お伝さんと宇賀神先生。
実のおばあちゃんと孫にあたります。
多分ですが、お伝さんは、宇賀神先生がお生まれになったときには、すでにお亡くなりになっています。
先生のお父様とお母様が結婚なさったときのお写真には、すでにお伝さんの姿はありませんでした。
宇賀神先生のお父様のお父様と、お兄様お姉様(とその配偶者)だけが写っておられます。
本来でしたらお父様のお母様、つまりお伝さんが座られる位置には、お姉様が座っておいでです。
なにぶん昔のことで、また宇賀神先生もはっきりとご両親にお聞きしたわけではございませんので、詳しいことは分かりません。
ですが、先生がお生まれになったときには、どうやらお伝さんは亡くなっておられたようです。
にもかかわらず、宇賀神先生はそのお会いしたこともない実のおばあ様と「お話」なさいました。
まあ、ここらへんのことになりますと、もう信じたい人だけ信じてやってくださいませ。
「そんな霊界通信みたいなのあるわけないやん!」と思われる方は、おとぎ話でも見るようなおつもりでお読みくださいませね。
もちろん、宇賀神先生や私にとりましては、実話です。
お伝さんのお堂ですが、宇賀神先生が中学生の頃、お堂の外からご覧になられたときには中が真っ黒にすすけていて、どなたをご本尊としてお祀りしているのかなど、よく見えなかったそうです。
「シルエットとか、何か特徴的なことを覚えてないのん?」
とお聞きしましても、
「仏像らしきものが何体もあったけど、よく見えなかった。」
と。
何体も祀られてはいたそうです。
どなたがご本尊だったかは分からないのですが、にもかかわらず、お伝さんが「宇賀神法」をなさっていたであろうことは、宇賀神先生は「ご存じ」なのです。
この、「分かる」や、「知っている」という感覚は独特なのですが、誰に教えられずとも、なぜか初めから知っています。
その感覚が起きますのは、例えば前世からの記憶だったり、血の中に流れるご先祖さんからの記憶だったりします。
また、ときにはあの世からの通信だったり、神さまや佛さまからのお言葉だったりします。
問いを発したと同時に、答えを知っています。
答えはどこから来るんだろうと思うのですが、それは外から来たようでありながら、自分の中から来ています。
不思議な感覚ですね。
では、以下はお伝さんからお聞きしたお話です。
栃木県には日光がございます。
日光には「日光山輪王寺」がございまして、そこは天台宗のお寺さんです。
その時代には山伏さんもそこかしこにおられ、やはりお伝さんのいらっしゃる鹿沼のあたりは日光山輪王寺さんの流れを汲む山伏さんが多くいらしたようです。
つまり天台宗の影響を色濃く受けておられる山伏さんです。
そして、現代ではかなりマイナーになっておりますが、天台宗には神様の宇賀神さまを賛嘆するお経がございます。
山伏さん達はその土地の家々をまわり、托鉢をしておられましたが、あるときお伝さんは一人の山伏さんから、「あんたの家の名前は、尊い神さまの名前なんだよ。」とお聞きします。
お伝さんは宇賀神というのは本当の神さまの名前でもある、と知ったのです。
そしてその神さまの霊験あらたかなのを知り、また、その神さまをご本尊としてお祀りして加持祈祷を行う「行(ぎょう)」、つまり「宇賀神法」があることを知ります。
その山伏さんはそれなりの功力をお持ちで、それに魅せられたのでしょうか、お伝さんは家の敷地内にお堂を建てられました。
山伏さんがそこで宇賀神家のために宇賀神法を含む色々な行法を行えるように。
山伏さん、つまり、行者さんは、そこで宇賀神家の商売繁昌のために加持祈祷を行われました。
そしていつしか、
その宇賀神法を、お伝さんは山伏さんから習われて、ご自身でも執り行うようになられました。
お伝さんがお堂の中で何やら不思議な行をなさるにつれ、保血散の売り上げが伸び、現金収入を得て、宇賀神家はますます福しくなっていきました。
その宇賀神法を執り行う際に、どうやら(その当時でも高価だった)お酒を使われていたようです。
今現在の上野の寛永寺さんの弁天堂前の宇賀神さまの像のところにも、「浴酒月の法」と書かれてありましたが、どうやらそれを真似たような行をなさっていたようです。
正式な僧(尼僧)となり行を習われたわけではありませんから、全くの本式ではなかったようですが、やはりそこは宇賀神先生のおばあ様ですもの。
真似事のような行法でも、なぜか効験が起きて、どんどん宇賀神家は裕福になっていきました。
