閑話休題、今日はお恥ずかしい珍道中の流れのなか、宇賀神先生の本筋である氣のことに少し話を戻しましょう。
1泊目の宮島サービスエリアを翌朝出発して、長崎は雲仙温泉の国民宿舎「青雲荘」さんを目指しました。
青雲荘さんは雲仙温泉のなかでも、宇賀神先生の大好きな白濁した硫黄泉のお湯が出るお宿です。(雲仙には透明のお湯のお宿もあるようですね。)
しかも青雲荘さんがすぐ隣で経営なさっている日帰り入浴施設「小地獄館」は、大きな大きな源泉の湧出口がすぐ裏にあり、とってもパワフルな氣を感じられるお湯です。
写真でしか見ることは叶いませんが、その湧出口はハート型をしているそうで、人も泳げそうなほど大きいのです。
もちろん、その源泉の中でゆでられた温泉卵がそこで売られておりますので、源泉温度はちょっと人が泳げる適温ではございません。
ですが宇賀神先生はそこで、普通の人にはできない方法でよりたくさんの「氣」を取られます。
(ご参考までに、以前にご紹介しました一番簡単な氣を取る方法はこちら⇒一番簡単な「氣を取る瞑想法(イメージ法)」)
宇賀神先生は単純に湯舟の温泉の氣を取るだけでなく、お湯につかりながら「微細身(みさいしん)」と呼ばれる氣のボディーを地中深くの場所まで潜らせ、そこからも同時に氣を導引なさいます。
地中深くの場所とは、例えば温泉の湯だまりだったり、そのさらに深くのマグマだまりだったり。
生身の身体では到底行けないところまでご自身の分身とも呼ぶべき微細身を飛ばし、そこで吐納導引(とのうどういん)術をなさいます。
すると、温泉だけではなく、地球そのものからもパワーを得られ、それはやはりケタの違う強さになるのですねー。
ですからこそ、宇賀神先生は強い温泉を求めて全国の遠いところまで湯治に行かれます。
桁違いのパワーを得るために。
武術武道にも通じる考え方かどうかは分かりませんが、やはり力と技、両方必要なようです。
人様の病苦を取り除く、宇賀神先生のお仕事には。
それは加持祈祷と呼ばれたり、気功や氣による手当と呼ばれたり、ときには超能力や魔法とまで呼ばれたり、人様によって表現の仕方は色々ですが、目に見えない不思議な力を使って色々な人様の願いを叶えるには、力と技の両方が必要なのでしょう。
もちろん技がなくては「その先」へは進めませんが、まずやはり何と申しましてもその下支えは(氣の)力になります。
また、これは以前に宇賀神先生が人生の大困難に遭われたとき、お不動さんに言われたお言葉ですが、
「お前はもともとブルドーザーのような力で押してきた人生だ!
この困難を切り裂き、はねのけ、力で押して行け!!
氣を取り戻せ!!」
と、叱咤激励されたそうです。
うーん、そうですね、ということは「運も『氣』次第」とも言えましょうね。
「波切り不動」さまがお不動さんの始まりというようなことを宇賀神先生にお聞きした記憶がございますが、まさに「波切り」の名前のごとく、襲いかかってくる人生の困難(大波)を運氣の力で切り裂いて前に進めとおっしゃったそうです。
お不動さんは右手に剣(倶利伽羅剣:くりからけん)をお持ちで、それは人間の三毒(よく言われております貪瞋痴〈とんじんち〉の3つの煩悩)を断ち切る剣だと一般的に言われておりますが、その始まりは、どうやら弘法大師空海さまが唐に渡られたときの波切り不動さまのようです。
平安時代のその当時は、日本から唐の国に船で渡ることは到底容易ではなく、嵐に遭い、たどり着く前に船が沈む可能性の方が大きいとまで思われておりました。
いえ、事実、そのようでした。
ですので、お大師さんのように志を持ち自ら願って唐に渡られた少数の人を除いては、気が触れたふりをしてまで唐に渡るのを拒んだ人もいたと言われるくらい、航海を恐れていたようです。
そして果たして、お大師さんの乗られた遣唐使船も嵐に遭いました。
そのとき、まだまだ一介の無名の僧であったお大師さんが一心に祈られ、佛さまのご加護を得て、やっとのことで唐の港にたどり着いた、というより船が壊れながら座礁したそうです。
そのことがかえって「空海」さまの名が表舞台に出るきっかけとなったのですが。
その後の素晴らしくドラマチックな展開となる話はさておき、そのときご加護くださった佛さまが、波切り不動さまでした。
どうやら「不動明王」さまのお名前が日本で知られるようになったのは、このときが初めだ、と宇賀神先生は教えてくださいました。
そして、そのときの波切り不動さまそのままに、
「持てる力で困難を切り裂き、前に進んでいけ!」
と、宇賀神先生もお不動さんに激励されました。
今から16年ほど前、宇賀神先生が人生の大困難に遭われていたときのことです。
私は宇賀神先生から、
「お不動さんにこんな言葉をかけてもらった!」
と、半ば泣きそうになりながら言われた日のことを鮮明に覚えています。
「お前は力で押してきたんだろ。これからも力で押していくしかない!力を取り戻せ!!って言われた。」
と。
それからも長い道のりではございましたが、あの日まさに一瞬の光が見えたことは確かでした。
それはまるで、極夜(きょくや)が終わった日の、初めての一瞬の太陽の光のようでした。
極夜とは白夜の反対で、一日中太陽が登らない日々のことを指すそうです。
その季節が終わり、初めて太陽が顔を出す日は、一瞬の光が射すだけなんですとか。
チカッ!とまばゆい閃光が一瞬だけ射して、そしてまたすぐ太陽は沈むそうです。
しかもその光は緑色だと。
あれは夢だったのではないかと思うくらいの一瞬の光でも、長い冬の後、春の訪れを告げるその一瞬の光を見られたならば、それはどんなにか心の支えになるでしょう。
あのとき宇賀神先生がお不動さんからお聞きになった叱咤激励のお言葉は、その後のつらかった数年間を支えてくれました。
本物の極夜が終わる一瞬の緑の閃光、いつか見てみたいと願っています。
(そのためには極寒のアラスカにでも行かないと?)
何だか話がちょっと色々な横道にそれてしまいましたが、とにもかくにもこういうわけで、宇賀神先生は「氣」、それも桁違いの氣のパワーを求めて全国の温泉や、また温泉でなくても地中からの氣が噴出しているような場所、を目指して旅をなさいます。
そしたらそれが珍道中になること多し、ということなのですねー。
私なんかはちょっと「氣がヨワイ」性質で、宇賀神先生や先生のお弟子さんなど、もともととってもパワフルな(要するに、ガタイのいい♥)方達を見ると羨ましくなります。
昔のNHKさんの大河ドラマで超有名になったセリフ、伊達政宗公が幼い頃、まさに不動明王さまをご覧になりおっしゃったお言葉が身にしみます。
「梵天丸も、かくありたい。」
と。
あやのちゃんも、かくありたい(T-T)
(珍道中の続きはまた明日♥)
雄大な雲仙岳、島原湾からの眺めです。
合掌