「祀り上げ」と亀戸の天神さま

「まつり上げる」という言葉をお聞きになったことはございますか?

通常は、誰かを何かの高い地位にヨイショと持ちあげて、その座につかせることを指すのでしょうけれど。

この言葉は、神様の世界でも、「祀り上げる」として使われることがあるようです。

 

皆さまは「天神さま」をご存じでしょうか?

よく学問の神様として尊ばれていらっしゃいます。

東京では、「亀戸の天神さん」が有名でいらっしゃるのですってね。

宇賀神先生と私も2度ばかりお参りさせていただきました。

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亀戸の天神さん遠景

 

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亀戸の天神さんにて

 

とてもよいお参りをさせていただきました。

 

ですが、実は私は天神さんが怖かったのです。

と申しますのも、天神さんは、生前?は菅原道真公(すがわらのみちざねこう)でした。

『東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』

の句は有名ですね。

学校の歴史で習われたかと思われますが、菅原道真公は平安時代に京の都から九州の大宰府に左遷され、そのことを嘆き悲しんで、恨みを残して亡くなられたのです。

そしてその恨みのため、道真公は亡くなったあと怨霊となり、京の都に災いをもたらしたのでした。

 

道真公のたたりにより平安京は荒れ、どうにもその魂が鎮まらないと、ついに打った手が「神様として祀り上げる」というものでした。

やんちゃな子も「キミは今日から学級委員長だ!」と言われますと、思わず委員長としてがんばってしまいますように、怨霊も、「これからは神様としてこちらにお鎮まりくださいませ」と言われますと、「じゃあ守ってあげようか」となるのでしょうか。

とにかく、たたりがひどかった菅原道真公も、学問の神様(天神さま)としてお祀りされますと、たたらなくなられたそうです。

 

私はこのお話を宇賀神先生からお聞きしていましたが、たとえ今は神様として祀られていらしても、以前は怨霊として怖れられていた菅原道真公は、私にとりましてはちょっとコワイ神様でした。

 

ところが、この写真を撮った1か月前の東京出張の折りに、亀戸の天神さんに初めてお参りさせていただいたとき、とても気持ちのいいお参りができたのです。

何と申しますか、拝殿の前で手を合わせますと、スーッと気持ちのいい「氣」が身体の中を通るのを感じました。

「あんまり怖くないかも・・・?

やっぱり、もう怨霊などではなく、神様なのかなぁ。」

と思いながらお礼申しあげ、天神さんを後にして、宇賀神先生と、すぐ近くのお店でご飯をいただくことにしました。

 

私も宇賀神先生と同じように、お食事をいただく前には色々とご縁のあった神様や佛様などにお供えをするのですが、思いがけずそのとき天神さんが、

「“当然”私にもくれるよね。」

と、出てこられました。

「うわー、またはっきりとしたお言葉をお聞きしてしまったよー。」

と、ありがたく嬉しいながらも、やはりまだどこか怖い思いがございましたので、

「では、さしあたり今日だけ・・・。」

と、最後に天神さんのお名前もお唱えして、お供えをいたしました。

 

そしてそのまま宇賀神先生とご飯を食べておりましたら、私は新幹線の疲れが出て、ご飯の途中にテーブルでウトウトしてしまいました。

そうしましたらそのとき、とってもいい夢を見たのです。

びっくりして目が覚めて、宇賀神先生に「こんな夢見たー!」と内容をお伝えしますと、その夢に出てきたものは、福や富を象徴するものだということでした。

そして先生が、

「実は天神さんは学問の神様として有名だけど、裕福な富の神様でもあるからね。」

とおっしゃいました。

「道真公は大宰府に『左遷された』と言われているけれど、その当時、大宰府は中国との貿易で潤っていたんだ。

つまり、お金には不自由しない地位につけていたんだな。

左遷と言っても、ずいぶん恵まれた地位だったんだよ。」

と。

 

えっ、富の神様・・・?( ̄∇ ̄)♥

 

そうなん?

(それならそうと、早く言ってくれればいいのに。)

 

と申しますことで、「さしあたり」どころか、その日から欠かさず天神さんにお供えをするようになったワタクシでございました。

それって打算?って、聞かないでネ。

いえ、だって、とっても気持ちのいいお参りをさせていただいてありがたかったですし、いい夢まで見せていただいて、何より神様の方から「当然私にもくれるよね。」とご請求いただきましたから♥

 

・・・と、言い訳はさておき、

神様は、やはりそれぞれのカラーと申しますか、ほんの少しではございますが、それぞれのご性格の違い?を感じます。

あのとき宇賀神先生に、

「天神さんがスーッと厳かな雰囲気で出てこられた。」

とお伝えしますと、

「やっぱり平安時代の貴族だったからね。」

とのことでした。

だから上品でいらしたんだ、と妙に納得してしまいました。

 

そしてこの「祀り上げ」は、確かに有効な手段なのでしょう。

 

世間では奥さんのことを「山の神」と申しますよね。

宇賀神先生も私のことを、山の神、っていうのです。

それって、「鬼嫁がコワイから祀り上げちゃおう。」という、歴史的に効果が証明されている有効な手段を使われていただけなんだ・・・ということに、今気づきました。

もうちょっと優しくしてあげなくっちゃね?

 

合掌