湯峰温泉のつぼ湯は、不思議なところへ飛ぶゲート?

昨日から湯峰温泉におります。

珍道中のお話もまだ途中ながら、せっかく大好きな湯峰温泉におりますので、今日はここの「つぼ湯」のご紹介をしたいと思います。

 

色々とブログのお話が落ち着きなくウロウロすることを、お許しくださいませ。

「続きはまた明日」とか言いながら、本当にすみません。

実生活もあっちうろうろ、こっちうろうろ、と落ち着きがないのでございます。

またたび(また、旅)人生と言えば、ちょっとありがたいような気もいたします。

 

湯峰温泉に関しまして、以前何度かに渡ってご紹介いたしました。

そのシリーズは、こちら。

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その1

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その2

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その3

湯峰温泉は“よみがえりの湯”その4

湯峰の美味しいおススメ

湯峰温泉近くの熊野本宮大社さんも、並々ならぬ神さまです。

 

ですが当然、湯峰温泉のすべてをご紹介しきれたわけではなく、まだお話したいこともたくさんございます。

そのうちのひとつが、今日の「つぼ湯」です。

湯峰温泉のメインであるつぼ湯をちゃんとお伝えしていないなんて、片手落ちもいいところですね。

お許しくださいませ(^-^;)

 

今日はつぼ湯の不思議な一面をご紹介いたします。

これは去年の11月に来たときに撮った写真で、つぼ湯の小屋の内側の様子です。

(外観は上記の「その1」をご覧くださいませ。)

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つぼ湯を入り口から

とても小さく、人が2~3人も入れば身動きもとれないような、岩で作られた湯舟です。

まさに地面に埋められたつぼのようです。

小さな小屋の中ですので、1人なら20分、2人以上なら30分の貸し切りで入ります。

 

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この日は薄く白濁

お湯は「七色の湯」と言われているとお聞きした記憶がございます。

ある日は透明だったり、この日のようにうっすらと白濁していたり、青色がかっていたり、など、たしかに日によってお湯の様子が違います。

そしてお湯は、湯舟の底の、敷き詰められた小石の下から湧いてきます。

それが熱いんですよー。

服を脱ぐ前から水を入れて薄めていないと、熱すぎて入れません。

 

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小栗判官物語

例の小栗判官の物語も書かれていました。

 

物語に象徴されるように、ここ湯峰温泉は私達にとりましては、やはり「霊泉」という感じがいたします。

たしかにうっすらと硫黄の匂いのするお湯ですが、宇賀神先生の大好きな火山性の氣の強い温泉というほどのお湯のパワフルさでもありません。

写真のこの日は薄く白濁しておりましたが、透明の日もたくさんございますから。

ですがどう表現してよいのでしょうか、とてもひっそりとした、けれど確かにあるという、秘めたる力を温泉から感じます。

 

さすが平安時代からすでに人々が列をなしてここ湯峰で湯垢離(ゆごり)をなさり、それから熊野詣でをなさったという歴史のある温泉です。

平安京からここまでの道のりは、さぞや大変でしたでしょうね。

起源はどうやら4世紀。

奈良時代以前ですね。

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湯峰の起源

阿刀(あと)氏と言えば、弘法大師 空海さまのお母様のご出身ですね。

やはり、どこか遠いところでつながっているのでしょうか。

 

さて、つぼ湯はその小ささと、霊泉から受ける不思議な雰囲気とで、宇賀神先生と私にとりましては軽く瞑想するのがとっても楽しい場所です。

つぼ湯がちょっと独特なのは、前回お伝えしました「微細身を飛ばす」のにも通じますが、つぼ湯がまるでどこかへ通じるゲートになっているかのような感覚があることです。

この感覚ももちろん人それぞれです。

 

宇賀神先生がひと頃好まれて、つぼ湯からよく「飛んで」行っておられたのは、沖縄の斎場御嶽(せーふぁーうたき)です。

そこはそこでまた、一種独特の素晴らしい聖地なのですが。

 

もちろんつぼ湯は特にどこへ飛んで行こうとの目的を持たなくても、お湯につかりながら瞑目し、心、あるいは魂の、不思議な浮遊感をただ楽しむのにも最高です。

 

そう。

宇賀神先生もいつもおっしゃるのですが、氣のお修行にしましても、密教や、色々のお修行にしましても、

「ただ感じる」

「ただ楽しむ」

という感覚も大事なようです。

 

成長や進歩に対する考え方に2通りあり、もしかしたら西洋的と東洋的とも言えなくもないのかも知れませんが。

結果(到達する目的地)を明確に思い描き、それに向かっての道しるべを定め、確実に進んで結果を得ようとする、どちらかと言えば西洋的な考え方と。

もう1つは結果を得ようとする気持ち(目的意識)に囚われないようにしながら、ただただ「今ここ」のことを感じ、味わい、今することを今行う。

するとある日、自分の後ろを振り返ると、長い道ができていて自分はこんなにも遠いところへ来ていたんだと気づくという、東洋的とも言える考え方と。

 

どちらに優劣があるわけではなく、その人その人に合う方を選べばいいのかな、と思います。

根がナマケモノのワタクシなんぞは、急かされるとこけてしまう方ですので、もっとのんびりしている派、ですけれど。

 

いつも、ただお湯の中で浮遊感を楽しむ。

心地よさを味わう。

で、よしとしています。

だから成長がないって言われれば、「やっぱり?」としかお答えのしようがございませんが(T-T)

 

特に、こういう氣に関することや神さま佛さまのことなど、目に見えない世界のことに関しましては、あまり目的意識を強く持ちすぎてしまうとそれが我欲となり、かえって妨げになる可能性もあるようです。

自分の欲で見たこと聞いたことを、本当に見た聞いたと思ってしまい、迷わされることもあるのですとか。

自分の感覚だけが頼りの世界ですから、なかなかに難しいところですね。

 

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つぼ湯のなかの光

つぼ湯のなかで光を受けてみました。

 

今回お伝えした「浮遊感」、なにもお湯の中だからというわけではございません。

ある特定の場所で、そのような感覚を得やすいというところがたくさんございます。

やっぱりどこかへ通じているのか?と思いたくもなりますが。

ここ湯峰にももう1か所そんな風なところがあるのですが、それはまたいずれ。

 

今からまた温泉に入って、湯胸茶屋さんのきつねうどんと温泉コーヒーを楽しんできます♥

皆さまもどうかよい連休を(^-^)

 

合掌

2件のコメント

  1. 綾野さん、こんばんは。

    壺湯の白濁したお湯に輝く光、本当に神秘的ですね。見ているだけで元気をいただけます。

    いつか訪れてみたいなぁ!

    1. 服部様
      湯峰はいいところですよー(^-^)
      湯峰にいらっしゃいましたら、ぜひ東光寺さんでお薬師さんやお不動さんにお会いになってくださいませ!

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