車の神様 その1

今までも身近な神様をご紹介しましたが、今日の神様もものすごく個人的?にお世話になっております神様です。

私たちの車「サンダース号」に乗ってくださっている神様です。

宇賀神先生と私はその神様のことを「出雲の神様」とお呼びしています。

出雲の神様との出会いは、私にとりましても衝撃的でした。

 

あれは忘れもしない、新婚1年目♥にサンダース号を買ったときのことです。

 

それまで宇賀神先生はパジェロに乗っておいででした。

先生が片目を失われてからは私がずっと運転しておりましたが、パジェロのオフロード的な感じがすごく好きで、足回りもとても強く、大好きでした。

ところが新婚2か月目にして宇賀神先生が脳梗塞を起こされて、以前にも増して食事療法に気をつけないといけなくなりました。

そうなりますと、先生の大好きな湯治に行く際も、宿に泊まる回数を減らさないといけないようになりました。

それまでもパジェロで車中泊を楽しんでおりましたが、ますます本格的に車中泊しないといけなくなったのです。

もちろん「上げ膳据え膳」のお宿は私としましては大好きなのですが、先生が味が濃くてカロリーも高い宿のお食事を召しあがるのを見ておりますと、宿に泊まることを全然楽しめなくなっている自分に気づきました。

「あんなにお醤油をかけて!」とか思ってしまい、イライラするのです。

 

そんな事情もございまして、ついに宇賀神先生の長年の憧れでした、キャンピングカーを買うことにしました。

 

生まれて初めてキャンピングカーを間近に見たときは、「はたしてこの大きな車を運転できるのだろうか」と不安になりました。

大きいと申しましても、実は車体の前後左右の幅は普通車と同じです。

今まで運転しておりましたパジェロとあまり変わりありません。

ただ、車高が高いだけなのです。

エンジン性能に比べて車体が重いためマニュアル車にしましたが、パジェロもマニュアルでしたので、条件はほぼ同じはずでした。

 

ですが、同じ普通車でも今まで乗り慣れておりました車とは違う車は、車両感覚が取りづらかったり、アクセルやクラッチの感触も違い、私にとりましてはなかなか運転しにくいものでした。

しかも車の後ろ側の住居部分の重量が重く、車高も2.6mと高かったですので重心が高くなり、車体がゆらゆらと揺れて怖かったです。

頭では「今までのパジェロと同じ」と分かっておりましても、実際に乗り始めた頃は交差点の真ん中で右折する際にエンストしてしまったり、まるで仮免許か運転初心者のような有様でした。

道を走っておりましても、運転席側よりも幅が広くて背も高い住居部分が後ろについていると思うだけで感覚がとれなくなり、車線のなかをなんだかフラフラと下手に走っておりました。

 

ですが、慣れるしかありません。

車を買ってそんなに日もたっていなかったと思いますが、遠出することにしました。

宇賀神先生も大好きな出雲大社さんにお参りに行くことにしてのです。

スパルタ方式ですね。

 

出雲さんをご存じの方は思い出していただけるかと思われますが、あそこは神社の方に向ってT字路が突き当たるように道があり、しかも突き当りに向って坂道を上っていきます。

しかも確か、信号もないT字路だったと思います。

車は混んでいて、ノロノロ運転です。

そう、出雲さんの駐車場に入るために、私の苦手な「坂道発進」を繰り返さないといけないのです。

それもパジェロと違い、何度もエンストしてしまう慣れない車で。

もうそれだけで、泣きたい気分でした。

 

案の定、「おおっと!」と、やや後ろに下がりながらも何度か坂道発進をしていたときです、ふいに、スーッと私たちの車列全体が流れ出しました。

「あれ、めっちゃ進む!このまま止まらずに突き当りを右折させてー!」

と、心の中で叫びながらアクセルを踏んでおりますと、本当にそのまま長い距離を止まることなく、突き当りの大社さんまで行けました。

その交差点で左側を見ますと、たまたまテレビ局の大きなカメラとマイクを、大社さんからこちらに向かう方向で数人の方が押しながら横断歩道を渡っておられ、それで左右に通行する車が一時的に止まり、私たちの車列がその恩恵を受けて進むことができたようでした。

