宇賀神先生は「信仰とは、佛様に惚れて惚れて惚れぬくこと。」と、いつもおっしゃっています。
私はこの宇賀神先生の単純明快な考え方が大好きです。
私の頭は単細胞もいいところで、哲学的なムツカシ―ことはそもそも考えることを拒否してしまうのですが、宇賀神先生のこのお言葉は、すんなりと受け入れられました。
宇賀神先生は、
「だからね、そこには打算がないんだよ。
こっちの佛さんよりあっちの佛さんの方がご利益がありそうだ、ってごちゃごちゃ考えて拝むのは打算だよ。
それは、亭主の年収が高いから結婚するけど、収入が低くなったら好きでなくなる、もっと年収の高いあっちの男を好きになるっていうのと一緒だろ。
そうじゃなく、出会って、『この佛さんは・・・!』と思ったら、それでいいんだ。
一度惚れ込んだら、そのまま行くんだ。」
と、おっしゃいます。
そして宇賀神先生いわく、
「だから、お経は佛さんへのラブコールなんだ。
毎日『好きだー!好きだー!』ってラブコールを受けてると、たとえ初めはそんなに好きでなかったとしても、段々気持ちがほだされていくだろ?
そのうち『ちょっとは可愛い人間だな』って思ってもらえる日もくるかも知れんじゃないか?
だから、毎日佛さんにお経を読むんだよ。」
うーん、押しの一手、でしょうか?( ̄∇ ̄)
ちなみに、お経のことをなぜ「お経」と呼ぶのかと申しますと。
「経」とは、縦糸のことだそうです。
地球でも経度と申しますと、南北に走る縦の(位置を測るための)線のことですよね。
お経とは、佛様から人間に垂らされた御教え(佛法)の糸なのです。
お経とは佛様からいただいた御教えのお言葉で、有り難いものなのです。
ですので私達はお経本を開く前には、人様からプレゼントをいただいたときのように、必ず押し頂きます。
そして、佛様のお言葉(御教え)でありますお経をお唱えして、佛様に喜んでいただきます。
これを「ご法楽」と申します。
「佛法でもって佛様を楽しませる」のです。
お経を唱えることを
「毎日あなた様のお好きなお言葉をお聞かせして、喜んでいただきたいのですよ」
というように解釈なさって、宇賀神先生はそれを佛様へのラブコール、とおっしゃっているのです。
このように解釈しますと、お経は何ら辛気臭い(ごめんなさい。)ものではなく、楽しいものに思えてきますね。
そしてもし、この話をお聞きになって、
「お経を唱えることを楽しいことだというふうに捉える考え方があるんだな。
でも、般若心経もよく知らないし。」
と思われた方がいらっしゃいましたら、朗報です。
一番短い佛様への賛辞をお伝えいたしましょう。
それは、
「南無佛(なむぶつ)」
です。
これは日本に佛教が伝来しました、聖徳太子の時代からある言葉だそうです。
当時日本に住む人々は、新しく入ってこられた佛様に対してどのように拝めばいいのか分かりませんでした。
何しろ佛様とは初対面でしたからね。
現代のようにネットでGoogle検索すれば何でも分かるようなご時世でもありません。
そんななか、一番短くて一番簡単な佛様へのご挨拶が「南無佛」として伝わったそうです。
「南無」とは、帰依いたします、という意味です。
南無佛は、お経と申しますよりは、ご真言に近いような短さかも知れません。
日本で一番有名であろう般若心経も知らないけれど、佛様にご挨拶する言葉を知りたいな、と思われる方は、「南無佛」、簡単で分かりやすくていいのではないでしょうか。
「南無佛、南無佛、南無佛」
と、3回ほどでもお唱えいただければと思います。
押しの一手のラブコール、皆様のお気持ちも佛様に伝わりますように♥
合掌