供養 その1

宇賀神先生と私は、ご飯をいただく前に、必ずそのご飯を「お供え」いたします。

よく「供養する」とも申しますが、書いて字のごとく「供えて養う」のです。

一体誰を養うのでしょうか?

 

ご縁のございました、神様や佛様、守護霊団、ご先祖様、などです。

 

 

昨日の旅のアルバムのおまけと申しましては何ですが、嬉しそうなこの宇賀神先生のお顔を見てやってくださいな。

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いわま亭

ここは仙台にございます鰻屋さんですが、宇賀神先生のお父様の時代から、法事をなさった後は必ずここで皆でお食事をなさっていたそうです。

こういうお食事のことを精進あげとか、精進落としとかおっしゃるのだそうですね。

 

宇賀神先生が仙台にご出張なさったときは必ずお墓参りをなさり、その後この鰻屋さんでお食事なさいます。

「親父とお袋が『絶対にここの鰻を送ってくれー。ビールとお酒と両方をつけて!』ってウルサイんだよー。」

と、宇賀神先生はおっしゃいます。

つまり、お父様とお母様があの世から「ここの鰻とビールとお酒をお供えしてほしい」と要請していらっしゃると。

本当は先生ご自身が美味しい鰻でビールとお酒の両方を飲みたいだけなんじゃないのー?と、思わなくもないですが( ̄∇ ̄)

 

とにかく宇賀神先生は、必ずここの鰻を亡くなられたお父様たちにお届けします。

そのとき必ずと申し上げていいほど宇賀神先生が嬉しそうにおっしゃるのには、

「わしが墓参りしてお経をあげて、その後に鰻を届けるだろ?

うちの親父が『周り(のお墓の住人?)に自慢できる』って喜ぶんだよー。

お坊さんが身内で、ありがたいお経あげてもらって、豪華な鰻料理で大宴会してもらえるなんて自分くらいなもんだー、って。」

 

うーん、あの世に行かれてまで「自慢できるって喜ぶ」だなんて、なんだかあの世もこの世もおんなじでしょうか?

お父様ってば一体・・・。

まあとにかく、宇賀神先生が召し上がるご飯を何倍にも増やしてお父様を含むご先祖様たちの大宴会を催すのです。

なんだか想像するだけで楽しそうですね?

 

あの世にいらっしゃるご先祖様たちや、神様佛様にご飯をお供えするのには、密教でのお作法もございます。

印(いん・手指で作る形のこと)とご真言と観想を用いまして、ご飯などをお届けいたします。

宇賀神先生は仕事柄と申しますか、もはや人生そのものが神様佛様と密接につながっておられますので、確実にお供えをお届けして当たり前と思っておられます。

(また、そうしないと、生きていけませんね?・・・とまでは言い過ぎでしょうか。)

 

ですが、これは私の意見ですが、僧籍など持たれていない方は、そのようなお作法などご存知なくても、少なくともご自身のお身内の方には、お心でもってご飯をお供えできるのでは、と思います。

何を以てしてあの世にいらっしゃるご先祖様や、見えない存在の神様佛様にお供えが届くのでしょうか、と考えましたときに、やはり一番大切なのは「心」であると私は思いたいです。

その人を想う、ご先祖様を想う、人の心が、必ず届けてくれると信じています。

 

もちろん、わざわざ私がこのようなことを申し上げなくても、人は自然とお供えものが届くと分かっておられるのでしょうね。

ですからこそ、供養という風習が長い歴史の中でも続いてきたのでしょう。

 

ただ、宇賀神先生の場合は、先程も申し上げましたが、ある意味本当に大変ですよ。

何しろ神様佛様も、守護霊団も数多くおられます。

神様のなかでも例えば宇賀神弁財天様などは「十五王子八万四千護法善神」(じゅうごおうじ はちまんしせん ごほうぜんしん)と申しまして、15人(柱)の王子様と84,000人(柱)もの配下の神様を従えておられるのです。

その名のごとく、法(佛法)を守るための神様の軍団です。

鰻御膳1人前が少なくとも84,016人前に・・・?

どうやって増やすのー???

と、思われて当然ですが。

これが増えて、ちゃーんと届いているのですねぇ。

何とも面白い世界です。

 

これから何回かに渡りまして供養についてお話していきたいと思います。

先週がお盆だったから、でしょうか?

私自身も供養は大切、と申しますより、供養っていいなぁと思っておりますので、その素晴らしさをお伝えできたらと願っております。

 

合掌