私は小さい頃は、不安がりでした。
怖がりという日本語はありますが、不安がりという単語があるかどうかは正直知らないのですが、とにかく毎晩漠然とした不安を感じていたのを覚えています。
本当に毎晩でした。
毎日まいにち寝るとき、お布団に入った後、母に
「明日何か悪いことが起きる気がする。」
と言いますと母は、
「何にも起これへんよ。」
と言ってくれ、私は安心して眠る、というのが日課だったことを覚えています。
大人になった今、そして宇賀神先生と一緒に暮らしだして20年近くたった今、小さい頃のような不安がりではなくなりました。
もちろん先生の根っからの強さ、明るさに救われたのは言うまでもありません。
ただ、仏教を少々かじり、お大師さま(弘法大師 空海さま)のお言葉も少々覚え、私は私の不安の出どころを知りました。
それは、私自身の中でした。
不安や恐怖は、どこか外(の事象)からやってくるのではありません。
自分自身の中からやってくるのです。
今でしたら、当然の脅威として、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっています。
かなりの伝染力を持っていて、いまだに世界がその未知のウイルスをコントロール下に置けていない状態です。
そしてそのウイルスのため、世界中の国々が色々な方針を模索し、紆余曲折しながらほぼ鎖国に近い状態を開始したり、かなりの混乱期にあると思います。
そのこと自体は、実際の、現実にある脅威です。
ウイルスに伝染する危険性や、食料の不足や物資の不足も起こり得る可能性、という。
ですがそれを恐怖に思うかどうかは、また別問題なのです。
またもや私の好きなハリウッド映画のセリフで恐縮なのですが、
「Danger is very real. But fear is your choice.」
「危険はたしかに厳然としてある。だがそれを恐怖に思うかどうかはお前次第だ。」
と言ったものがありました。(少々うろ覚えですが。)
SF映画の中のセリフで、宇宙船が墜落してしまい、英雄である父親が大けがを負って動けなくなり、まだ子供の年齢の息子が一人で恐ろしいモンスターの住む森を駆け抜けて助けを呼びに行かなければならない、というシーンでのセリフでした。
そのモンスターは、人間の恐怖心を察知すると襲い掛かってくる、という性質を持っています。
ですから恐怖心さえ感じなければモンスターからはこちらの存在は見えないのですが、そうは分かっていても、殺されるかも知れない状況下で、恐ろしいと思う心をとめることは容易ではありません。
一人でモンスターと戦わなければならない恐怖におびえる息子に、英雄である父親が先程のセリフを言いました。
「危険はたしかに厳然としてある。だがそれを恐怖に思うかどうかはお前次第だ。」と。
私は「素晴らしいセリフだー!」と感動したと同時に、古今東西の智慧は同じなのだなぁ、と感心したものです。
古今東西、すべての心の素晴らしい働きも弱い働きも、外側の事象が原因なのではなく、自分自身の心が生み出している、あるいは自分自身の心の中に見い出しているのだ、という教えが存在します。
例えばどこかの国の神話では、神さま達が会議をして、この世で一番大事なものを人間たちが容易と見つけられないようどこに隠そうか、と話し合っていたそうです。
はじめは
「世界で一番高い山の上はどうか。」
という意見が出たり、
「いやいや、世界で一番深い海の底はどうか。」
という意見も出ました。
どんなお宝なのか、とにかく大事な宝物で、それをたやすく人間に見つけてほしくはないそうなのです。
すると、最後にある神さまが、
「それでは人間の心の中はどうか。」
と提案し、他の神さま全員が
「それはいい!そこなら簡単には見つけられないだろう!」
と賛成し、全会一致で世界一大事なものを人間の心の中に隠したそうです。
そして、我らがお大師さまは、何なら悟りでさえも遥か遠くにあるのではなく、自らの心の内にある、とおっしゃっています。
有名なお大師さまの般若心経秘鍵に、こう書かれています。
「夫れ佛法遥に非ず、心中にして即ち近し。
眞如外に非ず、身を棄てて何んか求めん。」
(それぶっぽうはるかにあらず、しんじゅうにしてすなわちちかし。
しんにょほかにあらず、みをすてていずくんかもとめん。)
さすがお大師さま・・・うっとりと酔いしれてしまうほど美しすぎる文章です。
私のこの稚拙なブログでご紹介するなんて無礼千万もいいところですね。
どうかお許しを(T-T)
つまりお大師さまは、佛法(仏法)、イコール、悟りは、もうすでに自身の心の中にある、とおっしゃっています。
自分の外側の世界のどこを探しても無く、自分の心の中にあるものだとおっしゃっています。
そしてその後に続く文章では、
「迷悟我れにあれば發心すれば即ち到る。」
(めいごわれにあればほっしんすればすなわちいたる。)
迷いも悟りも自分(の中)にあり、悟りに到ろうと思うだけで、たちまちに到っている、
とも。
すべてすべて、はじめから、自分の中にあるそうです。
嫌なものがどこかからやって来るのでも、素晴らしいものをどこかへ探しに行かなければならないのでも、ないそうです。
いまの世界、あるいは私自身の状況に当てはめるのでしたら、不安がどこかからやってくるのでもなく、愛と平穏をどこかへ探し求めていくのでもないのだそうです。
