先日東京に行ったときのことです。
上野駅で、4人連れの外国人のグループの方がいらっしゃいました。
お見受けしたところアジア人ではなく、また、英語やフランス、イタリア語などの、どこかで聞いた言語でもなく、耳慣れない言葉を話しておられました。
駅から出ようとホームから1階に降りた宇賀神先生と私に向って、そのうちの一人の女性が英語で「アメ横に行くにはこちらの改札口でいいのですか?」と私に尋ねてこられました。
実はアメ横の場所もよく知らない私は、若かりし頃は東京にも住んだことのある宇賀神先生ならご存じでしょうと、先生に尋ねました。
すると先生が、「アメ横ならこっちの改札じゃなく、もう一度ホームに上がって向こう側の階段から降りて改札から出たら、出てすぐのところが商店街の入り口だよ。」と、おっしゃいましたので、そのままその女性にお伝えしました。
「Thank you!」
と、お礼を言われて、その4人連れの方達は私達とは反対の方向へ行かれました。
ですが、何だかちょっぴり悪い予感がした私は、改札口まで行ったときに駅員さんに、
「アメ横に行くには、ここではなく向こうの改札口から出るので合ってますか?」
とお尋ねしました。
すると、「いいえ、こちらの改札を出てすぐです。」との答えが!
うっそーん!(ToT)
やっぱり、道が分からないとき、必ず逆方向に行こうとなさる宇賀神先生に尋ねたのが間違いでした!
このままじゃ、あの方達は反対側の出口から出て、言葉の通じない外国の土地で道に迷ってしまわれます。
しかも、間違ったことをお教えした私は「ニコニコと親切なフリして大ウソ教えた日本人」ではありませんか!
「先生、ちょっとさっきの人達を追っかけてくるわ!!ここで待っててー!」
「分かったー!」
との答えもそこそこに、はしたなく着物でダッシュしました。
まだ改札を出ないでいて~、と願いながら。
そして、2階のホームに上がってきょろきょろと探しますと、ありがたいことにまだそこに4人で立ち止まっておられました!
やっぱり、分からなくて迷っておられた感じです。
よかったー!
「ごめんなさーい!間違えましたぁー!!」
と、手を振りながら駆け寄りますと、皆さんすごくホッとした、嬉しそうな顔をなさいました。
謝ってから、「やっぱりさっきの改札口なんです!」と、ご説明しますと、すごく喜ばれ、英語を話せない女性の方が、英語を話されたもう一人の女性の方に何やら声をかけられました。
その方がリュックサックを地面に置かれましたので、「いえいえ、今から一緒に改札まで行きましょう。」と、私は申し上げました。
すると、その女性はリュックサックからキーホルダーをひとつ出されて、「これをあなたに。」と、なんとプレゼントしてくださるというのです!
そんなー・・・。
私が間違ったことお教えしたからあわてて追いかけただけなのに。
辞退しようとそう申し上げたのですが、その4人の方達があまりにも喜んで是非にと差し出されましたので、ありがたく頂戴することにしました。
すると、
「このキーホルダーの中には、ユダヤ教の聖書が入っています。
あなたにたくさんの幸運がくるようにという、お守りです。」
と、おっしゃってくださいました。
嬉しい・・・♥
たしかに見ますと、キーホルダーの中に本のようなものが入っています。
幸運のお守りですって。
とーっても、嬉しかったです!
