前回、「自灯明 法灯明」のお話をさせていただきましたときに、「まさに自灯明を体感できる場所がございます。」とご紹介しました。
それがこれからお話します、「穴禅定」(あなぜんじょう)です。
四国霊場八十八ヶ所巡りは有名ですね。
お大師さん(弘法大師 空海さま)が制定なさった、四国中をぐるりと巡る八十八ヶ所のお寺のことです。
実はそれにプラスして、二十カ寺のお寺が、「番外寺」とされております。
88+20で、なんと108という煩悩の数になっている、というのは豆知識ですが。
さて、この番外寺は何が特徴なのかと申しますと、お大師さんが若かりし頃、まだ唐へ留学僧として渡られる前に、ご自身でお修行なさっていた場所なのです。
宇賀神先生はよく、
「お大師さんの生々しい情熱を感じる」
場所だと、おっしゃっています。
ご存じの方も多いとは思われますが、お大師さんは四国は讃岐の国(今の香川県)の国司の家に生まれられ、幼少の頃から神童として将来を期待されていらっしゃいました。
そして、ちょうど平城京から平安京に遷都される頃に、今でいうところの「エリート大学生」として、京の都に上ってこられました。
ところが、いざ大学で勉強を始めてみますと、“出世のための学問”にほとほと嫌気がさし、
「自分の求める学びの道は、ここにはない!」
と、勝手に中退、大学を飛び出してしまわれました。
そしてさらに勝手に出家なさり、お国が認めていない「私度僧」となられ、自分は佛道を進むのだ、と、山野をかけ巡り、修行に明け暮れられました。
大阪と奈良の間にございます生駒山などにも、「かつてお大師さんがお修行なさった場所」があるのだそうですが(すみません、私は行ったことがございません)、その四国でのお修行の場所が、二十カ寺のお寺なのですって。
もちろん、それらのお寺以外にもあるでしょうけれど。
まだまだお大師さんが「有名な空海さま」でいらっしゃらなかった頃、無名の私度僧で、佛道(あるいは密教)への燃えるような情熱だけで山野をかけ巡っておられた頃の息吹が、そこでは感じられます。
そのお修行の場のひとつである「穴禅定」が、番外寺の三番目のお寺の慈眼寺(じげんじ)さんにございます。
穴禅定は細く狭く、長く続く鍾乳洞で、一筋の太陽光も入ってこない場所で、ローソク一本を頼りに進んで行きます。
まず初めに、慈眼寺さんに行きますと、胸くらいの高さの石の棒が間を空けて2本立てられていて、その間を通れないほど太っておられる方は、穴禅定に参加させてもらえません。
それほど、細く狭い場所があるのです。
宇賀神先生と私が行った時は、たまたま私達だけで、嬉しいことに貸し切りで穴禅定に参加することができました。
慈眼寺さんが貸してくださる白装束に着替え、靴も何と草鞋(わらじ)に履き替えます。
ちなみに、私は生まれて初めて草鞋なるものを履いたのですが、あれはめちゃくちゃ素晴らしい履物でした!
穴禅定の鍾乳洞まで少し山道を歩いて登るのですが、まず足の底が心地いいのです。
適度なクッションを通して、岩や土の地面をそのまま感じることができます。
しかも、濡れた岩の上もすべりません。
その快適さと機能性にびっくりしました。
マジで一足欲しい( ̄∇ ̄)♥と、思ってしまいました。
(一体どこで履くんだろう。)
そして、先達(せんだつ・修行者をガイドしてくださる方)さんに導かれ、山道を登り、まさに巨大な岩の裂け目という表現がぴったりの鍾乳洞に入っていきます。
その時に一本のローソクを手渡され、火を灯し、片手で自分の前に持ちつつ鍾乳洞に入ります。
鍾乳洞は、ほとんどの場所が真正面を向いて歩けないほど狭い空間で、自分達のローソク以外の光は一切なく、真っ暗闇です。
その時の参加者は宇賀神先生と私の2人だけでしたが、先達さんは私達をご覧になり、先頭を行く先達さんの次に宇賀神先生、最後に私が続くように、と指示なさいました。
山登りなどでは普通、一番先頭をリーダーが歩き、そのすぐ後ろは体力が弱いなど、一番問題がありそうな人を歩かせます。
どうして先生の方がやっかいで、リーダーのすぐ後を歩いた方がいいって一目見て分かられたのでしょうか( ̄∇ ̄)
長年の勘ってスバラシイ。
そう、宇賀神先生の頭の構造には人様よりも少しひどい偏りがあり、時計と掛け算がよく分からないのと同様、右と左がよく分からなくなるのです。(参照:でこぼこの才能)
ですので、時にとっても狭い場所にさしかかり、そこは先達さんのご指示通りに身体を動かさなければ通れないところなのですが・・・。
「はい、そこで右ひざを地面につけて」とか、
「お尻を地面に落としたら右に体重を移動させて」、
「左肩を落としてくぐらせて」、
などのご指示に、宇賀神先生はことごとく迷われ、逆をしようとなさいました。
「いやいや、違うって、右やって。」
「それは左足やから。」
などと、私が後ろからいちいち訂正しておりました。
いやぁ、よくお修行の場では因縁が出る、などと申しますが、
「人の言うことを聞かない(聞けない)因縁」丸出しの宇賀神先生でございました。
もう本当に穴禅定は、鍾乳洞というよりは岩の裂け目をすり抜けていく、というような感覚でした。
細い細い道の曲がり角では、地面に手やお尻をつけて何とか通り抜けるのですから、白装束はドロドロに汚れ、そして時に手に持っていたローソクの火が消えてしまいます。
火が消えた時は、前や後ろの人からもらい火をします。
もちろん電気の照明など一切ない空間。
全員のローソクが消えてしまえば、真っ暗になります。
その狭い狭い空間をひたすら進んでいたとき、最後尾にいた私はふと後ろを振り返りました。
すると、私達がもっているローソクの小さな光が届く範囲のその向こうには、真の暗闇が存在していたのです。
何かがいてもいなくても、何にも分からない本当の暗闇。
どこまでが空間でどこからが天井なのか、どこが地面なのか、本当に何も見えませんでした。
(その2につづく)
合掌
突然のご連絡で失礼します。HPで宇賀神先生の事を見つけ、驚きました。同姓であるだけでなく、同名?もでした。私も尺八ですが「龍仙」という名前を持っています。もしも叶うならば、一度お目にかかり、お名前の話などを伺えればと思っております。なお、四国八十八箇所霊場は昨年、自転車で巡りました。
こんにちは。コメントありがとうございます。
本当に偶然ですね!
宇賀神先生は生まれは栃木県です。
栃木県を含む関東方面では、割と知られている名字のようですね。
名前の簡単なご説明は2017年4月29日の記事(http://ugajin-ryuzen.com/2017/04/29/name-ugajin/)に書いております。
よろしければご一読くださいませ。
自転車でお四国さん巡りをなさったとのこと、すごいですね!
私たちはキャンピングカーで、しかも先生は寒い日には助手席で湯たんぽを膝に乗せ、「こたつ遍路」だなどと調子に乗っておりましたよ。