ずいぶんとご無沙汰しており、申し訳ありませんでした。
お釈迦様にお会いしに行ってから後、何かとばたばたしております。
やっぱりちょっと、この落ち着きの無さは年末まで続きそうです。
いえいえ、私が超多忙人間なのではなく、超のんびり人間のために物事がなかなか片づかないからなのですよ、念のため。
ちなみに宇賀神先生が私につけたアダ名は「トロ子」です♥
私の父は現役の会社員時代に「スピーディー松岡」と異名をとるほど仕事が早い人でした。
その名残は今もあり、いまだに何でもスピーディーにこなします。
そんな父のDNAを一体どこに置き忘れてきたのか、対照的な私を見て宇賀神先生は、
「“スピーディー松岡”の娘がどうして“スローリー綾野”なんだ~( ̄∇ ̄)」
といつも笑います。
と、そのようなことはさておき。
つい昨日のことです。
朝のお勤め(お経を読むこと)の後、いつものように私は瞑目しておりました。
瞑想と申しますほど大したことをしているのではありません。
ただ、お経を読んでいい気持ちになったときにしばらく目をつぶり、色々な考えが浮かんでは消え、することを楽しんでいるのです。
以前このブログでもお伝えしましたが、「笹の小舟を折って流すように」、自分の中の考えが浮かんできては消えていくのを、見るとはなしに見ています。
そのような時間の中、昨日はふと
「あ、東寺さんで今たしか秋の特別公開を開催しているな。」
と思い出しました。
今年の春に東寺さんにお参りしました(密厳国土)ときに衝撃を受けました、あの特別公開の秋版です。
それを思った瞬間、うちのお仏壇の下の引き戸(お線香などを入れております)が、風もごさいませんのに「カタン」と音を立てました。
朝は寒いので窓を開けておりませんでしたし、1時間程そこに座っていてその間は物音もしませんでした。
「ああ、これはサインかな。」
と思いました。
お大師さんが
「おいでよ。」
とおっしゃってくださっているのかな、と。
このことを宇賀神先生にお伝えしますと、
「きっとそうかもね。」
とおっしゃいました。
「でも、どうしてお大師さんは『見に来てほしい』と思われるのかな。」
と尋ねますと、
「そりゃ、お大師さんがお若い頃に人生の燃えるような情熱のありったけを込めた世界を、見てほしいんだろうよ。」
ですって。
妙に納得してしまいました。
「人生の燃えるような情熱のありったけ」ねぇ。
たしかに、今となりましては、東寺さんや高野山、お四国さんなどで私が感じたお大師さんは、それこそ佛様のような大きな大きな存在でした。
生きていた人間としてのパーソナリティは感じられず、人格というような範疇を超えて、例えて申しますならば無色透明な佛様としての存在感、とでも申しましょうか。
どうも私の稚拙な言葉では表現しきれませんが、とにかく深遠な存在でいらっしゃいました。
ですが、そのようなお大師さんも、平安時代には一人の人間として実在しておられたのですものね。
燃えるような情熱。
もちろんそれだけではなく、素晴らしい才能と命運と財力にも恵まれていらしたのですが。
お大師さんは膨大な密教の体系を、たった700日ほどで唐より持ち帰られました。
本当は20年間?は唐から帰って来てはダメだという遣唐使の制度のもと、海を越えて唐へ渡られたのですが、お大師さんは勝手に2年程で日本へ帰ってこられました。
もう全て必要なもの(密教の全体系)を得た、となさって。
背景には、恵果阿闍梨(けいかあじゃり・密教の第7祖。お大師さんに全てを教えられた師僧さん)に、
「唐ではやがて密教も佛教も滅びる。早く日本に密教を持ち帰りなさい。」
と言われたこともございます。
ですが、それもこれも全て天才的な頭脳なくしてはできなかったことでしょうが、これらを支えたものは、
「情熱」
なのですね。
燃えるような思いが、1人の人間に、信じられないような偉業をなさしめたのでしょう。
燃えるような思い。
私は、持っているだろうか?
(ちょっとしんどいとブログ更新も怠るくらいですからねぇ(^-^;))
お大師さんのその思いは、1200年以上たった今でもこの世界に息づいています。
東寺さんの建物群の中に「観智院」(かんちいん)という、もともと密教教学を教えるために建てられた建物があるのですが、そこに一歩足を踏み入れますと、その場に存在する空気の違いを感じられますよ。
この春に参りましたときも、私は建物に入るだけでまた涙が出て止まらなかったほどです。
完全にアヤシイ人でしたね。
観智院の中に飾られておりました宮本武蔵の描いた二幅の絵など、アウトオブ眼中で素通りしました。
私は絵が大好きで、宮本武蔵の有名な百舌鳥の絵なんかすごく素敵だと思うのですが、あの日ばかりは、あの観智院の空間そのものに圧倒されて、彼の絵を見る余裕はございませんでした。
それぐらい、1200年たった今でも、お大師さんの情熱をひしひしと感じられる空間でした。
唐で学んでこられた密教を、日本で教え広め、密厳国土を今ここに現す、というお大師さんの情熱を。
やっぱり、お大師さんにお会いしに行きたいですねぇ。
サインなどというものは、往々にして本人の思い込みということもあるようです。
物事を都合よく解釈してしまうのです。(まさに「あるある!」ですね。)
ですが、昨日の物音がお大師さんの「おいでよ。」というサインでありましても、そうでなくても、そのようなことはどうでもいいことです。
私はただただお大師さんが大好きで、だからお会いしに行きたいと思うのです。
あのお方の情熱に触れたい。
息吹を感じたい。
うーん、やっぱり、行ーこうっと!
今年も東寺さんで11月25日まで秋の特別公開をなさっているようです。
皆様もぜひ、お大師さんにお会いしに行かれてみてはいかがでしょうか?
合掌