今日は水子供養に関しまして、「騙される人こうしてはお金を出してしまうんだなぁ」と言うお話をしたいと思います。
これは宇賀神先生が今のお仕事を始められる少し前、まだ仙台に住んでおられ、ぼちぼち佛教や密教のことなどの勉強を始められたころのお話です。
宇賀神先生は、当時はコンクリートの運送会社に勤めておいででした。
先生の上司にあたられる方、通称Fちゃんが、仙台では有名な新興宗教団体で水子供養をなさっているとおっしゃったそうです。
その新興宗教団体では、「霊媒」をしてくれ、依頼者は亡くなった霊や水子と話ができるとのことでした。
そのFちゃんはおっしゃいます。
「俺が行くとな、(中絶して亡くなった)子供がな、嬉しそうに『父ちゃんー!』て出てくるんだよ。それでな、その子が『今度あの世で小学校に上がるから、ランドセルが欲しい』って言うんだ。だから今度持っていってやるんだよ。」
Fちゃんの亡くなった子供さんが、霊媒師の口を借りて語ったことを、このように話されました。
そして、もちろん本物のランドセルをお供え用に買っておられました。
宇賀神先生が、「そのランドセルをあの世に届けるのにいくら払うの?」と尋ねますと、その当時のお金で10万円、と答えられたそうです。
少しは佛教の勉強も始めておられた宇賀神先生はびっくりして、「それは絶対におかしいよ。」とFちゃんにおっしゃいました。
「水子があの世で育つなんて、そんなこと、どの佛教の宗派も言ってないんだから。
それにランドセルで10万円じゃ、次は自転車、中学校のカバン、それで大学生になるころには100万円のお供え料を取られるよ。」と。
そして、ひとつ入れ知恵をなさいました。
「今度その子供に会ったら聞いてみな。
『お前のお母さんの名前は?お前の誕生日は(霊にとりましては、あの世に行った日が誕生日です)いつだ?』って。
そしたらきっとその霊媒師は『そんなこと聞かないで~』って子供が泣くフリをした後、霊があの世へ逃げ帰った、って言うよ。
そして横についてる教団の人間はきっと、『なんてひどいことを言うんだ!霊が混乱するからやめてくれ!』って、きっと怒りだすよ。
でも水子が育っているなんてことがそもそもウソだから、Fちゃんの本当の子供だったら答えられるはずの母親の名前さえ、絶対に答えられないよ。
Fちゃんを父親として認識しているのに、母親が分からないなんてヘンだろ。」
と。
そのアドバイスに従い、宇賀神先生の当時の上司Fちゃんは、ランドセルをお供えする日にそう尋ねてみました。
そうしますと、果たして宇賀神先生が予言なさったようにFちゃんの“子供”は、「そんなこと聞かないで~」とあの世へ逃げ帰り、教団の人は「なんてひどいことを!霊が混乱するからやめてください!」と怒られたそうです。
後日、Fちゃんはおっしゃいました。
「宇賀ちゃんの言う通りだったよ。俺も目が覚めた。もうあそこへは行かないよ。」
と。
今から40年近く前の、実際の話です。
仙台では有名な新興宗教団体は、このような「霊媒」「水子供養」をしてお金を儲けて大きくなりました。
供養の名のもとにこのようなやり方をするのは、人の心の傷につけ込んだ商法では?、と言いたくなります。
実際に東北では、たとえば有名な青森の「イタコ」など、祖先の霊などとの仲介をしてくれる霊媒を職業となさる方は多くいらっしゃいました。
もちろん中には本当にそのような力を持っておられた方も少なからずいらしたと思います。
何しろ本物の「イタコ」は修行も命を懸けるほどに厳しく、歴史も長い職業ですから。
ですが、Fちゃんの引っかかった(と申しましても許されるでしょうか)宗教団体の霊媒師は、果たして本物かどうかはアヤシイものです。
にもかかわらず、そこで水子供養をなさる方があまりにも多かったため、その宗教団体は大きくなったのです。
名と実は、必ずしも一致しませんね。
Fちゃんのこの件は、本当にお気の毒だったと思います。
彼は彼なりに、その心の痛みに苦しんでおられたのでしょう。
彼のご家庭にどのような事情があり、中絶なさったのかは分かりませんが、そうせざるを得なかった“子供”を不憫に思い、供養することは決しておかしいことではありません。
ただその思いが行き過ぎてしまい、嘘をついている霊媒師や宗教団体の被害に合われることは、悲しすぎます。
救いを求める人々がいらして、本当に救いの手を差し出そうとする人々、救いの手を差し出すふりをして搾取する人々がいます。
霊などというものは目に見えないだけに、本物と嘘の見分けが難しいのです。
ですからこそ霊をつきつめようとしたり、深入りしたり(たとえば水子をあの世で育てようとしたり)せず、世間一般の常識の範囲内での関わり(供養)にとどめておかれたらいいのかな、と思います。
この世に生まれ落ちて後に亡くなった命であれ、この世界にでてくる前に亡くなった命(胎児)であれ、お身内を亡くされた方の悲しみが、悪意を持った人々に踏みにじられることなく、穏やかに癒えていくことを願っております。
合掌