今の宇賀神先生の「女行者」版のお伝さん、いつの間にかご近所の奥さん方が信者さんとなられ、取り巻きとなられたようです。
もともと霊感めいたものをお持ちだったお伝さんは、宇賀神法をなさるにつれ、不思議なことを言い当てたり、ちょっとしたご利益も授けられるような力がついてこられたのでしょうね。
それにまた何より、宇賀神法で使った後のお酒のお裾分けを信者さん達もらって帰られたのです。
お酒は嗜好品(贅沢品)ですもの。
まして当時は日本全体がそんなに裕福ではなかった時代です。
しかも宇賀神家の方々はあまりお酒に強くなく、毎日そんなにたくさんお酒は必要ではありませんでした。
自分達が飲みもしない贅沢品(お酒)を、宇賀神さまをお祀りする行に使い、その神さまの「お下がり」を信者さん達にお福分けなさっていました。
お酒をもらって帰られた信者さんの旦那さん達も初めは「うちのカアチャンはお伝さんに変に入れあげて・・・」と思われたものの、美味しいお酒をタダでたくさんもらえるものですから、イヤな顔をなさらなくなり、いつしか黙認。
そうして、ついに年に1〜2度のお伊勢さん参りへのお伝さんの「脱走」についていかれても、やはり黙認なさったのですね。
旅費も全てお伝さん(というより宇賀神家のお金)のおごりで、お土産も贅沢なほどたくさん買ってもらって帰られたようですし。
こうしてお伝さんは、家の繁栄の為なのか家人をかえりみないのか分からない信仰を続けられました。
ですがお伝さんがその不思議なご祈祷を続けるにつれ、ますます宇賀神家が裕福になったことだけは、まぎれもない事実でした。
宇賀神先生はお父様から、お伝さんが宇賀神法をなさっていたとお聞きしたわけではございません。
お伝さん以外の宇賀神家の人々は先生のお父様も含めて、宇賀神法などとは縁遠い人生を送られましたから、先生は詳しいことをお父様やご親戚などからお聞きしたことはないのです。
ですが、先生ご自身が氣や神さま佛さまといった世界に興味を持たれ、色々を勉強なさるにつれ必然的に宇賀神法にたどりつかれたとき、先生にはその「印(いん)」の記憶がございました。
知らないはずの記憶です。
よく一般的な本などにはご真言や印が書かれておりましても「以下、秘伝」「以下、口伝」などと書かれており、肝心なところは説明されていなかったりします。
やはり密教の密教たるゆえんですよね。
「秘密の教え」なのです。
よく「甕(かめ)の水を移すように」と例えられますが、師匠から弟子へと口移しで直接伝えられていくべき教えなのです。
そしてその教えは、伝えるべき者には伝えなくてはなりませんが、伝えてはならない者に伝えることは許されません。
あるいはもしかしたら前世の記憶なのかも知れませんが、多分には、宇賀神先生が「以下、秘伝」の部分をはじめから知っておられたのは、お伝さんが血の記憶の中で伝えてこられたのだと思っておいでです。
もしかしたらその秘伝の部分は、正式な天台宗の作法ではないかも知れません。
ですが、それが宇賀神先生あるいはかつての宇賀神本家とって、あるいはお伝さんの生きていらした当時の鹿沼のあたりの、土着の信仰に近い形で古い古い歴史のなか伝えられてきた秘伝の作法であると、先生は確信しておられます。
不思議なものですね。
お伝さんと宇賀神先生。
彼女の生前には会ったこともない、おばあちゃんと孫。
宇賀神先生はお伝さんと同じように宇賀神さまという神さまに出会われ、宇賀神さまをお祀りする宇賀神法に出会われ、神さまや佛さまとのご縁の色濃い人生を送られています。
血のなせる業だけではなく、やはり「霊統」を引き継いでおられるのでしょうね。
お伝さんも今の宇賀神先生をあの世からご覧になり、喜んでおられるでしょうか。
お伝さん、やはり霊感は強くていらしたようです。
宇賀神先生のお父様は、第二次世界大戦も終わりに近づいた頃に35歳で徴兵されました。
その頃、35歳という(高)年齢で徴兵された人々は南方の激しい戦地に送られ、生きて帰ることは難しいと噂されていました。
ところがお伝さんは、
「吉は死なねェから大丈夫だ。」
と、予言なさいました。(先生のお父様は吉次郎と言います。)
お父様はお伝さんの予言をとても心強く思われたのですって。
宇賀神先生の女行者版のお伝さん。
もしかしたら先生以上におっかない?ハチャメチャな?お人だったのでしょうね。
せめてお写真だけでもお会いしたかったです。
合掌