動いただけでも、息が切れます。

そしてたびたび熱を出しては、せっかく見つけた仕事も休まないといけない状態でした。

上役の人からは「給料どろぼう」とまでののしられたそうです。

「何で俺だけこんな目に。」

息苦しい身体を抱えて、彼は運命を恨むような心持ちでした。

パプアニューギニアという激戦地に送られ、結核を患いそのため片肺のほとんどを切除し、呼吸は苦しく胸は痛く、体調も崩してばかり、せっかく見つけた働き口でも休みがちのため「給料どろぼう」とののしられ。

鈴木さんは彼自身の不運さを呪いながら生きながらえておられました。

ところがある日、鈴木さんはどなたかに言われたそうです。

「あんたはね、運の悪さを数えているが、違うよ。運が良かったところを数えてみな。」

と。

その人いわく。

鈴木さんは戦時中、パプアニューギニアに送られました。

パプアニューギニアは、「玉砕」を命じられた激戦地です。

玉砕とは、送られた兵士達は「自ら死んで一秒でもアメリカ軍の進行を食い止めろ」と命令されたのです。

たった一秒でも遅らせるために死ねとは、今の平和な時代に生きる私たちから見れば「そんなバカな」と到底受け入れられないような命令を、南方に送られた兵士達は否応もなく命じられたのです。

ですが鈴木さんは、「幸か不幸か」、結核を病み、パプアニューギニアから送り返されました。

しかも当時、南方への航路では日本の船はよく攻撃されては沈められていたそうです。

幸いにも彼の乗った船は、無事に日本に帰り着きました。

また、宇賀神先生いわく、送り返された港は呉だったのでは、とおっしゃいました。

広島の呉に海軍の港があったそうで、南方から帰国した船は呉についたはずだ、と。

もし彼がそのまま広島の病院にとどまり、そこで肺の切除手術を受けておられたのでしたら、そうですね、もしかしたら原爆に巻き込まれていたかもしれません。

ですが彼は別の場所で手術を受けられ、無事に終戦を迎えられました。

当時、結核という病気は今よりもコントロールされておらず、命に関わる恐ろしい病気でした。

他の人に伝染させないよう、終戦後もしばらくは世間様からの隔離生活を余儀なくされた彼は、隔離病棟(療養所?)にいたおかげでかえって終戦前後に多くの人が体験した飢えをまぬがれました。

働き口も見つけてもらい、最低限の暮らしを送れるだけのお金は継続して得られていたようです。

鈴木さんは「失ったもの」、健康な身体や切除された肺、を見つめ続けて「自分はなんて不運なんだ」と嘆いておられましたが、鈴木さんにアドバイスなさった方は、「自分では気がついていないけれど、もうすでに持っていたもの」、つまり、不幸が重なったように見えて実は一緒にやってきていた幸運を数えなさい、とおっしゃいました。

*パプアニューギニアに兵士として送り込まれたこと

*その地で悲惨な戦争を体験したこと

*肺結核を病んだこと

*その状態があまりにもひどくなり、手術を受けなければ死ぬほどになり、本国に送り返されたこと

*手術により片肺の大部分と、肋骨や大胸筋の一部まで失ったこと

または、

*激戦の地だったパプアニューギニアから送り返されたこと

*敵国からの攻撃をまぬがれて無事に日本に帰り着いたこと

*原爆も空襲も受けることなく終戦を迎えられたこと

*無事に手術を終え、当時は亡くなる人もまだ多かった結核を患いながらも命を拾ったこと

どちらも事実です。

コインの表と裏のように表裏一体で存在しており、ただ、表と裏のどちらを見ようと思うのかは、鈴木さん次第でした。

鈴木さんはその人に「運のよかったことを数えてみな」と言われてから、そのアドバイスを実行なさったそうです。

そうして気がつけば、ギャンブル運だけで生計をたてられるほど、運が強くなられたそうです。

まあ、パチンコで生計をたてることの是非を問うのはさておいて、私は鈴木さんがご自身の運の良さ、ひいては「鈴木さん自身」を信じて生きられるようになられたのがよかったのではと思います。

自分自身を信じるって案外簡単そうで、ときに私のような軟弱な人間にはちょっぴり難しいこともございますから。

あっ。

宇賀神先生にはいっつも簡単でしょうか。

と申しますのも、

「自信は『自分を信じる』って書くんだよ。その根拠は?って聞かれても、根拠もなく自分を信じることを自信って言うんだよ!」

とは先生の口ぐせですから。

いっつも自信たっぷりだもんねぇ。

だから、こけてもこけてもめげないんですねぇ。

だから、なんだかんだで運もいいのでしょうねぇ。

いいことだ♥

at-itami
何度ダメって怒られても「めげずに」おかわりをねだる宇賀神先生(先週、伊丹空港にて)

合掌