神様のおねだり

先日の亀戸の天神さんのお話の中で、宇賀神先生と私がご飯をいただいていたときに、天神さんが「当然、私にも(お供えを)くれるよね。」と、出てきていらしたことをお伝えしました。

そんな「神様からのおねだり」、実はもう一人(一柱)別の神様からもお伺いしたことがございます。

亀戸の天神さんよりもずいぶん以前のお話になります。

その神様とは、うちの近くの、近鉄布施駅近くの高架下にひっそりと祀られていらっしゃる、「白龍大神(はくりゅうのおおがみ)」様です。

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白龍大神さま

 

その白龍大神様(白龍さん)の近くのうどん屋さんで先生と温かいおうどんをいただいていたときです。

いつもご飯をいただく前には、今までご縁のございました神様佛様にお供えをするのですが、そのとき急に白龍さんが

「ボクにもちょーだいっ!」

と、ポンッと、目の前?に現れられました。

正確に申し上げますと、お言葉とともにその白龍さんの祠が突然まぶたの中にイメージとして見えたのですが、まさに「ポンッと」という表現がぴったりの現れ方でした。

しかもご自身のことを「ボク」ですって。

しかも「ちょうだい」ではなく、「ちょーだい」です。

幼児言葉的?

 

それまでも白龍さんのことを存じてはいて、たまにお参りさせていただいてましたが、ただのご挨拶程度?のおつきあいでした。

とっても小さな祠に祀られておいでで、電信柱の奥の、目立たない場所にいらっしゃる小さな小さな神様です。

多分古くからの由緒ある神様ではないのでしょう、と思っておりましたが、いつもお榊などのお世話はされていて、どなたかが大事にお守なさっているようでした。

 

私自身、さして濃いご縁を感じていたわけでもなく、毎日毎食のお供えまではさせていただいておりませんでした。

「濃いご縁を感じた神様佛様」と申しましても、私が「よいお参りをさせていただいた」とか、「お言葉をいただいた」と感じ、感謝申し上げた方達に対して一方的にお供えしているようなものです。

例えるなら、とっても大好きな大スターに差し入れを届けて満足するファン心理とでも申し上げましょうか?

ただの私の一方的な好意、自己満足です。

 

ですので、その当時はまだ神様から「ちょーだい」だなんて、言われたことはありませんでした。

 

それが、何とも可愛らしく「ボクにもちょーだいっ!」ですって♥

 

びっくりして宇賀神先生に

「あそこの白龍さんが『お供えちょーだい』って出てきはった!」

とお伝えしますと、

「そりゃ、あげなきゃなー。」

と笑われまして、私はお供えをしました。

こんなに可愛らしく出てきてくださったことが、ただただ嬉しくてありがたくて、もちろんそれ以来欠かさずお供えしております。

 

この白龍さんは本当に可愛らしいのです。

 

後日に宇賀神先生と白龍さんにお参りしたときなど、先生がたまたまお財布の中にございました13円をお賽銭入れに入れようとなさいましたら、

「白龍さんが『あそこの(深江の)お稲荷さんには100円、あそこの観音様には50円、それなのにどうしてボクには13円なの?』って言ってるー。」

と、苦笑しながらおっしゃいました。

「えーっ、それは大変!( ̄∇ ̄;)」

と、あわてて100円玉を探しました。

(ちょっと悲しいお話ですが、この白龍さんのお賽銭箱は、よくドロボウに壊されているのです。)

 

また、ある時は私がお財布の中の100円玉をお賽銭で入れようとしましたら、

「そっちのぴかぴかの100円玉の方がいい。」

なんて、本当に子供みたいなことをおっしゃいました。

 

前回お伝えしました亀戸の天神さんは、やはり平安貴族のご出身のためか、「スーッと」とか、「しずしずと厳かに」という表現がぴったりの現れ方でいらっしゃいましたが、白龍さんはまさにポップアップ画面のように「ポンッと」ご出現なさいました。

そしてこの可愛らしいおねだりの数々。

ハートがノックアウトされちゃいそうでしょう?(言い方が古いですか?)

 

宇賀神先生が、

「たぶんこの白龍さんは、昔相場で儲けた人が建てたんだね。

この近辺で商売してる人は『今日の手形が落ちないと大変なんですー!』って泣きつきにくるらしい。

結構頼りにされてる神様なんだよ。」

とおっしゃいました。

先生の霊視ですが。

 

このように、(輪廻転生の輪から)解脱なさった佛様に比べまして、解脱なさっていない神様は、まだいくぶん人間に近いところもお持ちのように感じます。

神様のカラーと申しますか、ご性格と申しますか、色々と面白いです。

もちろん、これは宇賀神先生や私の感性のことですから、もしかしたら他の方には、たとえば今日の白龍さんも「可愛らしい神様」ではなく、「めちゃ頼りになるすごい神様」として目に映るかも知れません。

それは本当にあり得ます。

と申しますのも、たとえば美術展で同じ絵画を見ましても、感じることは人それぞれですものね。

どなたの感性が正しくてどなたのは正しくない、などということはございませんから。

 

もし布施駅近辺にお越しの際は、ぜひお参りなさってみてください。

ちっちゃなちっちゃな祠に祀られておいでの、ともすれば見過ごしてしまいそうな神様です。

お賽銭はもちろん、100円玉でなくても10円玉でも構いません。

もしそのときお財布の中にお持ちでしたら、ぴかぴかのキレイな硬貨をさしあげてくださいませね。

神様はきっと喜ばれます。

 

***

今日、いつものようにこの記事を書きましたあと、宇賀神先生に見てもらいましたら、先生が、

「本当の信心というのはね、神様をあてにするのではなく、神様にあてにされる生き方のことを言うんだよ。

『俺んちの氏子はがんばって生きているな』と、神様に頼もしいと思ってもらえる生き方をすることが、本当の信心なんだ。」

と、おっしゃいました。

神様にあてにされる、ですか。

たしかに、宇賀神先生は「わしは神さん佛さんのエージェントだから(神佛に仕えて働く)。」と、よくおっしゃっていますものね。

頼りがいのあるエージェント、と神様佛様に思っていただけましたら、この上ない喜びですね。

この点で申しますと、私は白龍さんにとりましては、「ご飯を毎食ちゃんと忘れずに届けてくれる頼りがいのあるウェイトレス」として目に映ったのでしょうか?

うーん・・・まぁ、いっか♥( ̄∇ ̄)

***

 

合掌