よく、「過去を克服する」という言葉を聞きますね。
自分にとってつらいことが過去にあり、そのことが頭から離れず、同じような出来事があったときに同じようにつまづいたり、また、その過去の出来事のせいで人生が前に進めない気がする、というときに。
私自身、人生の中で少々つらいこともいくつかございましたが、でも必ずしも過去は克服しなくてもいいんだ、と思っております。
そもそも、何故自分自身の大切な人生の一部に対して(例えそれが自分にとって好ましくないものだとしましても)、勝たないといけないのでしょうか。
それよりももっと軽やかで温かい道がある、ということを宇賀神先生に教えていただいた出来事がございました。
今までも何度かお伝えいたしましたが、宇賀神先生の子供の頃(小学校以降くらいから)は、お家がとても貧乏でした。
もちろん戦後の昭和30年頃のことですから日本国中・総貧乏な時代でしたが、宇賀神先生のお家も小学校に給食代を払えないくらいの貧乏さ加減でした。
それがいいのか悪いのか分かりませんが、もっと小さい幼稚園の頃は先生のお父様の事業も成功していて、裕福な暮らしをしておられてからの一転、事業が失敗して貧乏暮らしとなられたものですから、やはりその落差は子供心にも余計につらかったことと思われます。
そんな貧乏な時代を過ごしたのが、宇都宮と仙台でした。
宇賀神先生は小さい頃、宇都宮と仙台を何年かごとに行き来するように暮らしておられましたが、仙台では二十人町と呼ばれていたところに住んでおられました。
二十人町は仙台駅からすぐのところで、その近くに榴岡公園(つつじがおかこうえん)という結構大きな公園があり、そこは今でも枝垂桜の名所になっております。
公園にはひと目で見渡せないほどの桜が植えられており、それらが全て枝垂桜で、私も一度だけ開花の時期に間に合って行くことができましたが、吉野桜とはまた違う独特の美しさが漂っておりました。
先生も小さい頃はその公園でよく遊んだのですって。
大人になり今の仕事を始められ大阪に住むようになられてからは、仙台へは定期的に出張で行くようになられました。
その際に宿泊しますのが、榴岡公園からすぐ近くの小さなビジネスホテルで、つまり宇賀神先生が子供の頃に住んでいた家のすぐ近くになります。
一度、そのホテルのロビーでコーヒーを楽しむ先生のお写真をご紹介したこともごさいますね。
もともとは有名な旅館だったそうですが、時代とともに今のビジネスホテルのスタイルになられ、小ざっぱりとしていて、先生もとても好きなホテルです。
そして大人になった宇賀神先生は、ご自身の夢を叶えられ、一度は世間でよく言われております「成功」を手に入れられました。
自身の持つ不思議な能力を使い、それで生活に余るほどのお金を稼ぎ、ついには念願のお寺を建て、宗教法人も設立なさいました。
ところが波乱万丈としか言いようのない宇賀神先生の人生です、ただでは済みませんでした。
54歳のときに胃潰瘍で倒れられたのをきっかけに、鬱になり、片目の視力を失い、離婚とともにお金も家も明け渡し、お寺(宗教法人)は残ったものの多くの信用も失い、当時とても鬱のひどかった先生は「全てを失った」という思いに囚われておられました。
その鬱の真っただ中でも仕事だけは何とか懸命に続けておられた先生は、仙台への出張も文字通り必死の思いで行っておられました。
そして、泊まっておられたのは、やはりその榴岡公園近くのホテルです。
鬱がひどかった当時の仙台出張の際、宇賀神先生が必ずしておられたことがございました。
それはホテルに泊まった翌朝、ご自身が小さい頃住んでおられた家の跡地に行き(現在は空き地になっていました)、その場所にしばらく立ち、自分自身に言い聞かせておられたことです。
「ここ(ここに住んでいた貧乏な時代)には絶対に戻りたくない。」
と。
この場所には戻りたくない。
あのつらかった貧乏時代に戻りたくない。
絶対に戻らない。
鬱を治す。
全てを取り戻す。
そう、ご自身に言い聞かせておられたそうです。
鬱という病気は不思議ですね。
こんなに明るく元気で、踏まれても踏まれてもめげない雑草のような生き力のある宇賀神先生が、あの当時は泣きながら日々を生きておられました。
そして自分を奮い立たせるために、つらい時代だったと記憶していた昔の家の場所に毎回行っておられたのです。
