今日は宇賀神先生が突然、「今日の夜に雨が降って桜が散るから、最後の夜桜を見に行こう。」と言いだしまして。
よりによってめちゃくちゃ寒い日に、お弁当(とお酒)を持って、近所の公園に桜を見に行きました。
急きょ作った、詰めただけのお弁当。
お弁当の中身は、父が釣り、両親が共同作業で作ってくれた「大アジのフライ」と「玉ねぎのフライ」、先生が和えたお刺身の漬け、豆の塩茹で、宝塚のK様が手作りして下さった「ぬた」と「豚肉と白菜の炊いたん」。
私が作りましたのはソーセージとほうれん草の炒め物だけ。
ですが先生が「お義父さんお義母さんとKさんと綾野ちゃんの愛が詰まってる♥」と、ご満悦でした。
また、寒空の下いただいた温かいきつねうどん!は、めちゃくちゃ美味しかったです。
寒すぎてダウンのコートと帽子もかぶっています。
山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)という言葉がございますね。
いつものことながら佛教の考え方は深遠すぎて、この言葉ひとつとりましても色々な賢い人達が色々な解釈をなさっておられます。
「山も川も草も木も、命あるもの全てに仏性がある」や、
「自然に仏性があるというよりは、自然の中に悟りへ至る真理を見いだすという意味なのでは」だとか、
色々おっしゃっています。
どれも素敵な解釈ですね。
私には佛教的な解釈でいうとどれが正しいのかなど、難しいことはよく分かりません。
この言葉でさえ、今の今まで「さんせんそうぼくしつうぶつ」とだけ覚えており、ブログで書くにあたって改めて「ちゃんと書かないと」とググってみて、「仏」でなく「仏性」だったんだーとか、自分の知識が微妙に違ったのを知ったくらいですから。
ですが、この言葉をぼんやりとながらも知っていて、こうして美しい桜の下で穏やかな時間を過ごしておりますと、頭上で揺れる桜の花に佛さま、あるいは神さまなのかな?、を見いださずにはおれません。
以前に「SPIRITUAL(スピリチュアル)は案外身近なところに。」でもお伝えしましたが、やはりきっと、そこかしこに、神さま佛さまはいらっしゃるのですよ。
あるいは、春の宵の氣そのものに、神さま佛さまを感じます。
「春の氣(昨日は優しい春の夜でした。)」に書いたことも、私にとりましては同じような感覚です。
そして、桜の中に佛さまを見いだせるということは、自分自身の中にも佛さまを見いだせるのです。
こうして桜の花を愛でることもまた、祈りです。
桜の花に、「綺麗やなぁ。咲いてくれてありがとう。」と心で話しかけますと、ゆらゆらと揺れてまるで喜んでいるようでした。
私はお酒はよう飲めませんが、「春の氣」に心地よく酔い、桜の中に佛を見、また春の宵に神気を感じ、宇賀神先生と幸せなひと時を過ごせました。
桜と春の夜にお礼を言って、公園をあとにしました。
合掌