甘い誘惑。その2

(甘い誘惑。その1のつづき)

三居沢の滝の前で瞑想していた宇賀神先生の目の前に

「我は大日如来なり。我を礼拝(らいはい)せよ。」

というはっきりとした言葉とともに、頭を剃って白衣(僧衣の下に着るもの)を着た、まるでお地蔵さんのような佛さまの影が現れました。

宇賀神先生は思わず頭を下げ、礼拝しようとしました。

 

ちなみに礼拝とは正式には、ひざまづいて額を地面につけ、両手で独特の印を結んで前に差しだし、頭上に佛さまの御足を頂くという、佛さまへの最大の礼をつくすご挨拶の作法です。

 

ところが、ふと、

「あれ?」

と、宇賀神先生は思いました。

そして、その“佛さま”に向って言いました。

「何かおかしいんじゃねーの?」

と。

 

宇賀神先生は続けます。

「大日如来は『無説法』と言われているんじゃなかったか?

宇宙そのものである根本佛(こんぽんぶつ)の大日如来は、いちいち説法して歩かないはずだけど?

・・・さてはお前、大日如来なんかじゃないだろう!」

 

すると、頭を剃った僧形の影がスーッと滝の奥に消え、再び現れた“それ”は、額に丸い鏡のようなものをつけた鉢巻を巻いて、山伏さんのような白装束を着ていました。

宇賀神先生はその瞬間、理解しました。

そして、

「お前はこのお滝場で修行しているうちに滝の上から岩が落ちてきて死んじまった行者崩れだろう!

大日如来のふりをして俺を惑わそうなんざ、一体どういうつもりだ!!」

と、喝破なさいました。

 

すると、再びスーッと姿を消し、今度はそれっきり現れませんでした。

正体を見破られたと思ったのでしょうか。

 

宇賀神先生はその時ひとつのことを理解なさいました。

こうして、人は惑わされるんだ、と。

こうして、不成仏霊は人を惑わすんだ、と。

 

宇賀神先生は常日頃から、

「霊になんか関心を持つんじゃないよ。」

と、おっしゃっています。

「霊はマイナスの存在だからね。」

「だから、プラスの存在の人間に近づき、人間のプラスの氣を取るんだよ。」

「だから、相手にするんじゃないよ。」

と。

 

こうおっしゃるのは、このお滝場での経験がおありだからなのかな、と思います。

 

人には欲があります。

力が欲しい。

お金が欲しい。

地位が欲しい。

名誉が欲しい。

 

その欲に、文字通りの「魔」が差します。

つまり、ときには霊も、人の欲につけ入るのです。

 

お滝場で力を得ようと修行している人に、その同じ場所でお修行に失敗して不成仏霊と成り果てた霊が、まことしやかにありがたい佛さまのフリをして近づいてくるのです。

「お前について、力を貸してやろう。」

と、大概の場合は甘い言葉で、甘い誘惑で、人の欲につけ入るのです。

 

宇賀神先生の霊感は確かで、それが本物の大日如来さまではないと見抜かれました。

でも、それを不成仏霊のウソだと見抜けない人だったら?

力が欲しいという欲につけ込まれ、

「自分は大日如来さまに目をかけられるほど、実はすごい能力を秘めていたんだ!」

と勘違いして。

そう信じてしまって。

その人はどうなると思われますか?

 

そんな風に踊らされた人の末路など、あまり想像したくもありませんが・・・。

宇賀神先生がおっしゃるように、霊が「人間のプラスの氣を欲しがる」のであれば、その人の氣の力も、運氣も、やがては何もかもを吸い取られるでしょう。

それはまるで、寒さで震える人が温かいものにすがって熱を得ようとする時のように、寒い霊(マイナス)は、人の温かい熱(プラス)を奪おうとするのです。

 

「まことしやかに神佛のフリをして近づいてくる霊がいるんですよ。だからあなたの『見た』もの、『聞こえた声』には心をとらわれない方がいいですよ。」

・・・と、つい最近も懇切丁寧に話したのに、聞く耳を持ってくださらなかった人がいました。

このようなお話は、何も宇賀神先生の40年ほど前のこのエピソードに限ったことではないのです。

いっくらでも、今現在でも、腐るほどあります。

私も何人か宇賀神先生のもとにご相談にいらした方達を見ました。

その度に宇賀神先生は

「その声(姿)を信じない方がいいんじゃないかな。それよりもっと人生でやるべき大事なことがあるんじゃないかな。」

と、お伝えしてきたのですが・・・あまり聞いてはいただけませんでしたね。

 

だってやっぱり、

「自分は佛さまに目をかけてもらえた!」

と信じてしまった方は、そのキラキラした喜びに目がくらみ、

「それって佛さまのフリをした、あんまり性質のよくないものだと思いますよ。」

という言葉など、耳に入らないのです。

 

 

それで、このブログのタイトルからも「霊能者」を外すことにしたのです。

「目に見えない世界は、確かにあります。(と、私は信じています。)」

「神さま、佛さまの世界は、本当に素晴らしいです。」

「暗い存在の霊にも、遭遇しました。」

「でもそれは本当にデリケートな世界の話で、本物とウソを見極めるのが難しいです。」

「また、それを利用して、多くの人をだまして搾取しようとする人達もいます。」

「だから、下手にのめりこまない方がいいのです。」

「でも本当に、神さまや佛さまや、氣というものの、素晴らしい世界があるのです。」

「と、以上のことを、私は信じています。」

ということをお伝えしたくて、このブログを始めました。

ですが、一歩間違えれば危うい世界だとも思っておりますので、

「ですのでこのブログも、おとぎ話でも読むように一歩引いたところから楽しんでくださいね♥」

と、お伝えしてきました。

 

それがつい最近も、宇賀神先生も私も「その見えた光には心とらわれない方がいいよ。」とお伝えしたにも関わらず、聞いていただけなかった方がいらっしゃいました。

その人のためを思って、一所懸命お伝えしたつもりだったのに。

これはこれで、「成就しなかったご縁」のひとつだったと諦めるしかないのでしょうか。

私はちょっと悲しかったですが、仕方がないですね。

 

合掌