宇賀神先生が以前に勉強会で、「ぴかぴかと頭上に光る運の玉」について教えてくださったことがございます。
その頭上に光る玉とは、ヨガの世界ではクラウンチャクラや第7チャクラとも呼ばれていますね。
私にとりましてはとても印象的なお話でしたので、皆さまにもシェアしたいと思います。
ある冬の日の朝に宇賀神先生が車を運転しておられますと、パチンコ店の前に、開店を待って並んでいる中年世代の人達が見えたそうです。
失礼な言い方ですが、身なりもいいとは申し上げにくく、寒そうに震えながら並んでおられたのですって。
一体何を好き好んでパチンコのために寒空のもと震えながら並んでおられるのか、と思って見ますと、突然、その人達の頭上の「運の光の玉」が、とてもぴかぴかと輝いているのが見えたのですって。
先生はとてもびっくりなさったそうです。
と、申しますのも、その運の玉は、光を増すほどに運がよく恵まれた人生を歩めるものだからです。
宇賀神先生は不思議に思われました。
そんなにぴかぴか光るような強運の玉に恵まれている人達が、どうしてパチンコ店の前で朝から並んでおられるのか。
もっと、世に出て働き、活躍するなり、充実した人生を歩んでしかるべき強運に恵まれたような人達なのに、どうして、と。
このように思われますのは、ひとつには、宇賀神先生はパチンコなどの博打がお嫌いなのです。
「そんな博打に溺れずに、もっと人生上するべきことがあるはずだ。」
と、おっしゃっています。
ですが、あんまり不思議でしたので、宇賀神先生は佛様に尋ねられました。
「とてもじゃないけれど、恵まれた人生を歩んでいるとは思えないような身なりの人達がパチンコ店の前に並んでいました。
でもその人達の頭上の運の玉は、その人達の人生とは裏腹にぴかぴかと光り輝いていました。
それはどうしてですか?」
と。
すると、佛様が教えてくださいました。
この世は魂のお修行の道場だそうです。
生まれてきた人間は、それぞれの人生においてお修行し、功徳を積み、その功徳を持ってあの世に帰るのだそうです。
お修行とは、何も出家して読経したり滝行するようなことだけを指すのではなく、生きることそのものがお修行なのですって。
サラリーマンとして働くことも、主婦やお母さんとして生きることも、すべて、それぞれの人に与えられたお修行なのです。
それぞれの人生を魂のお修行と思い定め、歩んでこそ、功徳も積めるのですとか(多分)。
前世でよい人生を歩み、よいお修行をなさった人は、申しますならば人生というテストの点数(功徳)が良かった人です。
そのテストが満点になりますと、多分、悟りを得るとかの境地になるのでしょうか。
ですが、やはりなかなか満点になる人はいないようです。
ですので、佛様から
「もう一回別の人生を歩んでお修行し、点数(功徳)を得てきなさい。」
と、再びこの世に送り返されるのですって。
つまり、生まれ変わります。
ただ、満点ではなくとも好成績を収めた人は、次の人生で初めからちょっとしたアドバンテージをつけていただけるそうです。
それが、ぴかぴか光る運の玉に表れている、「強運」という名のアドバンテージです。
頭上の運の玉は前世の行い、つまり前世の功徳により光り輝いているのだそうです。
そのような人達は運が強いため、賭け事や勝負に強かったり、子供の頃はジャンケンやかくれんぼが強かったりするのですって。
よく「あの人は運が強いね。」と言われるような人達は、他の人に比べてこの頭上の光が強い人達だそうです。
ところが、これがまた人生の難しいところでありますが、なまじ運が強いため、悲しいかなその強運にあぐらをかいてしまうことが往々にしてあるそうです。
初めから持っている強運に輪をかけて努力なさる人もいらっしゃいますが、逆に努力を怠り、せっかくの強運をギャンブルに使ってしまう人がいらっしゃいます。
もちろん歯を食いしばって努力することがイコール功徳を積むことではありませんが、少なくとも、せっかくの運の良さをパチンコなどのギャンブルに溺れるような生き方に使うことは、功徳からは離れるような気がいたしますね。
「強運にあぐらをかく」
と、佛様はおっしゃったそうです。
せっかく積んだ前世の功徳を、今世で浪費するような生き方は勿体ないですね。
またそうしますと、今世では「よいお修行をした」とは言えないようで、功徳という名の人生の点数が低いままあの世へ帰ることになります。
点数が低いということは、今度は来世で、今世で持っていたぴかぴかの運の玉を失くした状態で生まれてくることになります。
それはつまり今世のような強運に恵まれず、人よりかなり努力しないといけないような人生になるのですとか。
何ともコワイ話ですね。
と、このようなことを宇賀神先生は佛様から教えていただきました。
先生は、大いに納得なさったそうです。
ですが、ここだけの話、宇賀神先生ご自身もお若い頃(今のお仕事を始められる遥か以前)はパチンコでお小遣いを得ておられたほどなのですよ。
そこそこ勝てたのですって。
なのにどうして先生は博打・賭け事がお嫌いになられたのか?
それは、
「宇賀神先生の人生そのものがギャンブルだから!」
に決まってますね!
もう少し堅実な人生を歩めばよかったものを?、なぜかギャンブル並みに波乱万丈な人生に・・・!?
もうこれ以上ギャンブルしなくても充分過ぎるよー!とご自身で気づかれたのでしょう、きっと。
v(^-^)v
それにしましても、ぴかぴか光る運の玉、ちょっと羨ましいですね。
明日はもうひとつ、運の玉についてのお話をさせていただきたいと思います。
合掌