すべてはじめから、自分の中に存在しています。
それを見い出せるかどうか、あるいは、見い出そうと思えるかどうかも、私次第です。
それは、自分の中の不安を無視したり否定したりするというのではありません。
そうではなく、ただ不安があることを認めるだけでいいのです。
不思議なことに、心の中の不安を認めてあげるだけで、その不安が暴走するのが自然に止むことに気づくと思います。
そうやって不安を認めた上で、さらに自分の中に愛や平穏も見い出すことです。
あるいは、愛や平穏があったことを思い出す、と言ってもいいかもしれません。
だって元からあったのに、周りの状況にびっくりして、ただ忘れがちになるだけなのですから。
とは申しましても、三つ子の魂百までの例え通り、根っからの不安がりではある私です。
可能な範囲で、できる備えはするつもりです。
食べ物や日用品、少々の現金など、物流が滞る可能性を考えますと、準備せずにはおられません。
幸か不幸か、私達は震災も経験しております。
地震にしましてもウイルスにしましても、何らかの災害に見舞われたときに、毎日の生活を送るのに何が必要になってくるのかを思い出して、無理のない範囲で備えたいと思っております。
これは決して脅かすのでも予言でもありませんが、昔から疫病に見舞われたときに地震などの天災も同時にやってくる可能性がある、と言われております。
私達は大阪に住まいしておりますが、東南海地震が30年以内に起こる確率は高まってきています。
「『大地震が来るか来ないか、ではなく、いつ来るか』の問題だと思ってください。」
と、地震学者の方かどなたかが、以前テレビでおっしゃっていた言葉が忘れられません。(やっぱり不安がり。)
もしかしたら、コロナ騒ぎが収束する前に来る可能性だって、否めないのです。
ですからこそ、備えを。
宇賀神先生と私は車中泊キャンプ旅行もよくしておりますから、何となくキャンプの用意にも似ているな、と思いながら少しずつ備えております。
そして、備えあれば憂いなし、のことわざ通り、ある程度の備えをして、うがい手洗いの励行、人混みにはなるべく行かないなどの自律をしたあとは、今日も枕を高くして寝たいと思います。
もう「明日何か悪いことが起きる気がする」とは、思わなくなりました。
「今日もいい日だったなぁー。明日もきっといいことが起きるなぁー♥」
と、若干欲ボケた思考に包まれて毎晩眠りについております。
そして、こういう状況下だからこそ、余計に家族への感謝や愛情を再確認できます。
宇賀神先生には、
「綾野がこうして日々安穏と暮らしていられるのは、先生のお陰やでー♥」
と、ことあるごとに口にしています。
そして直接口で伝えるのは少々照れくさいような気がする両親には、メールでちょっぴり書いたり、態度と行為では思いっきり示すようにしています。
あっ、この場を借りて言っとこう!
「お父さんお母さん、いつもありがとう♥
お父さんお母さんのお陰で、綾野は幸せに暮らしています!」
ひゃっほー( ̄∇ ̄) ←←←やっぱり照れてる。
家族といえば、小学校が休校になり、3月のはじめから私の両親のところへ疎開?してきている一番下の姪っ子が、ひな祭りの日に私にお手紙をくれていました。
今気づきました、私が左下に後から書いた日づけが間違っています。
「2020.3.3」が正しいです。
そしてこちらが、その中身です(^-^)
左から、まぁちゃんとまぁちゃんのお兄ちゃん、宇賀神先生、私ですって。
みんなにこにこ笑っていて、先生にはちゃんとお髭まであります!
先生と私は、王様とお姫様のように王冠をかぶっています。
そして、「あやのちゃんだいすき」ですって( ̄∇ ̄)♥♥♥
いやもう、世界中に自慢したいこのお手紙。
私もまぁちゃん大好きです♥
このお手紙も私が将来死んだときに棺に入れてもらうべく、宝物のファイルに入れておこうっと。
幸いなことに、私達は心の中に何を見い出し、どの部分にフォーカスを当てるか、選ぶことができます。
脅威に対する不安なのか、
平穏であるのか、
家族との生活を守ろうとする強さなのか。
まだまだお大師さまのおっしゃる悟りを自分の中に見い出すのは難しいですが、私は少なくとも自分の中に、不安や弱さとともに強さを見い出せるようにはなりました。
もちろん私達を含め、日本国中だけでなく世界中の人々が仕事や生活に対する不安を感じておられるとは思われますが、パンドラの箱の底に希望が残っていたように、心の中に平穏と強さを見つけられますことを願っております。
日本はもともと地震などの天災も多かったからでしょうか。
日本人はしなやかに、強いですもの。
今まで何度だって災害から立ち上がってきました。
その力強さを、血の中にも記憶しているのでしょう。
ただそれを、自分の中から思い出すだけだと思えば、こんなにありがたいことはありませんね。
ああ、ですが、ワタクシがたったひとつ怖れていることは、ワタクシのパンドラの箱を開けたとき、最後に残っているものが希望ではなく、深く考えられない単細胞が故のノーテンキさ加減だったらどうしよう、と思わなくもないことでございます。
あり得る・・・と少々悩むフリをしながら今日は床につきたいと思います♥
ノーテンキを自分の中に見い出せる(っていうかそれしか持ってナイ)私に感謝!
合掌