穴禅定 その2

四国霊場の番外寺である慈眼寺さんの穴禅定で、ローソク一本を片手に奥へ奥へと進んでいた時のことです。

私はふと後ろを振り返りました。

一筋の光もささない狭くて細い鍾乳洞の中、私たちのローソクの小さな光が届く範囲の向こう側は、本当に何も見えない真っ暗闇でした。

 

たぶん人間は本能的に暗闇を怖がるのでしょうね。

どこまでが地面で、壁で、天井か、何にも見えない空間を体感しますと、一種の浮遊感のようなものを感じました。

まるで深い水底のように、どちらが上かさえ一瞬分からなくなるような、不思議な浮遊感です。

前回の記事でもお話しました、お経本に書かれております

「無明長夜の闇路」

とは、こんな状態にも似たものなのでしょうかと思いました。

 

修行者はその暗闇(無明長夜の闇路)を、ローソク(佛様の教え)を頼りに進んで行きます。

そのローソクは誰も持ってはくれません。

自分の手で、ローソクを前に捧げ持ちつつ、自分の足で、一歩一歩進んで行くのです。

それはまさに自灯明 法灯明、自らを明かりとなし、佛様の教えを明かりとなして進んでいく、そんな世界観を体感しているような気持ちでした。

 

まあ、ちょっと軽い言い方をするならば、まるでユニバーサルスタジオのよう、とでも言えますでしょうか?

映画の世界にそのまま浸れるユニバーサルスタジオのように、佛教の世界観にそのまま浸れた穴禅定でございました。

 

それに、いくら自分一人の力で歩を進めると申しましても、そこには導いてくださる先人(お大師さんや先達さん)がいてくださり、また、自分の火が消えたときは火を分けてくださる先人(宇賀神先生)がいらっしゃるのです。

なんとも心強い「無明長夜」ではありませんか。

 

穴禅定は、ずっと奥に進んでいきますと、真ん中辺りでしたでしょうか、急にぽっかりと大きな空間が開けます。

何人もの人が一同に会することができるくらい大きな空間です。

そこにはお大師さんの像があり、たくさんのローソクが灯されていて、修行者は先達さんとともにそこで般若心経を一巻唱えます。

 

その後再び岩の裂け目のような穴禅定を奥へと進み、割と出口に近づいてきたときに、「袈裟がけの岩」と呼ばれる所を通りました。

そこでは胸くらいの高さに、まるで壁に取り付けられたフックのような形に岩が出ていて、お大師さんがその岩に袈裟をかけられた、という話になっているそうです。

その袈裟がけの岩に手を置いて、心の中で一つだけお大師さんにお願い事をしてもいいと、先達さんがおっしゃいました。

 

せっかくですから宇賀神先生の後に続いて私も袈裟がけの岩に手を置き、目を瞑って一つのお願いごとをしようとしました。

ですがそのとき、やっぱり

「神さまや佛さまにお参りするときにお願いごとをしない。感謝申し上げるだけ。」

を思い出してしまった“いい子ちゃん”の私は、お大師さんに対して

「お陰様をもちまして皆々幸せに暮らしております。ありがとうございます。」

と、お伝えしました。

 

と申しますよりは、実はいい子ちゃんでも何でもなくて、願い事が多すぎてたった一つだけ選べなかったというのが本音なのですが!?

要は欲張りで優柔不断なだけなのですネ( ̄∇ ̄;)

 

ですが、お大師さんに感謝の言葉をお伝えした途端、ふわぁっと、文字通り、胸のあたりが温かくなりました。

よく嬉しいことが起きたときに「心が温かくなる」と申しますが、本当に心臓を中心とした胸のあたりに温かい温度を感じたのです。

不思議でした。

お大師さんの温かみを、心象ではなく、実際の体感温度として感じられました。

 

お四国さんでは、「同行二人(どうぎょうににん)」と皆さん信じておられます。

つまり、お大師さんと二人連れなのだと。

今から20年ほど前、私が初めてお四国さん巡りをしたときに、700段を超える階段の上にお寺がございます、そのふもとのお茶屋さんが、

「お大師さんが背中を押してくれはるからね。」

と、こともなげにおっしゃったのをとても印象深く覚えております。

不思議でも何でもなく当たり前のこととして、お大師さんは今も生きていらして、修行者の背中を押してくださるのだとさらりとおっしゃいました。

 

信仰というものが、特別な重いものではなく、当たり前のように生活に溶け込んでいるのがお四国さんなんだなぁ。

こんな世界もいいかも知れない。

と、思って、出家してしまった20代のワタクシでございました。

もちろん大前提として宇賀神先生のようになりたいとの憧れはございましたが。

 

ローソクの光だけが頼りの、岩の裂け目のような穴禅定で、色々なことを思い出したり感じたり、とても素晴らしいお修行体験をさせていただきました。

宇賀神先生は、

「かつてお大師さんの身体も触れた岩にわしの身体が触れているのかと思うと、すごく幸せだった。」

と、おっしゃいました。

右と左が分からなくて狭い曲がり角で四苦八苦してらしたのですが、それでもとっても幸せだったんですって♥(参照:穴禅定 その1

よかったねぇ。

 

ちなみに、とても業が深い方は穴禅定の狭い曲がり角で岩に挟まってしまい、どうにもこうにも抜けられなくなるそうです。

そんなときは、修行者全員で般若心経を唱えてあげると抜けられるのですとか。

しかも、業の深すぎる方は、3巻くらい唱えないとダメだそうです。

そんなことにならなくてよかったネ、先生♥

 

1200年ほど前からすでにございました「ユニバーサルスタジオ(体感)型お修行道場」の穴禅定。

機会がございましたら、ぜひ一度ご参加なさってみてください。

お大師さんにお会いなされますことを、心よりお祈り申し上げております。

 

合掌