先日は急に思い立ち、宇賀神先生と映画「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」を見てきました。
私はこの映画の原作、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」という小説が大好きなのです。
ただし、お大師さん(空海さま)の実像としてではなく、幻想的な雰囲気のSF小説として大好きでした。
この本と出会ったときは夢中になって読みましたが、逆に「読み終わるのがもったいないから読み進めたくない」という、なんとも矛盾した気持ちが湧きあがるくらい大好きだったことを覚えています。
映画そのものに関しましては、これまた原作とも内容がかなり変わってきており、唐の時代の風景のCG映像が良かったのと、主人公役の方のお顔がキュートでした♥とだけ申し上げておきましょう。
やはり、多分に史実に近く、「もしかしてその時代生きていらして、実際にお大師さんをご覧になったのでは!?」と申し上げたくなるような小説といえば、司馬遼太郎さんの「空海の風景」でしょうか。
その小説「空海の風景」の中で、お大師さんのお名前「空海」に関する、とても素晴らしい司馬さんの考察が書かれてありました。
まずはこちらの写真を見ていただきたいと思います。
これは去年の12月に、瀬戸内海に面した四国は香川県の五色台(ごしきだい)というところで撮影しました。
旅館のお部屋から撮影しましたので、ちょっと窓ガラスの反射とかが写ってしまっていますね。
遠くにうっすらと見える大きな橋が瀬戸大橋です。
まさに「多島美」という言葉はこの景色のためにあるのでは、という美しさでした。
画像がぼやけずに見えるといいのですけれど。
ここは香川県、我らが弘法大師 空海さまのお生まれになった讃岐の国です。
五色台は実際にお生まれになった場所からは少し離れていますが、お大師さん(空海さま)は瀬戸内海に面したここ讃岐の国でこの世に生を受けられました。
幼い頃のお大師さんにとりましては、海と言えばこの穏やかな瀬戸内の海だったのではないでしょうか。
ところが司馬遼太郎さんは、お大師さんがご自身のお名前を「空海」、つまり空と海、と名づけられたけれど、多分にその「海」は瀬戸内海のような小さな海を見て名づけられたのではないのだ、とおっしゃっていました。
そうではなく、お大師さんの人間としてのスケールを考えたときに、高知など四国の中でも南の方から見える、その果てしない先には世界があるという、大きな大きな太平洋を見て「海」とつけられたのではないだろうか、と。
お大師さんがまだ若く、無名の私度僧(しどそう:律令制度のもと、官の許可なく勝手に僧となった人)でいらした頃、山野での厳しい修行に明け暮れ、四国じゅうの山に入られていました。
当然、高知からの太平洋もご覧になられたでしょうね。
たしかに、ずっと以前に四国八十八か所巡りをしていて、地球の形そのままに、まぁるく見える水平線の太平洋を見たときには、「きっとそうだ!」と思いました。
世界につながっている、黒く青い、果てしなく大きな海。
この先にはどんな景色が待っているのだろうと、まだ見ぬ世界への憧れを抱かせる大きな大きな海。
まさにお大師さんのスケールそのものでした。
・・・ですが私は去年、この光に溢れた多島美を見て、「いえいえ、もしかしたらその『海』は、太平洋でもあるけれど、それと同時に瀬戸内海の穏やかな明るい美しさも含まれているのでは?」とも思いました。
私が何度か感じたお大師さんは、大きさはそれこそ山のようだったり、空のように果てしなくていらっしゃいました。
たしかに司馬遼太郎さんのおっしゃるような、世界につながる大きさです。
ところがそれと同時に、限りなく優しい光を感じのです。
それは荒々しい波の外海に照りつける厳しい日差しではなく、瀬戸内海の春の波がたたえるような、とっても明るくて、ずっとそこに浸っていたいような優しい光でした。
五色台から眺める、光溢れる多島美の景色を見ておりますと、ふと、そのような思いに至りました。
1200年以上の長きにわたり、人々を魅了し続けるお大師さん。
実際に生きていらした頃は、どんな方だったのでしょうね。
私自身が四国で「お会いした」と感じたときのお大師さんは、すでに人間としての存在感ではなく、遥かに大きな「世界そのもの」でした。
ちょっと面白いのですが、高野山で「お会いした」お大師さんは、すごく別の感じでしたが・・・。
このお話もいずれ、また。
まあ、ですが、今日のお話はあくまでも私の感性の問題ですね。
真言門徒の端くれの端くれで、空海さまLOVE♥の、私個人の感性です。
四国八十八か所巡りをしてお大師さんに惚れ込んだため、高野山にまで(最短コースでしたが)上がってしまった、ワタクシ個人の感性です。
実際に四国八十八か所巡りをなさって、司馬遼太郎さんの小説を読まれた方は、もしかしたら「いやいや、やはり空海さまの『海』は太平洋でしょう!」とおっしゃるかも知れません。
同じ景色を見ましても人によって感じるものが違うように、大きな存在のお大師さんも、色々に感じられるのだと思います。
本当に、山のように空のように海のように大きな存在だったお大師さん。
大好きすぎて独り占めしたいのですが、日本一の富士山も独り占めできないですものね。
みんなでシェアするしかないのかぁ・・・チェッ(T-T)
合掌