しかも私たちから見まして左側の横断歩道を渡っておられましたので、右折するのには何の支障もなかったのです。

翌日はマラソン大会が催される予定だったようで、そのための大きな大きなカメラでした。

 

「うわー。めっちゃラッキーやったなー♥出雲さん、ありがとうございますー!」

と、お礼を申し上げながら出雲さんの目の前を右折し、駐車場の方へ道を走っておりますと、ふと車両感覚が取れている自分に気づきました。

キャンピングカーが怖くなかったのです。

走り方も、フラフラしません。

アクセル、クラッチワークの感覚も、完全に自分のものになっています。

ずっと乗り慣れておりましたパジェロのように、車と自分が一体になったような感覚に、一瞬でなれたのです。

本当に「ある瞬間をさかいに」という表現がぴったりでした。

 

「あれ、なんか急に運転が全然怖くなくなったよ。」

と宇賀神先生に言い、ふと前方の地面を見ますと、自分が運転している車の影の屋根の部分に、「何か」が乗っているのが見えました。

もちろん、本当に目に見えているのではありません。

地面には、車の影しか映っていません。

ですが、それでも私の目にはどうしても車の屋根の上に、なんと「ビリケンさん」のような金色のお人形さんがちょこんと乗っているようにしか見えないのです。

大阪人の方には馴染みの深い、全身が金色に光っているあのビリケンさんです。

ちょっと笑ってしまいそうですが、本当に私の目にはビリケンさんがちょこんと乗っておられるようにしか見えませんでした。

 

びっくりして、そのお姿の可愛らしさに何だか笑いそうになりながらも、宇賀神先生に

「なんかビリケンさんみたいな人が乗ってはるー!」

と言いました。

 

その2につづく

 

合掌

2件のコメント

  1. 今回のブログの記事、よくわかります。
    というのは、わたしも最近出雲大社に行ってきました
    たしか、皇族の高円宮典子さまと大社の禰宜の千家国麿さんのご婚約の発表があった翌日でした。鳥居の前の店には、その記事が載った新聞が張ってありました。
    たしかに、仰るとうり、地形は大社に向かって登りになっていましたし、T字路にもなっていました。そう信号もなかったように思います。免許取立ての者にとっては、あの坂道はそうとう気を遣うところだと思います。マニュアル車ではなおさらです。たとえ、それが、同じマニュアル車でも、買い替えたばかりの車であっては、形状が違っていただけでも、感覚がとりづらく運転も難しいものとなるはずです。
    それに加えて出雲大社までの長距離ドライブは、スパルタ方式??といっても、それはよく分かります。
    道路状況が渋滞で、「ついてないな~」と思っていたのが、右に曲がる車だけが、すい~っと進める。
    なんらかの事情で渋滞に巻き込まれ、なんらかの事情でその部分だけが、すいっと進める。
    「すっごいラッキー」との心の思いが、その場の状況で安心感になり、その感覚が不安を次々と解消していくことになったのでしょうか。
    「急に運転が全然怖くなくなった。」ということがあったのですね。
    私も日常生活のなかでは、よくあることですが。
    ちょっとだけ大きなラッキーがあると、
    「ついている~神様ありがとう~」と思うことってあります。
    その瞬間、々々を今まで以上に意識していけば、人生観もかわってくるかもしれませんね。
    今回のブログを拝読して、そんな思いをいたしました。
    ありがとうございました。

    1. 樫内様、いつもありがとうございます!
      そうですよね、アンラッキーなことは都合よく忘れ、ラッキーなことは拡大解釈する、という極めて建設的?な姿勢で私も生きていこうと願っております。
      ですがここだけの話、いまだに坂道発進はキライなのですー(^-^;)

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