今日は、少し前に流行りました「千の風になって」は本当でした、というお話をいたしましょう。
お盆が近いからと申します訳ではありませんが・・・。
8年ほど前、私の母方の祖母が亡くなりました。
この大正生まれの祖母は、結婚前(もちろん戦前です)は、ものすごいお金持ちのお嬢様で、大きなお屋敷に住み、日本ではまだ車が珍しい時代にフォード社の高級車に乗せてもらっておりました。
その頃、車があまりにも珍しく、乗っておりますと道を歩く人達が手を振ってくださったのですとか。
外国映画のお姫様のようですね。
その祖母が結婚しましたのは、やはりエリートサラリーマン。
姓を田畑と申します。
2人はなんとハイカラ(もはや死語?)なことに、アイススケート場でお見合いをしたのですって。
相思相愛だったようで、新婚生活もまた、幸せで裕福なようでした。
ところが、無残にも第2次世界大戦が2人の仲を引き裂きました。
私の母方の祖父は徴兵され南方に送られることになり、その移動途中、どうやらフィリピンのルソン島沖で、船が沈んで亡くなりました。
そして死亡通知書とともに帰ってまいりましたのは、遺骨代わりの一片の木片でした。
まだまだ新婚夫婦で仲が良かっただけに、祖母の悲しみはどんなにか深かったことでしょうと思います。
そして、あんなに裕福な実家が何故か祖母のことを受け入れてくれず、祖母は私の母を含む3人の子供を抱えて極貧の生活を強いられました。
「女三界に家無し」との言葉そのものに、祖母の人生はつらいものになりました。
苦しい生活のなか祖母は何とか生き延びてくれて、お陰で私の母も無事育ちました。
戦後になりまして、私が生まれたときからずっと「おじいちゃん」だと思っておりました男性と出会い、再婚します。
姓を佐山と申します。
再婚しましてから10年以上もたち(戦争が終わりまして12年ほどでしょうか)、ようやく「今日食べるご飯には事欠かない」ような暮らしになりました。
それからは、普通に幸せに暮らしてくれたのでしょうとは思って(願って)いますが、やはり最初に結婚しました田畑の祖父のことも忘れられないようでした。
私が大人になりましてから発見したものですが、祖母は田畑の祖父の形見のものを、タンスの中に大事にしまっておりました。
祖母が亡くなりましてから叔父が喪主となり、京都の大谷さん(大谷本廟)に納骨することにいたしました。
叔父は佐山姓で、祖母が再婚しました後に生んだ子供です。
納骨しました後、大谷さんの境内を歩いておりますと、ふと戦没者慰霊のためのお堂が目に入りました。
そのとき私は、胸がぎゅうっと、懐かしいような、悲しいような、どこか郷愁にも似た思いにとらわれました。
すると宇賀神先生が、
「あっ、おじいちゃんがおばあちゃんを迎えにきている。あのお堂のところで軍服着て敬礼してる。細面の人だ。」
と、おっしゃいました。
私はびっくりしました。
確かに、祖母が戦後再婚しました佐山の祖父は、がっしりとした輪郭の顔ですが、戦争で亡くなった田畑の祖父は、細面でした。
ですが、大谷さんは佐山の家の方のお寺になります。
しかも、田畑の祖父のお骨は、無論のこと田畑の家のお墓にも、日本の国土のどこにも無く、はるか太平洋の海の中に消えました。
その田畑の祖父が、大谷さんに現れるなんて。
しかも戦後70年近く(8年前当時)たってから。
ですが、私が懐かしさを感じ、それを言葉にする前に宇賀神先生が「おじいちゃんが来た」とおっしゃった訳ですから、これもまた「事前打ち合わせのない符合の一致」だと思い、この感覚は間違いなく祖父が来たためだったんだ、と信じられました。
祖父は、亡くなってからずうっと、祖母のことを見守り続けていてくれたのでしょうか。
そして、70年近くも待って、迎えにきてくれたのでしょうか。
私はもちろん、大学生の頃までは実の祖父だと信じておりました「佐山のおじいちゃん」も大好きでしたから、少々思いは複雑ではありますが・・・まあ、ですが、亡くなりましたら皆「佛さま」です。
あの世で仲良くやってくれているものと思うことにいたしましょう。
そしてこのことがありましてから、しばらく前に流行りました「千の風になって」は本当だったんだ、と思うようになりました。
「私はお墓の中にはいません。千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。夜は星になって貴方を見守る。」
と申します歌詞は、真実でした。
遥か太平洋の海の上で命を落としました祖父の骨は、海の藻屑と消えてしまいましたが、その距離を超え、70年近い時を超え、祖父は祖母を迎えに来てくれました。
ただ、もう一つ考慮に入れたいなと思いますのが、祖父が現れましたところが、「戦没者慰霊のためのお堂」だということです。
お墓にはいないけれど、やはりお墓のような「拠るすがら」は必要なのかしらとも思いました。
あるいは大切なのは拠るすがらの“器”ではなく、そのお堂を見ましたときに、ふと祖父への思いを馳せる私たち身内の心そのものが、拠るすがらとなるのかも知れません。
真実は佛さまのみぞ知る、ですね。
さて、こんなに奥深く真実を歌っております「千の風になって」、宇賀神先生もとっても大好きな歌です。
それなのに、
「私のお墓の前で泣かないでください~。お宅のお墓は隣です~。」
などという替え歌をうれしそう~に歌うんですよ♥なんて、歌を作られた方に申し訳なくて口が裂けても言えません。( ̄∇ ̄)
合掌