改札までご一緒しているうちに、その方達がイスラエルからいらしたこと、イスラエルの国は美しいところですよ、などということをお聞きしました。
まだ見たことのない国の美しい景色に思いを馳せ、とても幸せな気持ちになりました。
「よい旅を!」
と、言葉をかけ、その方達と改札口を出て別れました。
その、いただいたユダヤ教の聖書が入っているというキーホルダーが、こちらです。
嬉しがって記念撮影なんかしたりして( ̄∇ ̄)
お恥ずかしい話、私はユダヤ教のことはよく知りません。
何をよしとし、どんな神さまを崇拝してらっしゃるのか、知りません。
ですが、そのユダヤ教のお守りをいただいたとき、ずっと以前にテレビで見たある男性の言葉を思い出しました。
その方はイスラム教を信じている方で、住んでおられる国でシーア派とスンニ派が対立していたのです。
そして、ご自身の息子さんを、反対派の勢力に殺されてしまわれていたのです。
その方がおっしゃるには、息子さんは亡くなる前に、
「お父さん、シーア派とかスンニ派ってなぁに?」と尋ねたことがおありだそうです。
「今なら私はこう答えます。
『シーア派もスンニ派も同じだよ。幸せを求める、人の世の悲しみだよ』と。」
その方は、テレビの中で悲しそうに、そうおっしゃっていました。
幸せを求める、人の世の悲しみ。
息子さんを殺されてしまわれたのに、反対派の信仰を恨むのではなく、
「“同じだよ”と、今なら伝える」と。
とても深く、心に残りました。
たしかに、世界中に色んな宗教があり、中には多分、自分の小さな世界しか知らない私からしましたら「それはちょっと受け入れがたいなぁ」と思うような教義もあるのでしょう。
ですが、たとえ教義そのものは理解できなくても、少なくともその神さま(など)を信仰する人の気持ちを理解しようとする人間ではありたいなと思っています。
そのお父様のように、身内を殺されてまでそう思えるかどうかなんて到底分かりませんが(いえいえ、多分ムリ!)、今の時点では、少なくともそう思っています。
そして、そのお父様のおっしゃった、「幸せを求める、人の世の悲しみだよ」という言葉を、忘れないでいようと思っています。
ちなみに、キリスト様は「愛」を説かれたそうですし、佛様のお心は「慈悲」なのですねぇ。
「悲」という字が、使われています。
どうしてだと思われますか・・・?
異国のお守りをいただいて、ふと、そんなことを思い出したのでした。
遥か海の向こう、大陸の向こうからきたお守り。
間違った道案内をしてしまいあわてて追いかけた私に、喜んでお守りをくださったイスラエルの方の嬉しいお気持ちが込められています。
もうそれだけで、とっても幸運でしたよ♥
合掌
綾野さん こんばんは いつもブログを楽しみに読んでいます。人の思いに国境はない、同じ思いです。お守り よかったですね!
私も読んで うれしくて、メール送りたくなりました。ほんとによかったですね!
育恵さま、ありがとございますー!
コメントとっても嬉しかったです(^-^)
こちらこそ、いつもサウスコルさんの投稿を拝見する度にホッと幸せな気持ちになっております。
先日の「野鳥の声」の動画を両親に見せましたところ、とても喜んでおりました。
また是非お邪魔いたしますー!
ユダヤのお守り、良い記念になりましたね。その方たちは、きっととても嬉しかったのだと思います。
実は私も似たような経験をしました。東京の日暮里駅で、成田空港に向かうイスラエルの若い女性と出合い、飛行機の出発時刻に間に合わないかもしれない、と焦る彼女を空港の出発ゲートまで送って行ったことがあるのです。
四年前の冬の、父の入院先の病院へ向かう途中の出来事でした。
彼女が成田へ向かう電車のなかで、「イスラエルは美しい国です」と話してくれたことや、別れ際に「良い旅を」と言ったことなどが同じでした。
このような小さな出合いこそ、国を越えて信頼や友情を築いて行くために大事なことなのかもしれませんね。息子を殺されたお父さんのようには、私も到底なれませんが…。
「慈悲」という言葉は、人のためを思うとき、必ず自分の痛みを伴うから悲しみという字がついているのかな、という気がしています。
服部様
空港のゲートまで送られたとは、とてもご親切でいらっしゃいますね。
なかなかできることではないと思います。
その方もさぞ喜ばれたでしょう!
日本に来られた方達に、日本の国で出会った人達はいい人だったなーと喜んでいただければ、私達も幸せですね。
コメントありがとうございます。
ぼちぼち風邪から復活しつつあります!(長すぎた今回の風邪・・・。)
ただお人好しなだけなんですよ。
お風邪がよくなられた様で、ほんとに良かったですね。
ありがとうございます!
またぼちぼち更新してまいりますので、お楽しみいただけますと幸いです(^-^)