お陰様で高度成長期時代に生まれ、両親に大切に育てられました私には到底心底は理解できないような、貧乏の苦しみを二度と味わいたくないという、泣くような思いだったのでしょう。
そして数年たち、自力で鬱から回復して元気になられ、仕事もご自身の満足からはいまだほど遠いとはいえ、何とか再び「幸せだ」と思える人生を取り戻されました。
もちろんその中には綾野さんという可愛いお嫁ちゃんとの結婚、という要素も大きいかと思われます♥(誰も言ってくれないから自分で言ってみました(^-^;)スミマセン)
そんなある日、仙台に出張に行っておられた宇賀神先生から、朝に電話がかかってきました。
ホテルをチェックアウトして、歩きながら電話をしてきてくれました。
そしてしみじみと、こんなことを話されたのです。
「綾野さん、わしは今日、初めて気づいたよ。
今まで自分が子供の頃、この近くに住んでいたときは貧乏で嫌な時代、嫌なところだと思っていた。
それが今日、ホテルを出たら榴岡公園から鳥の鳴き声がいっぱい聞こえてきて、緑がいっぱい見えて。
こんな天国みたいないいところに住んでいたんだって、初めて気づいたよ。」
と、とても穏やかで幸せそうな声で話されました。
「天国みたいないいところだった。」
それは、「絶対ここ(この時代)には戻りたくない」という思いとは、正反対のようです。
あんなに嫌って、二度と戻りたくないという思いで見つめていたところは、実は天国のように美しいところだったと気づいた、とおっしゃいました。
私は涙が出そうでしたねぇ。
何だかそれが「過去を克服する」という在り方よりも、さらに幸せな在り方(生き方)のように思えました。
克服というよりは、穏やかなまなざしで見つめる、と表現できますでしょうか。
私が尊敬するマザーテレサは素晴らしいお言葉(詩)をたくさん残しておられますが、その中の一節に、
「もし私たちの心に静けさが欲しいのなら、
まなざしに静けさを保つことです。
あなたの両方の目で
もっとよく祈れるようになりましょう。」
というのがございます。
もしも自分自身のつらい過去でさえ静けさを保ったまなざしで見つめられたのなら、それは克服するよりも軽やかで穏やかな方法で、素晴らしい祈りになるのかも知れません。
そしてそれはきっと、天にも届くような気がいたします。
昨日から今日まで(あっ、日づけが変わって昨日になってしまいました。)宇賀神先生は仙台出張に行っておられ、先程帰ってこられました。
おかえり♥
また楽しい土産話でも聞かせてくれるでしょうか。
合掌
努力の力でたくさんの試練を克服してこられた宇賀神先生は、それよりもっと深いかたち、穏やかな眼差しで、過去を振り返るようになられたんですね。
きっと宇賀神先生はそのとき大きな幸せを感じられたんだろうな、そしてそれは、その喜びを伝えられる綾野さんという優しい奥さまがいてこそなのだろうな、と思いました。
穏やかな眼差しで自分の過去や現実を見つめるには、今の自分が幸せでないとできないように思います。
私事ですが、今年になって還暦を迎え、だいぶ心の整理がついてきました。でも自分が迷惑をかけた人たち、もう会うことも叶わない人たちへの申し訳なさは消えません。それで、クリスチャンではありますが、毎日お線香を焚き、般若心経を唱えています。マザーがなくなった人を送るときそうしたように、クリスチャンでなかった人たちの魂には、この方が届くかな、と思いまして。
ありがとうございます!
ですが私は優しいどころか、鬱の先生に「もう一回谷底からはい上がっておいで!」と、獅子の母よろしく千尋の谷に何度も突き落としていたような気がいたしますよ(^-^;)
宇賀神先生の生命力の強さに感謝あるのみです!
はじめまして。
あやのさんのブログに出会い、心を救われました。読んでいると気持ちがスッと軽くなります。
助けてくださってありがとうございます。
本当に感謝いたします。
みゆきさま
とっても嬉しいコメントをありがとうございます!
私の書いたことがみゆきさまの一助となれたのでしたら、こんなに嬉しいことはございません。
こちらこそ、感謝申し上げます。
お返事が大変遅くなり申し訳ありませんでした。
今日、じつに5か月ぶりにブログを再開しました。
またこれからもお楽しみいただけますと幸いです。